IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~   作:龍使い

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第四章『ラウラ・ボーデヴィッヒ』
第四十九話『来訪 -Schwarze Soldaten-』


白い

何もかも白い

 

気がつくと、自分は真っ白の中にいた

 

つるつるとした感触の検査服

足は安いスリッパに素足

ふと横を見れば

自分と同じような子供が幾人も並んでいる

 

背の高い者

まだ幼い者

顔の青白い者

肌の黒い者

目がキツネのような者

鼻が低く丸い者

着衣のだらしない者

天井をボーっと見上げる者

 

統一性はない

あるとすれば

みんな少女ということだけ

 

耳に入るのは精密機器が立てる小さな雑音

それ以外に何も聞こえはしない

子供も私も何も言わない

それが白いこの場所をより白くする

 

そしてどこにも生気はない

居並ぶ誰しもの目から生きる力が消えている

話す気力もないが

話せばそれが自分へ「痛み」として帰ることを

ここの誰もが知っている

 

この中で私たちは黒かった

生きる希望も

毎日の意味も

誰かと繋がる喜びも

すべて理不尽という漆黒に呑まれて消えるだけ

何もない

だから黒い

黒く歪んで消えるだけ

 

 

「次、◯◯◯◯◯」

 

白衣を着た大人が私たちの中の誰かを呼ぶ

◯◯◯◯◯

それが私たちの名前

名前という数字

大人たちは私たちを

「種」

とも呼んでいる

 

隣にいた髪の黒い女の子が一歩前へ出る

この中で一番背の高い年長の子だった

 

それを見た大人が一人

彼女の手を引いて連れて行く

連れて行かれる彼女は

ただ手を引かれて歩いていく

泣きも笑いもしない

何度も繰り返されるいつもの光景

 

ふと彼女が

振り返って私に向かって手を振った

 

 

彼女を見たのはそれが最後だった

 

 

――

 

 

六月である。

青々とした陽気は湿り気を帯び、肌に触れる空気は熱を持ち始める。

ジリジリとした日本独特の夏の気配を感じつつ、世間は迫る梅雨前線に気を揉みながら、毎朝の天気予報とにらめっこする日々が続いていた。

そして世間という陸地から離れた孤島であるIS学園は、既に夏の装いへと移り変わっていた。

海の上の人工島にとって、暑さと湿度は大きな課題である。申し訳程度の緑化こそ施されているが、潮風が運ぶ熱気と湿気はやはり防ぎ難い。

おまけに太平洋側に面するため、日射は強く、雨は多く、おまけに海面温度も高い。何より山などの天然の遮蔽物がないため、日差しを避けることは不可能に近い。

生徒たちは月替わりと同時に制服を夏仕様に切り替え、照り付ける日光から身を守るために、購買部に冷房の風と特売の日焼け止めを求めて押しかけ、連日賑わいを見せていた。

学園もそこかしこで防暑用のスプリンクラーを起動させ、気化熱を利用した熱対策に努めている。

 

そんな学園の第二講堂では、今――

「これより、六月の全校集会を開会する。一同、礼!」

月例の全校集会の真っ只中である。

月初めに催される全校集会は、学園側から生徒全体への連絡通知の場となっている。……と大袈裟に言ってみたが、一般的な学校での全校集会と大差はない。

学園長の朝礼、学園各部門からの連絡、その他の発表事項の通達と、おこなわれることに大きな違いはない。

しかしそこはIS学園。

まず講堂内は空調完備で、寒暖や乾湿による不快とは縁遠い。さらに講堂内には無数の内蔵式設備が敷設されており、即席の座面の展開、階段式ホールへの変形、壇場の変形や設備の変更など。最新技術を惜しみなく注ぎ込んだ多目的ホールとなっている。

また壇上の談話も、海外からの生徒に向けて翻訳システムを通して各個人の端末に発信。必要とあらば、壇上のスクリーンも即起動させて図説も可能だ。

そして何より、話の規模が大きい。

「今月半ば、IS学園全生徒対抗大会が開催されますが――」

IS学園全生徒対抗大会。

それは学年別にトーナメントを組み、学内の各学年の優秀な生徒を選出する大型大会の一つである。

それだけ聞けば、特に何も特別ではないが……

「当大会では、各国のIS競技会より役員の方々をはじめ、多くのお歴々が観戦にいらっしゃいます。決して失礼の無いよう――」

この全校大会、各国から多数の重役たちが来賓として招かれる。

ここで彼らのお眼鏡に適ったなら、将来的に優先して彼らからの支援を受ける権利を得られるのだ。

一年生でそこまでの話は上がらないが、学年が上に上がるほど、この大会に将来を賭ける生徒の数は多くなる。無論、一年生のうちにスポンサーを得た逸材はいなかったわけではない。

生徒たちにとって、いわばこの大会は輝かしい未来への切符を手に出来る、言えば“就活の戦場”でもあるのだ。

今年もその時期が来た。

生徒たちを、徐々に緊張感が支配し始める。

「ここで実行委員会の織斑先生から、いくつかお知らせがあります」

呼ばれた織斑千冬が壇上に上がると、生徒たちが少し色めき立つ。

あいも変わらず黒のタイトスカートのスーツを颯爽と着こなし、迷いなく演台の前に立った。

司会の号令とともに、千冬と生徒たちは向かい合って一礼を交わす。

「紹介に預かった、実行委員会の教員顧問の織斑です。少し内容が込み入っているので、早速本題に移らせてもらいます」

演台の天板の両脇に手を付き、やや前のめりの姿勢で千冬は話を進める。

「まず一点。今回の『IS学園全生徒対抗大会』の、大会形式を大幅に変更します」

千冬の一言で、講堂の雰囲気は動揺に転じた。それに動じず、千冬は静粛を生徒に促す。

「皆さん、先日の襲撃事件のことを覚えておいででしょうか」

今年五月初旬、一年生のクラス対抗トーナメントに闖入者が現れた。

アリーナの防衛機構を易々と突破したその漆黒の人型兵器は、学園中から集まった生徒たちを恐怖と混乱の坩堝に叩き落とし、その場に居合わせた五人の生徒たちと教員の尽力を以って鎮圧された。

「学園運営委員会より、この一件は世間からは秘匿された。だが同時に同委員会は、第二、第三の襲撃者の登場に強い警戒を示しています。加えて――」

一息、入れた。

 

「……あのときの情けない逃げ方は、なんだ」

 

騒つく生徒たちが、ドスの効いた千冬の声で静まり返った。

「私は、お前たちのあの避難の有り様を改めて見返した。あの無秩序な逃げ方はなんだ。小学校の避難訓練から、耳にタコが出来るほど言われてきただろう、【押さない】【走らない】【邪魔しない】【気遣いを忘れない】。オハジキの標語をあの状況で律儀に守れた方が、むしろ奇特だったとは思う。それでも観客席の怪我人のほとんどが、最初の避難行動の混乱で揉まれ、打撲や捻挫をしたものだ!」

あの金属の怪物の横行を見て、正気を保てという方が難しい。千冬もそれは百も承知している。

「あの場で先に友人を先に逃がそうとした者は何人いた。焦る心を堪えて、混乱する同級生を引き止めた者は何人いた。泣き叫んで出口に殺到する後輩を見て、正気を保てと叱咤激励出来た上級生は何人だ。先輩の制止を聞いて、その場で踏み止まった後輩はどれだけだ」

承知の上で、そこで見えたものがある。

「今、このIS学園には、『結束』という概念が薄過ぎる。今までなら、これまで通りにただ競い合って個人で成績を残せば良かった。だがあんな事件が起きた以上、ここから先はお前たちの結束力に頼らざるを得ない事態も計算しなければならない」

いくら管制塔が優秀で、周辺を守る護衛が万全であろうとも、退避すべき対象が恐慌に陥って動けないのでは元も子もない。

「いざとなれば、私をはじめIS操縦技能を持つ職員が一丸となってお前たちを守ると約束する。だからこそ、お前たちも私たちだけに頼らず、自分たちで結束し協力することで、最悪の事態を避ける術を養って欲しい……!」

この学園の生徒こそ、あの事件によって最も対応の変化を強いられた存在に他ならない。

ひとしきり言い終えると、咳払い一つの後に千冬は話を再開する。

「そこで今回、生徒間の結束力を養うことを考慮して、大会形式を『学年別対抗サバイバル演習』へ変更することとなりました」

静まり返っていた講堂に、再び動揺が走り始める。

「各学年から代表者を数十人単位で募り、各学年ごとのチームで陣地争奪戦を展開してもらいます。詳しくは今日の午後に臨時開催される、学年別の説明会で解説します。今回はただの競い合いではなく、『いかに協力して勝つか』が問われます。そこだけは、決して忘れず心に留めておいて下さい」

ここで、千冬は最初の話題を切り上げた。

 

「続いて、先程の話に関連して、皆さんに紹介しておくべき人たちがいます」

続く二つ目に差し当たって、千冬は壇上の陰から数名ばかりの集団を呼び寄せる。

黒い、女性の一団だった。

全員が黒いタイトスカートの黒い女性用スーツに身を包み、その頭に黒い帽子をかぶっていた。

何より目を惹くのは、赤い縁取りの黒い左眼の眼帯だ。全員が全く同じデザインの眼帯で、全く同じように左眼を隠している。

突然の黒い集団の登場に、講堂はにわかにざわめき始める。

「静粛に。彼女たちはドイツ共和国のIS競技会で特別訓練を受け、ISによる暴動や犯罪を想定して結成された特別部隊『黒ウサギ隊(Schwarz Hase)』です。」

戸惑う生徒たちに対し、千冬は説明を始める。

「先日の襲撃事件では、自衛隊や海上保安庁の巡視の目を掻い潜り、襲撃者の学園への侵入を許してしまいました。また学園の精鋭部隊『ガーデン』の出動や職員による突撃部隊の編成も、普段の訓練通りとならず、後手に回る事態を招いてしまいました」

実際には高度一万メートル上空からの、索敵妨害用の超高性能電磁シールドをまとった急降下である。まず索敵網に引っ掻ける方が難しい。

おまけにアリーナの管理システムはサイバー攻撃を受けて乗っ取られ、アリーナそのものへの突入が困難を極めた。

対策本部を設置して迅速に動こうにも、無茶な話ではあった。

しかし、だ。

「彼女たちには今後しばらくの間、IS学園の防衛並びに、『ガーデン』や教員部隊への対策指導の任務についてもらいます。またプロのIS操縦者として、授業での実技指導にも少しばかりですが参加してもらう予定です」

雪辱は果たすものである。

たとえそれが対策困難な奇襲の結果だったとしても、ただ既存の態勢を強化すればいいとはいかない。

千冬の講じた策は、「()()()()()()()」という着想だった。

「それでは代表として、黒ウサギ隊隊長のラウラ・ボーデヴィッヒ氏にご挨拶いただきます」

千冬が演台の前から退き、黒ウサギ隊から敬礼と共に一歩前に出る者がいた。

再び講堂がざわめき出した。

演台に立ったのは、千冬に似た黒髪で長身の女性――のすぐ傍にいた銀髪の小柄な少女だった。

壇上に上がった隊員の中でもひときわ背が低く、IS学園の女子生徒たちの方が高そうに思える。

演台の高さは九十センチメートルほど。少女が前に立つと、天板は彼女の横隔膜の高さになり、台上のマイクの先は鼻先を掠める位置にくる。

生徒たち側の壇を見上げる視線では、見る場所と角度次第で肩から下が確認出来ない。

だが黒いスーツと対照的な腰に届く銀髪、何より鷹のように鋭く力強い目つきが、見る者を強く惹きつける。

Guten Tag. (グーテン・ターク)ご紹介に預かりました、私が黒ウサギ隊(Schwarz Hase)隊長のラウラ・ボーデヴィッヒです」

小柄な見かけによらず、意外にも声はやや低めで落ち着き払ったものである。

「我々黒ウサギ隊は、対IS犯罪を想定して組織された精鋭部隊です。六名ばかりの分隊にも満たない集団ではありますが、我々が来た以上は一大隊の軍勢であろうと、貴方がたIS学園の皆さんを守り通すと約束しましょう」

一大隊で千人規模である。生徒たちにはイマイチしっくりこない単位だが、ラウラの発する言葉は確固たる自信と決意に満ちていた。

「かつて我々はFrau(フラウ)織斑に教導を受け以来、来る日も実戦を想定した厳しい訓練を自らに課し、如何なる相手にも屈することのない確かな実力を勝ち取りました。何よりも我々黒ウサギ隊には、日々の弛まぬ訓練で培った結束力があるのです!」

聴衆を呑む、威風堂々たる演説である。

「そして黒ウサギ隊は貴方がたに、集団戦闘の教導も担当させていただくよう、要請を受けました。我々も部隊の組織から数年に満たない集団ではありますが、受けた以上は皆さんの連携と結束を確かなものにしてみせると、ここに宣言しましょう! ……Das ist alles(以上です)

それから少女は一歩退くと、壇下の生徒たちに敬礼し、元の場所へと(さつ)として帰っていった。

どこからともなく拍手が湧き起こり、演説は幕を下ろした。

千冬はかつて、国際的にも秀でた才人のみが得られる特殊権限「自由国籍権」を行使してドイツに一年間滞在した経験がある。

その理由こそ、ドイツIS競技会の要請で彼女たち「黒ウサギ隊」の指導を任されたからだった。

折しも当時の千冬はIS操縦者として絶頂期にあり、世界大会(モント・グロッソ)での戦いを終えた直後だった。

留学や長期出張にせず、わざわざ一時的にドイツ国籍を得たのは、日本IS競技会が彼女を広告塔として縛っておきたい意図が見え透いていたこと、またそれを理由に強く反対されるのは明白なためだった。

だが一番は、「借り」を返しておきたかったからだった。

その成果が黒ウサギ隊であり、千冬は今回の課題に際してその伝手を再度行使することを決した。

チーム活動を展開するにあたって、かつての教え子たちはこれ以上にない教材であり、同時に学園の防衛を一任し得る強力な即戦力と判断したのだ。

ドイツIS競技会も、IS学園に大きな貸しを作れる上、大会でどの国よりも早く広告活動を展開出来るとあって、二つ返事で応じた。

何より黒ウサギ隊こそ、恩人の千冬へのまたとない恩返しの機会を得たとあって、担当へ食い気味に承諾の返答を発したらしい。

千冬が壇上の黒ウサギ隊に礼を述べると、彼女たちは一分の狂いなく同時に敬礼し、一糸乱れぬ動きで踵を返して壇上を後にした。

 

「最後になりましたが、転入生の紹介をしておきます」

生徒たちは思わずとなり同士で顔を見合わせ始める。

別段、転入生くらいはIS学園でも数は少ないとはいえ、国内外を問わず毎年数人ほど登場する。

だがそうした連絡は学級単位で伝えられるもので、全校集会で発表されることは稀である。

だが。

千冬に促されて入ってきた転入生を見て、生徒たちは目を溢れそうになるほど見開いた。

 

だが生徒たちの中でも誰より驚いたのは――。

 

 

「……で、あからさまなハニトラに引っかかってIS適性が見つかった上、理解が追い付く前にIS学園(ここ)にぶち込まれてたと…」

全校集会から時が過ぎ、昼休みの1組にて――。

真行寺修夜(おれ)は頬杖を突きながら、机を挟んで青い顔をしている人物に問いただす。

「俺が言うのもなんだがな。馬鹿だろ、お前ら?」

「返す言葉もございませんです、はい……」

申し訳なさげに返答したのは、先月のあたまに共に街に繰り出した友人の一人である五反田弾だ。

敢えて辛辣な言葉を選んで投げかけるが、申し訳なさそうに肩を竦めたままで反論もしない。

「けど、そのおかげでこうしてIS学園(らくえん)に来られたわけだし、俺としては問題ないかにゃ~」

「お前はもう少し場の空気を読んだ発言を覚えろ、バ数馬!」

対して、そんな視線もどこ吹く風と呑気に笑みを浮かべ、頭の後ろで手を組んだ姿勢を取るもう一人の友人、御手洗数馬。

「でもさ修夜、こうして何時ものメンバーが揃ったわけだし、そう悪いことでもないんじゃないか?」

「俺や一部の人間の心労がマッハになることが確定してる時点で悪いことだってぇの、一夏(ばか)っ!」

そんな数馬同様、場の空気も読まずに呑気に言ってのける織班一夏に対し、俺は間髪入れずツッコんでしまう。

「あぁ、……ったく、どうしてこう立て続けに厄介事の種が集まってくるんだよ……」

思わずぼやく俺だったが、

「中心にいる奴が厄介事を引き寄せてるからじゃねぇ……?」

何か余計な一言が聞こえてきた。

「なんか言ったか、(ばか)……?」

「何でもありませんです、上官殿(サー)!!」

変な風評を立てるな、まったく……。

まぁ、でも――

「一夏の言う通り、来たのがお前らでよかったとは俺も思うがな」

そこだけは素直にありがたいと俺も思っている。

IS学園(ここ)に来て早二ヶ月弱、俺も一夏も今の環境に慣れたとはいえ、やはり気の合う男友達がいないのはしっくりこなかった。

先日、新たな男性操縦者が見つかったと聞いてどうしたものかと考えてはいたが、こうして来たのがこの二人なら硬く身構える必要もなく、むしろ勝手知ったるなんたらである分、気楽と言えば気楽である。

(まぁ、そのせいで馬鹿鈴の心労が凄まじいことになるんだろうが……)

そこはそれでご愁傷様と、内心で合掌しておく俺。何せ、この二人の所属は馬鹿鈴と同じ一年2組なのだから、その心労は俺の比ではないだろう。

「しゅうやん、男のツンデレは気持ちが悪いにゃ~」

……前言撤回、この馬鹿に対する心労に関してはどう足掻こうが俺らにも圧し掛かってくるのは間違いない!

そんな確信めいた思考をしながら、俺は無言で数馬の頭に丸めたノートを思いっきり叩きこむのだった。

 

――――

 

真行寺修夜が、自身の頭痛の種であろう旧友たちと会話をしているのと同じ時――

「さて、こうして顔を合わせて話すのは……」

「あなたが日本に帰国する前日以来です、織班教官」

織班千冬は来客用の談話室で、かつての教え子の一人と面会していた。

「教官はよせ。私はもう、お前たち黒ウサギ隊の教官ではない。IS学園に所属する一教師に過ぎないんだぞ?」

「いえ、我々にとって後にも先にも、あれほど厳しく、しかし熱心に教導してくれたのは貴女だけでした。だからこそ私を含め、隊長や他の隊員もあなたへの敬意を忘れないためにこう呼ばせていただきたいのです」

千冬とよく似た黒髪の美女は、青い目で真っ直ぐに千冬に視線を返してくる。

「教導時代からお前の真面目さは筋金入りだな、クラリッサ」

苦笑と共に口にした千冬の言葉に、「性分です」と微笑みながらクラリッサは返してみせた。

クラリッサ・ハルフォーフ――。

黒ウサギ隊の副隊長であり、隊内の最年長としてラウラ・ボーデヴィッヒを補佐し、部隊を取りまとめるのが役割である。

織班千冬とは同隊において最も付き合いは長い。

今はこうして堅い態度で接しているが、本来は砕けた口調と柔軟な姿勢で隊を引っ張る面倒見の良い人物だと千冬は知っている。

今は双方共に公務中であり、何よりクラリッサにとっては敬愛する恩師との久方ぶりの会話である。公私を厳密に分ける彼女にとって、これで普段通りなのだ。

「それはそうと、ボーデヴィッヒたちはどうした?」

取り留めない会話をしつつ、千冬はこの場にいない黒ウサギ隊隊長のことを問う。

「隊長なら、隊員たちと共に学園各所の視察に行ってます。なるべく早い段階で防衛プランの仮案を作っておきたいと……」

返って来た答えを聞いて、千冬は何かを得心する。

「だから、お前ひとりでここに来たということか。彼女に聞かれたくない話を持って、だろう?」

恩師の言葉に、思わずクラリッサは目を見開く。

「お見通し、でしたか」

あっさり胸の内を読まれ、教え子は少し困ったような笑みを浮かべる。

「確証は得ていなかった。それでも副隊長のお前が、あの子の補佐に付かず私を訪ねてきた事実を見れば、既に答えは限られてくる」

言い終えると、手元のカップに注がれたコーヒーを口にする。

今朝の全体集会の時、生徒たちの前で説明したことに関しては事実であった。しかし、彼女自身はここまで迅速に要請が通ったことに小さな疑問を抱いてもいた。

いくら彼女からの要請であり、ドイツ政府にとっての広告塔であるからとはいえ、今だ実験部隊としての意味合いが強い黒ウサギ隊が、何の問題も代価もなしにIS学園(ここ)に送り込まれるというのは例にない事態だからだ。

千冬からすれば、本来ならある程度の交渉と自身の教導要請が来ることを半ば覚悟していた。それが例え黒ウサギ隊総出の承諾があったとしても、何らかの形で代価は払うものと思っていた。

それが蓋を開けてみれば、ドイツ政府からは何の要請もなく、かつ黒ウサギ隊全員が来る状況だ。そこに疑問を抱かないほど、千冬の思考は鈍ってはいない。

「やはり教官には敵いませんね……。どう切り出そうか悩んでいた所に、容赦なく自分から踏み込むのですから」

「此方も性分でな。回りくどい探り合いを演じるより、一気に本題へ切り込む方が良い場合もある、ということだ」

そういって微笑む千冬だが、先日の酒の席で旧友に同じことをして制されたばかりである。友がここにいれば、呆れた顔で注意してくるに違いない。

「それでクラリッサ、ボーデヴィッヒにも聞かせられない相談とは何だ。お前が悩むほどの問題は、今の黒ウサギ隊にあるようには見えなかったが?」

千冬の言に、クラリッサの顔は今度こそ曇り始める。

「……相談というのが、他ならぬ()()()のことだからです、教官」

ここでクラリッサは、自らの隊長を名前(Vorname)で呼んだ。

しかし千冬も、咎めず話を進める。クラリッサ個人にとって、ラウラは実の妹同然だと知っているからこそ受け流した。

そして公私を分別する彼女が今、そう呼ぶということは――

「ボーデヴィッヒの?」

「はい。その相談があったからこそ、黒ウサギ隊(私たち)はあなたの申し出を即決しました、織班教官……!」

 

――ラウラ・ボーデヴィッヒに対する、何らかの事態(もんだい)が発生しているという事実でもあった。

 

 

 

「――以上が、私が知りうる限りの情報です。正直なところ、手掛かりになるようなものはなく、状況証拠や証言しかないのが現状ですが……」

「……なるほど」

クラリッサからの話を聞くや、千冬は眉を寄せて思案し始める。

(クラリッサの情報から推測すれば、彼女の予測は当たっている可能性が高い。だが、それを確かめるには……)

元教え子の相談である以上、それに協力したいのは当然のことではある。しかし現時点でその問題を確認出来るだけの状況ではない。

それでも己の直感は「猶予は既に僅かだ」と告げており、千冬を焦燥に駆り立てる。

(どうしたらいいものか……)

思考は沼と化し、千冬を底無しの淵へと誘っていく。

 

――ヴヴヴヴ

 

迷いの水底から千冬を引き上げたのは、スーツのポケットに収まっていた彼女のタブレットフォンの着信(バイブレーション)だった。

「失礼。……私だ、どうした?」

掛けてきた相手に、いつもの凛々しさで応対する。

「ふむ……分かった。こちらで事情を聞いてみよう、それでは」

数分ほど淡々と連絡を交わして通話を切る。しかし、その表情は先ほどの思案と違っていた。

「教官、何か問題でも?」

「いやなに、事務局から模擬戦の申請に関する連絡が入ってな。まったく、これが“渡りに船”(Boot zu überqueren)というものか」

千冬の言葉の先が分からず、教え子は戸惑いを覚える。

そんなクラリッサの困惑も意に介さず、師の口角は自然と上がっていた。

 

「クラリッサ、放課後に()()()を連れて私の元に来い。面白いものを見せてやろう」

 

恩師の思惑が何なのかは窺い知れない。

だがクラリッサが見たものは、自分の見たことのない千冬の実に含み有り気で不敵な微笑だった。

クラリッサは“成功を確信して悪戯を仕組もうとする子供”のような千冬の様子を、瞬きも忘れて見つめていた。




お久しぶりです、本編最終更新から一年以上経過しましたが、漸く原作二巻部分のラウラ編となります
遅れた理由は毎度の事なので割愛しますが、同時に俺が職変え&一人暮らしで環境が変わったのも一因だったりします
その他、当初のプロットを変更したり、キャラの立ち位置の再確認などで、大幅にストーリーラインの追加もあったりします
ただ、時間をかけただけあって、当初より良い感じに話が進みそうな手応えを相方共々感じてもいるので、自分のペースでやりつつ進めていきたいなと考えてますね
とりあえず、年内にあと1~2話は更新できたら良いなぁ……

ではでは、既に二時半回ってるので、これにて

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