九月の上旬。
副達が通っている学校の夏休みが終了し、同じ頃木虎隊にとっての初陣となったB級ランク戦も終了した。各隊の隊長達が参加した隊長会議も滞りなく終了しボーダー隊員はシーズンオフを迎える。
昨季入隊した隊員達は最初のランク戦を終えて今まで通りの生活に戻ることとなった。その中で、ランク戦を終えて通じて変化も生じている。
放課後の部活を終えた副はいつも通りボーダー本部へと来ていた。防衛任務は昨日にシフトが入っていたため今日は入っていない。程よく
ラウンジにて珍しい組み合わせを目にして彼は脚を止めた。
「お疲れ様です。村上先輩、荒船先輩」
「ああ副か。そっちは今日もランク戦か?」
「よう。お疲れ」
「はい。こっちは一通り終わったので作戦室の方へ寄ろうかと。お二人は?」
「俺達か? 俺が荒船に弧月を教わっているところだよ」
そこで見かけたのは村上と荒船。影浦も含めて同年代の
「弧月をですか?」
「お前がカゲにスコーピオンを習ったのと同じだよ」
村上が語ることによると、村上は荒船に弟子入りし弧月の扱いを学んでいる途中だという。彼はレイガストも使うが弧月をメイントリガーに入れての二刀流が主流の戦い方だ。
既にレイガストの扱いは尋常ではない。そこでさらに弧月を極めるために荒船に師事したのだろう。
ランク戦で戦ったので荒船の実力はよく知っている。
また厄介な事になりそうだなと副は息をこぼした。
「荒船先輩に弧月を、ですか。なるほど。これはまた、さすが新人王を獲得した方は向上心に長けていますね」
「良く言う。俺達よりも上のランクに上り詰めておきながら」
「それに、お前の隊は三人とも新人王争いに参加していた実力者だろう?」
「頼もしすぎるチームメイトがいたからですよ」
「同感だ」
そう言って三人は小さく笑った。
――新人王。新入隊員が最初のシーズンで最も多くの
「鋼は学習するのが早いからな。うかうかしているとすぐに置いていかれるぞ」
「でしょうねー。そうでなくても俺らの入隊時のメンバーの中では最も活躍していますし」
「そんなことはない。荒船の教え方が上手いだけだ」
「優秀な弟子が出来て嬉しい限りだが、謙遜しすぎると嫌味に聞こえるぞ」
村上も荒船も仲がよさそうな雰囲気だ。ボーダー隊員は元々友好的な者が多いが、同年代ということもあって余計に縁が深まっているのだろう。同じポジションというつながりも手助けしているのかもしれない。
(何というか、羨ましいな)
その光景を副は少し羨ましく思った。
彼はチームメイトを除けばそれほど繋がりがある同年代の者はいない。嵐山隊や玉狛支部の面々、影浦といった存在がいるが皆副よりもずっと年上だ。嵐山や小南にいたってはボーダーに所属する前から、昔からの付き合いなので少し違う感覚がある。
そのためチームメイトではないがこのように気兼ねなく話す事ができる相手がいるのが羨ましかった。
「どうした? ぼっとして」
「あ、いえ」
「何か考え事か?」
「考え事と言いますか。お二人のようにチームメイトではなくても、気軽に打ち解けられる関係が羨ましいと、ちょっと思いまして」
「……なるほど。確かに言われてみればお前の年代の隊員は結構少ないな」
「ええ。ボーダー方は良い人が多いとわかってはいますが」
少なくとも知っている範囲で同学年であるのは絵馬一人だ。
彼を除けば他の隊員は皆年上と言う事になる。年上に対する配慮、というものなのだろうか。チームメイト以外にもどうしてももっと何でも話せるような存在というものがほしいと思う。
この数ヶ月で隊員は皆性格が良いとはわかっている。だがそれとこれは話が別なのだ。
「そうだな。確か正隊員にもお前と同年代のやつもいた気がするが――ああそうだ」
「何です?」
突如、何かを思い出したように荒船は手を叩く。
「そういえばこの前噂になっていたのを思い出した」
「噂?」
「ああ。何でも県外からのスカウトで来月から入隊するやつがいるんだが。かなり優秀らしい。そいつが確かお前と同年代だったはずだ」
「へえ。来月入隊、ということはすぐ会えるわけですね」
「県外からのスカウト。俺と同じか」
「そういうことだ」
二人の其々の問いに荒船は頷きを返す。
まさかこのように思いも寄らぬ形で同年代の隊員と会えるかもしれないという情報を得て、副は満足げだ。
早く会いたいなと気持ちが逸る。
出切る事ならば打ち解けるようになりたいとそう願って――そしてその隊員を目にするときはすぐに訪れることとなる。
――――
翌月、新ボーダー隊員達は入隊式を迎えた。
もはや定例となっているのだろうか。式が終えるとすぐに
突然の試練に殆どの隊員はたじたじの様子だ。そうでないものでも仮想とはいえ滅多にない
「――なぁんだ。簡単じゃん」
ただ一人を除いては。
小柄な体と茶髪が特徴的な少年だった。
草壁隊が県外からスカウトしたという彼――緑川駿は始まりの合図と同時に動き出す。
強化した脚力を活かし、僅か三歩で大型
攻撃範囲に入ると彼は体をねじりながら跳躍。回転によりかかった力を右手の短い刃、スコーピオンに篭めて
刃は大型
力を失った
「こんなもんか」
ここまでの時間。――わずか四秒。
副達の同期である木虎が記録した九秒をも上回る好記録で訓練を終了した。
「…………は? はっ?」
時枝の許可を得て、彼と共に観客席でその様子を見ていた副は呆然としていた。
四秒。木虎が持つ九秒の半分以下の数値だ。彼女の記録が現状では最速タイムであるという話もあったし、この記録を上回るような存在はしばらく現れないだろう。そう思っていた彼にとってこのタイムは衝撃が強すぎた。
副が仲良くなれたらいいな、と考えていた相手は非凡の実力を誇っていたのだ。
「これはすごい記録だ。彼はすぐに正隊員に昇格するだろうね」
「ええ。四秒って。今なら俺も出来るかも知れませんけど……」
「前なら、どうだい?」
もしも当初からスコーピオンを選んでいたとして、同じ条件でこの記録を出せるかと問われれば即座に首を横に振るだろう。
今でこそ影浦にスコーピオンを習い、使いこなせるようになったがそれにはかなりの時間を要した。多くのランク戦で経験を積んだからこそできるようになったことだ。とても入隊時からできるとは思えない。
だが、緑川はそれを成し遂げている。
信じられない技量と才能の持ち主だと感心するばかりだった。
「本当に同じ年なんですよね? これは、少しへこむな」
「そう気にする程ではないと思うよ。副君のタイムだって随分な高記録だ。彼は一線を画している、そう考えた方が良い」
「まあそれが一番なんでしょうが。ただ、なあ」
わかっている。一目見ただけで、緑川が自分よりもはるかに上回る実力を持つようになるであろうことは。自分の力量くらいは把握している。
「理解はできても、受け入れたくはないですね」
だが、気持ちが素直に頷くということをさせなかった。
副が目指しているのはその一線を画している存在だ。だからこそ相手が自分とは違う領域の存在だからとすぐに諦めることだけはしたくなかった。それでは前までと何も変わらないと思ったから。
「やっぱり負けず嫌いだね」
「呆れましたか?」
「いいや。良い事だと思う。君みたいな考えも大切だ。むしろ誇って良い。きっと柿崎さんもここにいればそう言ってくれたと思う」
「柿崎さん? あれ? そういえば――」
ぐるりと辺りを一瞥するが、今名前が挙がった人物の姿は見えなかった。
いつも嵐山の仕事を補佐する頼れる兄貴分だ。席を外しているとは思えない。
ならば柿崎はどこにいるのだろうと副は何も知らずに時枝に問いを投げかけた。
「今日柿崎さんはどちらに? ひょっとして佐鳥先輩の方に行っているんですか?」
そう聞かれた時枝の表情が硬直した。普段から表情の変化が乏しいためわかりにくいが、変化が起こったということはすぐに読み取れた。
「……嵐山さんから聞いていないのかい?」
「兄ちゃんから? いえ、何も」
「そっか。いや、そうだね。嵐山さんもこんなことを話したりはしないか」
「へ?」
なにやら気難しそうに語る時枝。
何も聞かされていない副はその反応にさらに混乱を強める。
そんな彼の様子を見て、時枝はゆっくりと話を続けた。
「柿崎さんは――嵐山隊を、脱隊したんだよ」
衝撃のあまり、副は時が止まったような感覚を覚えた。
――――
その頃、柿崎は新たに準備された作戦室で一人片づけを進めていた。彼が隊長となる『柿崎隊』の作戦室。先に嵐山隊で使用していた物を移動、整理しておこうとの考えだった。
出切る事ならば少しは嵐山隊の仕事を手伝おうとも考えたが、辞めたというのに仕事を務めるのも可笑しいと思い、こうして作業を進めていた。
今頃は
かつての仕事を思い出しながら手を動かすと、作戦室の扉が三度ノックされる。
「ん? 客か? ちょっと待ってくれ!」
来客と知って柿崎は作業を中断。
机から立ち上がって入り口へと向かう。扉を開けると、そこには見知った顔があった。
「副? どうした。そんなに息を荒げて」
「どういう、ことですか?」
「……まあ入れよ。こんなところで話すのもな」
トリオン体でないのだろう。肩を上下させながらそう問い詰める副の様子を見て、柿崎は部屋の中へと入るよう促した。
語気を強める様子から、彼が柿崎脱隊の知らせを聞いたということは想像できる。それについて話を聞きたがっていて質問をしてきたということも。何せ彼が目指している存在が率いる部隊に関することだ。気にしない方がおかしい。
「話は何処まで聞いた?」
「時枝先輩から、柿崎さんが抜けたということだけを」
「そうか」
ソファに腰掛け、ゆっくりと話を始める。
気遣いが上手い時枝のことだ。おそらく詳しい事情については本当に打ち明けていないのだろう。
下手に踏み入って欲しくない領域に触れない配慮は非常にありがたかった。
「何故、嵐山隊を抜けたんですか? せっかく精鋭であるA級隊員として活躍していたのに」
「……仕事が大変になったから、と言えば納得するか?」
「納得できません。柿崎さんがそういう考えをするとは到底思えない」
「随分な評価だな」
冗談半分で柿崎は笑う。が、副の表情は緩まない。ごまかしは効かない、そう語っているようだった。
柿崎は大きく息を吐いた。正直、彼に対して本音を吐き出すことは憚れたのだ。
だが本当のことを語らなければ副は譲らないだろう。兄と似てこういうところは真面目だから。
「俺がお前の兄と同期なのは知っているよな?」
「ええ。テレビにも出ていましたし」
「その通りだ。俺とあいつは入隊時に取材陣を前にインタビューまでされた。お前はあいつをどう思った?」
「……まあ、いつもの兄ちゃんだな、と」
「家族だからな。長年付き合えばそういう感覚になるか」
「柿崎さん?」
柿崎が薄っすらと影を落とす。
認識のズレ。長く接しているからこそ気づけない感覚。
だからこそ、副はあの時の嵐山を見てもそう影響を受けなかったのだろう。元々受けていたものが大きかったゆえに。
だが、柿崎にとっては。
「俺はあの時、確かにあいつとは次元が違うと思った」
「……え?」
「規格外だと思ったよ。凄いとも思った。だがヤバイとも思った」
批判的な記者を目の間にして、堂々と『最後まで思いっきり戦える』と語った嵐山を。
柿崎はレベルが違うと感じた。そして共に正隊員として行動して自信を失ってしまった。
「だから――そうだな。これは、逃げだ。自信を持てなくて、俺は逃げ出したんだよ」
正直に柿崎は打ち明けた。
果たしてこれを聞いてどんな顔をしているだろうかと、柿崎は視線を上げる。
副は悔しそうな、歯がゆい表情を浮かべていた。
「何故、ですか」
今一度副は柿崎に問う。
「それでも、柿崎さんは兄ちゃんと正隊員でこれまでやってきたのでしょう? 組んだということは一時でも越えられると、そう思ったからではないんですか? それを、諦めたんですか?」
理解できない。いや、理解したくない。そんな感情があふれ出ていた。
きっと副は柿崎に自分の姿を重ねているのだろう。
嵐山という大きな目標を持って、越えようと思って。ボーダーで仕事をして。だが、その目標を達成できないまま自信を失って逃げるという柿崎の話を聞いて、副は理解することを放棄した。
柿崎の今の姿が、かつての――そして未来の自分の姿になるのではないかと、そういう恐怖を懐いてしまった。
「……ああ。そうだな」
「柿崎さん!」
「悪いな副。俺はお前を満足させられる答えを返せない」
申し訳なさそうに俯く柿崎。
すでに結論を出している彼に対してこれ以上の追求はただの自己満足だ。
だが、そうわかっても副は納得できない。
自分が目指す者に一番近い位置にいた彼が、それを放棄したという事実を許容できない。
「お前の考えは間違ってないよ。だから、お前はその考えを貫いてくれ」
感情の激しさに我を忘れそうになる副の頭を軽くポンと叩く。
幾分か気を紛らわせてから、柿崎はさらに話を続けた。
「どうかお前は、俺みたいにはなるなよ」
柿崎も、副も、二人とも嵐山に影響を受けた身だ。
だからこそ同じような境遇を持つ後輩に告げる。
力不足を嘆いて道を曲げたりはしないように。自分を見失わないようにと。
「わかって、います! 俺は、諦めたりは、しない!」
――ああ。本当にこいつは負けず嫌いだ。
それほど年が離れているわけではないが。
彼のように一途に何かを追い求められる。その若さが柿崎はただ羨ましかった。
そして本当に彼が目標を前に折れないで欲しいと一途に願った。
今日は嵐山隊長の誕生日。おめでとうございます。