IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~   作:龍使い

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幕間『視転』

真行寺修夜とその一同が、親睦会という名のビデオ観賞会を更識簪の部屋で開催している頃、学園の外でも膝を突き合わせて酒に興じる二人の姿があった。

IS学園と本土を繋ぐ学園大橋を渡り、自動車で三十分ほどの繁華街にあるバーに、彼女たちはいた。

「連絡を受けてみれば、『呑みに付き合え』とここまで誘い出すとは……」

IS学園の教師であり、IS世界大会(モント・グロッソ)の元女王(ブリュンヒルデ)、織斑千冬。

「いいじゃない。あんな箱庭でビールの空き缶転がすより、洒落たところでオトナの時間っていうのも」

倉持重工傘下の研究所・倉持技研の第二研究所所長で、国産IS〈打鉄〉のOSを開発した天才、篝火ヒカルノ。

世を揺るがす美女二人か、バーのカウンター席で並んでいる。

千冬とヒカルノは、簪の一件を通じて事前に連絡先を交換しており、簪の件がようやく収束したことを受けて、ヒカルノの方から千冬をバーに誘った。

今日の酒席に合わせて、千冬は外泊届を学園側に無理を言って通してもらい、バーから百メートルの辺りにあるビジネスホテルに、自身のスポーツカーを()めてチェックインしている。

学園との交通機関は、大橋の道路とその下部を通るモノレールしかない。

そのうえ学園へ向かうモノレールは、夜八時台を最終運行とし、道路と学園本体も夜九時以降の人の出入りは完全に封鎖してしまう。

大人といえど、学園から出て遊ぶのは苦労が伴うのだ。

ただ千冬の場合、たまに()()()()取らされる有給休暇以外を学園での公務に費やして生活している。

加えて、事務局からも「働き過ぎ」「もっと遊びに出ろ」と言われるほど、学園内では教師として身を置き過ぎていることもあり、手続き自体はあっさり済ませてもらえた。

「わざわざここに呼んだのは、相応に理由があるのだろう?」

タンブラーに並々と注がれたハイボールを傾けながら、千冬はヒカルノに問う。

「まぁまぁ、そんなに急ぐ必要なんてないでしょ。夜は長いんだし?」

そう言いながら、ヒカルノはワイングラスに注がれた白ワインとソーダのカクテル「スプリッツァー」を口にする。

「まぁ、そんな素っ気なくてせっかちなところも、昔と何も変わってないわね」

「まさか、あの加賀和(かがわ)妃花李(ひかり)の今の姿がお前とは……」

そう言って千冬が見るヒカルノは、いつもと違っていた。

髪は自然な黒髪で、縛らず緩くウェーブのかかったクセ毛を遊ばせている。

衣装も普段の白衣から紅いイブニングドレスに変わり、目には細い銀の下縁(アンダーリム)の眼鏡をかけている。

まごうことなき眼鏡美女だろう。

普段のお世辞にも技術者と言いがたい奇抜な印象は、今は微塵も感じられない。

「あなたもよく覚えていたわね。てっきり()()()と一緒で、私なんて気にも留めてないと思ってたけど」

世間に向けて名乗っている“篝火ヒカルノ”という名は、彼女自身が考えた通称である。

奇抜な格好も、実は大好きな海外ドラマに登場する、科学捜査班所属のゴスパンクなヒロインを真似てやり始めたものだったりする。

学生時代は地味で目立たず陰鬱で、そのくせ負けず嫌いでプライドの塊という、勉強だけが取り柄の面倒くさい少女だった。

それが篝火ヒカルノ、――いや“加賀和妃花李”であった。

「いや、よく覚えているよ。いつもあいつと私をじっと睨んでいて、定期試験ではあいつの下から食いついて離れなかったからな」

言い終えて、ハイボールを一口。

それを聞いたヒカルノは、寸の間目を丸くし、すぐ平静を装いながらも少し口元を緩ませた。

「何か頼む? ここ、ちょっとしたダイニングバーも兼ねてるから、軽いアテぐらいは出てくるわよ」

バーにもいくつか種類はある。

純粋に酒を味わうためのいわゆる本格のバーは「オーセンティックバー」、砕けた雰囲気で気楽に楽しむ「カジュアルバー」、料理屋としても機能する「ダイニングバー」や「レストランバー」など。

ほか酒の種類、提供の仕方、サービスや客層の方向性によって、細かな分類はほぼ無限に増えていく。

ここはオーセンティックとカジュアルとダイニングの折衷という、少し独特な風味を持っており、それがかえって人気を集めている。

カウンターに置かれたメニュー表を見ると、確かに酒の肴に向けた料理が並んでいる。

しかし“軽い”というには、些か凝ったものも散見される。

とりあえず豚ロース肉のグリルと鱸(すずき)のカルパッチョサラダを注文し、また一口ハイボールを流す。

「さて、今日呼んだのは単純にこうして呑みたかったのが一つ。そしてこの前のゴタゴタのお詫びよ」

「詫び、だと……?」

更識簪の専用IS〈羽銀(はがね)〉は、Ⅲ組とⅣ組のクラス対抗戦を前に倉持重工本社によって唐突に接収され、一度簪の前から完全に消えた。

それをヒカルノは、予備パーツを使って完全復元し、接収された日の夕方に学園に現れて簪へ届けた。

「ウチの本社がまた醜態さらしたことの、私なりのごめんさいってヤツよ。〈白式〉の件といい、会社の内輪揉めのしっぺ返しを場末の部署がかぶるのは、そろそろ勘弁してほしいわ」

千冬の弟であり、世界に二人の男性IS操縦者である織斑一夏の専用機〈白式〉も、倉持技研の管轄であり、現在は倉持重工の研究施設の総力を上げ、データ内部の大半を占める機密情報(ブラックボックス)の解析に当たっている。

「噂では、上層部の人事に大きな変動があるというが……」

「あら、お耳の早いこと」

「経済紙の与太話だがな」

「与太でバレるくらい、ウチも弱っているってことね」

苦笑いを浮かべながら、ワイングラスを満たすスプリッツァーをぐいっと煽る。

「社長が、そろそろ駄目っぽいのよ」

「倉持の、か?」

「えぇ、何でも体力の衰えだけにとどまらず、体中が病巣なんだとか……」

倉持重工の現社長、舘倉(たてくら)京滋(けいじ)という男を知らない者は、政財界にいないとされる。

日本のIS研究を黎明期から引っ張って来た立役者であり、政府や霞ヶ関とも太いパイプを持っていると、実しやかに囁かれ続ける、日本を代表する企業家の一人である。

だがその舘倉社長も御歳76歳に至るわけで、かつての精彩を欠くような言動が見えはじめる。

昨年の中頃に、ゴルフコンペの最中で倒れて以来、不調に見舞われて、現在は内臓を含めて体のあちこちがボロボロという話なんだとか。

問題なのは、現在の倉持重工が舘倉社長のワンマン経営に依存し、目ぼしい社長候補が育ちきっていないことだ。

担当医の話では、保って数年、最悪の事態は今日明日に訪れてもおかしくないとのことだ。

そこに追い打ちとなったのが、男性操縦者の登場だった。

会社の舵取りがままならない状況に、政府の無茶な条件をなすすべなくごり押しされ、何ら対策を立てられないまま現在まで迷走を続けている。

そうなるとまず急務なのは、次の指導者の擁立である。

倉持重工は、政府からの男性操縦者用ISの解析依頼を、技研に一しきり押し付け、次期社長候補の育成と擁立に奔走している状態なのだ。

「更識さんが第二研究所(ウチ)を訪ねて来たとき、上の連中にお伺いを立ててみたら、酷かったわよ。『そんなのはさっさと追い返せ』、『駄々をこねるなら望むものを食わせて帰らせろ』で、電話ブッチよ。正直、キレたくなったわ」

眉をひそめてながら言い切ると、グラスを一気に飲み干し、一息つく。

それから今度は白ワインを注文した。

同じタイミングで注文した料理も出される。

分厚い豚肉の塊が、熱い鉄板の上で弾けるような音を立てながら、香ばしい匂いを漂わせている。

カルパッチョの方は、魚の綺麗な白身と葉野菜の緑が、ガラスの器の上で涼しげに盛られている。

(……うん。悪くはない)

千冬は豚ロースのグリルをフォークで一切れ口に運び、まずは味を確認する。

豚ロースのジューシーな旨味に、タマネギと醤油をベースにした少し甘いタレが絡んでより豊かな味わいをもたらす。

(……今度、作らせてみるのも面白いな)

年下の料理名人に、不穏なフラグが構築されてしまった。

「けっこうガッツリいくのね」

千冬の食べっぷりを、ヒカルノは楽しそうに観察する。

「欲しいなら、自分で注文してくれ」

「大丈夫、取らないわよ」

先ほどまで寄せていた眉間も、すでに離れていた。

「まぁ、全部が全部、腐ってる訳でもないけどね」

そう言ってヒカルノは、タブレットフォンを差し出し、千冬に内容を確認させる。

 

『本社に動きアリ。取り急ぎ対策せよ』

 

画面はメールの受信ボックス。

宛名は――

「雨打……高央……」

「知ってるでしょ。去年までそっちで運営委員に、倉持重工の代表として顔を出してたし?」

「あの、雨打()()か?」

「今は広報部長に格下げ。……って、いっても、ほとんど当てこすりの降格処分だけどね」

雨打の降格理由は、「委員任期中における学園への意見具申に積極性を感じなかった」という、ひどく曖昧(あいまい)で腑に落ちないものだった。

それでも雨打はその処遇を受け入れ、左遷先の格下部署と(あなど)られていた広報部に異動する。

「でもまあ、上の連中も雨打部長を舐めてたわね。あの人がなんて呼ばれていたか、すっかり忘れてたみたいだし」

雨打が場末の部署に異動させられたのは、これが最初ではない。

三十代半ばで出世競争の相手に足元をすくわれ、地方のさびれた工場へと飛ばされたことがあった。

普通なら出世コースから外されたと悲嘆するところだが、雨打はそこが違っていた。

彼はそこの工場でグループ最大の成績を残し、一躍主力へと押し上げてみせたのだ。

さらにその後も、ライバルたちの罠に挫かれ左遷されようと、左遷先を再建することで逆転する手法で、倉持重工全体の業績の向上を達成してみせたのだ。

付いたあだ名は「雨打再生工場」。

取締役会への復帰も、広報部の事業改善と強化による業績が認められてのことだった。

「つまり今回、私が出張ってきたのは、雨打部長がこっちに本社の動向をこっそり流してくれたから、ってワケ」

「よくそんな危険な橋を渡ったものだな」

バレれば雨打当人は再び取締役会から追放されかねない。

「結果は部長の一人勝ち、だけどね」

「何?」

「あなたの弟くん、確か……」

「一夏だ」

「そうそう、一夏くん。彼を“日本代表候補”へ推薦する計画が、本社の上層部でひっそり進んでいたのよ」

「なん……!?」

柄にもなく動揺し、千冬はヒカルノの発言で身を乗り出しそうになった。

その反応に、ヒカルノも驚いて固まってしまう。

「……すまない」

「いいわよ。でも、想定がなかったわけじゃないでしょう?」

ヒカルノの指摘に、千冬は乗り出しかけた体を直しながらも、黙してハイボールを干す。

一夏、そして修夜の二人という男性操縦者を、日本代表候補として育成する。

男性操縦者を長期的に日本は留めながら、そのカラクリを暴くには最高の条件の一つに違いない。

特に修夜の方は、現にイギリスと中国の代表候補生と矛を交えて勝利を収め、実力の高さを証明している。

だがその修夜は、倉持が敵とみなす志士桜グループを支援者としており、倉持にすれば無い物ねだりにしかならない。

ならば、自身が支援者として勝ち取った織斑一夏を、政府と結託して代表候補生に仕立てればいい。

そう結論したのだ。

「ただ一夏くんを代表候補にするにしても、彼当人をその気にさせなきゃいけないし、前例とか世間体とかいう旧弊が好きな政府を黙らせる必要もあるしで、労力も半端ないのよね」

ただでさえグループの支柱が弱っているさなかに、これ以上の負担は自滅を招きかねない。

雨打は取締役たちが簪に機体を譲渡するよう指示したことを知り、ヒカルノに裏から協力を仰いだのだ。

その結果は先日の試合が証明している。

「取締役会の陰謀を封じ、グループは余計な仕事を増やさず面目を保ち、自分は汚れ役に徹し、最後は更識さんの大活躍で万々歳。上も彼女の規格外な潜在能力を見せつけられて、ぐうの音も出ないみたいだし。言い掛かり付けて、候補生の資格剥奪もできなくなったってわけ」

くつくつと笑うと、ヒカルノは白ワインをゆっくり口に含んでいく。

「なかなかスリリングだったわよ。全力で白式の解析に勤しむフリしながなら、こっそり弐式の調整を進めていくのは」

もっとも武装パーツだけは、機体と同等のサイズなので再構築と調整は難しく、既存の武装で済ますしかなかった。

「では何だ、打鉄弐式――いや羽銀は、機体そのものは出来上がっていたと?」

「実は、半月ほど前に」

「だったら――」

「言ったでしょ、あなたの弟くんを代表候補にする計画が進んでいたって。問題はその推進派の中核が、一番厄介なヤツだったってことなの」

「厄介?」

聞き返す側で、ヒカルノは席料のサービスとして出されたナッツの盛り合わせを、口に数粒放り込む。

「舘倉兆一(ちょういち)

ナッツを味わって胃に収めると、聞きなれない名前を口にした。

「舘倉?」

訝しんだ千冬だが、一つだけ合致するものがあった。

「そう、取締役会特別理事で舘倉社長の年の離れた息子よ。そっちに新しく運営委員としても参列しているはずだわ」

「息子……」

「表向きは養子だけど、実際は社長が四十代のときに愛人に生ませたって、もっぱらの噂だわ」

実際、社長の舘倉理事への重用は、見るものが見れば明らかだった。

それに対して、舘倉理事も相応以上の成績を残し、三十代という異例の若さで取締役会への参画を決めている。

「言いたくはないけど、理事には注意しなさいよ。雨打部長と違って、情や信用で人を見ない利益主義と野心の怪物だもの。運営委員で実権を握らせたら最後だと思うわ」

一抹の不安を覚えながらも、千冬は新しい酒を注文する。

そのあとは、学生時代の思い出や、互いの仕事の愚痴を料理ともに肴にしつつ、酒を酌み交わしていった。

 

 

――――

 

時を遡って、クラス対抗戦のあった日。

夕暮れの学園のある寮室。

そこにはマーガレット・テイラーと、灰色のスーツをまとった栗毛の女性が対面していた。

「何か反論は?」

刺々しい言い方で責める女性に、レティはただうなだれて弱々しく「Nothing」と返すだけだ。

「結局、審議も入らずにそのまま勝利が確定したから良かったけど、下手するとバレてたかもしれないのよ?」

「ごめんなさい……」

一応、反省の色が出ているため、これ以上の責めは無用と判じ、スーツの女性はこれ以上の追求はしないと決めた。

「とにかくレティ、あなたの能力は私たちにとっては切り札なのよ。試合に熱を上げすぎて、反射的に使ってしまったんでしょうけど、今後はできる限り抑えて。わかった?」

「ごめん、気をつけるよサニー」

サニー。それがレティの担当管理官である彼女の名前だ。

「……とりあえず、改めておめでとう。今からちょっとご馳走するけど、どこに行きたい?」

サニーの一言を聞くと、レティ少し目をしばたかせてぼんやりしたのち、満面の笑みを浮かべた。

「いいの、ねぇいいの。じゃあボク、回るスシが食べてみたい!!」

尻尾があったら、振り切れんばかりの喜びようだ。

「はいはい。それじゃあ、急いで外出手続きするわ。あなたも私服に着替えておいて」

「はーい!」

オスシオスシと鼻歌混じりに準備にかかるレティを、呆れながらも微笑ましく思いながら、サニーは寮と事務所へ手続きを通すべく部屋を出るのだった。

 

――――

 

クラス対抗戦のあったその日。

もう一つ、別の出来事が動いていた。

 

日差しは既に夏のそれで、その熱射の東京郊外を一人の男子生徒が気だるそうに歩いていた。

(ったく、せっかくの土日だってのに……)

肩口まで伸びた赤みがかった髪、目つきは鋭く顔も厳ついがそれなり整って意外に男前ではあるが、百八十センチメートルはある身長を猫背にして歩くため、チンピラ染みた雰囲気がまとわりついている。

五反田弾。

修夜と一夏の中学生時代からの親友である。

この少年について、ここで少しばかり語っておこう。

東京都の西、青梅・八王子地域にある大衆食堂『五反田食堂』を実家とすること、祖父・母・妹とともに暮らしていることまでは以前に触れた。

妹の蘭には、まったく頭が上がらない。祖父の厳による祖父馬鹿(じじばか)が最大の理由なのだが、それに平行して厳格で強面の厳にも低姿勢が基本になり、母の蓮も生来の呑気さと底なしの寛容さゆえ、蓮の頼まれごとは首肯するのが常である。

つまり五反田家ヒエラルキーの最下層なのだ。

父親は現在、友人に請われて単身大阪に出ている。

この父も祖父同様に料理人であるが、板前出身の厳と違って洋食から料理の世界に入っている。

親子二代に渡る料理人一家だけに、弾も相応に心得はあるが、それ以上を修夜と一夏が習得しており、今一つ立つ瀬がない。

祖父からは知人の伝手で武術も仕込まれた。

修夜と一夏が剣であるのに対し、弾は空手を軸にした体術だ。しかしこちらも、親友二人の頭角に比べると凡庸と言わざるを得ない。

この二人に唯一勝っているのは、現状では流行へのアンテナの敏感さと、身長ぐらいなものである。

だが本人はあまり自覚がないが、意外に場の雰囲気を感じて風向きを測るのは修夜よりも柔軟だったりする。

修夜と一夏に弾が加わった場合、全体のバランスを取るのは弾の役割であり、悪友である御手洗(みたらい)数馬(かずま)を含めてもそこは変わらない。

変な言い方だが、四兄弟の長兄いう位置なのが弾なのだ。

加えてただ一人、修夜とガチのケンカで拳を交えて引き分けたという、割ととんでもない経歴を隠し持っている。

平素はやや短気だが、良くも悪くも陽気で人当たりが好く男くさい少年である。

一方、本気で怒った回数は妹の蘭でも記憶にないほど少なく、修夜と一夏も見たのは一度きりだという。

蘭にストーカーが付いたことがあり、しかもかなりの変質者だったのだが、これに対して本気でキレたことがあった。

この一度が凄まじかったらしく、ストーカーを病院送りにしている。そのストーカーも事情聴取された際には、弾を思い出すと歯の根も合わないほど怯えていたらしい。

「誰かのためだけに怒れる人」

修夜の相棒の相沢拓海は、弾をそう言い表した。

 

複雑な顔をしながら、弾は地元の市立病院に向かっている。

(健診引っかかって呼び出しって、何引っかけたよ俺)

先日、半月前の健康診断と身体測定の結果をホームルームで配布されたのだが、何をどう間違えたか弾は再検診を通達された。

骨折くらいはしたことはあるが、ありがたいことに生まれてこの方、大病を患って病院に足しげく通った覚えはない。

(修夜がいたら、いびられるな)

健康管理に厳しい親友のしかめっ面顔を思い浮かべ、次に会うときにバレないことを祈った。

家に検査結果を伝えた際、厳と蘭に般若の形相で詰め寄られ、蓮に二人を抑えてもらいつつ、指定された土曜日の午前のみの診断に向かうことになった。

現在弾は、都内屈指の公立進学校で知られる藍越(あいえつ)学園高等学校に通学している。

当初は修夜や一夏も、藍越学園に入学する予定だったが、受験も差し迫った晩冬にひと悶着起こし、あれよあれよと男性操縦者としてIS学園への通学が決定した。

何人かかつての学友が藍越学園に入学したが、全員クラスがばらけているため、滅多に膝を突き合わせて話すことはない。

クラスにも無難に馴染んではいるが、なまじ運も味方につけて予想以上に高得点をとったため、本格的な進学クラスに編入されて山のような予復習と戦う日々が続いている。

可愛い彼女と甘酸っぱい青春など、夢の話となっていた。

ただ、この苦境を笑って流す友は、幸いにも一人いた。

 

「何してんだ、数馬」

不安な道行きの先に、弾は病院の表門でばったりと数馬に出くわした。

ボサボサのくせっ毛を整えず自儘(じまま)にした、狐目でひょうきんな出で立ちの少年がそこにいた。

御手洗数馬である。

弾と同様、修夜や一夏とは中学生時代からの親友である。

筋金入りのゲーマーであり、修夜たちと知り合ったのも地元のゲームセンターで修夜たち三人を相手に、格闘ゲームの筐体で圧倒したことがきっかけだった。

ゲームと分別されるものなら、四人の中で最も含蓄が豊富で腕前も立つ。

「やっほ~い。弾こそ何やってんの?」

この少年に緊張感というものはない。

ないというより、そもそも生まれ持ってきたかさえ定かでない。

常に緩んだ雰囲気を周囲に漂わせ、気楽さがそのまま歩いているような振る舞いを起こす。

そして度々悪ノリし、同窓の友人が揃うと気兼ねなくナンパに走ってど突かれる。

(言いたくなねえなぁ……)

仮に自分が健診に引っかかったと聞けば、からかわれるのは目に見えている。

「ちょっと風邪もらったらしくてな、早めの対策だよ」

「ははは~、そうかそうか。その割にマスクしないけど?」

(そこで相づち打っておけよ……!)

適当に誤魔化すと決めた弾だったが、数馬の的確な指摘に内心で歯噛みする。

「そういうお前は、何の用だ?」

弾も数馬の事情を尋ねる。

「何いってんの、病院に行く目的といえばただ一つだろ?」

一拍置いたのち、

「N・U・R・S・E ! 男の心のオアシス、今は既に空想の彼方に消えたスカートとキャップ、それでも男は求めて止まない。そう、白衣の天使の無垢なる姿を――!!」

謎の決めポーズと共に、堂々と大言してみせた。

決まったと誇らしげに悦に浸る馬鹿に、弾は無言でデコピンをくれてやった。

 

結局、数馬が先に再検診を受けに来たと明かしたので、弾も同じ境遇であることを明かした。

今は受付を済ませ、一階のロビーで待たされている。

「こういうとき、やっぱり家族が近いと心配されるんだろうな」

変わらず呑気に呼び出しを待つ数馬がこう言うのは、数馬の親が常に近くにいないのが理由だ。

数馬は地元中学校の校区でもその端に住み、学校からの通学距離は校内でも最長になる。

加えて数馬の二親は、数馬曰く共働きで海外出張が多く、年に半月ほど寄りつけば長い方だとまでいう。

修夜たち三人でも、数馬の家を訪ねた際には想定外の移動時間を要し、さらに家そのものもかなり立派な邸宅だったことから、その一度きり以外に寄り付いたことがない。

まして数馬の親の顔さえまともに知らないし、数馬のプライベート自体に相当数の謎が山積している。

ただの根明の少年というには、数馬は親友たちでさえ判然としていないことが多いのだ。

それでも弾が数馬に距離を置かないのは、弾が今まで数馬から騙されたことがないという、一点に尽きる。

論でなければ証拠にもならない言葉だが、修夜もこの勘だけは間違っていないと、不思議と腑に落としている。

何より数馬と最初に友好を結んだのは、他でもない弾なのだ。

以来、人情派の運転手はお気楽でブレーキの聞かないポンコツジープと共に、青春という道を走っている。

「ところで、お前は何が引っかかったんだよ」

運転手はジープの車検結果を問う。

「骨密度だって。あとよくわらないけど、血圧も」

「どこのジジイだよ、お前は」

どう聞いても老人が定期検診で引っかかったとしか思えない、年寄りくさい内容だった。

「弾は?」

訊かれて気まずい顔を浮かべて数秒黙ったのち、

「……血糖値と不正脈」

ぼそりと早口で言った。

一瞬、場が凍りついたのち、数馬は必死に口を押さえて前かがみになる。

「悪かったな、五十代のおっさんみてぇでっ!!」

小声ながらも、弾はまくし立てるように反論する。

ただ数馬の診断はまだ十代の青少年でも稀にある結果だが、弾の症状は下手をすると若年性糖尿病をはじめ、重病の危険性がある。

おっさんくさいのは確かでも、弾にすれば気が気でない。

「いや、だって、おっさん以外の何なの」

「お前も親が帰って来ないからって、菓子ばっかり食ってんじゃねえよ」

必死に吹き出しそうなのを堪える数馬に、弾もあり得そうな原因を突きつけて対抗する。

そんな最中に、受付のアナウンスが名前を呼んだ。

――弾と数馬を同時に。

数馬に笑われ不機嫌な弾だが、呼ばれたことで気持ちを切り替えようと努め、数馬と共に受けへと向かった。

 

受付から案内されたのは、市立病院の別館、しかも一番上の六階だった。

廊下の窓からは地元の街並みをうかがうことができ、病院であることを一瞬忘れそうな明るさがある。

同時に、診療室は影さえ見当たらないほど、延々と無名の表札しか並ばず、来院者は二人以外はいない。

案内された奥の部屋で待っていたのは、見目麗しく若い女性看護師たちだった。

若い男二人である。最初は不安と疑念に駆られた高校生たちは、そんなものを窓の外にぶん投げ、彼女たちからの採血に意気揚々と応じて血を抜かれた。

その後、よくわからない大掛かりな器材による検査がいくつか続くも、目の前で微笑む美女たちを前に思考は麻痺し、なすがままに検査を受け続けて、気づけはとっくに昼過ぎを超えていた。

 

空腹を覚えながらも、美人ナースたちとの甘い検診タイムを満喫した馬鹿二人は、最後の検査を終えて誰もいない受付のベンチで余韻に浸っていた。

「いや~、病院なんて消毒液くさいだけのお年寄りランドで、ナース天国は幻と思っていたけど……。楽園は市立病院にあった、確信できたよ――」

「筋トレ辞めないでよかった~。『若いのに逞しくて素敵』なんて、褒められちゃったよ俺」

無駄にキメ顔を作る数馬に、お姉様方に鍛えた体を褒められてご満悦の弾は、まだ夢見心地の様子だ。

当分、お花畑から帰ってくる気配はない。

「五反田弾君と、御手洗数馬君だね」

張りのある中低音の声が、花畑で蝶と戯れる少年たちを受付のロビーへと連れ戻した。

振り返れば、そこには黒いスーツに身を包んだ長身の男たちが、兵士のように並んで二人を見下ろしていた。

 

のちに弾は振り返って言った――。

「なんであのとき、あの美味しすぎる状況に一つでも疑問が持てなかったのか。今思い出しても、あの日の俺を思いっきりぶん殴りたい」

 




と言うわけで、今回の更新です
そして、この話をもって簪編の終了となり、次回から原作二巻に漸く入ります

さて、簪編の裏話ですが、元々の構想上で原作の簪の話は前倒しで出す予定ではありました
というのも、原作での簪の話は色々と(個人的な意味で)矛盾が多く、それでいて状況的に時間が掛かり過ぎている感があったからなんですよね
弐式開発に関しては、もはや倉持の開発放棄に近い状況でもあったわけですし(汗
その辺をどうにかするために相方と相談し、紆余曲折とストーリーを何度も組み直していって、ここまで来たという感じです
実際、プロットの大筋を完成させた後の細かい打ち合わせは、過去の更新の中でも多かったくらいですし(汗
その過程で、設定も二転三転したのは言うまでもないですし(汗
そんな苦労もありましたが、その結果として上手く纏まった方ではないかと思います

さて最後に、今回の話で弾と数馬にフラグが経ちました
フラグに関してましては、次回の更新ですぐわかりますが……現時点でもすぐわかるフラグかなーと思います
そして先に言っておきますが、そのフラグ自体は元々『予定通り』だったと明言しておきます
原作では出番が少ない二人ですが、だからと言って使わない理由はないわけですからね

ではでは

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