IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~   作:龍使い

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大変遅くなりました(汗


第四十五話『基底不合、覆される前提』

更識楯無と真行寺修夜が工学棟の玄関前に到着したとき、そこは異様な光景となっていた。

 

玄関前に横付けされた大型コンテナ付きのトラック。

忙しなく動き回る、紺色のツナギを着た見慣れない作業員たち。

工学棟から運び出される見覚えのある物体。

それを見守る長身の男性。

その男性に掴み掛からんばかりに前に出て、何かを嘆願する更識簪。

簪の後ろでオロオロとする布仏本音。

今にも掴み掛かりそうな簪の前に出て、それを制止する大鉦銀次郎工学棟主任。

男性の近くで何かを問いただしている相沢拓海。

 

見るものが見れば、それは地獄絵図にも思える状況だった。

 

雨打(あめうち)広報部長」

長身の男性に楯無が声をかけ、そちらへと近づいていく。

振り返った男性は、楯無の方を眼光鋭く見据えた。

白髪混じりの短く整った髪、灰色の高級スーツ、紺をベースに錦糸で刺繍の入ったネクタイ、糊の効いた白いカッターシャツ―—。

だが何より印象的なのは、整った顔立ちの眉間に深く刻まれた皺とそこに寄って吊り上がった太く形の良い眉、そして猛禽のように鋭い眼か。

「君は?」

強面に似つかわしい低く太い声が返される。

「生徒会長の更識楯無です。昨年度の二月にこちらにお出でになった際、お姿を拝見させていただてます」

「二月……。なるほど、調整会議でこちらに出向したときに、か」

見知らぬ少女に呼びかけられ怪訝な面持ちだった雨打だったが、楯無の言葉を聞くなりすんなりと得心した様子だった。

「更識会長、この人……」

後ろか楯無を追って着た修夜が、小声で雨打のことを問う。

「雨打高央(たかお)広報部長。表向きは倉持重工の広報部担当だけど、実態は常務取締役にも等しい倉持重工の重役の一人よ」

「倉持重工の、上層部……!?」

唐突な重鎮の登場に、修夜の中で驚愕と同時に苦味走った感覚が押し寄せる。

一方、雨打も修夜の存在に気付き、片眉を僅かに上げた。

「何故ここに男子がいるのかね?」

「彼が、噂の男性操縦者の真行寺修夜君ですよ」

それを聞くと何か合点したらしく、もう一度修夜を観察し始める。

「更識生徒会長の“武勇伝”は、兼ねがね我が社の運営委員代表から聞き及んでいるのでね。てっきり、身内に制服を着せて連れ込んでいるかと疑ってしまったよ」

「嫌ですわ、広報部長ったら。いくら(わたくし)でも、そこまで職権で横暴を働くような“無責任”な真似なんて致しませんわ」

雨打の不躾な皮肉に対し、楯無もわざわざ無責任の一言にアクセントをつけ、にこやかに返事を返す。

横いる修夜には、どつき合いに見えるやり取りであった。

「それより、一体これはどういう状況なんですか。……何で、簪ちゃんが、あなたに泣いて縋っているんです?」

一瞬、修夜は背筋に氷が滑っていく感覚を覚えた。

横を見ると、先ほどのにこやかな顔は消え、冷え切った表情で雨打を見据える楯無の姿があった。

――怒っている。

修夜には、その怒りの表し方に覚えがあった。同時に、こういう怒りの表し方をする人間が、どれだけ怖いかも嫌というほど知っている。

対する雨打も雨打で、楯無の怒気を受けながら眉ひとつ動かさず、じっと楯無を見返す。

そのひりついた雰囲気は場を一気に占め、粛々と運び出しを進めて進めていた作業員も、思わず足を止めて悪寒の発生源に目をやっている。

「見ての通り、打鉄弐式を回収している。本社からの特令だ」

凍りついた雰囲気の中で、雨打は顔色を変えずに回答する。

「打鉄弐式には、先月に回収命令が出されていた『試製打鉄一八型』の機体を基礎に流用されている。それゆえに急加速時にブースターが過剰反応し、制御不能に陥る危険性が確認され、弐式にも同様の不具合が出る危険性が示唆された。よって弐式を速やかに回収すると決定した」

「回収……だと」

「加えてそこにいる大鉦工学棟主任、並びに相沢蒼羽技研技術主任から、武装パーツの欠陥を問いただされた。技研の怠惰かは定かではないが、倉持の看板に泥を塗る手抜きがあったことは事実だ。よって証拠としても押収する」

雨打から告げられたのは、簪を始め弐式改め羽銀(はがね)の改修に携わった面々の意気を、挫くに余りある残酷な事実だった。

だが――

「待てよ」

それを黙っていられないのが修夜である。

「今まで散々ほったらかしにしておいて、欠陥が見つかってメンツが潰れそうになったら『はいそれまで』かよ。今まで体壊しそうになるギリギリまで、必死に足掻いてきた簪の努力を、台無しにしておいて詫びの一言もなしに全部奪うってのか。身勝手にも程があるぞ!」

誰しもが一瞬、修夜に目を奪われた。矢先に――

「お願いします……」

「簪……!」

悲惨な顔をした更識簪が、修夜の啖呵に見入った銀次郎の制止を振りきり、躓いて崩れながらも雨打の足元にしがみ付いた。

「もう少し……もう少しだけ……待ってください。あの機体が……、羽銀がないと、私は……」

うずくまるような姿勢で、涙声ながらに必死に訴える。

雨打の後ろからそれに気付いた作業員が、簪を雨打から引き剥がそうと声を荒げて近づく。しかし雨打はそれを、片手を上げて制止した。

「代表候補生、更識簪……君だったね。君がそこまでしてあの機体にこだわる理由はなんだね?」

直立したまま、雨打は静かに尋ねる。

「……それは……姉さんに……少しでも、少しでも、追いつきたい……から……。私は……!!」

「それだけかね?」

簪が何かを言いかけたところで、雨打が遮る。

「ただ一人でISの構築を全うしたとして、それが“魔女”と怖れられるロシア代表に追いつく何になるのだね」

声を荒げるでもなく、雨打は簪を見つめて問い続ける。

「よしんばそれが完成したとして、許諾証明(ライセンス)はどうするつもりだね」

その一言に、簪はゆっくりと顔を上げて雨打を見た。

「まさか知らないとは言わないだろう。日本IS協会の代表選手規約に明示されている、『代表選手並びに代表候補生の使用IS機体は、契約企業が正式に協会に機体の登録を申請し、“開発及び整備の資格免許を取得した技師の構築した機体”のみ公式戦に使用できる』というこれを、君はどう乗り越える気だったのか、教えてくれるかね」

簪の思考に困惑が満ちていく。

そんな規約があるとは、気にも止めていなかった。

そもそもIS操縦者にスポンサーが付く意味自体、彼女には意識の外の問題でしかなかった。

それが今、妥協に妥協を重ねてどうにか辿り着いた現状に、今更になって付き刺さっている。

「そもそも君は、一つ大きな勘違いをしている」

「え……」

「我々が欲しいものは、君たちIS操縦士のもたらす莫大なデータだ。この先にある未来において、多大な利益をもたらすだろう可能性の鉱脈だ」

そして、雨打は言い放った。

「君の自己満足で出来た機体など、誰も求めなどしない。そんな個人思想の塊など、無益の極みだ」

簪の中で、何かが音を立てて壊れていく。

糸の切れた操り人形のように、簪は雨打にすがる力を失い、近づいて必死に声をかける本音にさえ認識できないまま、ただ涙を流しながら呆然とするしかなくなった。

それを見て雨打も素っ気なくその場を離れる。

「部長、弐式の搬出が完了しました」

作業員の報告を聞き、撤収の指示を出した、そのとき――。

「待てよ、アンタ」

また修夜は雨打を呼び止めた。

「俺への返事が、まだ残ってる」

自分を鋭く睨む少年に、男は真っ向から視線を合わせる。

「企業として、身勝手なのはこの場で詫びさせてもらう。だが如何なる余地があったとしても、本社の意思が関わった以上、憎まれ役として泥を被るのも吝かではない。我々は既に、人情で容易く動けるほど身軽でもない。そうとだけ、返しておこう」

雨打はその言葉を残し、学園を去っていった。

 

――――

 

一同は、簪を気づかいながらあの場を後にして、羽銀を保管していた第八整備室に集まっていた。

一時間ほど前まで、多数のパーツに分割されて在った白銀の翼は、整備用の機材だけを残して跡形もなく消えていた。

「拓海、どうして止めなかった?」

修夜がこの件を請け負った相棒に問う。

「……雨打広報部長とは、今日が初めてじゃないんだ」

蒼羽技研は修夜の所属権を死守すべく、政府とIS関連企業による男性操縦者の処遇を決定する会談に割り込み、エアリオルの試験映像を持ち込んでプレゼンするという、反則同然の暴挙に打って出たことがあった。

この会談で倉持重工の代表の一人に雨打も同席していたのだ。

蒼羽技研の面々が、倉持重工の幹部たちより年若いのもあったが、その中でも場違いなほど若い拓海がプレゼンを主立って展開する様子は、否が応にも雨打の記憶に残ることになった。

倉持重工からすれば既に前科一犯の蒼羽技研が、今度は自社が擁する操縦者の機体に干渉しているとなれば、理由を問いただされて然るものだ。

「でも今回のお前の“趣味”という名目だろ。それを……」

「そこを逆手に取られたよ。個人と企業じゃ、力関係に歴然の差が出てしまう。何より変に裏を読まれて、蒼羽技研や志士桜グループに火の粉がかかれば、間違いなく軽挙妄動の責任を問われて、僕は修夜やみんなのISの調整にしばらく携われなくなる」

「それでも、そんなことで……!」

「そうだ、いつもの僕ならこの程度じゃ退かないさ。だけど、今回は相手が悪すぎた……」

「……そんなに、か?」

「僕の知るかぎり、雨打部長ほどの企業戦士はそういない。自分の考え、自分の理想と哲学、自分の行動と責任と心中出来るタイプだよ。以前の僕のプレゼンで一番厳しく的確に追及し、一番引き際を弁えていたのは彼だ。今日また追及されて、改めて手強さを痛感させられたよ。……言い負かされてぐうの音も出せなかった」

普段から穏やかな表情を崩さない拓海が、このときばかりは苦味走った顔を隠そうとしなかった。

「ライセンスの件、どうするつもりだったんだ。策はあったんだろ?」

「篝火所長が根回しして、倉持技研で設計・改良したものとして取得する算段だった。早ければ明後日にはロールアウトして、最適化処理(フィッティング)と試運転を済ませて本番に臨めたはずさ」

「…何かあったのか」

兄弟同然の親友の声に、修夜は含むものを感じた。

「武装パーツがもぬけの殻だった」

「は……?」

「プラズマ砲の心臓部と言い得るパーツが、ごっそり抜け落ちていたんだよ。よしんば組み上がったとしても、プラズマ砲は代用品が必要だった。それだけならまだしも、一しきりパーツを確認してみた結果、ネジの締め忘れが各パーツに数カ所、関節やシリンダーの調整不備が数カ所、分かりにくい部分で抜け落ちていたよ」

雨打がこの場に現れる直前まで、拓海と銀次郎は不安に駆られてパーツを再点検してみたのだが、それの結果がこれである。

二人で改めて工期を見積もったところ、不眠不休の最短コースでも試合当日の朝という、厳しい現実に直面することになる。

その矢先に、死神は葬列を率いて現れたのだった。

「どうしたものかな。千冬さんに許可を取って、学園の機体を羽銀のレプリカモデルに改修することは、不可能じゃないんだけど……」

思案する拓海の視線の先には、それ以上の難題がうずくまっていた。

「簪さんが、もう根元からへし折れてしまっているのが、ね……」

倉持重工の回収班が去った後から、簪は部屋の隅で膝を抱えたまま項垂れて微動だにしていない。

既に日暮れに近いが、ずっとあの有り様だ。

側では本音が付きっきりで寄り添い、時折声をかけて励ましている。

そして姉である楯無は、それを反対側の隅から不安げに見守っていた。

もともと窓が少なく、電灯が無いと薄暗い整備室でも、今簪がいる一角は闇を帯びたように沈み込んでいた。

いつもの修夜と拓海なら、何かしら声をかけて励ますなり、叱咤して発破をかけるなり、何とかして簪の気力回復を図るところだろう。

しかし、それが“屍に鞭打つ”ことにしかならないと感じるほどに、簪の心は粉々に砕けてしまったように見えた。

溢れるのは、溜め息ばかりだった。

そこに――

 

――こつり、こつり、こつん、こつん

 

廊下から甲高い足音が近づいてきた。

そして――

 

「なぁにこの空気、まるで葬儀会館のロビーか何かかしら」

現れたのは、場違いな変人だった。

比喩もなく文字通り青草色をしたツインテールで、白衣に濃紺のタイトスカートのスーツを身につけた、赤いピンヒールの美女。

「か、篝火……所長……!?」

倉持技研第二研究所所長・篝火ヒカルノであった。

「あらぁ、ずいぶんビックリさせちゃったみたいね」

「いや、ビックリも何も……」

修夜が反射的にツッコミかけたのも当然だろう。

現在、倉持技研は織斑一夏のIS〈白式〉のデータ解析に四苦八苦し、とても他に手が回せないほど多忙を極めているはずなのだ。

なのに、その研究所の最高責任者が、何の予告も無しにフラッとこの場に登場しているのだから、驚くなという方が難しい。

「篝火所長、どうしてここへ?」

「相沢クン……だったわよね。今日の昼頃に、ウチの本社から雨打のオジサマがいらっしゃったでしょ?」

だから来た、ヒカルノは拓海の問いにそう返した。

「来た、ってそれを何故、篝火所長が……」

「だって、呼んだのは私だもの」

一言で、空間が色めき立った。

「……アンタ何を」

言いかけた修夜の声を無視し、ヒカルノが続ける。

「あの機体、色々足りなかったでしょ。パーツとか、ネジとか、シリンダーとか……」

「待ってください、それって……」

今度は拓海が反応する。

しかしそれも気に留めず、ヒカルノは徐々に簪に歩み寄る。

「足りなかったも何も、アレもそもそもあなたの元へ送るときに、軽く弄ったからそうなってたの。まさか気づかなかったなんて、言わないわよね?」

そして部屋の隅でうずくまり、本音に寄り添われる簪の、その二メートルほど前で立ち止まった。

「私、言ったわよね。『困った事があれば連絡してね』って」

簪はうずくまったままだ。

「そのために名刺も連絡先も、そこの布仏さんに渡して、忙しい片手間でちょっと期待して待ってたのよ?」

その発言に本音が目を丸くする。

「私はてっきり、自分でやるって聞いて、『自分の手でISを組み上げて、大事に“育てて”いくんだな』って思ってたの」

だから忙しくとも、連絡が来たなら精一杯のアドバイスを送ろうと、楽しみにして待っていたと。彼女の組み上げるISを、一緒に見て感動を分かち合えるのだと。

ヒカルノはささやかな期待を胸に、忙しい日々に彩りを見つけた気分だった。

だが――

「このザマは、何?」

言い放ったのは、純粋な怒りだった。

「あなた、今まで一体何をしていたの?」

そこに――

「待ってください」

割って入ったのは拓海だった。

「改めて訊きます。篝火所長は、どこまで関わっていたんですか?」

「どこまでって、さっき言った通りよ。本社役員の指示で彼女に譲渡する時に、ネジやシリンダーを弄って、プラズマ砲のパーツを中抜きした。そこまでね」

「なんでそんな……」

「テストよ」

「テスト?」

「この子が本気でISを一人で構築するっていうなら、パーツの不備ぐらいすぐにでも見つけて、私のところにクレームの一つでも寄越すと思ってたのよ」

しかしながら、彼女がそれを今日という日まですることは無かった。

「それでこの前、布仏さんからあなた付きで連絡を受けたとき、『ようやく来たな』と思って、ワクワクしながら連絡を取り始めたけど……」

ヒカルノはそこで言葉を止め、再度簪に目をやる。

「結局、彼女が今の今まで何をやってたかを聞いて、心底腹が立った」

視線にはどこか、剣呑さを帯びているように見えた。

「腹が立ったって……」

「ホントにお人好しよね、主任さんは。でも私、気付いちゃったのよ。その子の“正体”に」

一同にまた動揺が走る。

「その子はね、自分への評価しか頭にない、自分しか見えてない、しょうもないただのお子様よ」

単純、かつこれまでにないほど辛辣な寸評だった。

「違う!」

当然、これに本音が真っ向から噛み付いた。

「かんちゃんは……、かんちゃんはたっちゃんの役に立ちたいから、たっちゃんが本当に自慢できる妹になりたいから、だから……」

それは本音が知る、簪を思って黙っていた簪の本質だった。

しかし――

「他人の親切を煙に巻いて、自分独りで行き詰まって孤高を気取る馬鹿の、どこか姉思いの妹なのよ」

ヒカルノの言葉は、本音の弁護を容赦なく跳ね返す。

「布仏さん、その子の友達なのよね。じゃあ、その子があなたの親切を受け入れたことって、何回あるかしら。その子があなた以外の人の好意を受け入れた回数は。整備室(ここ)だって独り占めしているのに、それを許した責任者からの忠告は守ってた?」

ヒカルノの追求に、本音は言葉を詰まらせる。

「だから、こんなことになるのよ」

ヒカルノは視線を、楯無へと向けた。

「分かっていたんでしょう、こうなるって」

その一言で楯無へと視線が集まる。

「ならないように、いろいろ、やったりはしたんだけど、ね」

楯無の返事は切れぎれで煮え切らない。

「それでこのザマっていうのは、いくら何でも酷いわね。あなたの姉妹愛って、そんなもの?」

「おい、アンタ……!」

昼間、楯無との問答で彼女の一端を垣間見た修夜は、思わずヒカルノの言葉に噛みつく。

ところが当の楯無は、二人をよそにうずくまる簪へと歩み、そのまま一メートル手前で立ち止まる。

「何も出来ないお姉ちゃんでごめんね、簪ちゃん。でも簪ちゃんも、私に手伝ってもらうのは“違う”って思ったんでしょ?」

簪からの返事はない。

「だったら簪ちゃんは簪ちゃんのやりたいように、やったらいい。もうダメって感じるなら、ここで辞めてもいいの。それで誰かが何か言うなら、私が全部言い返してあげる」

物言わぬまま、膝を抱える庭石のような簪に、楯無はただ語り続ける。

「でも私は、“進む”から。それが私の約束……、いいえ私が“背負う”って決めたことだから」

不意に、簪が僅かに動く気配があった。

「だからときどき、簪ちゃんに応えて上げられないかもしれない。それでも忘れないで、私はいつでも簪ちゃんのお姉ちゃんだから」

そう言い終えると、楯無は生徒会に戻るとして、他の面々に礼を述べて整備室を去っていった。

ただヒカルノへ、

「もう少しだけ付き合ってあげて下さい。大丈夫です。私の妹だから、神経だけは図太いはずです」

と、だけは言い残した。

 

――――

 

姉さんは、いつもそう。

 

どんなことがあっても、真っ先に私を守ろうとしてくれていた。

小さい頃、お祖父様の大切な抹茶碗を触って割ってしまったときも。

学校で意地悪な子たちに、お気に入りのザンブレイドのキーホルダーを取られて囃し立てられたときも。

近所の躾けの悪い犬が脱走して、帰り道に追い回されたときも。

私がへそを曲げて納屋に閉じこもったときでも。

いつも私を庇って、どんなに損をしても笑って話しかけてくれた。

それが私には、眩しくて仕方なかった。

 

でも、姉さんは変わった。

家の後を継ぐと決心したあの日から、姉さんと私が一緒にいる時間は目に見えて減っていった。

そして頭首を襲名したときから、ときどき“ぞっ”する瞬間が姉さんに見えるようになった。

ときどき、途方も無いものを見ているような、“私の知らない姉さん”が顔を出すようになった。

 

そしてある日、私は知った。

()()()()()()()

姉さんが何を“背負った”か。

そして心底、自分が嫌になった。

何も考えずに、姉さんに構ってもらえないことを寂しいと感じていただけの自分が――。

だから私は……

 

――――

 

取り残された一同だったが、寸の間の沈黙ののち、根本的なことを忘れていたことに気がつく。

「そういえば、篝火所長は本当は何しに来たんです?」

拓海の言に、再びヒカルノへと注目が集まった。

「――あ、そうそう忘れるところだったわね」

そう言いながら、ヒカルノは手に下げていたアルミケースを開け、何かを取り出した。

「えーっと、金属の……輪っか?」

ナットにしては丸過ぎると悩む銀次郎に、ヒカルノは思わず吹き出してしまった。

「どう見ても指輪でしょう?」

見るとそれは、菱形に整形された水晶が嵌め込まれた、平たく太い「バンド型」の指輪だった。表面には四角い渦巻き――雷紋の飾り彫りが施されている。

「それ……」

真っ先に勘付いたのは、やはり拓海だった。

「さすが主任さん、お目が高いわね」

そういうとヒカルノは、今は羽銀の無いIS整備用のハンガーの操作パネルにある端子に、指輪の入ったアルミケースから伸ばしたケーブルを差し込み、コンソールをいじり始める。

「それでは皆様、今からお見せするのは世紀のイリュージョン。とくとご覧下さいませ~!」

そして――

「登録者擬似認証、起動開始、()()()()

ヒカルノの声と共に、ハンガーに量子転換された物体がその姿を現した。それが――

 

「……は、『()()』!?」

 

誰しもが目を疑った。

巌のようにうずくまっていた簪さえ、体を乗り出し這うような姿勢になっていた。

そこに出現したのは、先刻に倉持重工に接収されたはずの簪の専用機〈羽銀〉だった。

「残念だけど、春雷(プラズマ砲)山嵐(ミサイル)は間に合いそうになかったから、良さそうな高出力ビーム砲と六連装ミサイルランチャー二基で代用してあるわ。「夢現」も最終調整が済んでないから、既製品の一回り小さい「澪標(みおつくし)」で代用したわよ。後は最適化処理と試運転で慣らせば、いつでも試合に出れるわ」

しかも今度のものは、簪の思想と拓海の設計を反映し、簪が搭乗して最終調整を済ませるだけと、ほとんど完成している。

「篝火所長、これいつから造っていたんですか!?」

「いつって相沢主任、そんなの“簪さんが来た日から”に決まってるじゃない」

「……なんですって?」

一同に、再び動揺が走る。

「珍しい話じゃないわよ。機体に“予備”を用意しておくなんて。もっとも接収された方が予備で、こっちがオリジナルなんだけどね」

つまり最初から羽銀は倉持技研で保管され、簪には未調整の予備パーツの山が明け渡されていたのだ。

「はじめから考えれば答えは単純。天下の倉持の研究所があっさり機体を明け渡したり、あまつさえそれをなんの権限もない学生にいじらせてほったらかしなんて、何処をどう考えても変でダメダメな事態じゃない」

「だったら何か、最初から簪はそっちの都合に振り回されてたってことか」

軽口を交えて説明するヒカルノに、修夜がもっともな憤りの意を込めて問いただす。

「『簪さんと一緒に機体を造りたかった』のは本気よ。操縦者とマンツーマンで機体をいじれるなんて、滅多に出来ることじゃないもの」

修夜と拓海の関係に慣れていると見えてこないが、本来のIS操縦者と開発者の関係は、企業や利権団体の代表者を通じて意思疎通する冷めたものだ。

操縦者は企業と開発者の意図した機体に“乗せられ”、その上で自身に合う調整を考え抜き、成績を上げて発言権を勝ち取り、企業と開発者に訴えて納得させ譲歩させることで、初めて操縦者は自身の機体を理想のISへと近づけられるのだ。

「だから私はあの日、ちょっとした意地悪で彼女を試したって訳なの。自分のパートナーになる相手の実力を知りたいって思うのは、間違ってないでしょ?」

気は晴れないものの、正当な理由を出されたことで、修夜も不承不承だがそれ以上は喰い下がろうとしなかった。

「ただこれだけは言わせて」

ヒカルノは簪に向き直ると、状況の整理が追いつかない簪を真っ直ぐに見据える。

「IS、舐めんじゃないわよ」

短く、しかし強い思いの宿る言葉だった。

「たった一機のために、人類全ての叡智が結集される。たった一人のために何百、何千という人間が最良の仕事を望まれる。たった一つの鉄の塊に、億の財源が動いて世界が鳴動する。あなたが乗ろうとしたこの子は、億単位の数値の上に存在する“究極”よ。それに触れたい人間も同じ数だけいる中で、あなたは選ばれて、さらに一国の未来を担う可能性の種に選ばれた」

ちゃらんぽらんな変人そのもののヒカルノから語られる言葉に、誰もが聞き入っていた。

「それを“お姉ちゃんのため”って理由で乗るのには、この際目をつぶるとしても、あなたは私たち技術者に喧嘩を売ったのは確かよ。だってあなたは、ISに必要な“人の数”を見ずに、なりたい“自分っていう理想”だけで、無理矢理にISを飛ばそうとしたんだもの。そんな設計図も引かない、ネジの緩みっぱなしの機械をISだって豪語されたら、私は何をすればいいのかしら」

淀みなく、悪ふざけもなく、真っ直ぐにヒカルノは簪に語る。

「そんなにあの規格外に近づきたいなら――」

ヒカルノは一息吸い込み、

 

「正々堂々、私ら技術者を扱き使えやッ、このスットコドッコイのシスコンバカお嬢様がッッッ!!!!」

 

思いっきり吼えた。

 

「あーっと、篝火所長よぉ……。そもそも簪は、会長が『一人でIS組み上げた』っていう話から――」

静まり返った中で、修夜が根本的な事実を再確認する。

「えぇ、だから言ったのよ」

「え……?」

それがどうしたとヒカルノが返す。

「あの最強会長様でも、ISの全てを網羅して一人で何でもやれる訳ないじゃない。篠ノ之束みたいな脳みそオバケが、そんなにホイホイ誕生してたまるもんですか」

何やら私怨混じりに、ISの生みの親を揶揄する。

どこか憮然とする修夜をよそに、ヒカルノは簪を見つめて話す。

羽銀(その子)はね、あなたが今から“育て上げる”の。あなたが目指す“最高のあなたになるための力”として。あなたが羽銀に教えて叩き込むの、あなたの“全て”を」

ヒカルノの言葉に充てられたのか、簪はまだ混線する思考を整理しながらも、羽銀に視線を向けた。

白銀のメインフレームに黒のサブフレーム、金色のパーツが輝く重厚なシルエット。

武装こそ見た目に釣り合わない小型のものだが、あのばらけたパーツの塊だった状態からすれば、戦うには申し分ない状態だ。

無意識に手が前に出る。

だが最後の壁に気づき、思わず手を引っ込める。

「まだ迷ってるのかしら?」

ヒカルノの声に、簪の手が止まる。

「言ったはずよ。どんなに多才な超人でも、得手不得手はあるし生兵法じゃ怪我をする。出来ないことはいっそ、誰かに頼って解決しても誰も怒らない。そして何より、羽銀(その子)はあなたが育て上げるのだと」

――自分が育てる。

言葉の響きをもう一度噛み締めてみる。

「専用機が量産機と決定的に違うのは、オリジナルのISコアを持つことで“操縦者のために”進化すること。それこそ一からISを“造り出す”ことも同義」

そこまで言うと、ヒカルノは簪の前まで歩み寄り、彼女の前で屈んで視線を合わせた。

「どうする、私があなたのために用意した“真っさらの図面(IS)”だけど。あなたの手で、自分だけの手作り(せんようき)にしてみない?」

言い終えて、簪の前に手を差し出す。

 

そして、簪は――

 

 




更新までの期間は過去最長……もう弁明もやれませんな(汗
というわけで、本日の更新となります
遅れの理由はもう毎度のパターンなので、先述通り弁明できませんです、ハイ(汗

さて、今回の更新をもって、簪の行動によって発生していた問題や、彼女自身がなぜ一人で専用機を完成させようとしていたかなどが出てきました
そして、原作を知っている人からすれば、今回の篝火所長の行動に疑問符をつける人がいるでしょうが、そもそもにおいて、簪の行動は極端な話で言うと『個人の我儘』そのものであり、篝火所長が言ってることは的を射ているんです
実際、原作における初期の簪の行動も、自分一人で作ることを頑なに望んでいたのは事実ですし、その影響で周囲に頼ることをしない印象はありました
無論、その理由が「姉の存在と倉持の勝手な製作放棄が原因」と言えばそれまでですが、そこで止めてしまうのは、停滞しか生みません

そして、うちの作品における篝火所長は、変人としての部分はありますが、同時に拓海以上に技術者でもあります
停滞を望まず、〈羽銀〉という機体を真に簪の専用機にしたかったのは、他でもない彼女自身……だからこそ、本社役員の指示を逆手に取って、簪を試したというわけです
根っからの技術者というのは、得てしてこういう側面を持っているものです
妥協をせず、自分が納得のいくまで試行錯誤を繰り返す……それが専用機の開発ともなれば、二人三脚で完成させたいという気持ちを持つのは、自然なことのはずですからね
まぁ、結果は本編中に書かれてる通り、簪の行動を聞いた彼女が怒る結果となったわけですが……

また、倉持の回収に関してですが、これ自体は現実世界でも起こり得る事実です
そもそも、製品に不具合があって事故が起きたともなれば、その事故原因が他の製品でも起こる可能性は示唆されてしまいます
工場などでなんらかの製品を作ってる人ならお分かりになると思いますが、ひとつの些細なミスが人命を失わせる大事故につながるのが、この界隈の真に怖いところです
自分が今勤めているガスメーターの工場でも、その辺は本気でシビアにならなければなりませんから、製作工程をやってる人たちは気が抜けませんしね

最後に、量産型とオリジナルの違いを出してますが、これ自体は元から相方共々考えてました
専用機は、文字通りに“所有者のために育つIS”であり、その人のためのオンリーワンです
修夜がエアリオルを相棒と呼んでいるのは、まさにこのためです
オリジナルコアは、真の意味で真っ新なもの――白いキャンパスを思い浮かべればわかると思います
そこに自分なりの絵を描き、完成させることが出来る。それが、専用機持ちの強さの一つと考えています
俺の知るいくつかのIS二次では軽く扱われがちな印象ですが、エアリオルを含め、専用機持ちの機体は実質上の相棒――俺と相方にとってはそれだけ重要な『ファクター』でもあると言うことです

因みに、うちの量産機のコアにもオリジナルコア同様の学習能力はありますが、違いを上げるとすれば、万人に扱える既定プログラムが入っていることが、オリジナルコアとの違いです
また、それ故に形態移行をすることが出来ない部分などもありますが、それ自体は後々にある事情から解消されることになります
まぁ、そこに行くまでに後どれだけかかるか、俺も相方も予想付かないんですけどね(汗

さてさて、長くなりましたが、これにて
次回はもう少し早い段階で出したいところです……冗談抜きに、一年後とか勘弁ですしね(汗
ではでは

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