すでに昼食の時間は終わりかけなのだが、だからといって食べないということは有り得なかったので、主従はすぐさま食堂へと移動した。しかし食堂に着いてみると、そこはいつもとは違った喧騒に支配されていた。
事情を生徒に聞いてみると、どうやらとある生徒のポケットから落ちた香水をメイドが拾い、そのせいで二股がバレてフラれ、香水を拾ったメイドに八つ当たりしているらしい。
「バカじゃないの……」
どう考えてもソイツが悪い。“貴族らしからぬ貴族を諌めるのも立派なメイジへの一歩”と、騒ぎの中心に向かってみると、金髪のキザな生徒が黒髪のメイドに当たり散らしていた。メイドは青い顔をして頭を下げ続けている。
「ちょっとギーシュ!情けないとは思わないの!」
“やはり”と言うかなんと言うか、当たり散らしていた生徒はそういう噂の絶えないギーシュであった。思わぬ横槍によって難を逃れた黒髪のメイド──シエスタは、ルイズに悪いと思いながらも脱兎のごとき勢いで厨房へと引っ込んだ。
「『ゼロ』のルイズか、僕はただ気の利かないメイドをしつけているだけだ。それに、魔法が使えない君の方が情けないんじゃないのか?」
食堂に大きな笑いが起こり、ルイズは頬を少しひくつかせるが、何とか我慢した。ここで怒ってしまったのなら、自分の使い魔であるプリエまでもが“コイツと同格なのか”と思われてしまうかもしれず、そんなことはそれこそ耐えられないからだ。
「いえいえ、二股がバレた腹いせにメイドに当たり散らす貴殿程ではないですわ。ミスタ・グラモン」
直後、さっきの笑いを大きく超える大爆笑が起こった。『ゼロ』に痛いところを突かれたのがよほど面白かったのだろう。誰ともつかぬ煽りが出ては消えていき、憤怒や羞恥からギーシュの顔はトマトのように真っ赤に染まっていた。
「うっ、うるさいうるさい!」
そして、ルイズをバカにし返すための欠点を探しだしたギーシュは、隣の使い魔を見て顔色を元に戻す。
「はっ!主人が『ゼロ』なら使い魔は『マイナス』か?君の使い魔の恰好、まるで娼婦じゃないか!主人よりも情けないね!」
その言葉にルイズは思わず顔を青くして、口をパクパクさせ声にならぬ声を出した。図星を言い当てられ、追い詰められたのだと勘違いしたギーシュは、更にプリエを罵倒していく。
そしてヒートアップしたギーシュは気づいていなかった。もはや誰も笑っておらず、それどころかほとんどの者が怯えていたことに。
「金さえ払えば誰にでも股を開くんだろ?なんと情けない…そんなに金が欲しいのなら三回回ってワンと鳴いてみなよ!」
「あ、あんた……早く謝りなさいよ……!」
底冷えするような空気の中、やっと我に返ったルイズが慌てて告げる。いくら愚か者でも、人が血祭りにされるところなんて見たくはない。
後ろに控えているはずのプリエから何の威圧感も感じられないことが逆に不気味で、自分は危害を加えられないことは分かり切っているのに、とめどなく恐怖が駆り立てられた。
「そうだろう?ルイズもやっと分かってくれたようだね。メイドが悪いということが」
「バカ言ってんじゃないわよ!ギーシュ、アンタがプリエに謝るのよ!」
「は?何を言っているんだい? まあ、僕に謝らせたいのなら決闘でもして僕を負かせてみることだね」
「つまらない意地張ってないでとっと「へえー」」
ついにプリエが沈黙を破り、口を開く。恐る恐る振り返ったルイズが見た表情は笑顔、それもとびきり優しいもの。しかし、それが尚更ルイズの恐怖を掻き立てた。この笑顔がもしもルイズに向けられていたのなら、思わず漏らしていたところだろう。
だが悪いことに、平和ボケしたギーシュはその笑みに秘められた意味には気づいておらず、“平民の自分を貴族のルイズが庇ってくれたことに嬉しくなっているのか?”などと的外れな考えを抱いていた。
「ギーシュはアタシが決闘で勝てば謝る、と?」
「平民が僕の名前を気安く名前を呼ばないでくれないか? まあ、万が一にも君が僕に勝てたら誰にだって謝ってやるさ」
こんな
「じゃあ、決闘しましょうか」
分かっていないのは
「……正気か?平民が貴族に勝てるはずがないだろう? それに、いくら娼婦とはいえ、僕は女性を傷つけたくはない」
公然と二股をしていた最低男のくせに、未だに紳士の体裁を取り繕っているその姿に、プリエは思わず小さく笑いを漏らしてしまう。案の定、その程度のことでギーシュは眉を吊り上げ、プリエの心の中の嘲りは更に大きくなった。
「へえー、アタシを心配してくれるんだ? それよりも、アンタのオムツの心配をした方がいいんじゃない?」
「なっ!?それはどういう意味だ!」
「そのままの意味よ。それとも、いつでもオムツが必要なくらいオツムの方も発達してないの?」
所詮は悪魔同士の友情よりも薄っぺらいハリボテの紳士。この程度の挑発ですらメッキがボロボロと剥がれ落ち、精一杯の憤怒を瞳に込めてプリエを睨み付け始めた。
「……いいだろう、決闘だ。ヴェストリの広場まで来たまえ…。それと、もう主人が謝ったって許さないよ……」
プリエの服の裾を持ってブルブル震える小さなルイズを見て、流石のギーシュは全くもって的外れな勘違いをしたようだ。元々騒いでいたのは当事者たちだけだったので、荒々しい足音が食堂から遠ざかったとき、打って変わって静けさが支配した。
「……ぎ、ギーシュを殺しちゃうの……?」
プルプルと震えながらオドオドとプリエに尋ねるルイズ。プリエはそれを見て、主人に度を超えた愛くるしさを感じ、嗜虐の思考すらもだんだんと浮かび上がってきてしまう。
「……大丈夫、ちょっとお灸を据えるだけよ」
その悪魔的な思考に身を任せ、思わず狂気を顔に出して肯定しそうになったが我慢する。今更カスを殺すこと自体は特にどうとも思わないが、流石に主人の評価を下げるような行動はマズいだろう。
「それじゃ、案内してくれる?」
「うん……」
ギーシュが無残に殺される姿でも想像してしまったのか、未だに震えているルイズを抱き寄せて撫でるプリエ。胸のところにちょうど顔が埋まり、その光景はどこか淫靡さを漂わせている。
ゴクリ……と、生徒の誰かが生唾を飲んだとき、殺気の篭った目がそちらを向いていた。「何エロい目で見てんの?殺すわよ?」そんな圧力を感じ取った生徒たちは、神速の如き素早さで顔を背け、この場から退散した。
そして生徒のほとんどいなくなった食堂を、プリエたちは悠々と出ていった。
“困ったことになった”そう思いながら、シエスタは広場へと急いでいた。ギーシュに八つ当たりされていたとき、ルイズが自分を助けてくれたのは嬉しかった。しかし決闘までして謝ってもらって欲しかった訳じゃない。プリエの実力の如何を知らないシエスタは、どちらかが傷ついて取り返しのつかないことが起こる前に、自分が謝り倒してギーシュに杖を収めてもらおうと思い描いていた。そうでなくても、これは自分一人が犠牲になれば丸く収まるはずなのだ。
そんな暗い期待を胸に秘めて向かった先の広場では、ギーシュがプリエに追い詰められていた。
―――少しだけ時は遡る
「さて、僕はメイジだからね、魔法を使わせてもらうがいいね?」
「ええ、どうぞお好きなように」
「……その減らず口をすぐに塞いであげるよ」
どちらが減らず口で、そしてどちらの口が塞がれるか。それはもう周りのギャラリーにはもう分かっていて、喧嘩の野次馬のような熱気はない。分かってないのは召喚の儀を終わらせたらすぐに帰ってしまった、ギーシュを含む数人だけ。それもギーシュ本人以外には大方予想がついているというのだから、あまりにも滑稽な話だ。
それでも食堂にいた生徒全員が観客となっているのは、プリエがハルケギニアを滅ぼすかもしれないと思っており、知らないうちに世界が終わっているよりは、全ての最期を見届けたいと思ったからである。
「いでよ!ワルキューレ!」
ギーシュが造花のバラの花弁を一枚地面に落とすと、青銅の鎧がそこから生まれた。プリエは、同じ名前の存在を見たことがあったが、アレの纏う鎧と比べると非常にお粗末と言う他ない。まあ、それでも芸術品としての価値は割とありそうなもので、人間にしては頑張った方だろう。
それはそれとして、プリエは初めて見るゴーレムの創造に少しだけ感嘆した。
「へえー、中々面白そうな魔法じゃない」
「行け!ワルキューレ!そこの平民をたたきのめしてやれ!」
ワルキューレは金属とは思えない俊敏な速さで近づくと、プリエの体に文字通りの鉄拳を次々に叩き込む。しかし、プリエの体は一切傷ついておらず、それどころか逆にワルキューレの拳が少しひしゃげていた。
「何!?」
「それがアンタの全力? 笑わせるわね、マッサージにもならないじゃない」
「ぐっ……!クソッ!」
ギーシュの予想では、避けられるように放ったワルキューレの鉄拳にプリエが怯え、土下座で謝罪して反省したのなら許してやるはずだった。しかし予想とは異なり、避けないどころかダメージすらも受けている様子のないプリエに焦り、自分の操れる最大数のワルキューレを作り出してしまう。
もう少しギーシュの頭が良いか、もう少しギーシュが冷静であったならば、この時点で降参していたことだろう。いくらドットクラスのメイジとはいえ、ゴーレムの攻撃を受けて傷一つ付かない存在になど、逆立ちしたって勝てるはずがないことは分かり切っているからだ。
だからこそ、この時点でギーシュ以外の生徒全てはプリエの実力の断片を正しく評価でき、妖艶な女性への加虐を楽しもうとしていた生徒も、そんなことは一切思えなくなってしまい、今更ガタガタと怯え始める。
全く意味もなく数を増やしたワルキューレが、今度はプリエに剣や斧すらも使って攻撃する。常人なら即死するのだろうが、先ほどの攻撃からこれくらいはしないとダメージが入らないと思ったのだろう。
だが、やはり立ち尽くしているだけのプリエには通じず、その煽情的な衣服すらも全く傷つかないことも相まって、ギーシュの精神力は急速に削られていった。
「ねえ、手品って知ってる?」
「!?」
愚かにもようやくプリエの危険度を認識し始め、焦りと魔法で消耗していたギーシュは、急にプリエに話し掛けられたために驚いて、全てのワルキューレを防御の為に近くへと呼び戻してしまう。
「……知っているさ。魔法を使わずに、魔法を使っているように見せかけるものだろう?」
この世界にも手品があることを知って、プリエは少しだけ安心する。今からしようとしていることを手品という単語抜きで説明したら締まらないからだ。
「そう、それ。今から一つ、アンタに手品を見せてあげようと思ってね」
「? それはどうい──」
ギーシュの言葉の途中で、なんの前触れもなくワルキューレが全て消え失せてしまった。いくらあの魔力を見たといっても、これには野次馬も度肝を抜かれたようで、ひそひそとした内緒話が、ざわめきへと変わっていた。
「ば、バカな!?いったい何が!?」
当然、何も知らずにいたギーシュが受ける衝撃はひたすらに大きく、彼は恐怖すらも感じ始めていた。そして、ソレに答えられるのは、彼の目の前のプリエのみ。
「ほら、これが簡単な手品よ」
プリエは何かを宙に放り、ギーシュはびくりと大げさに体を震わす。ドスンと、その小さな体積からは信じられないほどの大きな音を立てて、プリエの手から投げられた何かが地面に減り込んだ。
「手品……? …………ま、まさか……!?」
先程の塊を恐る恐る確認すると、それはワルキューレの成れの果ての青銅の塊だった。7体のワルキューレが、半径3セント程の球に無理矢理圧縮されていたのだ。
こんなことはスクウェアメイジだってできるはずがない、それをプリエはただ圧倒的な力と圧倒的なスピードでやってのけたわけだ。人の理解を超えた現象はギーシュの恐怖を煽り立てるには十分すぎた。
「う、うわぁぁあああ!!?」
ギーシュは情けない声を出して、尻餅を着いてしまう。そこにプリエの殺気の追い打ちが来た。ギーシュはもう声を出すことも、息をすることさえも赦されない。彼は股の部分が温かくなるのを感じたが、体裁を気にできる状態ではなかった。
「もう終わり?」
誰がどう見てもギーシュの負けであり、分かっているくせにプリエは言う。“手品という言葉があるのなら、この世界でも手品師はいて、商売になっているのだろうか”と、取りとめもないことを考えながら、彼女は一歩一歩ゆっくりとギーシュに近づいていく。彼女にとって気に入らない者の命などは、その程度に興味にすら劣るようだ。
しかし、死神の鎌がギーシュの首にかかっているところがハッキリと分かるような距離にプリエがたどり着いたとき、金髪で気の強そうな女生徒がプリエとギーシュの間に立ち塞がった。
「……何のつもりよ?」
プリエはその生徒にも容赦なく殺気を当てる。ギーシュに向けたものより幾分か弱い殺気だが、それでも人を怯ませるにはお釣りがくるものだ。しかし、少女は果敢にもプリエに向かって言い放った。
「お、お願いします……!ギーシュを許してあげてください……!」
「モンモランシー!逃げろ!」ギーシュがただボロボロにされているだけなら、ギーシュは迷わずそう叫んでいただろう。ギーシュは気障ったらしいだけではなく男気もあり、だからこそ二股も成功していたようだ。
「なんで?アンタはコイツの友達なの?」
思わず「う……」といううめき声が漏れ、モンモランシーは俯きそうになる。しかし、ここで折れてしまえば、プリエにはもう二度と立ち向かえない。全力で警鐘を鳴らしている自身の生存本能をなんとか無視し、モンモランシーは震える口で言葉を紡いだ。
「恋人、でした……」
「ふーん。でも、コイツはアンタともう一人に二股かけてたんでしょ?挙句、こんな情けない姿を晒したコイツを、それでも助けたいの?」
「…………確かに、彼はどうしようもなく情けないし、ヘタレです……。でも、それでも……!体が動いていたんです……!」
しばらくの間、重苦しい沈黙が流れ、プリエは告げた。
「許さないわよ」
「そ、そんな……!」
モンモランシーと野次馬、そしてギーシュの頭に絶望が去来する。各々が思いつく限りの絶望の形を考えていると、その絶望が熟成した頃合いを見計らったかのようにプリエが再び口を開いた。
「だって、そのヘタレが謝ったんじゃないもの」
「え……?」
思わず間の抜けた声を上げてしまうモンモランシー。それは野次馬も同じだろう。いつの間にか殺気は消え失せ、プリエはいつもの勝気な雰囲気に戻っていた。
「そのヘタレがアンタやもう一人、そしてシエスタとルイズ、迷惑をかけたみんなに謝って許してもらえたならアタシも許してあげるわ」
プリエはそれを告げると、呆然とするモンモランシーを背にルイズのもとへと歩き出す。ルイズは嬉しそうに微笑みを浮かべていて、自身と交わした約束を信じていてくれたようだ。
最初は再起不能にでもしてやろうと考えていたようだが、伝説の魔王に立ち向かった少女の勇気とルイズとの約束から、このような温情のある処置に変更したようだ。
「……あ、ありがとう!」
モンモランシーが頭を深く下げると、プリエは振り返らず、ひらひらと手を振っていた。
瞬間、野次馬から大歓声が上がる。それは圧倒的な強さ、圧倒的な漢気に対しての賞賛だった。ただ、もちろんギャップ効果も極めて大きいが。
「なにアレ……すっごい……」
遠巻きに決闘を見物していたキュルケは、戦闘中のプリエの美しさと、その後の対応にやられていた。冷酷で、それでいてゾッとする程美しい顔。そして、ソレに相反するような温かい制裁。
それを見てしまったら、たとえ相手が女性であろうと、もう『微熱』ではいられない。その赤い髪のように燃え上がる『情熱』を込めた瞳で、キュルケはプリエを見つめていた。
そして、キュルケの隣にも熱い視線を送っている者がいた。ショートカットの青髪の子の名はタバサ、キュルケの親友であり、寡黙な少女だ。
勧善懲悪の無敵のヒーロー、プリエは自分が憧れていた勇者そのものだった。召喚の儀のときから警戒していたが、これを見たらそんな猜疑心など一瞬で吹き飛んでしまった。
“彼女ならばもしかして……”そんな期待を胸に秘め、タバサもプリエを見つめていた。
……しかし、勇者像に悪魔の王が一致するとはなんとも皮肉なものではあるが。
「なっ?大丈夫だったじゃろ?」
「はい、彼女を危険な存在だと思っていた私がバカみたいです」
場所は変わってここは学院長室。学友が、そしてともすれば自分も無残にも殺されてしまうのではないかと危惧した生徒がひそかに教師に通達していたのだが、その最終的な判断はここで止まっていて、結果として傍観するという処置になっていた。
もちろん、何かが起こったときのために遠見の魔法で決闘を見守ってはいて、悲劇が起こらないように学院の秘宝『眠りの鐘』も準備していた。
しかし、安心から思わず口をついて出てしまったが、“本当に何か起こってしまっていたのなら止める手段はない”と、ネガティブな考えがなかった訳でもない。つまりそれは、彼女を心のどこかで疑っていたということなのだ。
「危険な存在であることは確かじゃろうが、別に敵意はないようじゃしの」
そんな自分と相手を嗜めるためにも、言葉柔らかに学院長オールド・オスマンは言う。自分が下した決断に対し、自分が疑っているようでは、他の者に示しがつくはずもないのだ。
「ええ、確かにそれならば下手に刺激はしない方がいいですね」
そして、通達を受けて学院長に報告し、秘宝の準備をした教師、コルベールが頷く。あれほどの力を持つプリエが召喚の儀が終わってから今まで何も問題を起こしていないことを奇跡のように思っていたが、ここに来てやっと納得したようだ。
「しかし、あの恰好は流石に破廉恥では?」
柔らかい女性の声で、別の切り口から疑問が投げかけられる。その声にふさわしい美貌を持つ彼女は、オスマンの秘書のロングビル。
以上の三人が、ここで決闘を見守っていたようだ。
「バカモン!あの恰好は男性に夢を与え、活力を与えてくれる素晴らしいものじゃぞ!」
ロングビルはおそらく本気の剣幕であるオスマンに対し、内心ではかなり軽蔑しつつも表情は苦笑い程度で済ます。学院長として、そこはたとえ建前でも“下手につついて猛獣を起こさない方がいい”くらいは言って欲しいものだ。
「(このエロジジイが……!) ……ですが女生徒はどうするのですか?」
こういう相手には感情で物事を言っても無駄であるため、論理的に弱いところを突いて、この不埒な爺を黙らせようとする。
「皆と違うからいけないのじゃろう?ならばいっそのこと、アレを制服にしてみるのはどうじゃ?」
「(正気かこのエロジジイ!?) そ、そんな事をしたら確実に暴動が起きますよ!」
普段は冷静なロングビルも、この返しには流石に驚かされた。全く尊敬できないどころか、頭のネジの緩みっぷりに軽蔑すらしたが。
「ならば多数決で決めるのはどうじゃ?それならば皆も文句はあるまい。どうじゃミス・ロングビル、君も着てみては?」
「ふざけんのも大概にしろよこのエロジジイが!! (そういう問題ではありません!)」
「あの、ミス・ロングビル?憶測ですが、本音と建前が逆ですぞ?」
ついに怒りが限界を突破して本音が出てしまったが、ハッと我に返ったときにはもう遅い。そこには、かなり心配しつつ若干引き気味のコルベールと、意識の隙を突いて尻を触っているオスマン。ロングビルは片手で顔を覆うと、大きくため息をついた。
「……失礼。どうやら疲れているようなので、少し休んできます」
オスマンの腰をハイヒールで思いっきり踏ん付けた後、ロングビルは幽鬼のようにフラフラと学院長室を後にする。コルベールは、“このセクハラジジイのせいで大変なんだろうな”と、一人結論を出していた。
「……にしても、あの衣装は本当にいいと思わんかね?」
去り際のロングビルに痛めつけられたというのに、懲りずにしゃべり出すオスマンにコルベールは呆れ果てる。同意もせず相槌すらも打たず、コルベールはエロボケ老人の戯言を聞き流しながら、窓の外の景色を見つめていた。
「少し動いただけでもういろいろと見えそうじゃし、激しく動いたらもう!むほほぉー!
この良さ、分かるじゃろう?」
それでも気を悪くした様子もなくしゃべり続けるオスマン。ロングビルが未だにこの場にいたら、男の勲章辺りを蹴りつぶされても仕方のない言動である。
「彼女の主人のミス・ヴァリエールなんかが着た日には、それはもうポロポロポロポロと色んなところが見えてしまうのじゃろうな」
こんな色狂いの言葉など聞かず、さっさと学院長室を後にしてもいい気がするが、まじめなコルベールはオスマンの“下がってもいい”という一言を待っているのだ。
「あーでも……ミス・ヴァリエールには悪いが、正直需要がな──ぐえッ!?」
突如、後頭部に大きな衝撃を受けオスマンは気絶する。コルベールはオスマンの断末魔に驚いて振り向き、何が起こったか疑問に思ったが、こんな変態に頭を悩ますことなどバカらしく、すぐに考えるのをやめて、気絶を都合よく解釈して学院長室から出て行った。
「ど、どうしたの?プリエ?」
「ちょっと
「そう?」
まだ興奮も冷めない広場からうまく退散し、プリエたちは女子寮の一角にいた。プリエがいきなり空中を殴ったのでルイズは疑問に思ったのだが、プリエの言葉から“蚊でもいたのだろう”と納得する。
しかし、そんなことはルイズにとって些細なことだ。彼女はすぐに改まって本題を切りだした。
「……ありがとうプリエ、私の言うことを聞いてくれて」
「当たり前よ。アタシはルイズの使い魔なんだし」
「……うん」
“使い魔だから当たり前”その言葉がルイズにはとても嬉しく、どんどんと温かいものが心の中に溢れてくる。ルイズは、もう完全にプリエを信頼しきっているようだ。しかし一方のプリエは、この可愛らしいご主人の表情を曇らせたくなる悪魔的本能を押さえつけることに必死だったようだが。
「あっ!やっと、見つけました」
声がした方に主従が振り向くと、そこにいたのはシエスタだ。少し息があがっているので、主従を探して結構走り回ったのだろう。
「プリエさん、ミス・ヴァリエール、ありがとうございます!」
深々と頭を下げるシエスタ。それは最敬礼の角度がどうとかそういうものではなく、シエスタ個人としての心からの感謝の気持ちの証明だった。“痴女がどうだ”ということなどはもうシエスタの頭の中にはなく、ただただ尊敬できる存在へと昇華したようだ。
「ミス・ヴァリエールとプリエさんが私を庇ってくれたとき、本当に嬉しかったです!」
そんな真正面からの純粋な謝辞を受け、単純に感謝され慣れていないルイズと、悪魔からの歪んだ謝辞ばかり受けていたプリエはくすぐったく感じ、主従は視線や手を所在なさげにさまよわせていた。
「き、貴族ってのは平民を守るものよ!アレは義務なんだから!勘違いしないでよね!」
「……まあ、そうね。だから、別に構わないわ」
プリエが過去の自分にルイズを重ねるのも納得できるほど、似たもの同士の主従。そんなコンビにシエスタは微笑ましくなってクスクスと笑んでいたが、何かを思い出したように突然目を輝かせるとプリエに詰め寄った。
「あ、あの、プリエさん!決闘のときのプリエさん、本当に本当にかっこよかったです!」
「そ、そう?ありがと……」
あの人懐っこそうでおとなしいメイドとは考えられないほどの剣幕に、プリエですらたじたじになり、若干引き気味にお礼を受けとる。
「このお礼は必ずしますから!楽しみにしててくださいね!」
いつの間にか手まで握ってきているシエスタ、仕事の熱意がそのままプリエに注がれているような感じだ。闘気による剣幕でプリエを怯ませることは不可能に近く、だからこそ彼女はイヤな予感がしていた。
「う、うん……」
「では、仕事がありますので……。名残惜しいですがそろそろ……」
「まあ……仕事、頑張って……」
「はい!」
かなり引き気味だったとはいえ、プリエに発破をかけてもらったのがよほど嬉しかったのか、スキップ気味にシエスタは戻っていく。あの調子では、シエスタがあることないこと(むろん、全てが良い噂であるだろうが)言いふらし、“使用人の間で英雄扱いでもされるんだろうなぁ……”と、プリエは遠い目をしていた。
「なに、アレ……?」
シエスタの妙な迫力で押し黙っていたルイズが、しばらくしてから口を開く。その瞳には困惑が色濃く表れていた。今まで見てきたメイドたちの態度どころか、キュルケに告白するような男ですらあれほどの情熱は持っていなかったのだ、当然だろう。
「うん、まあ、たぶんだけど……惚れられたかも……」
「…………は?」
プリエには分かる。分かりたくなくても経験で分かってしまう。戦いに明け暮れていた日々だったが、決して好意を受けなかった訳ではない。バカみたいに求婚してくる者、肉体関係を求めてくる者、清いお付き合いとかほざいていた者…例外として、自分に惚れたと勘違いするバカもいた。
悪魔とは思えない素っ頓狂な行動は、プリエの心を癒すことに貢献はしたのだが、それでも困るものは困る。これが男性だとしても困っていたのだが、更にプリエを悩ませたのはそのほとんどが女性だったという事実だ。
自分に好意を抱く者を無下にはできず(流石に最後のバカはぶん殴ったが、何故か生きていた)話を流しているうちに、いつの間にか自分に向けられる好意が恋愛のソレか分かるようになっていたようだ。
「……え?だって?え?その……女の子同士じゃ……」
「……アタシもできるなら信じたくないわよ……。でも、そういうのもあるの……」
「ええ、その通りね」
声がした方にはキュルケとタバサ、どちらも熱い視線をプリエへと向けている。“またか……”と、プリエは心の中で大きなため息をついた。
「……なんとなく分かったけど、最初に言っとくわ。アタシにその趣味はないから」
「つれないことを仰らないで。あたしたちの情熱で、一緒に体を焦がしあいましょう……」
“知らねーよ自分だけ炭にでもなってろよこのタコ”とは思うが、一応口には出さない。別に色ボケを罵倒で拒絶してもいい気がするが、まだ地が固まっていない状態でソレを口に出すのは、主人の評価を下げる可能性があるとして我慢した。
「ちょ!?キュルケ!なに人の使い魔に色目使ってくれてるのよ!そ、それに、プリエは女性なのよ!?」
「ええ、あたし自身驚いてるわ。でも、あの冷たい瞳…それに反する熱い心……。……もう、あたしの情熱は燃え上がってしまったのよ!」
「見境なしね!この色情魔!!」
色情魔と聞き、プリエは本物の色情
「それに、彼女の情熱はあたしだけじゃなく、タバサの心も溶かしたみたいよ?」
「違う」
タバサは淡々と否定する。これは気恥ずかしさからの行動のようなかわいらしいものではなく、単純に間違っていることを指摘しただけだ。確かにプリエに心惹かれたのは事実だが、キュルケが持つ感情とは違うのだ。
「やっぱりアンタだけじゃないの!この変態!」
「う!」
「まあ、使い魔さんと違って発育の悪いルイズに理解できるとは思ってないわよ」
「…………」
二人の口論は徐々にヒートアップしていくが、二人は気づかない。目の前の仇敵よりも、無関係な隣の人物が自分の言葉で傷ついていくことに。
「ド変態はド変態らしく──あれ?」
「そうよね……。どーせアタシは夜魔30体と乱交しそうになったド変態よ……」
しれっとすごいことを口走りながら、プリエは陰のある半笑いを浮かべて地面を見つめている。その内容よりも、プリエが落ち込んでいるという事態に慌てたルイズは、目をグルグル回しながらなんとかプリエを励まそうと躍起になる。
「あわわわわ……ち、違うのよ?私は決してあなたのことを言っていたんじゃないわ、キュルケのことを言ってたのよ? あなたの服は……その…………とっても個性的だと思うわ!うん!」
「……夜魔の女王と間違えられるんだから、そりゃ個性的よね……」
「ち、違うの!そういう意味で言ったんじゃ……」
完全に失敗だ。今のプリエには何を言っても逆効果だろう。そんなルイズを、キュルケは高々に笑い飛ばす。
「アハハハハハ!やっぱりオツムも胸もゼロのルイズじゃ微細な女ごこ──ん?」
「大丈夫……まだ……希望はある。だって……そこの使い魔は……」
そして、ルイズだけを示していると思っていた自分の罵倒が、すぐ隣の親友にまで突き刺さっていたことを、今頃になって気づいてしまった。
「あっ……。……そ、そうよ!大丈夫大丈夫!タバサならすぐにボインボインよ!」
「……そう……?」
「ええ!そんなすぐに大人の魅力なんて出てこないの!タバサはタバサのペースで成長するから安心して!」
「……それなら」
「魔王ならまだしも……17でド変態って……」
キュルケの口車に乗せられタバサが立ち直りかけていたとき、プリエが何気なく言った一言がタバサに深く突き刺さった。彼女の親友であるキュルケは18、確かに三年もあればまだまだ望みはあると言ってもいいだろう。
しかし、彼女の憧れである使い魔は17だといった。そして彼女の主人であるルイズは16だ。ルイズがあと一年でああも母性に満ち溢れた豊満な肉体に成長できるだろうか?どう考えても不可能だろう。
そんなルイズと自分の姿が、タバサの中で思わず重なってしまったのだ。
「じゅう……なな……?」
隣では未だ必死にキュルケがタバサを慰めているのだが、その言葉はもう耳にすら入ってこない。ペタペタと自分の胸を確認するように触り、プリエの胸を見つめる。数回それを繰り返すと、タバサは気絶してしまった。
「タバサ!? くっ……今日はここまでにしてあげるわ!」
「へ? そ、それはこっちのセリフよ!」
こうして、ハルケギニア最大の決戦は終わった。これまで誰も傷つけること叶わなかった伝説の魔王に、これほどまでに深い傷をつけたのだ、誰が何と言おうが最大の決戦だ。
そして、この戦いでの教訓は“親しい者の何気ない一言が人を深く傷つける”ということだろう。
余談だが、ギーシュは4人に土下座で謝った後何かが吹っ切れたのか、突如“ハーレムを作る”などと意味の分からないことをほざき出し、好みの女の子を口説こうとしてはモンモランシーや元浮気相手―――ケティに張り手をかまされるようになったとか。
あとプリエの予想通り、厨房ではシエスタが語るプリエの勇姿に使用人たちが感動し、勝手に英雄にされていたり、生徒の間でひそかにファンクラブが結成されていたり、プリエの服のスケッチを持ったオスマンが呉服店に駆け込んだりしていたが、本人はそんなことは露も知らずにうなされていた。