白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

23 / 30
22.理屈と計算と、感情

私は今、二つに枝分かれしている道の上に立っている。

 

ほたるの幸せを確実に叶えるなら、ほたるを殺すのが一番だ。

この考えに、変わりはない。

そうすれば、彼女は誰も不幸にすることなく。

自らも、これ以上不幸になることなく。

そして、白菊ほたるは、死ぬ。

誰かを幸せにしたいと願い、誰かが不幸になることに耐えられない、ごく普通の、優しい少女は。

その優しさを良しとするもの全てに、殺される。

 

「何もするなって、言いましたよね。私。」

 

ほたるの声を聞いて、私はゆっくりと目を開いた。

 

そして、もう一つ。

もし彼女を、生かすとしたら。

彼女の自殺行為を、例え強制的にでも止めさせるとしたら。

彼女の夢が叶う可能性は残される。

誰かを不幸にしないだけでなく、誰かを幸せにする可能性を、残すことはできる。

ほたるがより幸せになれる可能性を。

しかし、それはあくまで可能性だ。

ほたるが生きるということは、彼女の不幸体質が変わらず存在し続けるということ。

再び今回と同じような。

いや、今回よりも酷いことが起きる可能性だって、十分過ぎるほどに残ることになる。

ほたるが、今以上に、不幸になる。そんな可能性が。

 

ここは、昨日見た夢と同じ。

真夜中の、どこかのビルの屋上。

 

茄子は、ほたるを生かすことの危険性を全て承知した上で。

それでも、生かそうとすることを選んだ。

彼女は、認めなかった。

いびつなまでに真っ直ぐなほたるの優しさ。

それを良しとすることを、彼女は決して認めなかった。

自分は誰かを傷付けてしまうから。

自分の存在は他者にとって邪魔だから。

だから、自ら生命を絶つ。

それが、自分が叶えられる、精一杯の幸せ。

そんな優しさは間違っていると、茄子はそう言った。

 

だが、昨日とは違った。

 

そりゃあ私だって、認めたくはない。

あの子の自殺願望は、止められるべきだ。

あんなに優しい子が。人のために苦しんでいる子が。

そのまま死んでいくのを見ているなんて、そんなのは間違っている。

……間違って、いるべきだ。

 

相変わらずの重苦しい空は、しかし完全な灰色ではなかった。

 

でも。

そう思おうとすればするほど。

間違っていないのだ。

彼女の取った行動は。非の打ち所もなく、正しいのだ。

論理的なのだ。

確実なのだ。

これ以上のものは無いと、思わせてしまうほどに。

 

雲の切れ目から、幾つかの小さな星が。

 

茄子は言った。これはただの我が儘だと。

私だって、我が儘を言いたい。

ほたるが死んでしまうなんて、嫌だ。

でも、それではほたるは、もっと不幸になってしまうかもしれない。

 

そして、霞がかった、その向こうには。

 

だから。

自分の気持ちを押し殺して。

ほたるの幸せだけを考えて。

殺してやるべきだ、と。

そう、思っていたのに。

 

光り輝く満月が、確かに存在していた。

 

「……うん。」

 

ほたるはやはり、ゆっくりと私から遠ざかる。

私はほたるを追いかける。

 

「……邪魔だって、言いましたよね。」

 

昨日の夢と同じように、ほたるは私を睨みつける。

私への敵意のみで構成された眼で。

でも。

 

「……うん。」

 

私の足は、歩き続けた。

その目に怯えなどしなかった。

分かっている。

理解している。

これは余計なこと。

これは、邪魔なこと。

 

私はほたるに追い付くと、彼女の手を掴む。

ほたるは驚愕に目を見開き、何かを発そうと口を開く。

 

「邪魔だけど。余計なことだけどさ。」

 

ほたるが音を発するよりも早く、私は言葉を紡いだ。

 

「それでも、やっぱり。死んでほしく、ないんだよ。」

 

ほたるを掴んだ手を、少しだけ強く引き寄せる。

ほたるはバランス崩し、私に倒れ掛かるように。

私はそのまま両腕を開き、ほたるを。

 

 

 

「──生きていて、ほしいんだよ。」

 

 

 

強く、抱き締めた。

 

 

 

「……自分の我が儘のために、私を不幸にするんですか?」

 

「ううん。」

 

ほたるは私の両肩を掴み、無理矢理に引き剥がそうとする。

私の目の前に、ほたるの顔が映る。

そのまま苛立ちを隠そうともせずに問うほたるに、私は臆せずに答えた。

 

「不幸になんて、させない。

どれだけ時間がかかろうと。

どんなに憎まれようと。

無理矢理にでも、幸せにしてやるから。」

 

これが、私の答え。

私は、自分のために。

自分の我が儘のために、ほたるを救う。

目の前の最善を蹴ってでも、私は私の理想にしがみつく。

例え悪者になってでも、私の理想を押し通す。

 

理屈なんてものは存在しない。

ほたるに、死んでほしくない。

生きていてほしい。

それだけが理由。

その感情のみに基づいて、私は行動する。

 

納得したくなかった。

四方を論理で固められ、八方を正論で塞がれようと。

それら全てに、首を縦に振ることしかできなくとも。

それでも、認めたくなかった。

ほたるが死ぬことが正しいなんて、認めたくなかった。

理屈に打ち負かされて大人しく引き下がれるほど、私は大人にはなれなかった。

 

単純な話だ。

私は茄子に心動かされたのだ。

ほたるを救うと語る茄子の姿は。声は。真っ直ぐな目は。

押し込めていた私の矛盾を引きずり出したのだ。

理屈や計算に埋もれた感情を、掘り起こしたのだ。

 

「……ああ、そうですか。」

 

ほたるは両手で私を思い切り突き飛ばす。

私はそれに抗えず、一歩引き下がる。

 

「「また、失敗するつもりなのね。」」

 

ほたるの声と重複して、責めるようなお母さんの声。

ほたるの形をした黒い影。その手が、私の首元へ迫る。

 

「……うん。」

 

右腕を左から右へと大きく払い、肌色に色づいた手を弾く。

予想外と顔に書くお母さんに、私は答えた。

 

「自分のため、だから。」

 

覚悟の上だ。

これが最悪の結果を導き出すことも。

それによって嫌われることも。

それでも、私はこうすると決めた。

だから、言い訳の必要はない。

飴という報酬によって、その本意から目を背けなくてもいい。

正真正銘、自分のため。

自分だけのためだ。

 

不快そうに顔を歪ませたお母さんは再び闇色に染まり、ぐにゃりぐにゃりと形を変える。

一つの球体となったそれは、剥がれ落ちるように無数の鴉へと分裂して。

ばさばさと音を立てながら、空の向こうへと飛んでいった。

 

「……だから、待ってて。」

 

私は、空を見続ける。

鳥が飛んでいったその先を。

幾つもの瞬く星々を。

その中心で輝き続ける満月を。

決して、見失わぬように。

 

 

 

「決心は、つきましてー?」

 

目覚めると、真っ白な部屋。

私の隣で椅子に座る芳乃が、穏やかに問いかけた。

 

「……うん。」

 

私の表情を見て、彼女は微笑んだような気がした。

私が頷くと、芳乃は身を乗り出して。

窓際に置かれた、淡い赤色の飴を手に取った。

 

「この飴はー、茄子殿のものですー。

ほたる殿の死を、止めたいと願った、茄子殿のものでしてー。」

 

芳乃は私に飴を手渡す。

私はそれを受け取り、じっと、その色を眺める。

 

きっと、芳乃は私の中の飴の立ち位置を理解している。

恐らくはプロデューサーから聞いたのだろう。

そうでなければ、あの状況で飴を作るなんてありえない。

そしてプロデューサーのことだ、全てをそのまま話すようなことはしていないだろう。

あの状況を打破するために必要な、最低限の情報のみを伝えたに違いない。

そう、例えば、「双葉杏は飴という報酬がなければ何もできない」とか。

しかし、そこからある程度、その真意を予測することはそれほど難しくはない。

 

だから、芳乃はこのような伝え方をしたのだ。

この飴を作った茄子は、ほたるの死を止めたいと思っているから。

この飴は、それに協力してくれ、という、依頼書とその報酬を兼ねているものだから。

だから、この飴を食べれば、私はほたるを助けるために動くことができる、と。

そのことを伝えたいのだろう。

 

私は飴を握りしめた手を、芳乃へと差し出す。

彼女は少しだけ、面食らったようだった。

でも。

そこまで分かってくれているのなら。

この行動の意味も、汲み取ってくれる。

 

「ほたるを、助けたい。

……協力、してくれないかな?」

 

差し出された手と、私の目を、芳乃は交互に見つめる。

私は目をそらさずに、芳乃を見つめ続ける。

そのまま、考えをまとめるには十分過ぎるほどの時間が流れ、やがて。

 

「……任されましてー。」

 

にっこりと笑って、芳乃は飴を手に取った。

 

「……ありがとう。」

 

この行動の意味することは二つ。

私は自分のために動く。

だから、他人のためであることを誤魔化す飴は必要ない。

という、私の意思表示が一つ。

もう一つは、これが仕事の依頼であるということ。

芳乃がほたるに対してどの立場でいるのか、私には分からない。

しかし、彼女の協力がなければ。

私と茄子だけでは、ほたるを助けられる可能性は皆無。

だから。彼女の意志は考慮せず。報酬を伴う仕事として。

私は彼女に、ほたる救出の協力を依頼したのだ。

 

これは、ほたるを救えなかった場合の保険でもある。

もし、ほたるを幸せにすることができなかったとして。

その責任は全て、私と茄子にある。

芳乃はただ、私に依頼されて行動したに過ぎない。

その依頼主は私なのだから、責任は私が取るべきだ。

「仮に失敗したとしても、あなたの責任は私が持つ」。

その意味を込めての、仕事の依頼だ。

 

「じゃあ、早速お願いしたいんだけど。」

 

私は芳乃に、してもらいたいことを簡潔に伝える。

このままでは、ほたるを救えない。

私達では、ほたるを救えない。

だから。

思いっきり、我が儘を言ってやる。

どうしてできないんだと。おかしいじゃないかと。

理屈も計算も、何もかもを無視して。

おもちゃを強請る子供のように、泣き喚いてやる。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。