「モリガンの傭兵よ、面を上げよ」
広間に低い声が響き渡る。真っ赤なカーペットの上に猛烈な緊張感と共に跪く俺の左右には、防具を身に着けて槍を持った騎士たちがずらりと整列していた。だが、俺が緊張しているのはこの左右の騎士の列ではない。魔術師は見当たらないため、もし戦いになったらすぐに殲滅できるだろう。
俺が緊張している原因はその騎士たちではなく、この立派なカーペットの先にある玉座に腰を下ろす老人だった。豪華な装飾の付いた服とマントに身を包み、頭の上には黄金の王冠を乗せている。何度も戦争に勝利している大国の王の目つきは、もう60代だというのに鋭いままだ。最前線で騎士たちを指揮する姿を思わず想像してしまいながら、俺は国王の顔を見つめた。
あの玉座に腰を下ろす老人が、このオルトバルカ王国を治めるアレクセイ・ウラスブルク・ド・オルトバルカだ。俺たちに第一王女の救出を依頼してきたクライアントだった。
お姫様を騎士団に預けた後、あとは使者から報酬を受け取ってネイリンゲンに戻れると思っていた俺たちは、王都の門から外に出ようとしていたところで騎士団の精鋭部隊に呼び止められた。国王が俺に会いたがっていたらしい。
そして俺たちは報酬を受け取る前に国王に呼び出され、モリガンのリーダーである俺が国王の前でこうして跪いているというわけだ。さすがに国王の前でフードをかぶるわけにはいかないので、フードはかぶっていない。角が見えないように髪はわざと伸ばしているから、感情が昂って伸びない限り見えることはないだろう。
「ふむ。シャルロットから聞いたが、若いな。まだ少年ではないか」
感情が昂って角が伸びませんようにと祈っていたけど、おそらく感情が昂ることはないだろう。今のところ角が伸びたことがあるのは、戦闘中にキレた時やエリスとエミリアが風呂に入ってきたり、あの姉妹に襲われた時だけだ。
そんなことを考えながら国王の低い声を聞き流した俺は、黙って国王の鋭い目を見つめ続けていた。
「礼を言うぞ、傭兵。おかげで娘は無事だった。暴行も受けていなかったらしい」
「我々は陛下の依頼を受けただけでございます」
「いや、我が騎士団の精鋭部隊以上に働いてくれたのだ。それに他の貴族の子供たちも無傷だ。モリガンが最強の傭兵ギルドだということだな」
「はっ。ありがとうございます」
最強の傭兵ギルドか・・・・・・。
モリガンを結成したばかりの頃はネイリンゲン最強の傭兵ギルドと呼ばれてたんだが、ついに最強の傭兵ギルドと呼ばれちまったな。
有名になっただけじゃない。大国の王も認めてしまうほどの力があると言う事だ。もちろん、国王にまで最強の傭兵ギルドと呼ばれるようになったのはメンバーたちのおかげだ。
国王に礼を言い終えた瞬間、消えかけていた緊張が再び襲いかかってきた。転生する前は会社員だったんだから、国王と謁見した事なんてあるわけがない。城の客室で待たされている時にエミリアとエリスとカレンから教えてもらった礼儀作法を強引に思い出して緊張を再び掻き消そうとしていると、国王が傍らに立っていた初老の家臣に何かを合図したのが見えた。その家臣はお辞儀をしてから国王の傍らから離れていく。
何か指示を出したんだろう。何の指示だ?
「やはり、君たちを雇って正解だった。本当にありがとう。・・・・・・君たちに支払う報酬以外に、もう1つ報酬を用意させてもらった」
国王がそう言った直後、先ほど彼から指示を受けて離れていった家臣が、真っ白な手袋をつけたまま黒くて細長い何かを持って戻ってきた。剣のように見えたんだが、剣にしては細過ぎるような気がする。貴族が使っている装飾だらけの剣とは違って全く装飾はついていない。
あれは何だ? 杖・・・・・・?
家臣の男性は国王にお辞儀をしてから俺の方を振り向くと、その杖を大切そうに持ちながらゆっくりとやってきた。魔術師が持ち歩くような大きな杖ではなく、紳士が持ち歩くような杖だ。
「―――王都の優秀な鍛冶職人が作り上げた、サラマンダーの素材を使った杖だ」
しかも、あの杖の素材は俺の義足の素材と同じくサラマンダーの素材らしい。サラマンダーだらけだな。
それにしても、なんで杖を鍛冶職人が作ったんだ? 家臣の男性から杖を受け取りながら考えていると、その杖の上の部分が下の部分と切り離せるような仕組みになっていることに気付いた。
なるほど。だから鍛冶職人が作り上げたのか。
「・・・・・・引き抜いてみてもよろしいでしょうか?」
「ほう、気付いたか。いいぞ、許す」
「はっ」
国王は楽しそうに笑っていた。俺はそっと杖の上の部分を右手で握ると、そのまま少しずつ上の部分を引っ張り始める。
すると、まるで鞘から引き抜かれる剣のように、杖の中からレイピアよりも少し太い漆黒の刀身が姿を現した。サラマンダーの角を刀身に使っているらしく、先端部に行くにつれて刀身が真っ赤になっている。
フィオナも魔術用にサラマンダーの素材で作った杖を持っているんだけど、この杖よりも大きかった。中に剣が仕込んであることに気が付いたのは、彼女の杖にも同じように剣が仕込んであったからだ。
「ふむ、似合っているぞ」
「ありがとうございます、陛下」
杖の剣を鞘に戻して傍らに置いた俺は、再び跪く。
「では、いつかまた君たちに依頼させてもらおう。健闘を祈るぞ、傭兵よ」
「はっ。お待ちしております、陛下」
国王の座る玉座に向かって頭を下げながら、俺はそう言った。
騎士団の精鋭部隊から報酬を受け取り、スーパーハインドに乗ってネイリンゲンに辿り着いたのはもう夜の11時だった。夕食は王都のレストランで済ませてきたからあとは入浴して寝るだけなんだが、いつもならばもう就寝している時間だ。
スーパーハインドが裏庭へとゆっくり降りていく。俺は国王から貰った杖を眺めるのを止めると、俺の右隣で寝息を立てているガルちゃんの小さな体を揺すった。
「おい、ガルちゃん。起きろって。・・・・・・ほら、屋敷についたから」
「にゃ・・・・・・リキヤぁ・・・・・・?」
きっと疲れてたんだろう。ガルちゃんにとって今回が初めての実戦だったからな。
エリスに襲われるのを防ぐために隣に座らせておいたから、安心して眠れたんだろう。気持ち良さそうに眠っている彼女を起こすのは申し訳ない気がしたけど、俺は彼女の体を揺すり続けた。
「ねむ・・・・・・い・・・・・・」
「風呂はどうするんだよ?」
「あした・・・・・・あさに・・・入・・・・・・るぅ・・・・・・」
「はぁ・・・・・・。分かったよ。ちゃんと明日の朝に入れよ?」
「にゃあ・・・・・・」
俺は彼女の座席にシートベルトを外すと、兵員室のハッチを開けてから彼女を背負い、屋敷の裏口に向かって歩き始めた。
夜のネイリンゲンはまだ雪が降っていないというのにかなり寒い。寒いのが苦手なガルちゃんには辛いだろう。俺は小走りで裏口のドアを開けると、後ろについて来ていたエリスとエミリアとフィオナを屋敷の中に入れてからドアを閉め、一緒に階段を上り始めた。
「それにしても、本当に親子みたいだな」
ガルちゃんの頭から落ちそうになっていた大きなベレー帽を押さえながら、エミリアが呟いた。ベレー帽の上から眠っているガルちゃんの頭を優しく撫でた彼女は、ガルちゃんの長い赤毛を触ってから微笑む。
『あ、私はもう少し研究してから寝ますね』
「大丈夫か?」
2階へと差し掛かると、微笑みながら眠るガルちゃんを見守っていたフィオナが、3階への階段ではなく自分の研究室のある方向へと向かいながらそう言った。
もう11時だぞ? まだ研究するのか?
彼女がいつも研究室で行っている研究は、新たな魔術の研究や薬草についての研究だ。最近は新しいエリクサーを作ろうとしているらしいんだけど、調合が難しいらしくてなかなか成功しないらしい。しかも素材になる薬草が非常に高価な薬草だと言ってた。
今回の依頼の報酬はかなり高額だったから、あとで彼女の研究の予算を増やしておこう。新しいエリクサーが出来れば助かるからな。
「無茶するなよ?」
『ふふっ。力也さんだっていつも無茶してるじゃないですか』
「まあな」
『うふふっ。少し研究したらすぐ寝ます』
「おう」
確かに俺も無茶をしているからな。
笑いながら彼女に手を振り、エミリアとエリスを連れて階段を上がっていく。義足を付けたばかりの頃は手すりに掴まりながらなんとかこの階段を上り下りしていたんだけど、今ではもうすっかり義足が馴染んでいるから、左足を失う前よりも早く駆け上がる事ができるようになった。
身体は義足のせいで変異しちまったけど、角以外は便利だ。左腕と義足の外殻は7.62mm弾を弾き飛ばせるほど堅牢に発達したし、尻尾も自由に動かせる。
そういえば、もうこっちの世界にやってきて1年以上経っているんだよなぁ・・・・・・。転生する前は彼女がいなかったんだが、こっちの世界で彼女が2人も出来ちまった。
幸せ者だな、俺は。
自室のドアの前に辿り着いた俺は、考え事を中断してドアを開けた。ガルちゃんを背負ったままベッドへと向かい、寝息を立てている彼女をベッドに寝かせた俺は、制服の上着を壁に掛けてから杖を制服の近くに立て掛けた。あの杖は端末で生産したものではないから、装備を解除する事ができないんだ。
「エミリア、先に風呂に入って来ていいぞ」
「む、そうだな。では先に入らせてもらおう」
クローゼットから着替えを取り出すエミリア。俺はソファに腰を下ろしてから、テーブルの上に置いてあるティーセットへと手を伸ばす。
「あっ、力也」
「ん?」
俺の伸ばした右手がティーカップを掴む直前、クローゼットから取り出した自分の着換えを脇に抱えたエミリアが俺の名前を呼んだ。振り返ってみると、顔を少し赤くしたエミリアが、恥ずかしそうに俺の顔を見下ろしている。
「どうした?」
「そ、その・・・・・・せっかくだから、3人で一緒に入らないか・・・・・・?」
「え、いいの!?」
俺もいいのかと聞き返そうとしたんだが、俺よりも先に聞き返したのは鏡の前で髪を直していたエリスだった。ガルちゃんに手を出すのを我慢していたせいなのか、嬉しそうな声だった。
もしかして、ガルちゃんの代わりに俺たちを襲うつもりなんじゃないだろうな?
「じゃあ早く入りましょうよ! ねえ、力也くん!」
「いや、え、エリス・・・・・・?」
にこにこと笑いながら俺の隣に腰を下ろしたエリスは、戸惑う俺の右肩に頭を寄せると、ズボンから出していた俺の尻尾を掴んで弄り始めた。尻尾を覆う外殻と鱗を優しく撫で回しながら、彼女は俺の顔を見上げている。
顔を赤くしているエリスを見つめていた俺は、はっとして左手を自分の頭の左側へと伸ばした。いつもは髪の中に隠れている俺の角は、予想通りに赤毛の中から姿を現していた。しかも、まだ少しずつ伸び続けている。
変異した身体は便利なんだけど、この角だけは便利じゃない。感情が昂ると勝手に伸びるんだ。何回かへし折ってしまおうと思ったんだけど、この角は俺の頭蓋骨が変異して突き出たものらしいから、へし折るわけにはいかない。
フードをかぶれば誤魔化せるかもしれないと思って首の後ろに手を伸ばしたんだけど、フードの付いている制服の上着はさっき壁に掛けてしまった。
すると、ソファの後ろにいたエミリアが、頬を膨れさせてから俺の左隣に腰を下ろした。そのまま頭を俺の左肩に寄せ、右手を伸ばして俺の角を触り始める。
「なんだ、角が伸びてるじゃないか」
「い、いや・・・・・・」
「その、角が伸びているという事は・・・・・・ドキドキしてるということなんだよな・・・・・・?」
「あ・・・・・・う、うん」
滅茶苦茶ドキドキしてるよ。
左手で伸びてしまった自分の角に触れながら、俺は何とか返事をした。本当に不便な角だ。戦闘中もこんなに伸びているんだろうか? まるで、頭の左側からダガーが突き出ているようだ。
その時、エミリアの手が、角を触っていた俺の左手を掴む。彼女は立ち上がりながら左手を引っ張って俺を立たせると、立ち上がったばかりの俺の唇に、自分の唇を押し付けてきた。
もう伸び終えたと思っていた角が、彼女のキスのせいでもう少しだけ伸びる。
「――――ふふっ。ほら、行くぞ」
「お、おう・・・・・・」
顔を赤くしたエミリアに手を引かれた俺は、彼女と同じく顔を真っ赤にしながら部屋を後にした。
エリスは、相変わらず俺の尻尾をずっと撫で回していた。