霧の中に、ボロボロの建物がいくつも見えてきた。
苔と倒木と泥が大地を埋め尽くす湿地帯の中に鎮座する、湿ったボロボロの建物の壁。ひび割れて薄汚れた窓の向こうからは微かにランタンの明かりが見える。
あれがギュンターの住んでいる町なのだろうか。建物の外を出歩いている人影は見当たらない。建物の周りに用意された桟橋の上には、同じように湿気のせいで湿った樽がいくつか置かれているだけだ。
「あれが俺の住んでた町だ。・・・・・・警備兵は減ってるみたいだな」
「そうでしょうね。彼らの装備では、あのゴーレムの亜種には敵わないでしょう」
マークスマンライフルのスコープを覗き込み、桟橋の上を確認しながらカレンが言った。確か、ゴーレムに襲われてた兵士たちの中に魔術師はいなかった筈だ。魔術師がいれば勝機はあるんだろうけど、普通の剣や槍ではゴーレムの岩のような外殻のせいでダメージは全く与えられないだろう。
それに、彼らの目的は逃げ出したピエールを追撃することだ。ゴーレムとの戦いをいつまでも続ける筈はない。
俺は泥だらけの地面から倒木の上に足を乗せると、仲間たちが移動している間にスナイパーライフルのスコープを覗き込み、もう一度桟橋の周囲と建物の屋根の上を確認しておく。
「よし、町に入るぞ」
倒木の上から別の倒木に飛び移りながら、俺はSV-98を背中に背負い、腰のホルスターからMP443を引き抜いた。スナイパーライフルを装備している俺のアドバンテージは射程距離が長いことなんだけど、これから突入する町の中は建物があるため、狙撃できる場所は少なくなってしまう。しかも俺が装備しているロシア製スナイパーライフルのSV-98はボルトアクション式だから、1発ぶっ放したらボルトハンドルを引かなければならない。カレンのM14EMRのように、連続で射撃はできないんだ。
だから、敵の兵士と戦闘になり、接近戦になってしまったら、いくら強力な銃と言っても不利になってしまう。
ハンドガンのグリップを握り、俺は泥だらけになってしまった片足を桟橋の上に乗せた。桟橋の足場を掴んで上に上ると、後ろをついてきていたエミリアに手を貸し、彼女を桟橋の上に引き上げる。
「すまないな」
「気にするな。・・・・・・ほら、カレン」
「ありがと」
今度はカレンに手を貸し、彼女を上まで引き上げる。フィオナは元々浮いているから手を貸す必要はないし、ギュンターも自分で登ってこれるだろうから問題ないだろう。俺はカレンを桟橋の上に引き上げると、姿勢を低くしながらハンドガンを周囲に向け、周りに敵がいないか確認した。
ピエールが言っていた通り、町の中を警備している兵士は減っているようだ。でも、館には何人も兵士がいるかもしれない。ピエールは50人って言ってたな。それに、リーダーがかなり手強いらしい。
まず、町にいる奴隷たちを助けよう。その後に館に潜入し、さらわれているギュンターの妹や他の奴隷たちを救出してから敵を殲滅するべきだ。
俺は端末を取り出すと、ギリースーツの装備を解除し、エミリアたちと同じ迷彩模様の制服姿になってから建物の陰に隠れた。
「ギュンター、館ってのは町の真ん中にあるんだな?」
「ああ。リーダーはそこに住んでるし、俺の妹もそこにいる筈だ」
俺は彼に「分かった」と言うと、ハンドガンを構えながらそっと建物の陰から近くに置かれていた樽の陰に移動した。
警備が厳重なのが館ならば、町の中にいる奴隷たちを救出するのは簡単だろう。今町を警備している兵士は20人くらいで、館を警備している兵士は50人ほど。警備させる人数が偏ってしまっている。
「・・・・・・ん?」
樽の陰から移動しようと思ったその時、向こうの建物の2階にあるベランダの上に誰かが立っているのが見えた。銀色の甲冑を身に着け、左手には弓を持っている。背中に背負っているのは矢筒だろう。
装備している武器以外は、ピエールと同じ恰好だった。
「敵兵だ」
「どうする?」
「狙撃する。エミリア、カレン、他に敵兵がいないか確認を頼む」
「了解」
「任せなさい」
MP443をホルスターに戻し、再び背中からスナイパーライフルを取り出すと、俺はバイボットを展開して樽の陰から照準を2階のベランダの所に立っている兵士へと向けた。
照準を合わせながら、俺もスコープから目を離して周囲に他の敵兵がいないか確認する。ベランダの上で見張りをしている奴は立ち止まったままだから、ヘッドショットをお見舞いするのは簡単だろう。距離は40mくらいだ。
「いないな」
「こっちもいないわ」
「よし」
右目をスコープに戻し、俺はカーソルを見張りの兵士の頭へと合わせ―――スナイパーライフルのトリガーを引いた。
サプレッサーが響き渡る筈だった轟音を黙らせる。7.62mm弾は真っ直ぐにベランダへと向かって飛んで行き、スコープの向こうで立っていた兵士の頭に風穴を開けた。
彼は頭に金属製の兜をかぶっていたけど、SV-98の7.62mm弾はそんな防具では防げない。簡単に兜を貫通した弾丸は容赦なく兵士の額を貫き、見張っていた兵士を即死させた。
後ろの壁を鮮血で真っ赤にしながら兵士が仰向けに倒れたのを確認すると、俺はボルトハンドルを引きながら「行こう」と言った。
この湿地帯の町はネイリンゲンよりも狭いとはいえ、その町をたった20人だけの兵士で警備させるのは無茶だ。館を警備している兵士を町の警備に回せばしっかり警備が出来る筈なんだけど、奴らのリーダーは町の警備を20人に押し付けているようだ。
おかげで簡単に潜入出来たぞ。俺はスナイパーライフルのバイボットを折り畳みながら、ニヤリと笑った。
どうやらさっき2階のベランダに兵士が立っていた建物は倉庫のようだ。開けっ放しになっている木製のドアの向こうには、木箱がずらりと並んでいて、壁には錆びついたでっかい包丁がいくつか掛けられている。ギュンターが俺たちの屋敷に来た時に手にしていた包丁と同じ形状だ。
「・・・・・・そろそろ、俺の仕事場だ」
「仕事場?」
「ああ。俺はこの近くにある建物の中で、魔物や鰐の肉を捌いてたんだ。包丁の切れ味は最悪で、質の悪い砥石しか支給されないから、結局次の日もそのなまくらの包丁で仕事するしかない。しかも、あの人間共は仕事が遅い奴を笑いながら殴りつけるんだぜ? 切れ味の悪い包丁で、でっかい魔物の肉を短時間で捌けるわけねえのによ・・・・・・!」
アサルトライフルを構えながら後をついて来るギュンターが怒りながら言う。俺は倉庫の中に掛けられている包丁を睨みつけているギュンターの顔を見つめながら、彼が我を忘れて敵兵に襲い掛からないか心配になった。
でも、ギュンターはすぐに視線を倉庫の中の包丁から俺たちの進行方向へと戻し、前を進む俺に「すまん」と言った。
俺は「気にするな」と言うと、倉庫の周囲を見渡してからすぐに倉庫から離れることにした。
「――――おい、ギュンターの奴はどこに行った!?」
「待て」
倉庫の向こうにある木造の建物の方から、怒鳴り声が聞こえてきた。おそらく敵兵だろう。
俺はスナイパーライフルのスコープを覗き込み、怒鳴り声の聞こえた方向へと向けた。
倉庫の向こうにある建物の前に、中年の大男とハーフエルフの少年が両手を縛られた状態で座らされているのが見える。2人の周囲には防具に身を包んだ兵士が5名ほど立っていて、その2人を問い詰めているようだった。
「おっさん・・・・・・! エドワード・・・・・・!」
倉庫の陰からOTs-14のドットサイトを覗き込みながら、ギュンターが言ったのが聞こえた。知り合いなんだろうか?
俺はちらりと彼の方を見た。ギュンターはアサルトライフルを構えながら、2人に向かって剣を向けている兵士を睨みつけている。
ここからアサルトライフルで敵兵を狙うことは可能だ。俺はギュンターに「撃つなよ」と言うと、スナイパーライフルのスコープで他に敵兵がいないか確認しておくことにした。
建物の近くの桟橋の上に5人の兵士が立っていて、大男とハーフエルフの少年を取り囲んでいる。彼ら以外に敵兵は―――見当たらないな。
「よし、あの2人を助けるぞ」
「どうするんだ?」
「まず、俺とカレンが敵兵を狙撃する。そしたらギュンターはスモークグレネードをあそこに撃ち込んでくれ。スモークグレネードが着弾したら、エミリアが突っ込んで残った敵兵を倒してくれ。フィオナはエミリアの援護を頼む」
「任せろ」
『了解ですっ!』
俺は倉庫の陰から、照準をあの2人に剣を向けている兵士に合わせた。俺の隠れている場所に近くに積み上げられている樽の陰では、カレンがマークスマンライフルを構え、照準を合わせている。
「カレン、あの剣を向けてる奴は俺が仕留める。お前はハルバードを持ってる奴を撃て」
「任せて」
ハルバードを持っている兵士は、桟橋の手すりに寄りかかりながら2人を問い詰めている兵士を眺めている。さっき俺がヘッドショットで倒した兵士と同じく立ち止まっているから、カレンならば命中させるのは簡単な筈だ。
彼女は400m先のターゲットを狙撃する訓練で、1発しか弾丸を外していない優秀な選抜射手(マークスマン)なんだ。
「―――撃つぞ」
「了解」
俺は2人を問い詰めている最中の兵士へ向け、SV-98のトリガーを引いた。
もちろん、照準はあの兵士の頭だ。あの兵士も頭に兜をかぶっているけど、さっきの兵士と同じく簡単に弾丸に貫通されてしまうだろう。スナイパーライフルの弾丸をあんな兜で防げる筈がない。
俺のぶっ放した7.62mm弾が兵士の頭に突き刺さり、ギュンターの仲間を問い詰めていた兵士の怒鳴り声が突然途切れる。頭をスナイパーライフルの強烈な弾丸で撃ち抜かれた兵士が崩れ落ちる向こうで、ハルバードを手にしていた兵士の頭にもカレンのM14EMRから放たれた弾丸が襲いかかった。俺の弾丸と同じように簡単に兵士の兜を貫通し、桟橋の手すりに寄りかかっていた兵士が頭に風穴を開けられて手すりの向こうに広がる泥水の流れる川へと落ちていく。
「ギュンター、撃てぇッ!」
「おらぁッ!!」
俺の近くで、ギュンターがOTs-14の銃身の下に取り付けられたグレネードランチャーのトリガーを引いた。
彼のグレネードランチャーから放たれたスモークグレネードが、俺がヘッドショットで射殺した兵士の死体の傍らに着弾し、仲間が殺されて驚く兵士たちと、彼らに問い詰められていたギュンターの仲間を包み込む。
「行くぞ、フィオナ!」
『はい、エミリアさん!』
敵兵がスモークに包み込まれている状況では、もう狙撃はできない。あとは接近戦が得意なエミリアと、フィオナの出番だった。
腰の鞘から漆黒のペレット・サーベルを引き抜き、片手で迷彩模様の軍帽を押さえながら桟橋の上を突っ走っていくエミリア。彼女の後を、サプレッサー付きのOTs-14を抱えたフィオナがついていく。
「ギャアッ!?」
「ガッ!!」
スモークの真っ白な煙の中で、血飛沫が上がったのが見えた。ちらりと振り払われた返り血まみれのサーベルの刀身が見え、その上を刎ね飛ばされた敵兵の首が飛んで行く。
煙の中から血飛沫が上がらなくなり、断末魔が聞こえなくなる。どうやら、もう敵兵を倒してしまったらしい。
そして、薄れていくスモークの中からエミリアとフィオナが戻ってくるのが見えた。両手を縛られた大男とハーフエルフの少年を連れている。
「おっさん! エドワード!」
「ギュンター!」
気の弱そうなハーフエルフの少年の方が、両手を縄で縛られたままギュンターの方へと駆け寄っていった。
「ギュンター、この人たちは? モリガンなのかい?」
「ああ。ちゃんと雇って、助けに来たぜ!」
「ありがとう、ギュンター! おじさん、この人たちはモリガンだって!」
「ギュンター・・・・・・よくやった」
両手を縛られた大男が野太い声でギュンターに言う。もしかすると、この人たちがギュンターに俺たちを雇うための金を持たせた人たちなのかもしれない。俺はボルトハンドルを引いてからSV-98を背中に背負うと、縄をエミリアに切ってもらったエドワードという少年に聞いた。
「なあ、他の仲間は?」
「みんな仕事してるよ。俺たちはギュンターと同じところで仕事してたから、あいつらに問い詰められてたんだ」
「他の仲間たちは集められるか?」
「何とかできるかもしれない。・・・・・・でも、どうするんだ?」
「仲間たちを連れて、この町を脱出してネイリンゲンに向かってくれ。俺たちは奴らのリーダーの館に向かう」
ピエールとサラもネイリンゲンに向かって逃げている筈だ。それに、俺たちが来た時はあまり魔物には遭遇しなかったから大丈夫だろう。今倒した兵士たちの装備を奪えば、身を守ることもできる筈だ。
「任せろ。エドワード、お前は今のうちに倉庫から包丁を持って来い。武器代わりにする」
「わ、わかった。――――ギュンター、お前もモリガンの人たちと行くのか?」
「ああ。ミラを助けなきゃいけねえからな」
「気をつけろよ。・・・・・・じゃあ、ネイリンゲンで待ってるからな」
「おう!」
ギュンターにそう言ってから、エドワードは俺の近くに立っている倉庫の中へと入っていく。ギュンターがおっさんと呼んでいた大男は、さっきまで兵士たちが立っていた桟橋の方へと向かうと、彼らの死体から装備を奪い始める。
「――――よし、館に向かおう。ギュンター、頼むぞ」
「任せろ。行くぜ!」
さっきぶっ放したグレネードランチャーに次のスモークグレネードを装填したギュンターが、桟橋の上を走っていく。
彼の仕事仲間を救出することに成功した。次は敵兵のリーダーの館に潜入し、囚われている奴隷たちと彼の妹を救出しなければならない。しかも、館を警備している兵士が50人もいる上に、奴らのリーダーはかなり手強いらしい。
俺たちはさっきエミリアが斬り殺した敵兵たちの死体の上を飛び越えると、館へと向かっていくギュンターの後についていった。