陽炎の城での戦いから数日。
あの戦いをきっかけに黄金の夜明け団は瓦解し、ラジエルの書もイギリス清教の手によって回収された。『
ペンザンスの人々も車の突撃の際に、怪我を負った人が数人いただけで命には別状はなかったらしい。
ただ、激しく苦しい戦いの末に得た勝利は戦った人間に大きなダメージを与えた。
今回ばかりはレイヴィニアも即座に復活できるような傷ではなく、上終はレプリシアのときよりも酷い重傷を負っていた。そのため、ゾンビから復活したペンザンスじゅうの医者を集めた大手術を敢行することになったのだ。
明け色の陽射しの構成員たちも引っくるめて、彼らは病院の部屋を占拠することとなった。それが許されたのは恩人でもある上終がいたからだろう。
そんなこんなで。
全身を白い包帯で覆われた上終は、右腕こそ自由だが左脚を吊り上げられた状態で安静にさせられていた。
折れた肋骨が肺に突き刺さっていたりと、まさに生死の境をさまよったというわけだ。
「よく生きてたな?」
ニヤニヤと笑うレイヴィニア。
どうやら包帯でミノムシみたいになった上終の姿をバカにしているらしい。
毎回好んでこんな惨状になっているわけではない。上終は少々いじけながら、吐き捨てるように答える。
「おかげさまでな。君こそボロボロだったじゃないか」
「まあな、戦いとはそういうモノだろう?」
レイヴィニアは不敵な笑みで切り返した。
確かに戦いとは傷つくことが前提である。それを体現したような上終は彼女の主張を覆すことはできない。
しかし、上終が防いだとはいえ魔神の一撃を受けたというのに、彼女は誰よりも元気そうに振舞っていた。
次々と繰り出される毒舌をのらりくらりと躱しながら、レイヴィニアの様子を探ってみるがポーカーフェイスのせいでいつもと変わらないように見える。
そうしてずっと生返事で彼女に視線を注いでいると、
「どうした。気持ち悪いぞ」
わずかに嫌悪感のこもった眼差しで貫かれた。以前ならば合わせて罵詈雑言が飛んでくるところだが、それは無いようだ。
少しばかりの進歩に上終は内心で大喜びする。あの毒舌系金髪美少女は徐々に更正の道を歩んでいるのだ!
「本当に大丈夫なのか、レイヴィニア? 君もそれなりに傷を負っていたはずだ」
「心配してるなら見当違いだ。私はそんなに弱くはない」
薄い胸を張って強がるレイヴィニアを、上終は不機嫌そうにジトッとした目で見据える。
今も十分幼いが、彼女は幼い頃から支配者として育てられてきたために、まだ支配者の仮面が残っているのだろう。
そう思うと上終はどうしても、レイヴィニアのことを嫌いになることができない。嫌いになろうとしているわけではないが、彼女は上終を拾ってくれた恩人だ。
好きになることはあっても、嫌いになることは決してない。
と、そこで気づいた。
これではまるで恋をしているようじゃないか、と。突然浮かんできた愚考を苦笑いで否定する。
それを確かめるように向かいのベッドにいるレイヴィニアを見つめた。
優しい光をそり返す金糸を編んだような髪、新雪みたいに陰りのないすべらかな白い肌。悪魔が乗り移った性格とは裏腹に、妖精のような端正で可愛らしい容姿は実に陽射しに映える。
一瞬、時が盗まれていた。
彼女に目を奪われて、視線を釘付けにされる。そんな上終の様子など露知らず、レイヴィニアは眉をひそめる。
「……まだ何かあるのか?」
その声で一気に現実に引き戻された。
包帯の下でやや頬を染めながら、なるべく平静を保つようにして答える。
「見惚れていた。すまない」
すると、数秒のタイムラグのあと一気に耳まで真っ赤になるレイヴィニア。肩がわなわなと震え、その時点で上終は逃げ出したい気持ちに駆られた。
が、時すでに遅し。
少女によって放たれた全力全開の魔術が、上終を空に輝く星に変えた。
勝利の他に得たモノは少ない。
けれど、二人に芽生えた感情は数少ない戦利品のひとつだ。
その後がどうなるかは神様にしかわからないだろう。
その少年が目を覚ましたのは、どことも知れぬ暗い部屋だった。絶え間なく振動することと外からの音から、トラックの中であることを悟る。
暗闇のなかでひとつの人影がもぞりと立ち上がると、照明がついて部屋の全貌が明らかになった。
つるりとした白い素材でできた壁と床。部屋のいたるところに医療用の器具や、見たこともない装置が設置されている。
照明をつけたらしい人影の正体は、げっそりとした印象の銀髪の女性だった。
光度の順応に慣れていないのか、大きなクマのできた目を何度も歪めて白衣のポケットから眼鏡を取り出す。
それをかけて、少年が起きたことを確認すると痩せ身の女はニッコリと微笑んだ。
「おはようございます、パラケルススさん。気分はどうですか?」
「……最悪だね」
表情を歪める。
思い出すのは上終との戦いだ。
認めたくはないが、どこからどうみてもどんな視点から見ても完全敗北だった。
二万人のゾンビに劣化の劣化とはいえ天使の身体を持ったホムンクルス、賢者の石を投入しても勝てなかった。挙句には二万人全員を救われる始末。
そして、それをやったのが自分自身だということに、パラケルススは果てしない怒りを覚える。
勝てた戦いだった。
なぜ敗けた?
アイツが強かった? ありえない。ヤツは明け色の陽射しで最弱だった。
なぜ敗けた?
上終に敗けたんじゃない。ボクが敗北したのはあの忌々しい右手の力だ。
なぜ敗けた?
〝他人を利用して、自分だけのうのうと引きこもってるお前には、戦闘経験が足りない……!!これがお前の悪行のツケだ! パラケルスス!!!!〟
「ああ、まったく。最高に最低な気分だよ、クソったれが……!!!」
砕ける勢いで歯を噛み締める。
怒りと憎しみと不甲斐なさとがごちゃまぜに渦巻いて、正常な思考を剥奪し破壊し陵辱していく。
何かの物に当たりたい気分だったが、手錠で両手を封じられているため、理性でどうにか押さえ込んだ。
細身というにはあまりにも不健康な体躯をした銀髪の女性は、ほっそりとした指で端末を操作する。
かちゃん、と軽い音を立てて手錠の拘束が解けた。
「どこかの誰かさんへの愚痴はとりあえず置いてもらって、ワタシのことを紹介しましょう」
指を動かして端末の表面をなぞると、真っ白な壁にどこかの都市の映像が浮かび上がる。
パラケルススは未来的な印象を兼ね備えた機能的な都市と女性の正体に一瞬で辿り着く。
「『学園都市』……そうか、君たちは」
「ええ、ワタシは黄金の夜明け団でも『科学側』の人間なのです」
黄金の夜明け団は魔術と科学の融合を目指していた組織だ。大元があの世界最大の友愛団体だっただけに、魔術の要素が濃かった。
この魔術結社の科学専門の人間は、ほとんどが学園都市の研究者だ。それ故に魔術と科学の均衡が取れていたといえるが、そうもいかない。
「まず、今回の戦いの顛末をお教えしましょう。陽炎の城にて総力戦となった我々は、ケテル様が魔神に至ったものの上終 神理に敗北。その報が知れ渡れば戦闘部隊は瓦解してしまいました」
学園都市の画像から、ケテルと上終の戦闘を衛星から撮ったような映像に切り替わる。
映像からでも伝わってくる神域の戦闘と、あの上終が魔神ケテルに優勢を保っていることで驚愕と困惑が同時に襲い掛かってくる。パラケルススとしては意識が飛びそうな心境だ。
「あとは野となれ山となれ。本丸まで攻め込まれて盛大に敗けてしまいました。ま、ワタシたちは学園都市にいたのでぜーんぜん影響なかったんですけど」
これで上終に敗けていなければ大口のひとつでも叩けたのだろうが、戦いに介入できなかったパラケルススは口をつぐむ。
「それでですね。ワタシはあなたを助けるために来たのです。パラケルススといえば魔術に精通してるだけでなく、科学でも影響を与えた人物。魔術にはトーシロのワタシたちにご教授願いたいのです」
病的な印象をはらんだ微笑み。
その微笑みに最高の錬金術師は笑い返した。
「……いいだろう。だが、利用されてやる代わりに条件がある」
「なんでしょう? カラダでも何でも差し出すのですが」
「上終 神理を殺させろ。ボクを踏みにじりやがったアイツだけは赦さない」
ギリ、と歯ぎしりが鳴る。
銀髪の女性は彼の憎悪の顔にうっとりとした表情で頷く。瞳の奥にどこまでも濃密な闇を忍ばせて。
「ワタシは『木原 角度』。ま、名前のとおり『角度』を司る木原ってわけなのです」
「ふぅん、木原一族ね。ボクの時代にもそんなヤツらがいたな」
「ま、ワタシたちは科学の集まるところに自然発生しますから、あなたの時代にいても不思議じゃないのです」
木原 角度の背後に映し出されたスクリーンの画像が変化し、『生命の樹』に似た模様が現れる。
その模様は生命の樹を上下反対にしたモノで、カバラにおいて逆の存在とされた。
彼女はパラケルススに言う。
「『
この日、魔術と科学は交差した。
学園都市。
東京西部を突貫作業で切り開き、東京都の三分の一を占め、神奈川、埼玉を掠めるような形でその都市はあった。
この学園都市と外界の科学技術はおよそ三十年ほどの開きがあると言われている。学生たちは記憶術や暗記術、薬品を投与したり電極を刺したりなどで『脳の開発』を行っている。
開発の結果、学生らが手に入れるのは『超能力』だ。まるで空想のような話だが、彼らは確かに存在しているのだ。
彼らのことを能力者といい、超能力の強度によって六段階の判定に分けられる。
学園都市の学生の六割が属する無能力者。
スプーンを曲げる程度の弱い力しかもたない低能力者。
低能力者と同じく日常では役立たない程度の力を持つ異能力者。
日常で便利と感じられ、ここからエリート扱いされる強能力者。
軍隊において戦術的価値を得られるほどの力を持つ大能力者。
そして、学園都市約二百三十万人の頂点であり、七人しかいない人間を超えた能力を操る超能力者。
学園都市の目的はさらにその上、超能力者を超える絶対能力者を生み出すことである。
……まあ、そんなのはほとんどの人間には関係のないことで。
限られた能力者。それこそ真に学園都市の頂点に立つ『第一位』以外には雲の上の話だろう。
だが、絵空事でいえば無能力者の男子高校生『上条 当麻』だって負けていない。
「……これは幻想だ。この上条サンが言うんだから間違いない」
夏休み初日、七月二十日。
妙に静かな朝のことだった。
ベランダからみえる景色には通行人どころか、学園都市を徘徊する清掃ロボットの姿すらなかった。
昨日は学校のピンク色の合法ロリ先生から補修を言い渡されたり、ビリビリ中学生から不良たちを助けたらなぜかドキッ! 不良と鬼ごっこ!なんてことになったり、エアコンが臨終したりとまさに踏んだり蹴ったり。
どれもこれもこの不幸体質がいけないと決めつけ、天気が良いので布団でもほそうかと思った矢先にこれだ。
具体的にいえば学生寮のベランダの柵に、白い修道服を着た水色の髪のシスターさんがぶら下がっていた。
口の端がひくひくと痙攣し、割と大きい変な声が出る。人通りもないため、聞かれなかったことは不幸中の幸いか。
(……イヤ、イヤイヤ。もしかして今流行りの空から降ってくる系ヒロインってやつですか!? そんなのもうやり尽くされてんだろおおおお!!)
ドンドンドン!!と床を右手で強く叩く。その拍子に携帯電話を殴ってしまい、少しの間悶絶した。
涙目になりながら痛みで冷静になった状態で、現実を再確認するべくベランダに視線を移す。
「し、失礼しますよ~っと」
とある一般的な普通の男子高校生は、とりあえず布団のように干されたシスターを救助することにした。
左腕で抱き留めながら引っ張り出す。
「……て」
「手…って、うお!ち、違ぁあぁああう!! 痴漢とかそういうんじゃないんだあああああ!!」
無意識にシスターの胸に触れていた左手を引っ込める。いくら弁明しようとも現行犯なため、問答無用でしょっぴかれることだろう。
だというのに、白い修道服を着た少女は全く気にしていない様子で、大きく息を吸い込んだ。
「
――瞬間。
無数の純白の羽根がベランダに突き刺さった。
音の速さで激突した光の羽根は上条の部屋を半壊させ、瓦礫のつぶてが振り注ぐ。
煙が舞い上がり石くれがパラパラとこぼれ落ちるその部屋を、三体の天使が上空から見下ろしていた。
陶磁器のような表面は絶えず淡い光を放っており、二枚の翼が背中から伸びている。この天使たちによる一斉射撃を人間が受けたのではひとたまりもない。
上条とシスターは見るも無残な死体と変貌したことだろう。
「―――……ッ!!」
光の粒子が右手に触れて消えていく。
勢い良く五指を握り込むと、光の羽根の残滓は跡形も無くあっさりと消滅した。
それは、魔術師たちの怯えと夢の結晶。
それは、あらゆる異能を打ち砕く右手。
上条 当麻だけに宿った力。
『
彼は右の拳を硬く結び、一体の天使から続いて撃ち出された翼の一撃を真っ向から殴り飛ばす。
バキンッ!!!とガラスの割れるような音が盛大に響き渡る。粉々に砕けた翼の先からヒビ割れが生じ、連鎖反応を起こして天使の肉体にまで亀裂が到達した。
もはや策はない。
安っぽい音を立てて天使の肉体が砕け散り、手のひらほどの小さな生物が地面に落ちて動かなくなる。
(翼と本体は繋がってる……なら、どこでもいい!触れさえすれば!!)
シスターのこと。襲撃者のこと。超能力ではないであろう異能のこと。疑問はいくつも浮かび上がってくるが、考えている暇はない。
悠長にしていれば即座に死ぬ。
少女を背にして天使の前に立ちはだかる。ヤツらの狙いはおそらくシスターの少女だ。
上条は呼吸のリズムを整え、天使たちの攻撃に反応できるように腰を低く落とした。と、見せかけて少女を小脇に抱えて天使とは反対方向に全力でダッシュする。
上条 当麻は普通の男子高校生だ。特異な右手があるとはいえそれは揺るがない事実で、正面から殴り合って勝てるとは思っていない。
そもそも、右手で一体倒せたことはまたとない機会だ。単敵の戦力を削れたのは単なる初見殺しなのだから。
そうなると、次は楽にはいかない。相手が上条の右手に対して対策を取る。となれば彼の敗北は決定的だろう。
「ふ、不幸だああああああ!!! エアコンも冷蔵庫も壊れてたってのに、どうしてまた俺の部屋がーっ!?」
曰く、上条は不幸体質である。
幼少期からそれは顕著で、周りの同級生や大人たちからは煙たがられていた。そのことが災いしてか、包丁で刺されるなど生命に関わる事件が多々あった。
彼が学園都市に来た理由がそれだ。上条の父親はそういった迷信を信じない純粋な科学の街で、平穏な暮らしをさせるために学園都市に送られたのだ。
それでも不幸体質は治らなかったのだが。
瓦礫に身を隠すように移動して、対処しきれない攻撃だけは右手で掴み取って無効化する。
突っ込もうとする天使には右手を見せびらかし、突撃を制限しながらとにかくドアへと走った。幸い、玄関までの距離は遠くなく、すぐに到着することになった。
喋ろうとするシスターの口を左手で塞ぎ、先の衝撃で建付けの悪くなったドアを蹴破る。
(どうする――!? 空を飛べるってなら逃げ場なんかねぇぞ!!)
案の定先回りしていた現状に舌打ちして、上条はシスターを物陰に退避させた。
右手から届かない位置から嬲り殺す。ならば、上条が選び取る選択肢はただひとつ。
『右手が届く位置まで移動する』。
思いつくのは簡単だが、やるとなると一気に難易度は上昇する。だがそれでもやるしかない。
「うおおおおおっ!!」
落下防止柵を足場に天使に飛びつく。
上条の突撃にあわせて飛び込む天使。所詮これは分の悪い賭けだった。不幸体質である彼には負けが確定していたともいえる。
しかし、状況を打破するために起こしたその行動が呼んだのは、地面より突き上げる二本の炎の剣だった。
「……はい?」
炎剣に頭を串刺しにされた二体の天使が、光の粒子となって空気に溶けて消える。その間にも上条の身体は自由落下して、アスファルトに背中を強く打ち付けてしまう。
息が詰まる痛みに涙目でのたうち回る。
「日本にも随分と変なヤツがいたものだ」
真っ赤な長髪。目の下にバーコードの刺青を入れ、装飾過多な黒い神父服を着る大男がそこにいた。
彼はタバコに火をつけると上条の首根っこを掴んで立たせる。
「あの子を連れて逃げろ。見ず知らずの君に頼むことじゃないがな」
「あ、ああ。任せろ」
勝手に話を進めるタバコ神父に困惑する上条だが、悪人ではないということは理解できた。
彼もわからないことだらけだ。一度首を突っ込んだからには、最後まで付き合うのが筋というモノだろう。
迷わず振り返って、水色の髪の少女のもとへ向かおうとする。その途中で上条は停止して、神父に訊いた。
「アンタ、名前は?」
「……ステイル=マグヌスだ。さっさと連れて行け」
全ては、ここから始まる。
筋書きとは外れたルートを辿りながら。
上条 当麻の夏休みは激動するだろう。
上条さんの補修を全力で妨害していくスタイル。
原作は割とぶち壊しでいきたいと思います。
次回からもどうぞよろしくお願いします。