私の父であるルシフェル・クロフォードは、吸血鬼たちの英雄であった。
祖父から受け継いだブラック・ファングを操り、眷族たちと共に人間や天使たちと戦った猛者だ。父上が出陣した戦いは必ず吸血鬼たちが勝利し、いつも戦場には人間たちの死体が転がっていた。
必ず戦いに勝利して帰ってくる父上は、私の憧れだった。
ある日、戦いが終わってから帰ってきた父上は、愛馬の鞍の上に1人の人間の死体を乗せていた。身に着けている防具には亀裂が入っていて、まだ握っている剣はへし折れてしまっている。身体もボロボロだった。きっとその男から血を吸うつもりなのだろうと思っていたのだが、なんと父はその死体を鞍の上から降ろすと、屋敷の裏にある大きな井戸まで死体を連れて行き、自分でその血まみれの死体を洗い始めたのだ。
なぜ、人間の死体を洗うのだろうか? 我々を滅ぼそうとした、再生能力を持たない弱い種族だというのに。しかも、眷族には任せず、クロフォード家の当主が自ら汚らしい死体を洗っているのである。
「――――父上、どうしてそんな死体を洗うのですか?」
井戸までついて行った幼少期の私は、思わず父に尋ねていた。
「彼の執念が美しかったからだ」
「執念?」
「そうだ。・・・・・・この男は、我々から家族を守るために戦った。逃げ遅れた家族を逃がすために、ボロボロになっても私の前に立ち、私に向かって剣を振り下ろして来たのだ」
父上が洗っている死体は、ボロボロになっても父上に襲い掛かってきた人間の死体らしい。父上は吸血鬼の中で最強の戦士だ。人間に勝ち目などある筈がないのに、なぜあの人間は父上に戦いを挑んだのだろうか?
私には、勇ましい行為ではなく愚かしい行為にしか見えなかった。
「・・・・・・愚かだ。勝ち目がないのに」
「そうかもしれん。だが、この男は天使よりも恐ろしかった」
「父上、この男を恐れてしまったのですか?」
「ああ。恐ろしい」
信じられなかった。最強の戦士である父上が、こんな愚かで弱々しい人間を恐ろしいと言ったのだ。
「人間の執念は恐ろしいのだ。勝てる筈のない相手が目の前にいても、執念があれば人間は戦いを挑んで来る。―――人間は、執念を持つ怪物なのだ」
「怪物・・・・・・」
「そうだ。この男も怪物だ。・・・・・・レリエルよ、お前もいつか怪物と戦う事になるだろう」
死体の顔についている血を拭き取り終えた父上は、その死体を抱えてゆっくりと立ち上がると、屋敷の塀の外にある墓地へと向かった。
きっと、あの死体を埋葬するつもりなのだ。
最強の吸血鬼の戦士がたった1人のか弱い人間の死体を洗い、更に埋葬する光景を、私は黙って見つめていた。
父上の言っていた通りだ。やはり、人間は執念を持つ怪物だった。
時計塔の針を腹に突き刺されても、あの少年は仲間から剣を受け取り、再び私に戦いを挑もうとしている。勝てる筈のない相手が目の前にいても、執念があれば人間は戦いを挑んでくるのだ。
私は燃え上がる残骸の上から飛び降り、少年の目の前に舞い降りた。あの少女から剣を受け取った少年も歩くのを止め、私の目の前で立ち止まる。
「・・・・・・貴様、何という名だ?」
「――――速河力也だ」
「力也か・・・・・・。なるほど」
彼はか弱い人間などではない。
彼も、父上が恐れた執念を持つ怪物だ。
「では行くぞ、力也」
「ああ・・・・・・!」
力也は少女から受け取ったバスタードソードを振り上げた。私もブラック・ファングの先端を彼に向けて構え、槍を目の前に突き出す。
だが、私の槍の先端は彼の首を串刺しにはしなかった。力也は振り上げる最中のバスタードソードを止めると、柄で私が突き出した槍を横に弾き飛ばしたのだ。彼は柄で槍を弾いた直後のバスタードソードを横に倒すと、そのまま私の頭に向かって剣を振り回してくる。
姿勢を低くして彼の剣を躱しながら、私はブラック・ファングに魔力を流し込んで短剣のような短さまで槍を縮めた。短くなった柄を逆手に持って剣を空振りした力也に接近すると、私は短くなったブラック・ファングで彼の胸を斬りつける。
「ぐっ・・・・・・!」
だが、彼は呻き声を上げながら空振りした剣をすぐに引き戻すと、剣を振り払いながら柄で私の左側のこめかみを殴りつけてきた。柄がこめかみにめり込み、私の頭蓋骨に亀裂が入る。
ぐらりと体勢を崩されてしまった私はすぐに体勢を立て直そうとするが、その間に力也は私の首に向かってバスタードソードの刃を叩き付けていた。彼を睨みつけた瞬間に私の首筋に純白の刃がめり込み、私の首の肉を引き千切り始める。
そして力也はそのまま刃を押し込むと、首の骨を叩き割り、私の首を両断した。
私は首を再生させながらブラック・ファングを元の長さまで戻すと、その槍を構え、彼の攻撃を受け止め続けた。まるでデュラハンのようだ。
銀で攻撃されたわけではないため、首はすぐに再生する事が出来た。私はニヤリと笑いながら柄でバスタードソードの剣戟を受け止め、彼が叩き付けてきた刃を押し返す。
夜空は明るくなり始めている。あと数分で日の出だろう。日光を浴びることになれば、銀以外の攻撃でも銀で攻撃された時のように再生に時間がかかってしまう。更にその状態で銀で攻撃されれば、更に傷を塞ぐのが遅くなってしまうのだ。
だから、今のうちに彼を倒しておかなければ。
力也が剣を右側から振り回してくる。私はその剣を殴りつけるように槍の柄を叩き付けて受け止めると、そのまま押し返し、バスタードソードを弾かれた力也に向かって漆黒の刃を向ける。
だが、力也はバスタードソードを引き戻そうとはしなかった。柄から左手を離して自分の胸元へと向けると、彼は胸元のホルスターにぶら下げていた武器を引き抜いたのだ。
攻撃を放つための穴が左右に2つある、漆黒の銃だった。
「!」
槍でガードできる筈がない。しかも至近距離だ。
銃を持つ力也が、ニヤリと笑った。
燃え上がる残骸だらけの橋の上に、轟音が響き渡る。彼が左手に持ったじゅうから放たれたのは、無数の銀だった。時計塔でも私に向かって撃ってきた銃だ。他の銃は轟音が響き渡る度に1つの銀を放ってきたのだが、彼の持つあの2つの穴のある銃は、銀をいくつも同時に放ってくる。
槍の柄で弾きながら回避しようとしたが、彼が放った銀たちは私の左肩に次々とめり込むと、そのまま私の左肩を食い破ってしまう。橋の上を舞っていた火の粉の中に、私の鮮血が吹き上がった。
更に、彼はもう一度引き金を引く。無数の銀たちが再び私に襲い掛かり、顔の右半分と右肩を抉っていく。
左肩は再生が終わるまで動かないほど食い破られてしまったが、右腕は何とか動かす事が出来る。ブラック・ファングの柄を握りしめた私は、傷を再生させながら彼に向かって漆黒の刃を突き出した。
「すごい戦いだ・・・・・・!」
教会の大きな鐘楼にミラと一緒に上った僕は、端末で生産したボルトアクション式スナイパーライフルのスコープを覗き込み、兄さんとレリエルの一騎討ちを眺めていた。
兄さんが、伝説の吸血鬼と剣で戦っているんだ。
(シン、準備できたよ)
「了解。・・・・・・もう少し待ってね」
僕はスコープから目を離すと、制服の内ポケットの中から懐中時計を取り出して時間を確認する。今の時刻は朝の6時30分。もう少しで日の出だ。
懐中時計を内ポケットに戻し、僕は再び九九式狙撃銃のスコープを覗き込んだ。この九九式狙撃銃は旧日本軍が使用していたボルトアクション式のスナイパーライフルで、7.7mm弾を使用する。もちろん、装填してある7.7mm弾は銀の弾丸に変更されてあった。
端末のカスタマイズでバイボットを装備した九九式狙撃銃のスコープを覗き込み、僕はカーソルをレリエルの頭に合わせていた。距離は約200mくらいだろう。
僕の後ろでは、ミラが鐘から伸びる縄を握り、鐘を鳴らす準備をしていた。
教会の鐘の音も、吸血鬼の弱点の1つの筈だ。
最初はレオパルト2A6の砲撃で兄さんを援護しようと思っていたんだけど、僕たち2人だけで戦車を動かしてレリエルと戦うのは不可能だし、レリエルは空も飛ぶ事が出来るから砲撃が命中しない可能性もある。
だから、倒壊せずに残っていた教会の鐘を鳴らして兄さんを援護することにしたんだ。
水銀で攻撃されると、アリアとレリエルは普通の傷のようにすぐに傷を塞ぐ事が出来ない。紫外線を放つライトで照らされると、彼らは身体能力と再生能力が低下する。だから、日光に照らされた状態で教会の鐘の音を聞かせ、更に銀の弾丸を叩き込めば、再生能力は更に落ちる筈だ。もしかしたら再生できなくなるかもしれない。
夜空が明るくなってくる。橋の上で燃え上がる残骸たちから舞い上がる火の粉たちが、段々消えていく。
(シン!)
「・・・・・・日の出だ」
帝都の街並みの向こうから、ゆっくりと太陽が昇り始めた。
太陽の光が、兄さんとレリエルが戦っている橋の上と、倒壊したホワイト・クロックの瓦礫を照らし出していく。
「ミラ、鐘を!」
(了解! えいっ!!)
僕の後ろに立っていたミラが、思い切り鐘の下から伸びる縄を揺らした。日光に照らし出された帝都の街並みに、教会の鐘楼にある鐘の音が響き渡っていく。
僕はスコープを覗き込むと、カーソルをレリエルに合わせてトリガーを引いた。
銀の7.7mm弾が鐘楼から燃え上がる残骸が転がっている橋の上に向かって飛んで行き、兄さんの剣戟を槍で受け止めているレリエルの右足の太腿の辺りにめり込む。レリエルはその銀の弾丸を喰らって体勢を崩してしまったけど、何とか兄さんの攻撃を受け止めると、後ろにジャンプして距離を取る。
彼の右足の風穴は――――再生していない!!
「やった・・・・・・! 傷口が再生していない!」
(本当に!?)
「ああ! いいぞ!!」
これならば、伝説の吸血鬼に勝てるぞ!
僕はボルトハンドルを引きながら、鐘楼の上でニヤリと笑った。
「教会の鐘だと・・・・・・!?」
鐘楼の上から右足を狙撃されたレリエルは、後ろにジャンプして俺から距離を取りながら呻き声を上げた。奴の右足の風穴は再生していない。日光に照らされながら教会の鐘の音を聞かされ、更に銀の弾丸で攻撃されたんだ。3つの弱点で攻撃された傷は、再生できないらしい。
おそらく、信也が狙撃したんだろう。あいつは狙撃が下手くそだった筈なんだが、鐘楼の上から弾丸を命中させたらしい。
「よくやった、信也」
俺は水平二連ソードオフ・ショットガンに銀の散弾を装填しながら呟いた。
残った銀の散弾は、今装填した分も入れてあと6発。プファイファー・ツェリスカの.600ニトロエクスプレス弾はシリンダーに装填されている5発しか残っていない。Saritch308ARのマガジンはあと2つだけで、OSV-96は破損したせいで使用不可能だ。
だが、再生しないのならばこの2発の散弾で倒す事が出来る。俺はエミリアから貰ったバスタードソードを地面に突き立てると、右手で腰のホルスターからスコープとバイボット付きのプファイファー・ツェリスカを引き抜いた。
銀の8ゲージの散弾と、銀の.600ニトロエクスプレス弾をお見舞いしてやる!
「ハハハッ・・・・・・。傷が再生できん・・・・・・」
槍を地面に突き立てながらゆっくりと立ち上がるレリエル。突き立てていた槍を引き抜いて俺に向けてくると、奴は足の風穴から血を流しながら、俺に向かって正面から突っ込んできた。
再生が出来なくなっても、こいつはまだ戦いを続けるつもりだ。
ならば俺は、銀の弾丸で迎え撃つ。俺たちが引き受けた依頼はこいつを倒す事なんだ。だから、返り討ちにしてやる!
俺はレリエルに向かって、まずプファイファー・ツェリスカのトリガーを引いた。でっかい撃鉄(ハンマー)が銃に潜り込み、猛烈なマズルフラッシュを突き抜けて銀の弾丸が飛んで行く。
突っ込んできたレリエルは、その弾丸を槍の柄で弾き飛ばした。俺は再びプファイファー・ツェリスカの撃鉄(ハンマー)を引っ張り出し、もう一度トリガーを引く。
.600ニトロエクスプレス弾はあと3発。だが、まだソードオフ・ショットガンは出番じゃない。今撃っても散弾があいつの肩や腕を掠めるだけだ。もっと接近してもらわないと、あいつの肉体は抉れない。
2発目の銀の弾丸も弾き飛ばされる光景を眺めながら撃鉄(ハンマー)を引っ張り出し、3発目をぶっ放す。やっぱり3発目も回転させた槍の柄に叩き落とされ、燃え上がる残骸の方へと吹っ飛ばされていく。
あとリボルバーの弾丸は2発しかない。だが、俺は落ち着いてレリエルに照準を合わせ、トリガーを引いた。
4発目の弾丸も弾き飛ばされ、レリエルの脇にあった残骸の中の鉄骨に命中する。シリンダーの中に残っている弾丸はあと1発だ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
伝説の吸血鬼が、雄叫びを上げながら俺に突っ込んでくる。強烈な弾丸を4発も弾き飛ばした漆黒の槍の先端が、俺に向けられている。
俺は左手を持ち上げ、ソードオフ・ショットガンの銃口をレリエルへと向けた。
さっきの弾丸は.600ニトロエクスプレス弾だったが、今度の弾丸は散弾だ。単発の弾丸と同じように叩き落としても、他の散弾たちがレリエルの肉体を食い破ることになる。再生が出来ないのならば、被弾すれば普通の人間と同じようにズタズタにされて死ぬだろう。
俺がトリガーを引こうとした瞬間、いきなりレリエルが先端を俺に向けていた槍が伸び始めたのが見えた。漆黒の槍の先端部が、ソードオフ・ショットガンの銃口を向けている俺の胸に向かって伸びてくる!
「なっ・・・・・・!?」
俺はソードオフ・ショットガンの銃身を叩き付けて受け流そうとしたけど、槍の先端部が俺の胸に突き刺さる方が早かった。漆黒の槍の先端は俺の胸を食い破ると、そのまま俺をさっきまで時計の針に串刺しにされていた場所まで吹っ飛ばしていく。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「力也ぁッ!!」
『力也さん!!』
黒い槍が縮み始め、俺の胸の肉を抉りながら引き抜かれる。俺は橋の上に叩き付けられると、呻き声を上げながら血を吐いた。
エリクサーの瓶は、地面に叩き付けられた衝撃で全て割れてしまっていた。もう胸の傷を塞ぐことは出来ない。
でも――――負けるわけにはいかないッ!
俺は足元の地面を胸の穴から流れる鮮血で真っ赤にしながら立ち上がった。立ち上がったばかりの俺に向かって、燃え上がる残骸の中を、槍を構えたレリエルが俺に止めを刺すために突っ込んで来る。
左手のソードオフ・ショットガンは吹っ飛ばされている途中に落としてしまったらしい。腰の後ろに下げていたSaritch308ARも、地面に叩き付けられた時に落としてしまったようだ。
レリエルを倒せるのは、プファイファー・ツェリスカの装填されている最後の銀の.600ニトロエクスプレス弾だけだ。
だが、このまま狙撃してもまた槍に弾かれてしまう。何とかして確実に命中させなければならない。
「終わりだ、力也ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
左手で胸の傷を押さえながら下を見てみると、俺の足元には俺を串刺しにしていたあの巨大な時計の針が転がっているのが見えた。時計塔が倒壊した時に、レリエルが俺に放り投げてきた時計の針だった。
俺は血を吐きながらニヤリと笑うと、リボルバーを腰のホルスターに戻し、俺の血で真っ赤になった時計の針を両手で掴むと、呻き声を上げながら持ち上げる。
今の俺のレベルは187。攻撃力のステータスは27300になっている。
つまり、今の俺ならばこの針を持ち上げ、レリエルのように放り投げることは可能だった。
レリエルにお返ししてやるか。
「レリエルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
「その針は――――」
時計塔の針を持ち上げた俺は、槍を構えて突っ込んで来るレリエルに向かって、絶叫しながらホワイト・クロックの時計の針を放り投げた。
俺の血で真っ赤に濡れた時計の針が、燃え上がる残骸たちの炎を引き裂きながらレリエルに向かって飛んで行く。
俺に止めを刺そうとしていたレリエルは慌てて弾き飛ばそうとするが、構えた状態からすぐに弾き飛ばそうとするよりも、俺が思い切り放り投げた時計の針があいつの胸に突き刺さる方が先だった。
燃え上がる残骸たちの向こうで、レリエルの絶叫が聞こえた。