伝説の使い魔   作:GAYMAX

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第23話 雪風の使い魔

「あのね、プリエ……つ、使い魔と主人が…こ、こんな淫らな関係を持つのはよくないと思うの…

だ、だから、あなたに(いとま)を出すわ!!!」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

「あれ?もしかして、あそこでテーブルに突っ伏してるのってプリエさんか?」

 

「ああ、プリエさんだ。僕たちファンクラブの面々が見間違えるはずがない

しかし、どうしてあんな近寄り難い負のオーラを放っているんだろう?」

 

 プリエは中庭でテーブルに突っ伏していた。もっと近づけば、ブツブツと何かを呟いているのが分かるだろう。

 

「あ、ギーシュが近づいていったな」

 

 ギーシュはテーブルに突っ伏したままのプリエに何かを話し始めた。大方口説き文句だろう。その大仰な身振りで分かる。

 しかし、相手が見向きもしないので、傍から見ると相当恥ずかしいことになっているのだが、本人は気にする様子もない。

 

 そしてギーシュが仰々しく片膝をついてバラの花束を差し出したところで、彼は魔法で吹き飛ばされてしまった。

 

「…なあ、アレ生きてると思うか?」

 

「…分からん。ただ、ギーシュはエアハンマーで股間を潰されても、内股になってプルプル震えていただけらしいしな」

 

「なら平気だろ。死んだとしても自業自得だ」

 

「だな」

 

 一応、ギーシュは元帥の家の四男坊なので、殺したら普通は何かしら問題があるが、いつの間にかウラヌスの肩書の権力が元帥以上になっているので、問題はもみ消せる。

 そもそも、相手がどんな権力を持っていたとしても、プリエの一睨みで押し黙ってしまうだろう。

 

 ちなみに、ギーシュは塔の天井に引っ掛かってピクピクしている。呆れるほどタフな男だ。

 

 

 

 

 

 

「は…はは………

る、ルイズ?アタシまだ17なのに幻聴が聞こえちゃったみたい…」

 

 時は少し遡り、プリエがルイズにクビを宣告された場面。

悪魔に堕ちてから、顔色一つ変えずに悪魔を虐殺してきた伝説の魔王がここまでうろたえる(さま)など、誰も見たことがないだろう。

 それを見て、ルイズの胸に罪悪感とプリエと離れたくない想いが込み上げるが、それでも心を鬼にしなければならない。

 

「い、いいえ、幻聴じゃないわ。私が、あなたに、(いとま)を出すと言ったの…」

 

「………落ち着け、落ち着くのよアタシ…

そうよ、素数を数えて落ち着こう…'1',2,3,'4',5,'6',……」

 

 動揺どころか錯乱しつつ、昔読んだ娯楽作品の妙に頭に残る行動になぞらえようとしたが、素数ではなく自然数を数えてしまっているプリエ。その魅力で幾度となくルイズを狂わせてきたプリエだが、自身も狂うほどルイズに執着していたようだ。

 

「(うう…ごめんなさいプリエ…)」

 

 実を言うと、これはキュルケの入れ知恵である。

 

 ルイズは、自分以外にも結構手を出しているプリエに少なからず危機感を覚えていた。もしかして、自分は彼女を満足させるだけの都合のいい存在なのではないかと。

 それをうまい具合にキュルケに聞き出され「ならいっそ突き放してみればいい」と言われてハッとしたのだ。プリエにとって掛け替えのない存在ならばその重要さを再認識してもらえるし、都合のいい存在ならばこちらから強くアプローチすればいい。

 やけにキュルケが推してくるのと、シャルロットが凄く嫌そうな顔をしていたのが気になったが、今はプリエの気持ちをハッキリさせることが重要だ。

 

「そ、そうだ!今日はとびっきり気持ち良くしてあげるわ!」

 

 そう言ってベッドに押し倒される、このままうやむやにする気だろう。しかし、そんなことは予想済みだ。

 

「哀れな人ね…そうやって体は虜にできても…心までは虜にできないわ!!」

 

 ガーン!という効果音が出そうなほどプリエは衝撃を受け、涙をさめざめと流しつつ「アタシは夜魔の女王じゃないもぉぉぉぉん!」などと、錯乱気味に叫びながら部屋を飛び出していった。

 

「………これで、良かったのよね…?」

 

 

 

 

 

 そうして、プリエは中庭のテーブルで呪詛を吐き続けている訳だ。

ちなみに、ギーシュの後に嬉しそうなキュルケも来たが、うるさかったのでギーシュと同じ場所に瞬間移動させてやった。

 

「プリエ…」

 

 次にプリエに話しかけてきたのはシャルロットだった。

これにはプリエもピクリと体が反応し、何かの呟きが止まる。しかし、それでも顔は上げなかった。

 

「私は、絶対に貴方を見捨てないから」

 

 この、本当に思慮深い発言で、プリエはついにゆっくりと顔を上げ始めた。

これは本当に見限られたわけではない。そんなことぐらい今のプリエでも理解している。

これぐらい平気だと言って、早くこの優しい少女を安心させてあげなくては。

 

「…ッ!」

 

 優しげな微笑みを浮かべるプリエの目尻には涙が含まれており、それを見たシャルロットは胸をきゅうっと締め付けられて思わずプリエに抱き着いていた。

 これは縁を切られたから出た涙なのか、それとも嬉し涙なのか。本当の絶望の淵にはいなかったプリエはきっと後者だろうと思ったが、それでも少しだけ救われた気がした。

 

 二度と離さないと言わんばかりにプリエを抱きしめるシャルロットを、プリエは一筋の涙を流しながら優しく撫でていた。これではどちらが慰められているか、分かったものではない。

 しかし、互いが互いを想い合った美しい光景であることは確かだろう。

 

「プリエ、私の使い魔になってほしい」

 

 しばらくシャルロットを撫でていると、胸に顔を埋めたままシャルロットは言った。嬉しい誘いではあるのだが、プリエは少しだけ困った顔をする。

 

「うーん…確かにクビにはなっちゃったけど、二重契約とかいろいろ問題があって…」

 

「お願い…」

 

 上目遣いでひょっこりと顔を出すなんて反則技をやられてしまったら、この程度の問題ならば契約しないという選択肢など消滅してしまう。

 こうしてプリエは、シャルロットとも使い魔の契約を結んだのだった。

 

 

 

 

「遅いねえあのガーゴイルは…

約束の時間はとっくに過ぎてるってのに!」

 

 此処はプチ・トロワ、そして使用人にも聞こえるように悪態をついているのはイザベラだ。

 あれから、シャルロットを謀殺しようとして危険すぎる任務を与えることはなくなったものの、面倒な任務を与えたり、間に合いようがない時間での召喚命令を下したりはしていて、嫌がらせ自体は続いていた。

 

 シャルロット自身も今さらイザベラと仲良くしようという気はないので、特にどうとも思っていないようだが。

 

「ガーゴイル?何言ってんのアンタ?」

 

 いつものように、遅刻したことを大声で責めてやろうとニヤニヤしていたイザベラが、決して忘れることのない声を聞いて固まる。

 

「こんなに可愛くて表情豊かな()をガーゴイル呼ばわりするの?」

 

──いや、ありえない。アイツは去った。悪夢は終わったはずだ。それに今だって大いに我慢して、ささいな嫌がらせ程度で済ませているというのに

 

 しかし、イザベラの定まっていない焦点でもソレは認識できた。

 

「な、ななな、なんでアン、アンタがぁ!!!?」

 

「今はシャルロットの使い魔だからよ」

 

 ガーゴイルの使い魔は、あの風竜ではなかったのか。規格外の存在が使い魔だと知り、イザベラは思わず意識を手放しそうになる。

 

「で、任務ってのは?」

 

 しかし、どうやらそれも許してくれないらしい。まあ、イザベラの自業自得であるのだが。

 

「…あ、ああ…そ、それは、こ、ここに書いてある、から…」

 

──丸めた書状をアイツは受け取り、それをここで広げて読みはじめる。お願いだから出ていってくれ、心臓に悪いってレベルじゃない。シャルロットもガーゴイルとか人形娘とか言って悪かったから、ホント謝るから早くソイツを追い出してくれ!

 

「は?これが任務?何、バカにしてんの?」

 

──してません!バカになんてしてませんから!もう貴族の誇りとかそんなもんかなぐり捨てて土下座しますから!私の平穏を返してください!

 

「行こうプリエ。ごねても任務は任務」

 

「…しょうがないわね」

 

 何もないままやっとプリエが去ってくれるようでイザベラは一安心。すぐに心の中で手の平を返してシャルロットに悪態をついていた。

 

「ああ、言い忘れてたけど、アタシずっとアンタの心の中読んでたから。次にふざけたことを思うときは、それ相応の覚悟をするように

それと、早過ぎる時間指定はよくないわね」

 

 それを聞いてイザベラは失禁しながら、今度こそ意識を手放したのであった。

 

 

 

 

「そなたが王宮の寄越した花壇騎士かえ?

ただの子供にしか見えぬが…」

 

 新主従は、依頼主の屋敷でその貴族にお目にかかっていた。

なんというか、平民が想像する嫌な貴族の見本のような人物で、高そうな猫を膝に乗せながら、その立派な体でもはみ出さないような豪華な椅子に座って、(いぶか)しげにシャルロットをしげしげと見つめている。

 

「恐れながら、シャルロットさまは12歳でシュヴァリエの称号を得た、まごうことなき栄誉あるガリア花壇騎士でございます」

 

「シュヴァリエとな…最近は商家の認可証並みに濫発しておると聞くが…

して、そちは?」

 

 依頼人の目線と少しばかりの興味がシャルロットからプリエへと移る。

疑問というよりは詰問といった調子の短い問いに、プリエは普段では絶対にしない、仰々しく芝居がかった態度で答えた。

 

「シャルロットさまの使い魔、プリエにございます」

 

「使い魔に亜人?出鱈目を申すな!そんな事例は過去一度も聞いたことがないぞや!」

 

 憮然とした態度で声を荒らげる依頼人。固定観念に凝り固まったいかにもな貴族という予想通りの展開に内心で少しあざ笑いつつ、プリエは己が唯一の例外だと証明するように、その圧倒的な存在感のほんの一部を解放し、依頼人の態度など気にも留めないような超然とした様子でいつかのでっちあげをそれらしく言う。

 

「僭越ながら申し上げますわ奥様。わたくしは風を司る存在…最高位の幻獣だと自負しております

そんなわたくしが呼び出されたのも、主人の類い稀なる才能あってのことかと…」

 

「…っ!?ま、まあ良い、そちに任す…よきに計らえ」

 

 プリエの威圧感に気圧されたのか、それ以上追及することはなく、依頼人はベルを鳴らしてメイドを呼んだ。

 

「お呼びでございますか?奥様」

 

「オリヴァン付きの召し使いじゃ。わからぬことはこれに」

 

「よろしくお願いします」

 

 以前のシエスタを思い出させるような純朴なメイドについていき、部屋の外に出た途端にプリエは含みのある雰囲気を崩す。

 

「あ゛ー、肩凝るわー…

アタシ、ああいうヤツはなんか嫌いなのよねー」

 

「な、何をおっしゃるのですか!?」

 

 プリエの変わりようではなく、その不遜な物言いに驚くメイド。

ああ、この世界の純朴な平民だなぁ。と思いつつ、そんな人の良さそうなメイドを安心させるためにも、プリエはいつもの軽い態度で話す。

 

「あ、大丈夫大丈夫。ちゃんと聞こえないように魔法はかけてあるからさー」

 

「ま、魔法ですか!?

し、しかし、魔法の行使には杖が必要だとお聞きしましたが…」

 

「ああ、アタシ風の化身だから、そういうの要らないのよ」

 

「は、はあ…

で、では案内いたしますね」

 

 やはりメイジでない者にはその凄さは分からないらしく、すぐに気を取り直すと新主従を引率していく。そして件の部屋に向かうまでに、メイドのアネットからいろいろと説明を受けた。

 それを要約すると、お偉いさんのボンボンが引きこもっていて、困っているらしい。

 

「坊ちゃま。アネットでございます…坊ちゃま…」

 

 引きこもりの部屋をノックするが、何も反応がない。

しかし、寝ているわけではなさそうで、まだ姿すら見えていないのにどんどん印象が悪くなっていっている。

 

「お休みになられてるのかしら……」

 

「起きてるわよ、中で動いてるみたいだし」

 

「分かるのですか?」

 

「風の化身ナメんじゃないわよ。ちょうどいいわ、風の化身って証拠をアンタにも見せてあげる」

 

 プリエたちは物理的に一陣の風となり、部屋の中に侵入する。

あまりにも一瞬のことであったためアネットは驚くヒマすらなく、何が起こったかもわからずに目をパチクリとさせて、キョロキョロと辺りを見回していた。

 

「なっ!?だ…誰だお前は!!?」

 

 部屋の中は薄暗く、本や食べ残しが床に散乱しており汚かった。

そして、プリエが一蹴した今回の任務とは、この引きこもりのデブ―――オリヴァンを学院に通わせることだ。

 見方を変えれば、国の中が意外と平和であると喜んでいいかもしれないのだが、どちらにせよ騎士の称号を持つメイジの任務としてはくだらないものだ。

 

「そんなの誰だっていいでしょ

ほら立ちなさい。とっととリュティス魔法学院に行くわよ」

 

「はあ!?何言ってんだお前!僕は学院になんか行かないぞ!」

 

 この一言だけで、プリエはオリヴァンを見た目通り知能が低くて捻くれたガキだと判断した。そんなガキとまともに言葉を交わす気などなく、プリエはシャルロットに処置を仰ぐ。

 

「って言ってるけど、どうするシャルロット?」

 

「こうする」

 

 シャルロットが短く呪文を紡いで杖を振ると、水の膜がオリヴァンを包み込んで空中へと持ち上げた。

 オリヴァンがライン程度のメイジ、もしくはドットでも優秀な方のメイジならばすぐに破れてしまうほどの弱い魔法なのだが、杖だって持っているくせにオリヴァンは突然のことに慌ててばかりで、自分ではどうにかしようとしない。

 

「わっ!?おい貴様!!僕にこんなことをしてただで済むと思うな!!」

 

「強引にとは、お主もワルよのぉ~」

 

「上様ほどではー」

 

 すでにオリヴァンの存在を意識の外に追い出していた新主従は、自分たちだけの世界で楽しそうに会話をしている。

 しかし、この世界ではこのような時代劇などないはずなのだが、シャルロットはプリエとそれほど深く繋がっているということなのだろうか。

 

「無視するなー!!!

おいアネット!コイツらをつまみ出せ!」

 

「そんな…騎士さまに乱暴なことは…」

 

 オリヴァンの命令はできるだけ聞いてあげたいようだが、その見た目の通り荒事などできないアネットは、困り顔を浮かべてオリヴァンとプリエたちをかわるがわる見つめるだけだ。

 

「なんだよ使えないな!

お前ら!父上に言いつけて打ち首にしてやるからな!!」

 

「よいではないか!よいではないか!!」

 

「あーれー、おやめになってー」

 

「僕の話聞けよ!!!」

 

 このままオリヴァンを完全に無視しながら、二人は朗らかに話しつつ学院へとたどり着いた。

 アネットは、どうすることもできずにオロオロしながらついて来た。権力に板挟みされる人間はかわいそうだ。

 

「てっ!」

 

 学院に着いたので魔法が解除され、オリヴァンが地面に降ちる。

引きこもりで培われたのか、それとも性根の腐った精神が体にまで現れたのか、かなりの脂肪がついた体で割と勢いよく尻餅をつき、彼は久しぶりの痛みに顔を歪めた。

 

「さーて、それじゃ観光にでも行きましょっか」

 

「うん、プリエといっぱい見て回りたい」

 

 学院に無理やり連れてきただけであり、全く任務は達成できていないのだが、学院へ連れてきたことを学院へ通わせたとプリエは解釈し、任務を終わらせようとしていた。

 最初はアホらしい任務だと思ったが、一日中シャルロットと遊び回れるのだから、これは素晴らしい任務だった。とプリエはすでに憎たらしいデブのことを頭から追い出している。

 

「いてて…おい待──」

 

「あれぇ?誰かと思えば…泣き虫オリヴァンじゃないか。最近学校に来ないから心配したんだぜ!」

 

「そうそう。遊び相手がいなくてつまらなかったところさ!」

 

 オリヴァンが誰かに声を掛けられ、彼だけではなくプリエたちの足も思わず止まる。

オリヴァンに絡んだのはニヤニヤしている三人組の男子で、雰囲気がいじめっ子のソレだった。

 

「今日の授業は組み手だったんだぜ」

 

「サボってた分僕らが稽古をつけてやろうか?」

 

「そいつはいい考えだな」

 

 彼らはオリヴァンに無理矢理杖を出させると、そこからはただのリンチだった。風魔法でオリヴァンを吹き飛ばし、土魔法で無理矢理立たせ…その繰り返し。

 アネットが悲痛な叫びを上げるが、魔法と貴族が怖くてオリヴァンをかばうことができないし、パニックに陥っているのか、それとも無理だと思ったのか、冷ややかな目線を投げかけるプリエたちに助けを求めることもしなかった。

 他の生徒も単に厄介事に巻き込まれたくないのか、それとも三人組の家の位が高いのか、見て見ぬフリをしていた。

 

「あーあ楽しかった!学校ちゃんと来いよなオリヴァン!!」

 

 リンチが終わり、ボロボロになったオリヴァンにアネットが急いで駆け寄る。

 

「坊ちゃま…」

 

 そして優しく抱き起こして、オリヴァンにマントを羽織らせた。

 

「ふーん、学院に行かなかった理由はコレか

ま、任務が終わったアタシたちには関係ないわね」

 

 プリエは冷たく一蹴するとシャルロットを連れて踵を返した。その足取りには迷いがなく、オリヴァンになんの未練もないことがうかがえる。

 

「待ってください!!」

 

 アネットから呼び止められ、本気でオリヴァンを見捨てるつもりだったプリエは足を止める。

さっきまで見ず知らずの他人だったクソガキだったら待たなかったが、人の良さそうなメイドを無視するほど、今のプリエは悪魔ではなかった。

 

「お願いです!!何とぞ…何とぞお力をお貸しください!!」

 

「アタシたちの任務は学院に連れていくことよ。クソガキのお守りは任務の外ね」

 

「お願いします…!旦那様も奥様も体裁ばかり気にして…このままでは家にも学院にも、坊ちゃまは居場所を無くしてしまいます…!!それが不憫でならないのです…!」

 

 涙を流しながら、アネットはプリエたちへと嘆願する。人を本当に想っているからこそ出せる涙。あのデブにそんな価値があるとは全く思えないのだが、そこまでされて断れるような性格をプリエはしていない。

 ムカツクデブのために時間など割きたくはないが、この人の良さそうなメイドの真摯な頼みを断りたくもなく、困ったプリエは主人へと決定を仰いだ。

……まあ、本来は使い魔ではなく主人が決めることなのだが。

 

「うーん…どうしようか?」

 

「………顔を上げて」

 

「で、では…!」

 

「引き受けてあげるってさ。良かったわね、シャルロットが優しい()で」

 

 

 

 

 

                ―――トリステイン魔法学院

 

「はぁぁぁ…」

 

「どうしたんだいルイズ?

美しい君にため息なんて似合わないよ」

 

「あんたは相変わらずねギーシュ…

あんたみたいな能天気に話したって何も解決しないわよ…」

 

「プリエさんのことかい?」

 

「あんた!!どうしてそれを知ってるのよ!!」

 

「先程憂いを帯びた彼女を見かけてね。励ましながら愛の告白をしたら見事にフラれてしまったよ」

 

「そ、それで、プリエはどうしたの!?」

 

「きゅ、キュルケを吹き飛ばした後、シャルロットとキスをしてどこかへ行ってしまったよ」

 

「キ……ス………?シャルロットと……キス……?」

 

「なっ…!ルイズ!大丈夫かい!?」

 

「……ふ、ふふふ……やっぱり私は……都合のいい女だったんだわ……ふふふふふ……」

 

「な、なんだか分からないが、僕はこれで失礼させてもらうよ!」

 

「……ふふふふふふふ………今日くらいは……暴れても………」

 

 

 

 

 

 

 学院からオリヴァンの屋敷に戻ってきて、ボロボロの衣服を着替えたオリヴァンはアネットに昼食を作らせていた。

 ちなみにプリエたちの分は無い。別に恵んで欲しい訳ではないが、やっぱりオリヴァンがクソガキだという認識をプリエは深めた。

 

「お待たせしました坊ちゃま!」

 

「全くだ!!食事くらいすぐできるようにしておけ!!」

 

 普通に聞いていても理不尽だと思うであろうこの一言に、プリエが料理人としてカチンときた。マルトーと一緒にいたらこのクソガキを一発殴っていただろうが、今はシャルロットと一緒なのでなんとか我慢する。

 

「申し訳ありません…」

 

「もういい!早く食べさせろ」

 

「は、はい…失礼します…」

 

 たいていの人が不快感を抱くやり取りに対して、プリエは更に鋭敏に嫌悪を抱いていた。そして、今すぐにでもオリヴァンをぶん殴りたい衝動に駆られている。

 

「…おい!それ人参が入ってるじゃないか!!作り直せ!!」

 

「ですが、人参は体に良いものですし…」

 

「口答えするな!僕が嫌なんだ!!

あとデザートも作り直せ!今日はプディングよりパイが食べたい!」

 

 オリヴァンの傲慢な物言いに不快感を募らせていたプリエだが、このふざけた言葉がついに引き金となり、彼を殴り飛ばそうと動き出したがシャルロットに手で制された。

 プリエや親しい者以外に対して興味が薄いシャルロットだが、オリヴァンを未だに目的達成のために必要な人物だと評しており、ここでプリエに消されることはどちらかと言えばよくないと考えていたのだ。

 しかし、プリエ自身はシャルロットの行動を都合よく解釈し、邪魔なメイドが消えてからゆっくりといたぶった方がいい。と受け取った。

 

「は、はい!ただいま!!」

 

「フン!全く、使えないやつ!」

 

 アネットが慌てて部屋を飛び出していくと、プリエは邪悪な笑みを浮かべながら拳を鳴らした。二度もプリエを止める気はないらしく、シャルロットは静かにコトの推移を見守るようだ。

 

「…おいお前ら。もう僕が学校に行かないワケが分かっただろ?」

 

 幸か不幸か、プリエの怒気に全く気付いていないオリヴァンが、おもむろに話しかけてきた。

 いじめっ子三人組よりも恐ろしい目に遭わせてやろうとしているのに、そのことに全く気付いていないオリヴァンに興が削がれ、プリエはかなり大きく舌打ちをしてから吐き捨てるように言い放つ。

 

「性根がひね曲がって腐り落ちてるからでしょ」

 

「違う!!というかどうして舌打ちした!!」

 

「なら、いじめられるから」

 

「それも違う!!あんな奴ら、僕が本気を出せば一発だ!!」

 

 いきり立つオリヴァンに対し、主従の反応は冷たいものだった。オリヴァンが反論し、熱くなればなるほど、対照的に主従は冷めていく。

 

「じゃあ、どつき回してやればいいじゃない」

 

「それはできない。あいつらの家はド・ロナル家より格上なんだ。そんなのに手を出してみろ!うちに迷惑がかかるじゃないか

つまり僕は我慢してやってるのさ!学校に行ったらそのうち我慢の限界が来て、暴れちゃうかもしれないからな!」

 

「アンタの虚勢はどうでもいいけど、アンタみたいなのが一番悪魔の甘言に乗せられやすいのよね」

 

「なっ!?ど、どういうことだ!!」

 

「自分では何もできず、かと言って何もせず、言い訳を言い、虚勢を張り、強い力を求めている、恰好の餌食じゃない」

 

 全て図星だったのか、オリヴァンは何も言い返せず、せめてもの抵抗か精一杯プリエを睨みつけ、低い声で唸っている。

──それが虚勢だって、なんで気づかないの

 

「…な、ならお前はどうなんだよ!人のことを言えるほど、自分は強いのかよ!」

 

 責任転嫁。そういう腐ったところもまた悪魔にとって都合がいいのだが、悪魔であるプリエにしては珍しく、揚げ足は取らずに沈痛な趣で返事をした。

 

「…アタシは、弱いわよ」

 

「ほら見ろ!お前だって人のこ──ヒッ!」

 

 プリエに悲しい顔をさせたオリヴァンに一瞬で沸騰し、シャルロットは凄まじい形相で彼を睨みつける。今度は、プリエがシャルロットを手で制していた。

 

「いいのよ、言わせておけば。それに、事実なんだから」

 

 プリエは魔力を手のひらに凝縮し、存在するだけで大気をビリビリと震わすような、破滅の炎をそこに灯していた。オリヴァンは驚きで声が出ずに、口をパクパクさせている。

 

「いくら力を持っていたって…アタシは仲間から、自分から逃げ出した弱者よ…」

 

 握りつぶすように炎を消滅させると、プリエは悲しげに顔を伏せてしまう。

ちらりと見えるそのプリエの表情に、シャルロットは胸を締め付けられ、反射的に口を開いていた。

 

「それはちが──」

 

「スゴいスゴいスゴいぞ!!

な、なあ、お前たち…僕を学校に通わせたいんだろ?」

 

 プリエを慰めようとした言葉は、興奮した様子のオリヴァンに遮られてしまう。

あまり感情を表に出さないシャルロットにしては珍しく、苛立ちを隠そうともせずに頷いた。

 

「なら一つ条件がある…それを飲んでくれるなら通ってやるよ」

 

 

 

 

 

「よお!今日はちゃんと来たみたいだな!」

 

「やっと復学か?なら、復学祝いをパーッとやらないとな!」

 

 次の日、プリエに件の条件を飲んでもらって登校したオリヴァンは、学院の教室に入るや否や、例の三人組に絡まれていた。

 

「い、いや、遠慮しとくよ…」

 

「何言ってんだよ?財布がなくちゃ始まらないだろ?」

 

「食後に運動もしたいしな」

 

 ニタニタとイヤらしく笑う三人組。性格の悪さが笑い方にまでにじみ出ているようだ。

本当、クズばかりと出会うクズみたいな任務だ。と()()()()()()プリエはそう思った。もちろん、そのクズの中にはオリヴァンも含まれている。

 

「…き、君たちに忠告する」

 

 オリヴァンの口から出たのは予想外の言葉。当然、三人組は不快感をもろにあらわにする。

 

「もう僕に関わらない方がいい。痛い目に会いたくなければね」

 

 三人組の表情が一変する。驚愕、そして嘲笑へと。三人組はドットクラスのオリヴァンの脅しがツボに入ったようで、怒りも忘れて笑い転げてしまっていた。

 

「忠告はしたからね…」

 

 オリヴァンはニヤリと含みのある笑みを浮かべると、呪文を紡ぎ出す。

大口を叩いたオリヴァンがいったいどんな魔法を使うのか気になって、一旦笑いをこらえていた三人組が、再び大きく口を開けて笑い出した。

 

「ハハハハハ!!お、お前が遍在なんて使えるはずがないだろ!!」

 

「ヒーヒー…も、もしかして、痛い目を見せるってこのことか…?だったら大成功だな!!」

 

 しかしそんな嘲笑は、今日のオリヴァンの耳に入ってこない。こらえ切れない不敵な笑みを顔に浮かべつつ、しっかりと呪文を完成させると杖を振り下ろした。

 

 すると三人の笑い声が消え、その代わりだと言わんばかりにオリヴァンの遍在が三体生み出されていた。

 

「さて、たっぷりと痛い目を見てもらおうか?」

 

 三人組はオリヴァンの遍在に遊ばれた。風の魔法で吹き飛び、薄皮を切られ、あまつさえ手加減されているようだった。

 昨日のリンチと同じぐらいの時間をかけて三人組をボロボロにした後、オリヴァンは得意げな顔で高らかに告げる。

 

「…不様なもんだね。みんな知ってるかい?達人は己の腕前を誇ったりしないんだ

何故なら、自分が一番その実力を知っているからね!!」

 

 そう言ってオリヴァンが笑い飛ばしすと、三人組は羞恥と憤怒からか顔を真っ赤に染め上げ、いたたまれなくなって教室から飛び出していった。

 

―――じゃあ、アンタも達人じゃないわね

 

 オリヴァンに対し皮肉を言う声なき声は、物理的に空気と一体化して姿を消しているプリエ。

 

 先程の種明かしをすると、あの遍在はただのプリエの分身だ。

魔力を込めずに呪文を完成させ、杖を振り切った瞬間にプリエに分身を出してもらっただけなので、強いのは当たり前である。

 

 そして、オリヴァンが出した条件とは、プリエに代わりに魔法を使ってもらい、自分の評価を引き上げるということだった。

 

 こうやってズルをしているのに、みんなからチヤホヤされて本気で喜ぶ姿を見て「やっぱ悪魔の甘言に乗るタイプじゃない」と、プリエは呆れながらため息をついた。

 

 

 

 

 

「お迎えにあがりました」

 

「ご苦労」

 

 おそらく人生の中で一番褒められたのではないかと思われるほど褒められ、いつにもなく上機嫌のオリヴァンが馬車の中に入ると、静かに風が渦巻いてプリエとシャルロットが現れる。

 ちなみに、シャルロットはプリエと一緒に空気となって、文字通りプリエと一体化していたのだ。

 

「ハハ!あいつらの顔を見たか?真っ赤になってたな!僕を散々イジメた報いだ!」

 

「あっそ。それで、他人の力で同じように人をコケにして気は済んだ?」

 

 オリヴァンはあっけらかんと言い放たれたプリエの皮肉で気を悪くして顔を歪めるが、すぐに思い直して意地の悪い笑顔になる。

 

「…まだダメに決まってるだろ、一回で僕の気が済むものか!

みんなが僕を認めるまでずっとだ!今まで僕を馬鹿にした連中全員を見返してやるのさ!」

 

 依頼を達成するまではプリエが約束を守ってくれると思っているのか、オリヴァンは大胆にもそう言い放った。普段のプリエならば呆れてそのままやりたい放題をさせ、適当なところで切り上げてしまっていただろう。

 しかし、何故かプリエはそうせずに、不愉快だと言わんばかりの視線をオリヴァンへと投げかけた。

 

「…とことん腐ってるわね。自分でがんばろうとか思わないの?」

 

「だ、黙れ!お前に何が分かるんだ!」

 

「そうね、何も分からないわ。がんばったこともない甘ったれたクソガキの考えなんてね」

 

「き、貴様!言うに事欠いてなんてことを!」

 

 オリヴァンは真っ赤になってプリエにつかみ掛かるが、凄い風が吹いて押し戻されてしまう。

 

「何?悔しい?だったらアタシを見返せるように努力してみなさいよ。本気を出せばアイツらも一発なんでしょ?なら、本気を出しなさいよ

それができないのなら、アンタのプライドはその程度ってことよ」

 

 声はいつもの調子だが、プリエがイラついていることがシャルロットにだけは分かった。

全く興味なく場の推移を聞き流していたシャルロットだが、プリエが心配になって少しだけ彼女を見つめる。

 

「うぐぐっ!!くうっ…!

そりゃ僕だってあいつらを自分の力で見返してやりたいよ…!でもできないんだ!少しは努力だってした…もちろん続かなかったよ…

あいつらに勝てる姿が想像できないんだ!それが僕なんだよ!

あいつらはクズだ!でも、そんなクズに勝てない僕は…いったい、なんなんだよ…!」

 

「そりゃあクズよ。最後まで努力しても女神様が微笑んでくれるかは別だけど、少なくとも努力は自分を裏切らないわ」

 

 自分だけはね…とプリエが淋しそうにつぶやいたのを、シャルロットは聞き逃さず、すごく悲しい気持ちになる。

 屋敷へと向かう馬車の中は重苦しい沈黙に支配されて、誰も口を開かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

―――腐った性根は、そう簡単には直らないわね…

 

 あれだけボロクソに侮辱されたというのに、オリヴァンはそれでもプリエに頼り続けた。

さすがにプリエは呆れ果てて、“2日以上行かせた”つまり通わせたのだから任務は終わり。と切り上げようと思ったが、どうにもアネットの顔が頭から離れず、渋々と付き合ってやった。

 オリヴァンは水を得た魚のように活動し、虚名を欲しい侭にしていた。

 

 今は数日経ったある日。プリエはストレスを和らげるために、当てがわれた部屋でシャルロットを撫でていた。

 

「全く、あれぐらいなら、やる気さえあれば一日でどうにかなるのにねー」

 

 アレは、数十年魔法の研鑽を積んで才能がある者しか辿り着けないような境地なのだが、プリエにとってはそうでもないようだ。

ただ、それこそ一日に何度も何度も死にかけるような壮絶な修行になるだろうが。

 

 そんなことをシャルロットがぼんやりと考えていると、全裸の女が窓から飛び込んできた。

女は窓を破った勢いのままにゴロゴロと部屋を転がっていき、壁にぶつかって、ゴン。と鈍い音を立ててやっと止まる。

 

「あぐぅ…あ、頭ぶったのね…

そ、そんなことより!」

 

 少し涙目になりながら女が立ち上がり、プリエを勢いよく指差す。

 

「プリエ!私を差し置いてお姉様の使い魔になるとはどういう了見なのね!」

 

 プリエは心底訳が分からなさそうな顔をして、シャルロットに尋ねる。

 

「知り合い?」

 

「知らない痴女」

 

「お姉様っ!?」

 

「そうね、アタシも知らない韻竜だわ」

 

 くすくすと、悪戯げな笑みを浮かべているプリエ。別に嫌いではないし、むしろ気に入ってすらいて、普段ならばするりと受け流すところなのだが、シルフィードにとって時期が悪かったと言えよう。

 

「嘘つくのね!変身してるシルフィが韻竜だって分かってるなら覚えてるはずだわ!

しらばっくれるのはやめるのね!」

 

「アタシの観察眼嘗めるんじゃないわよ。今はハルケギニアの吸血鬼の見分けだってつくわよ」

 

「ふぬっ!!?ふぬぬぬ~~~~!!!」

 

 久しぶりに訪れた騒がしくても楽しい時間に、シャルロットは微笑みを浮かべる。まあ、シルフィードだけは本気で怒っているようだったが。

 

「で、何の話だっけ?シルフィード」

 

「うがー!!!やっぱりシルフィをおちょくってたんじゃないのー!!もういいわ!!大いなる存在に刃向かったおバカな韻竜として名を残すことになっても!シルフィはプリエを殴らないといけないのね!!」

 

 シルフィードがプリエに向かって飛び掛かった瞬間、光の縄がシルフィードの体を器用に縛る。光の縄はエネルギーすら吸収しているのか、シルフィードは地面に向かって直角に落ちていた。

 

「きゃん!」

 

「アタシに手を出す意味、賢い韻竜なら分かるわね?」

 

「………な、なんのことなのね?シルフィおバカな風竜だから分からないのね」

 

「なら、おバカな風竜にも分かるように体に教えなくちゃね」

 

「ごごごごめんなさいなのね!!!痛いのは勘弁してほしいのね!!!」

 

「なら、気持ちいいのにしましょうか」

 

「い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!犯されるのねー!!!!助けてお姉様!!!!」

 

「大丈夫、すぐに何も考えられなくなるから」

 

「全く大丈夫とは思えないのね!!?」

 

 口でもムリ。力ではもちろんムリ。そんなことなど分かり切っていながらプリエに飛びかかった結果がコレだ。

 使い魔のルーンを通して伝わってしまったあの日の夜を思い出しながらシルフィードは青くなり、心の中でプリエよりもランクが下の“大いなる意思”に助けを懇願していた。

 そして、決死の祈りが通じたのか。じりじりと近づいてくるプリエの手がシルフィードの秘部に当てがわれて甘い叫びが漏れてしまったちょうどそのとき、この部屋の扉が開く。

 

「騎士さま、ご夕食をお持ちしまし──」

 

 こんな光景を見た純粋なアネットは、当然思考が追いつかず、固まってしまう。見る見るうちに真っ赤になっていくアネット、今なら顔で鉄が溶かせそうだ。

 

「きゃあああ!!ご、ごめんなさい!!」

 

「ガーゴイルの手入れ」

 

 別にこれからやることヤろうと思ってましたとバラしても良かったのだが、流石にアネットを間接的に汚してしまうような行為は気が引けたのか、シャルロットはすぐさまフォローに入った。

 

「えっ!?魔法人形!?な、なんだ…私、てっきり…」

 

「てっきりもな「手入れ」むぅー………」

 

 シャルロットが強引に押し通すことで、プリエもしぶしぶながら押し黙る。

プリエとしては、バラしてアネットが赤くなろうが、シャルロットに強引に止められようがどっちでもよく、口では不満げにしながらも、主人に言うことを聞かされるという初めての体験を楽しんでいた。

 

「あ、あの、手入れは終わりましたのでしょうか…?

で、できれば御召し物を…」

 

「………そうね、女の子型のガーゴイルをいつまでも裸にしておくのはかわいそうよね」

 

 プリエがシルフィードから手を離すと、光の縄がアネットと同じ作りのメイド服に変化する。ハルケギニアへ来てもう半年以上…プリエの魔法は、いつの間にか始祖ブリミルすら遥かに凌駕するほどの便利なものになっていた。

 

「ほわあああ!可愛いのね!シルフィ、メイドさんになったのね!

それに、着心地も最高なのねー!!」

 

 しかもシルフィードを気遣って、魔力によって着心地の良さまで追及している。おそらくシルフィードは生まれて初めて、服を着て良かったと思っただろう。

 ちなみにこのメイド服、副産物として、そこら辺のスクウェアメイジが魔法をかけた鎧よりも防御能力があったりする。

 

 シャルロットが羨ましそうな目でシルフィードを見ていたので、プリエが「後で作ってあげる」と囁いたら、シャルロットは嬉しそうに微笑んだ。

 

「そういえばさー、アンタはなんであんなにオリヴァンに入れ込んでるのよ?」

 

「…坊ちゃまは私を助けてくださったのです」

 

「はあ?」

 

 なんでも、大事な壷を割ってしまったときに身代わりになってくれたらしい。当時は失敗続きで叱られてきた日々だったため、余計に心に響いたようだ。

 

 オリヴァンの実態も知らず号泣しているバカ竜はともかく、プリエもシャルロットも過去一度だけの好意的な行動で相手の評価を改めるバカではない。二人は、その行動には絶対に何か裏があると考えていた。

 

「入れ込んでいる理由は分かったわ。でも、どうしてアンタは何も言わないの?」

 

「そんな!恐れ多い!私にできることは、坊ちゃまの我が儘を聞くぐらいのことですから」

 

「それはできることとは言わないわ。諦めって言うのよ」

 

 優しいアネットが今までやっていた、変わるまで待つという消極的なやり方をキッパリと否定され、彼女はたじろぐ。

 反論しなかったのは、彼女がおとなしいからではなく、心のどこかで今のままではダメだという思いがあったからだろう。

 

「ッ!で、では…私はどうすれば…」

 

「アンタは、オリヴァンの為に命を賭けることができる?」

 

 先程までのどこか不誠実な雰囲気は消え、美しささえ感じるプリエの真剣な表情に、嘘をつける者はこの世界にはいないだろう。

 あの能天気なシルフィードでさえ雰囲気に飲まれてしまっていて、緊張した(おもむき)で二人を見守っている。

 

「…はい、一度坊ちゃまに助けられたこの命、坊ちゃまの為なら…」

 

 力強くはない、けれどはっきりと、アネットはプリエの目を見て答えた。オリヴァンを想って出た、心の底からのその答えに満足して、プリエは破顔する。

 

「いい返事ね。じゃあ、ちょっと荒事になるけど黙認してもらうわよ?」

 

 

 

 

 

 

 

「君たち、恥ずかしくないのか?用心棒を雇うなんて姑息な真似をしてさ」

 

「姑息?俺たちが姑息だって?

あはははは!その言葉、そっくりお前にお返しするよ!!出て来いよ!風の化身とやら!」

 

 イジメっ子の言葉で、プリエ、シャルロット、人間形態のシルフィードが姿を現す。ちなみに、朝にオリヴァンと一悶着あった為、シルフィードは不機嫌だ。

 

「なっ!?お、お前たちどうして!?」

 

「親切な誰かが教えてくれたんだ。そりゃあそうだよな!才能のないお前が急にスクウェアなんてなれるものか!

それで、まさかお前が受けた決闘を代わってもらうとは言わないよな?」

 

「う…うぁ……」

 

「言っとくけど、アタシは代わらないわよ

アンタがクズ以下の厚顔無恥って認めてアタシに土下座でもするなら別だけど」

 

 プリエに冷たく突き放されて、それでもプリエになんとかしてもらおうという気持ちもあったオリヴァンから、その気持ちが完全に吹き飛んだ。

 貴族や人としての最後のプライドもあったが、まるで道端の石ころでも見るような視線が、プリエの言葉を裏付けていたからだ。

 

「あはははは!!どうやら、風の化身殿は高位の幻獣に相応しい知恵と誇りを持っているようだな!

別に僕らは構わないぜ?ただ、お前は決闘から逃げた恥知らずの面汚しとして名を残すことになるがな!」

 

「さあ、杖を構えな坊や。お前に誇りがあるのならな」

 

 鞭へと改造した己の杖をパンと鳴らしながら、いかつい傭兵はバカにするように告げる。

しかし、傭兵の予想を下回って、オリヴァンはガタガタと震えるだけで一向に杖を構えようとしない。

 恐怖が疑問だけを増幅させ、考えることを止めてしまっているのだ。

 

「…この、腰抜けがぁ!」

 

 そんなオリヴァンの態度に痺れを切らし、傭兵がオリヴァンに向かって火球を飛ばした。

 

「ヒッ!」

 

 オリヴァンは目をつぶって縮こまるが、一陣の風が簡単に火球を吹き飛ばしてしまう。

傭兵は忌々しげに目を細めると、オリヴァンの後ろの方に控えていたプリエを睨み付ける。

 

「おいおい。手出しはしないんじゃなかったのか?」

 

「そっちこそ、これは決闘よ?相手が杖を構える前に攻撃するのはマナー違反じゃなくて?」

 

 プリエのもっともな言い分に傭兵は言い返せず、忌々しげに大きく舌打ちをした。

いかにも荒くれといった見た目の割には意外と常識があったことに少しだけ驚いたが、そんなどうでもいいことは一切顔に出さずに、プリエは大きくため息をついた。

 

「…つーか、アタシさっさと帰りたいのよ

オリヴァン、ここで全裸になって土下座しながらアタシの足を舐めなさい。そうすればコイツらの存在ごと、()()()()()()にしてあげるわ」

 

「「「「なっ!?」」」」

 

 これにはオリヴァンだけでなく三人組の驚愕の声が重なるが、傭兵はプリエの底知れぬ実力を感じ取っていたのか、黙して冷や汗をたらりと流しただけだった。

 そして三人組は口々に、親の権力でプリエにくだらない脅しをかけはじめた。

 

「黙りなさい、人間」

 

 プリエの有無を言わせぬ圧倒的な迫力が、この場の全てを釘付けにし、息を飲ませる。

存在するだけで世界を己の色に塗り替えるその姿は、まさに我を至上とする魔の王のものだろう。

 

「アタシは風の化身、世界に流れる風()()()()よ。騒ぎが大きくなるんだったら国ごと潰すだけ

国一つとたかだかクソガキ三人の命、天秤に架けるまでもないでしょ?」

 

 普通なら、ありえないと鼻で笑い飛ばされるような話だが、三人組にはプリエが嘘をついているとは思えなかった。

 実際、嘘はついていないどころか、その程度の枠に当てはめるなど伝説の魔王の冒涜もいいところだ。

 

「さて、オリヴァン」

 

 先ほど三人組を脅したときの平坦な声で名前を呼ばれ、オリヴァンは思わずびくりと震えて瞬時に姿勢を正した。ぶるぶると震えながらゆっくりと振り返るオリヴァン。

 恐ろしくても目を逸らすことが許されないオリヴァンが見たプリエは、どのような感情も読み取れない無表情を顔に張り付けていた。

 

「本来なら殺されてもおかしくないようなアンタの愚行、誇りを捨てるだけで許してもらえるのは安いと思わない?」

 

「そ、それはどういう…」

 

「全裸になって土下座しながらアタシの足を舐めないなら、アタシがアンタを殺すってことよ」

 

「なっ!?」

 

 吐き捨てるようにそう言い放つプリエからは、人を殺すというような鋼の意思は感じられない。

 しかし、それこそが人の命を虫けら程度にしか考えていない証明にもなり、無意味に虫の命を奪う子供程度の感覚でプリエが人を殺すところが、オリヴァンにも簡単に想像できた。

 

「さあ、早くやりなさいよ。それとも、殺されたい?」

 

 オリヴァンは少しばかりの怒りとほとんどの恐怖でわなわなと震えていたが、無言で俯いて服のボタンに手をかける。

 

「アッハハハハハ!!!ホントに不様ね!!!死にたくないから自分の誇りを殺す!貴族とは思えないわ!!」

 

 プリエの暴言とこっぴどい嘲笑に思わず手が止まるが「何?死にたいの?」と言われ、慌てて再開する。

 

「あーおかしいおかしい!!人ってここまでプライドを捨てられるものなのね!!ああ、もう人としてのプライドもないからブタか!!そりゃアネットに見限られるワケだわ!!」

 

 反射的に手を止め、顔を上げるオリヴァン。

先ほど、それこそプライドをずたずたに引き裂かれるような罵倒を受けてさえプリエに従っていたオリヴァンが、アネットが見捨てたという言葉一つで命令を完全に放棄したのだ。

 

「…ど、どういうことだ…!」

 

「朝アンタが話してくれたじゃない『旅行に行きたくなかったからアネットをかばった』って。それを話してあげたら、彼女すごく落胆して『こんな打算的なクズに献身的に仕えていた私はバカみたいじゃないか』って言ってたわね」

 

「う、嘘だ!!あいつがそんなこと言うはずがない!!」

 

 今まで、どんな辛いことがあっても心のどこかでなんとか平静を保てていたオリヴァンは、今までと同じように見限られた、それもたった一人の平民の使用人に見限られただけだと言うのに、何かがガラガラと音を立てて崩れ去っていく感覚を覚えていた。

 

「なんで?アンタだって言ってたじゃない『どうせ給金を上げてもらうために尽くしてる』って。決闘があるって話したのに駆け付けてくれなかったのがその証拠よ」

 

「黙れ黙れ黙れ!!!それ以上言うなら…!!」

 

「言うなら何よ?人間の尊厳すら捨てようとしてるアンタに何ができるの?

アネットもいなくなって、自分で自分を認めることもできない正真正銘のクズに」

 

「うっ…!ううっ!うううっ!!!うああああああ!!」

 

 悔しくて、全て正論だったのが悔しくて、それでもプリエに従おうとしている自分が悔しくて、気づけばプリエに向かって魔法を放っていた。

 

 人の薄皮を切るのが精一杯のドットメイジの魔法は、プリエの頬を薄く切り裂き、少し血を流させただけ。プリエがその血を手の甲で拭い取ると、オリヴァンは真っ青になり頭を抱えてうずくまる。

 

「やるじゃない。アタシに攻撃できるなんてたいしたもんよ」

 

「へ?」

 

 思わず間の抜けた声を出して、オリヴァンはプリエを見上げる。

オリヴァンへの嘲笑で満ちていたプリエの表情は、打って変わって嬉しそうで優しい笑顔に移り変わっていた。

 

「さっきの話は嘘よ。少しだけアンタを認めてあげるわ

少なくとも、あっちのクズ三人よりはマシよ」

 

「え?…ほ、ホントに?」

 

「世界の4分の1のお墨付きが信用できないの?

ほら、立ちなさい」

 

 差し出されたプリエの右手を恐る恐る取り、オリヴァンは立ち上がった。

改めてプリエと向き合うと、見ているだけでこっちまでつられて嬉しくなってしまいそうな笑顔と共に、オリヴァンがつけた小さな傷が彼を認めるように主張しているような気がした。

 

「さて、決闘の邪魔して悪かったわね。もう始めてもいいわよ」

 

「お、おい!ちょっと待てよ!」

 

「今のアンタなら大丈夫よ。決闘に勝った負けたなんて重要じゃない。大事なのは自分に負けないことよ」

 

 初めて背中を押してもらえたことで、ついに自分を肯定できたことで、オリヴァンの胸に嬉しさが去来する。

 

「…自分に負けないこと………分かった、来い!」

 

 彼は自分の手を見て、噛みしめるようにプリエの言葉を繰り返すと、強く握りこんだ杖を相手へとまっすぐに向けた。

 

 

 

 

 

 これまでの自分から一皮剥けて、やっと前へと進みだしたオリヴァン。ただ、オリヴァンは別に強くなったワケでもないので、相手の傭兵になすすべもなくボコボコにされていた。

 しかし、それでも彼の目には闘志が有り、自分の意思で立ち上がっていた。

 

「なあ、これ以上やると死んじまいますぜ?」

 

「そうだな…おいオリヴァン!僕たちに謝るならこの辺で勘弁してやるよ!」

 

「…嫌だ!僕はもう、自分に負けたく、ない!」

 

「へっ!ヘタレのボンボンかと思ったら、中々大した野郎じゃねえか!その気合いに免じて次の一発で消し炭にしてやるよ!」

 

 傭兵は空気から水を取り出し、錬金の魔法で油にして巨大な油の球を作り出す。これにはいじめっ子三人も驚き戸惑った。

けちょんけちょんにのしてやろうとは思っていたが、殺そうとまでは考えていなかったのだ。

 

「お、おい!勝手なことは──」

 

「お言葉ですがね坊ちゃん。相手がやる気満々なのにこちらが退けば決闘は負けになりますよ?いいんですかい?」

 

 ここで、いじめっ子の主犯格は少し考える。

オリヴァンがどうなろうと、さっきからただただ成り行きを見守っているプリエたちは何もしてこないだろうし、オリヴァンがプリエになんとか復讐してもらおうとしないとは限らない。

 そもそも殺すのはこの傭兵であり、この決闘は学院の管轄外であり、たとえオリヴァンが死んだとしてもしらばっくれればいいだけなのだ。

 

 ついに変わることができたオリヴァンとは違い、何も変わらないクズ丸出しの思考で、主犯格は傭兵に命令を下す。

 

「……そうか、そうだな。決闘で名誉の死を遂げたなら、ド・ロナル家にも箔が付くというものだろう。やれ!」

 

 主犯格の言葉を聞いた傭兵は、すぐさま魔法で油に火をつける。巨大な火の玉の出来上がりだ。

完成した火の玉は、傭兵が振るったムチに合わせて解放され、オリヴァンに向かってかなりのスピードで飛んでいく。

 

 避けることも呪文を唱えることもできず、迫る火の玉を満身創痍の体で見つめるオリヴァンは、これから死ぬというのに不思議と恐怖はなかった。

心残りはまだまだあるが、あまり悔いはない。ただ、アネットに成長した姿を見せたかったな。とポツリと思った。

 

「ハァッ!」

 

 しかし、彼を焼くはずだった火の玉は、その遥か手前で破裂して消え去った。

 

「なっ!?ば、バカな!!俺の最大の魔法が平民の…しかもメイドに潰されただと!?」

 

 そして、同時に彼の想いも叶っていた。

 

「坊ちゃま、素敵でしたよ」

 

「あ、アネット!?どうして!?」

 

 衝撃と驚愕の連続に、オリヴァンは痛みすらも吹っ飛んで思わずそう叫んでいた。

そんな主人に振り返ったアネットは、あの優しいだけの少女ではない、自信に満ち溢れた微笑みをオリヴァンに送っている。

 

「申し訳ありません、訳は後で全てお話いたします。さあ、次は私が相手です!!」

 

 ほんの一日前は確かにただのメイドだったはずなのに、アネットの構えと体運びは素人でも分かるほど隙がなく、完全に達人のソレになっていた。

 

「てめえ!どんなトリック使いやがった!」

 

「すぐに分かります」

 

 アネットから漏れ出る()()()、オーラとも言うべきものを傭兵は感じ取り、それ故に叫ぶ。メイジたる自分が、たかだか平民のメイド風情に気圧されるなど、あってはならないのだ。

 

 すぐさま傭兵は火の玉を放つが、今度は発射した瞬間に掻き消され、そのまま吹っ飛ばされて後ろの木にぶち当たり気絶した。

少なくともオリヴァンと三人組には、アネットは何もしていないように見えたはずなのに。

 

「さあ、まだやりますか?

私、貴方たちには容赦できませんよ?」

 

 そんな得体の知れないアネットに鋭く一睨みされ、三人組は情けない声を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。

 タカのように睨み続けて三人組の姿が見えなくなったことを確認すると、アネットは構えを解いてオリヴァンに駆け寄っていく。

 

「本当に坊ちゃまは勇敢でしたよ。さあ、今すぐ治療いたします」

 

 アネットがオリヴァンにひざ枕をしてお腹に手を置くと、暖かい感覚が彼の全身に広がり、痛みがすぐに消えていった。どうやら、切り傷や軽度のやけども、キチンと治っているようだ。

 これは昔受けたことがある水のメイジの治療よりもずっと効果が高くて、それ故にオリヴァンは先ほどと同じくらい驚いていた。

 

「お、おいアネット!君は先住魔法が使えたのか!?」

 

「違いますよ、私は平民で坊ちゃまの召し使いでございます。これは“気”という技術だそうです」

 

「“キ”?魔法以外でこんなことができるもんか!」

 

 からかわれているような気分になり、オリヴァンは少し憤慨してしまう。

確かに、魔法こそが絶対の価値観であるこの世界の住民が理解することは難しく、だからこそプリエがオリヴァンに説明する。

 

「それができるのよ。ま、普通なら何十年も体を鍛えないと無理だけどね

アネットにはだいぶ無理して習得してもらったわ」

 

 完全に規格外の存在であるプリエからそう告げられれば、どんなに信じがたいことでもすんなりと受け入れられるようで、オリヴァンは少しだけ不承ながらも納得していた。

 しかし、今度は別の疑問が彼の中に浮かび上がっていた。

 

「…その話が本当なら、どうして君はそんなに頑張れたんだ?」

 

「その理由はあのときから変わりません。全てはお坊ちゃまを想えばこそです」

 

 ひまわりのような明るい笑顔を浮かべるアネット。それはオリヴァンがアネットを庇ったあのときから、純粋に彼を慕い続けてきた証拠であった。

 だからこそ、オリヴァンは汚い卑怯者だった自分自身に、顔を歪める。

 

「…アネット、君を庇ったのは、本当は…」

 

「知っておりますよ、それでも私は嬉しかったのです」

 

 そう、彼女は知っていた。

オリヴァンの両親以上に、もしかするとオリヴァン自身よりも、オリヴァンのことを知っていた彼女が、そういった考えがあったかのと考慮しないはずがない。それでも彼女はオリヴァンを見限ったりはしなかった。

 そして、そこまで想われているのなら、オリヴァンも彼女の敬意に応えないわけにはいかない。

 

「……そう、だったのか…

アネット、僕も立派なメイジになれるかな?」

 

「ええ、なれますよ

平民の私ですら、努力だけでこのようなことができるようになったのですから

それに、風の化身様が仰っておられました、諦めなければどうとでもなる、と」

 

「諦めなければどうとでもなる、か………アネット、僕、がんばるよ」

 

 自分を認めたことで、ついに今まで支えてくれていた掛け替えのない存在を認めることができたオリヴァンは、今までにない爽やかで晴れやかな表情を浮かべていた。アネットは主人の立派な成長に満足げに頷く。

 

「はい!その意気です!まずは領地100周です!」

 

 だが、アネットのとんでもない返しでオリヴァンの笑顔が固まってしまう。

冗談だと思いたいが、プリエと同じような勝気な表情のアネットからは、そのような雰囲気は微塵も感じられない。

 

「え…?そ、それはちょっと…」

 

「何を言ってるんですか?この程度はウォーミングアップですよ?」

 

「………あの、できれば魔法だけがんばりたいんだけど、ダメかな?」

 

「ダメです。風の化身様は、体を鍛えれば精神力も同時に鍛えられると仰っておりましたから」

 

 この世界の魔法には気も混じっているため、間違いではない……のだが、これをウォーミングアップと言い切れるこの世界の人間は、発言者であるアネットに、彼女よりもさらに強いルイズ、それとアニエスとワルドぐらいだろう。

 

「…トホホ」

 

 プリエの名を出されると、どんな無茶でも正論に聞こえてしまい、がっくりとうなだれながらオリヴァンは折れた。

100周は絶対に無理だけど、できるだけ頑張ってみよう。彼はそう胸に誓った。

 

 この二人は、後に国有数のメイジと伝説のメイドのコンビとして歴史に名を残すことになるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーと、何コレ?」

 

 任務も終わって新主従がトリステイン魔法学院に戻ってみると、そこは酷い有様だった。

 学院の象徴たる系統魔法の属性名を持つ5つの塔がことごとく破壊され、真ん中の塔の一部も崩れていて、外壁なんて崩れきっている。

更に周囲の森が広い範囲で更地になっており、一つの斬撃が地平線の向こうまで走っていた。奇跡的に使用人の寄宿舎と、食堂だけは無事だ。

 

 まるで戦争があったかのような大惨事だが、コレが一人の人間によって成されたものだと、プリエは予測をつけていた。というか、それ以外だったらこんな繊細な力の使い方ができる者など、自分の部下しかいないだろう。

 

「おお…!ミス!ミス・プリエ!待っていましたぞ!」

 

 学院の門だった瓦礫をまたぐと、待ち構えていたかのようにコルベールが近寄ってきた。

学院がこんな状況では寝る場所もままならないので、本当にここに避難しながらプリエを待っていたのかもしれないが。

 

「だいたい予想はつくけど、誰がやったの?」

 

「お察しの通り、ミス・ヴァリエールです…

我々も止めようとはしたのですが…生徒一人になすすべもなく…お恥ずかしい限りです…」

 

「いや、ルイズに立ち向かっただけでも大したもんよ」

 

 すでに、ルイズの強さは、悪魔たちに噂され始めた頃のプリエに迫るものになっている。

そんなルイズと相対すれば、この世界では比肩なき恐怖を受けると思うのだが、召喚の儀のときといい、ルイズの代わりにフーケ退治に立候補しようとしたときといい、この冴えない教師の意外な胆力に、素直に感心してしまう。

 

「で、ルイズ何か言ってなかった?」

 

「そうですな……たしか、『私一人になれば…』と言っておりました」

 

 その言葉の意味はよく分からなかったが、そんなことなどルイズに聞けばいいだけだ。それも、手段は問わずに……

 

「ふーん…

まあ、とりあえずルイズを止めないとね」

 

「おお!これは心強い!ついでに、彼女にはキツイお灸を据えてくれるとありがたいですな」

 

 この言葉が後のルイズの運命を決定づけてしまったことをコルベールはまだ知らず、呑気にも普通にプリエに叱られるルイズを想像していた。後悔先に立たずとは、まさにこのことだろう。

 

 ルイズの居場所はすぐに分かった。もはや邪気とも言えるほどの邪悪な魔力を撒き散らしているのだ。これなら平民にでも分かるだろう。

 

 その邪気の中心、学院長室の扉を開け放つと、ルイズがいきなりシャルロットに襲い掛かった。それは、とうてい人間が反応できる速度ではなかったが、プリエは難無く光の縄で押さえ込んだ。

 

「放しなさい!キュルケは粛清した!あとはシャルロットをどうにかすればプリエは私だけを見てくれるのよ!」

 

 光の縄で縛られてもなお、シャルロットへ飛び掛かろうともがくルイズ。ルイズの怒りは子供が癇癪を起こしたようなものだが、ルイズが強すぎるせいでその迫力は尋常ならざるものになっていた。

 ルイズと決定的に敵対してしまったあの夜以上の恐怖を感じ取ったシャルロットは、プリエの後ろでぶるぶると震えている。

 

「ルイズ」

 

 その声を聞き、ビクリと震えて固まるルイズ。無我夢中だったため、自分を無力化できる者の正体までは頭が回っていなかったようだ。

 

「それとミシア」

 

 プリエの呼びかけに答え、何もないところからミシアがフッと姿を現す。

ウラヌスですら絶対に見つけられないほどに厳重に隠れていたのだが、そんな自分の実力を信じて隠れ続けていたら、恐らくこの場で下半身が泣き別れしていただろう。

 

「ば、バレちゃってましたか~」

 

 ミシアはその汗だけで床に水溜まりができるほど汗をダラダラと流し、目は全く焦点が定まっておらず、いろんなところを泳いでいた。

 

「ルイズが暴走したら止めるのはアンタとウラヌスの役目でしょ?何やってんのアンタ?」

 

「こ、これはですねー…なんと言いますか…」

 

「ウラヌスは?」

 

「ね、猫ちゃんはー…急に実家が恋しくなって里が「ウ・ラ・ヌ・ス・は?」ごめんなさい嵌めてハメました」

 

「…アンタ、後でアタシの“遊び”に付き合いなさい」

 

 それを聞いた瞬間、ミシアは泡を吹いて卒倒してしまった。

フリではなく完全に気絶してしまっていて、恐怖だけで大魔王が気絶する“遊び”など、シャルロットには想像もつかなかった。

 

「で、どこへ行こうとしてるのかしら?」

 

 再びビクリと身体が跳ね、固まるルイズ。彼女は芋虫のように這ってまでなんとか逃げようとしていて、無茶なことをするものだからスカートがずり落ち、あられもない姿になってしまっている。

 その哀れささえ感じる様子からは、どう考えても不可能だとしても、とにかくこの場から逃げ出したかったことが伺える。

 

 ルイズは、顔を上げてプリエに振り向く。

幼い頃は「母に逆らうくらいならエルフの群れに一人で突っ込む方がマシ」と思ったものだが、今は「プリエに怒られるくらいなら世界の全てを敵に回す方がマシ」と思った。

 ルイズの股がじんわりと温かくなるが、コレを飲み干してプリエが許してくれるなら、彼女はそれこそ狂喜乱舞しながらおいしそうに飲み干すだろう。

 

「まずは言い訳を聞いてあげるわ、50文字以内でね」

 

「ミシアにそそのかされてキュルケに復讐してそのまま暴れてしまいました本当に反省していますので許してくださいお願いします」

 

「惜しかったわねー『許してくだ』で終了。ルイズもお仕置き決定よ」

 

 お仕置きが何かは分からないが、大魔王であるミシアが恐怖だけでああなってしまったのだ。とにかく恐ろしいことだけは分かる。

 

「従うわ!!私あなたの命令ならどんなことでもやるから!!お仕置きだけは本当に勘弁して!!ね?」

 

 ルイズはガタガタ震えながらも精一杯悩ましいポーズを取り、プリエを誘惑しようとする。

この方法は、三日は足腰を立たなくされるだろうが、シャルロットとも契約する前のプリエにだったら功を奏していただろう。

 しかし、今のプリエはシャルロットとルイズを平等に愛している上に、主人に容赦のない制裁を下すことができるようになっている。

 要するに、少し()()()に戻ったのだ。

 

「あら嬉しい。なら、お仕置きしても何の文句も言わないわね」

 

「あああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

 しかし、ヤッてうやむやにしようとするのは、クビを言い渡されたときのプリエと同じ行動なのだが、はたしてルイズは気づいていたのだろうか。

 

「まあ、その意気込みに免じて特別に内容を選ばせてあげるわ

『痛いお仕置き』か『恥ずかしいお仕置き』どっちがいい?」

 

「………………恥ずかしい方……」

 

 プリエの言う『痛い』なんて、怖くて選べるはずがない。しかし、『恥ずかしい』だって、きっともう二度と表に出られないような辱めを受けるだろう。戦々恐々としながら、断腸の思いでルイズは決断したのだった。

 自業自得とは言え、さすがにいたたまれなくなる表情だったと、シャルロットは後に語っている。

 

 

 

 ちなみに、怪我人はキュルケ以外いなかった為(キュルケも怪我自体は軽傷)元々する予定だった公開調教は取りやめになって、もうちょっと軽いお仕置きになったそうだ。

しかし、その光景を見ることになったうちの一人である、あのオスマンでさえ「そのくらいで勘弁してあげた方が…」と発言した程度には酷かったとだけ伝えておこう。

 

 あと『痛いお仕置き』を受けたミシアは、プリエだけでなく、ルイズの部屋でものすごく落ち込んでいたウラヌスも加わっていた為、肉体が完全に消滅して、更に弱り切った魂がシエスタの中で回復中である。

 


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