高熱で歪んでいた空気が、少しずつ元通りになっていく。
十戒殲焔(ツェーンゲボーテ)を解除した俺は、ため息をつきながら目の前で上半身と下半身を切断されて真っ二つになっている金髪の少年を見下ろした。魔剣という忌々しい剣を復活させ、その力で世界を支配しようとしたちっぽけな野望の持ち主は、俺の目の前で今まで俺が殺して来た奴らの死体と同じように転がっているだけだ。
エミリアとエリスを利用しようとした男は、もうくたばったんだ。そして俺とこいつの因縁も、さっきの一太刀で終わった。
あとは魔剣を破壊し、周囲にいるゾンビたちを何とかするだけだ。火傷をしたように激痛が残る身体に鞭を打ち、足元に転がっているジョシュアの上半身が握っている魔剣を拾い上げようとする。
「あとは、こいつを壊せば・・・・・・」
「終わりだな」
「ええ」
俺の隣に、元の姿に戻ったエミリアとエリスがやって来る。やっぱり2人とも、姉妹だから顔がそっくりだった。
そして、彼女に力を貸していた幽霊のフィオナも、俺の傍らへとやって来る。
この魔剣を破壊すれば、終わりだ。ゾンビたちは全滅し、この魔剣を復活させるために利用されていたエリスとエミリアも解放されるだろう。
今度は封印ではなく、破壊だ。もし封印すればジョシュアのように封印を解除してこいつを手に入れようとするような奴らが現れるかもしれない。だから、何人たりとも二度とこいつを手に入れられないように、完全に破壊する。
邪悪で忌々しい伝説を、俺たちが終わらせる。
左手に装着されているガントレットからグリップを展開し、パイルバンカーを準備する。この杭ならば、魔剣を粉砕する事が出来る筈だ。あとは何とか十戒殲焔を少しだけ発動させて破片を融解させてしまえば、二度と復活させることは不可能だろう。
ジョシュアの右手から魔剣を奪い取ろうと手を伸ばしていると、何かが俺の左足を握ったような気がした。エミリアたちの手にしては少し大きな手が俺の左足を握っているようだ。
誰だ?
魔剣から視線を左足に向けてみた瞬間、俺はぞっとした。
「なっ!?」
『力也さん!!』
「が・・・・・・ぁ・・・・・・・・・!!」
ジョシュア・・・・・・! まだ生きてやがったのか!!
俺の左足を掴んでいたのは、なんと今しがた俺に真っ二つにされたばかりのジョシュアだった。魔剣を破壊するために近づいてきた俺の左足を、痙攣する左手で掴んでいるんだ。
「お前の・・・・・・身体を・・・・・・よこせぇ・・・・・・・・・!」
「こ、こいつ・・・・・・! ぐっ!?」
俺の左足に掴みかかっているとはいえ、こいつはもう風前の灯火だ。放っておいても力尽きるだろうし、もう1発銃弾を叩き込めば簡単に殺せるだろう。もう魔剣を制御するために必要な魔力も放出できなくなっているから、魔剣の力を使って再生もできない。
でも、俺が奴を振り払う前に、俺の脹脛の部分に激痛が何本か突き刺さった。
なんと、ジョシュアの左手は再びあの紅いオーラを纏っていた。先ほどゾンビたちから汚染された魔力を吸収した時のように、紅いオーラを小さな触手に変形させて、俺の足に何本も突き刺していたんだ。
そしてその触手を俺に突き刺したのは、俺から力を吸収するためではなく、俺の身体を奪い取るためらしい。
俺はこの世界の人間ではないから体内に魔力なんて持っていないが、もし俺の身体がこんな奴に奪われてしまったら、ギルドの仲間たちが蹂躙されてしまう。それに俺は転生者だ。俺の持っている能力と武器ならば、他の転生者たちのようにこの世界を蹂躙することは可能だろう。
ジョシュアならば、間違いなく転生者の力を蹂躙のために使うだろう。
「ぐっ・・・・・・がぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
「力也!」
「力也くん!!」
紅いオーラが流れ込んでいる左足の指が勝手に動き始める。激痛で痙攣しているわけではなく、それは体のコントロールが少しずつジョシュアに奪われているのが原因だった。やがて左足が痙攣を始め、動かそうと思っても全く動かなくなってしまう。
汚染された魔力の浸食が始まる。左足の膝から下はもう全く動かない。
このまま銃で止めを刺しても、おそらく浸食は止まらないだろう。それに、銃をぶっ放している間にもっと浸食されてしまうかもしれない。
俺は地面に転がってジョシュアを引き剥がそうと足掻きながら、腰の左側からこいつを両断したばかりのアンチマテリアルソード改を引き抜いた。真っ赤になっていた漆黒の刀身はもう元の色に戻っていたけど、真っ直ぐな刀身にはまだ熱が残っている。
俺はその刃を、醜悪な顔で俺の身体を奪おうとしているジョシュアではなく、徐々に侵食されていく左足に向けた。そして俺を助けようとしている3人の少女をちらりと見ると、強がるようにニヤリと笑う。
「り、力也・・・・・・まさか・・・・・・!」
エミリアは俺が何をしようとしているのか察したらしい。
ジョシュアに身体を乗っ取られるよりはましだ。俺は笑うのを止めて頷くと、ジョシュアに侵食されている左足を睨みつけた。
そして――――漆黒の刃を左足の太腿へと振り下ろした。
敵を何人も両断して来た漆黒の刃が、俺の左足にめり込む。俺よりも格上の転生者でさえ両断してきた刀だから、俺の防御力のステータスで防げるわけがなかった。まるで普通の人間の肉を切り裂くように俺の左足の皮膚を切り裂いた刀身は、そのまま俺の骨を切断して反対側の肉を引き裂き、俺の左足を切断してしまう。
「――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「な、何してるのよッ!?」
「フィオナ、早くヒールを!」
『はっ、はいッ!!』
強烈な激痛だった。レリエルに時計塔の針で腹を貫かれた時の激痛を思い出しながら、俺は驚愕するジョシュアを嘲笑う。
これで俺の身体は乗っ取れないだろう。左足だけ乗っ取っても意味はないし、俺の体内には魔力すらないから魔剣の力はもう使えない。おそらく体を奪おうとしたあの力は、残っていた魔剣の魔力を使ったんだろう。だが、最後の力を振り絞った作戦もこれで水の泡だ。
エリスが俺の両腕を掴み、ジョシュアから引き離す。左足の断面から吹き出す俺の鮮血が、足元の草原を真っ赤にしていく。
「よくも力也を・・・・・・!」
「や、やめ――――ガァァァァァァァッ!」
俺がフィオナに治療してもらっている間に、エミリアはジョシュアの近くへと歩いていくと、彼を睨みつけながら右手のバスタードソードでジョシュアの右腕を切り落とし、その腕から魔剣を奪い取った。
両腕と両足を失ったジョシュアが呻き声を上げながら草原を転がる。
すると、周囲から聞こえていた呻き声が段々と近付いてきているような気がした。嫌な予感がした俺は、呻き声が聞こえてくる方向をゆっくりと見る。
俺たちの周囲には、ゾンビになったラトーニウス王国の騎士たちがいた筈だった。ジョシュアが魔力を奪っていたのも彼らだった筈だ。
『騎士たちが、怒ってる・・・・・・』
左足の断面をヒールで治療しながら、周囲で呻き声を上げながら近づいて来る騎士たちを見たフィオナが呟いたのが聞こえた。
彼女は幽霊だから、魔剣によってゾンビにされてしまった彼らの気持ちが分かるのかもしれない。俺も彼らを蹂躙したけど、真っ先に怒りを向けられるのは俺ではないだろう。
呻き声を上げながら近づいて来るゾンビに驚いたエミリアが、魔剣を持ったまま俺の傍らへとやって来る。血の海の上に取り残されたのは、両腕と下半身を失ったジョシュアだけだった。
「ひっ・・・・・・! な、なんだお前ら・・・・・・!? ぼ、僕はお前たちの上官だぞ!?」
喚きながら逃げようとするジョシュア。だが、両腕と下半身は俺とエミリアが切り落してしまったから、もう逃げることは出来ない。しかも俺たちを取り囲んでいたゾンビが一斉に迫ってくるから、逃げ場はなかった。
ゾンビたちは俺たちには襲いかからずに、喚き続けているジョシュアの方に向かっていく。
「や、止めろ! 止めろぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
「・・・・・・もう喋るなって言った筈だぜ、ジョシュア」
「たっ、助け―――――ひぃッ!?」
涙目になって俺たちに命乞いをしようとしたが、俺は彼を助けるつもりはない。
そして、ついに近くまで歩み寄った1体のゾンビが、口を大きく開けながら血の海の中に転がっているジョシュアに掴みかかった。そのゾンビがジョシュアに噛みつく前に、俺はジョシュアの方を見ていたフィオナを抱き締めた。
彼女を抱き締めた直後、肉と一緒に骨が噛み砕かれるグロテスクな音と、ジョシュアの断末魔が聞こえてきた。そしてゾンビたちが一斉に走り出し、ジョシュアの身体を食い千切っていく。まるで自分たちをこんな姿にした彼に復讐しようとしているようだった。
ジョシュアの絶叫はもう聞こえない。肉を引き千切る音と、ゾンビたちの唸り声が聞こえるだけだ。
「・・・・・・エミリア、魔剣を」
「ああ」
エミリアから魔剣を受け取った俺は、最後にもう一度
俺は再び十戒殲焔《ツェーンゲボーテ》を発動させた。一瞬だけ俺の身体が焼死体のように真っ黒になり、身体中の皮膚の裂け目から火柱が吹き上がる。
この能力にある安全装置(セーフティ)のおかげで、エミリアたちまで焼き尽くされる心配はない。俺は一気に温度を2000度まで上昇させると、その炎を全て魔剣へと叩き込んだ。
かつてレリエルの心臓を貫いた剣が、真っ赤な炎の中で崩れていく。真っ黒な刀身がぼろぼろと崩れ落ちていき、塵になっていく。
やがて、俺が握っていた魔剣が炎の中で崩れ去った。すると丁度ジョシュアを喰い終えたゾンビたちが身体を痙攣させ始め、次々に崩れ落ちていったんだ。
「すまないな・・・・・・」
俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ。食い殺すのはジョシュアだけで勘弁してくれ。
ゾンビたちが崩れ落ちていくのを確認した俺は、十戒殲焔(ツェーンゲボーテ)を解除する。
そして、能力を解除した直後に気を失ってしまった。
「―――終わったようですね、レリエル様」
「そのようだな」
魔剣の魔力が消滅した。封印されたのではなく、おそらく破壊されたのだろう。
あの帝都の戦いで私に重傷を負わせたあの少年が、仲間たちと共に魔剣を破壊したのだ。さすが私の好敵手だな。
私は串刺しにしていたゾンビたちからブラックファングを引き抜くと、元の長さに戻してから肩に担いだ。力也が魔剣を破壊したため、もうゾンビたちは壊滅している。草原の上に転がっているのは死体に戻ったゾンビたちだけだった。
「―――では、引き上げるとしよう。行くぞ、2人とも」
「はい、レリエル様」
「かしこまりました」
アリアと新たな眷族のヴィクトルにそう言った私は、背中から翼を広げて眷族たちと共に夜空に舞い上がった。
おそらく、私を倒す事が出来る存在は力也だけだろう。
人間は執念を持つ怪物だ。そして力也は、いつか私を倒す怪物になる。
吸血鬼を倒す怪物へと進化するだろう。
実に楽しみだ。
だから私は、いずれ私を倒しに来るあの少年を歓迎するために、眷族を集めておくのだ。さすがにたった2人の眷族と共に迎え撃つのは、怪物に成り果ててやってくる彼に失礼だからな。
ベッドから上半身を起こし、俺は窓の外を見上げていた。医務室の窓の外に見えるのはまだ星空だ。まだ夜は明けていないらしい。
ということは、俺が気を失っていたのは短時間ということになる。ジョシュアはもうゾンビに食い殺され、ゾンビたちも魔剣を破壊したせいで全滅した筈だから、きっと仲間たちは無事な筈だ。
俺は医務室のベッドの上を見渡した。医務室には4つのベッドが用意してあるけど、俺が使っているベッド以外に横になっている人影は見当たらない。どうやら全員無事に帰って来る事が出来たらしい。
いつまでもここで横になっているわけにはいかないな。みんなの所に行かないと。
ベッドから起き上がった俺は、そのまま立ち上がろうとして――――左側の側頭部を、床にたたきつけてしまった。
「ぶッ!?」
あれ? 何でだ?
こぶの出来上がった頭をさすりながら立ち上がろうとした瞬間、俺は左足のズボンの中に足が収まっていないことに気が付いた。ズボンが膨らんでいるのは太腿の半分辺りまでで、そこから先はなくなってしまっている。
あ、そうか。ジョシュアに身体を奪われる前に切り落したから・・・・・・。
「あちゃー・・・・・・」
これじゃ、歩くためには松葉杖が必要になるなぁ・・・・・・。
床にぶつけて晴れてしまった頭をさすりながらなんとか這ってベッドに戻ろうと足掻いていると、医務室のドアが開く音が聞こえてきた。ドアの向こうから入り込んできた足音が、俺の方に近づいて来る。
「りっ、力也? 何をしている?」
「あ、いや、ベッドから転げ落ちちゃってさぁ・・・・・・。あははは」
するとエミリアは腰に手を当てて「やれやれ・・・・・・」と言いながら、俺に肩を貸してベッドに座らせてくれた。そしてそのまま、彼女も俺の隣に腰を下ろす。
「・・・・・・すまない、力也」
「え?」
「その、左足が・・・・・・」
「いや、悪いのはジョシュアだ。お前は悪くないよ」
ジョシュアが身体を乗っ取ろうとしたから、俺は乗っ取られる前に左足を切り落しただけだ。彼女は全く悪くない。
俺は申し訳なさそうな顔をする彼女の頭を優しく撫でながらそう言った。
「でも、足が・・・・・・」
「心配するなって。義足でもつけて、すぐに復帰するさ」
そういえばジョシュアも義手を付けていたから、この世界にも義手や義足は存在するんだろう。でも、俺の世界にあった義手や義足とは違うのかもしれない。
あとでフィオナに聞いてみよう。彼女ならば知ってるかもしれない。
エミリアは俺の左足に静かに触ってから、頭を俺の左肩に押し付けた。彼女の甘い香りが近くなる。
「そういえば、エリスは?」
「まだ私たちの部屋にいるぞ」
「そっか・・・・・・」
彼女はジョシュアに利用された。だから、もうラトーニウス王国に戻るつもりはないんだろう。つまり今の彼女は、転生してきたばかりの俺のように行く当てがないということだ。
俺たちの仲間になってくれないかなぁ・・・・・・。彼女が仲間になってくれれば戦力はアップするし、エミリアも喜ぶと思うんだよな。あとで仲間たちを何とか説得してみよう。特にギュンターは警戒してたみたいだからな。
「・・・・・・終わったな、力也」
「そうか?」
「ん?」
「・・・・・・まだ残ってるぜ? 倒さなきゃならない奴らが」
ジョシュアはもう死んだ。
でも、まだ殺さなきゃならない奴らは残っている。
「・・・・・・そうだな。まだ残っていた」
「ああ」
「ならば、私と姉さんが―――」
「いや、俺も行く。俺も行って見届ける」
「無理をするな。片足で戦えるわけがないだろう?」
「杖があれば大丈夫だ。片足と片腕でも戦えるさ」
微笑みながら、俺は彼女を抱き締めた。
彼女は強い少女だ。自分の正体を知っても、まだ生きようとしてくれている。
だから俺は、彼女とエリスの戦いを見届ける。彼女は俺が貰うと言って、一緒に旅をしてきた大切な仲間なんだ。
「だから俺も一緒に行かせてくれ」
「・・・・・・分かった」
彼女は微笑むと、俺に顔を近づけてくる。
俺は彼女を思い切り抱き締めながら、自分の唇を彼女の唇に押し付けた。