闘技場の戦いに出場する信也が心配だったけど、昨日の夕食の時間にあいつがいい作戦を思いついたと言った瞬間、俺の不安はすっかり消えてしまった。
信也は賢い奴だ。俺よりも作戦を立てるのが得意で、この世界に転生してミラと出会ってからすぐにドラゴンを倒してしまっている。あいつは作戦を立てた後はもう緊張しないんだ。
信也の作戦ならば絶対に成功する。こいつが作戦を立てれば、不確定要素や不安は全て消え去ってしまうんだ。
「ミラ、これを」
(何これ? 仮面?)
信也は闘技場の入口の前で端末を取り出して何かを生産すると、それをもう1つ生産してからミラに手渡した。彼がミラに渡したのは、グレーに塗装されたガスマスクのようだ。口の近くにはフィルターが2つ装着されている。
「それはガスマスクだよ。騎士との戦いが始まったら、すぐにそれを付けてね」
(う、うん。分かった)
こいつ、まさかガスを使うつもりなのか?
「ガスマスク? 見たことがないな」
「これを使って戦うの?」
エミリアやカレンたちも、ガスマスクを見るのは初めてだ。2人は信也から渡されたばかりのガスマスクを早速顔に付けたミラの近くに集まると、彼女のガスマスクを見つめ始める。
『か、変わった仮面ですね・・・・・・。力也さんたちの世界の物なんですよね?』
「ああ。便利だぞ」
「―――あの、すいません」
フィオナとガスマスクを付けたミラを見つめながら話していると、いきなり後ろから声をかけられた。間違いなくギュンターの声ではないだろう。今あいつはトイレに行っている筈だ。それに、ギュンターはあまり敬語は使わない。
後ろから聞こえてきたのは中年の男性の声だ。もちろん、聞き覚えはない。俺は「はい?」と言いながら後ろを振り向く。
俺たちの後ろに立っていたのは、黒い帽子とスーツを身に着けた、太り気味の中年男性だった。会ったことのある人物ではない。誰だろうか?
「もしかすると、あなたはモリガンのメンバーですか?」
中年の男性はそう言いながら俺を見上げてきた。
俺たちの服装は他の傭兵ギルドと比べるとかなり特徴的だ。他の傭兵ギルドや騎士団は金属製の防具や甲冑を身に着けるんだけど、俺たちはこの黒い制服を身に纏うだけで、防具は一切身に付けない。
だから、俺たちの格好はこの世界ではかなり目立つんだ。
「ええ、そうです」
「やはりそうでしたか。闘技場の戦いに出場するのですか?」
「はい。新入りが2人出場します。・・・・・・それで、何の用です?」
「はい。私は商人をやっているフィリップという者です。実は、モリガンの皆様にお願いがありまして・・・・・・」
依頼でもするつもりか? もし依頼をするつもりならば信也たちの戦いの観戦をギュンターたちに任せて、俺1人かエミリアと2人で彼の依頼を受けた方がいいだろう。
「何か依頼ですか?」
「いえ。・・・・・・あなた方の持っている、その大きな音のする武器を売って頂きたいのです」
「・・・・・・何ですって?」
銃を売れということなのか?
今俺が身に着けている銃は、腰の右側のホルスターに納まっているプファイファー・ツェリスカだけだ。フィリップは俺が腰に下げているその大型のリボルバーをちらりと見ると、ハンカチで額の汗を拭いてから話し始める。
「あなた方の武器は、恐ろしい威力だと人々から聞いております。たった2人で魔物の大軍を全滅させた時もその武器を持っていたそうですね? もしその武器をこのオルトバルカ王国の騎士団が持てば、間違いなく魔物を簡単に倒す事が出来るようになるでしょう。そうすれば、もう街の周囲にあのような巨大な防壁を建造する必要もありません。・・・・・・是非、その武器を譲っていただけないでしょうか? もちろん、大金も用意しております」
フィリップは腰に下げていた袋を2つ持ち上げると、俺にその袋の中身を見せた。彼の袋の中にはぎっしりと金貨が入っている。
俺の隣で袋を覗き込んでいるフィオナが『す、すごい大金ですよ!?』と言いながら俺の顔を見る。この国では金貨が3枚もあれば家を購入できるため、これはかなりの大金だ。
この世界には銃は存在しない。人々は剣や弓矢や魔術で魔物に立ち向かわなければならないんだ。でも、俺たちが端末で生産した銃ならば、剣を簡単に弾き返すゴーレムを一撃で貫通し、弓矢を次々に回避するドラゴンを一瞬で穴だらけにする事が出来る。もしこの銃を騎士団が装備すれば、魔物を簡単に絶滅させる事が出来るだろう。
でも、俺はこの商人に銃を売るつもりはなかった。
「お断りします」
『えっ?』
「な、何ですって・・・・・・!?」
銃を騎士団が装備したとしても、間違いなく使いこなせないだろう。それに、この商人に銃を売れば必ず騎士団以外の手にも渡る事になる。もし騎士団以外の人間の手に銃が渡れば厄介だ。俺たちが依頼を受けて戦っている敵がその銃を持って反撃してくるかもしれないからな。
銃の装備を解除すれば俺が端末で生産した武器はすぐに消えて再び俺の手元に戻るから問題はないんだけど、俺はこの商人に銃を売るつもりはない。銃を売って大金を受け取り、その後に装備を解除して銃を手元に戻すという詐欺師のようなこともするつもりはない。
俺はフィリップの目を睨みつけながら、銃を売ってもらうために俺たちを説得しようとするフィリップにもう一度「お断りします、ムッシュ」と言った。
「な、何故です!?」
「我々は傭兵です。武器を売るのは仕事ではありませんので」
「その武器があれば、魔物など簡単に―――」
「―――諦めてください、フィリップさん」
俺は一瞬だけ今まで転生者たちを葬ってきたような目つきでフィリップを睨みつけた。最初に断わると言った時は睨みつけていただけだったんだけど、今度は転生者たちを殺す時のような威圧感と殺意を一瞬だけ浮かべながら、フィリップを睨みつけている。
彼はぶるぶると震えながら「わ、分かりました・・・・・・!」と言うと、慌てて踵を返してどこかへと歩いて行った。
「・・・・・・依頼を受けていれば、あの袋の中身よりもたくさん金貨が手に入るさ」
俺は逃げて行ったフィリップを見つめていたフィオナに言うと、彼女の頭を撫でながら信也たちの所へと戻る。
闘技場の入口から既に中に入っていた信也たちは、端末で武器を装備して準備しながら控室へと向かっていた。戦いが始まるのは9時45分かららしい。闘技場の壁に掛けられている時計で時刻を確認した俺は、フィオナを連れて早足で信也たちに追いつくと、控室に向かっている信也の肩を軽く叩いた。
「ああ、兄さん。何の話だったの?」
「いや、何でもない。・・・・・・それより、頑張れよ」
「心配してるのかい?」
「そんなわけないだろ。はははっ。―――じゃあ、俺たちは客席にいるからな」
「うん」
闘技場の戦いが始まるまであと20分くらいだ。2人に「頑張れよ」と言うと、俺は信也とミラ以外の仲間たちを連れて客席へと向かった。
ポケットの中のマガジンの数を確認した僕は、ホルスターの中から南部大型自動拳銃を取り出すと、細い銃身を眺めていた。あの端末で僕が一番最初に生産した銃が、この南部大型自動拳銃だ。この拳銃は第二次世界大戦の際に旧日本軍が採用していた拳銃で、9mm弾よりも小さい8mm弾を使用する。威力は低いけど反動が小さいから、非力な僕でも扱いやすい武器だった。
そういえば、兄さんが一番最初に生産した銃は大型リボルバーのトーラス・レイジングブルらしい。凄まじい攻撃力を持つ強力なリボルバーだ。
(シン、大丈夫?)
「ああ、大丈夫だよ」
入口の巨大な扉の前でSaritch308PDWを点検していたミラに返事をすると、僕も背中に背負っていたSaritch308PDWを取り出して点検を始めた。
僕のSaritch308PDWには、ドットサイトとフォアグリップとマズルブレーキが装備されている。銃身の左側にはレーザーサイトを装着し、銃身の右側には接近戦用のナイフ形銃剣を装備している。ミラの銃も僕と同じだった。僕が生産したブーツナイフよりも長いナイフ形銃剣を点検し終えた僕は、Saritch308PDWを背中に背負うと、メガネをかけ直した。
(頑張ろうね、シン!)
「ああ。頑張ろう!」
いつまでも非力なままでいるわけにはいかない。この世界はもう僕が住んでいた世界ではないんだ。凶暴化した魔物が存在するこの異世界で生き残るには、強くならなければいけない。
だから、僕も兄さんみたいに強くなる!
「では、そろそろ入場してください」
「はい!」
扉の前で待っていた闘技場の人がそう言うと、近くにあったレバーを引いた。僕たちの目の前に会った巨大な石の扉が上に上がり始め、目の前から観客たちの歓声が聞こえてくる。
僕は腰に下げたガスマスクを手に取りながら、ミラと2人で闘技場の中へと足を踏み入れた。
観客席は観客だらけだった。僕は客席の方を見渡しながら兄さんたちを探そうとしたけど、どこにもモリガンの制服を身に纏っている人たちの姿が見えない。
歓声と観客に取り囲まれながら、僕は深呼吸をした。
(やっぱり、モリガンって有名なんだね・・・・・・)
このギルドが有名になったのは、兄さんとエミリアさんが一番最初に受けた依頼で魔物の大軍を全滅させてしまったからだろう。ゴーレムやゴブリンたちに騎士が剣で挑むのは危険だけど、銃があれば簡単に殲滅できる。
僕たちの入ってきた扉の反対側にあった扉が開き始め、その向こう側から赤い制服の上に銀色の防具を纏った騎士たちが5人も闘技場に入ってきたのが見えた。
あれが前半戦の相手らしい。
「ミラ、ガスマスクをつけて」
(了解)
ガスマスクをミラがつけたのを確認してから、僕もガスマスクを付け、端末で生産しておいたある武器を腰から取り出した。
おそらく、この前半戦は数秒で終わる。
僕が取り出したのは、第二次世界大戦で使用されていたような柄のついた手榴弾だった。
(シン、始まるよ)
「・・・・・・ああ」
僕たちの目の前に、緑色の魔法陣で囲まれた円がいきなり出現すると、その円の中に立体映像のように数字が表示され、カウントダウンが始まる。
僕は数字が0になる前に、もう一度向こう側にいる騎士たちの武器を確認した。彼らが手にしている武器は剣と槍だけで、弓矢を使う騎士や魔術師はいない。このカウントダウンが終われば、彼らは間違いなく突っ込んでくるだろう。
そして、目の前に表示された数字が0になり、空中に表示されていた緑色の魔法陣が消滅した。
「いくよ、ミラ!」
(うん!)
向こう側から騎士たちが雄叫びを上げながら突っ込んでくる。僕は柄のついた手榴弾の安全ピンを引き抜く準備をしているけど、僕の隣に立っているミラは武器を準備していない。棒立ちで騎士たちを見つめている。
僕は手榴弾の安全ピンを引き抜くと、僕たちの目の前に放り投げた。
僕が放り投げた手榴弾は、突っ込んでくる騎士たちの目の前ではなく、僕とミラのすぐ目の前に落下する。
騎士たちが持っている武器は槍と剣。彼らは銃や手榴弾を知らないから、攻撃するならばそのまま突っ込んでくるだろう。
そのまま突っ込んできてくれ。そうすれば、すぐにこの勝負が終わる。
ガスマスクをかぶったまま僕がニヤリと笑った瞬間、目の前で転がっていた漆黒の手榴弾が、突然大量の白い煙を放出し始めた。
「な、何だ!?」
「煙幕か!?」
僕たちに接近していた騎士たちが慌て始める。でも、もう勝負はついたよ。騎士たちは頭に金属製の兜をかぶっているみたいだけど、あの兜にこのガスマスクのようなフィルターがついている筈がない。
突然、白い煙の向こう側で騎士たちが静かに崩れ落ち始めた。僕の目の前に転がっている手榴弾も煙を放出し終えていて、放出した煙も段々消えていく。
煙が完全に消えてしまった向こうでは、先ほどまで雄叫びを上げて突っ込んできていた騎士たちが――――全員眠っていた。
やっぱり、ゴム弾を生産する必要なんかなかった。
僕が放り投げた手榴弾の中には睡眠ガスが入っていたんだ。魔術ならば防げたかもしれないけど、彼らの中に魔術師はいなかったし、騎士たちの兜にフィルターが装着されているわけがないからね。
試合が始まってから、まだ5秒くらいしか経過していない。勝負がつくのが早過ぎて、客席で観戦していた観客たちが驚いているのが見えた。
「終わったよ、ミラ」
(さすがね!)
僕とミラはガスマスクを外すと、ニヤリと笑ってから踵を返して後ろの扉へと戻っていった。