部屋の中を全て照らすには少ない日光と、石鹸の香りの中で俺はそっと目を開けた。いつもならば自分の体に染みついた少量の火薬の臭いがする筈なんだけど、その火薬の臭いは俺の隣で眠っている少女の甘い香りに飲み込まれてしまっている。
両手で瞼をこすってからちらりと部屋の中の時計を見上げる。薄暗いせいでよく見えないが、まだ朝の6時30分くらいのようだ。
まだエミリアも眠ってるし、二度寝してもいいだろう。強烈な眠気に絡みつかれた俺は、あくびをしながら再びエミリアの隣に横になると、瞼を閉じようとする。
昨日の夜、俺はついにエミリアを抱いてしまった。
でも、彼女が痛がっているのを見た瞬間、俺はもうやめた方がいいだろうと思って途中で止めようとしたんだ。痛がっている彼女を見ているのは嫌だったんだよ。
ところが、止めようとした瞬間に逆に押し倒されちまった。そしてそのまま彼女に何回も襲われたんだ。
何時くらいまで続けてたんだろうか?
思い出そうとするんだけど、まるで強敵との戦いで死にかけた時のような疲労が、俺の瞼を強引に下げようとする。何とか左手を伸ばして隣で眠っているエミリアの頭を優しく撫でた俺は、左手を戻してから瞼を閉じた。
その時だった。毛布が動いたような感じがした直後、甘い香りが近くなったような気がしたんだ。頭を撫でた時にエミリアが目を覚ましてしまったんだろうか?
何とか疲労と眠気を追い払うように瞼を開けてみると、隣で眠っていた筈のエミリアが、眠そうな目でじっと俺の顔を見つめていたんだ。
「・・・・・・お、おはよう」
「あ、ああ・・・・・・おはよう」
彼女も昨日の夜の事を思い出したらしく、挨拶を終えた瞬間に顔を真っ赤にしてしまう。
昨日の夜は俺がエミリアを押し倒した筈なのに、途中で彼女に押し倒されてしまったからな。
そういえば、速河家の男は昔から何故か女に襲われ易いらしい。俺が20歳になった時に親父と一緒に居酒屋に行って酒を飲んだことがあったんだが、その時に親父から結婚したばかりの時の話を聞いたんだ。
どうやら親父は、母さんに押し倒されたらしい。それに祖父も若い頃に押し倒されたらしいんだ。そして、俺も途中からだけどエミリアに押し倒された。
速河家の男は、必ず女に押し倒されてしまうようだ。ということは、信也もミラに押し倒されてしまうんじゃないだろうか? あいつは気が弱いところがあるし、ミラは積極的だから、信也ならすぐに押し倒されてしまうだろう。
「りっ、力也・・・・・・」
「ん?」
「そ、そのっ・・・・・・! き、昨日の夜は・・・・・・すまなかった・・・・・・」
顔を真っ赤にしながらそう言うエミリア。俺はもう一度左手を伸ばして彼女の頭を撫でながら、優しい声で言う。
「全然気にしてないよ。大丈夫だから」
「う、うん・・・・・・」
それにしても、異世界で童貞ではなくなってしまったな・・・・・・。
「さてと。着替えを済ませて朝飯を食ったら、ネイリンゲンに戻ろうぜ」
「うんっ!」
ボタンを外したパジャマの上着を身に着けたまま俺に抱き付いてきたエミリアは、楽しそうに笑いながら頷いた。
サイドカーに荷物を乗せながら、王都に出かけた時と同じように草原を疾走する。相変わらず草原を駆け抜けて行く風は冷たくて、俺の頬や耳はすぐに冷たくなってしまった。
今のところ魔物は見当たらない。もし目の前に現れたとしても、戦わずに無視してネイリンゲンに向かうつもりだ。草原に出没する魔物はゴーレムやゴブリンやゾンビくらいで、動きが速い魔物はいない。このハーレーダビットソンWLAに追いつくことは出来ないだろう。
そろそろネイリンゲンの屋敷が見えてくる頃だ。俺たちの住んでいる屋敷は街から少し離れた草原に建っているため、街よりも先に俺たちの屋敷が見えて来る筈だ。
「エミリア、寒くないか?」
「ふふっ、大丈夫だ」
俺の後ろに乗っているエミリアは、楽しそうにそう言いながら俺の後ろからぎゅっと抱き付いてきた。屋敷に到着すれば2人きりではなくなってしまうから、俺に甘えたがる彼女は見れなくなってしまうだろう。
可愛かったなぁ・・・・・・。ぬいぐるみを射的で落とせなくて泣き付いてきた時の顔を見た時は顔が赤くなってしまったし、ボタンを外したパジャマの上着とパンツだけを身に着けた状態で抱いてくれとお願いされた瞬間は滅茶苦茶ドキドキした。
でも、また凛々しいエミリアが見れるんだし、大丈夫だな。またデートに誘えば2人きりになれるし。
「お、飛行場が完成してるぞ」
「なに?」
草原の向こうに、俺たちが住んでいる屋敷と飛行場の滑走路が見えてきた。デートに行く前は未完成だった飛行場の格納庫はもう完成しているらしく、少しだけ開いている格納庫の扉の向こうには、格納されている機体のプロペラが少しだけ見えている。
もうコルセアを生産したんだろうか?
滑走路の脇を通過して屋敷の裏庭の方へとスピードを落としながら進み、裏庭の門へと向かう。裏庭の門の前でバイクを停め、門を開けるためにバイクから下りようとしたんだけど、俺の後ろに座っているエミリアは俺から手を離してくれなかった。
「おい、エミリア?」
「・・・・・・」
「は、離してくれないか?」
「や、やだ・・・・・・」
「いや、門を開けないと」
「・・・・・・」
どうやら俺から離れたくないらしい。
仕方がないなぁ。
俺はそっと彼女の手を引き離すと、再び俺に抱き付こうとした彼女の柔らかい手を握りしめ、手を繋ぎながら静かにバイクから下りた。すると、エミリアも顔を赤くしながら、素直にバイクから下りてくれた。
彼女と手を繋いだまま門へと歩き、裏庭の門を開けてから端末を取り出す。俺の左手を握っていたエミリアは、端末を操作している俺の左手を両手でぎゅっと握ると、そのまま俺の左腕にしがみついてしまった。
そろそろいつもの凛々しい彼女に戻ると思っていたんだが、まだ甘えていたいらしい。
バイクから荷物を下ろしてから装備を解除し、屋敷の裏庭へと入ってから門を閉める。相変わらず左腕にしがみついたままのエミリアを連れて屋敷の中へと入った俺は、とりあえず部屋に戻ることにした。
露店で手に入れたぬいぐるみを置いてこないといけないし、彼女はどうやら俺に甘えたがっているようだ。
2階を通過して3階の自室へと向かう。エリスがいつものようにドアを開けた瞬間に押し倒して来ないか心配だが、今の俺は義足が馴染んでいるからおそらく彼女の突撃を回避することは可能だろう。
どうやら他のメンバーは依頼を受けたか射撃訓練をしている最中のようで、階段を上っている最中には仲間には全く出会わなかった。今の時刻は9時くらいだから、みんな起きて訓練や魔物の退治に行っている筈だ。
階段を上り終えた俺は、自室のドアの前へと向かった。義足が馴染んでいなかった頃は上り下りするのが大変だったが、今はもう義足が馴染んでいるから簡単に駆け上がる事が出来るようになった。信也たちやレベッカのおかげだな。
左腕にしがみついている彼女の顔をちらりと見下ろしてから、ドアノブに手をかける。一応、エリスが襲いかかってきても撃退できるようにスタングレネードを用意しておくか。
端末を素早く操作してスタングレネードを1つ生産すると、安全ピンを咥えながら、エミリアがしがみついている左手で静かにドアを開けた。
「・・・・・・あれ?」
部屋の中には、誰もいなかった。ベッドもちゃんと元通りになっていて、俺が寝る時に使っているソファの上の毛布はちゃんと畳んである。もしかして部屋の中に隠れてるんじゃないかと思ったけど、ベッドの下にエリスが隠れられるわけがないし、ベッドの毛布も全く膨らんでいない。ソファやベッドの影にも見当たらないし、クローゼットの中にもいないようだ。
訓練中だろうか?
安心した俺は、背負っていたぬいぐるみをベッドの上に置くと、しがみついているエミリアと一緒にソファの上に腰を下ろした。
「デートは楽しかった?」
「うんっ!」
「はははっ、良かった」
ソファに座ったまま彼女を抱き寄せ、右手で彼女の頭を優しく撫でる。頭を撫でると喜んでくれるのはフィオナだけだったんだけど、最近はエミリアも頭を撫でると喜んでくれるようだ。
彼女は幸せそうに笑いながら、頭を俺の肩に押し付けた。
「力也」
「ん?」
「ふふっ。・・・・・・大好き」
「俺も大好きだよ」
「ふふふっ・・・・・・!」
か、可愛いなぁ・・・・・・!
少しだけ顔を赤くしていると、俺に頭を撫でられていたエミリアが、静かに顔を俺の顔に近づけてきた。
キスをしたいんだろうか?
俺は彼女の頭を撫でるのを止めると、微笑みながら彼女の唇に自分の唇を近づけて行く。
「――――エミリアちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!!」
彼女の唇と俺の唇が触れる寸前、いきなり部屋のドアが開いた。絶叫と共に部屋の中に飛び込んできたのは、真っ黒なメイド服のような制服に身を包んだ、エミリアにそっくりな顔つきの少女だった。
ま、またエリスに台無しにされたぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!
これで3回目だぞ!?
「ああん、キスしようとしてるエミリアちゃんも可愛いッ!」
「ちょ、ちょっとエリ―――うおっ!?」
彼女に抗議しようとした瞬間、ぺろりと口の周りを舐めた彼女が、よだれを垂らしながらソファに腰を下ろしている俺たちに飛び掛かってきた!
俺とエミリアに抱き付いたエリスは、俺の顔に自分の大きな胸を押し付けながら、俺とキスをする寸前だったエミリアに頬ずりを始める。
こ、困った姉さんだ・・・・・・。
何とかエリスを引き剥がそうともがきながら、俺は苦笑いした。
(これが戦闘機なの?)
「うん、そうだよ。これはF4Uコルセアっていう戦闘機なんだ」
シンの説明を聞きながら、私は格納庫の中に鎮座している紺色の物体を見上げた。先端部には風車の羽根を小さくしたようなものが取り付けられていて、翼は折り畳まれている。機体の上部にあるガラスの部分がコクピットだというのは分かったけど、これが本当に空を飛ぶのかな?
紺色で塗装された翼の上によじ登って、コクピットの中を覗いてみる。中には操縦桿やレバーが用意されていて、座席は1人分しかない。やっぱりこれは1人乗りなんだね・・・・・・。
サイズはドラゴンよりも少し小さいくらいかな。
これと同じ形状の機体が、格納庫の中に3機も用意されていた。
(武装はあるの?)
「うん。翼の中にブローニングM2重機関銃を2門ずつ装備してるよ」
ブローニングM2重機関銃が使用する弾薬はアンチマテリアルライフルと同じ12.7mm弾だから、ドラゴンの外殻は簡単に貫通できる。しかもその弾丸を連射できる重機関銃を4門も搭載しているから、攻撃力はかなり高い。
折り畳まれている翼を見ていると、私の後ろでシンが「機銃だけじゃなくて、爆弾とかロケット弾も搭載できるんだよ」って説明してくれた。
他にも武装が搭載できるんだね。
(か、かっこいい・・・・・・!)
「はははっ。気に入った?」
(うん! 私、早くこの戦闘機を操縦したい!)
「でも、まだマニュアルを作ってないからさ・・・・・・。出来るだけ早く作るから、それまで待っててくれるかな?」
(うん、いいよっ! ああ、早く乗りたいなぁ・・・・・・!)
空を飛ぶ事が出来る兵器かぁ・・・・・・!
これならドラゴンが空中で襲い掛かってきてもすぐに撃墜できそうだね。ドラゴンの攻撃はブレスくらいだし、乗っている騎士の攻撃も弓矢くらいだから、接近し過ぎなければ無傷で相手を撃墜できると思う。
今のところギルドのメンバーは8人だから、8機もコルセアがここに格納されるっていう事だよね!?
「あ、ミラ」
(どうしたの?)
格納されているコルセアをじっと見つめていると、格納庫の奥へと歩いて行ったシンが私の名前を呼んだ。どうしたんだろう?
彼の後をついて行くと、格納庫の奥の方にもう1機の戦闘機が鎮座しているのが見えた。翼は折りたたまれていなくて、風車の羽根のようなものがついている機首の辺りはコルセアと比べると流線形になっている。
塗装はコルセアのような紺色ではなく、レオパルトのようなモスグリーンとブラウンの迷彩模様だった。キャノピーはコルセアよりも縦長になっていて、中には2人分の座席が用意されているみたいだった。この機体は2人乗りなのかな?
後ろの方の座席には、汎用機関銃のMG42が搭載されていた。
(この戦闘機は何?)
「これは戦闘機じゃなくて、急降下爆撃機っていう飛行機なんだよ」
(急降下爆撃機?)
「そう。敵に向かって急降下して爆弾を落としていくんだ」
シンはその急降下爆撃機を見上げると、大きな翼に向かって右手を伸ばした。
「この機体は、僕たちの世界のドイツっていう国が作ったユンカースJu87シュトゥーカっていう急降下爆撃機なんだよ」
(シュトゥーカ?)
「うん」
この機体はシュトゥーカっていう名前なんだね。
シンもこの機体に乗りたがっているみたい。
私は楽しそうにシュトゥーカを眺めているシンの顔をじっと見つめていた。
今日の夕飯はフィオナが作ってくれた。
前にエリスがかぼちゃのシチューを作ってくれたことがあったんだけど、鍋の中に詰まっていたのは溶けかけの野菜が入った真っ黒な液体で、強烈な臭いだった。エリスは料理が下手らしい。
ちなみに、エリス以外のメンバーはちゃんと料理を作る事が出来る。一番料理が上手いのはフィオナで、その次がエミリアとカレンだ。ギュンターも料理を作る事が出来るし、俺も1人暮らしをしていたから料理は出来る。信也もよく実家で料理を作っていたらしい。ミラも奴隷にされる前は、母親に料理を教わっていたから上手いみたいだ。
メンバーの中で料理が出来ないのはエリスだけらしい。
今夜のメニューはカレーライスだった。キッチンのテーブルの前には、水の入ったコップと一緒にカレーが盛られた皿が8人分置かれている。
「それじゃ、いただきまーす!」
『いただきますっ!』
スプーンを拾い上げ、ルウと肉を掬ってから口元へと運んでいく。転生する前に自分で作ったカレーよりも当然ながら美味い。王都のレストランでエミリアと一緒に食ったチーズハンバーグも美味かったけど、フィオナの料理も捨てがたいなぁ・・・・・・。
俺の隣に座っているエミリアも、美味しそうにスプーンを口へと運んでいる。俺ももう一口食おうとしていると、俺の方をちらりと見たエミリアが、口元へと運ぼうとしていたスプーンを俺の方へと近づけてきた。
ん? 何をするつもりだ?
「り、力也」
「ん?」
「く、口を開けろ」
「えっ?」
「あ、あーん・・・・・・」
ちょ、ちょっと待ってくれ。
エミリアが甘えてくるのは2人っきりの時だけじゃないのか? 今はメンバーが全員集まってるんだぞ? まさか、みんなの前で甘えるつもりか?
「あ、姉御ぉ!?」
(いっ、いいなぁ・・・・・・!)
『え、エミリアさんっ・・・・・・!!』
「えっ、エミリアちゃんが力也くんに食べさせようとしてる・・・・・・! も、萌えるわ・・・・・・!!」
俺は冷や汗を拭ってから、エミリアの紫色の瞳を見つめた。彼女は恥ずかしそうにしているけど、じっと俺の目を見たままスプーンを俺の近くに突き出している。
食べなかったら、エミリアは悲しんでしまうだろうか?
「――――あ、あーん・・・・・・」
恥ずかしいけど、彼女を泣かせるわけにはいかない。
顔を赤くしながら、俺は彼女のスプーンの上のカレーを貰う事にした。