白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

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28.アイドル

『……いい? これが、最後の確認。』

 

男は、つい先程聞いた少女の声を、頭の中で反芻させていた。

 

『あの子の不幸体質の正体は、あの子が不幸だと思ったことが現実になるってもの。

だから、何が起こるか分からない。……この中の誰かが、死ぬかもしれない。冗談じゃなく、ね。』

 

これから始まるのは、白菊ほたるの二度目のファーストライブ。

その少し前に、参加者は別室にて双葉杏からのミーティングを受けていた。

 

『今、茄子が皆に、私と茄子と芳乃、三人分の幸福を願ったから。

だから、ほたるの不幸は打ち消されるし、それによって気絶することもない……はず。』

 

ビデオ通話、大画面に映し出される小さな少女は、やはり何処かの病室で。

彼女達が今までどれだけ頑張ってきたのかを、男は想像せずにはいられなかった。

 

『でも。今回は大丈夫でも、これから先。

あの子がアイドルとして皆の前に居続ける限り。

皆に危害が及ばないとは言い切れない。』

 

彼女が確認と銘打ったのは、単なるこれからの段取りだけではない。

自分達の、決意を。

白菊ほたるを幸せにしようとする意志を。

たとえ危険に冒されようと、彼女の味方であり続ける覚悟を。

双葉杏は、それを問うていた。

 

『……それでも、助けたい?

あの子を、幸せにしたい?』

 

「──勿論。」

 

あの時返した言葉と同じもの。

その場に居た全員が等しく口にした言葉を、男は小さく呟く。

 

『……ありがとう。』

 

ほっとしたように、少女は笑っていた。

 

 

 

ブザーが鳴り響き、照明が落とされる。

ライブが、始まる。

 

 

 

一瞬の暗闇の後、舞台の真ん中にスポットライトが当てられる。

照らされるのは、黒を基調とした、恐らくは私服を纏う少女。

白菊ほたるだ。

 

『…………、っ』

 

彼女は目の前の光景に驚愕し、直後、苦虫を噛み潰したように眉をひそめた。

この反応は、男にも予想できていた。

彼女はただ「ライブをもう一度する」としか聞かされていない。

ならば決して思わない。

まさか。

三人の先輩の実力をもってして、それでも隅の数席に空きが見られた大舞台。

それと全く同じ場所で。

たった一人。自分だけしか居ないのに。

 

『なんで……、』

 

一席も空きが無い、文字通りの満席であるなどと。

 

『……なんで、ですか?』

 

何故、何故、と、彼女は繰り返す。

これも、頭の中にあったことだ。

 

『知っているでしょう? 見たでしょう?

私は不幸にするんです。

周りの人を、不幸にするんです。』

 

誰一人、物音すら立てない静寂の中。

少女の声は、例えマイクを通さずとも、鮮明に聞き取れたことだろう。

 

『だから、こんなとこに居ちゃいけないんです。

私も。……あなた達も。』

 

分かっていた。

彼女が自分達を遠ざけようとすることも。

彼女が彼女自身をどう思っているのかも。

 

『それなのに、なんで、』

 

彼女が自分達の行動を理解できないことも。

どうしていいのか分からずに泣きそうになってしまうことも。

 

 

 

「知っているから。」

 

 

 

だからこそ、幸せにしなくてはならないことも。

 

 

 

思いがけない声に、彼女は目を見開いて男に顔を向ける。

男はそれに合わせて、小さく微笑みながら会釈を返した。

 

声が届かないのなら、届く場所へ。

白菊ほたるのライブをもう一度行うことを提案したのは、彼だった。

ネット上で声をかけ、連絡を取り、事務所と交渉した。

 

「君が優しい人間だということも。」

 

双葉杏のSOSを受け、行動した何人ものファン達。

その中心に居たのが、他ならぬ彼だった。

だから、彼がこうして皆を代表すると決まった時。

それに反対する者など、誰も居なかった。

 

「君がひどく苦しんでいるということも。」

 

話は事務所側の協力もあって順調に進み。

今日、この大舞台に収まりきらないほどの人が集まった。

ただ一人を救うために。

一人の少女を、幸せにするために。

 

「君が人を幸せにしたいということも。」

 

彼女達のプロデューサーはこの話が形になると、すぐにアイドルと男達との話し合いの場を設けた。

双葉杏が未だ病床に伏していることにより画面越しではあったが、不特定多数と直接連絡を取るにはむしろ都合が良かった。

そこで彼等は全てを知った。

不幸と幸福のメカニズム。

白菊ほたるの夢。

双葉杏の願い。

白菊ほたるの危険性。

鷹富士茄子の誓い。

白菊ほたるの決意。

依田芳乃の想い。

その全てを、彼等は知った。

 

何故白菊ほたるを助けようと思ったのか。

その問いに、彼女のためと答えられる者は、殆ど居なかっただろう。

双葉杏に頼まれたから。

あの双葉杏が、涙ぐんで懇願したから。

それが彼等の動機であり、双葉杏もそれを狙っていた。

白菊ほたるを救おうとするのは、しかし彼女のためではない。

杏とて、それに思うところが無いわけではなかった。

だが、そんな綺麗事を言っている場合ではないのだ。

教科書通りの良心に沿っていられる余裕など、双葉杏は、そして白菊ほたるは持っていなかった。

 

「君は幸せになるべきだということも。」

 

双葉杏のために白菊ほたるを救おうと集まった彼等は、そこで初めて、全てを知った。

そう。知ったのだ。

彼女がどれだけ優しいか。

彼女がどれだけ悩んだか。

彼女がどれだけ苦しんだか。

彼女がどれだけ報われるべきか。

 

心を動かされるに決まっている。

同情するに決まっている。

力になりたいと思うに決まっている。

そんなことを聞かされては。

そんなことを知ってしまえば。

 

「全部、教えてもらったから。」

 

味方になるに決まっている。

 

何故白菊ほたるを助けようと思ったのか。

それは、双葉杏に頼まれたから。

では、何故白菊ほたるを助けようと思うのか。

それは、幸せになってほしいから。

彼女に、幸せになってほしいから。

 

だから彼等はここに居る。

他の誰でもない、白菊ほたるのために。

彼女を幸せにするために、彼等は今ここに居る。

 

『……なら、なんで、』

 

全てを知ったと男は言った。

ならば思考は帰結する。

彼女は死すべき存在だ。

なのに何故。

何故、彼等は。

 

「……知ったからだよ。」

 

男が返した同じ言葉は、しかし違う意味を持っていた。

それは、男がここに居る理由。

かつて男はアイドルに救われた。

そのアイドルが。救世主が。

諦めようとしている。失望しようとしている。

かつての男と同じように。

 

その苦しさを男は知っている。

その辛さを男は知っている。

それがどうしようもなく、正しく見えてしまうことも。

 

自分はアイドルではない。

救世主には成り得ない。

でも。それでも。

かつての自分が苦しんでいる。

未来の救世主が苦しんでいる。

それを、例えたった少しでも。

助けたいと思うのは。

力になりたいと思うのは。

そんなに、おかしいことだろうか。

 

『私は!! ……もう、幸せにはなれないんです。

幸せになんてできないんです。

だったら、せめて、これくらいは……!!

不幸にしないことくらいは、許してくださいよ!!!!』

 

苛立つように彼女は言う。

当然だ。彼女が怒るのは。

感情のままに叫ぶのは。

自分の望みは叶わない。プラスには成り得ない。

ならばせめて、これ以上マイナスにはなりたくない。

そんな、最後の、ささやかな希望。

それすらも奪おうとするのだから。

 

『嫌なんです怖いんです限界なんですよ!!!

もう見たくないんです!! 笑顔でいてほしいんです!!

……もう謝りたくないんです!!!!』

 

自分のせいで不幸になった。

だから彼女は謝った。

その不幸の責は自分にある。

だから彼女は謝り続けた。

それが嫌だと彼女は言った。

その責はもう背負えない。

これ以上は潰れてしまうと、必死になって彼女は叫ぶ。

 

「……謝らなくて、いいよ。」

 

敵なのだ。

彼女にとって、ここに存在する全てが。

彼女を死なせまいとする全てが。

視界を塗り潰す人影の全てが。

自分を幸福から遠ざける敵でしかないのだ。

 

承知の上だ。

彼女はこれを望まない。

我等は単なる邪魔者だ。

ならば。

どれだけ刃を向けられようと。敵意を突き付けられてでも。

邪魔者ならば、邪魔者らしく。

姑息な手法を使ってでも。

 

「ここに居る人は皆、知っている。

君の体質も。君の悩みも。

知った上で、ここに居る。

だから、謝らなくていいんだよ。」

 

白菊ほたるの近くに居れば、不幸になるかもしれない。

その可能性を考慮した上で、彼等はそれでも側に来た。

わざわざ危険地帯に足を踏み入れて、怪我をしたからと怒る者は居ない。

だから、彼女が謝る道理は無い。

例え不幸になろうとも、彼女にその責は無い。

 

『それで本当に……!』

 

「いいよ。」

 

『…………っ!!』

 

それで本当にいいと思っているのか。

最後まで言い切らないうちに、男ははっきりと返答する。

 

「僕達が嫌なのは、君が死んでしまうことだから。」

 

自分が不幸になるよりも。

笑顔になれないことよりも。

一人の少女が。

そんな疲れきった顔ができてしまう少女が。

それほどに頑張ってきた少女が。

それでも死んでしまうこと。

死を選んでしまうこと。

それが。それだけが嫌なのだ。

 

『……分かんない。』

 

吐き出すように呟いたそれは、これまでと違う色をしていた。

 

『分かんない、分かんない、分かんない!!』

 

やっと、年相応の顔が見られたな、と、男はどこか安堵する。

 

『なんで駄目なんですか!? なんで許してくれないんですか!?

なんでそんなこと、言ってくれるんですか!?』

 

色々な感情が一気に押し寄せて、それを受け止めきれていないのだろう。

自分の見つけ出した最適解が否定されて。

彼等の起こした行動の理由が理解できなくて。

掛けられた言葉が嬉しくて。

でも、それは嬉しくないはずで。

ぐちゃぐちゃになった彼女は叫ぶ。

 

『あなたは私を!!! ……どうしたいんですか!!!!』

 

慟哭に対する答え。

そんなものは既に決まっていた。

ここに居る誰もが同じ。

ここに居る理由と同じ。

だからこそ。

前触れもなく。音もなく。一瞬にして。

 

 

 

世界が、純白に染まった。

 

 

 

打ち合わせをしていたのではなかった。

示し合わせていたのではなかった。

ただ、伝えたいと思った。

舞台に佇むアイドルに。ファンである自分が。

その結果。一寸の乱れもなく。

全員が全く同じ動作を取る。

 

これが、答え。

彼女に対する、彼等の総意。

 

あなたの歌が聴きたい。

 

彼女を表す色。

光を握りしめた手を。

何も言わず。ただ、真っ直ぐに。

精一杯に腕を伸ばし続ける。

 

あなたの踊る姿が見たい。

 

ファンがアイドルに向けてできる。

縮めることの可能な、最大限の距離。

伝えることの許される、最大限の意思表示。

 

あなたの笑顔が知りたいんだ。

 

「不幸になりたいわけじゃない。

……不幸にしたいわけじゃない。」

 

目を見開いて、只々驚愕するほたるに、男は声をかける。

彼等が考案した、悪者らしい姑息な手法。

その最後の一手を打つために。

 

「僕達は。」

 

優しい君が。

他者の幸福を願える君が。

他者を幸福にしたいと思える君が。

目の前の、幸福になりたいと言う者達を無視して。

君が死んだら悲しむと言う者達を無視して。

ここに居る全員を不幸にすると知って。

その上で一人さっさと退場してしまおうだなんて。

 

 

 

君を、幸せにしに来た(君に幸せにしてもらいに来た)。」

 

 

 

やれるもんならやってみろ。

 

 

 

永遠とも思えた静寂の後。

 

『…………いいんですか?』

 

やがてぽつりと少女が言った。

 

『不幸になるかもしれないんですよ?』

 

彼等は決して動かない。

 

『幸せになんて、なれないかもしれないんですよ?』

 

光は決して揺らがない。

 

『なのに、なのに…………』

 

少女は俯き目をつむる。

光は彼女を照らし続ける。

いつまでも。いつまでも。

もう転んでしまわぬように。

自分を閉ざしてしまわぬように。

 

『……幸せになってくれますか。』

 

瞳を閉じたままの少女が問う。

 

『私が歌ったら、幸せになってくれますか。』

 

答えは既に知っていた。

 

『不幸になっても、幸せでいてくれますか。』

 

目の前に、在り続けた。

 

だから少女は顔を上げる。

ゆっくりと瞼を開く。

光に導かれるように。

それを見て、男は静かに笑う。

その瞳に宿るのは、決意と覚悟。

 

そして少女は動き出す。

曲が舞台を包み込む。

 

それは、一人の少女の歌。

どこにでもありそうなシンデレラストーリー。

恵まれない少女を偶然目にした女神様が、あまりに可哀想だと天使に少女を救うことを命令する。

天使は部下である妖精を、少女の手助けをするよう遣わせる。

妖精は少女の願いを聞き、協力して問題を解決していく。

これから始まるのは、そんな物語。

 

曲に合わせて少女が揺れる。

指先、足先の動き。

重心の安定感。

目線の移動。

動作から動作への、滑らかな繋ぎ。

そのどれを取っても。

ああ、この子は、本当に。

本当に、アイドルになりたかったんだな、と。

そう、思わせるもので。

 

惹き込まれる。

少女を包み込む衣装に。

少女を照らすステージに。

少女に合わせて揺れる観客席の光に。

少女が振りまく、笑顔に。

 

時に歌い、時に話し、時に踊る。

そして、どの時も笑顔を絶やさない。

その姿は、等しく人を笑顔にする。

それが、アイドルという存在。

 

ならば、十分だろう。

誰一人として異議を唱える者は居ない。

彼女は。

白菊ほたるは、アイドルだ。

そう男は確信する。

楽しいのだ。嬉しいのだ。

こんなに単純で、こんなに幸せな感情が、今、会場全体を満たしている。

 

なんと簡単に成し遂げるのか。

ずっとそう思っていた。

だが、違った。

何ら簡単ではなかった。

彼女も同じだったのだ。

彼女も、全てを投げ出そうとした。

自分の持つもの全てに、失望した。

かつての男と、同じように。

だからこそ男は、尊敬の念すら持ってライブに熱中する。

男は知っている。

それがどれだけ難しいか。

それがどれだけ大変か。

 

そういうアイドルが居てもいいじゃないか。

アイドルが皆を幸せにするなら、幸せにされるのはファンだ。

彼女は彼等を幸せにする。

彼等が幸せになることで、彼女は笑う。

ファンが幸せになるためにアイドルは踊る。

アイドルを幸せにするためにファンは全力でそれを享受する。

そんな相互関係で結ばれた。

そんなアイドルが居てもいいじゃないか。

 

これ以上の成功なんて存在しない。

これが。これこそが。

白菊ほたるがアイドルとなる日に、相応しい舞台。

 

人を幸せにしたいと願った少女は。

少女を幸せにしたいと願った者達は。

この場に居る全員が。

あんなにも。こんなにも。

 

幸せそうに泣いている。


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