「どうしたの?手が痛いの?」
嫌な汗を流しながら失った痛みの続く腕を押さえ込んでいると歳の少し下の少女がこちらを覗き込んでいる。
心配そうに声をかける少女に少年は強がってみせたが、言葉とは裏腹に亡くした痛みがまるで、何かを主張するように叫んでいるかのような痛みは続く。
「大丈夫、お姉ちゃんに任せなさい!」
腕をまくりした少女は、義手に手を当てる。
「イタイイタイのとんでいけっ…これでどうかな?」
それは、よくある民間療法であったが、彼女の小さな手が、泣き止まない子供をあやすように撫でるたびに失くした腕の痛みが徐々に収まっていく。
「君はいったい…?」
「んー?私の名前はね…」
セピアに色あせた景色がゆっくりと光を取り戻していくと同時に窓から差し込む暖かな春の日差しで、意識が浮上していく。
随分と懐かしい、優しさを感じる夢を見ていた気がすると心の中で呟いたユイは、大きな欠伸を手で押さえながら、移り変わる窓の景色に視線を向ける。
二度寝すれば、もう一度見れるかと思ったが、目的の駅まで近づいていたため、二度寝という気分にはなれない。
タブレット端末を時間を潰す為に起動すると国際ニュースの記事にPMCが拘束されたという内容の記事が自動取得がされている。
心当たりのありすぎる記事であったが、白昼夢ということにした彼は、そっと目を逸らしながら、タブレット端末の電源を落とす。
そのままボストンバックの中にしまうと嘆息する。
長時間座りっぱなしで固くなった身体を軽く伸ばしながら、メッセンジャーバッグの中に仕舞いこんだデジタル一眼レフを取り出した。
お世話になった人への報告に写真でも撮って送ろうと購入したカメラ。
日本語で書かれた随分と丁寧な分厚い説明書は、メッセンジャーバックの奥に保証書と共に丸まってしまっている。
「設定は、こんなもんか。カメラは使って慣れろ、これに限るな」
カメラの液晶画面で、ISO感度や露出の調整を軽くしていたユイの手元に影が差し込む。
ふと、ユイが影の差し込む方向に視線を移すと隣の席に座っていた15歳ぐらいの少女が熱心に手元のカメラを覗き込んでいた。
「うわぁ~でっかいカメラ。お兄さんもしかして凄腕の敏腕ジャーナリストってやつでしょ!」
彼女は、ユイと彼の手元のカメラを交互に視線を移しながら不思議なことを聞いてくる。どちらかというと、彼らの対照的な"元緑色"だったユイは、苦笑いをしながら、彼女の問いかけに首を振る。
「あ、あれ?じゃ、じゃあ伝説の敏腕カメラマンとか!」
随分変わった感性をしている少女に内心、伝説と敏腕って付ければいいってもんじゃないだろうとツッコミながら、ユイは少女に至ってシンプルな回答を返した。
「全部外れかな。強いて言うならこれは…趣味用に購入したもの。次の駅で降りる普通の一般人さ」
「あ、奇遇だね!私も次の駅で降りるんだー」
コロコロと笑顔を振りまきながら喋る少女の姿は、見ている人間の気分も明るく変えて、笑顔にしてしまう魔法のよう。今まで知っている女性とは、まったく別のタイプの少女に思わずユイも妙な返事を返してしまう。
「随分と大荷物だけど一人の旅行に向かうつもりなのか?」
「はっずれー!私はこれから、あの街の高校に下宿しながら通う予定なんだ~!」
「ハイスクールか。その歳で親元から離れるって色々大変じゃないのか?」
元緑色のユイと笑顔の似合う少女の会話は、不思議と弾んでいき目的の駅に付くまで続いていた。少女のペースに巻き込まれる不思議な感覚。
ユイは、会話を楽しんでいる自分に気がつくと思わず苦笑した。
「ちょっとだけ心細いけど、ワクワクとドキドキで胸がいっぱいだよ!」
両手を広げて、オーバー過ぎるリアクションを返してくる少女。
新しいスタートを切るには、幸先よく面白い子と出会ったのかもしれないと考えたユイ。少女と共に駅のホームに降り立つと手元のカメラに視線を向ける。
「じゃあ、折角だし一枚どう?機械ばかり撮影したけど、腕には自信があるつもりなんだけど…」
手元のカメラを軽く掲げながら、少女に問いかける。
ピンクベージュ色のセミロングの髪にアクセントを与えている特徴的な花の髪飾り。
茶色のハイネックに白のワンピース。端正な顔立ちで、笑顔のよく似合う少女に清楚でアクティブな印象を与えている。
被写体としても美少女と呼ぶに相応しい少女。
「本当!!なら、ポーズはこんな感じかな!!」
満面の笑みで、了承してくれたが少女。
だが、力こぶを作るようなポーズに電車から降りてきたほかの乗客が微笑ましい目をしながら通り過ぎている。
「無難にピースでいいんじゃないかな?」
「そうかなぁ?ビシッと決めたほうがかっこいいかなぁって思ったんだけど…」
まるで、憧れの存在の真似をするような行動。
身内辺りにそんなポーズを取る人がいるんだろうかと考えたユイだが、自分にも心当たりがあった為、その言葉を何とか飲み込んだ。
なにかと濃い人生を送ってきた彼もまた同じような行動を真似していたら、それが身体に染み付いてしまった性質。
人のことを言える人間ではない。
「んじゃ撮るよ!はいチーズ」
「いぇい!」
ファインダー越しに少し体を傾けながらピースサインを送りながら、春に咲く花のような笑顔の振りまく少女につられる様に表情を緩めたユイは、シャッターを切る。
「OK、撮れたが……これから旅行に出るような写真だ」
「そうかなぁー?すっごく綺麗に撮れてると思うよ!!」
「可愛い被写体に恵まれたからかな?」
「そ、そんなことないよ~。それは…あれ?そういえば自己紹介してなかったよね」
ふと、思い出したかのように呟く少女。
電車の中で過ごした時間、一度も名前も名乗っていなかったが、特に問題なくコミュニケーションが成立していたの事に気がついた二人は思わず噴出した。
「そういえば完全に忘れてたな。…親父に怒られそうだ」
女性の扱いにサングラスとベレー帽がトレードマークの育て親の姿がよぎる。娘がいても女好きは直らなかったプレイボーイな育て親が亡くなって、早10年。
厳しい親であったが、彼がいなければこの地をまた踏む事にはならなかっただろう。
物思いに耽ていたユイは、ふと我に返ると少女は、くるりとその場で一回転して太陽のような眩しい笑顔を向けながら自己紹介を始める。
「私は、ココア!ココアって呼んでね!」
ブイサインをしながら自己紹介を決めたココア。
余所見をしていた事が原因で、危うく転倒しかけたが、目の前の男はしっかりとココアの腕を捕まえて地面との衝突を回避させる。
「ほら、ちゃんと見て歩かないと危ないだろう。俺はユイ、よろしくココア」
「あ、ありがとー…ユイ君もよろしくね!」
駅の改札口に向かいながら自己紹介を終わらせた二人は、新しい生活が始まる木組みの家と石畳の街へ足を踏み出した。
雲一つない快晴が広がり、時節空を彩るように淡紅色花が舞う駅前の広場。
視界に広がった花吹雪の歓迎に二人は足を止めてしまう。
「きれいな街だね…ここなら楽しく暮らせそう!」
「それについては、同意しようかな。…そうだ。ココアはこれからどこへ向かうんだ?荷物もあるから、下宿先が最初だとは思うが」
「うん、これからお世話になる家に行く予定!ユイ君はどこへ?」
「俺は…そうだな。先に家の方に行こうかと思ってるから途中まで送っていくよ。育て親に怒られそうだからな」
「えへへーありがとー!それじゃ、れっつごー!」
ココアは、ユイの手を引くとそのまま歩き出す。
彼女の突然の行動に思わず困惑していたユイだったが、まぁいいかと小さく呟くと苦笑しながら、冷たい機械の腕をそっと握り締めた。
木組みの家と石畳の街に行きたい。