初めてなので優しくしてください。
もう一人の物語の始まり
もういやだ。
すべてを壊したい。
こんなくだらない魔術も。
こんなくだらない世界を創った神も。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
喉が張り裂け鼻から血が溢れ出す。
手足を力の限り暴れさせるも、魔術的効果が備わった鋼鉄の鎖はびくともしない。
それも当然だ。
少女の身体はかろうじて歩ける程度の筋肉しか残されておらず、半ば骨のような腕では鎖どころか紐すらも引き千切れるのかもわからない。
薄暗い牢屋の独房じみた部屋に、十歳ほどの少女がはりつけにされている。
今夜の牢屋番の魔術師は、いつもの叫び声に対抗するべく耳栓を取り出してはめた。
「―――す……!!殺す……!!コロスコロスコロスコロスコロス!!!!!」
殺意は純化する。
純化した殺意は魔力となる。
魔力は法則に従って槍の形となる。
その力は神の子を穿つ絶対貫通の力。
「――――殺す。魔術師は全員殺す」
彼女の独房にはこう刻まれていた。
『レプリシア=インデックス』、と。
イギリス・ロンドン。
世界で最も有名な都市のひとつに数えられるここは、数々の伝承が根付くとともに世界渡航先ランキングでも上位の常連となっている都市だ。
街の景観を保護する法律もあることから、世界の都市に比べてその景観はとても高いレベルで維持されている。
「う、おおおおお……!!ロンドンの気候で防寒具無しは無謀じゃないのか、俺!?」
そんな美しい街に不釣り合いな、中途半端に黒髪を茶髪に染めた青年がいた。
ところどころはねた髪の毛は、普段教室の隅で携帯いじってるようなヤツが夏休みデビューしちゃいました、みたいなイタい雰囲気を醸し出している。
ロンドンの春は平均気温5~10度。
青年のような妙に現代的なファッションでは、いささか防寒機能に欠けている。
(このまま死ぬなんて……笑い話にもならん!!)
彼の名前は上終 神理。
記憶を失くした生後数日の人間である。
遡ること四日前、上終はロンドンの入り組んだ路地裏で眠っていた。
それはもうぐっすりと。
目を覚ませば前後の記憶どころか生まれてからの記憶が全く無いし、身分を証明するモノすら無ければ財布も無い。
そんな無い無い尽くしの彼であったが、唯一覚えていたのが『上終 神理』という名前だった。
ついでに加えれば、どうやら無いのは事象の記憶――エピソード記憶であることが判った。つまり、知識はあるようで、一通りの言語と一般教養は備わっている。
まあ、この状況で英語やドイツ語や日本語が話せるからといって、海外ではあまり自慢にならないのだが。
ロンドンのどんよりとした寒空の下を、電動ハブラシのように震えながら歩いていく上終。
どこを目指しているわけでもないが、歩き続けているのは意識を保つためだ。一回座ってみたら、急速に眠りに向かってしまう予感があった。
ただ、いま上終 神理が心の底から思っていることは、
(記憶を失くす前の俺を殴りたい!)
そもそも、路地裏で寝ていたこと自体とんでもないロクデナシのやることだ。
せめて今からは真面目に生きよう、と決意したその時、上終の左半身に小さな衝撃が走る。
その方向に目を向けてみるが、人の姿はない。下へ視線を移してみると、その衝撃の原因がいた。
年端もいかない幼女だ。
地面につきそうなほど伸びきった白髪から覗く眼には、上終の知識にはないおぞましく猟奇的な深淵の薄明かりが灯っている。
服装もボロ布をとりあえず着れるようにした、という風情のモノで、低気温だというのに半袖で靴下すら履いていない。
「すまない、痛むところはあるか?」
この幼女もいわゆる変人という部類に入るのだろうが、上終も負けず劣らず変人の道を行く旅人だ。
それほど物怖じせずに話しかけると、幼女は目を細め、冷ややかな笑みを浮かべる。
その威容に上終の背筋がざわめき立つ。
この幼女は、何かが違う―――。
「あなた、魔術師よね」
桜色の唇が動いた。
魔術師。言葉と少しの概要だけなら、上終の知識のなかにも存在している。
ファンタジーや物語の題材としてよく扱われ、この現実にも過去そのような人間たちはいたという。
だが、それはあくまでフィクション。
液晶の中や紙の上で語られる、想像上の存在のはずだ。
「……どういうことだ?」
上終は困惑して、思わず聞き返す。
相手は幼女。魔術師の存在を信じていてもおかしくないが、彼女の言う言葉には妙に真実味があった。
それは幼女の異様な服装と先ほど感じた違和感が後押しして、彼女の世界に呑み込まれてしまいそうになる。
「とぼけたってムダ。だって、あなたのカラダから魔術のニオイがするもの」
ますます意味がわからない。
上終は魔術師や魔術なんてモノ以前に、実に四日しか生きた経験のない赤子。
いよいよ気味が悪くなってきた上終は、無意識に一歩下がっていた。……その瞬間、腕を掴まれ引き寄せられる。
ギリギリと左腕を締め上げる幼女の手。か弱く、握れてば折れてしまいそうな儚い指は、見た目に反してプロレスラーじみた握力を発揮していた。
「……ッ!?」
全身から冷や汗が噴出する。
心臓は早鐘を打ち、本能は逃走を選ぶ。
だが、それでも、まるで蛇に睨まれた蛙のように脚が竦んで動作を拒否。
幼女のもう片方の人差し指が、つぅ、と上終の腹をなぞった。
「腕を千切ってしまおうかしら。それとも、腹を裂いて漏れ出た腸をロープ代わりにして遊んでアゲル?」
――ダメだ、手に負えない。
上終の精一杯の生存本能が選び取った選択は、腕のダメージを覚悟してでも走って逃げ去ること。
幼女の指が突き立てられる。
――相手は油断している。
グリグリと押し付けられるたびに、身体の奥から嘔吐感が迫り来る。
――一瞬で決めなければ、殺されるだろう。
幼女が人差し指を放し、指を打ち鳴らすと手の平に『棒状のナニカ』が集まっていく。
「『神――」
「おおおおおおッ!!!」
左腕に満身の力を込め、右手で強引に引っ張る。
左腕から繊維が切れるような音が連続して響き、皮膚の表面を生暖かい液体が伝う。
きっと、痛みと熱さも神経は絶えず脳に伝達しているはずだ。
この時だけはそれらを全て振り切って、狂ったように来た道を全力疾走で引き返す。
来た道を選んだのは、単純に土地勘があるからだ。少しでも逃走できる確率を上げるにはこれしかない。
ただひたすら無心で走る。
幸い、この身体は平均以上の身体能力はあるようで、全力疾走でも疲労は少なくスピードもかなりのモノ。
余りある体力に甘んじて、さらにさらにと速度を上げていく。
「……?」
ふと、二つの違和感に気付いた。
一つ、どうして周囲には人がいないのか。
ここロンドンはイギリスの首都である。留学生も多く観光も盛んで、昼夜関係なく人がたくさんいる。そんな地域のはずだ。
しかも、いまは昼時だというのに人が全くいないというのはあまりに異常。
二つ。
『どうして自分はこんなにもスピードを上げて走っているのか』。
どう考えてもおかしい。
幼女は振りきったはずだし、背後から迫ってくる気配も無かった。
だというのに、なおも全力疾走を続けるこの矛盾。
「けっこう速いじゃない」
反応する暇もなかった。
ただ、脳の冷静な部分だけが、本能のために全力疾走していたのだと答えを出していた。
今更になって、上終は確信する。
――魔術師は、存在する。
瞬間、上終に幼女の蹴りが炸裂した。
「ごっ……があぁぁあああぁあぁぁッ!!!?」
一瞬、規格外のダメージに、痛覚自体が『飛んだ』。
肺が強く絞り上げられ、空気を全部捻出される。肋骨の辺りからも、嫌な重低音が身体に響く。
およそ人間の、それもか細い幼女が叩き出せるような威力を逸脱した爆発めいた蹴りは、上終の身体を大きく吹き飛ばす。
数回石畳の上をバウンドして、突っ込んだ先は飲食店のガラス。
砕かれた破片は雨あられとなって上終に降り注ぎ、至るところに突き刺さっていく。
………理解が追いつかない。
魔術師の存在。
幼女の目的。
幼女の強さ。
自分と魔術の関わり。
だがしかし。
それよりも何よりも、上終 神理の思考を埋め尽くす大きな感情があった。
それは圧倒的理不尽、究極的不条理への極大の怒り!!
――――バラバラに砕け散った意識をひとつずつ拾い集めて繋げていく。
出来上がったツギハギだらけの意識が、満身創痍の身体に命令を下した。
「………」
朦朧とした思考のなかに、幼女の声が反響する。
「っかしいな……どうして魔術を使わないのかしら?殺してきた魔術師は脚が潰されても攻撃してきたのになぁ」
射殺すような視線で幼女を射抜く。
その瞳に灯った炎に、彼女が気づくことはない。大方、上終が気絶しているとでも踏んでいるのだろう。
「もしかして、『使えない』? ああ、それならまあ納得か。身体から魔術のニオイがするのは不思議だけど……」
ギリ、と歯が擦りあわされ音が立つ。
全身にどうしようもない熱感と気が狂いそうな痛みが戻ってくる。
「んじゃ、サクッと殺っちゃうか。―――『神血大聖槍』」
直後、世界が嘶いた。
魔術のことなど露とも知らない上終でも知覚できる莫大な力の奔流。
人の力が及ぶことのない神域の力の一欠片。
膨大な力が棒状の塊となって収束。
否、それは棒などではない。
『槍』。
無骨な鋼鉄の槍を、這うように彫られた蔦のような模様。神の武器としてはいささか絢爛さに欠けるが、槍から放たれる威圧感はそれこそ神威と等しい。
いま、この幼女は生物としての存在としての次元を一つ飛び越えた。
喩えるのなら、魔神。
神の領域の力をその手に顕現させた――!!!
「………それがどうした」
ゴキリ、と上終の右手が鳴る。
それを皮切りに、右手から全身へと力が行き渡るような感覚。
おぼつかない動きながらも、彼の脚は確かに動作し立ち上がることに成功する。
立ち上がった上終を見上げる幼女は、余裕の笑みを浮かべながら口を開く。
「……へぇ、驚いた。根性あるじゃん」
でも、と幼女は続ける。
「ここで死――」
ゴドンッ!!!という音が鳴り響いた。
その正体は、幼女の顎をアッパーで打ち抜いた拳。下手人は他でもない、上終だ。
困惑して後ろに下がる幼女を睨みながら、震えた脚で前進する。
「テメェ……!!」
「相手が弱いと思って油断したか? それは俺の強さじゃない、お前の弱さだ」
「――殺す!!!」
怒張した幼女の殺意は槍に込められ、鋭い音速の突きとなって体現される。
必殺の刺突は果たして、上終を貫くことは叶わなかった。
(今のは――ッ!!?)
『刺突が一瞬止められた』。その間隙を利用して回避されたのだ。
身体を捻りながらの左フックが、腹部に強烈に突き刺さる。
「俺は死ぬわけにはいかない。……いや、お前なんかに殺されてたまるか!!」
「うるせぇ!!黙って殺されときゃイイんだよクソ魔術師がァ!!!!」
青年の拳が放たれる。
幼女の聖槍が突き出される。
もし、この先が再現されたとしたのなら、文句なしに上終は串刺しにされていただろう。
「そこまでだ」
舞い起こるのは神風。
凝縮された空気の弾丸が吹き飛ばすのは、聖槍を携えた幼女だ。
視界から横滑りするように飛んでいった幼女と、頬を薄く切り裂くかまいたちに、上終はフリーズする。
「……え?」
上終の眼が捉えたのは、短剣の切っ先をこちらに差し向ける金髪の幼女の姿と、彼女を取り囲む黒服たちだった。
雪白のような肌に端正で可愛らしい顔立ちでありながら、自信と貫禄のある佇まいに息を呑む。
「マーク、そいつは適当にふんじばっておけ」
悠々と横を通り過ぎていく金髪の幼女は、そばにいた執事服の男に命令した。
彼女の視線は絶えず白髪の幼女に向けられている。
「はい。それでは失礼します」
「ちょ、まっ」
事情を聞き出そうとした上終。
しかし、マークと呼ばれた礼服の男はカードを上終の胸に当てると、にっこりと笑った。
「おやすみなさい」
ぶつんと何かが切れた音がしたときにはすでに、上終の意識はどこかへ飛んでいた。
棒のように倒れる彼の身体を、マークは片腕で受け止めて周囲の黒服たちに任せる。
「手伝いましょうか?」
「いらん。私がやると言っただろう」
金髪の幼女――レイヴィニア=バードウェイは幼い身ながら、凄腕の魔術師だ。
イギリスの魔術結社のなかでも有数の力を持つ組織『明け色の陽射し』のボスとして君臨し、強さはもちろん手段を選ばないことで有名。
その実力は世界の魔術師では最高峰といって良いだろうが、相手は規格外。
「久しぶりね、レイヴィニア」
腑抜けた笑みをみせる白髪の幼女に、レイヴィニアが答えることはない。
幼女のほうもそれを承知していたのか、笑みを深めながら次から次へと言葉を吐き出していく。
「まあそんなヤツだってわかってたけどさ、親友同士のカンドーのサイカイだぜ?そんなんじゃお相手だって見つからないんじゃないの?」
「…………」
「っかさぁー、なに、戦おうってわけ?んで勝って分かり合うとか?ムダムダ、そんなサムい展開あるわけないじゃん。わたしの殺害対象はアンタもなんだぜ?だから――」
「黙れ」
強く吐き捨てる。
その直後、幼女を取り囲むように五つの純白の閃光が生じる。
大気を焦がし、何もかもを削りとり吹き飛ばす球状の爆発は、等しく幼女を殺し尽くすための攻撃。
純白の檻は瞬く間に幼女を爆殺す「『伝承変更・世界支配』」――ることはなかった。
正しく、光の爆発は幼女を呑み込んだはずだが、それらは時間を巻き戻すかのように縮小していく。
「おかえしだ。喰らってけ」
ドッ!!という音とともに五つの閃光が光線となって空へ伸び、ミサイルの如くレイヴィニアに降り注ぐ!!!
「ぐっ…!!」
短剣を振るう。
すると、光線は途中で針金のように曲がり、周辺へ轟音と破壊を巻き起こしながら墜落した。
アスファルトの破片と土埃が舞い上がる目くらましを風で振り払い、金髪の幼女は叫ぶ。
「アナスタシア!!」
「いいや、わたしの名前は『レプリシア=インデックス』だよ。そこを間違えてくれるな」
レプリシアが槍を振り回す。
そこに出来たのはまさしく空間の切れ目だ。扇のように開いていく空間の門に足を踏み入れる。
「『明け色の陽射し』――まずはお前たちからだ。覚悟しておけ」
そう言い捨てるのと空間の切れ目が閉じるのは同時だった。
―――黒い。
闇く昏く暗い世界。
何人にも把握できない世界。
遠く広がる真っ暗な世界に彼らはいた。
「いやーあせったあせった。マジであせった。『最高傑作』が序盤でぶっ壊されるとかシャレにならんでしょ」
「まさかいきなりエンカウントするとはのう。儂らは手出しできない故にな」
「なら、もっと強くしといた方が良かったじゃん。小指で上条と上里抑えておけるみたいなさーー」
「ほっほ、それこそ無理じゃな。『ヒーロー』はどうあっても行動を制限できはしない。だから上終がああなったとも言えるのう」
「そうか~~。じゃあまだまだだねぇ。『右手の力』も理解してないみたいだし」
彼らは嗤う。
自らが作り上げた存在を虚仮にして。
ただじっと、『上終 神理』が躍り狂うさまを観察し続けるだろう。
やっぱり文章書くの難しいですよね。楽しいけど。
次回も生暖かい目で見守ってください。