伝説の使い魔   作:GAYMAX

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第三話 覚醒

 気分上々で町に繰り出したあの日…あの日から、私の全てが変わった。あんなにも楽しかった授業が退屈で仕方がなくなり、灰色が私の心を塗り潰した。自室に引きこもりがちになり、私の中で色を持っているものは、シエスタと、キュルケと……あの存在だけ。未だにあの存在に憧れる理由は分からない。恐怖は大分薄れてきたのだが…それは時間の関係なのだろう。

 恐怖といえば、あの日の翌日にミス・ロングビルが外壁の近くの森で倒れているのが見つかったそうだ。昼過ぎに目を覚ました彼女は、何かにひどく怯えていたらしい。近くの地面がまるで大量の火石でも爆発したかのようにえぐれていたらしく、大胆にも学院に侵入した賊の仕業だろうという結論が出た。賊は現場の挑発的な犯行文から、凄腕の怪盗、土くれのフーケと断定。しかし、土くれのフーケの被害はその日からピタリと止んだらしい。もちろん盗品は未だに見つかっていない。ミス・ロングビルは事件から錯乱状態にあり、保護目的で拘束されているらしい。

 と、ここまでが私が聞いた話だが、当然ミス・ロングビルに興味などないので世間話以上の情報もない。それに、たとえ興味があったとしても、今私の頭はとある任務のことでいっぱいで情報を集める気にはならなかっただろう。

 

 

 

 

 久しぶりに外に出ると、全身に浴びる太陽の光が煩わしい。私の心は曇り空だと言うのに、現実の太陽は燦々(さんさん)と世界を照らしているのが気に食わない。黒く塗り潰してやりたい。

 

「ミス・ヴァリエール?空を見上げて顔をしかめていては、せっかくの美しいお顔が台なしですよ?」

 

 それに呼応するかのように私の中の黒、シエスタが応えてくれた。シエスタは私に安心を与えてくれる。彼女の前では純粋なままでいることができ、見る見る内に私の顔の険が取れていった。

 

「そう?まあ、シエスタがそう言うなら愚痴るのはやめにするわ」

「ふふ、やっぱり貴方は笑顔の方がお綺麗です」

 

 私が笑顔を向けるのは、今はもうシエスタだけだ。キュルケも私のことを心配してくれているのは分かるのだが、何故か私の心には響かない。ただ、無下にはできないので、生徒の中では彼女とだけ交友関係が続いている。

 

「それにしても、同行者とやらはいつまで待たせる気かしら?」

「まだ待ちはじめたばかりじゃないですか。気長に待ちましょう」

「甘いわねシエスタ、男は一分一秒でも女を待たせちゃいけないのよ。紳士だったら尚更ね」

「なるほど、そういうものなんですか」

 

 まあ、シエスタと一緒ならば、この(わずら)わしい太陽の下で待つことも悪くはない……そう思った矢先に、つむじ風と共に何者かが近くに降り立った。小さく舌を打ち、目線だけを動かしその姿を確認する。……どこかで見たような顔が気になって、体ごと視線を向けた。

 

「久しぶりだね、僕のルイズ」

「……ワルド?」

 

 幼き日々に憧れた人、親同士が酒の席とはいえ決めてしまった私の婚約者。私は驚いた……自分の心が全く揺れ動かなかったことに。幼き頃の憧れなど所詮その程度のものだったのだろうか……まあ、流石に嫌悪感は沸かなかったが。

 

「それで、同行者は貴方だけかしら?」

「え?あ、ああ……」

 

 どうやら、ワルドはひどく困惑しているようだ。自分で言うのもなんだが、あれだけ懐いていたのだ、大きく手を広げれば駆け寄ってくるだろうと思ってしまうのも無理はない。

 そして、意外とワルドは私に依存していたのか、出発前にしきりに私を自分のグリフォンの背に乗せようとしてきた。あまりにもうるさいので「シエスタも乗せるなら」という妥協案を出したのだが、三人以上は流石に無理だと言われ却下された。つまり私が乗ることもなくなった訳だ。結局、私とシエスタが馬車に乗り、ワルドはグリフォンで私たちを先導する形となった。

 

 そんなグリフォン隊の隊長だけを引き連れて、私たちが為さなければならない任務とは、アルビオンの王子への密書の受け渡しだ。アンリエッタ姫から直接()()()されたのだが、最初はあまり乗り気にはならなかった。確かにアンリエッタから変わらぬ友情は感じたのだが……姫が大仰に流した涙がどうも胡散臭く、こちらには義理立てしてやるほどの友情が一欠けらも残っていなかったからだ。

 しかし、その最たる理由は内乱で劣勢の王族派内部、そんな危険なところにシエスタを連れていく訳にはいかないこと。かと言ってシエスタと離れるなど考えられない。だから、最初は断ろうと思っていた……でも、何故かその一言が言えなかった。その理由は今考えても分からない。あのときはよく分からない気持ちとシエスタへの気持ちに板挟みにされて、ただ呆然と立ち尽くして……気づけば、シエスタにしっかりと手を握られていた。決して強い力ではなかったが、私には二度と離れないほど力強いものに感じられた。

 シエスタの覚悟を受け取った私は、任務を受けることを決めた。シエスタだけは絶対に傷つけないという誓いを胸に立てて。

 

 

 

 

 特に問題もなく順調に行路を消費し、おそらく町に着くまでの最後の難関であろう谷間に私たちは差し掛かっていた。日も落ちているこの状況で、上から夜盗などに襲われたらひとたまりもない。一応、そうなったときの策はあるのだが、念には念を入れておきたいので、できるだけ谷間の外で戦いたい。もちろん、夜盗の類などがいないことが最も望ましい訳だが。

 ワルドは「すぐ後ろについて来てくれ」と言っていたが私は断った。飛行能力の有無で機動力が違いすぎるし、何よりもワルドが一度上空から安全を確認した上で通った方がいいに決まっているからだ。しかし、ワルドは“急いでいるから”という理由だけで露払い案を否定し、強引に歩を進めてしまった。こんなおめでたい頭でよくグリフォン隊の隊長になれたものだ。姫といいワルドといい……こいつらは平和ボケして頭が腐り切ってるのではないだろうか。

 

 正直、ワルドを見捨てたいところなのだが、見捨ててしまうとこの近くで野宿するハメになるので見捨てることはできない。全く忌ま忌ましい……呑気な声で「あと半分だよルイズ」とこちらに語りかけて来ていることが更に苛立ちを増長させる。谷間の半ば辺りは最も危険な場所、声を出して夜盗に居場所を知らせるなど以ての外だ。私が夜盗を警戒しておらず、呪文も紡いでいなかったらヒステリックに怒鳴り散らしていただろう。

 案の定両側から松明を投げ掛けられてしまった。ワルドが松明を切り払って「無事かいルイズ!?」と叫んでいるが、ワルドが低空飛行などしなければ少なくともここまで不利な状況で奇襲されることはなかったはずだ。しかし、今はそんな無能のことを気にかけている場合ではない。そして、ワルドが低空飛行だからこそできることだってある。

 

「カッタートルネード!」

 

 風のスクウェアスペル。お母様の得意魔法。それを私は解き放った。まるで私の癇癪のように荒れ狂う風は、崖の上の夜盗を断末魔ごと巻き込み、切り刻んですり潰していく。嵐が去ったあと、そこには夜の静けさだけが残されていた。

 

「子爵、今度こそエスコートを頼めるかしら?」

 

 面食らっていたワルドにとびっきりの皮肉と曇りない笑顔をくれてやると、幾分かプライドが残っていたのか、今度はキチンと上空から私たちを先導して、安全に谷間を抜けることができた。

 

 程なくして浮遊大陸アルビオンへの港町、ラ・ロシェールに辿り着くと、一番上等な宿へ行き、そこでついにワルドと一悶着が起こってしまった。ワルドはあろうことか私とシエスタを引き離し、嫁入り前の乙女である私と同じ部屋で寝ると言い出したのだ。今の今までワルドの無能さや傲慢さをなんとか我慢してきた私でも“服従の証として身を裂いた上で貞操を差し出せ”と侮蔑されれば、一瞬で沸騰する。

 思い付く限りの罵詈雑言を一方的にワルドに浴びせ、私をなだめるシエスタの手を引いて、ワルドの懐からくすねた金貨で二人だけの部屋を取り、すぐに閉じこもってさっさと寝てしまった。

 次の日、いつものようにシエスタに優しく起こされ、心地好い気分で身支度をしてロビーに降りると、少しくたびれた顔のワルドがいた。ワルドは私を見ると「すまない」と一言だけ謝り頭を下げた。少しだけ私の中のワルドの株が回復する。

 

「そう、潔い男は嫌いじゃないわ」

 

 ただ、本当に嫌いではないだけで、好きだという訳ではないが。

 

「それで、こんなことを女性に……いや、君に言うのもなんだけど……」

 

 早く言え、男の出し惜しみは気持ち悪いだけだ。

 

「僕と、決闘してくれないかルイズ?」

 

 その提案に私は目を丸くした。男から女に決闘を申し込むという前代未聞の事態にではなく、先日の私の魔法を見た上で決闘を申し込んだワルドにだ。学院では、学院長にすら一目置かれている私に対して決闘を申し込むようなバカはいない。むしろこちらから決闘を申し込んでも丁寧に辞退されるほどだ。

 己が部屋での日々の研鑽で上がっていく実力に対し、それを試せる機会は比例して少なくなっていく。今では盗賊のねぐらに堂々と押し入っても、穏便に引き取ってもらおうとご馳走を振る舞われるようになってしまった。

 そんな私とワルドは戦いたいと言っているのだ、この機を逃す手はない。徐々に吊り上がる口角、たぶん乙女にあるまじき笑顔を浮かべてしまっているが、構うものか。

 

「ええ、やりましょう。貴方の健闘を期待するわ」

「……私は反対です。仲間同士で傷つけ合っても利益はありません」

 

 シエスタは表情を曇らせ、私の決定に反対する。確かにシエスタの言うことにも一理ある。というか、むしろシエスタの方が一方的に正しい。任務遂行中に主力同士での決闘など言語道断、愚行中の愚行であり、絶対にやってはならないことだ。そもそも、決闘など任務が終わってからやればいいだけの話なのだから。

 

「そうね、シエスタの言う通りよ。でもね、ここらで互いの戦力を確認するのも重要なことよ」

 

 だが、シエスタの言葉の裏の真意すら知り得てなお、私の中の炎は消えなかった。

 

「で、ですけど!」

「シエスタ、私の怪我の治りが早いのは知ってるでしょ?それに、これは私がやりたいと思ったことなの」

 

 私がここまで言うと、シエスタは本当に渋々といった形で引き下がった。私がシエスタに傷ついて欲しくないように、シエスタも私が傷つくのは堪えられないのだ。しかし、何故か私には化け物じみた回復力がある。この前、新たな魔法の実験で腕がちぎれ飛んだのだが、特に痛みはなく、腕を固定しておいたら半日で引っ付いたのだ。

 いつからこんな化け物のような体になっていたのかは分からない。たぶん召喚の儀のときからだろう。しかし困惑はなかった。むしろ歓喜すらして、またあの存在に感謝していた。今の私は力無き小娘ではない、その証明とシエスタとの時間だけが私に生きている実感を与えてくれるのだ。

 

 そして、町のコロッセウムに場所を移し、いよいよ待ち望んだ時間がやってきた。互いに杖を左胸に構え一礼をする。悠久の歴史を持つ作法、心臓を相手に差し出し、例え殺されたとしても絶対に文句は言わないという承認の儀。今はその意味や作法自体が廃れ、正式なる試合の折に使われる程度。しかし、この歴史あるコロッセウムでこの作法をしておいて、()合で済ますことは過去の決闘者への侮辱行為。

 目を閉じれば、まるで実際に見たかのように鮮明に映る光景。華麗で優雅……他者を引き付ける戦いもあれば、下賎で醜悪……見るに値しない戦いもあった。しかし、どんな戦いに於いても、どんな決闘者に於いても、その根底にあるものは勝利への渇望。もしかしたらこの光景は、力の渇望とその証明より、図らずとも心から勝利を望んでいる私だからこそ見ることができたのかもしれない。

 

 ならば先駆者たちに恥じぬ()合を、なれば勝利の暁には敵の命を、敗北の暁には恥辱の汚名を被り、喜んで自らの命を差し出そう。

 

「そうだ、言い忘れていたけど、どちらかが参ったと言ったら終わりにしようか」

 

 ……なんだそれは、拍子抜けもいいところだ。「覚悟を返せ!」などと莫迦(ばか)らしいことは言わないが、それならば決闘と言わず試合と言って欲しかった。

 まあいい。どちらにせよスクウェアメイジと力試しができるという事実は変わらない。それならば、()合か()合かなど、些細な差にすぎない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

「では……始め!」

 

 シエスタの掛け声が終わると同時に私は呪文を唱え始めた。コンマ数秒遅れて呪文を唱え始めるワルド、その呪文は奇しくも同じ系統の呪文。詠唱の長さは同程度のはずだが、ワルドの方が一瞬早く呪文を完成させた。流石は『閃光』といったところか。呪文完成からの動きにも無駄が無く、完成の瞬間に一直線にこちらへと向かっている。

 ワルドの使った呪文は『エア・ニードル』。杖の回りに風を纏って貫通力を上げる呪文だ。普通のメイジは懐に飛び込まれるとほとんど詰みだ。私は学院一のメイジとは言え特殊な訓練を受けている訳ではなく、分類上は普通のメイジに分類されるので、近距離戦に持ち込むのは、()()ならばかなりの上策と言えるだろう。

 

「……!」

 

 加速を付けていたワルドが、杖を地面に刺してまで立ち止まった。危機管理能力は無くても、戦いにおける危機察知能力はきちんと持っているみたいで安心した。私が使った呪文は『エア・ブレイド』。杖に風を纏わせて空気の剣を作り出す何の変哲もない呪文だが、重要なのは私が武器を持つということ。

 ただでさえ超人的な身体能力を持つ私が更に強化されると、ワルドの疾風の如き突きですらハエが止まるような速度に見える。同時に剣術の達人にもなるのでカウンターも叩き込み放題。あのままワルドが突っ込んでいたら腕の一本は失っていただろう。

 

 ワルドは杖を引き抜くと即座にエア・ニードルを解除し、次の呪文に移行する。その呪文は『遍在』。完成を待ってやってもいいが、先程頭に浮かんだ新しい技を試したくて仕方がない。私は空気の剣を袈裟掛け気味に振るい、刀身を杖から解放する。回転しながら凄まじい勢いで進む空気の刃は、目測が甘かったのか、ワルドの脛を浅く切り地面を深くえぐった。

 直撃しなくても余波だけでワルドがよろめくほどの風の衝撃。この『風車斬り』という技は素晴らしい技だ。熱風や冷風を使えば近くに着弾しただけで致命傷を、そして風の魔法でもあるため、直撃後に遍在を作り出すようにすることもできる。この技をどういう風に改良していくか……嬉しい悩みだ

 

 ……ん?……しまった。思考に没頭しすぎて体勢を立て直すどころか、遍在を作り出す時間まで与えてしまった。いけないいけない。ついつい(たの)しくなって甘美な研究欲に身を任せてしまった。戦闘中は自重しなければ……

 迫り来る三体の遍在、本体ともう一体は呪文を唱えている。対して私は呪文を唱えておらず、ガンダールヴの能力も発動していない、最悪レベルの劣勢だ。自分を追い込み、ここから正攻法でやれるかを試してみてもいいが、そんなことをして「はい負けました」では話にならない。切り返しの手段がなく、その状況を選ばざるを得ないのならばともかく、最も優秀な隠し玉を隠し通したまま負けるなど愚の骨頂だ。

 

 私はポケットから素早く深緑色の球を取り出す。迫る二本の杖と、私の次の行動に対処するためにとどまる遍在。私はおもむろに……いや、これは周りが遅く見えているだけか。とにかく、球を迫り来る遍在に向かって投げた。

 球は遍在の目の前で破裂し、烈風を撒き散らす。形無き凶器に切り刻まれ、千切れ飛ぶ体。偽りの生命を蹂躙された二つの遍在は命無き風に戻っていく。それでも終わらない暴力の嵐は、巻き込まれないよう必死に堪えていた遍在の体勢をも崩し、大口を開けてゆっくりと遍在を引きずり込む。

 その口の中に私は赤い球を放り込んだ。瞬間、遍在すらも巻き込んで爆発四散し、火柱を上げる。降り注ぐ火の粉は最後の遍在に吸い込まれるように飛んで行き、遍在が燃え尽きる頃には炎がワルドを囲み、生命の存在を許そうとしない死の檻ができていた。

 燃え盛る炎は衰えを見せず、()()が飛び込んでくるのを今か今かと待ち構えている。

 

「……ルイズ、今のは……?」

 

 一言を発することすら苦しそうなワルド。二酸化炭素はできないとは言え、熱が身を焦がし、一呼吸の度に中から肺や胃を焼かれるのだ、当然だろう。

 

「私が開発した新魔法、発動直前の魔法を土のスクウェアスペルで固めたものよ。中々便利でしょ?」

 

 ワルドは業火に囲まれていると言うのに、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。それがどうしようもなく()()()()()()()カら笑()()込み()()()()タ。ケタケタとお腹を抱えて笑う私、けれどももう隙は見せない。私の手の中には、既に効果を発揮して無色になった球と、氷の槍を作り出す藍色の球、そして最も威力のある黒色の球。……まあ、死んでしまったら降参しなかったワルドの自己責任だろう。

 相変わらずワルドは何もしようとしない。未だに呆けているのか、それとも何か策があるのか。まあ、いい…ならば精々新魔法の実験台にでもなってもらうとしよう。先程使った球の効果の一つで、私は宙に浮き上がる。二つ以上の魔法を同時に、そして継続して使用できるのは本当に便利だ。

 

 空中にて集中し、呪を紡ぎ始める。ベースは黒球の呪文、黒球の魔法よりも範囲を絞り、更に()()を練り上げて威力を上げる。それを戦闘中に浮かんだ名も知らない呪文でコーティングする。黒球の魔法と同じで名も知らないはずなのに、その効果は余すところなく頭に入っている。そこに“何故?”はない。重要なのはソレがその通りの効果を発揮することだけだからだ。

 全ての準備が完了し、私の前に生まれたのは恐るべき威力を秘めた大きな黒い玉。敵の内部に転移し、世界ごと敵を削り取る凶兆の星。私は心の底から喜びを噛み締めた。こんなに無邪気に喜んだのはいつぶりだろう?まるで子供のように狂喜する私が次にすることは、もちろん子供のようにこの完成品で遊ぶこ──

 

 今、どこかから攻撃を受けた。ワルドは魔法が完成するまでの間、一歩たりとも動いていないし、呪文を唱えてもいない。シエスタが私に攻撃することも有り得ない、これは外部からの妨害だ。攻撃自体は二つ目の効果、風の鎧に阻まれたのだが、私の精神にはしっかりと届いてしまっていた。

 ()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。しかし横槍は気分が滅入る、怒りすら沸かないほどに。もう戦闘を続行する気分ではない、全ての魔法を解除する。何故か大きな黒い玉はなくなっていたが、きっと維持できるだけの精神力がなくなったのだろう。

 

「はぁ……白けちゃったわ……。もう、私の負けでいいわよ……」

 

 とにかく今は何もやる気が起きない。ふて寝でもしたいような気分だった。

 

 

 

 

 

「クックベリーパイが焼けましたよ、どうぞミス・ヴァリエール」

「ん、ありがと」

 

 あの決闘の後、三時間ほどふて寝をしていくらか気分を直した私は、シエスタに子供のように我が儘を言った。シエスタは嫌な顔一つせずに私の我が儘に応えてくれて、気分の良くなった私はシエスタと一緒に町を見て回った。

 港町だけあって、世界樹と呼ばれている大きな木を利用した港は壮観だったが、他にはあまり見るものがなかった。それでも、シエスタといるだけで楽しく、ふと気づいてみれば太陽は沈みかけ。しかも使った魔法球を補充していないことに気づき、宿の個室で補充したあと無理を言ってシエスタに大好物のクックベリーパイを作ってもらった訳だ。

 

 サクッと軽い音を立て、ナイフでパイを切り分けていく。こんな小物でもガンダールヴの力は発動するらしく、ゼリーを切り分けるよりも簡単にパイを切り分けることができた。8分の1のかけらにフォークを刺し、まずはその先っぽを一かじりすると、ほどよい甘みが口いっぱいに広がった。ステキで幸せな気分になる。

 この味を長く味わっていたいが、どんどん口の中に放り込んで味と食感を劣化させずに貪りたいという欲望も沸いて来る。自制して上品に長く味を楽しむか、欲望のままに贅沢な食べ方をするか……迷うところだ……

 

「ミス・ヴァリエール?そんなにがっつくと喉に詰まらせてしまいますよ?」

 

 ……やはり、欲望には勝てないようだ。気づいてみれば、すでに半分ほどパイが消えており、私は口いっぱいにパイをほお張っていた。これでよく“上品に”などと思えたものだ。それにしても最近は自制という言葉から遠く離れてしまった気がする。ワルドとの試合でも、そのせいで体勢を立て直されてしまったのだから、自制心を鍛える意味も込めて残りはゆっくりと味わって頂く方がいいだろう。

 しかし、そうなると今の状態は非常にまずい。すでに自分の意志とは関係なく、機械的に次のかけらへとフォークを運んでしまっている。いや、自分の意志と関係がない訳ではない。もう自分では抑えられないほどに新鮮な味と食感を求めているのだ。どれだけ弱いんだ、私の自制心。

 さっきのシエスタの呼び掛けで無意識で美食を貪る状態からは抜け出すことができた。ならばもう一度意識を逸らすことができればフォークは止まるはず。私はフォークを動かしながらシエスタにチラチラと目配せする。しかし、シエスタは首を傾げるばかり。……まあ、こんなくだらない目的に気づけという方が無茶なのだが。

 

 それでもシエスタは気づいたのか手を叩き、トレイに載ったままだった紅茶をカップに入れてくれた。……これも優秀が故か……。ありがとうシエスタ。あなたのおかげで美味しく、喉に詰まらせることもなく、ほどなく完食できそうだ……。そして、五個目のかけらをほお張り始めたとき「コンコン」とノックの音がして、私はやっとフォークを止めることができた。

 

「ルイズ、ちょっといいかい?」

 

 私は口の中に残っているパイを、ほとんど味わうことなく紅茶で流し込み、ワルドに返答する。

 

「……ダメよ。今は忙しいの」

「そうか。なら僕は下で待ってるから、できるだけ早く来て欲しい、大事な話があるんだ」

 

 ……結局、どうあっても長く楽しむことはできなかったようだ。大きく舌打ちをし、恨み言でパイを噛み潰し、溜飲(りゅういん)を下げるように嚥下(えんか)した。

 

 

 

 

「ルイズ、結婚しよう」

「……は?」

 

 降りて席に着くなり訳の分からないことを真顔で言い出すワルド。呆れて声が出ない。失笑の一つでも零して欲しかったのだろうか?

 

「僕は本気だよルイズ」

 

 何が?本気で道化を演じているのか?仮に狂言でなかったとしても、私が首を縦に振ると思っているのだろうか?谷間の醜態がなければ、戯れに形式上だけなら結ばれてやっても良かったかもしれないが、今はどんな美辞麗句を並び立てられようがもうこの男になびくことはない。しかし、これだけの実力を持つ者を実戦の練習にいつでも使えるのは割と魅力的だ。

 

「……貴方の気持ちは分かったわ。貴方が私の物になるなら、結婚してあげないこともないわよ?」

「……分かった。その条件を飲もう」

 

 嘘だ、コイツは条件を守る気はない。何故かは分からないが、コイツの考えがぼんやりと分かるのだ。第六感というやつだろうか。誠意を見せる気がない口先だけの男など藁一本にすら劣る存在だ。そんな者とは約束など成立しない。早めに切り上げて、シエスタを待たせている寝室に戻るとしよう。

 そうして口を開く前に、視界の端で小さく捉えたものに体が反応し、机を蹴り上げてその影に隠れた。直後、矢が雨のように降り注ぐ。響く断末魔と阿鼻叫喚、落ち着いた雰囲気だったロビーは一瞬で地獄絵図と化した。

 

 ……全く、今日は最悪だ。三度だ、三度も気分を害させる横槍が入った。これ以上悪い日がないようにも“最”も“悪”い日と称しておこう。そういえば、エルフの住家を越えた東方の国、ロバ・アル・カリイエには『二度あることは三度ある』という(ことわざ)があるらしい。しかし同時に『始祖の顔も三度まで』という(ことわざ)もある。つまり、この場合人はうんざりしながら仕方ないと諦めるか、激昂に身を任せるかのどちらかなのだろう。中々的を射ていると思う。私は今、宿を襲ってきたやつらをバラバラにして、さっさと寝たい気分だからだ。

 

 矢の第一射は止んだが、ちらりと顔を覗かせると第二射が浴びせられた。どうやら狙いは私らしい。どこかで情報が漏れたのだろうか?私とシエスタはずっと一緒にいて、姫と事情を知っているであろう枢機卿は王宮。漏れるとしたらあの莫迦(ばか)を於いて他にない。その莫迦(ばか)は運良く難を逃れたようで、私と同じテーブルを盾にして身を隠している。

 

「ルイズ、もしかして、僕たちの密行が貴族派の連中にバレたのかもしれない」

 

 何をヌケヌケとヌカしてやがるんだ、このヌケサクは。こんな阿呆(あほう)は矢避けにして敵もろとも黒球で爆殺してやりたいところだが『始祖の顔も三度まで』二度目までは許してやろう。しかし、次に何かやらかしたら必ず爆殺する。必ずだ。

 さて、こんな状況でも切り抜ける手段は多々あるが、せっかくだからここで新魔法の確認と共にゴミ処理をしておこう。隣でベラベラとご立派な戦闘理論を説いている魯鈍(ろどん)は無視し、私は呪文を唱えて黄色の球を転移させる。派手な放電音が響き、大多数の刺客が倒れて混乱していることが音の反響から分かった。私はその機を逃さずに一気に攻め込み、刺客の剣を奪うと残党狩りが始まった。

 あのライトニングの魔法でリーダーが死んだのか、それとも味方がやられすぎて戦意を喪失したのか、勝負はあまりにも一方的で、そしてあまりにもあっけなく終わった。血でまみれた剣を捨て、代わりに新しい剣を死体から拝借すると、宿の中へと戻った。荒れたロビーにはポツンと愚図(ぐず)が一人だけ、おそらく他の客などは逃げ出したのだろう。

 

 しかし、この梼昧(とうまい)は相変わらずの間抜け面だな。なんだか無性に腹が立ってきたので、鳩尾(みぞおち)に渾身の一撃をお見舞いしてやった。すると、膝を折って床に着くなり消滅してしまった。

 

「遍在……? ……まさか!」

 

 ……悪い予感が的中した。疾風の如き速さで部屋に戻り、ドアを蹴破って初めに飛び込んできた景色は大きく割れた窓。部屋の中には誰もいなかった。怒りで頭が沸騰し、衝動的に近くにあった家具を蹴り飛ばし破壊した。そして幾分か冷静になると、目を閉じて風の流れや音の反響で町を探る。

 

「……ダメ、風が乱れて分からない」

 

 スパイとしてもあの男は無能だったが、こういう小細工だけは頭が回るようだ。こんなことになるんだったら、スパイとしての決定的なボロを出したときに絶望を与えて殺してやろうなどと思わず、決闘のときにでも殺しておくんだった!

 ワルドには制裁を下さなくてはならない。私は自分の慢心を反省しなくてはならない……しかし、それよりも先に、シエスタを探し出さなくてはならない!

 魔力を込められるだけ込め、呪を紡ぎ杖を振るう。そうして出来た20体の遍在は先程奪った剣を抜くと、散り散りになり町の中へ消えていく。程なくして私も剣を抜き、ドス黒い殺意を隠すように静かに、しかし誰よりも速く移動した。淡い光が線となり消えていく、まるで呼び寄せられるように着いた場所は港。皮肉にもワルドへの殺意によって研ぎ澄まされた感覚が私に告げている。“ここに、いる”と。

 ワルド、シエスタ、どちらなのかは分からない。シエスタならば万々歳。ワルドならば拷問でもして聞き出せばいい。一歩、また一歩。静かに殺意を(たぎ)らせて、私は階段を上っていく。そして休憩用の広間に、怨敵の姿が見えた。

 

「やあルイズ。こんなところで夜の散歩かな?」

「いいえ、夜の狩りよ」

 

 衝動的に首を()ねそうになるのを必死に抑える。一瞬で殺すなんてとんでもない。私に立ち塞がった挙げ句、シエスタを勾引(かどわ)かしたその罪は、地獄を以て償わせなくてはならない。

 

「それは素敵だね。ルイズ」

「ええ、とっても()()()よ」

「それで、僕との結婚、受ける気になってくれたかい?」

「へえ、気づいてたの。なら分かるでしょ、答えはノーよ」

「そうか、それは残念だよ。でも、すぐに君も分かってくれると思う」

 

 ……何を言っているんだコイツは?頓馬(とんま)ではなく知能障害か? どちらにしろワルドごときが隊長を張れるなどお笑いだ。トリステインは滅ぶんじゃないか?

 

「僕はね、母さんを失ったんだ。大事な人を失う、それはとても辛いことだね。ルイズ」

「……!! まさか…!アンタ…! シエスタはどこ!言いなさい!!」

「さあ?僕には分からないな。でも、君の虚無の力を使えばまた会えるよ。()()()()()()()()()ね」

 

 瞬間、私の怒りが世界を覆うように視界が赤く染まり……私は、()()を失くしてしまった。


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