草原が薄暗くなり始めた。冷たい風は屋敷を取り囲んでいる塀を越えて、裏庭まで入り込んでくる。俺はオーバーコートのフードを取ると、目の前でその冷たい風を巻き上げながら轟音を発している兵器に荷物を詰め込む弟へと歩み寄った。
今から信也とミラは、スーパーハインドでフランセン共和国の南東にある火山へと向かい、俺の代わりにサラマンダーを倒しに行くんだ。本当ならば俺が行くべきなんだろうけど、片足で火山に足を踏み入れるのは非常に危険だし、こんな状態で強力なドラゴンと戦うわけにはいかない。
「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だよ。作戦ももう考えてあるんだ」
兵員室の中に荷物を詰め込みながら信也は言った。今回は2人だけで向かうため、兵員室に乗る者は誰もいない。だから、兵員室の中には食料や水などの入った木箱と、サラマンダーの素材を持って帰るためのケースが詰め込まれていた。
既にミラは、コクピットの座席に腰を下ろして離陸準備をしている。俺は信也の肩を優しく叩いて「悪いが、頼んだぜ」と言うと、松葉杖をつきながら円形のキャノピーの方へと向かう。
(あ、力也さん)
「悪いな、ミラ。気を付けるんだぞ?」
(任せてください。シンは私が守ります!)
「ははははっ。ああ、信也を頼む」
キャノピーから離れようとしたその時、いきなり回転するメインローターの轟音を一瞬だけ叩き潰してしまうほどの怒声が、轟音の中に斬り込んできた。
どうやらギュンターが、ミラの見送りにやって来たらしい。裏口のドアを開けて離陸準備を始めているスーパーハインドへと突っ走って来るギュンターの後ろで、カレンが腕を組みながらため息をついている。
エリスもシスコンだということが判明したけど、ギュンターもシスコンなんだよなぁ。信也がミラと付き合うには、ギュンターを何とかしないといけないようだ。強敵だな。
「信也ぁッ!」
「は、はいっ!?」
「俺の妹を頼んだぜ!」
「わ、分かりましたぁッ!」
「ミラ、大丈夫か? 俺もついて行こうか?」
(あはははっ。大丈夫だよお兄ちゃん。シンがいるから)
「そ、そうか・・・・・・。き、気を付けるんだぞ・・・・・・!?」
(うん、ありがと)
「じゃあ、行ってくるよ」
信也は俺にそう言うと、コクピットに乗り込んでから半球状のキャノピーを閉じ、手元にあるモニターを操作して機首に搭載されているターレットの点検を始めた。
ターレットによる攻撃と敵の索敵は信也の担当で、ミラの担当は操縦とミサイルなどの兵装にいる攻撃だ。今回の相手のサラマンダーはこのヘリで挑むわけではなく、火山地帯まで近づいたら徒歩でサラマンダーを探しに行く予定らしい。
「信也! もしミラに怪我させたら、顔面に対戦車ミサイルを100発ぶち込んでやるからなぁッ!!」
「お前、人の弟を肉片にするつもりか」
スーパーハインドが少しずつ舞い上がっていく。冷たい風を巻き上げながら離陸した戦闘ヘリは、そのまま上昇しながら向きを変えると、薄暗い空へと飛び去って行った。蒼とグレーと白の3色で塗装された機体がランプを点滅させながらフランセン共和国へと向かっていく。
きっとあの2人ならば大丈夫だろう。信也は作戦を立てるのが得意だし、ミラもまだ未熟な部分はあるけど実力者の1人だ。
「・・・・・・やっぱり心配だなぁ」
薄暗い空の向こうに辛うじて見えるヘリのランプを見つめながらギュンターが呟いていると、後ろから黙って見送っていたカレンがやってきた。
「何言ってるのよ。2人とも腕を上げているし、信也君は一昨日射撃訓練のレベル9をクリアしたのよ?」
「え!? 俺追い越されてたの!?」
「ちょっと待て。ギュンター、お前今どこまでクリアしてるんだ?」
「れ、レベル8・・・・・・」
追い越されてるじゃねえか・・・・・・。
地下にある射撃訓練場の訓練には、レベルが1から10まで用意されている。1から5までが訓練レベルで、それ以上のレベルが実戦レベルと呼ばれているんだ。レベル5までは的が単調な動きをするだけなんだが、レベル6からは非常に素早く動く上に、フェイントのような動きもするため弾丸を命中させるのが難しくなる。
信也はなんと、俺が片足を失っている間にレベル9をクリアしていたらしい。
ちなみに、今のところ最高レベルであるレベル10をクリアしているのは、俺とカレンだけだ。他のみんなはレベル9までクリアしているため、今のところ仲間になったばかりのエリスを除いて一番射撃訓練が遅れているのはギュンターということになる。
ギュンターは狙いをつけて撃つんじゃなくて、フルオート射撃で弾幕を張るような戦い方をするから、照準器をしっかり覗き込んで撃たないんだよな。
「置いて行かれるわけにはいかねえな! カレン、また射撃を教えてくれ!」
「しょうがないわね。いいわ」
「じゃあ、旦那。訓練行ってくるぜ!」
「おう、頑張れよ」
俺は2人と一緒に裏口のドアから屋敷の中に入ると、手すりを掴みながら階段を上り始めた。とりあえず自室に戻って予算の書類に目を通してから休むことにするつもりだ。
バランスを崩さないようにしながら階段を上り続け、何とか2階へと辿り着く。さっき外から見た時は研究室の窓からランタンの明かりが見えたから、まだフィオナは研究室で研究を続けているんだろう。
信也たちには彼女が作ってくれるエリクサーを多めに持たせたから、きっと大丈夫だろう。フィオナのエリクサーは普通のエリクサーと違って、一口飲むだけで傷口を塞いでくれる。火傷を負ったとしても、その焼け爛れた皮膚は一瞬で元に戻ってしまうんだ。
でも、四肢を失った場合はその断面を塞いで出血を止めるだけで、腕を生やすことは出来ないらしい。これはエリクサーだけではなく、最新の魔術でも不可能ということにされている。
だから、手足を失ったら義手や義足を付けるしかない。
何とか3階まで上がった俺は、そのまま左足と松葉杖を使って自室のドアへと向かった。今日鍛冶屋から戻ってきた時はドアを開けた瞬間にいきなりエリスに押し倒されたけど、また待ち受けてるわけじゃないよな?
俺は警戒しようと思ったけど、出来るならば早く休みたかったので、すぐにドアノブに手を伸ばしてドアを開けた。
「あ、お帰り」
「おう、エミリア」
部屋の中では、エミリアがベッドに腰を下ろして本を読んでいた。おそらく街の本屋で買ってきた小説かマンガだろう。俺はほっとしながら部屋の中に足を踏み入れたけど、部屋の中にエリスの姿は見当たらない。
どこに行ったんだろうか?
「あれ? エリスは?」
「姉さんなら地下の射撃訓練場だぞ」
「ああ、訓練中か」
ギュンターとカレンも地下に行ったから、一緒に訓練することになるな。
前までギュンターはエリスの事を警戒していたんだが、事情を話して仲間にするのを認めてくれてからは、彼女の事を姐(あね)さんと呼んでいる。
「俺は少し休んでるから、風呂はエミリアから入ってきていいぞ」
「そ、そうか」
彼女は枕元に読んでいた最中の本を置くと、着替えを準備し始める。俺は松葉杖をソファの近くに立て掛けてから腰を下ろすと、ポケットから端末を取り出して武器や能力の生産をタッチすると、兵器のメニューをタッチした。
俺たちのギルドは今のところメンバーが8人しかいない小規模なギルドだ。規模が小さ過ぎるため、個人で銃を使うことは出来ても、さすがに軍艦や戦闘機を使うことは出来ない。この端末が生み出してくれるのはあくまで兵器や武器だから、それを使うために必要な設備は自分たちで用意しなければならないんだ。
ネイリンゲンの近くに海はないため、軍艦を使うことは出来ないだろう。でも、屋敷の周囲には広大な草原が広がっている。
――――もしかしたら、飛行場を作れるかもしれない。
ジェット機は使えないかもしれないけど、レシプロ機ならば使えるかもしれないぞ。
もしレシプロ機を使う事が出来るようになったら、俺はアメリカ製のF4Uコルセアに乗ってみたいところだ。零戦も捨てがたいんだけど、華奢な機体よりもパワーのある機体の方が性に合う。それに、コルセアのあの逆ガル翼が大好きなんだ。
戦闘機が使えるようになれば、上空から更に強烈な攻撃をする事が出来るようになるし、空中から襲い掛かって来る飛竜も叩き落とせるようになるだろう。
それに、兵器が好きなミラは大喜びするに違いない。
「なあ、力也?」
「ん?」
端末でコルセアを見ていると、着替えを抱えたエミリアに声をかけられた。
「そ、その・・・・・・もしよければ、一緒に・・・・・・入らないか?」
「――――えっ?」
どういうこと? 一緒に風呂に入ろうって事なのか?
驚いて彼女の顔を見つめていると、エミリアは顔を赤くしながら恥ずかしそうに言った。
「か、片足だと大変だろう・・・・・・? だ、だから・・・・・・」
ちょっと待ってください。確かに片足でお風呂に入るのは苦労しますけど、いいんですか?
「い、いいの・・・・・・?」
「お前なら・・・・・・い、いいぞ・・・・・・?」
顔を赤くしたまま頷くエミリア。いつも凛々しい雰囲気を放っているしっかり者の彼女が恥ずかしがっているのは、何だか可愛らしかった。
「ありがとね、カレンちゃん!」
「いえいえ。それにしても、エリスさんって射撃が上手なんですね」
「うふふっ。カレンちゃんが教えてくれたおかげよ」
訓練に使っていたAK-47を肩に担ぎながら、私は微笑んだ。この屋敷の地下にある射撃訓練場にはレベル10まで訓練が用意されてるみたいなんだけど、私はもうレベル7をクリアしているわ。明日はレベル8に挑戦してみようかしら?
「あ、姐さんに追い越されるわけにはいかねえな!」
「ふふっ。すぐに追い越してあげるわ」
近くの壁に掛けて置いたタオルで汗を拭いた私は、AK-47を背負ってからまたカレンちゃんにお礼を言ってから地下の射撃訓練場を後にする。
射撃なら力也くんから教わっていたけど、カレンちゃんに教えてもらってからは更に弾が当たるようになったわ。力也くんから聞いたんだけど、あの射撃訓練のレベル10をクリアしているのは力也くんとカレンちゃんだけらしいわね。
それにしても、この銃っていう武器はやっぱり強力ね。魔力を全く使わないで遠くからこんな攻撃を敵に叩き込めるなんて信じられないわ。弓矢よりも射程距離があるし、防具も簡単に貫通してしまう。しかもいろんな種類があるわ。
私が使ったAK-47はアサルトライフルっていう種類らしいの。他にも遠距離を狙撃できるスナイパーライフルや、連射が出来る小型武器のSMG(サブマシンガン)やPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)っていう種類があるらしいわ。
この銃は、力也くんがいた世界の武器だって聞いたわ。力也くんはこの世界の人間ではなく、魔術や魔物が存在しない異世界からやって来た人間なのよね。今までこんな武器をどこで手に入れたのか分からなかったけど、異世界の技術で作られた武器ならばこの世界に存在するわけがないわ。
それにしても、カレンちゃんも結構可愛いわね。いつか一緒にお風呂に入ろうかしら?
とりあえず、早く部屋に戻って可愛い妹を愛でないと! それに、力也くんも思い切り抱き締めてあげないとね!
そんなことを考えながら階段を駆け上がり、スキップしながら部屋のドアの前まで向かったわ。もう空き部屋がなくなっちゃったらしくて、私はエミリアたちと同じ部屋で寝てるの。私とエミリアがベッドで寝て、力也くんがソファをベッド代わりにして寝てるのよね。フィオナちゃんは幽霊だから実体化を解除して部屋の中で眠っているらしいわ。
もったいないなぁ・・・・・・。フィオナちゃんも実体化したまま眠ってくれないかしら? そうしたら一緒にベッドで寝れるのになぁ・・・・・・。
「やっほー! ただいまー!! ・・・・・・あら?」
部屋の中には誰もいなかったわ。どこに行ったのかしら?
まさか、お風呂に入ってるのかな?
ふ、2人で一緒に・・・・・・?
「・・・・・・ふふっ」
私はちらりと廊下の向こうに見える風呂場のドアを見たわ。確かに誰かお風呂に入っているみたいね。
フィオナちゃんはまだ研究室にこもって研究を続けているし、信也くんとミラちゃんは力也くんから依頼を受けてサラマンダーをやっつけに行っているわ。それに、カレンちゃんとギュンターくんはまだ訓練を続けているから、今お風呂に入っているのは力也くんかエミリアちゃんということになるわ。でもトイレや他の部屋に誰かいる様子はないから、2人一緒に入っているということになるわね。
よし、私も一緒にお風呂に入ろう! そしてエミリアちゃんと力也くんを可愛がるわ!
いつも力也くんと一緒にお風呂に入ろうとすると、あの子はスモークグレネードを使って逃げちゃうのよね・・・・・・。だからまだ一緒にお風呂に入ったことがないのよ。
「ふふふっ・・・・・・。逃がさないんだから・・・・・・!」
私は風呂場のドアを見つめながら、ぺろりと口の周りを下で舐めた。
きっと、今の俺の顔は滅茶苦茶真っ赤になっているだろう。今までは1人で風呂に入っていたし、転生する前も長い間1人暮らしだったからもちろん風呂に入る時は1人だったからな。
落ち着こう。いつも狙撃する時みたいに落ち着いて、スコープの向こうを睨みつけるんだ。
「ど、どうだ?」
「さ、最高です・・・・・・」
俺の背中を泡立てたタオルで擦りながらエミリアが訪ねてくる。今の彼女は当然ながら制服姿やパジャマ姿ではなく、バスタオルを体に巻いているだけだ。
今まで1人で入っている時は片足だったから、自分で体を洗うのは問題なかったんだけど、体を拭く時や着替えをする時が大変だった。しかもまだ左足があった頃の癖で、ズボンを穿くときにたまにもう無くなってしまった左足で立とうとして転んでしまうんだよな。
左足の事を考えて落ち着こうとしたんだけど、無理だった。すぐに巨乳の美少女と一緒に風呂に入っているということを思い出してしまって、全く落ち着く事が出来ない。
「力也」
「ん?」
「その・・・・・・私のために、姉さんと一緒に心臓を移植してくれたんだろう?」
「ああ・・・・・・」
俺の背中を洗い終えたエミリアが、背後からそっと俺の胸の左側に泡だらけの手を伸ばしてくる。
心臓を移植する時に切り開いた傷は、どういうわけかフィオナのヒールやエリクサーでも消すことは出来なかった。だからまだ俺の胸には、心臓を移植するために切り開いた傷跡が残っている。
「ありがとう。・・・・・・私に命をくれて」
「・・・・・・当たり前だろ。お前は俺の仲間だし・・・・・・大好きだからさ」
「・・・・・・うん」
彼女の心臓の一部は、俺とエリスの心臓だ。魔剣を引き抜かれて死んでしまった彼女を蘇生するために、俺とエリスはエミリアに心臓の一部を移植したんだ。
エミリアはエリスの
でも、結局俺の心臓を移植してから拒否反応は全く起きていないらしい。フィオナが検査してくれたんだが、どうやらエミリアの心臓は、俺の心臓の一部を全く拒絶せずに受け入れ、既に取り込んでしまったらしい。
かなり好かれてるみたいだな。
すると、エミリアが後ろからそっと俺に抱き付いてきた。石鹸と彼女の甘い匂いが混じった良い匂いが漂ってくる。
彼女は俺の肩の上に自分の頭を乗せると、耳元で言った。
「私も・・・・・・お前の事が大好きだ」
「ははっ。ありがとな」
彼女の頬を撫でようと、俺は少しだけ泡の付いた右手を彼女の頭へと伸ばそうとする。
だが、俺の左手がエミリアの頬に触れそうになったその時、いきなり後ろの扉が開き、エミリアにそっくりの少女が風呂場に突入してきたんだ。
「やっほー!」
「ね、姉さん!?」
え、エリスに台無しにされたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
彼女は訓練を終えて戻って来たらしい。どうやらちゃんとバスタオルを巻いて入って来たようだ。
「あらあら、2人でお風呂に入ってたのね? ねえ、お姉さんも一緒に入っていいかしら?」
いつもならエリスが入って来るのをすぐに察知して、用意しておいたスモークグレネードを使って脱出している。今回もエリスが突入して来るかもしれないからと、ボディソープの容器の隣にさりげなくスモークグレネードを用意しておいたんだが、もうそれを使って脱出することは出来ないだろう。
エリスはニヤニヤと笑いながら俺の目の前に回り込んで来ると、ボディソープの容器の脇に置いてあるスモークグレネードを持ち上げ、風呂場の外に置いてしまう。
「ねえ、いいわよね?」
「す、好きにしろ」
楽しそうににこにこと笑うエリスを見つめながら、俺とエミリアは同時にため息をついた。