「はーい、回すよー。」
一通りの操作を確認した後。
皆に一声かけて、私はビデオカメラのスイッチを押した。
ほたるの、デビューまでの方針。
それは、彼女を『薄幸少女』として売り出す、というものだった。
彼の基本的なプロデュース方法として、そのアイドルを一言で表す言葉を付ける、というものがある。
例えば、私は『ニートアイドル』といったように。
ほたるの不幸体質は、それ自体が立派な彼女の個性であり。
そのまま唯一無二の武器になる、と、彼は判断した。
彼曰く、男は庇護欲をそそるものに、てんで弱い。
それが可愛い女の子であるなら尚更だ。
そこで、不幸ではなく、薄幸というイメージを彼女と結び付けることによって。
「俺が幸せにしてやるんだ」という意識をファンに芽生えさせる。
……と、いうことらしい。
彼は何故か「薄幸」という言葉にやたらと拘っていた。
不幸の類語なのだから、どちらも同じだと思うのだが。
「不」か「薄」かは、とても重要なことなのだそうだ。
で、今行っているこれは、ほたる列車を薄幸イメージ路線に乗せる第一歩。
彼女がどれだけ不幸もとい薄幸か、大いに世に知らしめようという訳だ。
公園とかで撮った方が遊具で遊べていいんじゃないか、という声もあったが、万一の事態を考慮して、事務所内での撮影となった。
まあ、撮影日である現在、窓越しからザーザーと雨音が聞こえてきているため、どっちみちここでやるしかないのだが。
「……えっと、これからどうするんですか?」
画面の真ん中に映るほたるが、助けを求めるように私を見る。
カメラを向けられることにまだ慣れていないだろうから、当然といえば当然の反応だ。
ここは先輩として、安心させてやらねば。
「……どうしよっか?」
ならなかったんだけどなー。
繰り返すが、ほたるの薄幸ぶりをカメラに収めるのが、今回の目的だ。
そして、彼女のそのメカニズムは、現状、ランダムに発生するということ以外、殆ど分かっていない。
つまり、その瞬間が来る時まで、ひたすら待機するしかないのだ。
「差し当たりー、ほたる殿は茄子殿と離れないよう行動するべきかとー。」
芳乃が、もっともな発言をする。
茄子が言うには、彼女が居ても、何も起こらないということにはならない。
ならば今回の目的を阻害することにはならず、万一の事態からほたるの身を守る最良の手段となる。
その事はこの場の全員が承知しており、うんうんと同じ動きで頷いた。
「うーん、じゃあほたるちゃん、お茶を淹れに行きましょう♪」
いつもの笑顔で、茄子が提案する。
ほたるが拒否する理由もなく、2人は給湯室へと向かう。
片手にビデオカメラを携えた私も、2人の後を追う。
何故、ニートが撮影係を任されているのか。
簡単な消去法だ。
プロデューサーは外回り。
ほたるはそもそも被写体。
芳乃は機械にてんで弱く。
茄子に持たせたら、何が映るか分かったもんじゃない。
自動的に、私がやるしかないのだ。
「……こうして見るとさ。」
2人が台所に立つ姿を後ろから収めながら、思ったことをそのまま呟く。
こう、髪型といい髪色といい、各々の特徴といい。
「姉妹みたいだよね、茄子とほたる。」
すると。
「あら♪」
「ええっ!?」
茄子は嬉しそうに。
ほたるは恥ずかしそうに顔を赤らめて、こちらに振り返った。
「いっ……いえっ! 私なんかと姉妹なんて……そのっ……!」
「あら、私がお姉ちゃんは嫌ですか〜?」
「そういう訳じゃなくて……!」
楽しそうに笑いかける茄子と、慌てるほたる。
うん、とても仲の良い姉妹だ。
「ちょっとさ、言ってみてよ。茄子お姉ちゃん、って。」
見ているこっちも楽しくなってきて、私はそんなことを提案する。
「あ、いいですね〜! 言われてみたいです♪」
「そ、そんなの無理です……!」
最初は拒否を繰り返していたが、嬉しそうな20歳といじわるな17歳についに根負けし。
「か……茄子、お姉、ちゃん?」
数分の永きに渡る戦いの末に、ほたるの貴重なボイスを録音することに成功した。
よしよし、ファンサービスは上々だ。
「はい、お姉ちゃんですよ〜♪」
笑顔満開な茄子に抱きつかれ、ほたるの身体が大きく揺れる。
「ちょっ、茄子さん、危な……!」
先程とは違う意味合いで、ほたるが慌てる。
火をかけたやかんのことを気にしているのだろう。
茄子もそれを分かっているようで、抱きつく力は微々たるものだった。
彼女の身体が何故揺れたのか、分からないほどに。
「……マズっ!?」
一瞬遅れて、私は事態を把握する。
茄子が抱きついた力は、どう見ても、ほたるを動かすには足りない。
にも関わらず、ほたるの身体は、大きく揺れた。
それは、どういうことか。
ほたるの身体はバランスを崩し、後ろ向きに倒れ始める。
抱きついた茄子もほたるを支えきれず、彼女と共に落下する。
ほたるは反射的に手を伸ばし、何かを掴もうとする。
しかし、手すりのようなものは辺りに無く。
熱湯が入っているやかんの取っ手に、触れる。
「──茄子ッ!」
弾かれたように、叫ぶ。
間違いない。
これは、ほたるの不幸によるものだ。
このままでは、熱湯が2人に降り注ぐ。
打開できるのは、彼女しか居ない。
私の声を聞いて、今まさに倒れながら、茄子が横を向く。
ほたるの手がひっかかり、蓋が外れかけ、こちらに大きく口を開けているやかんを、見る。
その瞬間、やかんは、物理法則を無視したような、不自然な動きに変化した。
外れようとする蓋を追いかけるようにその回転速度を増し。
蓋が元の場所に収まっても尚、回転は止まらず。
美しい曲線を描きながら、誰も居ない方向へ飛翔し。
「カンッ!」と、小気味良い綺麗な音を立てて。
まるで自らの意志でそこへ移動したかのように。
「……じ、10.0……。」
見事に、着地した。
「……御無事、でしてー?」
私とほたるが目の前の現象に唖然としていると、芳乃が心配そうにドアから顔を覗かせていた。
やかんが着地した音が向こうまで響いたのか、はたまた彼女の言う「良くない気」を察知したのか。
その言葉に反応するように、ほたるに覆い被さっていた茄子が上体を起こす。
キョロキョロと辺りを見回し、悠然と佇むやかんを視界に収めると。
「……ラッキーですねっ♪」
満面の笑みで、そう、言ってのけた。
カメラ目線で。ピースサインまで付けて。
ラッキー?
これだけのことを起こしておいて?
確率や物理法則に従っていては到底成り立つはずの無いことを、起こしておいて?
それで尚、偶然だと言い張るのか?
たまたま、運が良かった、と。
彼女は、そんな言葉で、片付けてしまえるのか?
口の端っこをヒクつかせながら、私は事の顛末を理解したらしい芳乃に目を向ける。
「……芳乃。」
プロデューサーは、ファンの庇護欲を刺激すると言っていたけれど。
「……でしてー。」
こんなものを見せられては。
「……私、あんだけ色々考えてた自分が、馬鹿らしくてしょうがないんだけど。」
誰かが幸せにするまでもなく。
「……わたくしも、でしてー。」
彼女が、あっという間に幸せにしてしまうじゃあないか。
「「はぁ……。」」
そう、思わずにはいられなかった。