「やっちゃったなぁ……。」
マッサージチェアに全身を預け、私は頭の中で、先日の大失態の反省会を開いていた。
アイドルとしての私のスタンスに疑問を抱く人は、少なからず居るだろう、とは思っていた。
何とかして乗り切れるだろう、とも、思っていた。
でも。
実際に、初めて、指摘されて。
焦ってしまった。
いや、焦るだけならまだいい。
彼女の、白菊ほたるの。
その自覚がないと、理解した上で。それでも。
私の、奥深くにまで、手を伸ばそうとする行為に。
恐怖感を覚えたのだ。
怖かったのだ。
その結果が、あれだ。
いくら大人びているとはいえ、まだ13歳だ。
小学生じゃなくなってから、一年も経っていないのに。
そんな子を相手に。
「……逆ギレ、なんて、なぁ。」
幸い、ほたるはあまり気にしてはいないようだったけれど。
私は、あんなことをしてしまった自分に、苛立っていた。
私ときらりの関係について、正しく理解している人物は、3人。
当事者である2人と、プロデューサーだけだ。
私がこの事務所に入ってからずっと、きらりと一緒に仕事をする機会が多かった。
きらりとの仕事が殆どだった、と言ってもいい。
私生活でも一緒。
仕事でも一緒。
私ときらりは、文字通り四六時中、一緒だった。
ある日、プロデューサーが言った。
これは共依存だ。
互いが互いに、あまりにも依存し過ぎている。
今はこのままでも問題はないが、これから先。
きらりがトップアイドルを目指す、その過程において。
二人が離れ離れになる時が、必ず来る。
その時、お前たちが耐えられるようには、とても見えない。
私は、何も言い返さなかった。
言い返せるわけ、なかった。
だから、その予行演習として、少しの間。
少しの間だけ、私ときらりは距離をおくことになった。
私は事務所の他のアイドルとユニット活動。
きらりは、丁度ドラマの仕事が入っていたようで。
ウチと仲の良い遠方のプロダクションにお世話になりつつ、撮影や現地でのその他の仕事をしているらしい。
きらりは出発前、私に大量の飴を作ってくれた。
元々は、自分に言い訳する為に用いていた飴。
そんな使い方を続けているうちに。
何かをするときには、飴を舐めていないと落ち着かないようにまでなってしまった。
当然、今でも、言い訳としての役割も十分にある。
きらりが居なくても、最低限の仕事はできるように。
そう言って、渡してくれたものだ。
徐々に慣らすのが目的だから、と、プロデューサーも許してくれた。
かなりの数だったはずのそれは、今はもう、全てポケットに収まるくらいになってしまっている。
包装をくるくると剥がしなから、私は考える。
いつまでも悔やんでいても、仕方がない。
今は、今直面している問題を考えよう。
問題というのは、当然、白菊ほたるの体質だ。
彼女の、不幸体質。
ほたるの思い過ごしだとか、考えすぎだとか、そういうものではない。
あれは、どうしようもなく、本物だ。
それは四六時中起こるものではなく、また、それが起こる一瞬前に、ほたるはそれを察知する。
例えば、プロデューサーの頭上から鉢植が降ってきた時、彼女は「プロデューサーさん、上……っ!」と警報を発していた。
その甲斐なく、見事なまでに直撃していたが。
また、ごく稀に、それが起こるよりもかなり前の段階で、察知することがある。
CDプレイヤーの件が記憶に新しい。
しかし、それを自分で狙って引き起こすことはできないようだ。
杏色のそれを、口の中へ放り込む。
一つ。彼女の不幸体質は本物である。
一つ。不幸が起こる一瞬前に彼女はそれを察知する。
一つ。ごく稀に、これから起こる不幸をかなり前の段階で察知する。
一つ。不幸が起こるタイミングは完全にランダムである。
以上が、現在確認できていることの全てだ。
この問題への対処として、考えられる方法は二つ。
起こった不幸をどうにかするか、起こる前にどうにかするかだ。
試しにまず、起こった不幸をどうにかする、という方向でいこう。
……いや、どうしようもないんじゃないか? これ。
鉢植の件で考えてみても、既に落下を始めている鉢植をどうにかできるはずがなく。
だからといってプロデューサーに回避させるというのも、あまりに不確実で非現実的だ。
起こった不幸を損害無しで切り抜けるのは、少なくとも今は不可能。
となると、不幸が起こる前にどうにかするしかなくなってくる。
ほたるの事前に察知する力を向上させる?
いや、そもそもそのメカニズムすらよく分かっていないのに、向上なんてできるわけがない。
なら、ほたるの不幸体質そのものを何とかする?
いや、それこそメカニズムが分かっていない。無謀にも程がある。
「……情報、不足。」
大きなため息をついて、再びマッサージチェアにもたれる。
現状、その場しのぎしか方法がない。
被害をゼロにできないのなら、せめて最低限に。
それが、今できる精一杯。
「あら、お悩みですか?」
「……茄子。居酒屋は?」
あれこれ悩んでいると、頭上から声。
反応して頭を上げると、そこにはいつもの笑顔を携えた茄子が、こちらをのぞき込んでいた。
「はい、美味しかったですよ♪
閉店ギリギリまで居ちゃいました♪」
どうやらご機嫌なようで、音符の数がいつもより多い。
閉店という言葉に合わせて時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。
「……ねえ、茄子。
ほたると二人きりで居たこと、ある?」
彼女の顔を見て、思い出す。
そうだ。
彼女が居るじゃないか。
「はい、何度か。」
絶対的な幸福である、彼女が。
「その時、ほたるに不幸は起きなかった?」
彼女なら、あの子も。あの子すらも。
できるんじゃないか。幸せに。
「……はい、起きませんでしたよ?」
どうしてそんな、当たり前のことを聞くのか。
そう言いたげな顔をして、幸福はさらりと言い放った。
ああ、よかった。
こんなに回りくどいこと、考えなくてよかったのだ。
彼女に任せておけば、それでいいのだ。
気付かないうちに肺に溜まった重苦しいものを、ゆっくりと吐き出す。
「ああ、でも。そういえば。」
私がそうしている間に、彼女がこんなことを付け足すものだから。
「何も起こらなかった、訳では、ないですね。」
安心して、いいはずなのに。
もう、何もしなくて、いいはずなのに。
彼女に任せて、いいはずなのに。
それが最良のはずなのに。
やっと吐き出した息を、また少し吸い込んだ。
「……どういう、こと? それ。」
努めて冷静になろうとするが、それでも動揺が漏れ出す。
「いえ、正確に言うのなら、というだけですよ。
ほたるちゃんが怪我をしたとか、そういうことは一度もありません。」
いつもの余裕を崩さない茄子が、ひどく対照的だ。
「何も起こらなかった。
そういう訳ではないんです。
起こりは、したんです。確かに。」
ほたると茄子が一緒に居て。
それで、確かに、何かが起こった。
しかし、不幸は、起きなかった。
と、いうことは、つまり。
「起こりはしたけど、回避した。ってこと?」
「大正解です、流石ですね♪」
私の解答に、彼女は笑顔で丸をつけた。
ほたるの不幸と、茄子の幸福。
同じ場所に存在したそれらは、打ち消されるものだと思っていた。
しかし、実際はそうではないらしい。
彼女の口ぶりからすると、ほたるの不幸は茄子が居ても変わらず機能する。
その結果生じた何かしらの事態が、茄子の幸福によって牙を剥くことなく収束する。
要するに。
ほたるの不幸と茄子の幸福は、直接互いに関与することはなく。
それによって事態が生じた時初めて、その事態そのものに影響を与える、ということか。
「……じゃあ、茄子と一緒にいれば、ほたるは大丈夫ってこと?」
とても、確証のない話ではある。
今のところは大丈夫だからといって、いつ不幸が牙を剥くか分からないのだ。
でも、裏を返せば。
今のところは、それで、大丈夫。
何の問題もなく、過ごせている。
そして、それ以上の策は、今は、一つも無い。
だったら。
「はい、多分、大丈夫だと思いますよ♪」
任せておくべきだ。
この、曇りのない笑顔に。
そうするのが、最良で。
そうするのが、一番で。
そうするのが、最善だ。
そのはずだ。
そのはずなのに。
重苦しいものは、肺に溜まったままで。
さっきのように、出ていってはくれなくて。
だから。これで終わりではなくて。
根本的な解決を。
ほたるが確実に、絶対に、幸せになれる方法を。
探さなくては。見つけなくては。
「……じゃあ、お願いね。ほたるのこと。」
「はいっ♪」
そう、強く思った。