先ほど、怖がっていたラウラはやっと泣き止んでくれた。あの衝撃波で家が揺れてからはずっと泣き続けていたし、力也が街に行くと言い出した後は、ずっと「パパ、いかないで」と叫び続けていた。
何とか姉さんが泣き止ませてくれたおかげで、今は子供部屋で落ち着いて絵本を読んでいる。読んでいる絵本は、私と姉さんが幼少期によく読んでいた勇者の物語だった。その絵本に登場する勇者に憧れて、私と姉さんは大きくなったら勇者になると言ったことを思い出す。
タクヤはまだ3歳だというのに、随分と大人びた性格をしているせいなのか、爆発の衝撃で家が揺れた時は驚いていたものの、その後は泣き出す事はなく、黙って姉さんと一緒にラウラを泣き止ませようとしていた。
しっかり者の弟だな。大きくなったら、きっと父親みたいな立派な男になるぞ。
「ねえ、ママ」
「あら、どうしたの?」
洗濯物を畳んでいた姉さんの服を、絵本を片手に持ったら裏の小さな手が引っ張った。少し心配そうな顔をしていた姉さんは、微笑みながら愛娘を見下ろす。
やはり、姉さんも心配なのだろう。ネイリンゲンは無事なのだろうか? そして、ネイリンゲンに向かった力也たちは無事なのか? ネイリンゲンには、確か信也たちがいた筈だし、今日は李風たちが訓練にやってくる日だった筈だ。
「ねえ、ママ。パパはもう少しでかえってくる?」
「ええ、きっと戻ってくるわ」
そう言ってから、私の顔を見つめてくる姉さん。きっと力也はならば必ず帰ってきてくれる。姉さんと同じくそう思っていた私は、姉さんの翡翠色の瞳を見つめながら頷いた。
そうだ。あいつは私をナバウレアから連れ出してくれた男だ。それに、いつも戦いが終わった後はボロボロになっていたが、様々な激戦で勝利している。
あいつならば、戻ってくる。必ず戻ってきてくれる。
力也、そうだろう・・・・・・?
ネイリンゲンの街は、地獄だった。
通りに並んでいた傭兵ギルドの事務所の群れは全て倒壊し、瓦礫が燃え上がっている。その瓦礫の中に埋もれているのは、核爆発の際の熱線で焼かれた焼死体だ。
エミリアやフィオナたちと食材や日用品を買いに来ていた露店の列はもう残っていない。辛うじて露店の一部だったと思われる木材が、街の真ん中の大通りにいくつも転がっているだけだ。
「なんてことだ・・・・・・」
生き残っている人はいるのだろうか? 俺はそう思いながら周囲を見渡した。だが、俺の周囲に広がるのは見慣れたあの開放的な街並みではなく、蹂躙された跡ばかりだった。
これは悪夢なのか・・・・・・?
思わず、これは現実ではないと思い込んで逃げ出したくなってしまう。だが、逃げ出すわけにはいかない。核ミサイルは落とされた。これは現実なんだ。
しっかりしろ。
その時、俺の頭上を、ローターの轟音をばら撒きながら1機のヘリが通過していった。オリーブグリーンとブラックの迷彩模様で塗装されていて、機首の下には30mm機関砲が装備されている。機体の両脇に搭載されているのは、おそらく対戦車ミサイル。モリガンが保有するスーパーハインドよりも小型のヘリだ。
俺の頭上を通過していったのは、どうやらロシア軍が使用しているMi28ハボックのようだ。俺たちが使用しているヘリはスーパーハインドだけだから、ハボックを生産した覚えはない。もしかしたらミラが信也に作ってもらって助けに来てくれたのかと思ったが、俺の頭上を通過していったそいつの胴体には、モリガンのエンブレムが描かれていなかった。それに、そのハボックは俺の頭上を通過して燃え上がる大通りの上空へと接近すると、地上に向かって30mm機関砲の掃射を始めやがった。
おそらく、生き残った民間人に向かって掃射しているんだろう。猛烈な機関砲の轟音の中から、微かに人々の断末魔が聞こえてくる。
「ふざけやがって・・・・・・!」
お前らの目的は、モリガンだろうが!
背負っていたOSV-96の銃身を展開し、立ったまま照準をハボックへと向ける。照準はもちろん、民間人を殺すようなクソ野郎が腰を下ろしているコクピットだ。
距離は600m。しかも敵の戦闘ヘリは微速だが移動している。更に、核爆発の影響で風が強い。カーソルの真ん中に着弾する確率は0%だ。
だから俺は、照準を少し左にずらした。これで命中するか・・・・・・?
「くたばりやがれッ!」
罵声を発しながら、トリガーを引く。T字型のマズルブレーキから飛び出したマズルフラッシュの閃光が一瞬だけ炎が発する橙色の光をかき消し、たった1発の12.7mm弾と銃声が、30mm機関砲の掃射に介入する。
弾丸は風のせいで右へとどんどんずれていく。もしかしたら外れるのではないかと思いながら次の照準を合わせていたんだが、右へとずれ始めたその弾丸は、調子に乗って掃射を続けている敵の攻撃ヘリのキャノピーへとちゃんと飛び込んでくれた。キャノピーが割れて真っ白になった直後、コクピットの中で吹き上がった鮮血が、キャノピーを真っ赤に染め上げる。
パイロットを撃ち抜かれたハボックは、そのまま頭上のローターと同じようにぐるぐると回転を始めた。まだ武装は健在だし、機体の損傷もキャノピーだけだ。武装もまだまだ残っている。だが無人兵器でもない限り、兵器は人間が使わなければ当然ながら動かない。パイロットを失ったそのハボックは、そのまま回転を続けながら燃え上がる瓦礫の中に飛び込み、新たな火柱を生み出した。
「くそったれ・・・・・・!」
悪態をつきながらアンチマテリアルライフルを折り畳み、俺は街の中へと進んだ。あいつらが機関砲を掃射していたということは、まだ生存者がいるということだ。もし生存者がいるならば、エイナ・ドルレアンへと逃げるように指示を出そう。カレンたちならばきっと受け入れてくれる筈だ。
街の中での戦闘になる恐れがあるため、武器はアンチマテリアルライフルではなくアサルトライフルに持ち替えておく。Saritch308ARの銃身の横にあるナイフ形銃剣を展開し、接近戦になっても反撃できるように準備した俺は、チューブ型のドットサイトを覗き込みながら街の中を見渡した。
生存者はいないのか? みんな死んでしまったのか?
誰か生き残っていてくれと祈りながら街の中を見渡すが、瓦礫と一緒に転がっているのは焼死体や、蜂の巣にされた無残な死体ばかりだ。
「ママ・・・・・・ママぁ・・・・・・!」
「!?」
傭兵ギルドがあった曲がり角を曲がろうとしたその時だった。曲がり角の向こうから、幼い少女の泣く声が聞こえてきたんだ。敵を警戒しながら上がり過度の向こうをちらりと確認してみると、3歳くらいの金髪の少女が、ぬいぐるみを抱えながら泣いている。どうやら逃げる途中に母親とはぐれてしまったらしい。
その幼い少女の姿が、一瞬だけ
「おい、お嬢ちゃん!」
見捨てるわけにはいかない。あの少女はまだ子供だ!
俺は曲がり角に積み重なっていた事務所の瓦礫の影から飛び出し、その少女に向かって全力で走った。いきなり見知らぬ男が走って来るのを見て、幼い少女が更に怯える。
怖がらせてしまうのは申し訳ないが、彼女を見捨てるわけにはいかない。左手を伸ばして彼女の肩を掴むと、その子を連れて近くにあった物陰へと隠れた。
「お、おにいさん、だれ・・・・・・!?」
「俺は・・・・・・傭兵だ」
「ようへいさん・・・・・・?」
「ああ。・・・・・・ママは?」
「わかんない・・・・・・。おおきなおとがして、ママとにげてたの。でも・・・・・・ママがどこかにいっちゃった・・・・・・」
少女は小さな声でそう言うと、再び涙を浮かべて泣き始めてしまう。俺は彼女の小さな頭を優しく撫でてから、ポケットに入っていたハンカチで涙を拭った。
まだ幼いこの子を、1人でエイナ・ドルレアンまで逃がすわけにはいかない。ネイリンゲンの周囲の草原は魔物があまり出没しないとはいえ、最近は魔物が大量発生することもある。それに、この子の体力ではエイナ・ドルレアンまで到着することは不可能だ。
せめて彼女の母親がいれば・・・・・・。
その時、隠れていた廃墟の壁に何かが着弾した。おそらく弾丸だろう。
敵兵に見つかってしまったらしい。俺は慌てて泣き続ける少女を壁の奥へと隠れさせると、廃墟の陰から少しだけ外を覗いた。
「生存者だ! あの廃墟の陰に隠れてるぞ!」
「逃がすな! 勇者様に逆らった者たちだ! 皆殺しにしろ!」
やっぱり、勇者の部下共か・・・・・・!
核を落としたのは、やっぱり勇者だったのか!
敵兵は3名ほど。装備は屋敷を襲撃してきた奴らと同じく、HK416だ。そのうち1人はグレネードランチャーを装備している。
ブースターとチューブ型ドットサイトを覗き込んだ俺は、まず最初にそのグレネードランチャー付きのアサルトライフルを持っている奴を攻撃することにした。セミオート射撃に切り替え、敵兵の頭を狙う。
発砲した瞬間、銃声に驚いた少女が怯えて絶叫した。出来るならば、彼女にあまり怖い思いはさせたくない。早く母親と再開させて、安全な街まで逃がしてあげなければならない。
ごめんな。もう少し我慢してくれよ・・・・・・!
グレネードランチャーの付いたライフルを持っていた奴の頭に7.62mm弾を叩き込み、続けてその隣でフルオート射撃をしていた奴の顔面にも同じく7.62mm弾をお見舞いする。
残っているのはあと1人だ。どうやら隠れているのが転生者だったとは思っていなかったらしく、いきなり銃撃で反撃されたことに驚いているようだった。
もちろん容赦をするつもりはない。セレクターレバーを3点バースト射撃に切り替え、フルオート射撃を始めた馬鹿の胴体に3発の7.62mm弾を撃ち込んだ。呻き声が聞こえた直後、5.56mm弾の銃声が消え去る。
「お嬢ちゃん、もう大丈夫だよ。・・・・・・さあ、ママを探そう」
怯えている彼女に手を伸ばしたその時だった。廃墟の外から、先ほどの転生者たちの罵声とは違う大きな声が聞こえてきたんだ。声は高い。女性だろうか?
「ナタリア! ナタリアぁっ! どこなの!?」
「ママ・・・・・・?」
「あの人が?」
怯えていた少女が、その女性の声を聞いた瞬間に顔を上げた。
敵が残っていないかを確認してから、俺は彼女の手を引いて廃墟の外へと向かう。はぐれた娘の名を必死に読んでいた金髪の女性は、まだ近くにいたらしい。廃墟の前にある通りを、必死に叫びながら走っていく。
「ママ! ママぁっ!!」
「ナタリア! よかった、無事だったのね!?」
薄汚れた顔を両手で拭い、涙を流しながら無事だった娘を抱き締める母親。ナタリアは安心した顔で涙を流しながら、自分を探しに来てくれた母親に抱き付いた。
良かった・・・・・・。これで彼女は助かる。
「うんっ! あのようへいさんがたすけてくれたの!」
「傭兵さん・・・・・・?」
母親は顔を上げると、俺の方を見てきた。見慣れない武器を持っている俺を他の奴らと同じだと思って警戒しているのかもしれない。少しだけ俺の頭を見て驚いたようだけど、その母親はすぐに警戒するのを止めてくれた。どうやら俺が、モリガンの傭兵だと気付いてくれたらしい。
そういえば、いつものように帽子やフードをかぶっていなかった。彼女が俺の頭を見て驚いたのは、きっと怒りで角が伸びていたからだろう。慌てて角を隠そうとするけど、この角はすぐには縮んでくれない。
「ハヤカワ卿、娘を助けていただいてありがとうございます・・・・・・!」
「気にしないでください。私にも・・・・・・ナタリアちゃんのような幼い子供たちがいますから・・・・・・。それよりも、早くエイナ・ドルレアンへ逃げてください。あそこならば受け入れてくれる筈です」
「あ、ありがとうございます・・・・・・!!」
「ようへいさん、ありがとうっ!」
母親と手を繋ぎながら微笑むナタリア。先ほどまで怯えていた彼女は、母親を見つける事ができてもう安心しているようだ。
俺も彼女の顔を見下ろしながら微笑んだ。
まだ幼いんだ。死んではいけない。
「生きろよ、お嬢ちゃん」
そう言って彼女に敬礼し、俺はアサルトライフルを担いで踵を返した。まだ生存者を蹂躙しているクソ野郎共は残っている。そいつらを全員ぶち殺さなければならない。
命乞いをしてきても許すつもりはない。猛烈な殺意を生み出しながら燃え上がる街へと向かって歩き始める。
もう一度ちらりと後ろを見てみると、母親と手を繋いだナタリアが、俺の真似をして俺に敬礼をしているところだった。
にやりと笑って彼女に親指を立て、俺は再び歩き出す。
子供たちは、親が守らなければならない。子供たちは親の遺志を受け継いでくれる後継者たちなのだから。
だから俺たちは、子供たちの剣と盾になる。
アサルトライフルを担ぎながら歩いていると、目の前からキャタピラとエンジンの音が聞こえてきた。当然ながらこのネイリンゲンにいるモリガンの傭兵は俺だけだ。俺たちが保有していた戦車は大破してしまっている。
火の粉の舞う大通りを睨みつけていると、倒壊した事務所の瓦礫を踏みつけ、エンジンの音を響かせながら、大通りの向こうから1両の戦車が姿を現した。車体の上には大きな砲塔が搭載されていて、その砲塔からは巨大な砲身が突き出ている。キューポラの上に搭載されているのは、ブローニングM2重機関銃だった。
アメリカ製
「エイブラムスか・・・・・・」
しかも1両だけではない。瓦礫を踏みつけながら出現したエイブラムスの後方から、更に2両もエイブラムスが接近してきている。
戦車の周囲にアサルトライフルを装備した歩兵たちが集まってくる。
「――――かかって来い」
俺が蹂躙してやる。
返り血まみれの顔でにやりと笑った俺は、サラマンダーの血液の比率を80%まで変更し、身体中を外殻で覆って硬化しながら戦車部隊へと向かって突っ込んでいった。
街を覆い尽くしていた炎たちも、段々と弱々しくなっているようだった。核ミサイルが生み出したキノコ雲と巨大な火柱も消え始め、空も少しずつ明るくなり始めている。
弱々しくなっていく炎たちの中でもまだ燃え上がっているのは、俺が先ほど撃破したエイブラムスの車体や、撃墜したハボックくらいだろう。生存者たちを蹂躙していたクソ野郎の死体を冷たい目で見下ろした俺は、踵を返して生存者を探すことにした。
だが、街の中に転がっているのは、倒壊した建物の下敷きになっている死体や、焼かれて真っ黒になっている死体ばかりだ。中には転生者たちの銃撃で蜂の巣になっている死体もある。もっと早く来る事ができれば、彼らは助かっただろうか?
そう思いながら広場の方をちらりと見てみると、噴水があった場所の近くに倒れている幼い子供が見えた。あんな子供まで殺したのかと再び怒りが膨れ上がり始めたが、その子の手はまだほんの少しだけ動いている。
生存者だ・・・・・・!
俺は広場に敵がいないことを確認してから、その倒れている子供に駆け寄った。先ほど助けた少女と同い年くらいの幼い少年だ。
「おい、坊主。・・・・・・大丈夫か?」
「あれ・・・・・・? おにいさん、わるものじゃないの・・・・・・?」
「ああ、そうだ。君を助けに来た。・・・・・・さあ、一緒に逃げ―――――」
そう言いながら彼を立たせようと手を伸ばした瞬間、俺の手は彼の小さな体に触れる前に止まってしまった。
この少年の腹には、風穴がいくつも開いていた。おそらく、逃げている途中に転生者たちに撃たれたんだろう。出血はまだ止まっていない。このままでは、この少年は死んでしまう。
俺は慌ててエリクサーの瓶を取り出した。まだ中身は残っている。だが、俺が持っていたエリクサーは傷を塞ぐヒーリング・エリクサーのみ。血液を補充する事ができるブラッド・エリクサーは持ってはいない。
仮にこのエリクサーを少年に飲ませたとしても、この傷が塞がるだけだ。幼い彼の体力では、ブラッド・エリクサーを投与するまで持ちこたえられないかもしれない。
「なんてこった・・・・・・」
その時、少年の小さな手が、痙攣しながら俺の左手を掴んだ。
「おにいさん・・・・・・みんなの・・・・・・かたきを・・・とってくれて・・・・ありがとう・・・・・・・・・」
「・・・・・・すまない、坊主・・・・・・!」
タクヤと同い年じゃないか。
勇者の奴は、こんな小さな子供まで殺すのか!!
悲しみが殺意へと変貌する。いつの間にか俺の目に浮かんでいた涙が、透明な涙から血のように真っ赤な涙へと変色し、そのまま真っ黒に焦げてしまった広場のレンガへと零れ落ちた。
頭の右側に痛みが走る。まるで、頭の内側からダガーを突き刺されているような痛みだ。頭を押さえてのたうち回りたくなったが、俺は黙って少年の顔を見つめていた。
虚ろな彼の幼い目には、頭から2本の角を生やし、目から血涙を流す怪物が映っていた。これが俺の姿なのだろうか?
「かいぶつさん・・・・・・あり・・・が・・・・・・とう・・・・・・」
「・・・・・・!」
少年の小さな手が、動かなくなった。
きっと怖かっただろう。いきなり大爆発で家を吹き飛ばされ、家族と離れ離れになり、見たこともない武器を持った男たちに襲われたのだから。
本当ならば、もっと仲のいい友達と外で遊びたかっただろうに。まだ家族と一緒に生活していたかっただろうに。
少年の小さな体を抱えたまま、どんな銃声や爆音よりも大きな声で、俺は絶叫していた。人間の声だった俺の絶叫は、途中で少しずつまるでドラゴンのような声へと変わっていく。
きっと、俺の体内にあるサラマンダーの血も怒り狂っているんだろう。子供まで殺す勇者を許せないに違いない。
彼の命を、勇者が奪った。
世界を救った男が―――――世界を破壊しようとしている。
何が勇者だ。
何が英雄だ。
こんなクソ野郎が勇者なのか。子供の命を奪うような奴が勇者なのか。
ならば俺が、お前を殺してやる。
――――お前を殺すために、魔王になってやる。
今日からは、俺が2人目の魔王だ。