「ルイズ!あとどれだけ持ちこたえればいい!」
「もうちょっとよ!」
第一波の大量の悪魔たちは、ルイズの失敗魔法で大方爆死した。そして、残った悪魔を殲滅しようと動いたのだが、殲滅できぬままに第二波が来る。幸い、下級から中級程度の悪魔なので知能が低く、それほど戦闘能力も高くない。しかし、プリエによって強化されていなければ、三人ともとっくの昔に肉片と化していただろう。
プリエから託された、数字のカウントダウンのイメージがルイズの視界の端でちらつくが、時間の進みが異様に遅い。1カウントの間に10の悪魔が襲ってくる。そのうち3を倒し、7の悪魔が補充される。これでは数が減るはずもないが、プリエには何か策があるのだろう。とにかく残り30カウントなのだ。
「ぐっ……」
「ウェールズでん──くっ!」
残り10カウントの時点でウェールズの腹に攻撃がかすり、ほんの少しの隙ができてしまう。その隙を逃す悪魔ではなく、誰に襲い掛かろうか値踏みしていた悪魔たちもウェールズに襲い掛かった。
一瞬の隙でボロボロにされながらもなんとか持ち直し、周りの悪魔を一蹴する。
しかし、痛みを完全に抑えることができず、再び生じた隙から片足を失ってしまう。
それでも健気に抵抗するも、ついに杖を持っている右手が吹き飛ばされた。
もう抵抗の手段がないウェールズへと悪魔が飛び掛かり、ウェールズは諦めて静かに目を閉じた。
ウェールズが目を閉じきった瞬間、少し空気が揺らいだかと思うと、部屋の中の悪魔が同時に全て弾け飛んでいた。
いつまで経っても来ない痛みを訝しんでウェールズが目を開けると、グラマラスな女性が二人、教会の祭壇の前に立っていた。
「……亜人?」
一人は頭から猫を思わせる大きな三角形の耳が生えていて、毛皮が手足と大事なところを覆っている、あとは腰のあたりから生えている大きくてモフモフのしっぽがある。
もう一人はやたら扇情的な格好をしており、プリエと同じように翼と角が生えていた。プリエと違うところは、先端がハートにもスペードにも見えるしっぽと、翼の生えている位置。プリエは腰の辺りから生えているが、こっちは肩から生えている。
すると、ウェールズの言葉を侮蔑と受け取った猫獣人の悪魔が、毅然とした態度でウェールズに詰め寄った。
「ほう。貴様、その程度の力で私を愚弄するのか?」
「まーまー、ただの率直な感想でしょ。イケメンだから許してやってよ」
「……本当にお前はそればっかりだな」
あまりにも突然の平穏にしばらく三人とも心をどこかに飛ばしてしまっていたが、初めに気を取り直したルイズがすぐに尋ねる。
「あ、あの……あなたたちがプリエの言う部下なの?」
「あ゛ぁ!?」
先ほどとは違い一瞬で沸騰する猫獣人の悪魔。恐らくプリエを全く敬わない言動が気に入らなかなかったのだろう。それだけでも、彼女がどれだけプリエに惚れこんでいるのかが分かる。
「ひっ!」
いくらプリエより怖いものはないと言っても、怖いものは怖い。殺気混じりの怒気を浴びせられ、ルイズの血の気が引いて顔が恐怖に歪んでしまう。
しかし、そうやって素直に怯えられると、悪魔の中では人間寄りの倫理観を持つ猫獣人の悪魔には罪悪感が湧いてくる。すぐさま殺気が消えて、怒気も収まった彼女は、己の主であるプリエの伝言を思い出していた。
「……む、すまない」
「やーん!この子かわいい~!飼いたい~!この子飼いたいー!」
「オイコラ」
ルイズに飛び掛かる扇情的な悪魔を、猫獣人の悪魔が足でしっぽを踏み付けて止める。千切れることなくピンと伸びきったしっぽがその勢いを変換し、ほとんど元の勢いのまま彼女は地面に叩きつけられた。
「きゃん!」
結構な勢いで床にたたき付けられたが、別にダメージはないようだ。すぐにむくりと上半身だけ起き上がると、そのままの体勢で顔を後ろに向ける。
「いいじゃない、猫ちゃんだってかわいいって思ったから謝ったんでしょ?」
「お前と一緒にするな。プリエ様の伝言を思い出してみろ」
「えーっと、悪魔は皆殺しにしろ、だっけ?」
「……それだけじゃない」
「うーん……ルイズっていう桃髪のちっちゃい子の指示に従え?」
「そうだ」
扇情的な悪魔はルイズをまじまじと眺めると、ようやく合点がいったのか掌を握り拳で軽く叩いた。そして猫獣人の悪魔がしっぽを離すと、途端にルイズにずいと近づいた。
「な、何よ……?」
「強気なところもますますかわいー!確認するからちょっと我慢しててね~」
そして扇情的な悪魔がルイズの頭をがっしりと掴むと、そのまま唇を重ねる。
「!?!!?!!!???んん~~~!!!?」
ただキスするだけではなく、扇情的な悪魔はルイズに舌をねちっこく絡ませてくる、いわゆるディープキスだ。しばらくはルイズも儚い抵抗をしていたが、すぐにぐったりとしてしまい、体を時折ピクリと震わせる以外の反応は見られなくなった。
そして一分にも渡る深いキスが終わると、扇情的な悪魔がルイズを解放し、ルイズはそのまま床に崩れ落ちる。
糸を引き、てらてらと光る唾液のなまめかしさに、男二人は思わず生唾を飲んだ。戦闘により乱れた衣服、光のない瞳から流れる一筋の涙、何かを諦めたような半笑い……ダメだ、このままではイケナイ趣味に目覚めてしまいそうだ。
しかし、目覚めた先にはプリエによる肉体的な死か、社会的な死が待っているだろう。二人は溢れ出る何かを必死で押し殺した。
「……キスする必要はあったのか?」
「んーん、趣味。ホントはちょっとおデコ引っ付ければ十分だし」
猫獣人の悪魔は目の前の相方に呆れ、大きなため息をつく。昔からこういうやつだったことを思い出し、そのたびに顔を出す『どうして自分は未だにコイツと一緒にいるのか』という疑問は特に答えも出さぬまま、ほどなくして消えていった。
「なに~?もしかして猫ちゃんもアタシとキスしたかった?」
「何をどう勘違いすればそうなる……。だいたい、お前とキスするなんて吐き気がする」
少し顔を歪めながら言い切る猫獣人の悪魔からは、嫌悪感しか感じられない。性的な話題でからかわれることか、行為自体か、あるいはそのどちらもが嫌なのだろう。
「猫ちゃんのいけずぅ~。でもそんな猫ちゃんが好き~!」
「ええい顔を近づけるな!うっとうしい!」
そういえば、最近こんな光景をどこかで見たような気がしたが、ワルドは思い出せなかった。
「でもさー、プリエ様とだったらキスしたいでしょ?」
「なっ!?何を言うか!?」
「図星ってところかしら?猫ちゃんはプリエ様のことが大好きだもんねー、アタシもだけど」
「そんなこと此処でバラすんじゃないニャ!それ以上言うといくら夜ちゃんでもぶっ殺すニャ!」
「……ニャ?」
「……夜ちゃん?」
「ニャッ!?」
ワルドたちは知る由もないことだが、猫獣人の悪魔は種族的に語尾が『ニャ』になってしまうのだ。彼女は他の種族の悪魔にかわいいともあざといとも言われるこの語尾にうんざりし、ついに語尾を封じ込めることに成功した。
だがしかし、遺伝子的にまで組み込まれたこの語尾を完全になくすことなど到底不可能で、たとえば今のように驚いた拍子に素の口調に戻ってしまうこともままある。これ以上かわいいと言われないようにするために始めたこの口調。カッコイイ女性を演じているうちはいいのだが、仮面が剥がれてしまったときは想像以上のダメージを受ける。
当然、猫獣人の悪魔の顔は見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
「…………ニャー!!!お前らみんなぶっ殺すニャ!!特に夜ちゃんはぶっ殺すニャ!!!」
恥ずかしさが頂点に達すると、知的生命体はその恥ずかしさから逃れる為に様々な行動を起こすが、悪魔である彼女の行動は単純で、目撃者の抹殺であった。
彼女は顔を真っ赤にしてニャーニャー言いながら、楽しそうに逃げ回る扇情的な悪魔を追いかけ回している。まるで子供だが、普通の子供と違うところは、腕を振り回すたびに周囲に甚大な被害をもたらすところだろうか。あまりにも鮮やかすぎる斬り口のためか、それとも別の要因か、教会は奇跡的にも崩れ去ってはいなかった。
「ま、待ってくれ!今はこんなことをしている場合ではないだろう!」
ワルドの必死の訴えで本来の目的を思い出したのか、猫獣人の悪魔は爪を引っ込めてコホンと咳払いをした。
「そ、そうだったな。夜ちゃ……ミシア、詳細を頼む」
「はいはーい。アタシたちの仕事は城の中の安全確保と怪我人の治療。町まで悪魔が行かない内に被害を出さずに殲滅するか、バビロンじいさん呼んであるから一喝で黙らせるか
以上!」
「……暗黒竜バビロンを呼んだのか……。プリエ様も大雑把だからなぁ……」
と、猫獣人の悪魔はため息をつくが、プリエからの命令の全てを知ったミシアはそう考えてはいなかった。自分たちがただ悪魔を殲滅しただけでは、他国からの侵略の脅威にさらされる可能性もあり、トリステインがアルビオンと同盟を結んで戦争しないとも限らない。
その脅威を取り除き、そして本当に大雑把な自分たちが、悪魔的な方法で大雑把に解決しないようにするための策なのだ。その策の出来云々ではなく、そういった配慮をしたことにミシアは微笑み、それを悟られないようにうわべだけ同調したふりをする。
「後始末するこっちの身にもなってほしいところよねー」
「お前が一番大雑把だ!」
「そうだっけー?」
「お前の餌食になった悪魔の処理……誰がやっているか忘れたとは言わせんぞ……!」
恨みがましい目でミシアを睨み付ける猫獣人の悪魔。二柱にどういう事情があるのかワルドたちには分からなかったが、ろくでもない光景がなんとなく頭をよぎった。
「まーまー、今はそんなことよりも先にやることがあるんじゃない?」
「くっ……!覚えていろよ!」
目を閉じ、猫獣人の悪魔が立ったまま微動だにせずに黙り込んでしまったが、ワルドたちには何をやっているかが分からない。そして、完全に彼女たちのペースに流されてしまい、押し黙っていたワルドたちにもチャンスが訪れた。
「すまないが、君に二三質問がある。よろしいかな?」
「ヒゲはロリコンでホモの変態だから無視しなさいってさー」
「僕の扱いって……」
「ならば……私ならいいかい……?」
「イケメンは大歓迎よ、なんでもお姉さんに聞いてねー。って、怪我してるじゃないアナタ!」
ウェールズが片腕片足だと今更気づくと、ミシアは急いで薄桃色の光を放った。それは『イビルヒーリング』その効果は低いが、命さえ残っていれば人間程度が負う怪我など簡単に全快させることができる。その本質は対象の魅了であり、死人にすら偽りの命を与えて操ることもできるが、今回はその効果を抑えたようだ。
ウェールズの腕と足が一瞬にして再生し、重傷の半死人から立派な変態へと生還を遂げた。
「これは……凄いな。しかし、それでも服はどうにもならないのか…」
「アタシの魔力じゃこの程度が限界よ。プリエ様なら服まで再生できるんだけどね~」
この恰好であれば、たとえ王子だろうとどこへ行っても逮捕される自信がある。100年の恋すら冷めそうな恰好にウェールズは思わず肩を落とすが、大事の前の小事だと思い直し、気を引き締めた。
「まあいい、格好なんて気にしている場合ではない。それで、彼女はいったい何をしているんだ?」
「気の操作よ~。詳細はよくわかんないけど、探索、治療、攻撃とかできるみたいね。まあ、猫ちゃんが探索以外に使ってるとこ見たことないけど」
「つまり、城の中の確認をしてくれているのか、ありがたい……。では、あの魔界の扉は大丈夫なのか?確かに今は何も出てこないようだが……」
「ああ、大丈夫大丈夫~。大魔王クラスが二人もいるんだもん。出てくるのはよっぽどのバカか、箔を付けたい魔王だけよ~」
気軽に言うミシアだが、先ほどの下級悪魔ですらエルフに匹敵するのではないかという強さと恐ろしいほどの攻撃性を持っていたのにも関わらず、力を持っているというだけでそれらを制すなど、ウェールズには考えられなかった。
ミシアの柔らかくて蠱惑的な表情にひどくそら寒さを覚え、ウェールズは眩暈がした。
「なるほど……」
「終わったぞ」
そしてその直後に猫獣人の悪魔が口を開き、彼は思わず息を呑んでしまう。しかし、獣人の悪魔はちらりと一瞥しただけで、まるで興味がないようにすぐさま視線をミシアへと戻した。
「死者はなし。重軽傷者の治療は完了。城内にいた下級悪魔の殲滅完了。城外については死者が45000名程度、重軽傷者は5000名程度で悪魔は500体程度だ。他は生き物に乗って逃走中が二名、地中を逃走している者が一名、暗黒竜バビロンの到着まで残り一分だ」
「ぶつからないよね?バビロンじいさん」
「……分からん、行ってくれるか?」
「りょーかーい」
ミシアは気の抜けた返事をすると、その翼を動かさずにふわりと空に上っていく。そして、教会の天井の割れていないステンドグラスをすり抜けて、更に上空へと飛び去っていった。
「その……暗黒竜バビロンとは?」
「見れば分かる。私だって最初は驚いたくらいだ、お前たちには少々刺激が強いかもしれないな」
「なに……アレ……?」
やっと復活したルイズを交え、三人が空を見上げて見たものは巨大な顔の一部だった。顔だけでアルビオン大陸と同じかソレ以上だと思うのだが、完全に縮尺が狂ってしまってよく分からない。事前に暗黒竜だと言われていなければドラゴンだとは気づかなかっただろう。
男二人は完全に声を失っていて、プリエのおかげで耐性ができていたルイズだけが、かろうじて喋ることができた。
「大きいだろう?アレが暗黒竜バビロン、その昔無敵を誇った暗黒竜だ。今は私でも勝てるがな」
悪魔は力こそが正義で、彼女はプリエの側近だという話だ。つまり、プリエはあの巨大な竜よりも強いというのか。凄まじい存在だとは分かっていたが、それでも想像を簡単に越えてきた。もう訳が分からない。
バビロンの顔に巨大な窪みができ、その頭を大きく右に振った。
ミシアの姿は全く見えないが、たぶんミシアとバビロンが話し合っているのだろう。先ほどの窪みはミシアがバビロンを殴り飛ばしでもしたのだろうか?すでに考えることを放置した三人は、空を覆い尽くすバビロンを呆けた頭で見つめていた。
“訳が分からない”タバサ、キュルケ、シルフィードの三名が思ったことはそれだけである。空からオスマンに似た声が聞こえてきたので思わず空を見上げたら、そこにあったのは巨大な何か。逃げることも忘れ、呆然と立ち尽くしてしまうのも無理はない。
あまりの衝撃で思考能力がガタ落ちした三名は、ルイズたちと同じように、バビロンが立ち去るまでボーっと空を見上げていた。
悪魔も人間も、大魔王クラスである二柱以外は総じて同じ反応をしていた。先程まで、逃亡兵も兵士も関係無しに虐殺していた異形の悪魔たちも、奮戦していた兵士たちも一様にバビロンを見上げている。
動きを止めていた悪魔たちが、バビロンの一喝で急いで空へと飛び去っていく。
バビロンは身を翻して去っていく。高速で動くその巨体が全て見えなくなるまで一分程の時間がかかった。
「いったい、何が起こっているんだ……」
その問いに答えられる者は、この場にはいない。
「よし、これで全部送り返したかな?」
ミシアが全ての悪魔を魔界ゲートにほうり込み、その魔界ゲートをどうにかするために、皆は教会の中に集まっていた。
レコン・キスタは撤退し、ヴェルダンテの手を借りて不幸にも地中に逃げてしまったギーシュ以外の皆は無事に合流することができた。結果だけ見れば敵の被害は甚大、こちらはほぼ被害無し。大勝利だと言えよう。しかし、その元凶である魔界ゲートは閉じられておらず、世間話程度の感覚で事後処理についての話をしている二柱の悪魔をルイズたちは戦々恐々としながら見守っていた。
「さて、ゲートを閉じるか」
「えっ!?猫ちゃんコレ浄化できるの!?」
そして、やっと魔界ゲートを封印するという流れになり、この場の人間たちは胸をなでおろした。ミシアは何故か驚いているが、確かに浄化という言葉は悪魔に似合わないと誰かが思った。
「いや、そうではない。気の操作の要領で穢れを分散させる」
「へえー、猫ちゃん魔法はからっきしなのに、なんかいろいろできるわねー」
「当たり前だ。仮にも大魔王と名乗っていたのだ、これくらいできなくてはな」
このとき、男性二人は目の前の物騒な扉をさっさと消し去ってほしいと思っていて、後から来た女性二人はそもそも知らず、だからこそ何も言わなかった。しかし、一番想いが強かった彼女だけは違った。
「ちょっと待って!プリエはどうなるのよ!?」
そう、何か策があり、全てが終わったあとにプリエがすぐ帰ってくると信じていたルイズだけは声を荒らげていた。
「……我々に封印状態のプリエ様を探す方法はない。しかも、悪いことに魔界ゲートは一定時間で組成を変え、今通じている場所は別の魔界だ……」
「そんな……!嘘、でしょ……?」
「嘘をついて何の得がある……」
「…………そうよ……きっと、今回もすぐに戻ってきて……」
「……貴様、ふざけるのも大概にしろ…!」
ルイズには分かっていなかったが、二柱の悪魔は思いつく限りの探索をすでに実行していた。そうして最善を尽くし、心配することではなく信じることを選択したというのに、目の前の少女は無力なくせに何もしないまま足掻こうとする。それは誇り高い猫獣人の悪魔にとって許せることではなく、ついに彼女は爆発してしまう。
「誰のせいだと思っている!全て貴様が弱いからだろうが!プリエ様の
「そこまで言うことないじゃない!」キュルケはそう言おうと思ったが、目の前の気迫に圧され、声が出せなかった。それを察したのかどうかは分からないが、今にもルイズに掴みかからん勢いでいきり立つ猫獣人の悪魔をミシアがなだめる。
「……まあまあ猫ちゃん、プリエ様は絶対に戻って来るんだから《xsmall》時間はかかるけど……《xsmall》それに、イジメるのは猫ちゃんの趣味じゃないでしょ~?」
圧倒的な威圧感は収まったものの、猫獣人の悪魔はしばらくルイズを睨みつけていたが、つまらなそうに目を背けると魔界ゲートに向き直った。
「……ゲートを閉じる。異論はないな?」
肯定の代わりに沈黙が返ってくる。こうしてゲートは閉じられ、奇跡の大勝利をあげた者とは思えないほどの重い足取りで方々の帰路についていった。
おいてきぼりにされたギーシュは帰るにもお金がなく、王宮派が勝利したと知るまで、町の酒場でウェイターをしていたという。ちょっと昔まで、気障で何もできない貴族のボンボンだったとは思えないほどのたくましさだ。
「どういうことだねこれは?」
豪奢な法衣に身をつつんだ人物―――レコン・キスタのトップ、オリヴァー・クロムウェルは憤慨していた。声こそ荒らげてはいないが、立場がなかったら今すぐにでも目の前の男につかみ掛かっていただろう。
「確かにこれまでの功績は認めよう……しかし、君に従って奇襲を仕掛けたらどうだ……?異形の化け物に襲われて部隊は壊滅。皆、口を揃えて『卑怯な戦法をとった我々に罰が下った!』と言っているぞ……?」
「いいえ枢機卿、これは予定通りのことです」
「予定通り、だと?」
枢機卿は目の前の荘厳な法衣を纏った人物の態度以上に、その発言に対していらつきを覚え、すぐに爆発した。
「ふざけるな!全軍艦を失い兵士に無事な者はいない!それが予定通りだと!?」
「ええ、予定通りですよ。無能の枢機卿」
「なっ!?───」
怒りのままに罵倒を浴びせようとして、その口から出たのは言葉ではなく血であった。そして、次の考えを持つヒマもなく、枢機卿は頭を飛ばされて絶命した。
「ご苦労。……人の意見に流されるままの無能に枢機卿は過ぎた肩書だったな」
男は枢機卿を殺した悪魔に指示を飛ばし、枢機卿がはめていた指輪を回収させる。
「『アンドバリの指輪』……猫に小判とはまさにこのことか」
そして、指輪を自分の指にはめると、踵を返して歩きだした。
「……魔王プリエ、やつさえいなくなれば私の計画の障害はなくなったも同然。それに、今の私には素晴らしい協力者がいる」
男は自分の右手の甲を見る。そこには使い魔のルーンが刻まれていた。
「やつの力を見誤り、私は消滅した。しかし何の因果か、私には再びチャンスが与えられたようだ。母さん……今度こそ、僕たちの理想郷を……」
男は中庭で一度立ち止まり、回りを見渡す。辺り一面にレコン・キスタの敗残兵の死体。その死に顔から読み取れるのは憤怒、恐怖、焦燥……いずれにせよ負の感情だけだ。そして、死体だらけの中庭で立ち上がった数人の兵士を見て、男はその顔に深い笑みを刻んだ。