ダンジョンに飯を求めるのは、間違っているだろうか? 作:珍明
視点がコロコロ変わります。
リヴィラは冒険者が自主的に作り上げた街。街と言っても、掘っ建て小屋が立ち並んでいるだけだ。『ダイダロス通り』が貧しくもキチンと整備された区域だと実感させられる。
宿代や商品は、ガチのボッタクリ。ギルドの目が届かないとは言え、冒険者の足元を見すぎである。
ゲドの目から見ても、ナマクラだとわかる刀が地上の相場より一ケタ多い。ここまで来るのに得た魔石やドロップアイテムを全て売り払ったが、手持ちの金はすぐになくなった。
「今回の探索は大赤字だ」
うんざりと溜息をつき、ミックはぼやく。彼の言うとおり、帰り道の狩りにて行きの稼ぎを取り戻しても1人頭の分配は低い。正直、上層でソロ狩りしていたほうがまだマシだ。
組んだパーティーがゲドに合わなすぎた。さっさと地上に帰りたいところだが、カブルーが出発を延期すると宣言した。
「正気か! すっからかんの状態で宿に泊まれねえぞ。また野宿か!? 俺は見張りなんぞしねえぞ」
「ゴライアスの復活が思ったより早かったんだ。ロキ・ファミリアの出発に合わせたほうが、より安全なんだ。今の俺達はな」
ゲド以外のメンバーはカブルーの意見に賛成だ。
「嫌なら、1人で帰るのね。ダメもとで他のパーティーに行ってもいいわよ」
リンは冷たく吐き捨てる。他の連中も口に出さないだけで、視線が煩い。
「ちっ、わかったよ」
これだからパーティーは嫌だ。
足手纏いになり、意見が合わず、稼ぎが減る。様々な我慢を強いられる。だが、ゲドは早急に装備を整える金がいる。同じファミリアメンバーに貸しなど、絶対に作れない。
なけなしの金で有り合わせの刀を買い、臨時メンバー募集をしていたカブルー達のパーティーになど入る羽目になった。
夜の時間帯になり、簡素だが野営の準備をして眠りにつく。ゲドは自分でも珍しく見張りを買って出る。苛立ちに頭が冴えて眠れないからだ。
皆の寝息と草や木々の音を聞きながら、不意に脳裏を過る1人のパルゥム。
(これもくそガキのせいだ)
昼間、街を歩いた際に【リトル・ルーキー】のベル・クラネルと再会した。相手もゲドを覚えており、すぐに警戒された。パルゥムのサポーターについて問いただそうとしたが、何故か【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインとアマゾネスの双子が一緒だった。
しかも、「ベル・クラネルに手を出すな」と言わんばかりの圧力を感じ、ゲドはそそくさと逃げた。
あのパルゥムと関わり、ゲドは落ちぶれた。なのにベルはランクアップし、しかも、【剣姫】と親しげだ。
この差はなんだ?
「あいつ、ばっかり良い思いしやがって……」
歯噛みして意図せず、呟く。急に視線を感じる。眠っているメンバーではなく、少し離れたところからだ。
「呼んでいる?」
自問しつつ、ゲドは視線の方向へ歩いて行く。視線ばかり気にし、カブルーが起きている事になど気づきもしなかった。
●○
遡ること、数時間前。
地上の朝のように明るくなった18階層、センシは自慢の鍋に火を通す。彼が火加減を見ている間にヴェルフが畑で収穫した野菜やその辺に生えていたキノコを切り刻み、アルミラージの肉を叩く。
「ロキ・ファミリアから厚底鍋を借りれて良かった。完成じゃ、さあ分けよう」
人数分の皿に分けられた野菜炒め(アルミラージ肉入り)、キノコスープだ。
「リリ、ありがとう。よく肉を守ってくれた」
「褒められても嬉しくありません」
ライオスは目を輝かせ香ばしい匂いを嗅ぎ、リリは満面の笑みだ。
「魔物の肉か……」
「桜花殿、我々はご相伴に預かる身。好き嫌いは……」
「……好き嫌いの問題じゃない……」
桜花、命、千草は配られた朝食を何とも言えない表情で眺める。
「あれ? ライオス、そっちの団長とヘルメスは?」
「あの方々は自分達で朝食と済ませると言って、逃げました」
リューが嘘偽りなく言い放ち、チルチャックは苦笑する。
「それじゃあ、張り切っていただきます!」
満面の笑顔で迷いなく、ヘスティアはペロリと平らげた。
「うん、美味しい。センシくんが調味料を持ってきてくれて助かったよ。御馳走様」
「お粗末さまでした。お気に召したようで何より」
「何よりじゃねえ、ちゃっかりバターまで持って来やがって」
「完全にここで料理する気だったんですね、センシさんって本当にすごいなあ」
ヘスティアとセンシの和気藹々とした雰囲気にチルチャックは呆れ、ベルは感心した。
「うお、う、美味い……。兎の肉は食ったことあるが、それと段違いだ」
「柔らかい……それでいてどこか甘い……」
「美味しい……」
アルミラージの肉を堪能した桜花、命、千草はじっくりと味わった。
食後の片付けも終わったところを見計らい、ヘルメスとアスフィがのこのこやってくる。
「リヴィラに行かれるでしょうから、ここで皆さんに分配しておきます」
アスフィの指揮の下、リリ、チルチャックと千草が黙々と差し出す。
「随分と稼いでますね。リリ達の救出に来たんじゃないんですか?」
「時間をかければ、もっと稼げたんだぜ」
リリとチルチャックの軽口が終わる頃には分配を終え、リヴィラに行く組と居残り組に分かれる。
「俺は何度も行ったし、ナマリから予備の武器を売ってもらうよ」
「俺もパス、荷物を見張っているわ」
「私も別行動をとります」
ライオスとチルチャック、リューが残り、ベル達は意気揚々と出かけて行く。センシの顔を見る者もいる為、彼だけは兜越しに外套を被って出かけた。
リューは行き先を告げず、街とは別方向へ行ってしまう。2人は厚底鍋を返すついでにナマリを訪ねる。
「お前の手持ちで買えるのは、これくらいだな」
飾り気のない実用性重視のハンド・アンド・ア・ハーフを見立てて貰う。柄を握り、基本の型を振ってみる。ケン助より重くて刃渡りもあるが、問題なく扱える。
「ありがとう、ナマリ。これにするよ」
「本当に惜しい剣を無くしたよな。動く鎧のドロップアイテムだったのに」
心底、残念そうなチルチャックの呟きをナマリが耳聡く聞き取る。
「剣がドロップアイテム?」
「チルチャック、俺達だけの秘密だろ。誰が聞いているとも知れないんだぜ」
「いいじゃん、現物はねえんだから」
パーティーメンバーの安全の為に黙っていたが、ライオスはバラされちゃったなあと頭を搔く。怪訝するナマリへケン助を入手した経緯を説明する。
「……そんなドロップアイテム、聞いた事ない。もしかして、魔物そのものじゃないか?」
ナマリの思わぬ発言にライオスの脳内でケン助を得た時の回想が起こる。時間にして一秒だが、彼自身は心臓の音がゆっくり聞こえる程の体感時間を味わった。
「……ケン助が魔物。俺は魔物と暮らしていた?」
「まあ、そういうことだな……」
同意を求めるように、ライオスはチルチャックをガン見する。その緊迫した表情にドン引きしたが、チルチャックは引き攣った声で答えた。
地面に視点を向け、ライオスは自分の顔を手で覆う。そのまま座り込んだ体勢で地面に寝転んだ。
「ケン助ぇええええええええええ! 帰ってきてくれぇええ!」
みっともなく嘆くライオスをチルチャックとナマリは浮かんだ感情を殺して見守る。この世の絶望を押し込めた絶叫は天幕にいたリヴェリアの耳に余裕で届いた。
「街でモルドさんに会ったんだよ。今朝、着いたんだって……ライオス?」
すっかり落ち込んだライオスはベル達が街から戻ってきても、膝を抱えて地面を転がる。女性陣は近くの水場に行くらしく、彼に見向きもしない。
「何があったんですか?」
「魔物絡みだとだけ言っとく、その内元気になるから気にすんな」
「そうそう、畑の事だが、やはりボールスが世話してくれていたそうだ」
心配するベルにチルチャックは手ぶりで安全を教え、センシは本当に気にせず街での出来事を述べた。
「愛おしい眷族、そんな君を元気にするとっておきがある。俺を信じてついてこ……」
「遠慮します」
芝居がかった口調でヘルメスが誘ってきたが、ライオスは拒否した。
「なんで兎野郎とライオスがいやがるんだ……」
「それは色々あったんだ」
地上から解毒薬を持ってきたベートはフィンに出迎えられたが、思わぬ人物に吃驚仰天。
「お帰り、ベート。本当にありがとう。薬を貰うねえ」
「おい、マルシル。ライオスがいるっていうのはどういうこった?」
目を点にして声を震わせるベートへマルシルは簡単に答える。
「動く鎧に襲われたらしくて、必死でこの階層まで逃げて来たの。それを団長が客人として迎え入れてくれたんだよ」
「つまりはそういうこと」
「何で自分が説明したみてえに威張ってんだ。……ライオスはファリンのことは知ってんのか?」
フィンとマルシルは笑みのまま、首を横に振るう。まだ動揺しているベートは一先ず、納得する。
深呼吸を繰り返している間にマルシルは薬を持って行き、フィンもいなくなる。心拍数を正常に戻してからベートはライオスへと対峙した。
「よお、ライオス」
「ベート、久しぶりだな。……君の尻尾は良いなあ、ふわふわしてて撫でていい?(※酔ってません)」
寝ころんでいる為、ライオスの視点は自然に尻尾へ向けられる。狼に似た毛並みは触られるのを恐れ、ベートの背中へ丸められた。
残念に思いつつ、ライオスは上体を起こす。まだショックが抜け切れていないからだ。ベートも何か察し、彼の真正面に座り込む。
「……その……、悪かった」
「ん、何が?」
唐突の謝罪にライオスは首を傾げたが、ベートはイラッとした顔つきで息を吐く。
「前の……遠征が終わった時、『豊穣の女主人』で……人食いとか言ってよ。……言い過ぎたぜ」
「……ずっと気にしていたのか、そうか。……誤解を受けるような行動を取っていた俺にも責任はある。けど、嬉しいよ」
正直、ライオスはベートの言う『人食い』という単語に覚えがない。
しかし、ロキ・ファミリアの以前の遠征、『豊穣の女主人』という言葉でベルとパーティーを組んで日も浅かった頃と見当をつけた。
意地っ張りで他者に頭を下げたりしないベートが真剣に謝罪しているのだ。無碍には出来ない。
アスフィに知られれば、『獣人には気遣いをするんですね』と冷たく蔑まされるだろう。
「簡単に許してんじゃねえよ、そんなんだからファリンも苦労するんだろうが……全く」
普段通りの不機嫌に眉を寄せたまま、ベートは困ったように笑い返して去る。様子を窺っていたヴェルフが入れ違うように現れた。
「ライオスは本当に顔が広いな」
「いや、ベートの顔が広いんだよ」
本当の事だが、ヴェルフは謙遜と受け取る。そして、ライオスの腰に下げている剣へ注目する。
「ナマリに選んで貰ったのか」
「ああ、良い剣だよ。……ケン助には及ばないが、帰り道には十分だ。そうだ、ヴェルフ。帰ったら俺に剣を作ってくれ。勿論、適正価格だ」
妙案だと思い、口にした。
ヴェルフは驚いて一瞬、目を丸くしてから快活な笑顔を見せる。
「了解、帰り道でそれに見合うアイテムを手に入れないとな。ライオスの使う剣だと、刃渡りがこのくらいだから……」
「よしミノタウロスを狙おう。俺もベルの牛若丸みたいに、あいつらの角で作った剣が欲しい!」
目を輝かせて希望を述べるライオスに、流石のヴェルフは笑顔を硬直させてドン引きした。
●○
解毒薬によってファリンを含めた仲間がようやく回復した。
出発は明日と聞き、自分達のせいで遠征の行程が遅れたと詫びる。眠り続けていた体に刺激を与える為、ガレスの指導の元に運動を行う。
それが終わった頃、夕食だ。
火を囲んだ席に兄ライオスの姿を見つけ、ファリンは驚く。彼だけでなく、パーティーメンバーのベルも下へと走る。
「ファリン、具合良くなったんだな」
「うん、けど兄さんがどうしてここに……もしかして兄さんたちだけで中層に、すごい……」
「僕のベルくんだもん、当然だよ。ファリンくん」
感動しているファリンへ可憐な声と共に華奢な手で叩かれる。同意して振り返れば、何故か、ヘスティアがいた。
「あれ、ヘスティア様? ここは地上?」
「ちゃうちゃう、18階層。ヘスティア様がアルゴノートくんが心配で来ちゃったんだ」
さらりと述べるティオナ・ヒリュテにファリンの混乱は増すが、脳内で情報を纏めて納得する。
「神様に来て貰えるなんて、ベルは愛されてるね」
「過保護だよ、過保護」
「ロキ様が真似しないか、心配」
「わしはウラノス様に何も言わんぞ」
チルチャック、マルシルの後にセンシが混ざっていると気づき、またもファリンは驚く。ライオスが宥めるように教えた。
「センシはウラノス様から今回だけ、潜る許可を貰ったから怒られないよ」
「……センシもベル……違うか、ヴェルフが心配で降りてきたの?」
ファリンの純粋な質問に動揺したヴェルフは飲みかけの水を吐いた。
変な誤解を与えない為、ベルが丁寧に事情を説明して貰う。ファリンはようやく合点が行き、休んでいた分のエネルギーを得ようと食事に食らいつく。
こうして、ライオスと迷宮で食事を取るなど、何日振りだろうと心を弾ませる。
「今回の遠征はどうだった?」
「いっぱい、学んだ。もしかしたら、ランクアップしているかも」
楽しい気分でファリンは冗談を口にする。しかし、地上に戻った後、ステイタス更新にてLV.4にランクアップし尚且つ、『竜の寵愛(ドラゴン・ラブ)』というスキルを得てミアハを卒倒させたのは別の話である。
夕食の時間が終わり、ファリンは片付けに協力して食器を運ぶ。
「そういえば、ティオナの言ってたアルゴノートくんって何? 」
「え、そんなこと言ってた? 私は知らないな……!!」
首を傾げたマルシルが唐突にビクッと肩を痙攣させたので、ファリンは彼女が見ている暗がりを注意深く見る。
縄でグルグル巻きの逆さ吊りにされたヘルメスがいる。ファリン達の視線に気づき、上機嫌な笑みを浮かべていた。
「アイズ達の水浴びを覗いたんですって、目を合わさなくていいよ。ライオスのとこのアスフィ団長も言ってた」
「……あの人も来ているんだ……」
マルシルの囁きに従い、ファリンは何も言わず、考えず片付け作業にとりかかった。
●○
遠征組は二班に分かれ、ライオス達は後続に組み込んで貰う。ファリンやマルシル、ナマリも先行だ。
「ヴァレン某は先行か。よしよし、僕のベルくんへの気遣いが込められるね。ロキの眷族にしては気に行ったよ」
アイズが先行だと知ってから、ヘスティアはこの調子だ。
「ライオス、本当にファリンと同じ班じゃなくていいわけ? 仲の良い兄妹なんでしょうに」
ティオネの質問にライオスは迷いなく答える。
「無事に帰れれば、いつでも会える。会えれば、昨夜みたいにお互いどんな経験をしたか話せるだろう? 今はそれでいいと思っているよ」
覗きこんでくる視線はライオスの真意を見抜こうとしている。それも一瞬で終わった。
「本当に仲が良い兄妹ね、同じ事を言ってたわ。今度、お互いの団長の魅力について、語り合いましょう」
「おもしろそうだな、美味い酒でも用意するよ」
心底、納得した笑みでティオネとそんな約束を交わした。
野営地は出発に向け、天幕を解体して荷物を纏める。下手に手を出せば、返って邪魔になる。ライオスはせめて自分の荷物を除けようと借りた天幕へ向かうが、アスフィに呼び止められた。
「今後の事でお話があります。付いて来なさい」
「……ああ、わかった」
アスフィの口調に違和感を覚え、怪訝する。団員に鋭い眼光を向ける時は、団長として有無を言わさぬ命令を発する時だけだ。
「何かあったか?」
「来ればわかります」
周囲に聞かれてはならぬ内密の話なら、わざわざ今するなどアスフィらしくない。それとも、ライオスが知らなかっただけなのか、疑問を抱え着いて行く。
岩肌に苔が生えている部分を滑らぬように登り、腰を落ち着ける場所へ導かれる。先に来ていたらしいヘルメスが座り込み、愉快そうに口元を歪めて見下ろしている。
「ちょうど良かった、ライオス。今から始まるところなんだ」
下が覗ける位置に立ってみれば、一本水晶の丘が見える。そこにベルと剣士が対峙していた。
しかも、ロキ・ファミリアでもない冒険者が大勢いる。邪魔にならぬよう、否、2人がそこから逃げられるように下へ降りられる坂道を塞ぐ形だ。
お互い剣を構え、ベルが先手を取って黒ナイフと牛若丸を振るう。刃先が相手に触れぬように気遣っているのが丸分かりだ。
「ライオス、大声を上げてベル・クラネルを呼んだら駄目だ。これはお互いに納得された決闘、しかも観客付きだ。水を差すもんじゃない」
「ベルは……人相手に慣れてない。そもそも、決闘に応じる性格じゃない。何をしたのですか、ヘルメス様」
叫びそうな衝動を抑え、ライオスは問う。
その直後、剣士の姿が消える。いなくなったのではなく、己の姿を見えなくしたのだ。その証拠にベルは後ろから蹴られた衝撃で地面に這いつくばり、鎧のない部分を刺された。
体を透明にする魔道具に心当たりがある。むしろ、知っている。アスフィの漆黒兜(ハデス・ヘッド)だ。
この状況にアスフィ……ヘルメスの関与は確実の物となった。
「おーい、期待のルーキー。ライオスの腰巾着じゃねえところ見せてみろよ」
「モルドが褒めてた割には大した事ねえなあ」
「相手はLV.1だぞ。やっぱ、ライオスにおんぶに抱っこって噂は本当じゃねえの?」
「ライオスのコネで大手のファミリアに取り入ったとか、真面目に冒険者やっている俺達にしてみれば、いい気なもんだぜ」
背中から血を流すベルを心配する声はなく、囃し立てる声が飛び交う。しかも、ある意味ライオスのせいで彼の実力は正しく評価されず、悪評は広がっている。
ファリンもそうだった。
「なあ、ライオス。ベルくんはこれからもこういう目に遭うだろう。その度に君が助けるのかい? 駄目だよな。それだと誰もベルくんを認めない。どんなに実力があろうとね。彼は知らなければいけない。人の悪意を……君が知ったように」
――ああ、知ったとも、学んだとも。
その結果、ライオスは妹と離れた。
小気味良く笑うヘルメスに段々と脳髄どころか、背筋が熱くなる。激しい怒りが身体中を駆け巡っているからだ。歯を食いしばり、握りしめた拳から血が滲む。
「アスフィ、おまえも同じ考えか?」
「悪趣味だと思います」
それで少し冷静になる。頭に上った血が巡り過ぎない程には落ち着けたが、怒りから来る震えは止まらない。
「ヘルメス様、俺は神なんぞ愛してない。だが、今すぐ貴方に喰らいつきたい」
アスフィの目に怯えが浮かぶ。それ程、ライオスの表情が怒りで歪んでいる。
「いいね、それ。俺が退屈で死にたくなったら、そうして貰おうか。それを楽しみに生きるのも悪くない」
刃向かうなどの比喩ではなく、己の歯でその喉笛に噛みつく。その様を想像しながら自らの喉に触れ、ヘルメスは愛おしくて堪らぬ我が子を見る目で返した。
「ヘルメス様!」
厳しく咎める声を出す。自らの命を軽んじる事にか、ライオスに喰わせるなどという発言に対してかはわからないが、とくにかくアスフィは咎めた。
こうしている間にも、ベルは背中を重点的に切りつけられる。彼が反撃の体勢を取っても、構える前にまた地面へ叩きつけられた。
「どうした【リトル・ルーキー】!」
観客の群れを押しのけ、歩み出たのはモルド。一瞬、彼がベルを助けてくれると期待した。
「助けて欲しいのか! 俺やライオスに助けて貰いたいか!?」
叱責にも似たモルドからの怒号。野次を飛ばしていた連中は、その迫力に口が止まる。ベルへの攻撃も止んだ。
「いえ……、これは……僕の挑んだ……決闘です。……戦え……ます!」
痛みに耐えながら、ベルはよろめきながらも起き上がる。ライオスからでも分かる程、彼の眼光は諦めていない。このまま戦いを続ける意志を感じた。
だが、意志だけで乗り越えられる程、戦いは甘くない。見えない相手と戦う術がベルにあるのか、ライオスは焦燥のあまり頬から汗が流れる。
「ライオス、彼は貴方のいないところでミノタウロスに打ち勝ったのです。心配なのはわかりますが、もう少し信じて下さい」
厳しい声だが、それは仲間を信じないライオスを咎めているようにも聞こえる。
「せめて……近くにいる……」
2人は無言だが、承諾と受けライオスは急いで来た道を戻った。
「珍しいね、アスフィ。ライオスへあんなやさしい言葉をかけるなんて、もしかして」
「貴方を嫌になり、よそに改宗されては堪りません。今まで散々好きにさせていたのです。それ相応の働きで返して貰うまで何処にも行かせません」
本心なのだろうが、それだけではない。ヘルメスは突っ込んで聞きたかったが、余計な事を言って叱責を受けたくない為に黙った。
●○
ベルが血相を変えて丘へと駆け登って行った。
事態を重く見た桜花に教えて貰い、皆はベルの為に丘を目指す。その途中でモルド達と出くわし、ベルがゲド・ライッシュと決闘する話を聞かされた。
その名を聞き、リリはゾッとする。察したチルチャックが舌打ちした。
「あいつ……、まだ冒険者やっていたのかよ」
「どうして、ベルが決闘なんか」
「さあな、そのゲドとかいうのが【リトル・ルーキー】をブチのめすから、見物料を取ってたらしい。……ふわぁ、わりぃ、さっきまで寝てたからよ」
ヴェルフの質問を呑気な欠伸で返され、若干、イラッとする。
「そういえば、ヘスティア様は?」
遠慮がちな千草の問いにモルド以外は硬直する。
「俺達はベルを助けに行く。おまえらはヘスティア様を探してくれ」
桜花の指示で命と千草は頷き、走りだす。リリは皆の視界から隠れ、シアンスロープへと変身する。ヘスティアは昨日の買い物で香水を買うという無駄遣いを行った。
その匂いを辿る。
辿った先は何故か、センシの畑だ。
元の姿に戻り、物音でヘスティアは満面の笑顔で振り返る。
「ベルくん、遅い……なんだ君か、どうしたんだい?」
「なんだじゃありません、何をなさっているのですか! ベル様が大変なんですよ!」
リリに責められたが、ヘスティアはベルの危機と知り真剣な顔つきになる。
「なんてこった、僕が偽の手紙にまんまと騙されたせいで……」
ヘスティア曰く、ベルとアイズが別れの挨拶に嫉妬して天幕で不貞寝した時、どこからともなく紙切れが懐に入り込んだ。それはベルからの呼び出しであり、2人きりになりたいが皆に見つかりたくないのでこっそり畑で待っていて欲しいと書かれていた。
「それで照れ屋のベル様が勇気を出した一筆と思い、誰にも告げずに出かけたと……」
リリは心底、呆れる。ここでヘスティアを責めても始まらぬ。急いで2人は丘へと駆けだした。
目的地が近付けば、観客たる冒険者が多く群がっていた。
「なんだ、また小さいのが来たな」
「後ろじゃ見えにくいだろ。前のほうに行きな。多分、もう終わるぜ」
新しく現れたリリ達を彼らは意外にも親切に通してくれた。遠慮なく、ずいずいと進みチルチャックを見つける。
「チル! ベル様は」
「もう終わった」
振り返らないチルチャックの向こうには、吹き飛ばれて倒れ伏した人影があった。
ゲドだ。
白目を剥いて、完全にのびている。
肝心のベルは手負いながらも、立つ。深呼吸してから、ゲドに向かって頭を下げる。
「ありがとうございましたあぁ!!」
ベルの勝利の雄たけび、確かに決闘は終わった。
すぐにヘスティアが駆け寄り、ベルを抱きしめる。ヴェルフにセンシも彼を後ろから支えようと手助けに行く。
「なんだよ、もうちょっと楽しめると思ったのに」
「LV.1じゃ、この程度か」
「だから【リトル・ルーキー】でも勝てたんだろ」
口々に勝手な事を述べる観客を睨みそうになるが、リリは堪える。反発して総攻撃されれば、こちらが不利だ。チルチャックも黙り、彼女に「良い判断」だと誉める気配を与えた。
「ほお、てめえらは見えない相手とあそこまで戦えんのか? だったら、今度見せてくれ。【リトル・ルーキー】より手際よく勝てよ」
「いやいや、俺らは別に見えない敵とは戦わねえよ」
「つーか、誰かゲドを起こせ。俺らから巻き上げた金を返してもらうぞ」
愉快そうなモルドの声に彼らは焦って拒み、ぞろぞろと倒れ込んだゲドへと容赦なく迫る。
「終わっていたのか……」
「そのようです」
ライオスとリューの声に振り返り、リリは胸を撫で下ろす。彼もまた無事だったいう安堵、この事態に遅れて登場した不満、この二つが複雑に絡み合う。
「どうもゲド・ライッシュは姿を消す……スキルじゃねえな、魔道具か何かを使っていたっぽいわ。ベルは足音と気配で相手の位置を把握して……ってとこ」
「どうやら、リリ達の出番はなかったようです。これにて一件落着ですね」
チルチャックの解説をリリが明るく締める。しかし、ライオスの表情は浮かない。
「ライオス、何か気になる事でも?」
リューの問いに答えず、ライオスは仲間に囲まれるベルを眺める。
「俺は……もうベルと一緒にいないほうがいい……」
消え去りそうな独り言は、リリとチルチャック、リューの耳に確かに届く。誰かが口を開く前に異変が起こる。地面を割ってしまいそうな揺れだ。
「地震か?」
呟いた瞬間、灯りを失ったように階層そのものが暗くなる。咄嗟的に階層の天井へと目を向ければ、人の形をした巨大な魔物が水晶を破って落ちてきた。
この階層は安全地帯と言っても、魔物の襲来は幾度とあった。しかし、毎回こんな襲撃の仕方をされたはずはない。
「あれは……階層主だ……。だが、色が……黒い?」
困惑しながら、チルチャックは状況を分析する。彼の声で我に返ったリリもサポーターとしての仕事を思い出す。
「ゴライアス、つまり……今あいつの腹を裂けば……取られたミノタウロスの肉が取り戻せる!!」
拳を握り締め、ライオスは強い気迫を込める。さっきとは別の意味で沈黙が訪れた。
「……もう消化されてますよ」
「だよなあ……」
リューの冷静なツッコミを受け、ライオスはこんな状況の中で落ち込んだ。
「まだ肉に拘りますか! というか、今さっきまでシリアスな事言ってましたよね!
どうしてそう切り替えが早いんですか!?」
「慣れろ、リリ」
怒りと呆れで喚き散らすリリに構わず、階層にはゴライアスだけでなく他の魔物まで姿を見せ始める。まるで彼女の困惑が形になっていくように見え、チルチャックはげんなりした。
閲覧ありがとうございました。
敬語キャラが重なると誰が喋っているのか、わからなくなりますね。
ヘスティアならベルの筆跡を見抜きそうですが、今回はおまぬけになってもらいました。
ライオスの切替の早さは見習いたい……?