白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

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6.応急処置

「やっちゃったなぁ……。」

 

マッサージチェアに全身を預け、私は頭の中で、先日の大失態の反省会を開いていた。

 

アイドルとしての私のスタンスに疑問を抱く人は、少なからず居るだろう、とは思っていた。

何とかして乗り切れるだろう、とも、思っていた。

でも。

実際に、初めて、指摘されて。

焦ってしまった。

いや、焦るだけならまだいい。

彼女の、白菊ほたるの。

その自覚がないと、理解した上で。それでも。

私の、奥深くにまで、手を伸ばそうとする行為に。

恐怖感を覚えたのだ。

 

怖かったのだ。

 

その結果が、あれだ。

いくら大人びているとはいえ、まだ13歳だ。

小学生じゃなくなってから、一年も経っていないのに。

そんな子を相手に。

 

「……逆ギレ、なんて、なぁ。」

 

幸い、ほたるはあまり気にしてはいないようだったけれど。

私は、あんなことをしてしまった自分に、苛立っていた。

 

 

私ときらりの関係について、正しく理解している人物は、3人。

当事者である2人と、プロデューサーだけだ。

私がこの事務所に入ってからずっと、きらりと一緒に仕事をする機会が多かった。

きらりとの仕事が殆どだった、と言ってもいい。

私生活でも一緒。

仕事でも一緒。

私ときらりは、文字通り四六時中、一緒だった。

 

ある日、プロデューサーが言った。

これは共依存だ。

互いが互いに、あまりにも依存し過ぎている。

今はこのままでも問題はないが、これから先。

きらりがトップアイドルを目指す、その過程において。

二人が離れ離れになる時が、必ず来る。

その時、お前たちが耐えられるようには、とても見えない。

私は、何も言い返さなかった。

 

言い返せるわけ、なかった。

 

だから、その予行演習として、少しの間。

少しの間だけ、私ときらりは距離をおくことになった。

私は事務所の他のアイドルとユニット活動。

きらりは、丁度ドラマの仕事が入っていたようで。

ウチと仲の良い遠方のプロダクションにお世話になりつつ、撮影や現地でのその他の仕事をしているらしい。

 

きらりは出発前、私に大量の飴を作ってくれた。

元々は、自分に言い訳する為に用いていた飴。

そんな使い方を続けているうちに。

何かをするときには、飴を舐めていないと落ち着かないようにまでなってしまった。

当然、今でも、言い訳としての役割も十分にある。

 

きらりが居なくても、最低限の仕事はできるように。

そう言って、渡してくれたものだ。

徐々に慣らすのが目的だから、と、プロデューサーも許してくれた。

かなりの数だったはずのそれは、今はもう、全てポケットに収まるくらいになってしまっている。

 

 

 

包装をくるくると剥がしなから、私は考える。

いつまでも悔やんでいても、仕方がない。

今は、今直面している問題を考えよう。

 

問題というのは、当然、白菊ほたるの体質だ。

彼女の、不幸体質。

ほたるの思い過ごしだとか、考えすぎだとか、そういうものではない。

あれは、どうしようもなく、本物だ。

それは四六時中起こるものではなく、また、それが起こる一瞬前に、ほたるはそれを察知する。

例えば、プロデューサーの頭上から鉢植が降ってきた時、彼女は「プロデューサーさん、上……っ!」と警報を発していた。

その甲斐なく、見事なまでに直撃していたが。

また、ごく稀に、それが起こるよりもかなり前の段階で、察知することがある。

CDプレイヤーの件が記憶に新しい。

しかし、それを自分で狙って引き起こすことはできないようだ。

 

杏色のそれを、口の中へ放り込む。

 

一つ。彼女の不幸体質は本物である。

一つ。不幸が起こる一瞬前に彼女はそれを察知する。

一つ。ごく稀に、これから起こる不幸をかなり前の段階で察知する。

一つ。不幸が起こるタイミングは完全にランダムである。

以上が、現在確認できていることの全てだ。

 

この問題への対処として、考えられる方法は二つ。

起こった不幸をどうにかするか、起こる前にどうにかするかだ。

試しにまず、起こった不幸をどうにかする、という方向でいこう。

 

……いや、どうしようもないんじゃないか? これ。

鉢植の件で考えてみても、既に落下を始めている鉢植をどうにかできるはずがなく。

だからといってプロデューサーに回避させるというのも、あまりに不確実で非現実的だ。

起こった不幸を損害無しで切り抜けるのは、少なくとも今は不可能。

となると、不幸が起こる前にどうにかするしかなくなってくる。

 

ほたるの事前に察知する力を向上させる?

いや、そもそもそのメカニズムすらよく分かっていないのに、向上なんてできるわけがない。

なら、ほたるの不幸体質そのものを何とかする?

いや、それこそメカニズムが分かっていない。無謀にも程がある。

 

「……情報、不足。」

 

大きなため息をついて、再びマッサージチェアにもたれる。

現状、その場しのぎしか方法がない。

被害をゼロにできないのなら、せめて最低限に。

それが、今できる精一杯。

 

「あら、お悩みですか?」

 

「……茄子。居酒屋は?」

 

あれこれ悩んでいると、頭上から声。

反応して頭を上げると、そこにはいつもの笑顔を携えた茄子が、こちらをのぞき込んでいた。

 

「はい、美味しかったですよ♪

閉店ギリギリまで居ちゃいました♪」

 

どうやらご機嫌なようで、音符の数がいつもより多い。

閉店という言葉に合わせて時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。

 

「……ねえ、茄子。

ほたると二人きりで居たこと、ある?」

 

彼女の顔を見て、思い出す。

そうだ。

彼女が居るじゃないか。

 

「はい、何度か。」

 

絶対的な幸福である、彼女が。

 

「その時、ほたるに不幸は起きなかった?」

 

彼女なら、あの子も。あの子すらも。

できるんじゃないか。幸せに。

 

「……はい、起きませんでしたよ?」

 

どうしてそんな、当たり前のことを聞くのか。

そう言いたげな顔をして、幸福はさらりと言い放った。

 

ああ、よかった。

こんなに回りくどいこと、考えなくてよかったのだ。

彼女に任せておけば、それでいいのだ。

気付かないうちに肺に溜まった重苦しいものを、ゆっくりと吐き出す。

 

「ああ、でも。そういえば。」

 

私がそうしている間に、彼女がこんなことを付け足すものだから。

 

 

 

「何も起こらなかった、訳では、ないですね。」

 

 

 

安心して、いいはずなのに。

もう、何もしなくて、いいはずなのに。

彼女に任せて、いいはずなのに。

それが最良のはずなのに。

 

やっと吐き出した息を、また少し吸い込んだ。

 

「……どういう、こと? それ。」

 

努めて冷静になろうとするが、それでも動揺が漏れ出す。

 

「いえ、正確に言うのなら、というだけですよ。

ほたるちゃんが怪我をしたとか、そういうことは一度もありません。」

 

いつもの余裕を崩さない茄子が、ひどく対照的だ。

 

「何も起こらなかった。

そういう訳ではないんです。

起こりは、したんです。確かに。」

 

ほたると茄子が一緒に居て。

それで、確かに、何かが起こった。

しかし、不幸は、起きなかった。

と、いうことは、つまり。

 

「起こりはしたけど、回避した。ってこと?」

 

「大正解です、流石ですね♪」

 

私の解答に、彼女は笑顔で丸をつけた。

 

ほたるの不幸と、茄子の幸福。

同じ場所に存在したそれらは、打ち消されるものだと思っていた。

しかし、実際はそうではないらしい。

彼女の口ぶりからすると、ほたるの不幸は茄子が居ても変わらず機能する。

その結果生じた何かしらの事態が、茄子の幸福によって牙を剥くことなく収束する。

 

要するに。

ほたるの不幸と茄子の幸福は、直接互いに関与することはなく。

それによって事態が生じた時初めて、その事態そのものに影響を与える、ということか。

 

「……じゃあ、茄子と一緒にいれば、ほたるは大丈夫ってこと?」

 

とても、確証のない話ではある。

今のところは大丈夫だからといって、いつ不幸が牙を剥くか分からないのだ。

でも、裏を返せば。

今のところは、それで、大丈夫。

何の問題もなく、過ごせている。

そして、それ以上の策は、今は、一つも無い。

だったら。

 

「はい、多分、大丈夫だと思いますよ♪」

 

任せておくべきだ。

この、曇りのない笑顔に。

そうするのが、最良で。

そうするのが、一番で。

そうするのが、最善だ。

そのはずだ。

そのはずなのに。

 

重苦しいものは、肺に溜まったままで。

さっきのように、出ていってはくれなくて。

だから。これで終わりではなくて。

根本的な解決を。

ほたるが確実に、絶対に、幸せになれる方法を。

探さなくては。見つけなくては。

 

「……じゃあ、お願いね。ほたるのこと。」

 

「はいっ♪」

 

そう、強く思った。


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