魔法陣を抜けると、異世界だった。
球磨川が目覚めたのは、ゲームの中に入ったようなファンタジー感満載の世界。ビルや車も存在しない、中世ヨーロッパの街並みに似た美しい世界。
球磨川が転生前から着用していた学ランによって、かなり周囲から浮いている。
『ここが異世界か。ふぅん、安心院さんを倒し得るスキルホルダーとかいないものかな。』
輪ゴムで真っ二つになった安心院さんとはいえ、安心院さんが依然として球磨川の目標であり続けるのには、それなりの理由がある。
魔王に支配された世界。球磨川のいる町は、駆け出しの冒険者が集まるアクセル。普通はギルドで冒険者になる手続きを踏まなければならないが、そんな決まりを球磨川が知る筈もなく。
街中で情報収集するべく、あてもなく歩き出した。
……………
……
…
「あのー、貴方はさっき日本から転生したばかりの方ですよね?」
『そうだけど、そう言う君はどこの誰?初対面なら、まずは自分から名乗るのが筋だって、何かの漫画でも言ってたぜ?』
球磨川の言葉でハッとした表情を浮かべた女性は、一旦姿勢を正してから名乗る。
「申し遅れました。私はエリス。この世界で女神をしております。」
『そう。よろしくね、エリスちゃん。ところでここは?なんだか転生した時と似たような空間だけど。』
普通は球磨川も自己紹介する場面だが、エリスは特に気にしてはいない。
「そう、ここも転生の間ですよ。日本から新たな転生者が来ると聞いて、少し様子を見させてもらったのですが…」
エリスは言葉を詰まらせ、しばし逡巡するも、やがて小さく呟く。
「まさか街の中にある川で溺死するなんて…。」
アクセルの街には大きい川が、街を分断するように流れている。まずは探索しようと大きな橋を渡る最中に、球磨川は足を滑らせ川へ落ちてしまった。カナヅチだったことも手伝い、無事に命を落としたらしい。
『驚いたよ。まさか橋に対侵入者用の罠か何かが仕掛けられているなんて。僕が足をとられ、溺れ死んでも仕方がないって奴さ!』
「あの橋はなんの変哲もありません!!普通の橋ですっ!」
『なん…だと…!?』
「転生者が命を落としてしまうことは多々ありますが、貴方は新記録です。」
ガックリと肩を落とすエリス。魔王を討伐するかもしれない転生者。まさか魔物一匹倒すことなく死んでくるとは、女神といえど予想していなかっただろう。
『さてと。客にお茶も出さないような気の利かない女神に付き合ってる暇も無いし、そろそろおいとまするよ。』
「えっ!?すいません気がきかず…。…じゃなくて!貴方は、もうあの世界へ帰れないんです!一度生き返ったものは、天界規定によって…」
『僕のことならお構いなく。自分で帰れるから。』
「貴方はさっきから何を言っているんですかっ!あまり女神を困らせる発言は慎んでください!私が、また日本に転生させてあげますから!そこそこ幸せな暮らしが出来るように」
話の途中でスッと椅子から立ち上がる球磨川を慌てて追いかけるエリス。エリスが転生させない限り球磨川はどこにもいけないのだから、わざわざ追いかけなくてもいいのだが。女神の勘というやつか、妙な胸騒ぎがした。
『そこそこ【幸せ】?お前バカじゃねーの?』
「!?」
転生してから今まで、ずっとにこやかだった男が、突然信じられないほどの殺気を放つ。到底人間とは思えない負の感情が込められた視線。
森羅万象、あらゆるものを慈しむ女神エリス。一介の人間である筈の男は、彼女にさえ嫌悪感を覚えさせる。
(なに…?これは恐怖?いえ、違う。なにか、気持ちが、悪い?)
『よりにもよって、幸せだの何だの。僕にそんなセリフを言うだなんて。まぁ、今日のところは不問にしておくよ。女神の顔も三度までって言うじゃない?』
エリスが思わず身構えるが、次の瞬間には、元どおりの雰囲気になった球磨川。
「あ、貴方は…何者なの?」
『球磨川禊。どこにでもいる、平凡な男子高校生さ。禊ちゃんって呼んでくれていいよ。』
あくまでのほほんと言い放つ。エリスは握りしめていたままの拳に気がつき、ゆっくりとほどく。
『じゃあ、また明日とか!』
「ちょっと、待って…!」
転生の間から出るには、女神が出口を作らなければならない。筈なのだが。球磨川はマイペースに、コンビニに向かうかのような足取りで暗闇へ消えていった。
「うそ…!?」
少しして、この空間から球磨川の存在が消える。エリスは驚愕を隠しきれなかった。
…………
……
『女神様ってことは、彼女は端くれとはいえ神なんだよね。なーんかイメージと違ったかも。あの水色の髪をした最初の女神様よりは、おしとやかで女神っぽかったけど。』
気を取り直しアクセルの散策を再開して、既に小一時間経過していた。
まだ魔王について決定的な情報は得られていないものの、この世界が魔王軍にかなり追い詰められていることはわかった。何せ王都にまで定期的に魔王軍が攻め込んでいるらしく。
『どっちかっていうと、僕は正義の味方だし、やはり魔王軍は許せない存在だ!と、おや?なんだか立派な建物だね。』
球磨川の眼前に、他の民家よりも大きい建造物があらわれた。
看板には冒険者ギルドの文字。
建物に出入りする人間は、殆どが鎧と武器を装備して、いかにも強そうだ。
『成る程。ここはル○ーダの酒場的なところなのかな。だったら、遊び人の女の子とパーティを組めるってことじゃないか!』
一大事!球磨川は一刻も早くパーティ編成すべく駈け出す。
「ようこそ!こちらでは、冒険者登録を行っております。登録するには、手数料がかかるのですが…」
冒険者登録受付のお姉さんが、無一物の球磨川にお金を要求する。
『手数料?魔王を倒す為に冒険者登録する若者から、お金を巻き上げようというのかい?』
「それは…」
『お国の為。いや、世界の為!命をかける人間にお金を要求するだなんて。僕には理解出来ないね。』
受付のお姉さんを困らせるだけ困らせ、球磨川は一応自分の学ランに財布がないか探る。
『おや?』
クシャっとした手触りをポケット内に覚え取り出すと、メモ用紙と硬貨が偲んでいた。
メモ紙には、【球磨川くんへ。僕からの最後の餞別だよ。なじみより】と、印刷よりも綺麗な文字が並んでいた。
「申し訳ありません。貴方の言うこともわかりますが、これは規則ですので…」
『二言目には規則規則、日本のお役所とあまり変わり映えは無いんだね。仕方ない。お金はこれで足りるかい?』
カウンターに、ポケット内の硬貨全てを置く。
「ありがとうございます。」
やっとお金を受け取れて、安堵するお姉さん。
「では、こちらのカードをお手に取って下さい。これからは貴方の身分証明書代わりとなりますので、取り扱いにはくれぐれもお気をつけ下さい。」
免許証のようなカード。名前や職業の欄があるが、まだ何も記載されていない。
「では、そのカードをテーブルに置いて、すぐ上の球体に手を置いて下さい。」
『? これでいいの?』
球磨川が装飾の施された球体に触れると、突然球体が発光した。ビームのようなものがカードに向けて照射され、未記入だったカードに文字が刻み込まれてゆく。
「それで、貴方のステータスがわかります。冒険者としての素質をはかるための装置ですね。」
『ふうん?』
レーザー照射が終了し、お姉さんがカードを手に取って確認する。
『どんな具合かな?僕のステータスは。』
「これは…!どういうこと?」
ほぼ全てのステータスが最低ランク。たまにギルドの職員がおふざけで赤ちゃんにステータスを計らせたりして遊ぶことがある。赤ちゃんのステータスは至極当然低く、まあそうだよねと笑い話になったものだが、この男はそんな赤ちゃんのステータスをも下回った。幸運は0。以前、新しいもの好きのオジさんに、【空気抵抗よりも無抵抗】と言わせしめた裸エプロン先輩の弱さは折り紙付き。異世界くんだりまで来ても、彼と弱さは切っても切り離せなかったようだ。
「よ、弱すぎだろ…。」
「なんだあの男は…?」
ザワザワ。球磨川がギルド創設以来最低のステータスを計測したことで、ギルド内はちょっとした騒ぎまで起こす。
『おおう。僕の弱さに人が驚くのは久しぶりだぜ。』
注目を集めて照れくさいのか、ポリポリ頬をかく球磨川。
ステータスの弱さだけでもお腹いっぱいなのに、更に見過ごせないものがある。
「このスキル、一体なんなんですか!?」
カードのスキル欄には解析不能の文字が3つほど。
「ありえません!機器の故障かしら…」
『いいのいいの!気にしないで。僕のスキルは少しばかり特別なんだ。それよりも、このステータスはいいの?悪いの?』
「悪いに決まってるじゃ無いですか!!!どこを見て良い可能性を感じたんですか!!幸運なんて0ですよ0!!」
幸運0。受付のお姉さんがステータスで0を見たのは、長い受付嬢生活でも初めてだ。日常生活にも影響を及ぼすのではと、不安になる。
『幸運かぁ。ま、マイナスじゃないだけ良しとしよう。』
顎に手をあてて、やや困り顔で頷く球磨川。余談だが、カードがマイナスの値に対応していないだけに過ぎず、球磨川の幸運値はマイナスにカンストしている。
めだか達と過ごした経験が、彼の不幸体質をいくらか改善していた。それを踏まえた上でもマイナスなのだ。
「あ、えっと。何も魔王討伐が冒険者に強制されるわけではなくて、近隣の害獣駆除とかだけでも十分立派な冒険者ですから!」
受付嬢が悲惨なステータスを叩き出した球磨川をフォローするも、あまりフォローになっていない。
『あーあ。予想はしてたよ。だがこのショボさこそ僕のステータス。』
冒険者ギルドは、レストランのように食事可能で、球磨川はフラフラと美味しそうな香りに吸い寄せられる。
カードを手で弄びながらテーブルに並べられている料理を眺めつつ歩くと、目立つ容姿をした冒険者を発見した。
二人組みの女性冒険者。一人は背が高く、金髪をポニーテールにした凛々しい女性。そしてもう一人は…
『あーっ!エリスちゃん!また会えたね。髪切ったんだ。いいね、サッパリして。ん?胸はどこかに忘れてきたのかな?』
「わーーーーーーっ!!!!何を言ってるんだい!!あたしはクリス!あたしのこと、忘れちゃったのかい!!?」
クリスと自称する少女は、叫びながら球磨川の口を手で塞ぐ。
盗賊の職業につくクリスは軽装で、球磨川が会った女神エリスとは別人に見える容姿。
「(なんでっ!?なんで私の正体がバレているの!貴方のスキルって正体を見破るものなんですか!?)」
球磨川の耳元で、周りに聞こえないような声量でまくしたてるエリス。
『モゴモゴ…モゴ…』
口を押さえつけられたままの球磨川は、何かを一生懸命喋っているが、聞き取れない。
「…?どうした、クリス。その少年は知り合いなのか?」
エリスの隣にいた金髪の女性が、突然発狂したクリスに、訝しげな視線を送る。
「あははー。まぁね!ちょっとした知人なんだけど、敬虔なエリス教徒で、誰彼構わず女性にエリスってあだ名をつけちゃう困った人なんだー!」
無理がありすぎる。空気の読まない球磨川でさえ呆れた。女神だけあって嘘をつくことに慣れていないのか。
『(さりげなく信者にされた!?)』
「そうか。同じエリス教徒として、よしなに。私はダクネス。クルセイダーだ。」
エリス…もとい、クリスから解放された球磨川は、乱れた学ランを整えながらダクネスに向き直る。
『ダクネスちゃんね。よろしく!僕はクマガワ ミソギ。ミソギでいいよ!』
「うむ。ところで、クリスとミソギはどういった仲なのだ?随分と親しそうだが…」
『僕が命を落とした時に、変な空間に無理やりつれていかれ…モゴモゴ』
「もうミソギくんったらー!いい加減その虚言癖、直したほうがいいんじゃないかなーっ!?」
エリスとの馴れ初めを話しかけたところで、再びクリスが球磨川の口を塞いだ。
「(お願いします!ここでは、私はいち冒険者のクリスってことにしておいて下さい!)」
『(女神さまもいろいろ大変だね!)』
「(今まさに、貴方が原因で大変なんですよっ!?)」
エリスにとっては先輩の女神アクアを、今日ほど憎らしく思ったことはない。先輩め、素性の知れない人を無責任に転生しやがって!と。