星空と草原の向こう側に、無数の照明で照らし出された巨大な防壁が見えてきた。防壁の高さはクラグウォールやクガルプール要塞よりも高い上に分厚い。防壁の表面に描かれている巨大な魔法陣は魔力を増幅させるための魔法陣で、もし魔物の大軍が襲撃してきた場合は、防壁の中に用意された部屋の中から、魔術師があの魔法陣を通して強化された強力な魔術を放つ事が出来る。
カレンとフィオナが教えてくれたんだが、あの魔力を増幅させる魔法陣を採用しているのはオルトバルカ王国だけらしい。
エンジンとキャタピラの音を夜の草原に轟かせながら進むレオパルト2A6の砲塔の後ろから巨大な防壁を見つめていた俺は、いつの間にか腰に下げていた小太刀の柄を握りしめていた。
今回はまた暗殺者たちと戦いに来たわけではない。弟とギルドの仲間の戦いを見守りに来ただけだ。
あの時カレンを守るために暗殺者と戦ったことを思い出しながら、俺は静かに小太刀の柄から手を放し、頭にかぶっていたフードを取った。
「信也、緊張するか?」
「え? ・・・・・・うん。結構緊張してる」
砲塔のハッチから上半身を出しながら、信也は俺の方を振り向いて頷いた。明日の闘技場の戦いに出場するのは、信也とミラの2人になっている。ミラは今まで何度か俺やエミリアたちと戦っているし、夜間に行った模擬戦ではミラ以外のメンバーは全員彼女の殺気と威圧感を感じる事が出来なかった。それに、彼女の持つサウンド・クローと音響魔術を併用した戦法は非常に強力だ。ギュンターは滅茶苦茶心配していたけど、俺は問題ないと思ってる。
でも、信也のほうは少し心配だった。こいつは作戦を立てることが得意な賢い奴なんだけど、こいつが今までやってきた訓練は筋トレや射撃訓練ばかりだ。仲間と協力して行う訓練は経験したことがない。こいつが経験した実戦は、ミラと共に森の中をバイクで逃げながらドラゴンと戦ったことだけだ。
あの時はドラゴンが1体だけだったが、今回は大量の魔物と戦うことになる。大丈夫だろうか?
「心配しないで。大丈夫だよ」
「・・・・・・そうだな」
信也も俺と同じ転生者なんだ。それに、この世界に転生してきたばかりの状態ですぐに作戦を立ててドラゴンを倒している。
こいつなら大丈夫だな。
俺は心配するのを止めると、会議が終わった時のように信也の肩を軽く叩いた。
『―――信也、そろそろ降りましょう。防壁が近いわ』
「了解しました」
信也が耳に付けた無線機から砲手を担当するカレンの声が聞こえてくる。信也は無線機で操縦士のミラに「ミラ、停止して」と言うと、彼女の返事を聞いてからメガネをかけ直した。
巨大で分厚い防壁の向こうに広がっていたのは、クラグウォールやネイリンゲンよりも遥かに大きな大都市だった。転生する前の世界のように高層ビルは建っていないけど、防壁の内側にはレンガ造りの立派な建物がずらりと並んでいた。大通りには露店がいくつも並んでいて、大通りを歩く人々に見慣れた食材や見たことのない料理を売っている。
兄さんとエミリアさんとフィオナちゃんは、以前にこの王都でカレンさんを護衛するために無数の暗殺者たちと戦っている。その時兄さんは足に毒を塗った矢を刺されてしまい、カレンさんを連れて下水道に逃げたら片足が動かなくなってしまったらしい。
その時兄さんは自分を見捨てて逃げろとカレンさんに言ったんだけど、カレンさんは兄さんを見捨てずに、肩を貸して一緒に逃げ続けたらしい。
立派な人だ。自分を護衛していた傭兵をカレンさんは見捨てなかったんだ。
「ここだな」
兄さんの後について真っ赤な煉瓦で埋め尽くされた坂道を登り終えると、兄さんがいきなり宿屋の看板の近くで立ち止まった。
「ここ?」
「ああ。前に来た時に泊まった宿だ」
宿屋の入口のドアを開けながら言う兄さん。前に兄さんがここに泊まった時は、カレンさんの護衛の兵士が宿泊費を支払ってくれていたらしい。
「いらっしゃいませ」
「宿泊したいんですが、部屋は開いてますか?」
「はい。開いていますよ」
「では、1泊2日でお願いします。7名です」
「かしこまりました」
真っ白なカウンターの向こうにいた男性に兄さんは言うと、懐から袋を1袋取り出し、カウンターの上に静かに置いた。あれが宿泊費なんだろう。カウンターの向こうの店員が袋の中身を確認してから受け取ったのを見た僕は、足元のカーペットや飾られている彫刻を見ていることにした。
まるで貴族が利用するような立派な宿屋だった。よく見ると、階段を下りてくる客や宿の外で雑談している人たちの格好がかなり豪華だ。きっとあの人たちは貴族なんだろう。立派なドレスやスーツに身を包んでいる貴族の人たちを見つめていると、近くから「おい、行くぞ」とギュンターさんの声が聞こえてきた。
「は、はい」
真っ赤なカーペットが敷かれた階段を上がっていく。兄さんたちの服装はモリガンの制服なんだけど、僕の服装は未だに転生してきた時と同じ高校の制服だ。だから、階段を下りてくる貴族の人たちは最後尾を歩いている僕をじっと見つめてくる。
高校の制服はこの世界に存在しないからね。兄さんも転生したばかりの頃は、私服のパーカーとジーンズ姿だったらしい。
「この部屋か」
店員からもらった鍵を眺めてから部屋の番号を確認した兄さんは、その鍵を部屋の鍵穴に差し込んで鍵を開けると、僕にもう1つの鍵を手渡してから部屋の中に足を踏み入れた。
僕の部屋は、兄さんの隣の部屋らしい。
(シン、私もそっちの部屋で寝るわ)
「ん? ああ、いいよ」
「み、ミラ!?」
兄さんと同じ部屋に入ろうとしてたギュンターさんが驚いて大声を上げるけど、部屋の中からカレンさんが「うるさいわよ。速く入りなさい」と言ってギュンターさんを無理矢理部屋の中に引きずり込んでいった。
(ご、ごめんなさいね。私のお兄ちゃんはシスコンだから・・・・・・)
「き、気にしてないよ。大丈夫」
僕はそう言いながら部屋のドアの鍵穴に鍵を差し込むと、鍵を開けてから部屋のドアを開け、ミラを連れて部屋の中へと入った。
部屋の真ん中には屋敷にあるソファよりも大きな真っ赤なソファが鎮座していて、窓の近くには大きなベッドが2つ並んでいる。床に敷かれているのは立派な紅と黄金の2色のカーペットで、真っ白な壁には絵画と鏡と時計が掛けられていた。ソファの近くにあるドアを開けてみると、その向こうはバスルームになっているようだった。ネイリンゲンの屋敷では水を裏庭にある井戸から汲み上げて来ないといけないんだけど、この宿屋には水道の蛇口とシャワーが用意されていた。
これなら、転生する前と同じように過ごす事が出来るかもしれない。
(立派な部屋だね。ソファも大きいし!)
ミラははしゃぎながらジャンプしてソファに座る。僕もバスルームのドアを閉めると、彼女の隣に腰を下ろして端末をポケットから取り出した。
僕が今生産している武器は、南部大型自動拳銃が2丁とブーツナイフ2本とSaritch308PDWの5つだ。さすがに明日の闘技場の戦いでレオパルト2A6を使うわけにはいかないから、この装備で戦うしかない。
スキルも何か生産しておこうかな? 兄さんみたいに『所持可能弾薬UP』を生産して装備しておこうかな。端末が用意してくれる銃の弾薬は、一部を除いて再装填(リロード)3回分だけらしいから、銃を使うならこのスキルは重要だろう。
でも、必殺技も生産しておこうかな? どうしよう?
僕はソファに腰を下ろし、明日の作戦を考えながら端末の画面を見つめていた。
「明日の闘技場の戦いなのだが、前半は騎士団に所属している5人の騎士と戦い、その後に休憩してから無数の魔物と戦う事になるらしい」
「騎士と戦うんですか?」
「ああ。だから、もしポイントが余っていたらゴム弾を作っておけ。足りなければ力也に頼んでおいた方がいいぞ」
皿の上のナポリタンをフォークで口に運びながら、向かいの席に座っているエミリアさんは言った。僕とミラが部屋で休んでいる間に、兄さんとフィオナちゃんと3人で闘技場まで行って予定を確認して来てくれたらしい。
僕はエミリアさんに「分かりました」と言うと、僕の目の前に置いてあるハンバーグにナイフを近づけた。
ゴム弾を生産するには、南部大型自動拳銃のカスタマイズのメニューから生産する必要がある。でも生産に必要なポイントはたったの50ポイントだけで、それだけで再装填(リロード)3回分の弾薬が生産できる。兄さんにお願いする必要はないだろう。
それにしても、明日は魔物との戦いの前に騎士を5人も相手にしないといけないんだね。さすがに実弾を騎士たちに叩き込むわけにはいかないけど、ゴム弾で防具を身に着けている騎士を倒せるかな? 接近戦は得意じゃないからブーツナイフと格闘術で接近戦を挑むわけにもいかない。
「・・・・・・そういえば、ミラのいつも使ってる魔術って音響魔術なんだよね?」
(うん、そうだよ?)
僕の隣で美味しそうにハンバーグを食べていたミラが、ナイフで切ったハンバーグを口に運びながら答えてくれた。
彼女の音響魔術は、魔力を放出して空気を振動させて音を出すという原理だ。この音響魔術を利用して、ミラは喉を潰されていても擬似的に喋る事が出来る。
「音響魔術って、いろんな音が出せるんだよね?」
(うん。こんな感じで擬似的に声を出すだけじゃなくて、超音波も出せるんだよ)
なるほど。超音波も音響魔術で出す事が出来るんだね。
ならば、僕はゴム弾を生産しておく必要はないだろう。その代わり、別の武器を用意しておかないといけない。
(シン、どうしたの?)
「いや、いい作戦が思いついたからね」
「おお。信也の作戦が見れるんだな!?」
ギュンターさんがステーキを租借しながら大きな声で言う。兄さんはエミリアさんの隣でパンを齧ると、僕の方を見ながらニヤリと笑っていた。
兄さんは戦車の砲塔の後ろに乗っていた時、僕に緊張するのかって聞いてきた。確かに僕はあの時緊張していたけど、きっと兄さんも心配していたんだろう。
でも、僕が作戦を思いついたと言ったのを聞いて安心してくれたらしい。
僕も笑いながらメガネをかけ直すと、皿の上に置いてあったパンを手に取って口へと運んだ。