光太郎とイヴの前に、少女がちょこんと座っていた。その小さな手には不釣り合いの剣、サタンサーベルが握られている。
さて、まずはどうしてこうなったかを説明せねばなるまい。
クリードはスヴェンに向かって拳銃を発砲した。しかしそれはただの銃弾ではなく、ナノマシンを混入した銃弾。かつて星の使徒のアジトで現れた人狼にそこらの掃除屋を変化させたように、人の体を作り変えてしまうナノマシンが混入されていた。
だが間一髪のところ、スヴェンはその銃弾を受けずに済んだ。スヴェンの目の前で、別の人物がその銃弾の盾になっていたのだ。そこにいたのは自分の相棒ではなく、その元上司。
セフィリア=アークスであった。
咄嗟のことで剣を抜く暇もなかったのだろう。銃弾を受けた腕は僅かに血が滲んでいた。
「…思っていたよりも小口径だったようですね。これなら戦闘に何の支障もありません」
「セフィリア=アークス…! いつもいつも僕の邪魔を…だがまぁいい。トレインを縛る鎖を退場させるつもりだったが、その対象があんたに変わったのも一興だ。その弾にはナノマシンが混入されている。あの人狼のような化け物にあんたが変わっていくのが楽しみだよ、あははははは!」
「…なっ…!?」
自分が受けた弾丸は自分の体を作り変えてしまう弾丸だった。セフィリアは思わず自分の手を見る。だがその隙にクリードは傍にいたエキドナと共にGATEで去って行ってしまった。
立ち尽くすセフィリア。
そこに助けられたスヴェンが立ち上がって声をかける。
「すまねえ、俺のせいだ。すぐに光太郎の元へ行こう! あいつならどんな姿になっても戻せるはずだ!」
スヴェンはそう言うが、セフィリアは今まで感じた事のない底知れぬ感情を抱いていた。以前の人狼は野生の狼そのもののように理性すら失っていた。自分も化け物になり、光太郎や他の仲間たちに牙を向けるのではという不安、そして恐怖。今までならその感情はクロノスに捨てられてしまったらという環境でしか抱かなかった感情だろう。しかし今のセフィリアは違う。光太郎に会い、イヴと親密になり、かつての部下トレインと同じ環境に身を置いている。以前のセフィリアとは違うのだ。
呆然としてしまっているセフィリアをアジトに連れ、スヴェンはトレインたちに説明をしてすぐに光太郎の元へ向かうよう動く。光太郎の行方は、トレインがイヴの言っていた話を思い出して「リンスなら知ってるはずだぜ」の一言でリンスに連絡をとり、光太郎がいる場所を聞き出そうとする。
その瞬間、セフィリアが苦しみ出して座り込んでしまう。
そしてセフィリアの体が輝いた。
そして回想が終わる。
光太郎とイヴの前に座る少女。
この少女こそが、ナノマシンによって体を作り変えられてしまったセフィリアだったのだ。光太郎が見た感じ、イヴよりも幼く見える。
「…光太郎さん、この姿ではあなたの剣であることはできそうにありません。お許しください…」
セフィリアはそう言って涙ぐむ。涙腺も子供のものになって緩くなっているのかもしれない。その潤む瞳を見て光太郎は慌てる。
「だ、大丈夫ですよ。それにしてもセフィリアさんの子どもの頃はこんな姿だったんですね。とても可愛らしいと思いますよ」
小さな体にウェーブかがった長い髪。
そして人形のように可愛らしい顔のセフィリアを見て、光太郎はそう慰める。
「わ、私が…かわいい…?」
セフィリアはその言葉に顔を上げ、目を見開く。心なしか頰が紅い。
「そうさ、まるで人形みたいだぜ? こんな妹がいたら、俺も可愛がったんだろうな」
そして光太郎はかつての親友を思い出す。あいつも妹を可愛がっていた。そして光太郎もそんな妹に「お兄ちゃん」と呼ばれていたことがある。そう呼ばれて慕ってくれるのはやはり嬉しいものだ。
「光太郎…今まで聞いたことなかったけど、兄弟いるの?」
隣に座るイヴが尋ねる。
「義理の妹ならいた。もう長いこと会っていない。元気でやっていてくれるといいな…」
会いたい。しかしそれは現実不可能であった。この世界はあの世界とは違うのだ。光太郎はただ、幸せな生活を送れるよう祈るしかない。光太郎はその妹の姿を思い浮かべ、目を細める。
そんな様子を見ていたセフィリアは小さな胸を手で押さえる。
「それなら…私が暫くの間、光太郎さんの妹になります!」
セフィリアはそう言って立ち上がり、光太郎の手を握った。
「…え?」
光太郎は混乱している!
◆◇◇◆
光太郎と少女セフィリアは手を繋ぎ、街中を散歩していた。
「光太郎が望むなら私が妹になる!」
とイヴも宣言したが、それはトレインによって阻まれる。かつての威圧感たっぷりだった元上司が、こんな覇気も感じられないか弱い少女になったのだ。どんな面白い展開になるのかとワクワクしていた。話を聞いたキョーコもシャルデンに同じように止められていたが、シャルデンの場合はこれ以上事態を厄介にしないでほしいという保身からであったろうが…。
街中を歩く光太郎とセフィリアの遥か後ろを、イヴ、トレイン、キョーコ、シャルデンが尾行していた。心なしかシャルデンは肩を落としていた。
「セフィ姐のどんな表情が見れるか、楽しみだな」
「トレイン、下衆だね」
そんな会話が優れた聴力をもつ光太郎の耳にも届く。光太郎は今の状況に苦笑するしかなかった。
「セフィリアさん、どこか行きたいところはありますか?」
「あの…妹にさん付けはおかしいと思うのです。呼び捨てで構いませんよ? 後、敬語も結構です」
「あ、わ、分かりました。いや、分かった。それじゃ、どこか行きたいところはあるかい、セフィリア」
「はうっ!」
セフィリアは思わず胸を押さえる。体に電流を流し込まれた感覚だった。しかしセフィリアは原因を理解していない。生まれてきて今までクロノスの剣として育てられ、一般の女性がもつであろう感情を与えられずに生きてきた。胸をときめかせるのも、初めての経験だった。
「あ、あの…少しお腹が空きませんか?」
「そうだな。流石にティアーユさんのあの料理をセフィリアに食べさせる訳にはいかないし…軽くそこらで食べていくか」
「はい、そうしましょう。お、お、おにいちゃん…」
「お兄ちゃん」という単語を発するだけで顔が火照り、胸の鼓動が速まってしまう。私はクロノスの剣として育てられ、今は光太郎さんの剣として力を尽くすことを誓ったというのに何という体たらくだ、と深呼吸をして自身を鎮める。だがその深呼吸も無駄に終わる。光太郎がセフィリアを抱え上げたのだ。
「確かティアーユさんの家に行く前に街の入り口辺りに食事亭があったんだ。そこに行こう。ちょっと走るからしっかり掴まっていてくれよ」
光太郎はそう告げてスピードを上げた。
背後では「やべえ、逃げられる!」「…絶対逃さない」「ちょっと、かなり羨ましいんですけど!」「…帰りたいデス…」という尾行者の声が聞こえた。
尾行者を撒いた光太郎は食事亭に入る。
「急に走って悪かったね、セフィリア…あ」
光太郎は子どもを抱きかかえて走ったつもりであったが、よく考えたら腕の中にいるのはあのセフィリアだった。本人から「妹になります」とは言われたが、流石にこれは失礼だと思った光太郎は顔を伏せていたセフィリアを降ろし、「すいませんでした」と謝った。
セフィリアは俯いたまま首を振る。
「わ、私は気にしてませんよ、お、お、おにいちゃん…。だからしっかりとおにいちゃんして下さいね」
「あ、ああ…」
セフィリアはそう言って光太郎の手を取り、椅子に腰掛ける。
楽しい
もっと一緒にいたい
それがセフィリアが抱いていた感情だった。
もしも出会いが違っていれば、自分の生まれるのがもっと遅ければ、そして子どもの頃に光太郎と出会っていれば、このように触れ合えていたのだろうか。
「おにいちゃん、私はとても満足していますよ」
「そ、そうかい? それならよかった…ってそうじゃない。セフィリアが俺の為にしてくれていることだから、俺がセフィリアにお礼を言うべきなんだよな」
「ふふ、細かい事は気にしないでください」
「セフィリアにそれを言われるとは思わなかったな…」
2人は軽い食事を済ませ、近くの川へ行って水遊びをした後にティアーユ邸に戻り、湖の畔で夕日を見上げる。
「…これが、普通の子どもが送っている生活なのですね」
セフィリアはそう独りごちる。
「私はクロノスのために育てられてきました。それ以外の生き方を知りませんでした。ですがあなたに会えて、いろいろなものが私の中の世界を広げてくれています。戸惑うこともありますが、イヤな気分ではありません」
「それは良かった…」
「あなたの妹というのも悪くはありませんが、やはり私はあなたの隣に並び立ちたい。あなたの剣として、あなたの力となりたい。いつまでも私を傍に置いてください」
セフィリアの顔は夕陽を浴びて赤みがかっている。
光太郎は知らない。そう伝えたセフィリアの手が震えていたことに。
光太郎は知らない。セフィリアがその言葉を精一杯の勇気をもって伝えたことを…。
光太郎はそんなセフィリアの小さな頭を優しく撫でた。
「俺なんかの傍にいて、セフィリアが幸せになれるのかは分からないけど…セフィリアがそれを望むなら、俺は傍にいるよ。でも俺なんかより幸せになれる場所が見つかったら、俺に遠慮することないからな?」
「大丈夫ですよ」
セフィリアは光太郎の手を取る。
あなたの隣以上に、幸福を感じる場所はありません。
セフィリアはそう呟いて満面の笑みを浮かべた。
◆◇◇◆
窓から入る夕陽を浴びて、光太郎は目を覚ました。
何か夢を見ていた気がする。
しかしどんな夢だったのか思い出せなかった。
ベッドから起き上がり、周りを見渡す。
そして思い出す。
昨夜は星の使徒の襲来があった為に休む事ができず、昼から仮眠をとっていたのだった。思いのほか、寝過ぎてしまったようだ。
光太郎は起き上がって背伸びをする。
そして与えられた個室の戸を開けるとそこにはセフィリアが立っていた。
「セフィリア…さん、おはようごさいます」
「おはようございます、光太郎さん。と言っても、もうこんな時間でしたけどね」
セフィリアはそう苦笑する。皆の出発の準備ができたので起こしに来たのだという。
「俺だけ寝坊したんですね…申し訳ない…」
「いえ、私もさっきまで休ませてもらっていたんですよ。だから気にしないでください」
光太郎の隣を歩くセフィリアも、やや寝坊したようだ。
「ハートネットは子ども姿を暫く堪能するそうです。スヴェンさんが頭を抱えていました」
「トレインは相変わらず自由だな…」
そう会話をしていると、視線を感じた。隣を見るとセフィリアがじっとこちらを見つめている。
「…セフィリアさん、どうかしました? 寝癖でもついてますか?」
「いえ、大丈夫ですよ。ただ、やっぱりあなたの隣はいいなと思っただけです」
「…え?」
「なんでもありませんよ、おにいちゃん」
セフィリアはそう言って笑った。
それはただの偶然か。
それともキングストーンがみせた夢だったのか。
光太郎の剣は、これからも常に寄り添っていく……。