一人、ポツンと立ち尽くす。
いつか来た懐かしい場所。霊峰なんとか。
二年前、ゼレフと寝食を共にした場所だ。
なんとなく、空しくなった心をどうにかしたくなった俺は、ここへ自然と足を進めてしまっていた。
……確かに、俺とあいつらはそこまで親密といえるほどの深い関係にはなかった。だが、
それを、知らず知らずのうちに無くしていた。無くなっていた。
ショックを受けるなって方が無理な話だ。忘れることなんてできやしないし、そう易々と吹っ切れることもできやしない。
だから、俺は女々しくもこうやってかつての軌跡を辿っているんだ。俺や、ゼレフがいた証を辿っているんだ。
……なんでだ。
なんでそうやって消えてくんだよ。
ふざけんな。
確かに浅い関係だったってのは否定できない。一緒に過ごした時間も総合的には精々一年も満たない。
だが、前の世界のことも思い出せない、空っぽの俺にあった唯一の繋がりだ。
それは気がつかない間に、いつの間にかパッと消えてしまった。
なんでだ。
どうしてだ。
空元気で更に空しくなった俺は数年ぶりに、心の底から辛いと感じた。
山の空気が変わった。
自然が荒々しくざわめき、小さな動物たちや、虫ですらすでに姿を消していた。
木々の葉が慌ただしく揺れるだけの音が辺りを満たす。それ以外に何も聞こえない。別世界へ来てしまったかのような圧力。
二年前に、嫌と言うほど味わった空気だ。ピリピリとしていて、肌が栗立つような。押し潰されてしまいそうな空気。
完全な静寂となった空間にそれは轟いた。
──ガアァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
黒い竜。
目の前に姿を現したそれは、禍々しい雰囲気も、ギラついた目付きも、絶対強者のようなオーラも、憎たらしい顔つきも、なんにも変わっちゃいなかった。
二年前と、なんにも変わっていることはなかった。
「ハハッ。ハハハハハ……」
なぜだろう。
嬉しい。物凄く嬉しい。
お前は、お前だけは変わらずにいてくれたんだな……。
「ア……ハハハ」
竜は翼をはためかせ、足に一人の男をぶら下げていた。だが、それをもう興味ないとでも言うようにどこかへ投げて飛ばした。
なんだよ、浮気か?俺と言うものがありながらも、他の人間に手を出すなんてなぁ。
はぁー。なんつってな。あーキモイキモイ。
「『MODE:リオレウス』」
いや、今はそんなことはどうだっていい。俺は嬉しいんだよ。
お前が、ここにいるんだから。
本当に、久しぶりだよ。
久しぶりに、殺り合おうぜ。
「クソトカゲェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!!」
大地が爆ぜる。
大気が震える。
大空が戦く。
この争いをまともに表現しきるのは、中々に難しい。一言確実に言えるのは……。
ひとつ言えるとすれば、これは人の関与できるレベルを優に越えた殺し合いだということ。
イの一に弾けるように飛び出たのは、俺の方からだった。
殴りかかるも、思った以上の速度で反応され右腕を竜に食い千切られかけた。危うくもぎ取られるところだ。
一瞬かじられた腕は皮一枚でどうにか繋がっているような状態。その断面から止めどなく吹き出す夥しい出血。
その量を目視して舌打ちを漏らすと、広げたレウスの翼で低空を滑空する。
「『MODE:バサルモス』」
その岩竜の甲殻で腕をコーティングし、無理矢理出血を抑える。後は持ち前の馬鹿みたいな回復力ですぐに完治するはずだ。
数秒で様の代わった右腕の感覚を確かめると、左腕を竜へかざす。
「『MODE:ショウグンギザミ』」
人体の骨格を無理に変型させた左腕が苦痛を訴えるが、これももう馴れたものだ。顔に出さずにできるようになった。
その、鎌の刃となった俺の腕を竜の顔目掛けて振り抜き、勢い余った速度で大地を削るように着地する。
飛翔し、奴の巨大には及ばない体躯で空を駆け回る。ゴキブリのような俺が出来る精一杯の小突きに翻弄される黒竜に、しかし油断など出来る筈もない。一撃でもまともに食らえば大ダメージは免れないのだ。
竜の血飛沫が俺の頬に飛び散り、痛みの叫びが俺の鼓膜を壊した。痛みに反応している暇などない。大きな尻尾を振り回して辺りへ広範囲の攻撃を行う竜から逃げるよう、地へと足を着ける。
空中戦でない状態でのレウスはやはり動きが遅くなるな。
邪魔なものは省くべきだ。もっと効率を求めろ。
それと、翼を出しながら他の模倣も消耗がでかすぎる。これも自重せねば。
激情に身を委ねすぎるところが欠点だな、俺は。
「『MODE:ナルガクルガ』」
翼を消して切り替える。
俺の感情の高ぶりを感じているのか、両手が漆黒の鱗で覆われ、鋭い爪が生える。
若干顔が引き吊る感覚からして、恐らく顔にもいくらかの鱗が現れているのだろう。
迅竜の機動力。その速度は、影すら置き去りにする。
不規則に動き回る俺の通り道となった箇所が抉れているのが見えた。
迅竜の最大の力は、機動力。
機動力を使って竜を翻弄しながら、その身体中にナイフのような鋭利な爪をたてては離脱する。
……効いていない。やっぱりこれじゃ決定打に欠けるか。
なら、仕掛けてやる。
こいつの体は硬い。とてつもなく堅牢だが……。そうだな、目玉はどうだ?
ものは試しだ、二年前はそんなことできもしなかった。顔回りに下手な接近も出来なかったが今ならできるはず。だが、もし失敗したら?……攻撃が効かなかった場合の隙をあいつが見逃す訳がない。
一瞬の潜思で決断を下す。
……よし、抉ってみよう。
翻弄するような垂直的な動きから、目標を定めて地を蹴り、急接近した。
──死ね
「バッ……ガァアッ……!」
それはやつの悲鳴ではなく、俺から発せられたことを理解するのに少しの時間を要した。
目玉目掛けて豪腕を振り抜いたつもりだったが、それを捉えていたのか、竜のカウンターパンチを鳩尾に受けてしまい、そのまま殴り飛ばされた。
キリンの肉質を咄嗟に模倣したとえは言え、運良く当たり所がよかったらしい。臓器をやられることもなく、腹部が抉られることもなかった。奇跡的といってもいいかもしれない。
が、肋がいくつか折れているようだ。
普段の俺ならこの激痛に不細工に叫びながら転げ回っていることだろう。だが今はそんな暇はない。
速度を出してもダメか。まだ遅い。もっと速くもっと速く。
もっと速く?否、そうじゃない。
もっと力強く。そう、力強く!!
慣性に逆らうように空気を強く強く踏み込み、宙を足場へと変えた。
ボギッと足が折れる音がした。無理矢理過ぎる動き。文字通り、物理的に不可能なことを無理矢理やったことで折れてしまったのだろう。
こんなことを出来るってのに自分でもビックリだ。これも一重に精霊王に貰った加護のお陰かね。
「『MODE:ディアブロス』」
だが、折れたなら治せばいい。より強固に、頑丈に。そう、砂漠の暴君のような。
豪脚一閃。
大気を足場に、音を置き去りにして矢のように飛翔した。
またしても折れた足。だがそんなことはすでに日常茶飯だ。気にしている暇などない。
額に角を生成する訳にもいかない。そんなことをして首が折れるなんてことになっても、笑えないことは承知の上だ。いや、むしろそれで死んだら超面白いな。tik tokに上げたいくらいには面白いぞ。
腕をディアブロの角に変型させ、竜目掛けて突き付ける。
やつはそんな音速を越えた速度にすら反応してみせた。俺のモーションに対向して竜からも放たれた拳とぶつかり合う。
聞こえたのはボンッと間の抜けた音。
そこから生まれた非常識なレベルの衝撃で遠くの木々すらも無惨にもへし折られていく。
結果として、互いに吹き飛びあうだけに終わった。
まだ、足りないか。
竜と俺は互いに無惨になった大地へ足をつける。
「『MODE:グラビモス』」
我ながら凶悪な笑みを浮かべているのだろう、にやつきながらも、体の奥底から沸き上がってくるエネルギーを貯めていく。
「ハハッ、懐かしのブレス対決としゃれこもうか。俺たちの十八番だったよな」
黒い竜に、俺の言ってることが伝わったようだ。あちらもブレスを放つ予備動作を行った。
一瞬だけ、互いに訪れた静寂の時間。
これから行う攻撃の大きさを、空気が痛いほどに物語っている。
その静寂からは、とてつもなくバチバチとした闘争の雰囲気が感じ取れる。いくら魔導士だろうとこの空間にいれば気絶するかもしれん。
そしてついに、静寂は破られた。
溜まりに溜まったエネルギーを、竜へ向けて口から放射してみせた。
同時にあちらからも発射されたブレスとぶつかり合い、周囲の岩も、地形も、粉々に砕け散っていく。
やはり勝てないか。
俺のブレスが押されているのを直感的に感じ取ると、ブレスをやめてすぐさまそこから離脱した。
ギリギリ、破壊光線を回避する。
とてつもない量の冷や汗が背中を伝っている。だがそれでも俺の笑みは、自覚ができるほどにハッキリと浮かんでいた。
「……ぬおっ?」
さっきまでいた場所には特大のクレーターと、余分なブレスにより一直線に深々とした窪みが作られた。
ブレス着弾の余波により、一瞬生まれた衝撃の波が俺の体を強く打つ。
その余波により、俺は高く打ち上げられた。
相変わらずふざけたレベルのブレスだ。どんな構造してたらあんなもんが体内から放出できるようになるんだか。
空に打ち上げられた俺を食おうとしている。竜は翼をはためかせ、俺へ向かって大口を開いて迫って来た。
その迫力や如何に。これから新幹線に跳ねられる、なんてレベルより遥かに恐怖を感じさせる。そんなものは目じゃない。
「『MODE:ドボルベルク』」
庇っていた右腕はすでに完治している。岩の甲殻を変型させ、模倣する。
大きく、大きく、大きく膨らませる。
先端を丸く、そして硬く、硬く、硬く、その姿を凶悪なまでの鈍器へと変形させる。
「ッォ……ラァアッ!!」
宙で体を捻り、まるで巨大な槌のようになったその腕を、眼前まで迫っていた竜目掛けて降り下ろした。
大きな翼を振り乱し、空中でありながらこの一撃に対抗しようとする竜。
なんだよそりゃ、無茶苦茶じゃねえか。
流石の胆力と根性。尊敬に値するよ、本当。
けど……。
「落ち……ろォォォオオオオオオオォォォオオオオオオオッ!!」
全力を込めて体を回転させることで、竜を大地に叩き落とすことに成功した。
落ちていった竜は大地を盛大に陥没させ、それによって発生した地割れが四方へと伸びていく。
山が崩れる。
森が裂ける。
地割れが作られるほどの威力で竜を大地に叩きつけた。
普通の生物ならばあれで殴られた時点で弾け飛ぶ。耐えきったとしても、地面の更に奥まで叩き込まれて二度と地上には上がってこれないだろう。
だが、そう易々とはいかなかったようだ……。
「クソッ……がァ……!」
槌として使った右腕。その肘から先が竜によって食い千切られていた。
レウスを模倣し、止めどなく血の溢れる切断面を炎で焼くことでどうにか止血する。
タハハ。滅茶苦茶いてぇ。意識がぶっ飛びそうだよクソッタレ。
……でも、まだまだいける。アドレナリンが馬鹿みたいに分泌されてるんだろうな。
一方、黒い竜はよろめきながらも瓦礫を吹き飛ばして立ち上がった。
「さすっがぁ、そうだろうと思った」
そこへ追い打ちとして、容赦なく上空からレウスのブレスを撃ち込んだ。
だが、そんな俺の攻撃に真下からのブレスが返ってきた。
反撃の余裕がまだあるってことか。そうこなくちゃ。
ブレスを中断し、その場から離脱するとボロボロの大地に降り立つ。
こいつ相手に出し惜しみはあんまりしたくない。だが、古龍級の模倣は肉体へのダメージがでかいことは学習済みだ。驚くほどに体を酷使する。
あんまり乱発はできないが……。
……二年でわかったことがある。初めてこの竜と殺り合った時は古龍種の力を、六割と引き出せていなかった、ということ。
今でもその能力を万全で使いこなせてる訳じゃねえけど、威力で負けるとは思っちゃいない。
竜は一端上昇すると、俺へ向けて勢いをつけながら低空飛行で迫ってきた。
速度による風圧の波で、大地が大きく抉れていく。その姿は正に指向性を持った竜巻だ。……あ、もしくはデカイミキサーの刃ってとこか?
おっかねぇ。あんなのに巻き込まれるだけで普通なら体がもげてバラバラになること請け合いだろう。
そんな速度の突進なんて受けてみろ、肉体なんて粉々に破裂するのは目に見えてる。
あの頃の……二年前の俺じゃあ、こいつには微塵も敵わなかった。
そして、今の俺でもこいつには敵わないだろう。
断言しよう。俺じゃあこいつには勝てない。
だが、それでいい。それでこそ越し甲斐がある。それでこそ俺の目標。それでこそ競い会える。
俺じゃあ勝てないだ?
ハハッ、敗北上等じゃねえか。
俺は、お前をぶっ殺すんだ。
「『MODE:シェンガオレン』」
右腕の復活はまだだ。だから無理矢理生えさせる。
肩から先の肌色が灰色へと変色していく。
だが、それじゃあ足りない。
だから……。
「『PLUS:ジエン・モーラン』」
二年のうちに習得した、俺の全身全霊の掛け合わせ。精霊界に閉じ込められた二年間で得た力。
これを使ったあとは何日動けなくなるかわからないが、今はそんなことは構わない。
「ァァァアアアアアアアアアアアアァアアアアアアアアアアアアッ!!!」
とんでもない激痛が右腕を襲う。
灰色に生え代わった腕は、すでに人の形をしていない。鋏の形を模した右腕は、徐々に大きさを増していき、先ほどの槌なんかとは比べ物にならないほどに大きくなる。
大きくなるその度に右腕の仕組みその物が組み替えられ、激痛が伴う。
学習したこと。それは、使うものが強力であるほどに、自分に返ってくる痛みは壮絶なものとなる。掛け合わせるとなると、それはもうとてつもない。
使用頻度の慣れ不馴れ、なんてのもあるが。
ちなみにこの合わせ技を初めて使ったときは、効果を発揮させる前に気絶して一ヶ月は目が覚めなかった。
軽い気持ちで使えば、あっという間に意識を手放して失禁するレベルの激痛だ。
だがそんなことはどうでもいい。
「あぁ、いてえよ。超いてえ。軽くおしっこチビっちゃった」
意識がぶっ飛ぼうがなんだろうが、後のことは今はどうだっていい。
とにかく、強烈な一撃を。
本気の一撃を、こいつにぶつけてみたい。
その鋏、全長約一一〇メートル。
さぁ、模倣は終わった。
こっから先は模倣じゃねえ。今から下す一撃は……。
ホンモノだ。
「受け止めてみろよ。……いくぞッ」
俺は壮絶な笑みを浮かべ、異形の腕を降り下ろした。
その日、霊峰ゾニアとその周囲の連峰。
それら約半径二五〇〇〇メートルは地図上から消滅した。
破壊規模
約、江戸川から多摩市ですね(白目
それと、ストックが尽きかけなので恐らく更新が遅くなります。