「パパ、はやくはやく!」
「あはははっ。ラウラ、はぐれるなよ?」
巨大な木の根で俺を急かしながら手を振る愛娘に微笑みながらそう言った俺は、手入れを済ませたスコープ付きのリー・エンフィールドを肩にかけながらタクヤの手を引き、腰の高さくらいまで突き出ている木の根の上を上った。
高い木が何本も生えている森だけど、ネイリンゲンの周囲にある他の森のように巨木が密集しているわけではないため、他の森と比べると明るい。夕方になっても地面から突き出ている木の根ははっきりと見えるし、夜になれば星空も見る事ができる。
様々な種類の植物が生えている上に魔物も生息していないため、普通の動物たちにとっては楽園だ。草食動物たちには肉食動物という天敵がいるけど、その天敵よりも恐ろしい魔物がいないから、草食動物が生息している数は他の森よりも多い。
子供たちは狩りに行くのを昨日から楽しみにしていたから、2人とも嬉しそうだ。そう言えば最近は傭兵の仕事ばかりで、家に帰って来ても子供たちに絵本を読んであげるか、一緒に勇者ごっこをしてあげるくらいだった。勇者ごっこをする時は、いつも俺が魔王の役をやっている。勇者の役はラウラで、姉よりも性格が少し大人びているタクヤは、はしゃいでいる姉を後ろでいつも魔物の図鑑や世界地図を見ながら見守っている。
仕事が忙しい原因は、突発的な魔物の大量発生と、李風たちのギルドのメンバーとの共同訓練と、勇者に関する情報収集の3つだ。
魔物についてはいつもならば数分で殲滅できる程度の規模なんだが、稀に挫けそうになってしまうほどの規模の群れの殲滅を依頼されることがある。そういう場合は装備している銃が弾切れになるのは当たり前なので、いつも軽装で戦うミラやフィオナまで珍しく重装備になっている。
李風たちのギルドのメンバーとの共同訓練では、俺と李風が教官となり、他の転生者たちに銃の扱い方や戦術を教えている。彼らのレベルも順調に上がっているし、規模も徐々に大きくなっているため、勇者についての情報さえ集まればいつでも攻撃を仕掛けられるだろう。
その勇者の情報収集なんだが、李風のギルドのメンバーたちにも協力してもらっているというのに、殆ど情報が入って来ない。工作員たちは「もう解散してしまったのではないか」と冗談を言い出すほど、何も情報が無いんだ。
タクヤを木の根の上に引っ張り上げ、俺たちの前をはしゃぎながら歩いているラウラの後を追う。たまに子供たちは森を抜けてネイリンゲンまで遊びに行っているらしいから、この森の中を全く歩いたことが無いわけでもない。
「ねえ、おとうさん」
「ん?」
木の根の上からタクヤを下ろして歩き出そうとしていると、俺の手を握ったタクヤが顔を見上げながら尋ねてきた。息子の顔を見下ろすと、タクヤは俺が肩にかけているリー・エンフィールドをじっと見つめる。
「いつか、ぼくにも銃のうちかたを教えてくれる?」
「おう、もう少し大きくなったらな。その時はお姉ちゃんも一緒だぞ?」
「うんっ!」
何歳くらいになったら教えてあげようか。6歳くらいかな?
そういえば、タクヤはよく世界地図や魔物の図鑑を見ている。もしかしたら、大きくなったら冒険者になるつもりなんだろうか?
冒険者の仕事は基本的にダンジョンの調査だ。ダンジョンは環境や生息している魔物が危険過ぎるせいで全く調査ができていない地域の総称で、世界地図の中には何も書かれていない地域が存在する。その空白の地域がダンジョンだ。
ちなみに、ガルちゃんが封印されていたあの火山もダンジョンになっている。未だに調査が終わっていないらしい。
世界中にはまだまだダンジョンがあるから、これからは傭兵よりも冒険者の方が需要が増えてくることだろう。冒険者は凶暴な魔物と戦う事もあるため、傭兵並みに戦闘力が高くなければダンジョンに挑むことは出来ない。
もし子供たちが冒険者になった時には、この現代兵器が役に立ってくれる筈だ。
子供たちが冒険者になったら、是非とも頑丈で強力なロシア製の銃をおすすめしよう。ロシア製の武器は頑丈だからダンジョンでも役に立ってくれる筈だし、同志が増えるからな。
「あ、パパ!」
「ん?」
「しかさんがいるよ!」
「鹿?」
俺の前を歩いていたラウラが、獲物を見つけてくれたらしい。俺も獲物を探していたつもりだったんだが、3歳の娘に先を越されてしまったな。きっとこの子は優秀な狙撃手か観測手になるに違いない。
ラウラが指を指す方向に銃口を向け、スコープを覗き込む。カーソルの向こうには、俺たちに背を向けて倒木の周囲に生えている草を食べている大きな雄の鹿が見えた。俺がいた世界に生息していた鹿よりもがっしりしているし、頭から生えている角も太い。
まだ鹿は俺たちに気付いていないようだ。魔物がいないせいで、この森の草食動物たちの警戒心は半減してしまっているのだろうか? 先ほどのラウラの大声は聞こえた筈だが、雄の鹿は娘の大声を全く気にせず、草を美味そうに喰い続けている。
よし、お前には夕飯の食材になってもらうぞ。毛皮と角も街で売れそうだ。
「2人とも、耳を塞いで」
「うんっ!」
俺の足元にやってきたラウラが笑いながら頷き、目を瞑ってしゃがみながら小さな両手で耳を塞ぐ。タクヤもしゃがみながら耳を塞ぎ、俺に狙われている鹿を凝視している。
草を食べ終えたのか、鹿が頭を上げた。俺はすぐにカーソルを鹿の後頭部へと合わせると、目を細めてからトリガーを引いた。
銃口でマズルフラッシュの光が輝く。荒々しい光の中から轟音を引き連れて飛び出したのは、装填されていた.303ブリティッシュ弾だ。
俺がぶっ放した.303ブリティッシュ弾は、銃声を聞いた鹿が逃げ出すよりも先に鹿の後頭部へとめり込むと、毛皮を突き破り、頭蓋骨を粉砕して貫通し、大きな角の生えている鹿の頭に風穴を開けた。
弾丸に後頭部を撃ち抜かれた鹿は、弾丸が纏っていた運動エネルギーに後ろから突き飛ばされ、自分が草を食べていた跡に頭を押し付けて絶命してしまった。
距離はたったの100mくらいだ。
仕事中に何度も2kmくらいの超遠距離から転生者の頭を狙撃しているから、俺にとって容易い狙撃だった。ボルトハンドルを引いて空の薬莢を排出し、仕留めた獲物を確認するために歩き出そうとしていると、耳からそっと手を離したラウラが、俺が仕留めた鹿を見つめながら目を輝かせていた。
「すごい・・・・・・! しかさんをやっつけた!」
「よし、今夜はママたちに鹿肉でご飯を作ってもらおうな」
「わーいっ! おにくだぁっ!」
それにしても、随分とでかい鹿だな。こいつ1頭で十分じゃないか? いつも仕留めてる鹿の2倍くらいでかいぞ。
周囲に肉食動物がいないか確認してからライフルを肩にかけ、仕留めた鹿の近くへと向かう。自分が食べていた草むらに頭を押し付けるように倒れていた鹿の後頭部には.303ブリティッシュ弾に食い破られた大穴が開いていて、周囲の毛皮を真っ赤に染めていた。子供たちに見せるには少々グロテスクな傷口だ。
ちらりと後ろを見ると、ラウラがタクヤの手を引いて、はしゃぎながら俺が倒した鹿を見るためにこっちに向かって走ってくる。
俺は慌てて変異した左手で鹿の角を掴むと、左肩に大熊のようなサイズの鹿のやけにでかい頭を担ぎ、子供たちからは頭の風穴が見えないようにして獲物を引きずり始めた。まるでこの雄の鹿をおんぶしているような格好だ。こんなところを妻たちやギルドの仲間たちに見られたら大笑いされるに違いない。
ちなみに、この鹿を解体するのは俺の仕事だ。ギュンターがいればこんなでっかい鹿でも数分で解体してくれるんだが、残念ながらギュンターはカレンと一緒にエイナ・ドルレアンに住み、ドルレアン領の領主となったカレンの夫として彼女を支えている。
カレンは貴族で、ギュンターは差別されているハーフエルフだ。2人が結婚すると言い出した時はカレンの親族は当然ながら猛反対したらしいんだが、カレンの父親はモリガンのメンバーとして活躍していたギュンターの話を聞いていたらしく、カレンと共に親族を説得してくれたらしい。
2人の結婚式にはもちろん俺たちも参加した。俺たちの結婚式でヒトラーの電動ノコギリの異名を持つMG42をぶっ放そうと発案したのはギュンターだったということが判明したので、彼への
もう子供ができたらしく、来週辺りに出産予定らしい。ついにギュンターもパパになるというわけだ。
そろそろ信也とミラも結婚すると思うんだが、ギュンターが大暴れしないか心配だ・・・・・・。九分九厘あの2人が結婚すると言い出したら大暴れしそうだな。
出来るならばこの鹿の解体はギュンターにお願いしたいんだが、あいつは仕事ができないカレンの代わりに頑張っているから、無理をさせるわけにはいかない。あとでラム酒とこの鹿肉を差し入れに持って行ってやろう。
「ねえ、パパ。もう狩りはおわり?」
「うーん・・・・・・こんなに大きな鹿を仕留めたからなぁ・・・・・・。これ以上仕留めても、持って帰るのは大変だよ」
「えー!? もうおわり!?」
「あはは・・・・・・ごめんな、ラウラ」
「うー・・・・・・やだやだ! まだおわっちゃだめなの!」
だ、駄々のこね方が母親(エリス)とほぼ同じだ・・・・・・。やっぱりラウラはエリスに似たんだな。母親と同じく変態にならないと良いんだけど。
父親としては、ラウラをちゃんとしたレディーに育てたいものだ。だから絶対に美少女に抱き付いて唇を奪ったり胸を触るような変態(エリス)には育ってほしくはない。でも、ラウラは母親に似ているようだから心配だ・・・・・・。
もしエリスみたいな変態になっちゃったら、真っ先に犠牲になるのはガルちゃんだな。
「ねえ、おとうさん。そのライフル持ってみてもいい?」
「ん? こいつをか?」
「うんっ」
駄々をこねるラウラを見つめながら苦笑いをしていると、大人しくしていたタクヤが俺の手を引っ張りながらそう言った。さすがにライフルを撃たせるのはまだ早いが、持たせるだけならば問題ないだろう。
左肩にでかい鹿の頭を乗せたまま、リー・エンフィールドの薬室とマガジンの中から残っていた9発の.303ブリティッシュ弾を全て抜き取る。弾薬を全て取り出した状態のライフルを肩から降ろすと、ライフルを持ちたがっているタクヤに「重いぞ?」と言ってからリー・エンフィールドを渡した。
するとタクヤは大喜びでライフルを受け取り、さっき俺が狙撃した時のように銃を構えてスコープを覗き込んだ。まだ3歳の息子が持つと、まるでスナイパーライフルがアンチマテリアルライフルのようにでかく見えるな。
それにしても、なんだかタクヤの銃の構え方は見様見真似にしては慣れているように見えた。エミリアかエリスが構え方を教えたんだろうか?
何だか違和感を感じたが、よそ込んでいる息子の笑顔を見た瞬間にその違和感は消え失せてしまった。スコープから目を離したタクヤの頭を撫でた俺は、まだ駄々をこねているラウラの頭を撫でるために手を伸ばす。
「ラウラ、また連れてきてあげるからさ」
「ほんとう?」
「ああ。約束だ」
「うん! パパ、やくそくだからね!」
「ああ、いい子だ」
「えへへっ!」
頭を撫でられて大喜びするラウラ。どうやら駄々をこねるのは止めてくれたらしい。
俺はラウラの頭から手を離すと、タクヤと手を繋いででかい鹿を引きずりながら、狩りに出発した時のようにはしゃぎながら走り始めたラウラの後をついて行く。確かここまで来た時に木の根をいくつか乗り越えてきたんだが、どうやってその木の根の上を乗り越えようか?
迂回して家に帰ろうかと考えていると、森の中から流れてきた殺気が、俺が考えていたことを全て押し流してしまった。引きずっていた鹿から手を離し、さっきが流れ込んできた方向を睨みつけながら立ち止まる。
「・・・・・・パパ、どうしたの?」
「ラウラ、こっちに来なさい」
急に立ち止まった俺を振り返りながら首を傾げるラウラ。俺は手招きしてラウラを近くへと連れて来ると、仕留めたでかい鹿の死体の陰に子供たちを隠れさせ、再び殺気が流れてきた方向を睨みつける。
どうやらこの鹿の肉を狙って、厄介な肉食動物がやってきたらしい。
ため息をついた瞬間、俺の目の前に生えていた城壁のように巨大な木の幹の陰から、漆黒の体毛に覆われたゴーレムのような巨体を持つ肉食動物が唸り声を上げながら姿を現した。
「く、くまさんだ!」
「2人とも、隠れてろよ」
ライフルがあればもう既に頭を撃ち抜いているところだが、リー・エンフィールドは先ほどタクヤに弾薬を全て抜き取ってから渡しているから、今すぐタクヤからライフルを受け取ったとしても弾薬を装填し直さなければならない。
端末を取り出したとしても、6mくらいの大きさのこの熊が先に襲い掛かって来ることだろう。
俺は指を鳴らしながらにやりと笑うと、血走っている熊の目を睨みつけた。熊も唸り声を発し、口に生えている牙の間からよだれを垂らしながら俺を睨みつけているが、全く恐怖は感じなかった。
まるでウォーミングアップを始めようとしている格闘家のように肩を回した俺は、両足の膝を曲げて少しだけ姿勢を低くし――――まだ威嚇を続けていた熊に向かって走り出した。
走りながら右手の手首から先をサラマンダーの外殻で覆って硬化させ、いきなり突っ込んできた俺に驚いている熊の顔面に右手のストレートを叩き込む。大熊は呻き声を発し、よだれと鼻血をまき散らしながら体勢を崩したけど、すぐに俺の胴体よりも太い前足を持ち上げて、俺を叩き潰そうとしてきた。
だが、動きが遅過ぎる。俺はそのまま左手を握って振り上げ、左手の拳を熊の前足の関節の辺りにお見舞いした。漆黒の毛皮に拳がめり込んだ直後、毛皮の内側から筋肉繊維が千切れる音と、その筋肉に覆われていた骨が木端微塵に砕ける音が聞こえてきた。大熊の剛腕が、まるで突風に吹き飛ばされた旗のように揺れる。
「УРаааааааааа(ウラァァァァァァァァァ)!!」
熊の呻き声を雄叫びでかき消しながらジャンプし、今度は空中で熊の顔面に右足で思い切り回し蹴りを叩き込んだ。回し蹴りを喰らって熊が体勢を崩している間にそのまま空中で反時計回りに回転しつつ、左足に収納されているブレードを展開した俺は、サラマンダーの角で作られた義足のブレードを振り払い、体勢を立て直したばかりの熊の顔面を斬りつけた。
ブレードが顔面にめり込んだ感覚はしなかった。俺はブレードを収納してから地面に着地すると、ため息をついてからくるりと後ろを振り向く。
俺に斬りつけられた顔面から血飛沫を噴き上げ、断末魔を上げながら崩れ落ちていく大熊。悪いが、お前にも今夜の夕飯になってもらうぜ。
「―――――粛清完了だ」
「パパ、すごい・・・・・・!」
「く、熊を倒しちゃった・・・・・・!」
鹿の死体の陰から戦っている俺を見ていたことも達に向かって、にやりと笑いながら親指を立てる。
「す、すごいよパパ! こんなに大きいくまさんをやっつけちゃった!」
「お前たちも修行すれば熊さんをやっつけられるようになるさ。――――よし、これで獲物が増えたぞ。早く帰ってママに料理してもらおうぜ」
「うんっ!」
「やったぁっ!」
俺は子供たちの頭を撫でてから、仕留めたばかりの熊とさっき仕留めた鹿の死体を引きずり、子供たちと一緒に家へと向かって歩き出した。