第149話
あの日、すべてが終わってしまったかのように思えた。
いや違う、本当に終わっちまったんだ。
俺が……この手で……
『やっていられんな……俺は降りるぞ……』
「……くっ……、またか………」
ズキッ、と頭にヒビが入るような痛みが走った。同時に、あの日の出来事を鮮明に思い起こさせてくれる。まったく、嫌なことだ……。
ベッドの上で最悪な目覚めを受けた俺は、頭の痛みを手で押さえながら上体を起こした。それでも頭に来るモノに変化はない。痛い、と言うより、ぼぉーっとするって言った方がいいな。血の気が引いて一瞬だけ意識が覚束なくなる、それでクラッとすることも度々だ。それも、あの日からだ………
今でもあの時を振り返ってしまう。
感情に任せ、俺は穂乃果に手をあげてしまった。けど俺は、穂乃果のあの態度に納得いかなかったし、何より、蒼一をあんなふうに言われちゃ堪んなかった。アイツの言いたいことだってわからんでもない。今回の一連の出来事に負い目を感じちまうのは当然のことさ。回避できただろうと、悔やむことはたくさんあって当たり前なんだ。
けどな、それでも許せなかった……。蒼一が、アイツにしてやってきたことをすべてなかったことにしちまうそんなアイツを、俺は許せなかったんだ……。蒼一がどんな思いでここまでやってきていたのか、多くの苦しみを抱いてもなお、働き続けた蒼一を侮辱することは許せなかった。たとえ、幼馴染であろうと、蒼一の恋人であったとしてもだ………
だが、いま思えば、いったい俺は何をやっていたのだろうか? あの日、俺は何のためにあそこにいたんだ?
みんなの話を聞くため?
絵里の考えを手助けするため?
穂乃果を何とかしようするため?
いや……全部違う……。俺はただ、その場の流れに身を任せていただけ……そして、最後の最後で出しゃばってすべてを台無しにしたんだ。
ああ、そうさ。俺はとんでもない失態を犯し、蒼一が築き上げたことすべてを台無しにしちまった。蒼一のためにと思っちまった行動が、こんな裏目に出ちまうとはな………
起き上がった俺はベッドから這い下り、床に足を踏ん張らせた。目にチカチカ光るモノが入ってくる。重い瞼を擦って凝視て見れば、充電させていたスマホが緑のランプを光らせている。まるで俺を待っているみたいに……
それがちょっと煩わしく感じるから、充電コードを外して通知内容を確認するため電源を入れる。一瞬で明るくなった画面を見つめると、やっぱりな、とつい口をこぼしてしまう。
洋子からの連絡だ―――
定時連絡のように日に数件飛んでくることは日常化している。それに目を通しては、μ’sの活動、裏の活動にと役立つこともあれば、他愛もないメールのやりとりもあったりする。だから別段、大きな問題があると言うわけではない。あるわけではないが……
指で画面をスライドさせ、メールの一覧を眺めると見えてしまうあのメッセージ。
“μ’sが実質上、解散しました”
とてもわかりやすく、なんて酷く完結的な言葉なんだろう。この短文だけで俺の心を粉微塵にさせた。
わかりきっていたこと……そう答えてもいい。だが、こんなにも脆く、儚く散ってしまったことに俺は嘆いた。これまで必死になって作り上げてきたものが、すべて失われる。俺の持てるすべてを注いだ結晶をこの手から滑らせて壊してしまった。いまとなっては、取り返しのつかないことだ。
穂乃果は辞め、海未は弓道場へ。真姫はまたひとりピアノを弾きに、絵里と希は生徒会へ。にこは部室に、花陽と凛は……いや、わからない……。けど、誰しもがμ’sが始まる以前の生活に戻っていったはず。そして俺も、何もしない、何も起こらない日常を過ごすのだ。
こうしてみんなと離れ、ひとりになってようやくわかった。物足りない……何もかもすべてにおいて、だ……。身体を蝕むようにやってくるこの虚無感。これが俺を感傷的にさせ、弱くさせる……。
「……いや、だめだ……。ここにいても何も変わんねぇ……」
時間が経つにつれ、ムシャクシャしてしまうから、思い立って外に出ることにした。寝ても覚めても、黙っても喋っても変わらないと言うのなら、少しでも自分に変化を与えないと……そうしなくちゃ、本当の意味で死んじまうような気がした。
送られたメールを一通り読みながし――どうせ洋子から返信してくれと言う催促だろうけど、スマホの液晶を暗転させた。服を着替え、顔を洗って身なりだけは整える。いつものように母さんの愚痴を横に朝食を平らげ、財布一つとスマホのみで外へと繰り出す。
「あちぃ……このまま融けちまえばいいのに……」
強烈な日差しに愚痴をこぼしつつも、ゆっくりと歩きだす。どこに行くという明確な理由も無く、ただ思うまま気の向くままにと身体を動かしたかった。
―
――
―――
――――
街の独特の匂いが鼻につく。
何するわけでもなく、ただブラブラと脚を振り回していたら、つい来てしまった。
アキバ――家からほどなくに位置しているし、何よりいろんなものが集まっている。多趣味な俺にとってはこれ以上に無い聖地。金に余裕があれば片っ端から買い漁ってしまうくらいだ。
だが、生憎、いまはそんなに持っちゃいないし、懐も閑古鳥が鳴きそうなほどだ。それに、買い物目的で来たわけじゃねぇ。ここに来れば、少しは楽になるんじゃねぇかって……そう思っただけさ。
結局は、忘却の場所を求めていただけかもしれない。俺たちが作りだしたμ’sがああなり、穂乃果たちもバラバラ。蒼一が構想していた廃校阻止の一手を加えるどころの状態じゃない。ましてや、この現状を伝えちゃいない。
この数日、どうしたらいいのか思考錯誤しまくった。だが、何も思い付かないし、悪いことばかりしか脳裏に過らない。こんな調子でいいのかなんてわかりやしなかった。
「まったく、とんだ疫病神だな……俺は……」
自分がしてきたことに誇りを失いかけていた………
「――あれ? 明弘さん?」
人ごみで雑踏する中、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。俺は立ち止まって振り向くと、同じく足を止めて、じっと俺を見つめるひとりの少女を見つけるのだった。
「ヒデ、コ……?」
―
――
―――
――――
「――で、どうしたんですか、こんなところで?」
「まあ、いろいろと……な……」
人ごみを避けて、近くの喫茶店に入った俺とヒデコ。適当な席につき、対面になって話を振られる。当初、ヒデコは俺を見て、目を真ん丸にさせて驚いていた。ライブのことやμ’sのこととかを聞いてきたから場所を変えて話をしようと思ったわけだ。
それらを含めてのヒデコの言葉だが、釈然としない返答しかできずにいた。
おまたせしました、と店員が、会話を妨げるみたいにグラスに入れた飲み物を俺たちの前に置いた。俺のは、メニューを見て適当に目についたものを指さして注文させてみたもの。で、出されたのがレモンスカッシュ。レモン色よりも透明で、ただのサイダーではないかと疑ってしまう。まるで俺みてぇに釈然としねぇなぁ、と内心苦笑しつつ、一口含む。酸っぱい、舌がしびれるくらいにレモン味。パチパチと弾ける炭酸の爆発も相まって、それがレモンスカッシュなんだと嫌でも思い知らされる。まるで、疑っていた俺にわからせるみたいに、だ。
俺もこれくらいハッキリさせればいいのだがな…とまた胸中で呟いた。
「まったく、心配したんですよ。なんか、μ’sは解散しちゃったみたいな噂が流れてるし、蒼一さんも明弘さんもいないし……あっ、メール入れてたんですよ、ちゃんと見ましたか?」
「えっ、メールしてたのか? すまん、見てなかった……」
「もぉ~ちゃんと見てくださいよ~!」
ヒデコは頬をムスッと膨らませて、不満そうにこっちをジト目に睨んだ。そんな彼女を横目にメールを確認してみると、あぁ確かにあった、とちゃんと見ていなかったことに反省した。
「まあ、元気そうでよかったんですけどね……」
そう言うと、彼女が注文したアイスミルクティーのグラスを手にして、ストローを口にしてそっぽを向いてしまう。身体を横にしても飲めるものなのか、と観察しながらも、俺のことを心配してくれていたことに胸を揺らした。
ははっ、こんな俺をそう思ってくれるなんてな、まったくモノ好きなもんだな。俺のしちまったことを聞いたらどんな顔をするだろうかな……考えねぇ方がいいか……
「それで―――」
ストローを口から放して、そのままグラスを置くと口火を切った。
「――本当に何があったんですか?」
ジッと俺の目をしっかりと捉え、煌めく瞳は真剣そのものだ。強い意志を感じたんだ。俺は突き動かされたみたいに心を揺らした。
そんな目をされちまったら、曖昧なことはできないよな。これを聞いて、どんなふうに思われようが仕方のないことだ。その事実は曲げられないし、どうしようもないことなのだ。だからって、逃げるのは性にあわないし、一番卑怯な手だ。ちゃんとぶつかっていかないと――そう自分に言い聞かせ、腹をくくった。
「ヒデコ。よく聞いてくれ―――」
そして俺は、全部話した――――
「―――と、言うことなんだ」
「そっか……」
小一時間くらいだろうか?
それとも四半時か……?
いや、わかんねぇ……。
自分でもわかんねぇくらい話をしていた。グラスに入っていた氷は全部溶け、グラス全体が結露してたくさんの水滴を流していた。それくらい長々と話していたってことなんだろう。
対面するヒデコは、俺が話し終えるまで頷いたり相槌を入れたりはしたが、話を遮るようなことをせずに聞いていた。どんなことを言ってくるのだろうか? こんな俺に対して糾弾してくれるとありがたい。そうやって、第三者から問われた方がよっぽど楽になれる……そう思ってた。
「ねえ、明弘さん。起こっちゃったことは確かに辛いことだよ。でも、だからって明弘さんが全部抱え込むことじゃないと思うよ」
「何言ってんだよ。結果的にアイツらの活動に終止符を打っちまったのは俺なんだ。それに、俺はアイツらの指導者だ。アイツらの責任は俺の責任なんだよ」
「でもさ、本当にそれでいいの? 明弘さんがここで諦めたら全部終わっちゃうんだよ?」
「始まりがあれば終わりは必ずある。それが最悪なかたちで早まっただけだ。これ以上、俺がアイツらに口出ししたって変わらないだろ……」
頭の中でマイナスなイメージしか浮かばねぇ……。あれだけ長々と話したせいか、心身ともに疲弊しきっているみてぇだ。多分、いまの俺の顔はひどくやつれてんだろうなぁ……。あんまし見てもらいたくないものだが、そうも言っていられない。悪いのは俺なんだと、自分に言い聞かせてしまう、そんな俺がいるのだ。
考えても考えても悪いことばかりしか出てこない。この負の連鎖は止まんねぇなぁ……
「何言ってるんですか!!!」
すると突然、ヒデコが張り上げるような声をあげたんだ。
思わずその声に驚いたが、同時に、店内にいた人全員も驚いた様子でこっちを見始めたのだ。
「ひ、ヒデコ、声が……」
声を抑えるようにと彼女に促すのと、代わりに身を乗り出し迫ってきた。
「明弘さんは、誰かが困っているのに見過ごすんですか? 泣いている女の子がいたら見捨てるんですか? 違うでしょ! 明弘さんはそんな人じゃないでしょ!? 明弘さんは、みんなを支えて、助けて、守ってくれていたじゃないですか。それなのに、ここで諦めちゃうんですか……? 中途半端に、明弘さん自身の信念を曲げるつもりですか!?」
「……ッ!!」
身を深く乗り出したヒデコの言葉に圧巻させられた。俺の芯を突かれたかのような、そんな驚きを隠せずにいた。同時に、何かが切り開かれようとしている、そんな感覚にさえ微かに感じさせられるのだった。
ヒデコは続けて言う―――、
「私たちは裏方です。ステージに立つ穂乃果ちゃんたちを支える役目を担っています。だから! だからこそいま、私たちは頑張らなくちゃいけないんですよ! μ’sが見せてくれる奇跡を信じて……! そして、その頭領である明弘さんがここで落ち込まないでください! 蒼一さんがいないこの時に、一番頑張らなくっちゃいけないのは、明弘さんでしょ!? ダメでもダメなりに抗ってみてくださいよ! やってのけてくださいよ! 明弘さんならできますって、私を救ってくれたように……」
「――――ッ!!」
瞬間、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。ヒデコの、この差し迫った言葉を前にして、全身が震えだした。
なんだ、この衝動は……? 身体中から湧き上がってくるこの熱情は……?
ふと、ヒデコの顔を見上げると、彼女が見せる、燃えるような瞳が俺に臨んでいた。それが俺の中に飛び火し着火させるんだ。そして、問いかけられている……俺はいったい何をしなくちゃいけないのかを……。
答えはそう簡単に見つからない。ついさっきまで、苦悩の淵に立たされていたのに、いきなり光明を見いだせと言うのは酷な話だ。
けど、何も見出せないってわけじゃない。俺にはまだ、やり直せる瞬間が残っているんだと。よく考えてみろ、俺はいままでにどれだけの困難と対峙してきたかを……。それに抗い、覆してみせてきたことも何度あったことだろう……。負けたくない、その一心で自然と身体が動いてた。
そうだ。まだ、覆せる猶予は残っているじゃないか。ならばこそ、俺に出来ることは……!
沸々と、身体の中で熱いモノが湧き上がってくる。冷め切っていた感覚に熱が戻ってきたようなそんな感じが。忘れていたこの気持ちを、俺がいる理由を、思い起こさせてくれた。
「……ふっ、これじゃあ、蒼一のことをバカにできないな……」
「明弘さん……?」
「……あぁ、ヒデコの言う通りだ。俺はとんでもねぇ間違いをしていたようだ。自分の失敗ばかりを気にするなんざ、俺らしくもない。俺はただ、ひたすらまっすぐ前を見据えて、走るのみ……どんな壁があろうともぶっ壊してきた。そうでなければ、いままでの俺を言い表すことなんざできねぇよな……」
不敵な笑みを浮かばせ、目を覚ます。今度はちゃんと、目の前を見据えるようにしなくちゃな……。
「ありがとよ、ヒデコ」
「………っ! ううん、いいよ別に……」
ヒデコにお礼を言うと、少し頬を紅くさせて、照れくさそうにミルクティーを飲んでいた。腹を決めて安心したからか、喉が渇いたので俺も自分のを飲み出した。
うへっ、くっそ酸っぺぇ……それに、ぬるっ!
どうやら時間が経ち過ぎたみたいで、炭酸が抜けきった生温かい何かになってしまったレモンスカッシュ。二口含んではみるが、もはや飲めたもんじゃない。悲しいがこれは新しいのを頼んだ方がいいかもしれないと思うほどにだ。
「ヒデコ。よかったら、新しいのを注文しようか? 無論、俺のおごりで」
「え、いいんですか?」
「ああ、何でもいいから頼みなよ」
俺だけおかわりを所望するのは忍びないと思い、なんならいっしょに頼んでしまおうと思ったまで。変に付き合わせちまったのだから、これくらいはしてやらんと男が廃るってもんさ。
「それじゃあ―――まず、レモンティーでしょ。次は、イチゴのプチパフェでしょ。そんで、ショコラケーキをお願いしま~す! あと、お持ち帰りでドーナッツセットもお願いしま~す♪」
「をふぁっ?!」
自分に言い聞かせた瞬間にこれかよおおおぉぉぉ!!? ドリンクだけかと思いきや、追加オーダーでデザートを2つも頼んじゃってるし! しかもお持ち帰りもしてんのかよ!!
予想の範疇を大きく越えた結果に、内心発狂寸前になりかける俺。それに対して、何ともにこやかな顔をするのだろうか……無邪気なその笑顔を小悪魔が被っているようにしか思えなくなったんだけど……
一瞬にして、財布の中の野口にサヨナラバイバイしなきゃならん悲しみに、嘆息が苦笑っぽく小刻みに吐き出ていく。何が悲しくって、金銭面にまで負担を掛けねばならんのか、頭を悩ませてしまう。
「明弘さん―――!」
すると、ヒデコが屈託のない笑みを浮かばせて―――
「―――いっしょに食べましょ♪」
―――俺を誘ってきた。
不意を突かれた俺は、思わず素っ頓狂な気持ちで目を丸くさせちまう。なんともまあ、女ってヤツは俺が考えている以上に難儀なもんなんだな………
けど―――、
「はぁ……そうしようかな……」
ちょっとくらい振り回されちゃってもいいかもな。
「アイスコーヒーひとつ―――」
新しく頼んだつもりなのに、甘ったるくって、生温かった。
(次回へ続く)
どうも、うp主です。
涼しい日が続いてきて、ようやく落ち着いた時期になってきました。
くっそ暑い日よりも肌にやさしい日が続くと嬉しいモノです。
話の構成もようやく整ってきたので、スパートかけて投稿していきたいものですね。
次回もよろしくお願いします。
更新速度は早い方が助かりますか?
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ちょうどいい
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もっと早くっ!
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遅くても問題ない