と、いうわけで。
「よき湯でしてー……。」
「まさか温泉旅行を引き当てるとは……。」
しかもペアチケットを二枚。
商店街の人ごめんなさい。
全員分のチケットがあっても、休みが合わせられないのではないか。
そう懸念したのは、意外にも杏さんだった。
チケットを無駄にしてたまるか、私は絶対に休むぞ! くらいは言いそうだと思っていたのだが。
リアリストというか、冷静に状況を考えられる人なのかもしれない。
しかしプロデューサーさんに聞いたところ、丁度全員固まった休みが取れる状態だったようで。
私は茄子さんの幸福の凄まじさに、恐ろしさすら覚えることになった。
そして、現在。
杏さんはマッサージチェアと完全に同化。
茄子さんは近くの料理が美味しいと話題の居酒屋に単身突撃。
残った私と芳乃さんは、こうして露天風呂を堪能していた。
「ほー……。」
目を閉じ、肩どころか顎まで浸かって、ぴょこりと顔だけを出し、全身の力を抜いて湯を楽しむ姿は。
マスコットのような、普段とはまた違う可愛らしさがある。
「ほぉー……。」
「……寝ちゃわないで、くださいね?」
ここまで脱力されると、不安にもなってくる。
それはもう、人間はこれほどまでにリラックスできるのか、と、一種の驚きと感動を覚えてしまうほどだ。
「…………。」
やがて、ほーという声すら聞こえなくなってしまい。
滴り落ちる水の音だけが、心地よく耳を刺激する。
ゆっくりと、時間が流れていく。
そうして、どれくらい経っただろうか。
そろそろ上がります、と、一言かけようと口を開く。
「……上がられる前にー。」
が、私が喉を震わす前に、芳乃さんが言葉を発した。
完全に不意打ちだ。
驚いて彼女の方を向くと、そこには。
「……芳乃、さん?」
ついさっきまでの、可愛らしさも。
普段の、のんびりとした雰囲気もなく。
それどころか、凛々しさすらも感じさせる、彼女が居て。
私は、目の前の人物が私の知る依田芳乃であることに、確証が持てなかった。
「そなたの体質について、お話ししておこうかとー。」
「……体質、ですか?」
呆然としている私を見て、芳乃さんは言葉を続ける。
「あらゆるモノには、気というものが巡っておりますー。
その種類は千差万別、大きく分けるならば、良い気と、良くない気でしてー。」
言いつつ、芳乃さんは立ち上がる。
「それらは互いに干渉し、形を変えてゆきますー。
そしてそれこそがー、あなたの体質の原因と言えるでしょうー。」
月明かりに照らされ、湯けむりに包まれたその姿は。
神々しい。
私の知る言葉の中で、これが最適だと感じさせるほどに。
それほどに幻想的で、現実味がなかった。
「……それって、私の気、が……?」
彼女に、呑まれた。
どうしようもなく、そう感じる。
彼女の周囲にあるもの全てが、彼女のために動いているような。
そんな錯覚を覚えると、同時に。
彼女の言葉を、理解しなければ。
彼女の言葉は、とても、とても重要なものだと。
無条件に、そう思わされた。
「……はいー。そなたの気は、特に、良くないものですー。」
私の気が、他の人よりも、かなり、良くないもので。
それのせいで、周りの人達が不幸になってしまう。
「そしてー、干渉が起こる時機なのですがー。
常に起こっている、という訳ではないようなのですー。」
「それって……?」
よく分からない、と、首を傾げると。
彼女は頷いて、言葉を重ねた。
「常にそなたの周りが不幸であるのならー。
そなたはスカウトされることすら、叶わなかったでしょうー。」
彼女は私の手を取り、両手で包み込む。
「しかしそなたは、確かにここに居ますー。
それはつまり、時機が突発的であるということに他なりませんー。」
プロデューサーさんにとって、アイドルの卵をスカウトすることは間違いなく幸せだろう。
そんなプロデューサーさんに不幸が訪れたなら、あの日私を見つけることは叶わなかったはず。
しかし、私は彼と出会い、今こうしてここに居る。
だから、四六時中いつでも周りが不幸になる、というものではなく。
「……いつ、誰に起こるか分からないけど、突然。
いきなり、誰かが、不幸になるってことですか?」
彼女の言葉をよく噛んで、飲み込む。
答え合わせをするようにそう聞くと、彼女は再びゆっくりと頷いた。
「わたくしが分かっているのは、ここまでですー。
そしてー、これが最も、重要なことなのですがー。」
私の手を握る手の力が、少しだけ強くなる。
そこにはもう、凛々しさを感じさせる彼女は居なかった。
彼女の目は、優しく。
私を、まっすぐに映し出していた。
「そなたの気はー、変わり始めていますー。
初めて顔を合わせた頃より、ずっと、良いものになっているのでしてー。」
彼女が、にっこりと微笑む。
「それが、何に拠るものなのかは分かりませんー。」
茄子さんのものとは、少しだけ違う。
「しかし、わたくしたちと過ごすことが、少しでもそなたの為になるのでしたらー。」
他者を慈しむような、優しい笑顔。
「それをそなたが、望むのでしたらー。
あの時、お伝えしたとおりー。」
そして。
「わたくしはー、そなたのお力になりましょうー。」
そのまま、こんなことを言ってくるものだから。
「ずるいです。」
そのまま、小さな手で、頭を撫でてくるものだから。
「……ずるいですよ。」
それらが、こんなにも、あたたかいものだから。
「……よいのですー。」
抑えられないじゃないか。
「よいのですよー。」
溢れてしまうじゃないか。
「そなたは、十分に……十分に、頑張りましたー。」
縋ってしまうじゃないか。
「だから……よいのですー。」
……思えば、いつだっただろうか。
「もう、自分を悪者にしなくとも、よいのですよー。」
最後に、こうやって思いっきり泣いたのは。