「『どんだけ範囲広いのよアンタ!アタシの体はクロワだけのものよ!』」
さりげなく重大な事実を暴露しながら、プリエは決闘を隠語と勘違いしてワルドを罵った。いまだに床を転げ回っているギーシュ以外はプリエに同調し、ワルドにドン引きする。
しかし、ワルドを含む一同はプリエの実力の一端を知っている。だからワルドの発言がそう受け取られても仕方ないのだ。
「誤解しないでほしい。僕はただ君と戦いたいんだ」
「へえ、ただの人間が言うじゃない」
瞬間、プリエの雰囲気がガラリと変わる。先ほどまで煮すぎた餅のようにだらけきっていたとは全く思えないほどの妖艶な笑みを浮かべ、ルイズを撫でる手つきもゆったりと艶かしいものになった。
「……っ!」
思わずワルドは息を飲んでしまった。誰しもが見とれてしまうような妖艶さにではない。その圧倒的な存在感に、だ。
「まあそうね。アタシも甘くなったし、殺しはしないけど」
プリエはクスクスと笑いながらルイズを一瞥し、鋭く、それでいてどこか蠱惑的な視線をワルドに向ける。
「地獄を見せることに躊躇はないわよ?」
「…………それでも、だ。君という存在の実力をこの肌で感じてみたい」
どうしても引く気がないワルドに、プリエは諦めたようにため息をつくと存在感がなりを潜め、いつもの雰囲気に戻っていた。
「めんどくさいわねー……まあいいわ。ルイズ、戦ってもいい?」
プリエの胸元に顔を埋めているルイズから返事はない。それどころか、若干息も荒くなっているようだ。すでに人間とはだいぶ生命力が異なるルイズだが、それでも基本的な部分は未だ人間。“もしかして息苦しかったのか!?”とプリエは急激に心配になり、慌ててルイズを解放する。
「ルイズ!?」
「ふにゅぅぅぅ……」
プリエが急いで胸元から離してみると、ルイズはとろけた顔をしていた。頬が紅潮しており、なんだかとても幸せそうだ。
「あ゛」
その原因はすぐに分かった。先程のなでなで、プリエは無意識でアレに魔力を込めてしまい、その魔力がルイズをオーガズムへと導いたのだ。思い返してみれば、確かに手が髪に触れるたびにピクリと反応していたし、微かに甘い声が漏れていた。
「…………しゅ、主人がダウンしちゃったから明日で」
余談だが、部屋で取り替えたルイズの下着は、召喚の後プリエが取り替えた下着よりもぐっしょりと濡れていたという。
町の外れにプリエがわざわざ作り出したコロッセウム。そこでワルドの挑戦は始まった。見物人兼立会人の同行者たちは、コロッセウムの観客席に座っている。
「出し惜しみなんてしたら本気で地獄を見せてやるから、そのつもりで来なさい」
「君相手にそんな余裕はないよ」
ワルドは閃光の二つ名に恥じぬ速度で呪文を完成させると杖を振るう。完成した魔法は風のスクウェアスペル 遍在。それは自分自身の分身を作り出す魔法で、ワルドは五人に増える。
「では、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド参る!」
一人がレイピアのように杖を構え、四人がプリエの周りを取り囲んで呪文を紡ぐ。しかし、プリエにしてみれば遅い、遅すぎる。プリエにたどり着く前に、どれだけ手を抜いたとしてもすでに5回は殺せているほどだ。だが、“殺してはダメ”という主人の命令と、“できるだけ長くいたぶってほしい”という曲解された本人の希望がある。
仕方ないので適当にいなして、自分に宿った新しい力について、いろいろと試してみることにした。とりあえず、虚空からデルフリンガーを取り出し、突っ込んでくる分身をいなす。
「姉ちゃん待ちくたびれたぜー!このまま使ってくれねえんじゃねえかって心配してたんだよー!」
「こんな面白い力、使わないワケないわよ」
デルフリンガーと会話しながら、ワルドが放つ魔法を難無く避ける。デルフリンガーを握ると、ガンダールヴの力により古今東西ありとあらゆる剣技がプリエの頭の中に流れ込んできた。
「(オメガフォース、死ぬか……超次元断、コレはフィニッシュかな……秘剣闇夜斬り、当てないとよく分からないし、当てたら死ぬ、と……)」
どんな技を使おうか、それだけの為にプリエは超速思考をしている。思考に時間をかけて、練習台に倒れられては困るのだ。そして、ワルドが呪文の一単語を唱え終わるよりも早く思考を終わらせ、その実行に移る。
デルフリンガーから、スクウェアクラスの魔法を超える稲妻が迸る。轟雷──雷を纏った刀で相手を切り裂き、最後に内部から雷で消し飛ばす剣技だ。ほとばしった稲妻は技の前段階。ここから稲妻に変換された魔力を高圧縮し、伝説の虚無でさえ及ばないほどの魔力が剣に集中する…………のだが。
「は?」
ポキリ。と嫌な音が鳴った。もちろん音の発生源はデルフリンガーだ。思わず立ち止まってしまい、ワルドの魔法を全身に受けてしまった。
「あ、思い出した。俺って魔法吸い取れたんだ」
「それが何の関係があんのよ!」
全く効果はないが、これ以上食らってやるのも癪なので、後ろからのワルドの突きは避ける。たとえ会話をしていようと、たとえ視認していまいと、プリエにとってこの程度の攻撃を避けることなどワケはない。
「そりゃあ許容量ってのがあるわけでな」
「あーもう!使えないわねアンタ!」
「いやー、すまねえすまねえ」
プリエが会話している間も引っ切りなしに攻撃は続くが、全ての攻撃はプリエには当たらない。当たり前だ。プリエはこの100倍の敵に対して、たった一度も攻撃を食らわずに倒しつくしたことがあるのだから。
「まあいいわよ、別に折れてようが剣は剣なんだから」
プリエはデルフリンガーを、後方へと捨てるように放り投げた。
「ちょっとちょっと!いく──のおお!?」
デルフリンガーは回転したまま闇の中に吸い込まれると、四本に増えてワルドを掠めて地面に突き刺さる。立ち上る土煙の中、いつの間にかプリエの手の中に戻ってきたデルフリンガーは一本に戻っていた。
「おでれーた……剣技、いや魔剣技とでもいうべきか?」
「残念、魔界剣技よ。ダークネスアークっていうらしいわ」
「へえー、すっげえ技もあるもんだ」
「まだまだ、こんなもんで驚いてたら後が持たないわよ?」
「結果は予想通りだったけど、凄かったわね…」
「うん」
「男として心が震えたよ!」
「さっすが私のプリエね!でも、ワルドは大丈夫かしら?」
各々が少し興奮気味に言葉を交わす。次々に繰り出される魔界最高クラスの剣技は、見世物としても最高レベルだろう。
「で、満足した?」
「…………あ、ああ……」
ワルドは大の字に倒れ、息も絶え絶えに答えた。あれほどの剣技、特に最後のコロッセウムすら越えるほどの光る刃、アレを食らってどうして生きているのか、そもそも何故コロッセウムに傷一つないのか、不思議なことだらけだ。
「俺も6000年間生きてきたが、今日ほどおでれーた日はねえぜ。ヒゲだって生きてるしよ」
「殺さないって言ったからね。悪魔は契約を守るのよ」
「悪魔?おかしいな、姉ちゃんは確かに感じたことがねー気配だが、半分くらいは人間──」
「それ以上言うとアンタの剣生を此処で終わらせるから」
「分かったよ。姉ちゃんの素性には金輪際首を突っ込まねえ」
「よろしい」とプリエは頷くと、回復魔法を使用する。
「(……これは、傷が……)」
水系統の魔法とは比べものにならない最高クラスの回復魔法は、癒しの光で戦いの傷痕を全て消し去った。更に今回の回復魔法は特別製、魔力も回復させてくれるものだった。プリエからすれば微々たるものだが、このおかげでワルドとデルフリンガーは完全に回復していた。
「おでれーた。まさか錬金でもない魔法で俺が元に戻るたあな」
「当たり前でしょ?アタシを誰だと思ってんのよ」
「いや、分からねーな。姉ちゃんの素性には首を突っ込まねえ約束だからな」
ケタケタと笑う剣と、してやられたという顔をするプリエ。さっきまで、あれほど凄まじい闘いをしていたという雰囲気は微塵もない。
「ミス・プリエ、僕の完敗だ」
ただあしらわれて負けた。ワルドも薄々理解はしていたのだが、その心は晴れ渡っていた。
「何?爽やかな感じでアタシを落とそうたってそうはいかないわよこの変態」
初めて会ったときと同じように腕を差し出したが、やはり握手は断られてしまった。勘違いも未だに続いているようだ……いや、もしかしたらからかわれているだけなのかもしれない。
「ははは、手厳しいな」
「当然、ロリコンでホモで変態のアンタなんかとは仲良くしてやるかっての!」
「ついでに姉ちゃんの体も狙ってるしな」
「ははは……」
流石にここまで頑なに否定されると結構傷つく、しかし不思議と嫌ではない。“しかし、そういう趣味に目覚めたわけではない!断じて違う!!”と、ワルドは心の中で強く否定するが、どうしてもそういう考えも出てきてしまう。
「ワルド」
心の中で頭を抱えていると、急にプリエが真剣な声音になった。あの存在感は出ていないが、思わず気を張ってしまう。
「アタシはアンタが嫌いだけど、別に殺したいワケじゃない。だからこれだけは約束して『絶対にルイズを裏切らないこと』」
「!? そ、それは……」
言い淀むしかなかった。それほどプリエの瞳は真剣で、全てを見透かしているようだったからだ。なによりもプリエは美しかった。昨日のプリエを闇と表現するならば、今のプリエは光だろう。
いつものワルドならば適当に言いくるめようとしていただろう。しかし、プリエに嘘をついたり曖昧な返事をするという行為が、取り返しのつかないことのように思えたのだ。
「プリエー!とってもかっこよかったわよー!」
「はいはいどーも」
まるで親から叱られているような錯覚を覚えるこの時間も、駆け寄ってくるキュルケによって終わりを告げた。さっきのやり取りなどなかったかのように
「(『絶対にルイズを裏切らないこと』か……)」
そう、その
「ったく、杖のないメイジ相手にここまでするかねえ…」
脱獄不可能と言われているチェルノボーグの監獄に、土くれのフーケは収監されていた。流石に脱出不可能と呼ばれるだけはあり何もやることがないフーケは、両手を頭の後ろで組んで枕にして下等なベッドに横たわっていた。
「まあ、あの化け物がいないならたとえ縛り首が待っていようが天国さ。……あの子だけが唯一の心残りだけど」
いつもならば誰にも届かずに消えるだけの独り言。しかし、今日だけはソレに答える者がいた。
「そんなに故郷のハーフエルフが心配か?」
「誰だい!?」
フーケはガバッと飛び起き、闖入者に身構える。
「土くれのフーケ、いや、マチルダ・オブ・サウスゴータお前に頼みがある」
そいつは顔を隠す白仮面に体を隠す黒の長マント、どうやら魔法で声も変えているようだ。自分の本名を知るこの白仮面の頼みとやらも、きっと穏やかではあるまい。
「……時と場合によっちゃあ聞いてやるよ」
「我々の仲間になり、我々の為に働いてほしい」
「聞かないときは……か、とんだ三流悪党だね」
「なるのか、ならないのか?」
選択の余地はないのに、あくまで本人の意思で了承してもらいたいようだ。自分だけならいいのだが、断ってしまえばあの子にまで被害が及ぶことなど明白で、マチルダはしぶしぶ了承した。
「で、アタシは何をすればいいんだい?」
「コイツは知っているな?」
白仮面が取り出す一枚の紙。そこに魔法で精密に描かれた似顔絵を見た瞬間、マチルダの顔が恐怖に歪む。
「無理!絶対無理!見たくない聞きたくない会いたくない!」
白仮面は心底驚いた。“これがあのフーケなのか?”と。時には繊細に、時には大胆に盗みを成功させて世間を騒がした盗賊が、目をつむって耳を塞いで、ベッドの上でブルブルと縮こまっている。収監された際は何かに怯えて部屋の隅から動かなかったらしいが、今ならそれも信じられる。
「落ち着け、別にコイツの首を取ってこいなどと言うつもりはない。そもそも、お前をコイツと会わせる予定はない」
「ほ、本当?」
未だにブルブルと震えながら涙目で白仮面を見上げる。ルイズのように可憐な少女がするとかわいらしい行為だが、マチルダのような美女がすると情けなさが勝って見えた。
「そうだ。お前はこちらの指示に従っていればいい。コイツには会わないような指示を出してやる」
それを聞いてマチルダはやっと胸を撫で下ろす。とは言っても、なんとか落ち着いただけで、内心はガタガタと震え上がっているが。
「まずはコイツに関する情報を聞かせてもらおう」
正直な話、もはやあの存在を思い起こすことすらもしたくはないが、あの子の為にもやらない訳にはいかない。こうして、マチルダはチェルノボーグの監獄から脱獄した。
「──てなモンさ」
ラ・ロシェール近くの森の中の小屋。寝具と衣装タンスしかない簡素で生活感のない部屋に白仮面とマチルダはいた。
「ふむ」
マチルダから得られた情報を羊皮紙に纏めた白仮面は、情報を見直し必要な情報を抜き出す。
「……ゴーレムを謎の力で真っ二つにした上、100メイルを越える火柱を起こして、それでも全力ではないと?」
「ああ、盗賊のカンってやつさ。あの程度……って言うのもおかしいけど、とにかく底が知れないものを感じたよ……。ああ思い出したくもない!」
またトラウマが蘇り、ブルブルと震えるマチルダ。思い出してしまったことがあの場面であるため、誰もいないというのに周囲をせわしなく確認している。
白仮面は“何をやっているんだこの女は……”という視線で見つめていたが、仮面越しに伝わるはずもない。たぶんトラウマによるものだろうと、自分の中で決着をつけていた。
「しかし、トラウマになるほどの恐怖を植え付けられた相手に、何故惹かれる?」
マチルダの心情まで事細かに書かれた羊皮紙を見返して、浮かんだ疑問を口にする。
「……アタシだって分からないよ。今だって恐ろしいけど、会って謝って許してもらいたいって気持ちもあるからねえ……。もしかしたら、アレを見ちまったからかもしれないね」
「アレ、とは?」
「ああ、そういえば言ってなかったか」
マチルダが秘書ロングビルだった頃、いつものようにセクハラジジイをはっ倒して、気分転換に中庭を散歩していたときにソレを見た。プリエが使い魔たちと戯れている姿。まるで中庭の一角に絵画が貼付けられたような幻想的な風景で、楽園や神というものを感覚的に理解できた気がしたほどの光景だった。
「何故黙っていた?」
「なんでだろうね?独占欲ってやつかね」
白仮面はその情報から、プリエに刻まれたルーンはヴィンダールヴのものではないかと考えたが、ルーンは左手に刻まれたらしいのでガンダールヴだとあたりをつける。
『神の右手ヴィンダールヴ』とは、ありとあらゆる幻獣を使役するとされる伝説のルーン。『神の左手ガンダールヴ』とは、ありとあらゆる武器を使いこなすとされる伝説のルーン。どちらにも共通して言えることだが、最初にそのルーンが刻まれたのは始祖ブリミルの使い魔たち。そして始祖ブリミルは虚無の担い手であった。
プリエがガンダールヴならば、ルイズは十中八九虚無の担い手となる。さらにプリエが持つ実力と魅力、これも気になる。ならば全てを確認する最もいい方法は……彼女との試合形式での決闘。白仮面はマチルダに二三命令を告げると、音もなく風となって消え去った。
「遍在か、全く用心深いやつだね。さてさて、アタシは命令でもこなすとしますか。……まあ、金の無駄だと思うけど」
そして時は進み、白仮面―――ワルドは宿の借り部屋の中でずっと考えていた。マチルダの報告通り、プリエは底知れない存在だ。たとえガンダールヴではなかったとしても、万が一にも勝ち目なんてないだろう。
自分の目的である“ルイズの入手”、“ラブレターの入手”、“ウェールズの殺害”…三つの内二つは絶対に果たせそうにない。
しかし、自分の心を支配しているのはそんなちっぽけな問題ではない。ルイズを裏切ったときに、自分が対峙することになったときに、おそらく見るであろうプリエの悲しげな顔。それを想像すると途端に言いようのない切なさが胸に込み上げてくる。
“恋?―――違う、これはもっと根源的な……”ソレを考えていると、とある人物がふと頭をよぎった。その人は温かく、それでいてワルドがずっと……
“そうか、だからこそ、か”疑問が氷解すると共に、彼にある決意が生まれた。その決意と解答を胸に、ワルドは皆が待つロビーへと足を動かし始めた。