原因は内容に詰まっていました。次回からは全力疾走でいけると思います。
自動ドアをくぐり抜けた先。
三沢塾のロビーは外見と相変わらず、普通と表現するのが適当な造りをしていた。ただ、日光を取り入れるためかガラスが多く使われている。
奥には四基のエレベーター。その一番左隣には非常階段が備わっていた。見た目からして、あまり使用されている様子ではない。
これだけならば、本当に平凡なビルだった。
二基目と三基目のエレベーターの壁に、赤黒いペンキが乱雑に塗りたくられている。塗装しようという意思など微塵も見られず、子供のイタズラのようにペンキを撒いただけだ。
「血の跡……?」
上終は思わず呟いていた。
外見も内装も平凡なことから呆気に取られていたが、ここは魔術師が巣食う死地。何があっても不思議ではない。
赤いペンキにしては何か不気味すぎる。
近づいてみれば、それはより顕著だ。始めに血生臭さが嗅覚を刺激し、塗料とはかけ離れた凝固をした赤黒いモノ。
彼の呟いた内容は推論にすぎなかった。否、認めたくなかった事実だ。
これにステイルはあっさりと頷く。
「そうだね。死体は処理して血の跡だけ残す……いかにもな手口だ」
苦虫を噛み潰したような表情。
血痕は誰の目から見ても明白なほどに大きく広がり、致死量を越えていた。
これを仕掛けたのはアウレオルスかパラケルススか。恐らくは後者だろうと上終は考える。
明確な根拠は無い。だが、精神の奥に潜む――夢の中で何度も邂逅したあの声が、そう言っている気がした。
「………っ」
気味が悪い、と上条は辺りを見回す。
ロビーには三沢塾の生徒が行き交っている。彼らは試験の点数だったり、世間話だったりの日常を過ごしている。
しかし、上条ら三人の前にあるのは異常。血痕を無いモノとしている彼らに、どうしようもない奇妙な感覚を覚えた。
床に壁に大きく広がった血溜まりの上を、女子生徒が歩いていく。彼女の靴が赤く濡れる様を想像していた上条は、驚いて目を見開く。
まるで浮いているかのように、一滴の血も付けずエレベーターに乗り込む女子生徒。
この状況を理解できているのは、やはり魔術師であるステイルだけだ。彼は顎に手を当てながら言う。
「モノは試しだ。上条 当麻、壁を君の右手で殴ってみろ。もしかしたら、それで解決するかもしれない」
「? おう」
言われるがままに壁の前に立つ。
勢いをつけるように数回右肩を回して、加減ナシの拳を思い切り叩きつける!!
「…………」
痛い。
当然といえば当然だった。
中国にあるようなインチキ拳法でもない限り、堅い壁を殴ってダメージを受けない人間なんていないのだ。
上条はくぐもった叫び声をあげながら、右手を押さえてうずくまる。
彼の不幸体質がなければ、犠牲になっていたのは自分になっていたかもしれない。上終は戦慄しつつ、上条の惨状を見守っていた。
「やっぱりか」
表情に喜色、口調に愉悦を含ませたステイル。彼は確かめるように再度頷く。
「これはそういう結界だ。喩えるのならコインの表と裏。『コインの表』の住人である生徒たちは『コインの裏』である魔術師に気付くことができない。そして、僕たち外敵は生徒たちに一切干渉することができない」
「それなら、どうして『幻想殺し』で無効化できなかったんだ?」
この建物自体が『コインの表』だとしても、それは結界の効果によるモノ。
神様の奇跡でさえも打ち消してしまう上条の右手であれば、触れた瞬間に無効化されるはずだ。
「簡単さ。魔術の『核』を潰さない限り、この結界を打ち破ることはできない。そんな経験はなかったかい?」
上条は少し考えて、結論に辿り着く。
神裂を操っていた杭の魔術。アレは本体の杭を壊さなければ、彼女にかかっていた魔術は解除できなかった。
「お前、分かってて言いやがったな」
「さあ? 少なくとも、君の犠牲のおかげで確信したのは確かだよ」
食ってかかろうとしたところで、上条は違和感に気づいた。一つや二つじゃない、無数の目に見られているような緊張感。
三人は恐る恐る振り返る。
「……すまない。確認していいか」
上終は震えた声を絞り出す。
上条とステイルも察しているのだろう。二人はいかにも聞きたくなさそうな表情だ。
「『コインの裏』の俺たちは生徒に干渉できない。しかし、生徒からは俺たちに干渉できる。もし彼らと激突したら……」
「ダメージを負うのは僕たちだけ。相手はノーダメージ。のしかかられでもしたら、生卵みたいに潰されるだろうね」
三人の眼前には虚ろな目をした生徒たちが、壁のように立ちはだかっていた。
ただし、こちらからは絶対に傷つけられず、全速力で追いかけてくる攻性防壁。視界を人間が埋め尽くす光景に、上終はペンザンスでの一件を思い出す。
パラケルススの腐れた性格のことだ、これはあの時の再現に違いない。
「どうする! このままじゃ殺されるのを待つだけだぞ!」
上条が拳を構え直して叫ぶ。
彼の言うとおり、生徒たちの動き出しを待っていては死を望むことと同義だ。
絶体絶命。
万事休す。
上終の右手から冷や汗が滲み出す。同時に、脳の奥深くから声が響いてくる幻聴を聞いた。
〝右手を使え、私の神理。『世界を安定化させる力』ならば干渉できるはずだ〟
『
右手に宿るその力を改めて意識する。
「………!!」
完全に理解できたわけではない。むしろ、何も知り得ていないと表現するべきの不可思議な力。
『声』は夢の中で聞いたのと変わらない、母親のような優しい調子だった。
このままでは打開策が無いのも事実。覚悟を決めて右手に力を込める。
「行こう。『
「言い出してくれて助かる。この事案に関しては僕は役立たずだからね」
次の瞬間。
コインの表と裏と交錯した。
『グレゴリオの聖歌隊』。
ローマ正教の最終兵器。3333人の修道士を聖堂に集め、聖呪を捧げることで魔術の威力を激増する大魔術である。
三沢塾にいる人間は講師、用務員、生徒含めて2000人に達する。完全な『グレゴリオの聖歌隊』を再現するには至らないが、それでも十分すぎる人数だ。
これを止めるには2000人もの人間を操る『核』を破壊しなければならない。
上条ら三人を追いかけている生徒たちは、『グレゴリオの聖歌隊』術式を組み上げるための人員。
ではなかった。
彼らは『コインの表』の属性を持っただけの人形だ。その役目は外敵をしかるべき場所に誘導するためのダミーにすぎない。
「終わったぞ」
ごどん、と重苦しい鉄の重低音。
細身の身体を高価な純白のスーツに包んだ、緑色の髪の男は言った。
アウレオルス=イザード。今回の元凶であるこの錬金術師は、純白のスーツにこびりついた返り血を指でなぞる。
するとどういう訳か、クリーニングに出した後のように血のシミが消え去っていた。
「うわ。四肢だけ黄金に変えるなんて器用なコトするじゃないか。生かしたまま連れて来いって言ったのはボクだけどさ」
床に横たわる金属の塊。
ソレは人間だった。厳めしい鎧を着込んだ騎士。だが、彼の両手両足は失われており、断面からは純金と血が混ざった液体が流れだしている。
目を覆いたくなるような重傷も、白いローブの少年――パラケルススが緋色の光を当てることで瞬時に塞がった。
一連の過程をつまらなそうに眺めていたアウレオルスは、思い出したかのように告げる。
「……忽然。『
「ああ、大丈夫だよ。どうせすぐ見つかるさ。だけど、もう用なしじゃないかい?」
興味なさげに答えるパラケルスス。
彼の視線は騎士に注がれており、アゾット剣で何らかの改造作業を施していた。
「何を言っている? 『吸血殺し』こそが我らの目的だろう」
「………そう」
底無しに冷ややかな視線を向ける。
アウレオルスはそれに気づいていない様子で、不機嫌そうにパラケルススの作業を俯瞰していた。
そんな彼を見て、白衣の錬金術師は小さく舌打ちする。
(所詮、偽物か。入力された情報以外は理解できない。本物の思想とも齟齬が出てしまう……そろそろ潮時だな)
アウレオルスから視線を外す。
背後に目を向ければ、無数の生首が弛緩した表情で荘厳ながらも禍々しい歌を叫びあげていた。
その数まさに3333。
それら頭部は石膏で塗り固めたような外見をしており、白濁としたおぞましい白一色で覆われている。
『
『コインの裏』の外敵には触れず壊せず発見できない無敵の要塞。無数の生首が紡ぐのはアウレオルスの最終目的である
同じ錬金術師であるパラケルススには、大いなる術への興味はあった。が、彼は元々不老不死を目指し、到達した人物だ。
(パラケルススの末裔が『黄金練成』に辿り着く――か。時代がもう少し早ければあの人は……)
しかし、もう遅い。
時は流れた。
パラケルススは死んだ。
ここにいるのは道を違えた一人の錬金術師。
「配置につくよ。君は『吸血殺し』を追跡していろ」
結果的には大成功だった。
上終の右手は通用し、動きを止めることができた。それでも出力が足りなかったのか、完全に停止させることは叶わなかったが。
それで状況を打開できるほど、アウレオルスとパラケルススは易い敵ではない。
突破してくることは想定内。
むしろ彼らにとっては好都合な展開といえた。目的は2000人による圧殺ではなく、上条たちひとりひとりを分散させること。
「う、おおおおおっ!!?」
階段を飛び降りる。
頭だけは庇うようにして、不格好に転がりながら衝撃を受け流した。
荒く息を吐く。上条は特異な右手と不幸体質を除けば、他は何の変哲もないただの男子高校生だ。
どんなことをしても、平均値かそれ以下しか叩き出せないような凡人。そんな彼が全速力で追跡してくる群体を振り切れる道理はなかった。
即座に立ち上がり、適当に前方を見やる。
「――くそっ!!」
飛び込んできた景色は、相変わらず視界を埋め尽くすような人々。迫り来る絶望に上条は砕けんばかりに奥歯を噛み締めた。
せめてもの抵抗に右手を振り回す。当然、何ら効果はない。彼の生への執着がそうさせたのだ。
だから、こんな展開だってどこかの誰かには想定内だったのだろう。
拳を振り回した隙に体当りを受ける。これを行ったのは争いとは無関係そうな少女だというのに、上条の身体は軽々と吹き飛ばされる。
その時、無数の足音が響いた。
それは上条に送る死への葬送曲。数秒後には彼は中身が飛び出たぬいぐるみみたいに奇怪な死体と化す。
確定した未来。
変えるのは一人の少女だ。
上条が目蓋を閉じようとした瞬間、彼の目の前に巫女服を着た黒髪の少女が躍り出る。
彼女は上条を護るように立ちはだかっていた。
名も知らない少年を救うため、迷いなく飛び出したその選択は未来を覆す。
「『姫神 秋沙』……?」
思わず口に出していた。
彼の胸の奥を満たしたのは死を免れた安心感ではなく、命を救われた感謝と少女の生存を確認できた安堵。
生きていた。上条は彼女の見た目を模しただけの人形の死に様に立ち会った。名前以外に何も知らない少女でも、生きているという事実が彼を安堵させる。
「大丈夫?」
『吸血殺し』の少女はキョトンとした表情で問う。
周囲では陸上競技並の運動をしていた生徒たちが、処理落ちを起こしたパソコンのように固まっていた。
緊張の糸が切れる。戦場に対応していた身体の強張りが解けて、疲労が重くのしかかってくる。
『コインの表と裏』。この建物自体はコインの表に属するため、床を踏んだ衝撃は丸ごと足に返ってくるのだ。
万全とはいえない体調だが、上条は少女に無駄な心配をさせないようにウソをつく。
「ああ、大丈夫だよ」
「――歴然。無理をするな、外敵」
直後のことだった。
ドパン!!と粘ついた音が耳をつんざき、上条と姫神以外の
全てを焼く純金の雨。傘も持たずに佇むその男は、ただただ静かに微笑んでいた。
右腕のスーツの袖から垂れ下がった黄金の鎖が、メジャーを巻くような音と一緒に巻き戻されていく。
「我が『
「……っ」
手を支えにして立ち上がる。
錬金術師は意に介さない。道端の草が揺らいだだけ。アウレオルスにとって、上条の反抗の意思はその程度だった。
「遺言だけは聴いてやろう。如何に取るに足らぬ存在であっ」
「ふざけんじゃねえぞ、テメェ!!」
少年から発せられた怒号。
これを受けた時、アウレオルスは無意識に一歩引いていた。目の前の男は障害にすらならないというのに!!
………故に、言葉はいらなかった。
錬金術師と幻想殺しは敵を見据え、ほとんど同時に動き出す。
『天地繋ぎ』の右手で止めたモノは、三メートルの範囲から逃れると停止は無効化される。
加えて『コインの表と裏』の術式により、右手の効果も薄れていた。二万人のゾンビを切り抜けた上終だが、動作の速さと地形からしてあの経験は通用しない。
脳の奥深くから響いてくる声も、途中で右手を使うことから走って逃げることを命令してきていた。
上終も全面的に賛成し、『声』が指示する道を辿って逃げ回る。
「……どっちだ!?」
T字の道に差し掛かり、『声』に向けて問う。正体は見当も付かないが、それには包み込むような暖かさがあった。
それにしても、唐突に話し掛けてきたソレを受け入れていることは奇妙だ。
〝右だ。それと疲れてないか? 身体に支障はないな? まだ走れるか?〟
……少し心配性なのが気になる。
生返事で対応すると、できる限りスピードを落とさずに曲がりきる。すると、またもや長い廊下が奥まで伸びていた。
右側は一面ガラス張りになっている。
街の夜景に目を向ける暇はない。
なぜならそこには。
仇敵であり怨敵、パラケルススがいたからだ。
ちょうど廊下の端と端で向かい合うように会敵した二人に、一瞬の逡巡も無かった。
倒すべき相手を見定め、上終は右の拳をパラケルススはアゾット剣を握り締める。
「『
先に動いたのはパラケルスス。
構えたアゾット剣を四大元素の精霊が螺旋を描きながら飛び回り、虹色の長大な刀身を編み上げる。
それこそは絶対干渉の剣。
世界を構成する物質への『斬られろ』という絶対干渉を施すことで、この剣は絶対切断を可能とするのだ。
ドオッ!!!と虹色の魔力を撒き散らしながら、上終の頭上に刀身が振り落とされる。
握り締めた右の拳をアッパーの如く大きく振り上げた。
「ぐっああああっ!!?」
拳と剣の激突。受け止めた右の手首から、ワイヤーをノコギリで引くような不快な音が連続して鳴る。
右手首に鈍痛が迸り、せめぎ合う間すらなく『天地繋ぎ』が押し返され始めていた。
右手首に発生している痛みも拙い。破壊されるのは時間の問題――受け止めたまま刀身の腹に回り込み、かろうじて回避する。
『声』が心配して言葉を投げかけてくるが、上終に対応している時間は無い。
青色の精霊が腕ほどの大きさの氷柱を四つ創り出す。間髪入れずに放たれたそれらは、まさしく砲弾のような威力を秘めていた。
止まれば好き勝手にされ、戻れば追撃を受けるだけ。活路は左右にも存在しないのなら、前へ進むことこそが最善手。
短く息を吐いて床を蹴りだす。
向かってくる氷弾はしかし、ことごとくを躱されて傷をつけるには至らない。直線的な射撃なら、上終の戦闘論理にしっかりと対応が書き込まれている。
さらに距離を詰めるため脚に力を込めた。
次の瞬間。
ボンッ!!という爆発音を引き連れて、上終の背中にとてつもない衝撃が襲い掛かる。
「がっっ…!!?」
叫ぶことすらできない。
さながらトラックに轢かれたような膨大な衝撃は、彼をノーバウンドで十数メートルは弾き飛ばした。
正体不明の爆発。それには身を焼き焦がす爆炎はなく、熱と衝撃だけが『爆発』と形容するに等しい。
原因は氷の水蒸気への昇華。固体を加熱することで分子の熱運動を促進させ、一気に気体へと状態変化させる。
それによって起きるのは急激な体積の上昇だ。
一般的に冷蔵庫の製氷皿から取り出した氷一個程度でも、人間を吹き飛ばすには十分だとされている。
パラケルススが上終への攻撃に使ったのは腕の太さほどの氷柱。それを四つとなれば、こうなることは必然だろう。
問題はどうやって加熱をしたのか。
答えはパラケルススが使役する四大精霊の一角、『火』を司るサラマンダーによる局所的な温度操作。
直接温度操作で攻撃しなかったのは、上終の精神に『正体不明原因不明の攻撃を受けた』という影響を残すためだ。
一瞬にしてボロ雑巾のように転がされた彼を追撃すべく、サラマンダーが矮躯に似合わない極大の炎を吐き散らす。
天井から床、壁までを埋め尽くす獄炎は、まさに炎の鉄壁と評するがふさわしい。
(……止める!!)
己を鼓舞して跳ね起き、軋んだ右手を眼前に迫り来る炎の壁に叩きつけた。
虹色の剣とは違い『天地繋ぎ』は十全に働いたようで、空間を呑み込む炎はその場に縫い止められる。
だが、それは成功であり失敗だ。
止めたはいいが、炎の壁はその場に留まってしまい先に進むことはできない。
かといって、あのまま止めていなければ上終は炎の海に呑み込まれて、灰すらも残らなかっただろう。
「『天地繋ぎ』の弱点その一だ、上終」
炎の壁を突き抜けて、パラケルススは横合いから接近していた。
条件反射の速度で殴りかかる。
拳が錬金術師の顔面に到達する直前、床の材質がピザの生地のように引き伸ばさていた。
拳と顔面の間に壁が生み出され、上終の拳撃は不発に終わる。
直後に壁から無数の針が飛び出して彼を襲う。
咄嗟に急所を庇うも、脇腹を杭ほどの針が貫いた。
最初に発生するのは痛みよりも熱。焼けるような感覚のあと、耐えがたい激痛が胴体を支配する。
「範囲攻撃に弱い。一番有用なのはやはり『壁』だったね」
壁の向こう側からパラケルススが、芝居がかった所作で登場した。
「加えてもうひとつ、右手首から先にしか力が宿っていないことだ。これは当然だね。『幻想殺し』だって同じさ」
愉しげに嗤う。
上終は彼の態度を笑い飛ばし、告げる。
「変わっていないな、パラケルスス」
「まあね。ボクをコケにした罪を贖わせてやるよ」
アゾット剣を振るう。
再び出現した虹色の剣の刺突を、上終はすんでのところで回避してひたすら間合いを詰める。
物質の昇華を利用した爆発は脅威だが、至近距離で発動すれば巻き添えは免れない。彼が選んだのはいつも通りの接近戦だった。
「『天地繋ぎ』の弱点その三」
横から振り回した右手は、腕の部分を掴まれることで防がれる。
取った行動は右手を引き戻そうとするのではなく、左拳を使った打撃。上終の予想に反して、拳はあっさりと突き刺さった。
だが、以前とは異なりダメージを受けた印象はない。それどころか、パラケルススは引き裂くような笑みを作り出す。
「――
ぞわり、と上終の背筋に悪寒が走る。
何かが不味い。そんな思考に至る猶予すらも与えず、天井から突き出した矢が彼の右手の甲を貫く。
コンクリート製の矢はいとも容易く右手を貫通し、床に突き立った。天井には黄色い光を纏った小人が嘲笑っている。
右腕の先から送られてくる強烈な痛みに上終の身体は硬直し、貫通傷のある腹部へ爪先が食い込む。
魔術の身体強化を施したパラケルススの蹴撃はしたたかに患部を打ち据え、大きく吹き飛ばした。
横の壁に身体を叩きつけられ、彼方に飛びそうになる意識を強くたぐり寄せる。
次の行動に移るまでの一瞬。されど、この一瞬はパラケルススには欠伸が出るような緩やかな流れにすぎない。
四大元素の剣が七色の光跡を描く。
「……………!!!!」
切り取られた肩の断面から、目を疑うほどの量の鮮血が噴水のように噴き出す。
どちゃ、と左腕が血の海に落ちた。
そう。
パラケルススが奪ったのは『天地繋ぎ』の宿る右腕ではなく、人間と何ら変わらないただの左腕である。
凶悪で獰猛な喜色の笑みを浮かべる錬金術師。この瞬間、彼は勝利を確信した。
(……どうだ、上終 神理の奥に潜むモノよ。下級とはいえ魔神を倒してみせたあの力――左腕でも出てくるか?)
それはありえない、と断言する。
完璧な四大元素の魔術を扱うパラケルススには、ケテルを打倒した『あの力』の正体に少なからず辿り着いていた。
だからこそ分かる。上終 神理の奥に潜むあの力は、右手の切断をトリガーとしてでしかこの世に現出できない。
床に落ち伏せる上終の頭を踏み付ける。
何度も何度も足をハンマーのように振り下ろし、その度に得もいえぬ快感が錬金術師の全身を駆け巡った。
「は、ははは、ははははははははははははははははははは!!! 弱い、弱すぎるんだよ上終ェ!! そんな右手で何が護れる!? この偽物の劣化模造品が……テメェの存在自体がイラつくんだよクソったれがァ!!」
パラケルススを裏から支援しているのは、この学園都市の支配者であるアレイスターだ。
彼らが手を結ぶに至った経緯は実に単純明快だった。
アレイスターは『計画』のため上終を殺さなければならず、パラケルススは己の信念を打ち砕いた上終を殺したい。
単純な利害の一致。それにあたって、アレイスターはパラケルススに二つの情報提供を行った。
一つはアウレオルス=イザードの存在とその目的。
これによりパラケルススはアウレオルスに取り入り、彼の計画の深層にまで潜り込んだ。
ヒーロー気取りの生粋の偽善者である上終なら、確実に三沢塾の事件に介入するであろうことを予想して。
結果はこの通り。全てがパラケルススの思い通りに事が進み、三人の分断にも成功した。
……そして、二つ目。
『上終 神理と天地繋ぎ』。
その内容は彼の自己を破壊する。
上終にとっては最大の不幸となり、パラケルススにとっては最大の愉悦となる情報を語ることは勝利宣言に等しかった。
簡単には殺さない。
肉体の痛みなんて生温い。
与えるのなら世界最高の不幸。
存在意義の完全証明をここに実行する――!!!
「上終 神理。ボクはお前のすべてを否定する」
……世界のどこかで。
『人間』は嗤い。
『魔神』もまた、
ようやく山場です。
上終くんは基本的に上条さんの役割は奪いませんが、その分死ぬまで(死んでも)頑張ってもらいます。
次回もまたお会いしましょう!!