「全く、またここの門をくぐることになるとは…」
学院の前で金髪、長身、ペッタンコに眼鏡の美女がため息をつく。胸がもう少しあれば結婚相手に逃げられることもなかったという訳でもなく、やたらと気高い彼女はどうあっても今の状況に行き着いていただろう。
彼女―――ルイズの姉、ヴァリエール家長女エレオノールは『アカデミー』と呼ばれる王立の魔法研究機関に所属している。あまりにも毅然としていたため夫に逃げられてしまった彼女は、その鬱憤を晴らすように研究に打ち込み、今では立派な主任となり、端的に言えばあまりにもキツすぎるその性格も少しは改善されていた。
そして、研究機関というだけあり、『アカデミー』には日々雑多な情報が集められている。『見たこともない亜人がオーク鬼などの凶暴で知能の低い亜人を殺し回っている』という眉唾物の情報もあれば、『王都で怪死事件が起きており、強力な魔法の残り香はあるもののどういった魔法かは全く特定できない』といった確かなものまで多様に渡る。
しかしエレオノールが気になったのは、トリステイン魔法学院の情報『異常無し』である。学院に異常がないのは当たり前だが、三月ほど前にルイズが亜人を使い魔にしたという情報が入って以来、トリステイン魔法学院は常に『異常無し』。さすがに訝しく思い、過去の資料を引っ張り出すと、一月の間に大なり小なり何かの問題報告があった。
更に、一月ほど前にハルケギニア全土を襲った嵐の出所がどうやらトリステイン魔法学院らしいと判明しても「異常無し」。そもそも、あの嵐に出所があるという話自体が眉唾物だが、火のない所に煙は立たずともいう。
そういう噂が立つということは、トリステイン魔法学院で何かしら良からぬことがあったとしても不思議ではない。そして、妹の身を案じていたエレオノールの有休がやっと取れ、学院に訪れることとなったのだ。
授業中だったのか、誰とも会わずに学院長室まで行くと、中から話し声が聞こえてくる。どうせくだらない話だろうが、万が一ということもあるので、エレオノールはじっと聞き耳を立てることにした。
『3でどう?』
『0.1じゃな』
中からはしばらく聞いていなかった学院長の声と、艶やかな女性の声が聞こえてくる。単位のない数字が出てくるが、何かの交渉だろうか?小数点以下の数字が出るということは莫大な単位である可能性が高く、単位が出ないということは人に聞かれてはマズイ交渉である可能性が高い。
しかし、オールド・オスマンたるものがサイレントすらも掛けずにそのような交渉を進めるだろうか?そして、そもそもそんな良からぬ交渉などするだろうか?とにかく、今の時点では判断材料が少なすぎるため、エレオノールは更に注意深く二人の会話を聞くことにした。
『男なんだからもっと頑張ってほしいな~、2.8』
『しかしの、この老人の淋しい様子も勘定に入れてくれんか?0.115』
まだ判断材料は少ないが、なんとなく分かった気がした。恐らく娼婦との値段交渉だろう。昔はただのセクハラジジイだったが、真っ昼間から娼婦と行為にふけるほどにまで落ちたかあのジジイは。聞きかじりの知識ではあるもの、そういうことも知っていたエレオノールは、不潔だと思いつつもなんとなく耳が離せない。
『100年や200年も溜め込んだんでしょー。ここで使わずどうするのよ~、2.5』
『いやいやいや、老体に鞭打ってついでに死んでしまうからの?0.15』
しかし、よく考えてみれば値段に対して小数点が付くのはおかしい。先に考えた通り巨大な金額だと考えられないこともないが、そのような行為だけのために大金をはたくものなのだろうか?
『大丈夫大丈夫、体力は特別に回復させてあげるから。溜め込んだ────をアタシの中に2Lほどぶち込んでくれれば、好きなだけセクハラさせてあげるし、一ヶ月間アタシが秘書よ?』
『せめてml単位にしてほしいんじゃがのう……0.19』
「どんな恥女よ!!?!??」
エレオノールは、思わず叫びながら扉を乱暴に開けていた。貴族にあるまじき行為だが、こんな非常識な交渉を聞いてしまっては仕方がないだろう。
「あああああ貴女は!!!そんな交渉をして──って恰好もはしたないじゃない!!!」
布、そう表現しても差し支えのない衣装にマント、どんな変態なんだろうか。というか、マントを付けているということは、自分と同じ貴族な訳で。
「ききききききき貴族にあるまじきはしたない恰好!!!ははは恥ずかしいとは思わないののの!!?」
人の話を盗み聞きするエレオノールも十分はしたないのだが、そこは気にしない。というか、気にできるほどの冷静さなど残っているはずもなかった。
「んーん、別にー。それに、アタシ貴族じゃないし~」
盗み聞きされた挙句に乱入までされたのに、気にも掛けていないような悠々自適とした様子で、はしたない女性───ミシアは答える。実はミシアは魔界の名門貴族出身だったりするのだが、此処で言う貴族とは違うということぐらいは理解していた。
「ききき貴族じゃないですって!!?」
「どういうことよ!」と言いかけてエレオノールの口が止まる。先程までマントだと思っていたものが広がり翼となった。よく見れば角やしっぽも生えており、どうやら人間ではないようだ。
「……亜人?」
しかし、こんな亜人は聞いたことがない。お伽話に出てくる悪魔に似ているが、そんなものがいるはずもないだろう。思わぬ新種の発見に研究者としてエレオノールは燃えていた。
「そんな視線で見つめちゃやーん!お姉さん、本気になっちゃうゾ?」
冗談めいた言動とは裏腹に熱い視線を向けられ、寒気を感じて慌てて目を逸らす。同性愛者がはびこる種族などではなく、彼女だけが特別だと信じたい。実際、両刀という点ではミシアは特別なのだが、彼女の性欲は一般的な夜魔族の中では下の方である。
「ゴホン。あー、ミス・ヴァリエール?何か用があったのではないかの?」
「ハッ!?そ、そうでした……」
おかしい、絶対におかしい。正式な訪問許可を貰うついでに二三質問したのだが、全てはぐらかされてしまった。しかし、例の嵐の質問をしたとき、恥女亜人の目が泳いでいたことがどうも引っ掛かる。更に質問しようと思ったはずなのだが、恥女亜人に見つめられてからの記憶が曖昧だ。一瞬、目が妖しく光ったような気がしたが、先住魔法の一種だろうか?
……まあいい、今はちびルイズのことが先決だ。
そして、生徒の姿が見え始めるまで時間を潰そうと中庭へと向かっていたところ、またもや新種の亜人を発見してしまった。なんだろう、トリステイン魔法学院は亜人の研究でもしているのだろうか?ともかく、大きな情報源になるかもしれないチャンスを逃すわけにはいかない。エレオノールは亜人に近づいて挨拶をする。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
彼女は目を閉じて、恐らく精神統一を行っていたというのに、気分を害した素振りもなくすぐに返事をしてくれた。際どい部分や手足の半分ほどが毛皮に覆われているので恐らく全裸なのだろうが、先程の亜人とは違って随分とまともな印象を受ける。
「よろしければ、少し質問をさせてくれませんか?」
「ああ、構わない」
お互いの自己紹介も無しにいきなり質問とは不躾だったが、彼女は快諾してくれた。そしてその可憐な見た目とは裏腹に武骨な口調、彼女は意外と男勝りなのだろうか?
話もひと段落ついたころ、突然現れたネズミを彼女が追い掛けて行ってしまうまでに彼女から聞き出せた情報を纏めると
・彼女の名前はウラヌス、先程の恥女はミシア。
・ウラヌスは悪魔で種族は猫娘族、ミシアは夜魔族。
・夜魔族が莫大な性欲を持つのは普通のこと。
・ウラヌスもミシアも強大な力を持っており、大魔王を名乗っていたこと。
・少なくともノーモーション(本人によれば軽く殴ったらしい)で10メイルを越える大穴を穿つことができる。
・しかも、先住魔法でその大穴を簡単に直すことができる。
・初めは驚いたが、ギャップがかわいらしい。
となった。
たぶん猫じゃらしにも反応するだろう、マタタビでも嗅がせて……。エレオノールはかなり横道に逸れた思考にハッとなり、頭を振って軌道修正する。意外なかわいらしさと多大な研究欲が混じって、おかしい考えになってしまった。気を付けなければ……
しかし、お伽話でしか聞いたことがない悪魔という存在が二体もいて『異常無し』など、これはありえない。何らかの目的で意図的に情報が隠蔽されていたわけだ。しかし、今のところ敵意は見られないといっても、変に手出しをするとどうなるか分からない。だからこその『異常無し』なのかもしれない。
思考に没頭していると、生徒たちの姿がちらほらと見えることに気づいた。思いのほかウラヌスとの話に時間を使っていたようだが、元々自由時間までどうやって時間を潰そうかと考えていたため都合が良かった。ルイズを探そうと歩き始めたところで、早速ルイズを見つけ、仲が良さそうに会話している相手の姿も確認すると、眉根を釣り上げてツカツカとルイズに歩み寄っていった。
タバサも交えて、キュルケと当たり障りのない話をしていたルイズは、見覚えのある人物に思わず声を無くす。キュルケたちは、パクパクと声なく開くルイズの口を訝しく思い、その視線の先を見るとツカツカと近づいてくる女性がいた。その女性、タバサは純粋に誰だか分からず、キュルケは思い出すのに少し時間がかかった。
「……ちびルイズ、どういうことかしら?」
「こ、これは、そのー……」
「言い訳無用!」
「い、いひゃいでふ姉はま!」
ルイズの頬をつねって引き延ばしているエレオノール。いきなりの蛮行の理由は、にっくきツェルプストーと仲良く話していたからだろう。しかし、いい知れぬ殺気を感じてエレオノールは慌てて手を離した。ルイズの状態は逐一把握しているし、プリエは煩悩全開で封印を解除しているため、気が短くなっているのだ。ついでだが、反射的に痛いと言ってしまっただけで、ルイズに頬をつねられた痛みは全くなかった。
「……ま、まあツェルプストーのことはいいわ。ちびルイズ、学院生活はどう?」
頬の引っ張りから急に開放されたことでしばらくポカーンとしてから、ルイズは本当に嬉しそうに語り出した。それはほとんど使い魔の自慢話で、魔法が使えるようになったことは最後に少し語っただけである。
「……すごいのね、その使い魔」
これほど嬉しそうに語るのだ、とりあえずルイズの身に危険はないようで、エレオノールは胸を撫で下ろしていた。しかし、エレオノールには知り得ないし、実際行われてはいないことだが、ミシアが本気で洗脳を施しているのならば、この程度の感情操作は造作もないことである。
「それじゃあ、見せてくれないかしら?」
あの気難しいルイズが、魔法が使えるようになったことを差し置いてまで語る使い魔。そんな素晴らしい使い魔に興味が沸くのは当然だろう。
「えっ!?」
「何か問題でも?」
さすがに“封印されて魔界に落ちました”とは言えず、しどろもどろになり目を泳がせるルイズ。そんなルイズを怪しく思い、再び頬を引っ張ろうとしたところで、ルイズの口から信じられない言葉が飛び出した。
「『アタシのルイズに触んじゃないわよ!』」
「……は?」
ルイズは吐き捨てるように言い放つと、魔法を使ったとしてもありえない速度で飛び跳ね、女子寮の窓を触らずに開けてその中へと消えてしまった。姉に逆らったとか、いきなり口調も性格も変わったとか、オーク鬼すらも比べ物にならないほどの身体能力とか、それら一つだけでも放心レベルの出来事が悪い冗談のように詰め込まれたため、エレオノールどころか残された二人まで凍り付いてしまう。
「で、では御機嫌よう!オホホホホ……」
キュルケが下手な演技でなんとかそう告げると、これ以上厄介ごとに関わる気はないと言わんばかりに二人は駆け出していく。呆気に取られていたエレオノールだがしばらくして気を取り直すと、まだいろいろとルイズに言いたいことはあったが、踵を返して正門へと歩きだした。
話し合いなんて、実家に帰ってきたときにでもすればいいのだ。魔法が使えなくていつもメソメソしていたちびルイズはもういない、いつの間にか大きくなっていたものだ。使い魔のことを心の底から嬉しそうに語るルイズを思い出し、彼女は微笑んだ。
後日、今回の会合がきっかけで連続怪死事件の犯人が判明し、ミシアがその罰を文字通り体で償うことになるのだが、それは別の話。