白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

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21.我が儘に過ぎないとしても

「死にたい」という言葉に、二つの意味があることは、きっとみんなが知っている。

SOSの意味と、額面通りの意味だ。

 

そして、私達が日常生活で頻繁に耳にするまたは言葉にするそれは、その殆どがSOSとしての意味を持っている。

誰に助けを求めればいいか分からない人が。

或いはまだ死への恐怖の方が勝っている人が。

若しくは誰にも必要とされていない人が。

それでも誰かに助けてもらいたくて。

それでも楽にしてほしくて。

それでも止めてくれる誰かが欲しくて。

あらゆる手段を思いついて試して、最後に、発する言葉だ。

 

だから、その殆どの場合、適切な態度で臨めば、その人たちを生かすことは不可能ではない。

少なくとも、死なずに済む可能性はある。

何故なら、その人たちはまだ、生きたいのだから。

生きたいからこそ、死にたいと言うしかない。

それしか方法がない状況に立たされているのだから。

 

だが。もう一つ。

本当に、言葉の通りの意味で、死にたいと言っている人は。

他人が何をどうしようと、その人を生かすことはできない。

だって、その人は本当に、本当に「死にたい」のだ。

 

心の底から死を願った人間に、生を強制する権利が誰にある?

 

だから、見送るしかないのだ。

そうなるまで耐え切れてしまった人間を。

そうなるまで気付けなかった自分を。

悔やみながら。責めながら。

ただ、見ているしかないのだ。

 

「……これが、私の知っている、全部。」

 

だから、私達にほたるは救えない。

彼女はもう、生に執着なんてしていない。

彼女にとって、生きることは少しも幸せなんかじゃない。

 

彼女の幸せを願うなら。

彼女のためになりたいなら。

彼女を、殺すしかない。

せめて、痛くないように。

せめて、苦しまないように。

彼女は今、彼女だけでは、死ぬことすらできないのだから。

 

説得することも考えた。

でも、不可能だ。

ほたるが最も回避したいのは、自分のせいで誰かが傷つくこと。

もし彼女が生きたとして。

それから先ずっと不幸を発生させないなんて保証は、どこにもない。

ほたるのせいで誰かが不幸になることを防ぐ、最善の方法。

ほたるの存在そのものを消す以上のものなんて、あるはずがない。

彼女の望みとそのために取った行動は、これ以上なく調和していた。

 

私達の望みは、ただほたるを死なせないだけじゃない。

生きた上で、幸せになること。

その二つが同時に実現しなくてはならない。

しかし、それらはどうしようもなく相反していた。

ほたるが生きている以上、誰かが不幸になる可能性は消えない。

ほたるの幸せは、ほたるが死ななければ成就しない。

そして、ほたるがほたるの幸せを願い続ける限り。

ほたるの自殺志願をやめさせる方法は、無い。

選択肢はもう、一つしか残っていなかった。

 

「無理なんだよ、全部を叶えるなんて。」

 

現状を全て知ったんだ。彼女達も気付いただろう。

私が最初に言ったことの意味に。

……本当は、全部は話すべきではないのかもしれない。

情報をきちんと考えて取捨選択して伝えれば、まだ一縷の望みはあったのかもしれない。

私では考えつかない、ほたるを心変わりさせる方法を、誰かが気付いてくれたのかもしれない。

でも、これは「仕事」なんだ。

私が知っていることを話すという、仕事。

そう思わなければ、私はこうやって思考を巡らせることすらできない。

だから、全部話すしかない。

 

「……これで、仕事は終わり、だよね。」

 

そう言って、私は壁を向いて横になる。

私が頼まれた仕事は、ここまで。

これ以上は、私は何もしない。

……何も、できない。

 

「…………教えてくれて、ありがとうございました。」

 

背中にかかった彼女の声は、しかし。

私の予想とは大きく外れていた。

悲しみに沈んでいることも、無力感に震えていることもなかった。

ただ、静かで。

ただ、凛として。

ただ、ずっしりと、重かった。

 

それに少しだけ驚いて、私は寝返りを打つように身体を茄子に向ける。

彼女は、涙で濡らすことも、怒りで皺を作ることもなく。

まっすぐに私を見続ける、その目には。

 

 

 

「ほたるちゃんは、私が助けます。」

 

 

 

決意だけが、静かに灯っていた。

 

 

 

「──は?」

 

間抜けな声が勝手に漏れる。

何を言っているんだ。何を言っているんだ。

話を聞いていなかったのか。理解できていなかったのか。

ほたるはもう救えないんだ。

私達が思い描くような救い方では救えないんだ。

それを、分からないのか。

 

「今まで、頑張ってくれて、ありがとうございます。

今は、ゆっくり休んで。……後は、任せてください。」

 

彼女はそう続けて、病室から立ち去ろうとする。

 

「ちょっと、待ってよ。」

 

私の制止に、彼女は背を向けたまま足を止める。

 

「……これから、どうするの。」

 

「分かりません。」

 

「助けるって、当てはあるの。」

 

「分かりません。」

 

「幸せに、できるの。」

 

「分かりません。」

 

「……あの子が、何を思っているのか、分かってるの。」

 

それを聞くと、彼女はこちらを振り返る。

さっきまでの凛とした表情のまま、彼女は言い放った。

 

「分かりません。」

 

フッ、と、頭の中の何かの電源が落ちた音がする。

嘘のように素速く身体が動いた。

ベッドから抜け出し、低い姿勢のまま茄子へと走る。

体重をかけているのとは逆の脚を思い切り蹴り飛ばし、バランスを崩す。

よろめいた彼女の首に、側転から両手を使って跳ぶ。

両脚を絡ませ、その勢いをそのまま叩き付ける。

彼女が地面に倒れると、私はマウントを取っている状態になった。

……ここまでしなければ人を押し倒す事すらできないという事実が、余計に私を苛立たせる。

 

「──今、自分が何言ってんのか分かってんの。」

 

冷静であろうとする声が、しかし震えるのを止められない。

限界だった。

彼女がしようとしている行動は、的確に私の神経を逆撫でした。

 

「……あの子は!! 死ぬのが幸せなの!! 生きてればあの子が傷つく!! もうそれしか無いんだよ!!!」

 

胸ぐらを掴んで、何度も上下に揺する。

 

「それを何!? 助ける!? 方法も分からないのに!? ……何言ってんだよッ!!!」

 

いつぶりに出したか分からないほどの大声を思い切り叫ぶ。

 

「あの子が悩んで!! 悩んで悩んで悩んでッ!! どうしようもなく辿り着いた結論だ!! それがあの子の優しさなんだ!!!」

 

彼女は何も言わない。

 

「──それを踏みにじろうってのかよッ!!!!」

 

何も、言わない。

 

肩で呼吸する私の荒い息遣いだけが、部屋に響く。

流れ出た涙が落ちて、彼女の頬を伝う。

襟を掴んだままの手が、震えていた。

 

「……分かりません。」

 

私が冷静さを取り戻すのを待っていたかのように、彼女は言葉を発した。

 

「私にあの子を救えるのか。幸せにできるのか。……そんなこと、分かりません。」

 

「だったら」。

その形に開いた私の口は、その通りに動くことはなかった。

今までなされるがままだった彼女が、私の手を掴んだから。

 

「分かりません、けど。」

 

彼女の手は私の手を襟から外す。

決して、強い力ではない。

けれど、彼女の静かさから、確かに発せられている迫力。

それに押されて、私はその手の動きに従った。

 

「私は、認めません。」

 

彼女の目は、私を真っ直ぐに見続ける。

 

「死ぬことが幸せなんて、認めません。

それしか無いなんて、認めません。

絶対に、絶対に認めません。」

 

「そんな、感情論で……!」

 

「杏ちゃんは、納得できるんですか?

納得、できているんですか?」

 

「……っ」

 

茄子は優しく私の肩を掴む。

私はその動きに逆らうことなく、茄子の上から離れた。

 

「だから、私には分かりません。

あの子が何を思っているか、なんて。

……分かりたく、ありません。」

 

茄子はゆっくりと立ち上がる。

私は床に座り込んだまま、それを見ている。

 

「杏ちゃんの言うとおりなのかもしれません。

私がこれからすることは、あの子を不幸にするだけなのかもしれません。

あの子のためを思うなら、するべきではないのかもしれません。」

 

でも、と、彼女は続けた。

 

「私はあの子を助けます。

私はあの子を生かします。

私はあの子を、幸せにします。

どんなに時間がかかろうと。

どんなにあの子に憎まれようと。」

 

「……それで、いいの?」

 

聞いていないのではなかった。

理解できていないわけでもなかった。

彼女は、全て知った上で。全て理解した上で。

尚、ほたるを助けようとしていた。

 

ほたるの優しさを踏みにじって。

ほたるの望みをぶち壊して。

恨まれて。憎まれて。

その全てを、背負った上で。

 

「……これは、もう、あの子のためとは言えません。

私の、我が儘です。

人の決めたことに納得できない、ただの我が儘。」

 

茄子は病室の扉を開け、小さく深呼吸する。

自分に覚悟を決めさせるように、彼女は言った。

 

「私は、私のために、ほたるちゃんを助けます。」

 

 

 

「行かせて、よろしかったのでしてー?」

 

私が病室を出ると、すぐ横から声。

見ると、芳乃が壁にもたれかかるように立っていた。

 

「……さあ、どうなんだろ。分かんないや。」

 

茄子の考えに、共感が無いわけではない。

でも、それが完璧に正しいか、と問われれば、決してそうではない。

 

「……ねえ、芳乃。」

 

ただ一つ、はっきりしていることは。

 

「この飴。誰が作ったか、知ってる?」

 

自分のために、ほたるを助ける。

茄子のその声が、やけに私の頭に響いていた。


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