なんだこのテルマエは…!?
王城の大浴場。しかも、アイリスが常日頃浸かっている王族専用の浴槽に、あろうことかアクア、めぐみん、ダクネスも一緒に入らせてもらえる事になった。というのも、中庭での食事会を終わらせた後で、アクア様が疲れたアピールをしたのが大きな要因だ。
「あー、疲れたわ今日は。お腹いっぱいのご飯と美味しいお酒を呑んだら、次はなんだか、大きなお風呂に入りたくなってきちゃったんですけどっ!一日の疲れを、湯船に浸かって癒したいんですけど!」
以前には球磨川に肩を揉ませようとしたり、時折アクア様と来たらお身体のコリを前面に押し出してくる事がある。食後のシャーベットを食べ終え、すっかり丸く膨らんだお腹をさする球磨川先輩は、発言を聞いてやはりアクアは加齢による衰えが顕著なのだと判断した。球磨川だって一日奔走して戦闘までこなし、宴が始まる直前までは、もう食事すら面倒に思いベッドへ直行したくなっていたのに……【大嘘憑き】を使用した途端、身体は元気を取り戻したのだから。これが、若さか。
『そいつは名案だ、アクアちゃん。時に、初対面の女の人には礼儀としてパンツの色や種類を問う文化がある僕の出身国日本では、パーティーメンバーとの混浴が義務付けられていてね。必然的に僕も同席させてもらうけれど構わないかな?』
どんどん女性陣の日本国に対するイメージが悪くなっていく最中、元・日本担当女神であるアクアは流石に嘘を見破り
「球磨川さんたら、どこの日本出身なのかしら。パンツの柄を聞くのも、女湯に入るのも。日本だったら即逮捕案件なんですけど。日本担当の女神は誤魔化せないわっ!」
『君こそ、どこの日本を担当していたのかな。少なくとも僕は、女の子の履いてるパンツの色や種類を当てたり、スカートを捲ってパンツを露出させたりしたものだけれど、一度も逮捕なんかされていないんだぜ?』
いないんだぜ?ではない。ないが、捕まっていないのも真実なのだ。過去には財部ちゃんをネジで壁に打ち付けたりした際に、ワザとパンツが丸出しになるような酷い仕打ちをした。しかし、通報すらされなかった。不思議なことに。アクアの即逮捕案件という言葉を球磨川が訝るのも道理。
「……それホント?嘘をついてないでしょうね」
『だから、何回も言わせないでくれよ。僕は嘘をつくのが大の嫌いなんだってばっ』
「だとしたら、球磨川さんがスカートめくりをした相手が優しかったとかだわ。それか、通報するのも面倒くさかったとか!」
『あぁ……それはあるかもしれないな』
顎に手を当て、ふむ…と唸る。
「ニホンでのしきたりはともかく、だ。生憎とこの国では混浴を義務付けられていない。残念だがミソギ、お前は一人で男性浴場へ行ってくるのだな。貸し切り風呂だ、ゆっくり脚を伸ばすが良い」
球磨川が見ず知らずの女子のパンツを丸出しにしていた事が発覚し、なんだか内心穏やかでは無いダクネスがふてくされたように口を開いた。
『おいおい、そりゃ殺生ってもんだぜダクネスちゃん。日本においては、混浴をしない即ち、神への冒涜になっちゃうんだから。ダクネスちゃんがエリス様を侮蔑するようなものだよ?』
「……嘘をついているだろう。何故なら、私とめぐみんはお前と毎日混浴などしていないのだからなっ!」
ビシッと、人差し指を突きつけたダクネスさん。反論の余地は無かった。
『や、やるじゃないかダクネスちゃん。こないだの裁判で、随分と論破力を鍛えたようだね』
「いや……こんなので褒められてもな」
『仕方ないなぁ。君に免じて、ここは大人しく折れてあげるとするよ。』
いくら球磨川でも、ここで『それは違うよっ!』とはいかなかったらしく。どこからともなく石鹸が入ったケロ◯ンの黄色い桶を取り出すと、赤い手拭いをマフラーにし小さな石鹸をカタカタ鳴らしながら浴場を目指して行った。
『……ハイデルさん』
「ここに。」
適当に名前を呼べば、柱の陰から専属執事であるハイデルさんが現れた。さながら、忍びのように。
『悪いんだけど、浴場の場所がわからないから案内してもらえるだろうか。もしも王城の大浴場が男湯と女湯を時間帯で入れ替えてるのなら、僕が男湯に入った数分後に暖簾を入れ換えて欲しいのだけれど』
「ご心配には及びません。当城におきましては、そのようなシステムを採用しておりませんので。時間に追われる事なく、心ゆく迄天然の泉質をお楽しみ下さいませ。主浴槽には、毎日アルカンレティアから取り寄せている柔らかいお湯が張られております」
『………そう。』
球磨川が期待した、漫画あるある展開は執事によって打ち砕かれた。こう言う日の為、密かに自宅の風呂で潜り、日々肺活量を鍛えていたのだが……どうやら無駄に終わったようだ。いざとなれば湯船に浸かり、頭に桶をかぶって隠れるといった手段も辞さないつもりだったのに。
『ハイデルさん。事実は小説よりも奇なり、とは中々いかないものだね』
「……左様でございますな」
球磨川が何にショックを受けてそう発言したのかよくわからないハイデルさんだったが、取り敢えず肯定してみたのだった。
……………………
………………
………
「今日は、とても善き日です。まさか私が臣下も連れず、冒険者のように外を出られるだなんて夢にも思いませんでしたから」
アイリス達は、王族専用の浴室で仲良く湯浴みの最中。ハイデルの説明にあった、アルカンレティアから取り寄せた温泉が、疲れた身体を癒してくれる。
最初に浴室へ脚を踏み入れた際、アイリス以外の面々は、思わず口を開けてしまうくらいには衝撃を受けた。
ただの数人しか利用しない浴室の、なんと豪華な事か。古代ローマで栄えたとされる温泉文化。テルマエと呼ばれた公衆浴場を彷彿とする贅沢な造りだ。現在はアイリスしか浸かることのない主浴槽一つとっても、プールと言われれば納得してしまう大きさを誇っていた。また、少し離れたところにはこれまた大きな檜風呂が設えており、檜特有の優しくて気分を落ち着かせる香りが漂ってくる。オマケに、浴室の端には陶器のつぼ風呂までが完備されていた。信楽焼の美しい形状は、一人でゆったり湯に浸かり湯船のふちに脚をかけ、物思いにふけるのに最適だ。和のテイストも存分な浴室は、もしかしなくても過去に転生した日本人が関与しているのだろう。
ほのかに肌を上気させためぐみんは、改めて王女殿下が直々に自分の捜索に加わってくれたことに感謝しながらも、驚きを語った。
「しかしアイリス様がディスターブと戦っているとミソギから聞いた時は、驚き過ぎて心臓が止まるかと思いましたよ。いえ、今でも信じられません。一体、どのような理由があったのか聞かせてはもらえませんか?」
単にギルド長を捜索、逮捕するだけなら騎士団の面々で事足りる。なのに、アイリスの登場とは。国家の機密が裏で関係しているとでも言われなければ納得出来ない。
アイリスは気持ちよさそうに自身の二の腕を手でさすりながら、滑らかな泉質を堪能しつつ
「……昔から、私は冒険者に憧れを持っていたのです。自由に、仲間と共に苦楽を味わいながら、広大なこの世界を駆け回る。とても、とても素敵な事だと思います。皆さんにとっては、当たり前に可能な、ありふれた生き方なのでしょうが」
球磨川にも語った、冒険への憧れ。
めぐみんからすれば、この国で生きる庶民の全員が、王城での暮らしに憧れを抱いていると思う。隣の芝は青く見えると言うことだ。だが、それにしたって自分よりも年下であろう女の子が、生まれた瞬間から生き方を決められてしまうのも確かに残酷だ。
「アイリス様がお城の外へ出て、冒険者気分を味わえたのは喜ばしいですね。そう言う意味では、ディスターブの悪行にも一つ意味はあったと言うことでしょうか」
「ええ。とても新鮮で、是非また冒険しに出かけたいものです。……ですがなによりも、めぐみんさんが無事だったのが一番の救いです。ミソギちゃんが元老院で私も捜索に加われるよう尽力したのも、全て貴女の無事を願ってのことですから」
「ミソギが……?私の為に?」
途端、めぐみんは胸が熱くなるのを感じる。リーダーとして、メンバーの安全を考えるのは当然の義務だろうが、元老院にまで出張って王女を駆り出せるよう立ち回るだなんて。嬉しさと気恥ずかしさが同居し、なんともこそばゆい。
「まったく、相変わらず無茶ばっかりしますね、あの男は」
「だな。アイリス様が元老院でどれほどの心労を負わされた事か。もしも今回の戦闘でアイリス様にお怪我でもあれば、とんでもないことになっていたぞ。……とはいえ、無事にめぐみんが帰れた事だし、議員達もあからさまには責められなくなっただろうが」
長い髪をお湯につかないよう纏めたダクネスさんは、いっそ球磨川と共に元老院へ参加すべきだったと後悔しているらしい。アイリス一人にあんな危険な男の手綱を握らせてしまったのは、返す返すも申し訳ない。
「いいじゃない、済んだことは。くよくよしてたって、過去は変えられないんだからっ!めぐみんが無事。アイリスも無事!それでいいの」
さっきまでは静かにしていたアクアが、お湯に浮かべたお盆から日本酒を持ち上げてチビチビと舐める。
「ダクネスは少し悲観的と言うか、心配性が過ぎるのよねー。もっと気楽に生きなさいな。肩肘張って生き続けたって、人間疲れるばっかりよ。一度アクシズ教の教えを調べてみるといいわ。こうやって、お風呂に入ってお酒でも呑んでれば、みんな幸せなんだからっ」
言いつつ、またグビッとお猪口を飲み干すアクア。食堂で拝借してきたらしき、イカの塩辛も美味しそうにつまむ。数滴の醤油と一味を振りかけた塩辛は、無限にお酒を飲み干せる珍味だ。
そうして、空になったお猪口になみなみと日本酒を注ぐと、ダクネスへ突き出した。どうやら、呑めということらしい。
「アクシズ教の教えなど、エリス教徒の身である私が守るはず無いだろうっ!……だが」
堅物が過ぎるダクネスも、めぐみんをチラリと見た後で、お猪口を手に取った。
「今日はめでたい日だからな。これくらいはエリス様も見逃してくれるだろう」
ピリリと辛口な日本酒をあおれば、アルダープやディスターブ、それから球磨川による心労も吹き飛んでしまう。米のコクが存分に味わえる、王都近郊の清涼な湧き水で造られた名酒が、入浴で火照った身体に染みていった。
「……美味い。」
「でしょ!?なんと言っても、王城にあるようなお酒だもの。純米よ、純米!」
パッケージを指差し、ニカっと微笑む宴会の女神。美味しさを共有出来て、とても上機嫌だ。
「たまには、悪くないものだな」
大人二人による酒盛りがスタートし、酒を呑めないめぐみんがズルいとお猪口を取ろうと試る。
「そうやって、アクアとダクネスだけズルいのですっ!なんですか、お湯にお盆を浮かべて酒盛りだなんて。風情があって凄く美味しそうじゃないか。私にも飲ませて下さい!」
「だ、ダメよめぐみん!純米酒はまだお子様には早いと思うの。まずは、ビールの泡から慣れるとこからスタートすべきじゃないかしらっ」
お猪口をとられまいと防戦するアクア。そんな光景がおかしかったのか、アイリスが笑みを漏らした。
「アイリス様、これはお見苦しいところを!すぐにやめさせます。……こら!めぐみん、アクア!アイリス様にお湯がかかるだろうっ」
「いいのですよ、ダクネス。」
「しかし……!」
実際にお湯が顔にかかったりしても、アイリスは嫌な顔もせずに笑った。
「こうやって、賑やかに入浴するのも初めてなの。みんなでお話ししながらお風呂に浸かるのって、とっても楽しいわ!」
年相応の、無邪気なお姫様の笑顔。ダクネスはその顔を見たら、めぐみん達を止める気も失せてしまう。
だが……
「あ、めぐみんどこ触ってるの!?そこは脇腹なんですけどっ。こ、こちょばし…」
「一滴だけ!一滴だけでいいですからっ!」
「ぎゃあっ!!」
「……えっ!?」
揉み合いになったアクアとめぐみん。お猪口を取る事にしか集中していなかっためぐみんに脇を触られたアクア様が、浴槽の底でつるりと滑り、めぐみん共々湯の底へと沈んでしまった。
ザブ──ンッ!!!と、ダクネスとアイリスには波が被り、お二人の美しい金髪は一まとまりになる。
「………とりあえず、明日からの入浴では酒の持ち込みを禁止させます」
「そ、そうですね……」
こめかみに青筋を浮かべ、プルプルと震えるダクネス。流石のアイリスも、これだけ見事に波をかけられては、苦笑いしか出てこなかったのだった。
アイリスとお風呂はいりたい(絶望
温泉がアクアによって浄化されなかったのは、アクアがお酒を呑んでいたからです。アイリスとお風呂はいりたい