執務室のドアがノックされた瞬間、左腕の肘の辺りが痛み始めた。僕はこの左腕の肘から先が千切れ飛んだ時のことを思い出しながら、右手で左腕を押さえる。
半年前に、クガルプール要塞である男と戦った。その男は変わった武器を持った奇妙な格好の男だった。騎士団の駐屯地があるナバウレアに、僕の許婚が連れてきたんだ。
そいつは僕から許婚を奪い去っていった。フランシスカという戦力を引っ張り出してその男を殺させようとしたんだけど、彼女は返り討ちにあってしまったんだ。
そして僕はオルトバルカ王国との国境の近くにあるクガルプール要塞でその男と再び戦い、左腕を失った。
左腕の袖の中にあるのは、義手だった。
「入れ」
左腕から右手を離しながら、僕はドアをノックした人物に言った。
ゆっくりと執務室のドアが開き、ドアの向こうからラトーニウス王国の騎士団の制服に身を包んだ少女が部屋の中に入って来る。
ドアの向こうから姿を現したのは、連れ去られた僕の許婚にそっくりな顔の少女だった。年齢は彼女よりも1つ年上で、彼女と同じく凛々しい雰囲気を身に纏っている。まるで連れ去られた筈の彼女が戻ってきてくれたかのようだ。
でも、僕の許婚とは髪型と瞳の色が違う。部屋に入ってきた少女はエミリアよりも髪が長く、蒼い髪の両側はお下げになっている。前髪の下にある鋭い瞳は翡翠色だ。
「・・・・・・久しぶりだな、エリス」
エリスはデスクの向こうに座っている僕を見下ろしながら、腕を組んだ。
「どうして私を引っ張り出したの?」
「仕方がないだろう? フランシスカまで殺されたんだ」
エミリアを連れ去った余所者を殺すために送り込んだフランシスカは返り討ちにあっている。しかも、クガルプール要塞で戦った時にも多くの騎士たちがあの男に殺されたんだ。
だから僕は、王都の精鋭部隊の中からエリスを引き抜いて来た。彼女は『絶対零度』の異名を持つ最強の騎士で、ラトーニウス王国の切り札だ。
「その上、左腕まで失ったのね。なんて無様なのかしら」
「黙れ」
彼女は騎士団の最高の戦力だ。だから彼女を手放そうとしない貴族共のせいで、ここに引き抜いて来るのにかなり時間がかかってしまった。
「・・・・・・エリス、モリガンという傭兵ギルドは知っているな?」
「ええ。速河力也という少年とエミリアが作り上げた傭兵ギルドでしょう?」
その通りだ。速河力也という男が、僕からエミリアを奪って行った男だ。怨敵の名を聞いた瞬間、再び僕の左腕が痛み始める。
左腕を押さえながら、僕はエリスの顔を見上げた。やはり、彼女はエミリアに似ている。
「僕の部下たちと共に、ネイリンゲンに向かえ。―――そして、エミリアを連れ戻すんだ」
「――――計画のために?」
「そうだ。いいな?」
「・・・・・・・・・」
エリスは僕の顔を見下ろすのを止めると、踵を返してドアの方へと歩き始める。返事はしなかったが、彼女は間違いなくネイリンゲンへと向かってくれるだろう。エミリアを連れ戻せば、エリスも忌々しい存在を消す事が出来るのだから。
冷たい女だ。
「それにしても、やっぱりお前はエミリアに似ているな。さすがは彼女の――――」
「――――黙りなさい」
ドアの前で立ち止まったエリスが、僕を睨みつけてきた。もし彼女の手元に剣や槍があったならば、僕に向かって突き付けているだろう。彼女は当然ながら僕よりも遥かに強いから、激昂させてしまったら僕は間違いなく殺される。
だから、彼女にはあまり言わないようにしている。
「あんな子・・・・・・。忌々しいだけよ」
「・・・・・・そうか」
彼女はため息をついてからドアノブを掴むと、ドアを開けて執務室を出て行った。
クガルプール要塞での戦いで何人も騎士がやられてしまったけど、もう僕の部下たちの再編成は済んでいる。ネイリンゲンに向かう部隊の指揮官は、彼女に任せるつもりだ。
これで計画が進む。速河力也に狂わされた計画を、成功させる事が出来る。
計画が成功したら、あの男も殺してやろう。
「速河力也・・・・・・」
左腕の義手を右手で押さえながら、僕は怨敵の名を呟いた。