静かな一室で、紙に鉛筆を走らせる音が聞こえる。
規則的に続くそれは、止まったり走りを繰り返し、鉛筆を手繰る手が止まる。
「出来た!」
「んじゃ、採点だな」
頬骨の張った厳つい顔立ちの大男が、少女の差し出す紙を受け取り、赤いインクのペンを走らせる。
その音が暫く続き、男が紙を大和に手渡す。
「六十点だな。計算ミスと字の書き間違いがまだある」
「うぅ・・・」
「しかし、すぐにここまで来たんだ。あとは簡単だ」
大男、入野の言う通り、大和の学習速度は凄まじいものがあった。
五十嵐、柳瀬、入野、北上、今はこの四人が代わる代わる受け持ちで教えている。と言っても、北上は感覚で教えてくるので、柳瀬辺りがフォローに入る。
「まあ、ミスの大半は、ここで計算式を省いているとこだな。まだ、基本中の基本なんだから、無理にやらなくてもいいんだがな」
「・・・でも、柳瀬さん出来るもん」
「ははは、そりゃそうだ。五十嵐水運の帳簿は、あいつが握ってるからな。算盤片手に凄まれたら、船長でも黙るしかねえ」
小気味良く笑う入野、出会って二週間以上となり、大和達は入野や柳瀬達の事は信用し始めていた。
「そうなんだ」
「そうそう、算盤と帳簿持たせて、何がどれだけ要って、どれだけ使うかを計算させたら世界一さ」
入野の授業は基本座学だ。陸で仕入れた参考書やドリルを用いて行う。
甲板長という、忙しい立場でもある入野が、大和の授業を受け持っているのには、理由がある。
一つは、五十嵐水運で唯一大学を卒業しているという事。
「さて、直しが済んだら、外に出てみるか。理科の授業で実験してなかったしな」
もう一つは、体験主義であるという事。
これは入野もそうだが、五十嵐達にも当てはまる。
「なにするの?」
「ペットボトルが余ってるからな。ペットボトルロケット、高く飛んだ方が勝ちな」
ニヤリと笑う入野、彼の授業はこういった子供が好きそうな交えて進めていく。
柳瀬は完全に座学オンリーだが、軽く仕入れに関わらせたり、五十嵐に至っては操船を教えている。
この間、船の航路がいきなりズレたので、何事かと操舵室に向かうと、五十嵐が北上と大笑いしながら、大和と一緒に宗谷の舵を取っていた。
何故、初めはボートとかにしなかったのかと、柳瀬達が問い詰めたが、五十嵐は入野以上に体験主義である為、
『やらせてみないと、判らんだろう?』
と言って、聞かない。
突っ込もうにも、柳瀬が自分の仕事に大和を関わらせているのは、五十嵐も知っていて、
『お前だってやってるんだ。アタシがやっちゃいけない道理はないね』
と、返してくる。
紛れもない事実なので、取り合えずはボートや小型挺の操舵を、五十嵐が教えるという事になった。
「私が勝つよ」
「さあて、そいつはどうかな?」
大量のペットボトルをビニール袋に詰め、二人が甲板に出ると、港の方が何やら騒がしい。
何かあったのかと、入野がそちらに目をやると、人だかりの中で、柳瀬が苦い顔で帳簿と睨み合いをしているのが見えた。
「お、どうしたよ?」
「ああ、入野さん。どうしたもこうしたもあらへんわ。あれ」
柳瀬が指差す先は、五十嵐水運に割り当てられた区画であり、外海からは見えない位置にある。
そこから、実に聞き覚えのある怒声が二つ聞こえてきた。
「だあから! どうして外す?! 目ぇ付いてんのか?!」
「やっかましいわ! それっぱぁ、言うがやったら、当てれるもん作れや!」
入野が納得して、柳瀬に向き直る。
「北上と幸蔵爺か」
「ああ・・・ 今は割りと財布はカツカツやのに、あんな新しいの作って・・・」
五十嵐水運の財布事情に余裕は無い。正直な話、補給を終えた今、港に停泊せずに出港し、次の仕事をするべきなのだ。
だが、今現在は五十嵐水運、絶賛休暇中である。
「諦めろ、今回の航路は」
「解ってますわ。・・・はあ~、海賊早よ沈まんやろか」
柳瀬が盛大に溜め息を吐いて、帳簿の角でこめかみを押す。猫の様に細い目は、誰が見ても不機嫌に歪められており、今の柳瀬に関われば小言の山が口から飛び出てくるだろう。
「かいぞく?」
「ん? おお、大和ちゃんやんか。海賊ゆうんは、海の厄介者の事や」
「深海棲艦は違うの?」
「ある意味、あれより厄介者やな」
北上が大暴れしているのを横に見ながら、柳瀬と入野は過去の記憶を遡る。
一番古いものは二人違うが、最近ではつい二ヶ月前、〝夜明けの水平線〟を名乗る者達の襲撃を受けた。
被害は少く、怪我人のみで死者は出なかったが、あれで少くない損害が出ている。
「船長が〝シオマネキ〟で、敵船の横っ腹に風穴開けなかったら、ヤバかったかもな」
「けど、あれで〝シオマネキ〟も〝脚付き〟も壊れて、修理費がバカにならんわ」
「お金、無いの?」
大和の心配そうな声に、柳瀬は苦笑と共に返す。
「まったくやないけど、今が続くと陸で干上がる」
「在庫を切り売りしたり、人員の貸し出しで食い繋いでいる訳だな」
「そうなんだ」
「ま、心配する必要はねえさ。こんな事は、何回もあった」
薄くなり始めた髪を撫で付けて、入野が笑う。
柳瀬も同意と笑えば、港から破砕音が響く。
「んっがぁー! 殴った方が早いやいか!」
「せっかく作った銃の意味がねえだろうが!」
どうやら、北上が射撃用の的を殴って粉砕したようだ。
幸蔵の怒声と北上の咆哮が港に響き、柳瀬が溜め息を吐いた。
「的もタダやないのに・・・」
「諦めろ」
「こんな所に居たのかい」
柳瀬が何度目か分からない溜め息を吐いた時、左の袖を風に靡かせた五十嵐が、煙草を燻らし甲板に現れた。
「船長、義腕は?」
「肩が凝ったから、置いてきた。それより、仕事だよ」
「早いな。海賊は討伐されたんで?」
入野が問えば、五十嵐は紫煙を吐いて太い笑みを見せる。
「どうやら連中、河岸を変えたみたいだね。動くなら、今だ」
「確証は無いんで?」
「連中に確証なんざ、意味無いさ。〝キタ〟!」
五十嵐が港に向けて叫べば、同じ様に返事があった。
「なんな、船長!」
「初仕事だ!」
「ようようかや!」
「明日の朝には港を出るよ! あんた達も準備しときな!」
五十嵐の言葉に、船員達がにわかに忙しくなる。
「ねえねえ、船長」
「お? どうしたよ、嬢ちゃん」
「なんで、母さんの事、〝キタ〟って呼ぶの?」
五十嵐だけが、北上の事を〝キタ〟と呼ぶ。
それは何故かと、大和に問われ、五十嵐はニヤリと笑う。
「キタと嬢ちゃんは艦娘、だったらバレない様にしないとね」
「船長、本当は?」
苦笑いの柳瀬が問えば
「思いの外、語感が良かったからさ」
笑って、そう返した。
次回から
やっぱり来るよね?