いつもならば静かな筈の私の屋敷に、怒号と轟音が響き渡っていた。廊下を疾走する騎士たちの防具の音や、剣が何かに当たる金属音を、何かが爆発するような轟音の群れが粉砕していく。
騎士たちの怒号と断末魔を聞きながら、私は屋敷の自室で震えていた。
侵入者が現れたと警備をしていた騎士から報告を受け、最寄りの駐屯地に救援を要請しろと指示を出した。だが、救援が来る様子はなく、伝令に向かわせた騎士もいつまで経っても帰って来ない。
やがて、廊下の方から騎士たちの足音が聞こえてきた。必死に私の部屋を死守しようとしているようだが、どうやら侵入者にここまで押し込まれてしまったらしい。
侵入者は何が目的なのだ? まさか、私の命か?
この屋敷には100人もの騎士たちが警備のために駐留していた筈だ。彼らに勝てる筈がないとは思うのだが、ここまで警備の騎士たちが押し込まれたということは、騎士たちが不利だということなのだろう。
侵入者の正体について考察しようとしていると、ドアの前までやってきていたと思われる騎士の絶叫が、部屋の中にまで入り込んできた。その絶叫を、爆発するような轟音の群れが食い破り、絶叫の残響すら飲み込んでしまう。
―――侵入者が、もう部屋の前までやって来たのだ。
「くっ・・・・・・!」
私は慌てて壁の方へと走った。だが、ここは屋敷の5階だ。窓から飛び降りて逃げられるわけがないし、部屋の中には武器など置いていない。若い頃は私も騎士だったが、引退してからは政治の面での戦いばかりであったから、侵入者への対処などは私が騎士団から引き抜いて来た選りすぐりの騎士たちに任せっきりだったのだ。
警備の騎士たちは壊滅している。部屋には武器がない。しかも、部屋の位置が高すぎるから窓から逃げるわけにもいかない。
何ということだ。この私が袋の鼠とは・・・・・・!
追い詰められて歯を食いしばっていると、部屋のドアがそっと開き始めた。
「・・・・・・!」
騎士たちが侵入者を撃退し、報告するためにドアを開けたわけではあるまい。もしかしたら騎士たちが何とか勝利したのかとあまりにも小さ過ぎる希望を持ったまま、私は後ろを振り返った。
そして、その小さな希望はすぐに押し潰されてしまった。
ドアの向こうからやって来たのは、黒い制服に身を包んだ3人の侵入者だったのだ。3人のうち2人はおそらく少女だろう。片方は騎士のような漆黒の防具に身を包み、背中に大剣のクレイモアを背負っている。両手には剣ではない奇妙な武器を持っていた。もう片方の少女は軍服のような黒い制服を身に纏っていて、背中には伸縮式のハルバードを背負っている。やはり彼女も、両手に見たことのない奇妙な武器を持っていた。
「お、お前たちは・・・・・・!?」
よく見ると、その2人の少女の顔つきはよく似ていた。
騎士のような少女の顔つきは凛々しく、もう片方の少女は凛々しさと清楚さを兼ね備えている。貴族や騎士にふさわしい雰囲気を放っているが、私の事を見つめる2人の瞳は冷た過ぎた。
しかも、2人の顔には見覚えがあった。
「久しぶりですね、お父様」
「え、エリス・・・・・・? ジョシュアの所から帰って来たのか? だが、何だその格好は・・・・・・!?」
エリスの冷たい声を聴きながら、私はちらりと彼女の隣に立つ少女を見た。
エリスに年が近く顔つきがそっくりな少女は、エミリアしかいない。だが、彼女は心臓に埋め込まれた魔剣の破片を取り出すために犠牲になった筈だ。伝令の騎士から魔剣が無事に復活し、オルトバルカ王国を攻め落とす事が出来ると報告を受けていたから、エミリアが生存しているなどありえない。
何者だ? 彼女はまさか、エミリアの亡霊か!?
「な、何をしに来た・・・・・・!?」
「―――あなたの命を貰いに来たのです、父上」
騎士のような恰好をした少女の声を聴いた瞬間、私はぞっとした。王国の切り札として王都の精鋭部隊に引き抜かれていったエリスの代わりに、魔剣を復活させる計画のためにとナバウレアに残しておいた
声の高さはエリスよりもやや低く、凛々しさと勇ましさを兼ね備えた声だった。
「え、エミリアなのか・・・・・・!? ば、馬鹿な。なぜ生きている・・・・・・!?」
魔剣は心臓に埋め込まれていた。だから心臓から魔剣を取り出せば、彼女は必ず死ぬ。なのに、なぜ彼女は生きているのだろうか。
すると、ドアの外で騎士たちの死体を見下ろしていた3人目の侵入者が、松葉杖を使いながら部屋の中へとやって来た。松葉杖を使っているのは左腕だけで、右腕にはエミリアたちが両手に持っている奇妙な武器を持っている。どうやら片足が無いらしく、左足のズボンが膨らんでいるのは太腿の半分くらいまでだった。
黒いフードの付いたオーバーコートを身に纏った少年だった。フードの上にはハーピーの真紅の羽根が飾られている。フードをかぶっているせいで顔つきはよく見えなかったが、非常に鋭い目つきをしているのは見えた。
年齢は私の娘たちと同じくらいだろう。私よりもかなり年下である筈なのに、彼の目を見た瞬間、私はぞっとしてしまった。
「初めまして、ペンドルトン卿」
「な、何者だ・・・・・・!?」
すると少年は、手に持っていた武器を腰にしまい、壁に背中を押し付けながら松葉杖を伸ばすと、近くに置いてあった接客用の椅子を引っ張り、私の目の前でその椅子に腰を下ろした。
「私は速河力也。モリガンという傭兵ギルドに所属する傭兵です」
「も、モリガンだと・・・・・・!?」
聞き覚えのあるギルドの名だった。奇妙な轟音のする武器を使う傭兵ギルドで、規模はギルドの中では非常に小さいが、その戦力はメンバー1人で騎士団の一個大隊に匹敵すると言われている。
たった数人で一国を壊滅させる事が出来るほどの力を秘めた、最強の傭兵ギルド。そのモリガンという名前は、今まで何度も聞いていた。
しかもリーダーの速河力也は、半年前にエミリアをナバウレアから連れ去り、魔剣を復活させるという計画を遅れさせた憎たらしい少年だ。彼がエミリアを連れ去ったせいで、王都からわざわざエリスを引き抜いて差し向けなければならなくなってしまったのだが、そのエリスが彼らと共に立ち、私に武器を向けるとはどういうことなのだ!?
「な、何をしに来た・・・・・・!?」
「――――彼女たちの戦いを、見届けに来ました」
「何だと・・・・・・!?」
「失礼ですが、私は手を下しません。見てのとおり片足なのでね。・・・・・・だから、ここで見物させていただきますよ」
少年は松葉杖を椅子の近くに立て掛けてから肩をすくめると、勝手に近くのテーブルの上のティーセットに手を伸ばし始めた。
「き、貴様ら、この私の屋敷を襲撃してただで済むと思っているのか!?」
「ええ。既に準備は終えていますから」
彼は3人分のティーカップに紅茶を注ぎながら答えた。どうやら私の命を奪った後に、祝杯代わりに3人で紅茶を飲んでから退散するつもりらしい。
だが、準備を終えているとはどういうことだ?
「ど、どういうことだ・・・・・・!?」
「駐屯地に救援を要請するために向かわせた伝令はどこに行ったんでしょうねぇ?」
自分の分の紅茶を飲みながら言う力也。彼はティーカップをテーブルの上に置き、武器を向けられて震えている私を嘲笑っている。
まさか、伝令が帰って来ないのは・・・・・・!
「ご安心ください、ペンドルトン卿。この一件はペンドルトン邸で火事が起き、屋敷が当主もろとも焼け落ちたということにしておきます」
駐屯地に到着する前に伝令を消したということなのか!?
何ということだ。護衛の騎士たちは既に壊滅しているから、外部に救援を要請する事が出来ない。つまり、私を消した後ならば火事が起きたという情報操作をすることで、この襲撃そのものをもみ消す事が出来るということだ。
この作戦を立案したモリガンの参謀は、優秀な策士らしい。
「・・・・・・うーん、オルトバルカ産の紅茶の方が美味いな・・・・・・」
「き、貴様ら・・・・・・!」
「後は任せるぞ、2人とも。紅茶が冷めちまう」
「ああ」
「ええ」
手に持った武器を構え、娘たちが私を睨みつけてくる。
この部屋には武器など置いていない。警備の騎士たちがここに駆けつけて来ない限り、私に彼らを攻撃するための手段などないのだ。
すると、椅子に座って紅茶を啜っていた片足の少年が、冷たい目で私を見つめながら言った。
「―――権力ってのは、従う人間がいなけりゃ意味はないんだ。・・・・・・だから、貴族っていうのは脆い」
先ほどまでよりも粗暴な口調だった。
私は窓から飛び降りて逃げようとした。ここは屋敷の5階だが、下は芝生だ。運が良ければもしかしたら逃げ切る事が出来るかもしれない。
そう思って窓に手をかけようとした瞬間、背後から娘たちの冷たい声が聞こえてきた。
「さようなら、父上」
「あの世でジョシュアとレオンが待ってますよ」
「ま、待て―――」
本当に父親を殺すつもりなのか!?
わ、私はお前たちの父親なんだぞ・・・・・・!?
背後を振り返ろうとした瞬間、先ほどから散々騎士たちの断末魔と共に聞こえてきたあの轟音が聞こえてきた。2人が構えている奇妙な武器が煌めき、無数の何かが私の身体を貫いていく。あっという間に私の身体から噴き出た血が部屋の中を汚し、壁やベッドが真っ赤に染まっていった。
「CP(コマンドポスト)、こちらアルファ1。こっちは終わったぜ」
『こちらCP(コマンドポスト)。はい、ブラボー隊も制圧は完了した模様です』
「いいね。さすが信也だ。―――では、あとは火事に見せかけて退散するように言ってくれ」
『了解しました』
耳元の無線機から手を離し、俺はティーカップに残っている不味い紅茶を飲み干した。
俺たちがエミリアたちの父親の屋敷を襲撃している間に、信也が率いるチームがジョシュアの父親であるレオンの屋敷を制圧したらしい。
これで、エミリアとエリスを利用して魔剣を復活させようと企てていた奴らは消えた。悪いが、この貴族たちには、表向きには火事の犠牲になったということになってもらおう。
襲撃そのものをもみ消すために、使用人や騎士たちも全員消しておいた。そして当主のこの太った男が風穴だらけの死体になったことで、この屋敷にいる生存者は俺たち3人だけになった。
「これで終わったな」
「ええ」
エリスがフルオート射撃を終えたばかりの9mm機関拳銃を腰の両側にあるホルスターに戻しながら言った。彼女の隣で血まみれの父親の死体を見下ろしていたエミリアも、2丁のPP-2000を腰のホルスターに戻すと、テーブルに用意しておいた紅茶のカップを持ち上げる。
倒さなければならない相手はもう全員死んだ。魔剣を使っていたジョシュアは食い殺され、その計画のために娘を差し出したエミリアとエリスの父も9mm弾で撃ち抜かれて死んだ。
ちなみに、エミリアとエリスの母親は既に病気で亡くなっているらしい。もし生きていたのならば、その母親にも銃を向けることになっていただろう。
温くなっていた紅茶を飲み干した2人に、俺は腰にぶら下げていた瓶を取り出した。この屋敷を焼き払うために用意しておいた火炎瓶だ。
2人に火炎瓶を手渡してから松葉杖を握った俺は、何とか椅子から立ち上がった。もう警備していた騎士たちは殲滅した筈だが、もしかしたら生存者がいるかもしれないため、一応右手にハンドガンを持っておく。取り出したハンドガンは、中国製ハンドガンの92式手槍だ。マガジンを伸ばしてフルオート射撃の機能を追加しているため、マシンピストルとしても使う事が出来る。
だが、この92式手槍が火を噴くことはなさそうだ。廊下に転がっているのは死体ばかりで、呻き声も聞こえない。
松葉杖をつきながら片足で何とか階段を下り、2人を連れて屋敷の外へと向かう。足があれば窓から飛び降りてすぐに屋敷の外に出る事が出来たんだが、今は片足が無い。ステータスで身体能力が強化されていると言っても、この状態で5階から飛び降りるのは危険だ。
なんだか歯がゆいなぁ・・・・・・。
「力也、大丈夫か?」
「肩貸してあげる?」
「いや、大丈夫だ」
1人でも大丈夫だよ。
何とか階段を下り切って玄関の外へと出た俺は、92式手槍をホルスターに戻すと、自分の分の火炎瓶を取り出した。一瞬だけ十戒殲焔(ツェーンゲボーテ)を発動させて火炎瓶に着火すると、2人の分の火炎瓶にも火をつけてから、目の前に鎮座するエミリアとエリスの実家を睨みつける。
「準備は良いな?」
今から、2人の生まれ育った実家を焼き払うんだ。
俺は隣に立つ2人を見た。2人とも躊躇っていないらしく、俺と目を合わせてから頷く。
俺も頷くと、目の前の屋敷を睨みつけ―――火のついた火炎瓶を、壁に向かって放り投げた。
瓶が割れ、炎が一瞬で屋敷の壁に燃え移る。俺が放り投げた場所の近くにエリスとエミリアの火炎瓶の直撃し、巨大な炎の塊を形成する。
その炎の塊は次々に壁の表面を飲み込んでいき、開いていた窓の内側で揺らめいていたカーテンに燃え移ると、そのまま屋敷の中に入り込んでいった。やがて窓の内側が真っ赤になり、砕け散った窓ガラスの奥から火柱が出現する。
ペンドルトン邸が燃え上がる。2人が生まれ育った実家が焼け落ちていく。
「―――行こう、力也」
「ああ」
「戻りましょう」
俺は踵を返し、後ろに停車しているハンヴィーへと向かった。一応車体の上にブローニングM2重機関銃を搭載してあるんだが、今回の襲撃で使ったのは最初に先制攻撃を仕掛ける時だけだった。おかげで重機関銃の弾薬はまだまだ残っている。
「エミリア、運転は頼むぜ」
「分かっている」
片足だから運転するわけにはいかないんだよな。
エミリアとエリスが後部座席に背負っていた武器を積み込み、運転席と助手席に腰を下ろす。俺は松葉杖を後部座席の下に下ろすと、シートを掴んで体を持ち上げ、後部座席に腰を下ろした。
「失礼するわ」
ドアをノックする音が聞こえた直後、ドアの向こうからエリスが書斎へと入り込んできた。身に着けている服はエミリアが以前に来ていた黒い軍服のようなモリガンの制服で、彼女のように凛々しい雰囲気を放つエリスによく似合っている。
俺は彼女に「ああ、よく来たな」と言うと、ひとまず羽ペンから手を離した。
「それで、何の用なの?」
「ああ、お前についての事なんだが・・・・・・。エリス、行く当てはあるのか?」
「ないわね・・・・・・」
エリスはラトーニウス王国騎士団の切り札で、絶対零度の異名を持つほどの騎士だ。でも、ジョシュアに利用されていたとはいえラトーニウス国内では裏切者扱いされており、国に戻ったとしても処刑されてしまうに違いない。
それに、実家ももう焼き払ってしまった。しかも祖国の騎士団を離反しているから、肉親の所に逃げ込むわけにもいかない。
今の彼女は、転生したばかりの頃の俺と同じ状況だった。
だから、俺は彼女を呼び出したんだ。
「だろ? だからさ、その・・・・・・行く当てがないなら、ここで傭兵をやらないか?」
「え?」
行く当てがないと言ったエリスは、書斎の椅子に座っている俺を見下ろした。
「大丈夫だ。もう仲間たちは説得してある」
特に、彼女を警戒していたギュンターにも話をしておいた。ギュンターはエリスをまだ警戒していたようだったけど、彼女の出生と事情を詳しく話したら、涙を流しながら合意してくれたんだ。
他のメンバーは特に反対しなかったし、賛成してくれている。
エリスがモリガンのメンバーになってくれれば、確実に戦力はアップするだろう。なにしろラトーニウス王国の切り札が仲間になってくれるんだからな。しかも、エミリアも喜ぶはずだ。
「どうだ?」
「でも・・・・・・いいの?」
「ああ。みんな歓迎してくれるさ」
「――――なら、お世話になろうかしら」
彼女はそう言って微笑んだ。どうやらここで俺たちと一緒に傭兵をやってくれるらしい。
ここならば祖国の事を気にしなくていい。もし彼女を連れ戻そうと騎士団がやってくるならば、仲間たちと共に現代兵器を使って返り討ちにすればいいのだから。
それがモリガンという傭兵ギルドだ。
「よろしくな、エリス」
「ええ、よろしく。・・・・・・それと、力也くん」
「ん?」
彼女は微笑みながら俺に近づいて来ると、デスクを回り込んで俺の隣へとやって来た。何をするつもりなのかと思いながら彼女の方を向くと、彼女はそっと俺の両肩に手を置いて顔を近づけ―――唇を、俺の頬に静かに押し付けた。
―――え? キスされた?
何で? 顔を真っ赤にしながら顔を離していく彼女を見つめていると、エリスは楽しそうに笑いながら言った。
「・・・・・・君のおかげで、またエミリアと姉妹に戻る事が出来たわ。私たちを繋ぎ止めてくれてありがと」
「あ、ああ」
「それと、私・・・・・・・・・惚れちゃったかも」
「え?」
「ふふふっ。――――それじゃ、みんなに挨拶してくるわね」
彼女は楽しそうに笑いながらそう言うと、顔を真っ赤にして狼狽している俺の顔を見てウインクしてから書斎を後にする。
惚れちゃったって・・・・・・まさか、俺にか?
「りょ、両手に花・・・・・・?」
エリスの甘い香りが残る書斎の中で、俺は顔を赤くしながら呟いた。