IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~   作:龍使い

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第四十四話『矛盾相思、螺子と膳』

「テストなんて滅んじまえ」

死にかけの顔で教室の机に突っ伏し、織斑一夏が不満げにぼやく。

IS学園がどれだけ特異な環境であろうと、ここが「学校」であることには違いない。

よって、時期が来れば定期考査が待っており、その成績の如何で、その後の学園生活は天国にも地獄にも変わる。

「だから予習・復習はしっかりしておけと、言ったはずだ」

「まぁ、普段から特定の教科を、昼寝に当ててるお前が悪いな」

篠ノ之箒と真行寺修夜に窘められられながら、一夏はぐったりとしたままでいる。

中間考査に突入し、一同は午前いっぱいを各教科の試験と向き合い、午後からは翌日の試験の予習と対策に勤しむことになる。

先ほど地理文化の試験を終えたところだが、一夏はこの手の暗記系が苦手である。一方、意外なことに数学系は公式さえ頭に叩き込んでしまえば、かなりの好成績を記録する。もっとも、公式を覚えるまでに一難ある訳だが。

試験日程は三日のうち、既に二日目を終えようとしている。今日はこのあとの語学を残すのみとなり、それが終わればSHRを経て終業になる。

「大丈夫ですか、一夏さん?」

「大丈夫じゃない、問題だ……」

セシリア・オルコットからの心配の声に対し、一夏は珍妙な返事を返す。

決して一夏も予復習を怠ったわけではない。しかしテスト三日前までろくにテスト範囲の見返しをしていなかったため、突貫工事で頭に詰め込む羽目になった。

結果はご覧の通りである。

「赤点はヤダぁ……放課後が潰れるぅ……」

40点未満は、後日もれなく補習授業が待っている。中間考査の場合は、普段の授業との兼ね合いで、放課後の午後五時ギリギリまで補習授業が組まれることになる。

修夜からのシゴキもキツいが、一夏には一週間ものあいだ、ひたすら勉強漬けにされる方がもっとつらい。

ついでに修夜と千冬から、地獄のダブル説教も待っていそうなのでそれも怖い。

「とにかく、あと一踏ん張りだ。しっかりしろよ」

修夜に叱咤され、呻くような力ない返事を一夏は返した。

 

――――

 

同じ頃、一夏と同じように力なく呻く者が工学棟にいた。

「どーするよ、これ」

「どうしようもない、ですね」

相沢拓海と大鉦銀次郎は、“打鉄弐式”改め「羽銀」の改修作業で思わぬ壁に突き当たってしまった。

 

パーツが足りないのである。

 

それはプラズマキャノンに出力調整機能を付加するために、砲身内部を開いてパーツを調整しようとした時だった。

内部に電極パーツが見当たらなかったのだ。

ふと不安に駆られた二人は、プラズマキャノンを本格的に解体し、パーツの検証に取り掛かった。結果、電極よりももっと重要な「プラズマ加速装置」が、ごっそり抜け落ちていたことが判明したのだ。

プラズマ加速装置は、攻撃として発射するプラズマエネルギーを充填・高圧化するための、いわばプラズマキャノンの心臓部である。

加速装置のないプラズマキャノンなど、ただの金属の筒でしかない。

エネルギー集束炉に比べれば、小さく軽い部品なので重量的な違和感は少なく、まさかごっそり欠けているなど思いもよらなかった。

まして天下の倉持重工傘下の技研である。そんな大それた“手抜き”を、仮にも日本代表候補生の機体に対しておこなうとは、誰も考えはしない。

「どうします?」

「仮に量産機のパーツで代替できても、一発撃ったら故障は確実だね」

「ですよね……」

工学棟に保管してある加速装置では、最新式のプラズマキャノンのエネルギーの充填量は賄えない。よしんば使えたとして、一発撃つまで時間はかかるし、無理をさせると装置が過熱して故障するのが関の山である。

解決の方法は二つ。

プラズマキャノンを代替武装に切り替えるか、倉持技研に欠けたパーツを発注するか。

「主任とこの技研で、パーツ(あつ)えるのは?」

「規格を揃えるにも時間がかかります。それ以上に、この件は僕個人が請け負った仕事です。黙って蒼羽技研の製品を流用したことがバレれば、今度こそ倉持重工と志士桜グループで全面抗争の危険が出てきます……」

最悪の場合、蒼羽技研そのものが志士桜グループから弾き出されることになり兼ねない。

それはまた難儀な、という銀次郎の何気ない一言に、拓海は苦笑いするしかなかった。

「ともかく、一度篝火所長に連絡してみます。そこから考えましょう」

それしかないかと、一つ大きく息を吐いた銀次郎は、立ち上がって伸びをすると、拓海と共に解体したプラズマ砲を一旦組み直し始める。

しかし何故……。

拓海はこの致命的な欠陥に、疑心を抱かずにはいられなかった。

いくら白式の研究に人手を割いているとはいえ、一大企業の仕事にしてはあまりに杜撰(ずざん)で落ち度が過ぎる。

これでは己は無能だと、わざわざ触れ回っているようなものだ。

ましてこのISは、日本代表候補生のための、そして新たな量産機の雛形になる重要な機体のはずである。なのに粗末に扱われるのは、尚更に頂けない。

(倉持重工の内部で、何かあるのだろうか?)

ただでさえ白式の解析に追われ、不安定な状態であろうことは、弐式を簪に未完成のまま引き渡した状況を見れば、ある程度察しはつく。

単にプラズマ砲を未完成のまま引き渡しただけか。それとも倉持重工は、別の意図を以って簪に未完成の機体を引き渡したのか。

湧き上がる疑問を整理しながら、工具を握ってネジとボルトを締めていく。

そうしているうちに、時間は正午に差し掛かろうとしていた。

 

――――

 

やがて終鈴が校内に響き渡り、校内はにわかに騒めきを取り戻し始める。

教室棟と学生棟の間にある【学生サロン】には、早くも人だかりが出来始めていた。

学内食堂と大型の購買部を中核とし、休息用の広間には四十人前後が利用出来る木彫のテーブルセットを併設している。

上下二階で、下層階が食堂専門、上層階がテイクアウト専門である。

さらに屋上テラスが敷設され、晴れた日には中庭を見下ろしながら、弁当やテイクアウトした昼食を広げて優雅なひと時を満喫出来る。

購買部もコンビニ級の品揃えで、ここだけで学生生活に必要な物品はひとしきり揃えられる。おまけに取り扱っていない品物でも、大抵のものは手数料なしで取り寄せてくれるサービスの良さときている。

なお教員以外の職員は、上層階にある専用食堂で昼食を摂る。

そんな学園の憩いの場で、1年Ⅰ組のいつものメンツが珍しくここで昼食を摂っていた。

凰鈴音と交友を再開して以降、すっかり弁当を持ち寄っての昼食会に興じることが多くなり、しばらくここには寄っていなかった。

しかしこの数日は、試験対策のために時間を優先しているので、弁当作りを休んで食堂を利用している。

本日は、修夜は麻婆豆腐定食、一夏は唐揚げ丼、箒は日替わりランチ「鰆の西京焼き御膳」セット、セシリアは今月の限定「白身魚のバターソテーランチ」セット、途中合流したII組の鈴音は「旨辛ラーメン半炒飯セット」、試験期間中は職員控室預かりになっていた紅耀は食堂名物「特性チキンランチバケット」を注文した。

「試験も明日で終わりだ。やっと地獄から解放される……」

甘辛いタレをまとった鶏の唐揚げを味わいながら、一夏は試験の終わりが見えてきた喜びに浸っていた。

「大げさな事でもないだろ。そもそも、今回の試験範囲はまだ簡単な方……」

付け添えの小鉢の(なます)に箸を伸ばしながら、一夏を嗜める箒だが、一夏は「キキタクナイ、キキタクナイ」と、虚ろな目で奇声を発して抵抗している。

「鈴さんのほうはどうでしたか?」

「ま、余裕よ。ヨユー」

最近覚えた箸使いで、綺麗に皿の上の白身魚を食していくセシリアの問いに、相変わらず勢いよく炒飯をレンゲで掻き込む鈴が応じる。

「そういうときに限って、お前は赤点スレスレだよな」

「はぁ?」

レンゲでご飯を掬って麻婆豆腐につけながら食べる修夜が、水を差してくる。

「中学のとき、歴史のテストでヤマ張って、ものの見事に大爆死を遂げたのは、どこの誰だったよ」

「アレはちょっとアテが外れただけよ、ちょっとだけ!」

「平均七十三点のテストで四十二点は、ちょっとなのか?」

怪訝な視線向ける修夜に、すでに怒りの導火線に着火寸前の鈴。だがそこに一夏が割って入り、宥めた事で爆発は回避された。

「……のほほんさん、遅いです」

明らかに運動部向けのボリュームがありそうなチキン南蛮サンドを、黙々と食べ進めていた紅耀が、不意にぽつりと呟く。

見た目は小柄な紅耀だが、摂食量は修夜や一夏並みとなかなかの健啖家である。

「そういえば、ちょっと遅れて来るって言ってたけど……」

一夏が紅耀の呟きに反応し、時計を確認する。

試験終了後、食堂へ移動する段になって、本音は皆から外れて消えてしまった。

既に昼休憩から二十分が過ぎようとしている。

試験期間中は半ドンなので、食堂は十三時三十分をラストオーダーとして、十四時まで開いており、多少遅れても問題はない。

しかし三十分以上の座席の占有は、食堂の回転率を下げることから、マナーとして自粛が推奨されており、長居は出来ない。既に座席を取って十五分が経とうとしていた。

「おっ、来たきた」

不意に一夏が食堂の入口に向かって、手を上げて合図を送った。

見れば、本音がいつものようにのほほんとした風で、注文用インターフェイスの列に並んでいる。

学生証には、学内専用のICチップによる電子精算機能が付随している。学生証を注文用インターフェイスにかざして、メニューを注文すると、厨房にメニューが通達される仕組みだ。

「あら、本音さんと一緒にいらっしゃるのって……」

のほほんと手を振る本音の横には、本音に手を引かれて連れられる更識簪の姿があった。例によって緊張と戸惑いが隠せていない。

「何でいるのよ……」

怪訝な顔をする鈴の言葉に、修夜が釘を刺すように注意し、鈴も他意はないとしかめ面で反論する。

幸い、修夜たちの席は四人掛けのテーブルを二つ並べた、八人掛けが可能な席である。奥の席に詰めていた手荷物を各自の足元に置き直し、急いで二席を確保する。

ついでに修夜の提案で、座席の並びも変更して本音と簪が向かい合えるように変更する。二度目の対面とはいえ、簪はまだ修夜以外のメンツには慣れていないだろうから、という判断だ。

そうして待っていると、何故か厨房の方がにわかにざわつき始めた。

見ると、そこには食堂のおばちゃんに睨まれる簪の姿があった。

 

 

「本当に食べられるんだね?」

少し恰幅のいい五十絡みの女性――、食堂の責任者である礒田美代(いそだ みよ)料理長が、語気を強めて簪を問いただす。

簪の方は礒田料理長の気迫に押されて、少し涙目になりながらも頷いている。

本音は両者のあいだに入って、半べその簪を慰めていた。

「美代さん、何かあったか?」

「あら、真行寺くんじゃないの」

修夜の登場で一転、料理長の声色が明るくなる。

この二人、一夏のクラス代表就任パーティーで共闘して以来、食堂を利用するたびに色々と話すようになっていた。

「ちょっと聞いておくれよ、この子ったら『山越え定食』が食べたいって言って、引き下がってくれないのよ」

「山越え定食……?」

これよと、料理長が差し出したメニュー表を見た修夜。そこには――

 

 チャレンジメニュー! 超メガ盛り! 三十分で食べられたら食堂フリーパス!

 日本アルプス山脈越え定食 ¥1,200

  ※.1 時間切れでも“必ず”完食していただきます。

  ※.2 万が一残してしまった場合は、設定料金の2倍を請求いたします。

 

「うちの食堂のこんなメニュー在ったのか」

「ほとんど裏メニューに近いし、下手に注文できないように、メニュー画面の一番下までスクロールしないと出ないようにしているからね」

修夜はそんなメニューを探り当てた理由を簪に訊ねると、「色々迷ってこれが一番美味しそうだった」と小声で返してきたのだった。

「あの~、ちなみに今まで完食出来た人って、何人いるんですか~?」

いつものゆっくりとした喋り方で、本音が料理長に質問する。

「たしか、三人だったかしらねぇ……。一人は柔道部の子で、二人目は剣道部の子だったわね。どっちも、もう卒業しちゃったわね」

どちらも大柄の力自慢だったらしいが、両者とも苦戦を強いられ、結局は三十分ギリギリだったという。

「じゃあ、最後の一人は?」

「会長よ」

「え?」

「更識楯無さん。あの子があんな大食いだったなんて、ホントにびっくりだったわ」

とんでもない名前が出てきたと、修夜は内心で驚く。

同時に学園最強が、学園一の食いしん坊と言う事実に、楯無の底の無さを妙な形で思い知らされた気がした。

「で、あなたは食べるの食べない……」

「食べます」

料理長が問いを言いきる前に、簪は食い気味に返答した。

そして修夜も料理長も、その態度に少し驚いた。

あれほどオドオドしていた簪が、別人のように凛と立っていたのだ。

 

 

修夜たちが食事をしていたテーブルに、食堂中の客が周囲を取り囲んでいる。

理由は言わずものがな、食堂名物にして幾人もの大食い自慢を挫折させてきた最強のメニューとその挑戦者を一目拝むためだ。

その中心で、テーブルに着席して開始の合図を待つ簪と、それを背中から見守る修夜と本音がいる。

そしてテーブルには、“山越え定食”こと「日本アルプス山脈越え定食」が異様なオーラを放って鎮座していた。

まず目につくのがメインディッシュのミックスフライ丼。大振りのそこの広い丼鉢に、野菜の天ぷらを中心に多数の揚げ物が所狭しと敷き詰められている。下にはなにやら、肉のフライらしきものと千切りキャベツも見える。

その横には小丼ほどの味噌汁椀に、こんもりと具が小高く積まれた野菜の味噌汁。

香の物として、大ぶりで厚めに切ったたくあんが五枚。

膾として卯の花――つまり、おからの和え物が大人の掌ほどの小鉢に、これまた山と盛られている。

(……健康的、かつエグい)

修夜は内心でこのメニューの中身の怖ろしさに勘付いていた。

まず丼自体が殺人的にデカい。並のラーメン丼の五割増しはあろうという器に、その容量の半分以上の白米を敷き詰め、これが見えなくなるほど天ぷらとフライが覆っている。

そして味噌汁も量が多く、何より腹に溜まりやすい大根・人参・レンコンと根菜類のオンパレードに、木綿豆腐の崩した“崩し豆腐”が見えている。

トドメに、胃の中で膨張する卯の花がてんこ盛り。

口直しのたくあんも、分厚く大きいせいで咀嚼回数がかさんでしまう、隙のない布陣だ。

「確認するわよ。制限時間は三十分、一秒でも遅れたら失格。負けても全部平らげて貰うわよ、出来なきゃ千二百円を追加で支払ってもらうからね」

「はい」

語気を強めてルールを説明する料理長に対し、簪はただ膳の上を真剣に見つめながらはっきりと受け答えする。

背後から簪を見る修夜だが、そこにはいつもの頼りなく弱気をぶら下げた簪はなく、勝負に真っ向から挑む意気が感じられた。

その背中に、幼い日に剣道の出稽古で、上手に立ち向かったあの日の一夏が何故か重なった。

「大丈夫か、本当に……」

修夜の声掛けにも振り向かず、ただ小さく頷いて応じる。

「大丈夫だよ、しゅうやん。やる気モードのかんちゃんは無敵なんだから」

「本音?」

見慣れないやる気の簪は姿に未だ落ち着かない修夜に対し、本音は確信を持っている様子で修夜に答えた。

「たっちゃんのことを聞いて、黙ってられないのがかんちゃんなんだもん」

「たっちゃん……。生徒会長が?」

そんなやり取りをしている間に、ついに勝負の時間が始まろうとしていた。

「ではいくわよ、よーい」

騒つく会場が、一転して水を打ったように静まり返る。

「はじめ!!」

その合図とともに簪は箸を手に取り、手を合わせて「いただきます」と小さく言って食事を始めた。

まず手に取ったのは、一番の大物である超大盛りのミックスフライ丼だった。

丼の脇に手を添え、さっくりと揚がった揚げ物に齧りついていく。

そこに大食いによくあるがっつきはない。

むしろとても上品に、しかも口に含んでしっかり咀嚼してから胃の腑に落としている。

だが上品ながら、その摂食速度はなかなかに早い。途中、味噌汁を少しだけ啜りつつ、まったくペースを落とさず次々と揚げ物とご飯が消えていく。

まったく無駄がなく、それでいて――華麗。

気がつけば、丼の中は八割方が消え、一緒にたくあんも一枚を残すだけとなった。

そこから今度は、山盛りの卯の花に箸を伸ばす。

卯の花は豆腐の搾りかすゆえに、大豆特有の水で膨張する繊維質を持っている。その上、見かけ以上にもっさりとした口当たりのため、一度に多くは飲み込めない。

だが今の簪には大した障害にはならず、これも華麗に胃に納めていく。

あっという間に、大人の拳ほどに盛られた卯の花は姿を消してしまった。

そして今度は、大きな野菜の味噌汁に手を伸ばす。

白菜と根菜類を積み上げるように盛った味噌汁。こちらにも抜かりなく木綿豆腐という刺客が潜んでおり、そのまま流し込みには厳しい状況を形成している。

しかし簪は味噌汁を流し込むのではなく、野菜と崩し豆腐を先んじて平らげ汁だけにしてしまった。

そこからまた丼に戻ると、まったくペースを落とさず残った丼を瞬く間に制圧する。

それなのに所作は食事作法に忠実で、飯粒一つ、パン粉の屑一つとしてトレーや机に散ってはいない。

誰もがその高速回転する端正な食事方に釘付けになる。

そうこうしている内に、簪は最後にたくあんを味わい、味噌汁の汁をぐいっと飲み干し……。

 

「ごちそうさまでした……」

 

膳は平らげられた。

 

誰もが呆気にとられる中、ただ簪は凛として静かに箸を置いた。

器には食べかすの一欠片さえ見当たらず、綺麗さっぱりと完食されている。

「……二十分、三十二秒」

ところどころで簪の食事風景に驚きながらも、料理長も手にしたストップウォッチを誤りなく停止させた。

「歴代トップと互角だわ……。しかも食べ方も、作法が行き届いているのもまったく同じ」

平静を保とうとする料理長だが、語る口からは素直な驚きの気持ちが表れている。

「更識楯無の妹ですから。姉に追いつけないようでは、更識の名折れも甚だしいです」

いつになく冷静に答える声には、どこか強い戒めの意が込もっていた。

 

――――

 

昼食を終えて寮への帰り道。

修夜(おれ)は一人、考えながら歩いていた。

 

あの後、簪は美代さんから三十食分のフリーパスを受け取り、それをしばらく見つめていた。……が、すぐに周りで観戦していた女子たちに囲まれて、いつもの弱気で人見知りな簪に戻り、そそくさと食堂を去ってしまった。

ここでも商店街で見せた身のこなしで、人と人との隙間を縫うようように走り去っていった。

その後、残された俺たちは図書館で自習をすることに決まったが、俺だけは「寮にちょっと物を取りに行く」と言って、こうしてみんなから離れている。

実際、明日の予習のために、幾つか教科書や資料集を取りに帰るところではある。

だが本音を言うと、簪の大食いチャレンジでの様子が、どうも頭に引っ掛かって仕方がなかった。なので、少しみんなから離れて思考を巡らせている。

俺の知る更識簪とは、人見知りの臆病者で、こだわりの強い凝り性で、美味しいものに弱い大食いという点ぐらいだ。

それがさっきの簪は、冷静で大胆、勝負に際して怖気付かない芯の強さを感じた。

しかし同時に、フリーパスを受け取った簪の表情に、ただただ曇りがあるのが不思議だった。

あれだけの気概を持って挑んだはずの勝負に勝ったにもかかわらず、簪の顔に晴れがましさは微塵も浮かんでいなかった。

むしろあれは……。

「虚しい……って感じだったな」

熱を上げたはいいものの、冷めてみて後悔しているような……。

「まぁ、感性は人それぞれだもの」

「――にしては、まるで自分のやったことが馬鹿馬鹿しいって感じきてた風にも見えたけどな」

「昔から生真面目な子だったもの」

 

……ん?

 

あまりに自然に紛れ込んできた違和感に、俺は今更ながら気がついた。

そして後ろを振り返ると――

 

「ボン・ジョールノー! お食事会ぶりね、真行寺君」

 

…………。

 

「さ、更識楯無生徒会長!?」

あまりの唐突さに、思わずフルネームで叫んでしまった。

……ってか、いつから付け回してたんだよ!?

あとなんでイタリア語やねん。

「聞いたわよ、簪ちゃんが食堂で例の大食いメニュー制覇しちゃったんですって?」

聞いたわよって、どんだけ耳が早いんだよアンタ……。

「どこで聞いたんです、それ。ほんの数十分前の話題ですよ」

「もちろん、現場にいたうちの生徒会の子からよ」

生徒会が会長の妹の動向探るのに利用されていていいのかよ。

「それってまさか、簪のこと常時付けて回って……」

「まさか、簪ちゃんが可愛いからずっと見守っていたいのは山々だけど、さすがの私も職権乱用するほどお馬鹿さんじゃないわ」

さらっと惚気てますけど、シスコン会長?

「でも珍しいことさせちゃっているわね。簪ちゃんを人の多いところに引っ張りだして、オマケに注目集めさせちゃうなんて」

「余計でしたかね?」

「いいえ。むしろ感謝しているわ」

どこか毒気のある言い方に、そっくり返してみると、帰ってきたのは素直な謝辞だった。

「……というか、そもそも俺が会長の妹とどうして接点を持ったのかとか、気にならないんですか?」

「そこはほら、うちの優秀な執行委員がいる訳だし」

そうだった。

本音は生徒会執行委員で、会長の直接の部下でもあるんだった。

「……って、ことは、まさか」

「あなたに簪ちゃんを任せてみようと考えたのは、この更識楯無と、あなたの人柄をよく知る本音ちゃんの仕業ってこと」

あっさりと認めてしまった。

「……自分の妹なんでしょ、自分でどうにかしたらどうなんですか?」

呆れて溜息混じりに、抗議の意を込めて訴える。

「……そうね。出来たら、よかったんだけど、ね」

ここで初めて、会長の言葉が濁った。

「大体、あれだけの料理が出来るんだったら、会長が簪に夜食なり弁当なり、こっそり届けてやれば良かったんじゃないです?」

ふと思い立って、なんとなくそう質問してみる。

同時に自分の質問で、その中身に改めて疑問が浮かんだ。

あれだけの量目と腕前の料理が出来るなら、簪の健康面のフォローは容易かったはずだ。なのに、簪は特大のカロリーバーと野菜ジュースだけで凌いでいた。

今さらだが、不可解だ。

「そうね、食べてくれれば、良かったんだけど」

また会長の言葉が濁った。

その表情(かお)も、どこか寂しそうに見えた。

「お料理はね、簪ちゃんの入学のお祝いのためにちょっと頑張って覚えたものなの。簪ちゃんの好きなものたくさん並べて、驚かせてあげたかった。でもあの子は、宴の席に来なかった。倉持技研に呼び出されて、専用機の開発が一時凍結するって聞かされて、そのままパーツを引き取るって決めて。結局、そのまま寮に帰ってたわ」

寂しそうな笑顔で語る楯無会長。

誰かのために作った自分の料理が、そのまま蔑ろにされるというのは、決して気分の良い話じゃない。

それが自分が愛して止まない身内なら、余計にショックはデカいだろう。

「そのあとも、お弁当作戦に切り替えてはみたんだけどね。三日くらい頑張ったけど、本音ちゃんが頑張ってカラにしてくれてたのよね」

決して悲しそうではない。だが、ただただ寂しそうな笑顔で楯無会長は語って聞かせた。

「なんで簪は……」

「そこの辺りは、ほら。あなたも簪ちゃんと一緒にいるなら、何度か聞いたんじゃない?」

言われて俺は、本音が最初に簪について語ったときの日を思い出した。

簪は学園最強である姉の「専用機自作伝説」を真に受けて、自分一人で専用機の組み立てに奔走していた。

専用機だけじゃない。本音の言い草からすると、姉に追いつくために出来る努力としては、楯無会長の為したことは一頻り挑戦している様子だった。

「会長、簪と何があったんです?」

今思い返して見ても、やはりあの専用機完成への執着心は常軌を逸している気がする。

「そうね。何もないわ」

はい?

「特に過保護にし過ぎて疎まれたことはないし、厳しく突き放した覚えもないし、ましてあの子を蔑ろにするなんて考えたくもないわ」

言い方も発している声も、澱みや躊躇いが全くない。本心から簪への考えを語っているのだろう。

なら余計に、簪が楯無会長を無闇に意識している理由が見当たらない。怪物級の資質を持つ姉に対抗心を燃やす簪の真意がなんなのか、俺にはまるで見当がつかなかった。

そう悩んでいたときだった。

「ホント、私のことなんかより、もっと楽しく生きても誰も怒らないのに。困った子……」

楯無会長が一瞬、困ったような笑みを浮かべた。

「と・こ・ろ・でぇ~、例の件のこと考えてくれてるぅ?」

そうかと思ったのも束の間、会長は軽いノリに戻った。

「例のって……」

「もちろん~、生徒会(うち)へのぉ、入会(にゅ・う・か・い)☆」

わざわざ色っぽく言う必要なんてあるんすか。……ってか、ちょっと近いですって。なんでいつの間に腕組みに来てんすか、ちょっと当たってますから、当たってるんすよご立派なのがぁ!?

……落ち着け。こういうのは師匠で慣れたろ。

鉄心を以って臨むなら、こんな安い手段は効かん……!

「言ったはずです。今はまだ返事出来ない、と」

「それからもう一週間近く経つんですけどぉ?」

生徒会に無人機事件の謝礼として食事会を催してもらったときに、俺と一夏は会長直々に生徒会に、より正確には生徒会直轄の自衛組織「ガーデンガード」に勧誘されている。

理由は二つ。他の部活や委員会が、今なお俺たちの勧誘を諦めておらず、その競争を収集するため。

もう一つは、学園を運営する御偉方の一部に、無人機事件を受けて俺と一夏を隔離しようとする派閥がいるため、その一派からの保護と牽制のため。

前者はどうでもいいとして、後者は深刻だ。

しかも拓海の調査で、ほぼ事実だと確定している。

会長からの誘いを断るのは簡単だが、もし移転派の御偉方が無理を通してきた場合の対処が、俺や拓海にはないに等しい。

相手は国家権力の枝葉の先だ。どんな突飛な理由で実力行使に移るか、分かったものじゃない。

そうして悩んでいるときだった――

 

――タンタカタンタン、タカタン

 

聞き覚えのないメロディーが響き渡る。

すると楯無会長がカーディガンのポケットから、深い青色の革のケースを取り出し、留め具を外して何やら見つめ始める。

どうやら会長のタブレットフォンの着信音らしい。

画面をタッチし、電話に出る会長。

「もしもし、どうしたの本音ちゃん」

電話は本音からだった。

一夏たちと図書館に向かったはずの本音が、何故……。

そう思った一瞬だった。

 

会長の顔から、余裕の色が消えた。

 

「とりあえず落ち着いて、本音ちゃん。まず虚ちゃんと英先輩にも一方入れて。それから織斑先生と、万一に備えて“轡木(くつわぎ)の小父様”にも」

飄々とした雰囲気から一転、電話口で指示を飛ばす顔付きは千冬さんにも似た涼しさと緊迫感を見せていた。

「私もすぐ向かうわ。それまでちょっと頑張って、お願い。……うん、……真行寺君? 彼なら私と一緒よ。……大丈夫、任せて」

そう言い終えると電話を切ってポケットにタブレットをしまうと、張り詰めた雰囲気を崩さず、楯無会長は俺を見つめてきた。

「ごめんだけど、ちょっと野暮用に付き合ってもらうわ」

その目力に、師匠や千冬さんに似た“無言の力”が込もっていた。

 




半年以上お待たせして、大変申し訳ありません(汗
新話、漸くの更新となりました(汗
毎度の事ながら弁明させていただきますが、俺と相方の双方がそれぞれの事象で執筆に時間かける結果となってしまいました(汗

さて、今回の更新ですが、まぁ色々とネタを仕込んでいます
というか、ISに中間考査を入れてるのはうちぐらいなんですかね? 他の作品見るとほとんど見かけたことないですし
また、羽銀の問題点が浮き彫りになり、修夜たちの知らないところで何かしらの思惑が渦巻いている事態にもなっています

次に、簪の大食いチャレンジ。
簪が大食いなのは前の更新で説明しましたが、それをネタにしようと相方が頑張ってくれました。
その結果、リアルにえぐい大食いメニューとなっていますがね(汗
いや、リアルに想像したらとんでもないメニューですよ、アレは(汗
あと、毎度の事ながら食堂のおばちゃんである礒田美代料理長はうちの作品のオリジナルキャラです

そして、再度登場の楯無ねーさん。
原作だとねーさんと簪の間にある問題が明確でしたが、こちらでは理由はあってもその真意は未だ不透明になってます
これ自体、プロットの段階で相方と論議した結果、現時点では分からないようにしているってだけの話なんですけどね

さて、次回の更新はもう少し早めにと言いたいところですが、お互いにリアル事情はどうしようもないので、年内に簪編完結を理想としつつ、数話更新を目標として頑張っていきたいと思います
それでは

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