白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

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3.不幸の日常

「よし、全員ちゃんと居るな。」

 

「はいっ♪」

「でしてー」

「は、はいっ」

「は~い」

 

トレーナーさんの確認に、各自言葉を返す。

 

「今日は白菊を入れての、初めてのレッスンになる。

前のプロダクションから移籍ということだから、まずどの程度の実力があるかを確かめさせてもらう。

その出来次第によって、その後のレッスン内容を決める。」

 

いつも通りのハキハキとした口調で、これからの予定を読み上げていく。

 

「では、まずは白菊。いくつか曲を流すから、それに合わせて踊ってみてくれ。」

 

トレーナーさんが傍らのCDプレイヤーに手を伸ばす。

 

「……ん?」

 

しかし、再生ボタンを何度押しても、辺りに広がるのは静寂。

 

「…………。」

 

そして、「まさか」という、この場の全員に共通する意識。

 

「……あの、私、家から持ってきましたので……。」

 

微妙な空気の中心点は、確かにレッスンをするにしては大きい荷物から、少し小さめのCDプレイヤーを取り出した。

 

「……え、持ってきたの? 」

 

思わず、思ったことが口から出る。

 

「今朝起きた時、そんな気がしたんです。

こういうことはたまにあって、大体その通りになってしまうので……。」

 

ある程度は予知と、その対策が取れるということか。

口ぶりからして、意図的にはできないようだが。

 

ほたるのプレイヤーにCDを移し替え、電源を入れる。

今度はちゃんと、聞き覚えのある曲が周囲に鳴り響いた。

 

「この曲はやったことは?」

 

「はい、大丈夫です。」

 

ダンスを練習するにあたって、使用する楽曲はある程度決まっている。

まず最初はこれ、できるようになったら次はこれ、といった具合だ。

そして、トレーナーさんがかけた曲は、今まさに私達が練習している曲だった。

 

スペースのある方へ移動し、ほたるは目をつむる。

力を抜いて、自然体。

リラックスしているのが、傍目にも分かる。

その様子を見て、トレーナーさんが再生のボタンを押した。

 

曲が流れる。

目が開く。

足が踊る。

腕が踊る。

指先が踊る。

ほたるが、踊る。

 

「……すごい。」

 

素直な、本当に素直な気持ちだった。

指先、足先の動き。

重心の安定感。

目線の移動。

動作から動作への、滑らかな繋ぎ。

そのどれを取っても。

ああ、この子は、本当に。

本当に、アイドルになりたいんだな、と。

そう思わせるほどに、完璧で。

そのどれもが、彼女の持つ儚さや、憂愁を際立たせていた。

 

曲が終わり、ほたるがこちらを見る。

トレーナーさんは、大きく頷いて。

 

「これなら、すぐにでも皆と一緒に活動できるだろう。」

 

と、最大級の賛辞を述べた。

ほたるはそれを聞いて、また、困ったように笑った。

 

 

 

「茄子さん。」

 

レッスンが終わり、その場解散。

杏さんは事務所のソファで一眠り。

芳乃さんは散歩に行った。

 

「……一日だけ。」

 

茄子さんは、屋上に居た。

 

「待ってくれたんですね。」

 

彼女はそう言って、にっこりと笑う。

あの時と、同じように。

 

「……一日だけ。」

 

私は、笑顔を作りはしなかった。

あの時と、同じようには。

 

「そう言ったのは、こうなると分かっていたからですか?」

 

その一日の間に私が、茄子さんと同じ事務所の人から、アイドルの勧誘を受ける、と。

そうなることを、知っていたから?

 

「私はあくまで、周りの人を少しだけ幸せにするだけです。

他人の人生を操れたりなんて、できませんよ。」

 

「そう……ですか。」

 

「ほたるちゃん、言ってましたよね。

人を、幸せにしたいって。」

 

「……はい。」

 

私が答えると、彼女は手を後ろに組んで、背を向ける。

夕陽を、眺めているのだろうか。

 

「あの時、言ったとおりですよ。

他にもあると思ったんです。

他にもあると、思っただけです。」

 

茄子さんは、ゆっくりと私に語りかける。

泣いている子供をあやすように。

割れ物に手を触れるように。

 

「人を幸せにしたいと言ったあなたなら。

そう言って、あんなところに来てしまうあなたなら。

あんな顔ができてしまう、あなたなら。

きっと、他にも。」

 

彼女はそう言って、私に向き直る。

 

「……そんなにひどい顔してましたか、私。」

 

「ええ。それは、もう。」

 

茄子さんの悲しそうな笑顔を見るのは、この時が初めてだった。


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