伝説の使い魔   作:GAYMAX

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第19話 虚無

「順調に成長しているようだな、トリステインの虚無の担い手は」

「ああ。しかし、肝心の虚無の力自体は成長していないようだ」

「何?それはいけないな、アレを使うか」

「アレか、あんな玩具でどうにかできるとは思えんがな———チェックメイト」

「うぅむ……。お前には一度も勝てんな」

「なに、使えるものだけを残し、使えないものをうまく使った結果だ」

「なるほど、いい勉強になった———お前にとっては王すら使えぬ駒か?」

「何を言っている?王がなければ勝負にならない。そこにあるのはただただ混沌だ」

「ハハハハハハ!!やはりお前は面白い!この無能王を使い倒して混沌を見せてみろ!無能は無能なりにお前を使い倒してやる!」

「ククク……できるだけ期待に沿えてみせよう」

 

 

 

 

 

 魔界にポツンと落ちている、吸い込まれそうな暗い黒色の石に小さな亀裂が入る。すぐさま、そこから恐るべきほどの魔力が漏れ出し、邪悪なる思念と共に周囲一帯を己の色へと染め上げた。火山の噴火のように噴出した魔力は再び黒い石に収束すると、そのまま黒い石を一気に粉砕する。

 魔界でもあり得ないほどの(おぞ)ましい魔力が凝縮したその場所には、その魔力の主にふさわしいほどの妖しい魅力を持つ女性が降り立っていた。

 

「ふう、やっと戻ってこれた、か……」

 

 一つの魔界すらも破壊するほどの荒々しい魔力を使ったにしては、驚くほど静かにプリエは復活した。ゆっくりと瞼を上げる彼女の視界に映ったものは、誰もいない荒野と、黒い雲に覆われてどんよりとした暗い空だった。

 有象無象の悪魔がいないことを除けば魔界では標準的な光景であり、人間の感性で眺め続けていれば気が滅入ってしまうだろう。元から見慣れているプリエは特になんとも思わなかったが、実は何も感じなかった理由はそうではなかった。

 

「さて、ちゃっちゃと帰って、ルイズの体を味わい尽さなきゃね」

 

 ずっとルイズから離れていたことと、使い魔のルーンが更に彼女を(むしば)んでいたことが災いし、彼女の頭の中は少女との淫行だけに支配されてしまっていたのだ。彼女は軽く足に力を込めると、魔界の大地を真っ二つに砕きながら、漆黒の翼を大きく広げて飛翔した。

 恐らく数分もあればこの魔界そのものを完全に浄化しつくし、ハルケギニアに魔界の穢れを持ち込まないようにゲートを開くことができるだろう。

 しかし、夜魔族に似た見た目通り性欲の化身と化してしまったプリエに好き放題蹂躙(じゅうりん)されるとは、いくら魔界とはいえ少しだけかわいそうに思えた。

 

 

 

 

 

「へくちっ!」

「やーん!ルイズちゃん、くしゃみもか〜わ〜い〜い〜!」

 

 原因不明のくしゃみでグスグスと鼻を啜るルイズに纏わり付くミシア。ルイズはすごく鬱陶しそうな顔をしている。

 

「……ウラヌス」

「ほら、邪魔するんじゃない」

「ああ!猫ちゃんもルイズちゃんも冷たい!」

 

 邪魔者が引っぺがされたところで、ルイズは白紙の本に視線を戻す。今度はウラヌスに絡みつこうとして綺麗にアッパーカットを貰い、天井に突き刺さった色情魔を気にも留めずにじっくりと見つめてみるが、当然何も読めない。

 

「始祖の祈祷書……本物なのかソレ?」

「……いや、分からないわ」

 

 プリエが封印されてから二月半……ルイズはアルビオン王家を救った報酬を正式に賜った。豪華な祝典とともに、トリステイン王家からは水のルビーと始祖の祈祷書を、アルビオン王家からは風のルビーを頂いた。それほどの功績を残したということと、世界で一番安全な場所だからということらしい。

 ワルドがレコン・キスタに所属していたことは獅子奮迅の活躍で、逆にスパイをしていたということにして不問となった。ついでに言えば、任務は極秘だったため、アルビオン王室が危機に陥っていることを知ったルイズが義憤に駆られ、その類まれなる才能を以って戦を勝利へと導いたことになっていた。

 それ以外にも、ミシアの特別メニューを受けていたアニエスが姫の側近警護兵士となり、ルイズも学院長もいないときにモット伯という変態貴族に買われたシエスタが夜魔として覚醒して貞操を守ったまま自力で帰還するなど、最近はいろいろなことがあった。

 

 そして、授与式が終わり学院の自室に戻ったところで早速始祖の祈祷書を開いたのだが、中身は真っ白で読めるはずもなかった。

 

「ん〜、本物かどうかは分からないけど、アタシは読めるわよソレ〜」

 

 いつの間にかミシアは天井から抜け出しており、何事もなかったかのように話の輪に加わっていた。軽い言葉ではあったものの、魔法が得意なミシアが言うことがどうにも嘘だとは思えず、ルイズは驚きを隠さずに反応する。

 

「嘘!?」

「ホントよ〜。でも、ルイズちゃんは女王様で悪魔よりも悪魔だから教えてあーげない」

 

 そういえば、ミシアのせいでいつの間にか二つ名が『女王様』になっていしまっていたことを、ルイズはイヤな記憶と共に思い出した。自分とウラヌスだけでは十分なおしおきはできておらず、プリエが戻ってきたときにはどうしてやろうか。と、ルイズは黒い考えを持ち始めた。

 

「そーゆーこと考えてるから女王様なのよ〜。ま、焦らなくてもいずれ読めるときが来るわよ」

 

 スルリと部屋の壁をすり抜け、ミシアはどこかへ行ってしまう。基本的に嘘はつかないミシアだが、よく人をおちょくるのであまり信用できない。

 

「ウラヌス、何か読める?」

 

 代わりにウラヌスに始祖の祈祷書を手渡すと、彼女はパラパラとページをめくり、そのまま最後までめくり終わって祈祷書をポンと閉めた。

 

「ダメだな。爆発(エクスプロージョン)しか読めん」

「え!?あ、あなた、コレが読めるの!?」

「一応な。ただ、ミシアの言う通りコレは自分で読んだ方がいいだろう。甘やかすというのは私も好かんからな」

 

 何か新しい魔法が使えるかもしれないという期待に染まっていた目から光が抜けていき、ルイズはシュンとしてしまう。

 

「も、もちろん!ルイズが自力で読めるように私もミシアも全力で協力するぞ!」

 

 なんだかんだ言ってもルイズには甘いウラヌスで、ルイズのしょんぼりした表情をなんとか変えさせるために必死で励ます。すぐにルイズの表情はパアッと明るくなり、ウラヌスの気分も良くなる。

 しかし、おびただしい数の強い殺気を感じて、ウラヌスの表情が険しくなった。

 

「……全く、無粋な輩もいるものだな。少し掃除をしてくる」

 

 ウラヌスの姿が掻き消えるが、同時に窓が開いたので、彼女はミシアのように壁抜けはできないようだ。

 

「まあ、ウラヌスが行ってくれるなら安心ね」

 

 ルイズも相当実力をつけたが、それでも本気どころか、戦う気になったウラヌスすら見たことがない。そんな彼女のことだ、心配するならむしろ相手の方だろう。こんなところで暴れようとしたマヌケに合掌しながら、ルイズは再び始祖の祈祷書とにらめっこを始めたのだった。

 

 

 

 

 

「……行った。作戦は成功」

「意外とうまくいくモンだねぇ。こんなに簡単にご退場してくれるなら、居ても居なくても変わらねえんじゃねえか?」

「それはない。彼女たちには国を挙げたって敵いっこない」

「へえ、そりゃ恐ろしい化け物どもで」

 

 全く信じていない口調だが仕方ないだろう。自分だって、直に見るまではあんな化け物がいるなど思ってもみなかったのだから。たとえ生徒全員を人質に取ったところで、彼女たちよりも速く動けないと意味がない。

 それほどの存在だ、オーク鬼やミノタウロス、火竜やワイバーンなどの凶暴な生物で構成された、小国くらいなら簡単に滅ぼせるであろうという大隊も、サラダを食べきるくらいの時間が持てば大健闘の部類だろう。しかし、あの責任感の強いウラヌスが魔法なしで後始末するところまで考えると、食事程度の時間は稼げると思っていい。更に、この時間はミシアが魔法学院内からどこか遠くへと消えてしまうことは分かっている。

 

「彼女たちのどちらかが戻って来たら任務は失敗する。可能な限り迅速な行動を心掛けること。それと、皆を傷つけたら私が許さない」

「怖い怖い。全く、15の乙女とは思えんなぁ、北花壇騎士タバサさんよぉ?」

「……無駄口は厳禁。解散」

 

 

 

 

 

 自分の部屋の窓を叩く音がしてルイズがそちらに目を向けると、窓の外にはタバサが浮いていた。いつもキュルケと一緒にいるタバサが一人で、しかも窓から尋ねてくるなんて珍しいこともあるものだ。

 窓を開けタバサに用事を聞くと、ついて来てほしいと言われ、フライもかけずそのまま下に飛び降りる。

 

「どうしたのタバサ?」

 

 答えの代わりに一本の巨大な氷の槍が飛んできた。風を切って飛来するソレを、ルイズは眼前でギリギリ砕くことに成功した。

 

「た、タバサ!?」

 

 二人の目が驚きで見開かれる。ルイズはいきなり攻撃されたことに対して、タバサは完璧に虚をついた自分の最大の魔法が簡単に防がれてしまったことに対して。しかし、任務だと割り切り心を閉ざしたタバサの判断は早かった。

 

 ルイズが驚いている間に、タバサはすばやく魔法を完成させる。アイスストーム、氷の竜巻が相手を鋭く切り刻む魔法だ。

 普通の人間ならば確実に絶命するだろうが、相手はルイズなのだ。死ぬことなどあり得ない。しかしタバサの予想を超えて、アイスストームはルイズの制服を切り刻むだけにとどまり、ルイズの肌にかすり傷一つ付けることすら叶わなかった。

 

「……タバサ」

 

 名前を呼ばれただけなのに、思わず心臓が飛び跳ね、冷や汗が滝のように流れだす。タバサの誤算は二つあった。一つはルイズが強くなりすぎていたこと。そして、もう一つはそのルイズと戦おうとしたことだ。

 

「私が納得のいく理由を教えてくれるかしら?」

 

 瞬間、目の前の友は、自分が相対したどんな相手よりも恐ろしく、強い敵となった。全身の震えが止まらない。できることなら、このまま冗談だったと言って許してもらいたい。

 

 しかし、タバサが怯えているのを見て、ルイズは苦々しい顔をした。己が守るべきものがあって、どんな辛いことも任務ならば割り切らなければならないタバサと違い、ルイズは強すぎるだけの16歳の女の子なのだ。

 そんなルイズを見てタバサの甘い考えが強まるが、ソレを振り払うようにルイズに杖を向けた

 

「……もう一度言うわ。私が納得する理由を教えて頂戴」

「……黙って私について来てほしい」

 

 杖を持つ手がガタガタと震えているが構うものか、どうやったって震えは止まらないのだから。

 

「……それは友達として?それとも任務で?」

「…………」

 

 ルイズもバカではない、むしろ頭はいい方だ。花壇騎士団の存在は知らなくても、シュバリエの爵位やガリアでの任務、この程度の材料さえあれば、ガリアからの任務をタバサがいくつも受けていることぐらいは容易に想像がつく。

 

「……答えてくれないのね」

 

 ルイズは淋しそうな表情を浮かべると、その姿がほんの少しだけブレる。タバサにはたしかに一歩も動いてないように見えたはずなのに、その手にはタバサの大きな杖が握られていた。

 

「!!?」

 

 強引に杖を奪い取られた感じなどしなかった。狐につままれたという言葉が似合うほどだ。それでもタバサは短剣を逆手に構え、震えながらもルイズを見据える。

 そんなタバサをルイズも見据えながら、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。タバサはジリジリと後退し、ついに壁にまで追い詰められてしまった。ルイズはタバサの短剣の刃を掴むと、そのまま刃を握りつぶしてしまう。

 

「……タバサ、教えて」

 

 怖い。もう感情を押し殺せない。歯がガチガチと音を立てる。涙だって溢れてくる。足が震えてうまく立てない。思わず座り込んでしまう。

 

「大丈夫、私はともだ───」

「そこまでだ」

 

 優しい顔でタバサに語りかけようとしていたルイズは、ハッとして後ろを振り向いた。後ろには眠っている生徒たちと、それを囲むようにメイジが立っている。杖と剣が生徒たちに向けられており、下手にルイズが動いたら生徒たちは酷い目に会うだろう。

 

「さーて、大人しく我々に従ってもらおうか?」

「くっ……!」

 

 今のルイズの力量ならば生徒を傷つけずに敵を殲滅することなどたやすいだろう。しかし、長年のコンプレックスは彼女の身体を縛りつけ、彼女は投降の証に杖を遠くに放った。

 ルイズから抵抗の意思が消えたところで、刺客(しかく)は彼女に透明な薬品を振り掛け、鋼鉄の鎖でがんじがらめに縛り上げる。

 

「……タバサ。貴族ってものはね、困っている民には手を差し延べるものよ」

 

 再び任務という仮面を被り、心を閉ざして俯いたままのタバサにルイズは語りかける。

 

「ましてや、友達の手を払いのけるなんて、キュルケも私もしないわ」

 

 その言葉にハッとしてタバサは顔を上げる。ルイズは悲しげに、しかし優しく微笑んでいた。

 

「悪いなぁ、時間がないんでさっさと乗ってもらうぞ」

 

 荷物のように風竜に積まれるルイズを、タバサはただ呆然と見つめていた。

 

 

 

 

 

 

「……ダメだ、気配が完全に消えている」

「こっちもダーメ。世界中の魔力を探ってみたけど、ルイズちゃんっぽい魔力はあっても、ルイズちゃんの魔力は分からないわ」

「あの子なら大丈夫だとは思うが……万が一ということもある」

「心配ないと思うわよ〜、猫ちゃんも分かるでしょ?」

「……ああ、プリエ様が帰ってきた」

 

 

 

 

 

「ただいまー、ってね」

 

 魔界を破壊するのではなく浄化するという、前代未聞の奇跡の御業を驚くべき早さで成し遂げたプリエは、その余波で一つの魔界全ての悪魔を消し飛ばしたとは思えないほどのアッサリとした形ばかりの祈りの言葉を捧げ、ついにハルケギニアへと帰還した。

 ただ、荒々しくゲートを開いたために、その接続先であったアルビオンの教会が吹き飛んでしまい、衛兵が急いで駆けつけているところだが、そんなことが彼女の頭に入ってくるはずもなかった。

 

「さーて、愛しのルイズとニャンニャンするわよ」

 

 正直、穢れを撒き散らしていないことが不思議なほどに淫靡な思考をしていたプリエは、そのリビドーに突き動かされるままに、ルイズらしき魔力の持ち主のもとへと全速力で飛翔した。そんな彼女が一応周りを気遣って衝撃波を抑えたのは、それこそ神の奇跡だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

「な、なんだい!?」

 

 長年の盗賊のカンで、嫌なものを感じて飛び起きたマチルダ。それは隣で眠るハーフエルフの少女———ティファニアに危険を及ぼすものだと直感的に悟り、それがなんなのか思案しようとしたとき——

 

「なんふぁ……ルイスしゃないのふぁ……」

 

——その原因、スーパーロリコンと化したプリエが窓に張り付いていることを確認してしまった。

 

「いやああああああああ!!!!」

「な、なに!?どうしたの!?」

 

 命を削るようなマチルダの悲鳴で、ティファニアも飛び起きてしまう。布団を被りガタガタと震えるマチルダ。尋常じゃない怯え方に驚き部屋の中を見回すと、壁抜けができることを思い出して既に部屋の中に侵入していたプリエを見つけてしまった。

 

「あ、あ、あ、貴方は誰ですか!?」

 

 いつも孤児院のみんなを守ってくれているマチルダがあんなにも怯えている上に、プリエは幾層にも重なり合って邪悪だとしか表現できない思念を穢れの代わりにまき散らしている。

 こんな恐ろしい者が近くにいたら誰だってマチルダのように発狂してもおかしくはないのだが、ティファニアはマチルダや孤児院の皆を守るために、なけなしの勇気を振り絞ってなんとか耐えていた。

 プリエはプルプルと震えているティファニアのだいたいの身長を計り、その大きな胸に気づくと、大きく舌打ちをして飛び去っていった。

 

「……な、なんだったの?」

 

 ティファニアの呟きが消え去るころには、プリエはすでに次のルイズらしき魔力の持ち主がいる場所、ブリミル教の総本山である教皇庁へと侵入していた。

 教皇庁だけあって警備は厳重だが、プリエにはどこ吹く風。やすやすと警備の目を掻い潜り、ルイズに似た魔力の持ち主のもとに辿り着いていた。

 

「な、なんだ貴様は!?」

 

 今度は女の子ですらなく、優しそうな青年———ロマリア教皇エイジス32世だったため、嫌悪感をあらわにして、更に大きく舌打ちをしながら飛び去った。次も男だったら、ソイツを殺そうと心に決めて。

 

 そして、数瞬ほどで最後の目的地、ガリア王国の王宮グラン・トロワの離宮、プチ・トロワ内部へとプリエは到達した。

 

「な、なんだいお前は!?」

 

 皆一様の反応をするのでつまらないなとプリエは思ったのだが、いきなり見知らぬ女性が自室に現れて、他にどんな反応をすればいいのか教えてほしい。

 

「こ、答えな!ガリア王国王女イザベラ様をどうするつもりだい!?」

 

 これが答えだと言うように、もはや邪悪さしか感じられないドス黒い瞳をイザベラへと向ける。イザベラは小さく悲鳴をあげて衛兵を呼び始めたが、そんなこと関係なしにプリエはイザベラを観察し始めた。

 年相応に育っていたイザベラはプリエの対象外だったが、その青い髪と整った顔を見ていると、ルイズ以外の大切な人を思い出しそうだ。

 

「イザベラ様!ご無事ですか!?貴様!何者だ!」

「そんなことはいいよ!!早くアイツを殺しておくれ!!」

 

 すぐに衛兵がプリエに切り掛かるが文字通り刃がたたない。しかも二合目以降は刃がボロボロになって崩れてしまった。

 遅れてやってきたメイジたちが、それぞれの最高魔法を唱えプリエを攻撃する。すでにイザベラの部屋の中はめちゃくちゃだが、イザベラにそれを気にする余裕はなかった。

 

 部屋の中が魔法の影響で見えなくなって、イザベラが胸を撫で下ろしたとき、隣の衛兵が吹き飛んだ。衛兵だけでなく、この場に駆け付けた者が同時に惨殺され、イザベラの目の前に再びプリエが立っていた。

 今度は声も出ない。ただガチガチと歯が噛み合う音が響くだけだ。プリエは、悪魔の(さが)か無性にイザベラをイジめたくなったが、同時に忘れていたことを思い出していた。

 

「アンタ」

「はひぃ!!!」

 

 普段の彼女を知る人ならば、絶対に想像がつかない態度でイザベラは答える。

 

「なんか、アタシのかわいいかわいいタバサに似てるわね」

「ひゃ、ひゃい!!い、従姉妹ですから!!」

「へーえ、従姉妹ならタバサがどこにいるか、分かるわね?」

「しょ、しょ、しょ、しょれは……」

 

 プリエはむちゃくちゃなことを言っているのだが、それを聞く相手は的外れではなかった。しかし、いつもはイザベラの命で動くタバサだが、今回は父ジョゼフの命で動いている。その命令の内容が分からないので、イザベラには当然居場所の見当もつかなったのだ。

 イザベラは素直に答えるべきか嘘をつくべきか精神をすり減らしながら迷っていると、プリエにむんずと頭を掴まれた。

 

——まだタバサがシャルロットと呼ばれていて仲が良かったときのこと。

──シャルロットはめきめきと魔法の実力をつけていき、自分は全く伸びずにシャルロットを妬んだこと。

──父が自分の弟を殺し、シャルロットの母が子の身代わりになり毒を飲んで狂ったこと。

──そこからシャルロットが心を閉ざし、タバサという人形にでもつけるような名前に名を変えたこと。

──そんなシャルロットが恐ろしくなり、無茶な命令を与えて辛く当たるようになったこと。

 ……いろいろな記憶がイザベラの頭を駆け巡る。イザベラは「これが走馬灯か……」とぼんやりと感じていたが、実際はプリエが記憶を読んでいるだけだ。

 

 記憶を読み終わるとプリエの瞳に理知の色が戻り、ここら一帯に蘇生魔法をかけて飛び去った。死んでそれほど時間が経っていなかったので、プリエの強力な蘇生魔法により、全ての衛兵とメイジは蘇る。信じられない光景を見ながらイザベラは意識を手放し、血と尿にまみれた床へと倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 報告を終えたタバサは、故郷の自室で魂が抜けたかのようにただ虚空を見つめていた。何もする気になれず、何も考える気になれない。現実逃避だ。

 しかし、突如として屋敷内に響き渡る破壊音が、意識をムリヤリ現実へと引き戻した。風の流れからすぐに場所が特定でき、たった一人だけ残ることを許された使用人よりも速くその場所へと駆け付ける。

 

「!!!」

 

 そして、そこに居た人物に驚いて声が出なかった。

 

「久しぶりね、タバサ」

 

 先ほどの破壊音の割には一切乱れていない室内、プリエは静かに人形を抱いて眠っているタバサの母を一瞥すると、祈りを捧げるように手を合わせて目をつぶる。

 遅れて部屋に入ってきた使用人は、部屋の中の神秘的な光景に心を奪われて声を出せなかった。月明かりと柔らかな光が降り注ぐ中、祈りを捧げる女性と静かに眠る女性は、絵画のような美しさを持っていた。

 光が穏やかに消えると、プリエが柔和な笑みを浮かべてタバサに近づく。

 

「タバサ、ううんシャルロット、もう大丈夫よ。あなたのお母さんの毒は消えたわ」

 

 これには使用人も驚愕した。タバサはプリエが何故本名を知っていたかなど、小さいことは頭にはなく、胸から込み上げる熱い思いを抑え、恐る恐るプリエに確認する。

 

「本、当……?」

「もちろん」

 

 衝動的にタバサはプリエに抱き着き、その大きな胸の中で泣いた。今まで押し殺してきた感情を全てごちゃまぜにしたように大声で泣いた。泣いて、泣いて、全てを吐き出したとき、その声で起きた母親と話をした。

 プリエと使用人は、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら嬉しそうに語り合う二人の為に、静かに部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

「さーて、着きましたぜぇお嬢様」

 

 ルイズを風竜で運んだ男は、ルイズを地面に降ろして、その戒めを解こうとする。

 

「下がりなさい下郎」

「おいおい、かわいい顔してずいぶんとひどい言い草じゃないか。俺はただアンタの鎖を外そうとしただけだぜぇ?」

 

 ルイズは無言で鎖を引きちぎった。そう、ルイズにとって、この程度の拘束など意味を待たなかったのだ。

 

「……こりゃ驚いた。しかし、どうして大人しくしてたんだぁ?」

「私が途中で逃げ出したら、タバサが責任を問われるかもしれないでしょ」

「カカカッ!泣かせるじゃねえの!しっかし、きっとすぐに逃げ出せば良かったと思うぜぇ?」

 

 これから起こることを想像し、にやにやと(いや)らしい笑みを浮かべながらルイズを見つめる男。ルイズはくだらないものを見るような視線を向け、鼻を鳴らす。

 

「あんたみたいな下郎には分からないでしょうけど、貴族はそう簡単には信念を曲げたりしないのよ」

「……嬢ちゃん、俺が一番嫌いなタイプだぜ」

「奇遇ね、私もよ」

「……行きな、素敵な地獄が待ってるぜ」

「そうね。少なくともあんたと居るよりはよっぽど素敵ね」

 

 こんな下種とこれ以上話すことなどない。ルイズは踵を返して男が指差した廊下の奥へと歩いていく。男を殺して逃げ出すこともできるのに、それをしないのはやはり友のためと、自らの誇りのためだろう。

 

「……気に入られねえガキだ。だが、そんなガキが恐怖に歪む顔はたまらねえ……。せいぜい、化け物ども相手に足掻いて足掻いて絶望するんだなぁ」

 

 ルイズが廊下の奥に進むと、夜中だというのに、まるで昼間のような明るさの場所に出た。

 そこは6体の巨大な騎士像を囲むような広い円形のコロッセウムで、天井はなく吹き抜けになっている。不思議な空間であり、空は厚い雲に覆われていて淀んでいるのに何故か明るい。それに嫌な感じがした。

 

「よく来たわね、虚無の担い手」

 

 コロッセウムにどこからともなく声が響く。ルイズの真向かいに人の気配が一つ。おそらく風の魔法で声を大きくしているのだろう。

 

「私が……虚無の……?」

 

 思わぬ事実に目を丸くしたが、確かに思い当たるフシはあった。コモンマジックやギガ系までの魔法は使えるようになったのだが、未だに系統魔法は使えない。そもそも、自分の系統魔法の属性を決める使い魔召喚の儀で、4系統とは無縁のプリエが呼び出されているのだ。

 自分の属性が虚無だと認識すると、強くなってからもどこか違和感があった自分の力が完全に馴染んだ気がした。

 

「では、小手調べといきましょう」

 

 声が響き渡ると、淀んだ空にサイケデリックな色の円形のゲートが生成される。そこから現れたのは、人間大のガーゴイルが数十体に、それらのガーゴイルが豆粒に見えるほどの巨大なガーゴイルだ。

 しかし、ただの自律人形ならばルイズも容赦することはない。

 

「ウインド!」

 

 威力よりも範囲を重視した風の初級魔法は、巨大なガーゴイルを巻き込みながら周りのガーゴイルをバラバラにする。

 

「クール!」

 

 続けて放たれた絶対零度すらも凌駕する魔力の寒波で、巨大なガーゴイルは内部すらも完全に凍りつき、粉々に砕け散ってダイヤモンドダストとなり、淀んだ空へと消えていった。

 

「さて、あとどれだけ木偶(でく)を倒せば帰れるのかしら?」

「…………次は簡単にはいかないわよ」

 

 元よりただのインテリアだとは思っていなかったが、今度は全ての騎士像が一斉に動き出し、ルイズに向かって歩き始めた。

 

「スター!」

 

 緩慢な動きの騎士像の攻撃をわざわざ待つはずがなく、ルイズの魔法で全ての騎士像の周りに光の輪が3つずつ出来上がり騎士像を襲った。しかし、本来なら騎士像を輪切りにできるはずの輪は、騎士像に引っかかったようにちぎれて消えてしまった。

 

「……確かに一筋縄ではいかないようね。でも、これくらいでまいると思ったら大間違いよ!」

 

 

 

 

 

「本当になんとお礼を申し上げればいいか……」

「だからその気持ちだけで充分だってば!」

 

 タバサの母親の毒を消したプリエは、使用人からあらん限りの謝辞と賛辞を受けていた。悪魔になって(ひね)くれてしまったプリエの思考回路ではその賛辞についつい悪態をついてしまっているが、本当に賛辞を受け取れないほどプリエは(ひね)くれていないので、なんだかんだで嬉しいようだ。

 そんな客間にタバサが静かに入ってきた。

 

「おおシャルロット様……。お話はもうよろしいので?」

「うん……これからはいつでもできるから……」

 

 タバサは心からの微笑みを浮かべていた。それは、タバサの中で止まっていた時がついに動き出した現れだろう。

 

「プリエ、貴方と話がしたい。ついて来て」

 

 プリエは、未だに謝辞と賛辞を述べようとする使用人から逃れるようにタバサについていき、自室へと案内された。

 

「それで、タバサ……あ、シャルロットって呼んだ方がいい?」

「貴方に任せる」

「じゃあシャルロット、アタシに話って?ああ、お礼なら別にいいわよ。前にちょっと記憶を見ちゃった時の罪滅ぼしと思ってくれればいいわ」

「それでも一言言わせてほしい。貴方には感謝してもしきれない恩を受けた。本当にありがとう」

 

 深々と頭を下げ、心から感謝するシャルロット。素直に感謝されるとこそばゆく、まさか先ほどのように悪態をつくわけにもいかないので、代わりにプリエはポリポリと頬をかく。

 これだけで終わるならどれだけよかったことか。嬉しさでいっぱいだったシャルロットの胸が不安と罪悪感で満ちていく。

 

「貴方に、言わないといけないことがある」

 

 しかし言わない訳にはいかない。伝えなくて許されるはずがない。シャルロットは決心して、ルイズにしたことをプリエに告げた。プリエの表情はいつものままだったが、それがかえって罪悪感を煽り、途中でシャルロットは思わず顔を逸らしてしまった。

 告げ終えてもシャルロットは俯いたままで、プリエの表情は見えない。一秒、いや一瞬ごとに不安は大きくなっていく。

 

 プリエは黙ったままシャルロットに優しく触れ、彼女はビクリと体を揺らし思わず目をつぶる。そんなシャルロットを安心させるように頭に手を置き、愛を込めてゆったりと撫でた。恐る恐るシャルロットが瞳を開けると、その視線の先にはプリエの左手の甲、ガンダールヴのルーンがあった。

 初めはなんのことか分からなかったが、すぐに使い魔のルーンの特性を思い出し、プリエが言わんとしていることの想像がついた。

 

「コレが消えてないってことは、ルイズは死んでいないわ。それなら話は簡単、救い出せばいいのよ」

 

 

 

 

 

 ルイズは健在だった。しかし6体の騎士像も同時に健在だった。騎士像にはギガ系の魔法すら通じず、全て跳ね返されてしまった。そして、あえて騎士像の攻撃を食らうことによって相手の攻撃能力を計ったが、ただの質量攻撃であり、その程度でルイズが傷つくことはなかったが、何故か騎士像の剣が(へこ)む様子もなかった。

 

 幸い、魔力と体力は有り余っているので、割とのんびり打開策を考えていると、突然体の自由が奪われた。ルイズは一瞬驚いたが、こんなことができるのは、きっと世界中探しても一人しかいないだろう。

 

「強くなったわねルイズ」

 

 はたから見れば、今のルイズは自分自身を褒め称えるナルシストに見えたことだろう。そして、ルイズがまだ使えないような強力な魔法で、あれほど苦戦した6体の騎士像が全て簡単にひしゃげて潰れてしまった。

 

「……ありがとうプリエ」

 

 顔の支配権は共通しているらしく、顔を綻ばせながらルイズは自分自身に……いや、自分自身を通して、その先にいる頼もしい使い魔に向かって呟いた。

 

「…………此処から無事に帰れると思わないことね」

「主人と使い魔の感動の再会に水を差すなんて無粋なやつね。まあいいわ。今日のアタシはすこぶる機嫌がいいから、許してあげる」

 

 声の主が何かをしようとしていたのか。それともこの空間が何か特別だったのかは分からないが、そんなことは関係ないと言わんばかりにルイズの足元に魔法陣が広がっていき、光の柱が立ち上る。ルイズは一瞬、奇妙な浮遊感を覚え、その感覚が去ると同時に周りが見知った景色に変わっていた。

 トリステイン魔法学院の広場、そこにずっと会いたかった自分の使い魔の姿を見つけると、衝動的に駆け寄って抱きしめていた。

 

「プリエ……!」

「ただいま、ルイズ……」

「うん……!お帰りなさい……!」

 

 二人はしばらく抱き合っていたが、もう夜も更けていたことを思い出し、自室へと戻る。するとルイズの自室は、プリエにとってありえないほどの桃源郷と化していた。

 

「プリエ、おかえりなさい。私、ずっとアナタを待ってたのよ」

 

 まず初めにプリエを出迎えたのはキュルケ。しかし、その存在を嫌がおうにも主張する、プリエに引けを取らないほどの大きな乳房はなく、プリエよりも高かった身長もすっかり縮んで、タバサと同じくらいの身長しかない。

 先ほどまでトリップしていたことも相まって、いつもならば全く魅力を感じないキュルケに多大な情欲を掻き立てられる。

 

「ミス・ツェルプストーだけじゃありません。私だってずっとお待ちしておりました」

 

 次に出迎えたのはシエスタ。やはりその姿は小さい。しかし、その服装はいつものままであり、ぶかぶかのメイド服からチラリとのぞく未成熟な乳房がプリエから正常な判断力を奪い取っていく。それこそ、ただの人間だったはずのシエスタから、強い夜魔の魔力が感じられることが気にならなくなるほどに。

 

「アタシと猫ちゃんも待ってましたよ〜」

「ぷ、プリエ様……こ、こんな情けない姿、あまり見ないでください…」

 

 次はミシアとウラヌス、その姿はもう言わずとも分かるだろう。ミシアに関しては特に興奮はしなかったが、ウラヌスの(はじ)らう姿、普段の強気な彼女とのギャップが、プリエに理性の手綱を手放させる。この瞬間に襲い掛からないのは、あまりの絶景に未だに放心してしまっているからだ。

 

「いつかの責任を取ってほしい」

 

 最後は、プリエの理性にトドメを刺さんとばかりに、顔を赤らめたシャルロット。人形のように無表情で清楚なイメージを持つ彼女が、薄すぎて肌が透けてしまっているネグリジェを着ながら、その羞恥に顔を赤らめてしまっているのだから、プリエでなかったとしてもクるものはあるだろう。元からキスをするほどに気に入っていたのだから、プリエへの破壊力など言うまでもない。

 この強すぎるショックで一気に現実を受け入れたプリエは、誰から美味しく頂くかを吟味し始めていた。

 

 ルイズは別の理由で唖然としていたが、このままではプリエを取られかねないと思い、以前ミシアが半分ふざけて買ってきた、とあるものをつけてプリエの前に立つ。

 

「ぷ、ぷ、プリエの好きにして欲しいにゃーん!」

 

 その顔は羞恥から今にも火が出そうなほど真っ赤に染まっていたが、それでもウラヌスを参考にポーズをとりながら言い切った。

 

 シャルロットを核弾頭とするなら、ルイズは波動砲だった。プリエの嗜好は、主人への敬愛が強すぎるがゆえに変貌したものでしかない。ならば、その主人がネコミミをつけて普段からは予想もできない態度で、初めてプリエを誘惑すればどうなるか。それは火を見るよりも明らかだろう。

 

 ルイズにとってその夜は、地獄のような天国だったという。

 

 

 

 

 

 

 

「良かったのか?娘をスケープゴートにして」

「ああ、シェフィールドの契約は娘を介したが、俺との契約になっている。それに、娘が惨殺されればもしかしたら泣けるかもしれん」

「無理だろうな。私と対等に腹を割って話せているのがその証拠だ」

「中々言ってくれるなお前は。それで、計画は順調なのか?」

「ああ、これでトリステインの虚無の担い手は解除(ディスペル)くらいまでは使えるようになっただろうな。闇の王子の蘇生も順調だ」

「楽しみだな。この世を地獄に変える日が」

「いいや楽園さ、()()()のな」


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