ゆっくりと目を開け、瞼をこすりながらベッドから体を起こす。枕元に置いておいた筈の転生者の端末を手探りで探し、掴み上げながら時計の時刻を確認する。まだ時刻は午前5時くらいだが、二度寝するつもりはない。
ベッドから起き上がって着替えを済ませ、制服の上着を羽織る。フィオナがデザインしてくれたこの黒い革のコートは、コート中にベルトのような装飾がいくつもついているせいで拘束具のようにも見えてしまう。禍々しい見た目だけど、俺はなかなか気に入っていた。
端末を操作してククリ刀を2本装備した俺は、まだベッドの上で眠っている妻たちの寝顔を見下ろしてにやりと笑ってから、自室を後にした。
雪山での戦いから4ヶ月が経過した。もう9月になり、北国であるオルトバルカ王国の風は再び冷たくなりつつある。エリスのおかげでもう悪夢を見ることはなくなったし、フラッシュバックする事もなくなった。
魔物退治の仕事は増えているけど、今のところは平和な日々が続いている。
「はぁ・・・・・・」
昨日の夜、またあの2人に襲われた。すぐ隣でガルちゃんが眠ってるっていうのに、エミリアとエリスは全く容赦をしてくれなかったんだよ。
あんなに搾り取られていたら、いつか本当に子供ができちまうぞ。まあ、俺も子供は欲しいとは思ってるけどさ。
でも、もし子供ができたら、いつまでもこの屋敷にいるわけにはいかなくなる。ここは確かに俺たちの家だけど、あくまでこの屋敷はモリガンの拠点だ。もしかすると何者かに襲撃を受けるかもしれない。
もし襲撃を受けたら、子供たちが危険だ。だから、もし子供ができるならば家を購入してそっちに住むつもりだ。
もちろん、傭兵を引退するというわけではない。前よりも仕事を受ける件数は減ってしまうかもしれないけど、子育てをしながら傭兵を続けようと思う。
階段を下りて裏口のドアを開け、裏庭へと出る。裏口の小さな門から見える草原は変わらないけど、その向こうにある森は少しずつ褐色の森に変貌しつつある。今年は寒くなるのが早いと他のギルドの奴が言ってたから、来月辺りには雪が降るかもしれない。
思っていたよりも冷たい風に包まれた俺は、身体を振るわせてから鞘の中からククリ刀を引き抜き、素振りを始めた。エミリアの剣術は俺の滅茶苦茶な我流の剣術とは違って、しっかりと騎士団で訓練して身に着けた剣術だから、俺の剣戟よりも一撃が鋭い。前に彼女と一緒に剣術の訓練をやったことがあったけど、同じサイズの剣を使って素振りをやったのに、彼女の方が剣を振るのが早かった。
やっぱり、彼女から剣術を習った方が良いのかな。でも、今の得物はこのククリ刀だし・・・・・・。
「あれ? また旦那の得物が変わってる」
「おう、ギュンターか。珍しいな」
素振りを始めたばかりの俺に声をかけてきたのは、ギルドのメンバーのギュンターだった。いつもならばエリス並みに起きる時間が遅い筈なんだが、今日は珍しくもう目を覚まし、液体金属ブレードの刀身を展開して肩に担ぎながら裏庭へとやってきている。
ギュンターが素振りするスペースを開けて少し裏庭の隅へと移動した俺は、再び2本のククリ刀で素振りを再開する。仕込み杖の剣よりも軽いからなかなか使い易いな。
「あれ? 旦那って前まで仕込み杖使ってなかったっけ?」
「ああ、使ってたぜ」
「また変えたのか。・・・・・・旦那って器用なんだなぁ。どんな得物でもすぐに使いこなしちまうからなぁ・・・・・・」
確かに、得物は何度も変えてきた。一番最初に生産した近距離攻撃用の得物はパイルバンカーだったし、ジョシュアとの決闘用に準備したのはグリップの中に散弾を仕込んだペレット・ブレードだった。
それからトマホークや刀に得物を次々に変え、今ではククリ刀の二刀流になっている。
何度も得物を変えたのは色々と試行錯誤していたつもりなんだが、今回得物を変えた理由はいつもとは違う。
「なあ、なんで武器変えちまったんだ? あの杖は?」
「・・・・・・ガルちゃんに借りパクされた」
「・・・・・・えっ? か、借りパク?」
「うん。王様から貰った杖なのに」
俺が国王から貰ったあの仕込み杖は、ガルちゃんに借りパクされてしまったのだ。雪山でガルちゃんに仕込み杖を貸したんだが、まだ杖は返してもらっていない。
別に端末があるから問題ないんだけどね。あの杖はガルちゃんにプレゼントしてあげよう。素材もサラマンダーの素材を使ってたし、もしかしたらサラマンダーが同胞(ガルちゃん)に力を貸してくれるかもしれない。
それに、ガルちゃんはあの杖を使いこなしていたらしいし。
「なるほどねぇ・・・・・・。幼女に得物を借りパクされたか。ガハハッ」
「おう、借りパクされちまった。ガハハッ」
笑いながら液体金属ブレードの刀身をロングソードくらいの長さに伸ばし、素振りを始めるギュンター。俺は一旦素振りを止めると、端末を取り出してOSV-96を装備した。狙撃補助観測レーダーを取り外しているおかげでほんの少しだけ軽量化されたんだが、銃身の下の迫撃砲のせいでまだかなり重い。
装備している武器の名前をタッチし、OSV-96のメニューを開いた俺は、カスタマイズでサムホールストックを普通のグリップと銃床に戻してから、ククリ刀を片方だけ鞘に戻し、もう片方のククリ刀の柄尻に装備されている金具をアンチマテリアルライフルの銃口に装着されているT字型のマズルブレーキの近くに取り付けた。
まるで死神の鎌だ。俺は取り付けたククリ刀のせいで鎌のような形状になったアンチマテリアルライフルのキャリングハンドルを掴むと、銃床を掴んで持ち上げ、その巨大な鎌で素振りを始める。
俺が使用しているこのアンチマテリアルライフルの重量は60kg以上だ。そんな重量の鎌を叩き付けられれば、転生者でも確実に致命傷になるだろう。しかも俺はステータスが高いおかげで全くこの得物を重いとは感じない。その気になれば片手で振り回す事も可能だ。
「うおっ!? か、鎌ぁ!?」
「ガッハッハッハッハッ!!」
「か、カッコいいぜ、旦那ッ!」
鎌を振り上げてから回転し、そのまま目の前の空間を斬りつける。振り払った鎌を引き戻して左上から右下へと振り下ろし、今度は時計回りに回転。目の前の空間を銃床で思い切り殴りつけてから鎌を振り上げ、そのまま真下に力任せに振り下ろす!
取り付けられたククリ刀の切っ先が地面にめり込み、T字型マズルブレーキが上面を向く。
地面に刺さったククリ刀を即席のモノポッドにした俺は、そのままトリガーを引いた。
猛烈な轟音が裏庭に響き渡り、反動で突き刺さっていたククリ刀が地面から引っこ抜ける。俺はそのまま片手で長い銃身をくるくると回してから肩に担ぐと、見惚れていたギュンターの方を振り向いてからにやりと笑った。
「おお・・・・・・!」
銃剣代わりに使えるかもしれないな。今度魔物退治の依頼が来たら試し斬りでもしてみるか。
「こらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! 朝っぱらから裏庭で銃をぶっ放すなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「ひぃッ!?」
「か、カレン!?」
ククリ刀を銃身の下から取り外そうとした瞬間、いきなり3階の窓が開き、身を乗り出したカレンが俺たちを見下ろしながら怒鳴ってきた。今の銃声でびっくりして起きてしまったらしく、綺麗な金髪はぼさぼさのままで、パジャマも一番上のボタンが外れそうになっている。
でも、カレンの怒鳴り声も銃声並みだと思うんだけど・・・・・・。そう言い返そうと思ったんだが、確かに朝っぱらから12.7mm弾をぶっ放した俺たちの方が悪い。それに、前にギュンターがカレンに反論した時にそのまま3時間くらい説教されてしまったらしい。
こんなに寒いのに、3時間も説教されたら転生者でも風邪をひいてしまう。反論して説教になるのはごめんだ。
「す、すいませんッ!」
「気を付けますッ!!」
「まったく・・・・・・!」
ぶるぶると震えながら腕を組み、急いで窓を閉めて部屋の中へと戻るカレン。さすがに寒かったらしい。
3階に向かって頭を下げていた俺とギュンターは、窓の閉じた音を聞いてから少しずつ顔を上げた。カレンに怒られた原因は俺だからギュンターは謝らなくていい筈なんだが、なんでこいつも謝ったんだ?
苦笑いしながら顔を上げたギュンターは、ちらりと窓を見上げてから「いや、いつも怒られるから癖ついちゃってさ」と小声で言った。
ああ、いつも風呂を覗きに行ってるからな。一応ギュンターにだけ反応するように調整したドローンを巡回させているんだが、こいつはドローンに見つからずに風呂場まで壁を上り、こっそり覗いているらしい。
でも、いつもカレンに見つかっているらしく、風呂場に護身用に彼女が持ち込んでいるマークスマンライフルのゴム弾を顔面に叩き込まれて地面まで落とされているらしい。なんで諦めないんだろうか?
「・・・・・・さて、そろそろ戻るか?」
「そうだな」
まだ少し早いけど、鎌の素振りをすることは出来た。俺は端末を取り出して得物を全て装備から解除すると、ギュンターと一緒に屋敷の中へと戻ることにした。
かつてテーブルクロスの上にティーセットが用意されていたおしゃれな部屋の真ん中にあるテーブルの上は、さまざまな種類の書類で埋め尽くされていた。文字や数字がびっしりと書かれた書類もあるし、地図を書き写したものもある。
僕とミラは何度もテーブルの上を整理しているんだけど、整理しても次に送られて来るレポートや報告書のせいで再び整理整頓をやり直す羽目になっている。しかも書類は当然ながら送られてくる度に増えているため、そのうち書類の群れはベッドの方まで侵略してくるかもしれない。できるならば、僕とミラが使っているベッドまで書類で埋め尽くされる前に決着をつけてほしいものだ。
この書類は、李風さんの傭兵ギルドの工作員たちから送られてくる勇者についての情報だった。この世界には写真や印刷機が存在しないため、人の顔は写真ではなく似顔絵だし、書類を書くにはパソコンを使うのではなく、自分で書かなければならない。書類をいつも書いてくれている工作員たちが過労死しないことを祈りつつ、僕とミラはその書類に書かれている情報をまとめていた。
まず、勇者は転生者であるということ。これは雪山で如月先輩が死ぬ直前に言い残している。レベルやどのような能力を持っているのかは不明だけど、おそらくレベルは1000を超えている筈だ。転生者はこの世界に何人もいるんだけど、間違いなくこの転生者は古参の転生者だろう。
まだ予測だけど、勇者とのレベルに差があり過ぎる。もし今の状態で戦いを挑めば、最初に兄さんたちが経験した転生者との戦いの二の舞になってしまうに違いない。しかも勇者の配下には、レベルの高い転生者ばかりが集まっているらしい。まだ情報収集と戦力増強に専念するべきだ。
そして、4年前にその勇者が仲間たちと共に魔王を倒しているということ。僕たちみたいにこの世界の人間に武器を貸して一緒に戦った可能性もあるけど、もしかしたらその仲間の中にも転生者がいるかもしれない。もし転生者がいた場合、実力やレベルはその勇者並みということになる。
それと、工作員が入手してきた情報だと、その勇者は轟音を発するクロスボウのような奇妙な武器を使っていたらしい。おそらく銃の事だろう。でも、工作員が送ってきた書類にはそれしか書かれていないため、どのような銃を使っていたのかは不明だ。
まだ情報が少ない。辛うじて仮説を立てているんだけど、その勇者の居場所もまだ分からない。
彼は魔王を倒した後、仲間たちと共に姿を消してしまったらしい。きっと、魔王を倒した直後に転生者たちで世界を支配するという馬鹿げた計画を始めたんだろう。世界を支配しようとしていた魔王は、同じく世界を支配しようとしていた勇者にとって邪魔者だった筈だ。
魔王を倒した勇者の事を世界中の人々は正義の味方だと思い込んでいるから、世界を支配しようとしている悪人だと気付くことはない。
「馬鹿げてる・・・・・・」
転生者たちで世界を支配できるわけがない。もし転生者たちがこの世界を支配すれば、間違いなくこの世界が滅茶苦茶になる。人々は圧倒的な力を持つ転生者たちに虐げられるに違いない。
(シン)
「ん?」
(はい、紅茶。少し休憩しようよ)
「ああ、ありがとう」
ミラからティーカップを受け取った僕は、ちらりと窓の外を見ながら片手に持っていた書類をテーブルの上に置いた。メガネをそっと外し、文字や数字の羅列から解放されたばかりの目をこすってからティーカップを傾ける。
いつもは紅茶に何もいれずにそのまま飲んでいるんだけど、今日は少し砂糖が欲しいな。ミラの傍らに置いてある角砂糖の容器に手を伸ばそうとしていると、僕よりも一足先にミラがその容器を拾い上げ、容器の中から角砂糖を1つ取り出して僕のティーカップにそっと入れてくれた。
(ふふっ)
「ありがと、ミラ」
(どういたしましてっ!)
スプーンで紅茶を優しくかき混ぜてから、少しだけ甘くなった紅茶を堪能する。
少しずつ紅茶を飲んでいると、紅茶の匂いの中にどこからか香ばしい別の匂いが流れ込んできた。バターのようないい匂いだ。でも、明らかに紅茶の匂いではない。角砂糖入りの紅茶を堪能していた僕は、隣で角砂糖を4つも入れた紅茶を飲んでいるミラをちらりと見た。
彼女と目が合った瞬間、部屋のドアが少しだけ開いた。立派な木製のドアの向こうから姿を現したのは、焼き立てのクッキーがいくつも乗った皿を持ったフィオナちゃんだった。宙に浮かぶ彼女の足元には、長い赤毛の幼い少女の姿をしたガルちゃんもいる。屋敷の中だから角を隠すためのベレー帽をかぶる必要はないんだけど、彼女はその真っ黒な大きめのベレー帽を気に入っているらしく、屋敷の中にいる時でもずっとかぶっている。兄さんに聞いたんだけど、ベレー帽を取るのは風呂に入る時か寝る時だけらしい。
『お疲れ様です、2人とも』
「差し入れなのじゃ!」
(ありがとう。・・・・・・2人で作ったの?)
「うむ。フィオナが作り方を教えてくれてのう。料理するのはなかなか楽しいものじゃ!」
「あはははっ。じゃあ、いただこうか」
フィオナちゃんはメンバーの中で一番料理が上手い。だから、基本的に食事を作るのはフィオナちゃんの仕事になっているんだけど、稀に他のメンバーも料理をすることがある。基本的にモリガンのメンバーはみんな料理が上手いから問題ないんだけど、エリスさんだけは料理がかなり下手だから、彼女には任せないようにしている。
下手したら戦死者が出るかもしれないからね。仲間の料理で戦死するのはごめんだよ。
僕は少しソファの端に寄って、ソファの真ん中にフィオナちゃんとガルちゃんを座らせた。それからテーブルの上の書類を一旦床の上に置き、その上にクッキーの皿とティーカップを置く。
そしてフィオナちゃんとガルちゃんの分の紅茶を用意してから、みんなでクッキーに手を伸ばした。
タオルで角の生えた頭を拭きながら、俺は部屋へと向かっていた。頭から生えているこの角の先端部は鋭いため、角が生える前のように頭を拭くとタオルが裂けてしまう。角が生えたばかりの頃はよく拭き方が分からず、何枚もズタズタにしてエミリアに怒られていたことを思い出した俺は、苦笑いをしながら自室のドアを開けた。
「あら、ダーリン」
「戻ってきたか」
「ああ。・・・・・・どうしたんだ?」
いつもならば2人ともマンガや小説を読んでいるか、もう先にベッドで眠っている筈だ。まだ起きているということは、また俺を押し倒すつもりなのか?
マジかよ・・・・・・。昨日搾り取られたばかりなのに・・・・・・。
そう思いながらタオルをソファの上に放り投げた俺は、ちらりと2人の顔を見てからベッドの方へと歩き出す。
「り、力也っ」
「ん?」
ベッドに腰を下ろそうとしていると、エミリアがいきなり俺の事を呼び止めた。立ち止って振り返ってみると、彼女は顔を赤くしながら、何故か片手をお腹に当てている。彼女の紫色の瞳を見つめていると、彼女は恥ずかしそうに下を向いてしまった。
あれ? 今夜は襲わないの? 既に少しだけ角が伸びてるんだけど。
ちらりとエリスの方を見てみると、散々風呂に入って来たり、俺やエミリアに抱き付いているエリスが珍しく恥ずかしそうにしていた。
何で2人とも恥ずかしそうにしているんだろうか。
「そ、その・・・・・・!」
「あのね、ダーリンにお知らせがあるの」
「え? お、お知らせ?」
何だ?
左手で角が縮み始めたのを確認しながら2人の顔を見ていると、俯いていたエミリアが顔を上げ、手を当てていた自分のお腹をそっとさすった。
「その・・・・・・こ、子供が・・・・・・!」
「――――え? 子供?」
「う、うん・・・・・・。子供が・・・できたんだ」
え? 子供?
まさか、俺とエミリアの子供・・・・・・? つまり、エミリアは・・・・・・妊娠したって事?
エリスの方を見てみると、彼女も顔を赤くしながら頷いていた。
「ま、まさか・・・・・・エリスも?」
「う、うん・・・・・・」
ふ、2人とも妊娠しただと・・・・・・!?
つまり、俺はパパになるってことか・・・・・・?
「ほ、本当に?」
「う、うん」
「ふふっ。私たちとダーリンの子供ね」
そうか・・・・・・子供ができたか・・・・・・!
2人はこの世界の人間だけど、俺は転生者だから、2人のお腹にいる子供は転生者とこの世界の人間のハーフということになるな。
どんな子供なんだろうか?
「や、やった・・・・・・!」
「はははっ、ついにママになったな・・・・・・」
「ふふっ。楽しみだわ」
俺は少し顔を赤くして微笑みながら、2人の妻を優しく抱きしめた。
こうして、異世界で俺に子供が2人もできた。