お姫様を救出するという国王からの依頼を終えてから4ヵ月が経った。オルトバルカ王国は北国だから、まだ外には冬に置き去りにされた雪が積もったままだ。日本ならばとっくに雪は溶けて桜の花が咲き始める時期だというのに、外に見えるのは灰色のレンガと雪ばかりだった。
さすがにもう雪は降らなくなったけど、まだ気温はかなり低い。雪が降る前は十分に薪を貯めておいたつもりなんだけど、そろそろ薪が底をつきそうだ。もしかしたら雪が積もっている森の中に、斧を担いで薪を取りに行く羽目になるかもしれない。
俺は暑がりだから問題ないんだけどな。しかも、この身体になってから余計に暑がりになった。体内にサラマンダーの血液が残っているせいかもしれない。
馬の蹄の音を聞きながら、俺は黒いコートの内ポケットから赤黒い懐中時計を取り出した。デートに行った時にエミリアがプレゼントしてくれた、大切な懐中時計だ。貴族が持っているような高級品ではないけど、俺にとっては最高の懐中時計だった。
今の時刻は午前10時。今頃ギルドの皆は訓練をしている頃だろうか?
そういえば、エミリアは毎朝必ず欠かさずに剣の素振りをやっていたんだけど、なんと雪が降っている間も休まずに毎日素振りをやっていた。あの時は毎朝心配してたんだけど、エミリアに「お前も無茶をしているだろう?」と笑いながら言われた時は、思わず笑ってしまった。
俺も無茶をする。彼女も無茶をするようになったのは俺の影響か? それとも昔からそうだったのか?
「着きましたよ、お客さん」
「ああ、どうも」
馬車の外から聞こえていた御者の声を聴いた俺は、慌てて懐中時計を内ポケットにしまい、傍らに立て掛けておいた杖を拾い上げてから帽子をかぶり直した。
席から立ち上がって馬車から下りる前に、ちらりと今の自分の服装を確認する。さすがにいつもの制服姿ではなく、防寒用の黒いコート姿だ。銃は装備していない。
まるで紳士のような格好だ。俺は貴族じゃなくて平民なのに。
杖を持って馬車から下りた俺は、ドアを開けてくれていた御者に銀貨を5枚渡し、礼を言ってから大通りに向かって歩き出した。
相変わらず、王都の街並みも白と灰色の2色だけだ。延々とこんな景色を見せられ続ければうんざりしてしまうんだが、今日は全く気にならない。
俺が王都にやってきたのは、あるものを購入するためだった。
ネイリンゲンで馬車に乗る前からずっとワクワクしたままだったから、白と灰色だけの殺風景な街並みも気にならない。角が帽子でちゃんと隠れているか確認した俺は、前にミラが歌っていた子守唄を口ずさみながら大通りを歩き出した。
確かこの大通りは、エミリアとデートにやってきた時に通ったことがある。あの時は露店が大通りの両脇にずらりと並んでいたんだけど、今は雪が残っているせいなのか露店は全然見当たらない。時折大通りを通過する馬車の蹄の音に口ずさむ子守唄を台無しにされてもお構いなしに、俺は雪の残る大通りを進んだ。
彼女と2人で訪れた劇場の前を通過して、喫茶店の前に差し掛かる。喫茶店の前では店員と思われる男性が、コートに身を包みながら雪かきをしていた。
喫茶店を通り過ぎると、宝石店の看板が見えた。ショーウィンドーの中には、1つだけで俺たちが持っている金をすべて使ってしまいそうなほど高い値段の宝石がいくつも並んでいる。
ここが、俺の目的地だった。
息を吐いてからもう一度帽子をかぶり直し、宝石店の入り口のドアを開けた。
店の中のショーケースには、ショーウィンドーにずらりと並んでいた宝石よりも大きなサファイアやダイヤモンドが並んでいた。その隣には、宝石を何種類も使ったネックレスも並んでいるけど、こんな高級なネックレスを買える貴族なんているんだろうか?
そんなことを考えながらカウンターへと向かう。近づいてきた俺を「いらっしゃいませ」と言いながら迎えてくれたのは、20代前半の女性の店員だった。耳が長くて少し上を向いているから、彼女はハイエルフなんだろう。
「何かお探しでしょうか?」
「ええ」
この世界に転生した時は17歳の少年の姿だったんだが、俺はもう18歳になった。それに、エミリアも同じく18歳になったし、エリスは19歳になっている。
エミリアは俺が転生したばかりの頃から一緒に過ごしていた仲間だし、エリスもジョシュアとの戦いが終わってから優しいお姉さんに戻ってくれた。相変わらず可愛い女の子や俺を襲おうとするのは止めないけどな。
それに、俺はあの2人を貰うと言った。だから、ちゃんと彼女たちを貰わないといけない。
息を吐いてから、俺は女性の店員に言った。
「――――指輪を見に来たんですが」
屋敷の塀を飛び越えた俺は、以前に夜中にこっそりと転生者を狩り続けていた時のことを思い出しながら、窓の淵に手をかけて屋敷の壁を上り始めていた。あの時はエミリアを心配させないように、彼女に転生者を狩りに行くとは言わずにこっそりと屋敷を抜け出し、予め鍵を開けておいた窓からさりげなく部屋の中に戻っていたんだけど、最近は転生者の情報がないし、エミリアを心配させるわけにもいかないから夜中に外出することはない。
それに、部屋に住むメンバーも増えた。あの時はフィオナとエミリアだけだったんだけど、今ではエリスとガルちゃんも加わっている。こっそりと抜け出すのは難しくなってしまった。
紳士の服装で壁を上りながら、隣の窓の淵に飛び移る。俺の防御力のステータスならば2階や3階から落ちたとしても無傷で済むだろうけど、仲間たちに見つかってしまうかもしれない。こんな格好で壁を上ろうとしていたのがバレたら大笑いされてしまう。
それに、できるならば王都で購入してきた代物は、エリスとエミリアの2人にこっそりと渡したいところだ。
窓の位置を確認した俺は、窓に向かって手を伸ばす前に懐中時計を取り出して今の時刻を確認する。今の時刻は午後9時。もうみんな夕食を終えて、入浴するか地下の射撃訓練場に行っている頃だろう。
窓の鍵がかかっていないように祈りながら、俺はそっと窓の淵に手を伸ばして身体を持ち上げた。そっと帽子を取って部屋の中を覗き込む。
テーブルの上のランタンには明かりがついていたけど、部屋の中には誰もいないようだ。フィオナがいるかもしれないと思ったけど、先ほど上って来る最中に研究室の明かりがついていたから、おそらく彼女はまだ研究室で研究を続けているんだろう。
安心した俺は、窓を開けて部屋の中に入り込み、帽子を壁に掛けてからコートを脱いだ。国王から貰った杖を壁に立て掛け、ポケットにしまっておいた箱を取り出す。
エミリアとエリスは何をやってるんだろうか? 訓練中かな?
とりあえず、あの2人にこれを渡さないと。
彼女たちはこれを受け取ってくれるだろうか? そう思った瞬間、滲み出した小さな緊張が一瞬で大きくなる。
もし受け取ってくれなかったらどうしよう? 俺の知り合いが彼女に告白した時にかなり緊張したって言ってたけど、あいつが味わった緊張もこんな感じだったんだろうか?
王都で購入してきた指輪の箱を不安になりながら見下ろしていると、廊下の方から足音が聞こえてきた。話し声も聞こえる。
どうやらエリスとエミリアのようだ。射撃訓練を終えて戻ってきたらしい。
俺は大慌てで箱をポケットの中に隠すと、深呼吸をしてからソファに腰を下ろした。
「あら、力也くん。もう戻ってたのね?」
「力也、聞いてくれ! さっき射撃訓練でレベル9をクリアできたのだ!」
「おお、すごいじゃないか!」
「ああ。今度、レベル10に挑戦するつもりだ!」
射撃訓練のレベル10はかなり難易度が高い。的が高速移動する上に、動きがかなり複雑なんだ。俺は彼女にアドバイスをしてあげようと思ったけど、指輪の事を思い出してしまう。
「ははっ。エミリアならできるよ」
「ふふっ」
レベル10の訓練をクリアできるようにすぐアドバイスをするべきだろうか? 確かにアドバイスした方が良いのかもしれないけど、アドバイスをしてしまったらそのまま指輪を渡せなくなってしまうかもしれない。
今日、この2人に渡すんだ。
エミリアを貰うと言って一緒にナバウレアから逃げ出しただろう? エリスの事も貰うとエミリアの前で言っただろう?
最後の最後で逃げ出してどうする!
「な、なあ、2人とも」
「ん?」
「あら、どうしたの?」
滅茶苦茶緊張する。もしかしたら指輪を受け取ってもらえないかもしれないという不安が生み出す緊張だ。この緊張を乗り越えなければ、この2人に指輪を渡すことは出来ない。
「だ、大事な話があるんだ」
落ち着くんだ。
何とかポケットから指輪の入った箱を2つ取り出した俺は、ちらりと2人の顔を見た。2人とも俺が取り出した箱を見下ろしている。まだ何の箱なのか分からないらしい。
俺は下を向いてから、そっと両手の小さな箱の蓋を開けた。
「え? 指輪・・・・・・?」
エミリアが呟いたのが聞こえた。彼女はそっと手を伸ばし、箱の中に入っていた小さなダイヤの付いている指輪を拾い上げる。
指輪を眺めるエミリアの隣に立っているエリスも、指輪を箱から拾い上げた。
「ね、ねえ、力也くん。あの・・・・・・これって・・・・・・!」
「あ、ああ。その・・・・・・」
顔を赤くしながら俯く俺を、エリスとエミリアが見つめてくる。
あと少しだ。でも、再び不安が緊張を生み出し、俺を喋れなくさせてしまう。
――――指輪を受け取ってくれなかったらどうする?
この緊張と不安を乗り越えろ。乗り越えなければならない!
この2人を貰うと言っただろうが!!
そっと顔を上げた俺は、顔を赤くしながら俺を見つめている2人の少女の顔を見つめながら言った。
「お、俺と・・・・・・結婚してくれないか・・・・・・?」
その瞬間、発熱していた緊張が一気に冷たくなった。先ほどと違う緊張を乗り越えるためにもがきながら、俺は2人が指輪を受け取ってくれるのを待つ。
受け取ってくれれば、この不安と緊張は消え去るだろう。受け取ってくれなければ、崩れる不安と緊張の下敷きになるだけだ。
「――――い、いいのか?」
その時、エミリアが呟いた。いつもの凛々しい声音ではない。彼女も緊張しているようだ。
「――――ねえ、力也くん。本当に・・・・・・貰ってくれるの・・・・・・?」
エリスも顔を赤くしながら呟いた。絶対零度の異名を持つ彼女も、エミリアと同じように緊張しているらしい。
エミリアはナバウレアから連れ去る時に貰うと言ったし、エリスもあの時にエミリアと一緒に貰うと言った。だから、俺は2人を貰う。
冷たくなった緊張と不安が、少しずつ消えていく。何とか微笑んだ俺は、2人の顔を見つめながら頷いた。
「――――2人とも、俺が貰うよ」
「力也・・・・・・!」
「力也くん・・・・・・!」
どうやら、指輪を受け取ってくれるらしい。
つまり、エミリアとエリスは――――俺の妻になってくれるという事だ。
「そ、その・・・・・・よっ、よろしく・・・頼む・・・・・・!」
「ふふっ。・・・・・・よろしくね、ダーリン」
2人の声を聴いた瞬間、不安と緊張が消滅した。
彼女たちは、指輪を受け取ってくれたんだ・・・・・・!
安心した俺は冷や汗を拭い去ると、指輪を受け取ってくれた2人に「ありがとう、2人とも・・・・・・!」と言いながら微笑んだ。
こうして、異世界に転生した俺に妻が2人もできた。