草原の向こうに見える夕日は、屋敷を出発した時よりも更に赤黒く変貌している。段々と落ちていく夕日の輝きはもう橙色の優しい光ではなくなっていた。
僕はサイドカーからその夕日を見つめながら、腰のホルスターに納まっている南部大型自動拳銃のグリップを握った。転生してから初めて生産したこの武器のグリップを握る感覚が、いつも訓練をしている時と違うように感じてしまう。
今まで魔物や訓練用の的に何度も風穴を開けてきたこの拳銃の弾丸が、ついに人間へと向けられてしまうんだ。
僕はグリップから手を離して草原の向こうの夕日を睨みつけると、屋敷を出発する前に兄さんから教えてもらった情報をもう一度確認する。
この依頼の目的は、ネイリンゲンの北に広がる森の盗賊たちのアジトを襲撃して、盗賊団のメンバーを殲滅することだ。盗賊たちは街へとやって来る商人や観光客を襲撃して積み荷やお金を強奪していくため、かなり困っているらしい。
この依頼をモリガンにするために、ネイリンゲンの市長がわざわざ屋敷までやってきて、モリガンのリーダーである兄さんに依頼したらしい。
「―――緊張してるのか?」
「・・・・・・・・・」
バイクを運転しながら、兄さんが僕に言った。兄さんはもう黒いオーバーコートのフードをかぶっているから、サイドカーに乗っている僕からは顔が見えない。でも、きっと兄さんの今の目つきは、僕を部屋に呼んだ時と同じように鋭くなっている筈だ。
僕は兄さんの質問には答えなかったけど、僕は緊張していた。目的地である北の森に到着してバイクから下り、ホルスターから銃を引き抜いて敵に銃を向ければ、僕はいよいよ人を殺すことになるからだ。
「敵は人々を困らせているクズ共だ。容赦はするんじゃないぞ」
「・・・・・・ああ」
段々と草原の向こうに見えていた森が近くなってくる。あれが盗賊団のアジトがある北の森なのだろう。
以前に兄さんたちがアラクネの群れを壊滅させた森だ。数ヵ月前にオルトバルカ王国の騎士団が魔物たちを掃討するために突撃し、生き残っていた魔物たちを皆殺しにしたため、まだあの森に魔物は住み着いていないだろうと兄さんは言っていた。
バイクを運転している兄さんがブレーキをかけ、バイクを森の近くに停車させると、僕がサイドカーから降りたのを確認してから端末を取り出し、バイクの装備を解除した。
「・・・・・・よし、武器を準備しろ」
僕は端末を取り出すと、電源をつけてから武器の装備のメニューをタッチし、ギルドで正式採用されているSaritch308PDWを装備する。装填されているのは、もちろん訓練用のゴム弾ではなく7.62mm弾だ。
兄さんも自分のSaritch308ARを装備すると、銃身の右側のカバーの中に折り畳まれているナイフ形銃剣を展開して確認し、銃剣を収納してからライフルを背負って歩き出した。
森の中は暗闇になっている。何とか巨木の間から赤黒い夕日の光が見えるんだけど、全く地面が見えない。目の前を歩いていた兄さんは「ドットサイトから暗視スコープに変更しろ」と言うと、端末を取り出して素早く画面をタッチし、自分のアサルトライフルに装着されているドットサイトとブースターを解除すると、カスタマイズの画面で暗視スコープをタッチして装備した。
僕も同じように暗視スコープをPDWの上に装着し、スコープを覗きながら兄さんの後をついて行く。カスタマイズできる物の中にライトもあるんだけど、ライトで森の中を照らしながら進んでいけば盗賊団の奴らに見つかってしまうかもしれない。でも、この暗視スコープならば光を出すことはないため、敵に発見される心配はない。
それに、この暗闇を照らすために敵がランタンを使うかもしれない。もし敵がランタンを使ってくれるならば、その明かりで敵の位置を知る事が出来る。
兄さんの後ろを歩きながら地面から突き出た木の根を乗り越え、僕は暗視スコープを覗き込み続ける。地面からは巨木たちの木の根が何本も突き出ていて、倒木も転がっていた。
「きゃあああああああッ!!」
「!!」
「兄さん・・・・・・!!」
森の中を進んでいると、いきなり奥の方から女性の絶叫が聞こえてきた。暗闇の中で兄さんが僕の方を振り返ってから、悲鳴が聞こえてきた方向へと走り出す。
僕も慌てて走り出した兄さんを追いかけた。木の根を飛び越えて草むらを踏みつけ、悲鳴が聞こえた方向へと全力で突っ走る。
「―――あれだ」
兄さんは太い倒木を飛び越えてから立ち止まると、近くに生えていた木の幹の陰に隠れて銃口を前に向けながら僕に言った。僕も兄さんの反対側に生えている木の幹の陰に隠れ、暗視スコープで前方を覗き込む。
スコープの向こうにあったのは、森の中の道だった。あの道を左にまっすぐ進んで丘をいくつか超えると、数分でネイリンゲンに到着する。内地からやってくる商人たちがよく使うルートだ。
絶叫が聞こえてきたのは、その道に停まっている馬車の方からだった。暗視スコープで覗いてみると、馬車の周囲には黒い服やレザーアーマーに身を包んだ男たちが立っていて、手にはナイフや剣を持っている。彼らがその切っ先を向けているのは、馬車に乗っていた女性のようだった。
まさか、馬車が盗賊団に襲撃されているのか!?
「盗賊団だな。間違いない・・・・・・。射撃準備だ」
「ほ、本当に殺すの・・・・・・?」
「当たり前だ。俺たちの敵は魔物だけじゃないんだぞ」
僕は暗視スコープのカーソルを馬車を囲んでいる男の頭に合わせたけど、まだトリガーは引かなかった。
馬車の中から外に引きずり出された女性が、盗賊団の男たちに向かって必死に叫んでいるのが聞こえる。すると馬車の中に乗っていた男性が、外に連れ出された女性を助けるために馬車の外に飛び出し、女性を連れて行こうとする男に掴みかかったのが見えた。でも、彼は武器を何も持っていないようだ。
その男性は必死に女性を連れ戻そうとしたけど、女性を連れて行こうとしていた男に投げ飛ばされてしまう。そして、剣を持った盗賊団の他の男たちが男性を見下ろしながら、手に持った剣を振り上げた。
このままではあの男性が殺されてしまう! 僕は男性を斬りつけようとしている男の頭にカーソルを合わせたけど―――トリガーを引くことは出来なかった。
何でだ? 何でトリガーを引く事が出来ないんだ? トリガーを引くために指を動かそうとしても、僕の右手の人差指はトリガーに触れるだけだった。
あの男性を助けるためには、トリガーを引かなければならないんだ。トリガーを引いて弾丸を放ち、あの盗賊の頭を撃ち抜いて殺さないと、あの男性は剣で斬りつけられて死んでしまう!
でも、僕が今まで相手にしてきたのは魔物や訓練用の的だけだ。僕が今狙いを定めているのは魔物や的ではなく、人間の頭だった。破壊力の大きい7.62mm弾ならば、高い防御力を持つ魔物の外殻も簡単に貫通してしまう。
あの男性を助けるためには、あの盗賊の男を殺さなければならない。
今まで魔物と的にしか撃ったことのない弾丸を、人間に向けて放つんだ。
その時、僕の隣でマズルフラッシュが煌めき、銃声が暗い森の中に響き渡った。僕がカーソルを合わせていた男の頭がスコープの向こうで砕け散り、頭がなくなった男の死体が暗闇の中に崩れ落ちる。
「!」
「何やってる! 撃てッ!」
弾丸を放ったのは、僕の近くの木の陰に隠れていた兄さんだった。兄さんはSaritch308ARをフルオート射撃からセミオート射撃に切り替え、馬車を囲んでいる男たちを狙撃し始めたんだ。
兄さんの弾丸が次に襲いかかったのは、仲間の頭がいきなり砕け散ったことに驚いていた男だった。そいつは金属製の兜をかぶっていたんだけど、破壊力の高い7.62mm弾は金属製の兜を簡単に貫通し、男の頭を粉砕する。
僕も男たちに照準を合わせたけど、やっぱりトリガーを引くことは出来なかった。トリガーを引けば、僕の弾丸があの盗賊たちの命を奪うことになる。そう考えてしまうせいで、僕はトリガーが引けなくなっていた。
僕の隣で盗賊たちを狙撃する兄さんのアサルトライフルは連続でマズルフラッシュを輝かせていたけど、僕のPDWの銃口からはまだ一度もマズルフラッシュの輝きは見えていない。
次々に盗賊たちは兄さんに狙撃されていく。最後の1人が馬車の陰に隠れようとしたけど、兄さんはその盗賊の足を弾丸で撃ち抜き、馬車の陰に隠れる前に転倒させてしまう。
「行くぞ!」
「えっ?」
いきなり発砲するのを止めた兄さんは、銃身の右側に装着されているナイフ形銃剣を展開すると、馬車に向かって走り始めた。さっきの盗賊に止めを刺すつもりなんだろうか?
僕も銃口を下げると、兄さんの後を追いかけた。あの盗賊はもう足を撃たれている。あの女性や男性を殺すことは出来ない筈だ。だから、止めを刺す必要はないだろう。
もし兄さんがその盗賊に止めを刺すつもりならば、説得してやめさせようと思いながら僕は兄さんの後を追いかける。
道で停まっている馬車へと辿り着いた兄さんは、怯えている男性と女性に「安心してください」と言うと、足を撃ち抜かれて呻き声を上げている盗賊の男を見下ろした。
「な、なんだてめえは・・・・・・!? ぐっ・・・・・・!!」
「傭兵だ」
「よ、傭兵・・・・・・? さっきのでかい音は・・・・・・まさか、モリガンか!?」
「その通りだ」
やはり、僕たちのギルドは有名らしい。その盗賊は、怯えながら僕たちの事を睨みつけていた。
その盗賊は近くに転がっている仲間の死体へといきなり手を伸ばし、その死体が握っているダガーを奪い取ろうとするけど、当然ながら兄さんがトリガーを引く方が早かった。7.62mm弾がダガーを握ろうとした男の右腕に襲い掛かると、そのまま肉を貫き、骨を粉砕して貫通していく。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「うるせえ。―――おい、お前らのアジトはどこにある? この森の中にあるんだろ?」
右腕に千切れてしまうほどの大きな風穴を開けられて絶叫する盗賊を見下ろしながら、兄さんが盗賊に問い掛ける。でも、その男は大穴を開けられた右腕の激痛のせいで答えられないようだった。
「・・・・・・くそ」
「な、何をするんだ!?」
右腕を押さえて呻き声を上げている盗賊に兄さんが銃口を向けたのを見た僕は、慌てて左手で兄さんのアサルトライフルの銃口を掴むと、銃口を盗賊から逸らしながら兄さんに向かって叫んだ。
「こ、この人はもう足と腕を撃たれてる! もう戦えない! 止めを刺す必要はないじゃないか!」
「・・・・・・・・・」
兄さんは一瞬だけちらりと僕の顔を見た。フードをかぶっている兄さんの目つきは、僕を部屋に呼んでこの依頼の話をした時のように鋭かった。
兄さんは銃口を下げてくれる様子はない。僕は兄さんの目を睨みつけながら「見逃してあげてくれ・・・・・・!」と言った。
すると、兄さんは盗賊に向けていたアサルトライフルから右手を静かに離した。兄さんの表情は変わっていないけど、もしかしたら止めを刺すのを止めてくれるのかもしれない。僕は兄さんを睨むのをやめて、アサルトライフルから手を離す。
その時、アサルトライフルのトリガーから離れた兄さんの右手が、兄さんの腰の右側のホルスターに納まっていたプファイファー・ツェリスカのグリップを掴んだのが見えた。僕は慌てて兄さんの手を掴もうとするけど、兄さんは僕よりもステータスが高い。リボルバーをホルスターから引き抜いた兄さんのスピードは、まるで早撃ちでもするかのようだった。
僕が兄さんの手を掴む前に、ホルスターから引き抜かれたプファイファー・ツェリスカの銃口が倒れている盗賊の頭へと向けられる。そして銃口から猛烈な轟音とマズルフラッシュが噴出し、装填されていた.600ニトロエクスプレス弾が倒れていた盗賊の頭を叩き割った。
盗賊の呻き声が聞こえなくなった。その呻き声を彼の頭と同じように粉砕したのは、兄さんのリボルバーの銃声だった。
「――――信也。その良心は絶対に捨てるな」
リボルバーをホルスターに戻した兄さんは、右手で僕の肩を軽く叩きながら言った。
「―――でもな、殺意も絶対に捨てるな」
「・・・・・・」
僕の肩を叩くのをやめ、兄さんが馬車の陰に隠れている男性と女性の方に歩いていく。
僕は後ろに転がっている盗賊の死体を見下ろすと、額の汗を袖で拭い去り、兄さんの後について行った。