「シエル……」
沈んだ気持ちのままベンチに戻ってきた天馬を待っていたのは、高台で試合を見ていたはずのシエルだった。
「お疲れさまです、天馬。試合は優勢だと言うのに、浮かない顔ですね」
「うん……」
「彼……カオスの事が気になるんですか?」
相も変わらず他人の心を見透かしたようなシエルの発言に「どうしてわかったの?」と尋ねれば、「まあ、見ていましたから」と彼は微笑んだ。
「あんな事、続けさせちゃいけない。あのままじゃアビス達も……カオスだって、辛い思いをし続ける事になる……」
灰色の地面を見詰めながら、天馬は言葉を零す。
苦しそうに歪む表情と重なるように、ドリンクボトルを掴む両手にも力が入り、その証拠だと言わんばかりにボトルが“ベコリ”とへこむ音がした。
「伝えたい事があるなら、ちゃんと話し合えばいいのに……どうしてカオスは、あんな事をするんだろう……」
「……彼は、知らないのかも知れません。自分の思いを他者に伝える術を」
「え……?」
驚いたように顔を上げた天馬に「これはあくまで俺の想像ですが」とシエルは続ける。
「俺達が当たり前に知っている他者への正しい接し方。その方法を彼が知らないのだとしたら。相手に自分を理解してもらおうとした時、乱暴な行動に走ってしまってもおかしくは無い。後にそれが『悪い行い』だと咎められたとしても、彼は理解が出来ない。……今までずっと、そうして生きてきたから」
「なぜ、そんな風に思うんだ」
横でシエルと天馬の会話を聞いていた神童が訝し気に尋ねる。
シエルは少しの間黙り込んだ後、今度は神童の方を向いて、その理由を語り出した。
「高台からアナタ方の試合を見ている時、感じたんです。カオスの記憶や感情が……フィールドに吹く風にのって」
「カオスの記憶?」
「はい。と言っても、その記憶は不思議な事にとても不鮮明で……ノイズにまみれ、俺の力をもってしても詳しい事を知る事は出来ませんでした。ただ、ひとつだけ。鮮明に感じ取れた事がありまして……」
「それは……?」
先の言葉を早く知りたいと言わんばかりに前のめりになる天馬。気付けば雷門イレブン全員の視線がシエルに集中していた。
「鮮明に感じ取れたのは、声。その声の主は『否定しないで』と泣きながら言っていました……」
「否定……?」
「それって……!」
シエルの言葉に怪訝そうに眉を顰めた神童とは裏腹に、はねるような勢いで天馬が立ち上がる。
「それ、俺も聞いたよ。シエル」
「天馬も?」
「ああ。俺、この世界に来る時に夢を見たんだ。その夢に出てきた子も同じように『否定しないで』って言っていて……それに、さっきのカオスも……」
「さっきって?」
天馬は何も知らないメンバー達に、つい先程見たカオスの表情と言葉、それに自身が見た夢の内容を詳しく説明した。
「あのカオスが涙を?」
「天馬くんの見間違いじゃないの?」
眉間にシワを寄せ呟いた霧野に次いで、狩屋が軽薄そうな口調で唱える。
確かに、いつも自信満々で偉そうなカオスが何の理由も無く突然泣きだすなんて、普通だったら想像もつかない事だ。
天馬だって何かの見間違いかと思った。だからこそあの時、もう一度カオスの表情を確認しようとしたのだが……運悪く、アビスに阻まれてしまった。
「いずれにせよ、シエルの聞いたカオスの声も、天馬が見た夢の中の声も同じ言葉を言っていたんだ。偶然で片づける訳にはいかないだろう」
顎に手をあてながら冷静な様子で神童は言う。
ふと宙に映し出されたビジョンに目をやると、『ハーフタイム終了まで残り四分』と言う文字が見えた。
そろそろ後半戦が始まる。カオスの事で未だ頭を悩ます天馬に向け、円堂は監督として声をかけた。
「天馬、ここで悩んでいても答えは出ない。今、俺達がするべき事は、カオス達に真っ正面から正々堂々とぶつかる事だ」
「円堂監督……」
「俺達には守りたいものがある。気持ちで負けるな、天馬!」
そう言って自分の胸を叩く円堂。ニカッと少年のように歯を見せて笑う彼の姿に天馬は「はい!」と強く頷いた。
ジャッジメントベンチから少し離れた、柱の陰。観客からも天馬達からも目視されない場所で、カオスは独り蹲っていた。
手に握るのは小さい箱型の何か。中心には不気味な瞳模様が描かれており、全体的に黒色でコンパクトな形をしている。
これは、クロトに渡された小型の通信端末。ケーブルやアンテナを必要とせず、ただスイッチを押せば、即座にクロトが住む黒の塔・最上階に繋がると言う優れモノ。
普段なら用があれば瞬間移動で直接会いに行けば済むのだが、仮にも今は試合中であり、それは出来ない。
カオスは端末を地面へ置き早速スイッチを入れた。中心に描かれた瞳模様が白く光り、空中に映像を映し出す。
「クロト様……」
荒くなる鼓動を押さえながら、未だノイズまみれの映像に集中する。
早く、早く繋がってくれ。早く会いたい。会って、この苦しみをどうにかしてほしい。
藁にもすがる思いとはこの事を言うのだろう。
なんでも良い、「頑張って」でも「期待している」でもなんでも。あの時みたいに優しい言葉をかけて、自分を肯定してほしい。
こうしている間にも脳裏にチラつくあの嫌な記憶を消す言葉を、かけてほしかった。
ただ、それだけだったのに。
やっとこさ鮮明になった映像に現れたのは
クロトでは無い。別の人物だった。
「何の用だ、カオス」
光を宿さない、冷たい瞳が自分を射抜く。
端麗で中性的な顔立ちを持つその人物は、明らかに不機嫌そうな顔をしてはカオスを見詰めていた。
「……クロト、様は……」
なんで今、なんでこいつに……頭に浮かぶ言葉を口には出さぬよう、カオスは男に尋ねた。
「クロト様はいない。用件だけ言え、内容によってはボクが伝えてやる」
「いや……いないなら、いい……」
「なんだそれ……対した用もないのにいちいち連絡してくるな。クロト様はお前なんかに構っていられるほど暇じゃないんだ」
冷たく突け放すような男の言葉に、自然と伏し目がちになっていくカオス。
この男は苦手だ。初めて会った時から、自分の事をゴミでも見るかのような目で見てきては、心無い言葉をなげつけてきた。
その否定的な言動はあの時の彼等と酷似するものがあって、カオスは嫌で嫌でたまらなかった。
「そういえばお前。あの人間達と戦っている最中じゃないのか。まさか、負けている訳じゃないだろうな」
男の言葉にビクリ、とカオスの肩が震えた。
「まだ、後半戦がある……だから、負けた訳じゃ……」
「その言い草だと、今は負けているんだな」
小さく消えうるように返したカオスの言葉を遮るように、男は言う。
先程から鳴りやまない鼓動が、尚も激しくなっていく。
全身から血の気がひいて、体温が急激に下がる感じがする。
――ああ、そうだ。あの時もこんな風に。
「全く、本当に使えない……。これがモノクロームの一員だなんて……笑えない冗談だ」
ため息まじりに男は言う。
瞬間、ザザッとカオスの頭の中でノイズが走る。
見慣れた誰かの姿が見える。
聞きなれた誰かの声が聞こえる。
「頭も悪い、力もそれ程強くない出来損ない」
「……ッ……もう、いいから」
男の口から発せられる否定的な言葉の数々。
その言葉と共鳴するかのように、頭の中の声もハッキリと聞こえてくる。
だから目を瞑って、耳を塞いで、どうにか“ソレ”から逃れようとした。
「クロト様に拾われた恩も返せない、ダメな奴」
「……黙れ、よ……ッ」
頭を振って、唇を噛み締めても“ソレ”は消えず、どんどん鮮明な物に変わっていく。
噛み締めた唇から鉄の味がする。激しく鳴る鼓動と共に、赤い髪がゆらゆらと揺らぎ出す。
熱く、燃えるような衝動が胃の底で煮えたぎる。
「そんなんだから、実の親に『産まなきゃよかった』って言われんだよ」
その言葉に、ゾッと、胃の底から何かが噴き上がるような感覚に襲われた。
「黙れって言ってんだろッッ!!」
神経が張り裂けそうな程、熱く燃えるような衝動がカオスを襲う。
視界は真っ赤に染まり、髪は逆立ち、衝動のままに放った絶叫は目の前の通信端末を木端微塵に砕き去った。
端末が壊れ、誰もいなくなったその場所で、カオスは柱に背を預けながら空を見上げる。
先程まで灰色だった空、白かった雲、その全てが何故か赤く染まっている。
今度は薄灰色の地面に目をやる。地面も、粉々になった端末の欠片も全てが赤い。
自分の腕も、服も、全てが赤。
ただ、赤い。
綺麗な、赤。
いつだって、自分がここに存在している分からせてくれた色。
先程まで聞こえていた声も、鼓動の音も、何も聞こえない。
苦しい事も悩みも何も……
あれ、そう言えば。
――そもそも何に悩んでいたんだっけ?
「ふふっ……はは、あははは……」
カオスは一人、笑い出す。
何がおかしいのか分からない。ただ、全ての事が一気にどうでもよくなった。
何を悩んでいたのかはあまり覚えていないが。今は凄く気分が良い。
――なんだ、こんなに楽になるなら。
――もっと早くにこうするんだった。
後ろではハーフタイム終了の知らせを告げるアルの声が聞こえる。
もうすぐ後半戦が始まるようだ。
カオスはくるりっと踵を返し、自身の分身である者達の元へ歩きだす。
自分がやるべき事は、敵である雷門の排除。
今は1-2で負けているが、対した問題ではないだろう。
「ぶっ潰そ」
静かに呟き、笑みを零すカオス。
先程まで赤く染まっていた視界は、いつの間にか普段のモノクロに戻っていた。