白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

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18.限界は牙を剥く

「あのー、そろそろ離していただけるとー。」

 

「ダメです。」

 

「だめなのですかー。」

 

「ダメです。」

 

冷静に考えれば、私の走力で茄子に追いつけるはずもなく。

彼女が着いたであろう時刻よりもだいぶ遅れて病室のドアを開けると、芳乃に抱きついたまま離れようとしない茄子の姿があった。

 

「芳乃、身体は大丈夫?」

 

私がそう尋ねると、芳乃はがっちりホールドされている中で唯一自由に動かせる首を縦に振って答えた。

 

「はいー、おかげさまでー。

……あの、茄子殿ー、そろそろー。」

 

「ダメです。」

 

「だめなのですかー。」

 

「ダメです。」

 

きっと、茄子がここに来てからずっと同じことを繰り返していたのだろう。

芳乃が目線で「助けてくれ」と訴えてくる。

わざとらしく目をそらすことで私はそれに応えた。

 

「……芳乃、プロデューサーは?」

 

彼にも色々と説明するべきかと思っていたが、姿が見当たらない。

 

「ご多忙のようなのでしてー、茄子殿が来られるとー、すぐに何処かへ行ってしまわれましたー。

……あのー、そろそろー。」

 

以下省略。

 

まだ、ほたるの一件の後始末がついていないのか。

ここまで時間がかかるということは、彼はほたるを切り捨てるつもりはないのだろう。

彼女をスケープゴートにすれば、それだけでカタがつくのだから。

 

でも。

それは果たして、実を結ぶだろうか。

ほたるは、再び舞台に立つのだろうか。

 

「……芳乃。ひとつ、聞きたいことがあるんだけど。」

 

悪い考えを振り払うように、私は芳乃にそう切り出す。

私がそれを聞くことは分かっていたようで、芳乃は再び首を縦に振った。

 

「あの時ー、私が何を見たのかー……ですねー?」

 

「……うん。」

 

芳乃が意識を失う直前。

舞台の上から落ちた時。

芳乃はほたるの方を見た。

 

あの時、彼女の目には、何が映っていたのか。

ほたるから、何が見えていたのか。

私の考えが正しければ、きっと。

 

あの時の光景を思い出すように、彼女は目を瞑る。

再び開かれた両目には、確信が宿っていた。

 

 

 

「何もー、見えませんでしたー。」

 

 

 

「……そっ、か。」

 

明らかに自然現象ではない何かによって、芳乃を支えるハーネスは破損した。

そして、その瞬間、ほたるからは何も見えなかった。

他人の気を見ることができる彼女の目を以ってして、だ。

つまり、あの時、ほたるの不幸は発生していなかった。

だからこそ、彼女は驚愕した。

「不幸だと感じる事象は全て彼女に起因するものである」。

そんな固定観念に囚われていたが故に。

となれば、自動的に正解が導き出される。

二つしかない選択肢の、もう片方。

 

「芳乃が意識を失ったのは、茄子の幸福によるものだった」。

 

あの瞬間、ほたるの体質は悪化なんてしていなかったのだ。

恐らくは、あの時の彼女の言葉。

事務所の、パソコンの前で。

最後まで言い切ることはなかったけれど、それでも。

それでも、茄子は理解した。

理解されてしまった。

彼女が望んでいること。

彼女にとっての幸せ。

 

「神様の死」。

 

その望みは、しかし望まぬ形で実現した。

ほたるの憎悪する神様とは、決して芳乃を指すのではない。

だが、茄子の中で、結びつくはずのないそれらが結びついた。

彼女の、高すぎる演技能力によって。

 

あの空間にいた誰もが思う。

彼女は神様だと。

彼女こそが、神様だと。

一片の疑問を抱くことすら許されない。

それほどまでに、彼女は神様然としていた。

 

茄子の脳内は、その意志とは別に、自動的に思考を弾き出す。

神様とは彼女だ。

では、神様を殺す手段は。

どうやったら、目の前の神様は死ぬ。

その答えは、どこまでも明白だった。

 

だから彼女は落ちたのだ。

落ちはしたが、死にはしなかった。

その原因は、茄子がとっさに願ったその内容だと考えられる。

あの時、彼女はこう願ったのではないだろうか。

「芳乃が怪我をしませんように」。

芳乃があの状態で死ぬとすれば、それは落下による衝撃によるものだろう。

しかし、茄子の願いはそれを排除した。

「芳乃は高所から落ちて死ぬ」。

「芳乃は怪我をしない」。

相反する二つの願いが、あの時、同時に存在した。

 

トランプで確認した通り、彼女の望みそのものが「彼女から見て」矛盾を孕んでいた場合、それは実現しない。

だがあの時、彼女はそれが矛盾していると気付かない。

だから、全てが同時に叶えば確かに矛盾する願いは、しかし可能な限り再現された。

芳乃は高所から落ち、しかし怪我はせず。

怪我をしないから死にはしないが、それと限りなく近い状態に。

無傷の意識不明状態に。

 

ほたるのせいではない。

茄子のせいでもない。

ただ、圧倒的に、運が悪かった。

その意味では、まさに不幸と言える。

 

しかし、当事者達はそうは思わない。

そう思えない。

ほたるは意識がある限り自らを責め続けた。

その結果、不幸が彼女に再び纏わりつく。

 

今まで彼女の体質が改善されているように見えたのは。

茄子という幸福の存在に、全幅の信頼を置いていたからだ。

彼女が側にいれば、不幸は起こらない。

そう信じることが、最大の予防法となっていた。

 

ほたるの不幸の発生条件は、ほぼ確実に、茄子のものと同じ。

「ほたるが心の底から発生すると信じ、かつそれを不幸だと思うこと」。

茄子の存在は、それだけでその条件を打ち消した。

結果、茄子がほたるの体質をも改善させたように見えた。

いや、事実、間接的に改善させていたのだ。

 

しかし、ほたるの信仰は間違いだった。

間違いだったと、感じてしまった。

茄子が居て尚、芳乃は「不幸な目に遭った」。

茄子が居るだけでは、最早自らの不幸は抑えきれていない。

そう、思い込んでしまった。

 

そして、再び不幸が始まる。

これまでとは比較にならない威力で。

 

自責の念が不幸を助長させ、不幸の助長が自責の念を増加させる。

そのループは誰にも止められない。

それがどうしようもなくなった頃、ほたるは茄子の目の前で願った。

 

「自分だけが不幸になればいい」。

「自分だけが、死ねばいい」。

 

ほたるの不幸は自身のみを標的とし、その生命を刈り取ろうとする。

しかし、決して死ぬことはない。

「不幸な自分は、死ぬことすら許されない」。

追い詰められた彼女の思考回路は、何を疑うこともなくそう確信する。

確信したならば、彼女の不幸が起こる。

 

だから、ガラス片に刺されようとした時も。

ビルの屋上から飛び降りた時も。

決して死ななかった。

死ねなかった。

また、それと同時に、茄子は願った。

彼女の自殺願望の告白と同時に、ほたるの無事を。

ガラス片の時は、自らの無事を。

屋上の時は、私の無事を。

 

私や茄子だけが気絶して、ほたるがその間に姿を消したのは、それが原因だろう。

ほたるはきっと、茄子や私が、死んでしまうと思った。

ほたるを庇うことによって。

しかし、茄子は茄子自身や私の無事を願った。

それらは完全に矛盾していた。

芳乃の時のように、両方を可能な限り、ということはできない。

どちらも少しづつでも叶えようものなら、どうしようもない矛盾が生じる。

結果として、オーバーフロー。

私達の意識は強制終了された。

しかしほたるだけは、そうはならなかった。

ほたるは死を望み、死ねないと思い、そして茄子はほたるの無事を願った。

私達のような1:1ではなく、2:1。

だから、死なないほうが勝り、気絶することもなかった。

横たわる茄子を見て、ほたるは自分のせいだと思っただろう。

だから、茄子から離れたのだ。これ以上傷付けないために。

横たわる私を見て、ほたるは茄子が近くに居ると思っただろう。

だから、私から離れたのだ。願望の成就のために。

 

「死にそうだけど、死なずに済んでいる」のではない。

「死にたいのに死ねない」のだ。

 

 

 

彼女は今、心の底から、自らの死を願っている。

 

 

 

「……っ」

 

これが、全容。

今私達を取り巻いている状況の、全て。

これを、伝えるべきか? 彼女に。

この中の誰よりもほたるの幸せを願う彼女に。

あの子にとっての幸せは、既にあなたの思う幸せではないのです。

そんな残酷な事実を、告げられるのか。私に。

 

「……杏殿ー。」

 

立ったまま悩んでいる私に、芳乃が声をかける。

 

「このまま考えていても仕方ありませぬー。

ひとまず、飴でも買い出しに行かれてはー。」

 

彼女の声からは、気分転換を勧める、私への心配りが見て取れた。

でも。

 

「……飴? どうして?」

 

急激に喉が渇くのを感じて、私は唾を飲み込む。

気持ちの悪い汗が吹き出す。

何故、飴なのか。

それが私には理解できなかった。

いや。

理解、したくなかった。

 

「……はてー、わたくしの勘違いでしょうかー。」

 

彼女の得意技。

失せ物探し。

知っているはずのないものの在り処を、言い当てる。

 

 

 

「もう、ポケットに飴が無いのではないかとー。」

 

 

 

反射的に、ポケットに手を突っ込む。

……無い。

飴が、一つも、無い。

どうして。

確かに残り少なくはなっていたけれど。

まだ数個は残っていたはずなのに。

 

「……え、」

 

──私ときらりの関係について、正しく理解している人は、3人。

  当事者である2人と、プロデューサーだけだ。

 

「考え事をする際ー、飴がないと落ち着かないようでしたのでー。」

 

そう。

彼女は飴の意味を知らない。

だから、この言葉に悪意はない。

分かっている。

 

「……そん、な、」

 

でも。

だからと受け流せるわけがない。

今の私にとって、唯一の精神安定剤である飴が、無いということは、つまり。

 

「杏殿ー……っ!?」

 

考えてしまうことを意味していた。

考えずに済んでいたことを。

考えないようにしていたことを。

考えることから、逃げていたことを。

 

「……ぁ、あ、うあ、っ、あ……!」

 

心臓がバクバクとうるさい。

やっと意識されたそれは、これまでを取り返すかのような勢いで襲いかかる。

頭が締め付けられるように痛い。

もう無理だ。目をそらすことは、これ以上できなくなった。

思うように息をしてくれない。

嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

手の震えが止まらない。涙が溢れて止まらない。

 

 

 

 

 

きらりが居ない。


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