「うん……うん、そう。それを……。」
茄子と共に事務所に戻り、私はプロデューサーと連絡を取っていた。
「……うん、よろしく。それじゃ。」
通話を切り、携帯を机の上に置く。
これで、準備は完了。
後は私がうまくやれば、芳乃は意識を取り戻す。……はず。
「じゃあ、始めよう。」
私は振り向いて、テーブルの反対側に座る茄子の顔を見る。
不安。戸惑い。疑心。それと、ほんのちょっとの期待。
そんなところだろうか。
「まず、ルールね。これから私が……」
テーブルに、表を上にして置かれたトランプの束の側面を押し、横一列に薄く広げる。
リボンスプレッド、と言うらしい。
テレビでマジシャンが最初にやって、種も仕掛けも無いことをアピールするアレだ。
私がわざわざこうして見せたのも、それを目的としている。
「このトランプ一組から、私と茄子は裏向きのままカードをそれぞれ一枚選ぶ。
カードの数字が大きい方が勝ち。
それを三回。二回勝ったほうが勝利。
カードの公開は最初は同時、次からは負け越してる方が先にする。
一番強いのがジョーカーね。ジョーカー引いたら問答無用で勝ち。」
説明しながら、二枚見えているジョーカーのうち、一枚を抜く。
これで、入っているジョーカーは一枚。
茄子がちゃんとこの動作を見ているか注意する。
「で、シャッフルは私だけがやる。茄子に触られたら勝てる気しないからね。
……ルールはこれでいい?」
一通り喋ってから、そう問いかける。
茄子はゆっくりと口を開いた。
「……本当、なんですか?」
努めて冷静を装いつつ、心の中でガッツポーズ。
ここまでは、思った通り。
「何が?」
それの意味するところは分かりきっているが、気付かないフリをする。
「……本当に、芳乃ちゃんは目を覚ますんですか?」
茄子がそれを安易に信じられないのは当然のこと。
茄子の幸福を持ってして尚、彼女は眠り続けたまま。
自らの幸運に絶対的自信を持っていた茄子からしたら、まず考えられないだろう。
芳乃の目を覚ます手段が存在するなんて。
「……理由は、教えられない。
それを話したら、芳乃は助からない。」
ここで種明かしをするわけにはいかない。
それをしてしまったら、何の意味もない。
まだ、茄子にそれを知られてはならないのだ。
「でも、このゲームに茄子が勝ったら。
芳乃は必ず目を覚ます。絶対に。」
でも。
何も説明のできない状況で、それでも。
私は茄子に信じられなければならない。
この御伽話のような話は、しかし真実なのだと。
「到底信じられないのは分かってる。
馬鹿な話をしてるってのも重々承知。
でも、本当のことなんだ。だから──」
一度言葉を切り、目を瞑る。
そのまま、大きく深呼吸。
ゆっくりと目を開けて、まっすぐに茄子を見る。
「──信じて。」
数秒間、視線がぶつかり合う。
茄子は私がやったように目を瞑り、恐らくじっと考えている。
私はただ彼女を見続ける。
息遣いすら聞こえない部屋の中、時計の秒針だけが一定の鼓動を刻む。
そうして、数十秒か、数分か。時間の経過が曖昧になってきた頃。
……彼女の目が、開く。
「……ありがとう。」
その目を見れば、十分だった。
「じゃあ、始めるよ。」
私はテーブルの上に広げられたトランプの端を弾き、ドミノのように裏側に倒す。
そして一つの束にまとめ、シャッフルを始める。
シャッフルと言っても、一般的に用いられるような、ヒンズーシャッフルと呼ばれる方法は使わない。
束を二つに分け、それぞれの端を弾いてそれらを噛み合わせて一つの束にする、リフルシャッフルを用いる。
この方法であれば、きちんと一枚ずつ重ねさえすれば、無作為には混ざらない。
規則性が生じることになる。
あとは前もって覚えておいた並び順を、その規則性に当てはめればいい。
種も仕掛けもない、イカサマの完成だ。
「……はい、選んでいいよ。」
二、三回リフルシャッフルして、再びリボンスプレッド。
裏向きのまま広げられたカードの中から、茄子は一枚のカードを選ぶ。
左から17番目。ダイヤの5。
それを確認してから、私は右から3番目のカードを選ぶ。
クローバーの13。
「じゃあ、いくよ。1、2の……3。」
カウントに合わせて、二人同時に選んだカードを公開する。
私は当然、クローバーの13。
茄子は……。
「私の勝ち、ですね。」
ジョーカー。
彼女が選んだのは、間違いなくダイヤの5。
にも関わらず、彼女が公開したカードはそれではない。
……予想通りだ。
不幸のメカニズムの予測の一つ。
「不幸が起こる一瞬前に彼女はそれを察知する」。
そうだと思っていた。
その考えで矛盾はなかったと。
逆だ。
因果関係がまるっきり間違っていたんだ。
起こる前に察知するんじゃない。
察知したから起こったんだ。
目の前に置かれたジョーカーを見て、確信する。
ほたるの不幸と茄子の幸福は、非常に酷似している。
ただ、ベクトルだけが間逆なのだ。
その発動条件は、ほぼ同じ。
今、茄子は心の底からこのゲームに勝ちたいと思っている。
勝てば芳乃が助かると信じているから。
そしてこのゲームには、唯一の必勝法がある。
わざわざ露骨に提示したし、見落としていないか確認もした。
ならば、茄子が考えることはひとつ。
「ジョーカーを引けますように」。
だから、ダイヤの5はジョーカーに化けたのだ。
彼女がそれを望んだから。
彼女がそれを、彼女にとって幸せだと思ったから。
だから、幸福が起こった。
左から23番目、ジョーカーであったはずのカードを引く。
それは、彼女が選んだはずのダイヤの5だった。
ダイヤの5とジョーカーが、入れ替わっている。
つまり、彼女が幸福を起こした際に生じた矛盾はそのまま放置されるのではなく、何らかの形で対処されるということ。
今回はジョーカーが二枚になり、ダイヤの5が無くなるという矛盾が、互いに入れ替わるという形で対処された。
「……じゃあ、二回戦。」
再びリフルシャッフル、リボンスプレッド。
負け越している私が先に公開する。
彼女が選んだのは、ハートの4。
私が選んだのは……。
「……ジョーカー。」
私が公開したカードを見てから、茄子がカードに手を伸ばす。
彼女が選んだのは……。
「……ハートの、13、です……。」
やっぱりだ。
彼女が私のジョーカーを見た後に、ジョーカーを作り出すことはできない。
確かに、彼女は彼女が望んだように幸福を引き起こす。
例えその結果、どんな矛盾が生じようとも。
しかし、その逆。
彼女の望みそのものが、彼女から見て矛盾を孕んでいた場合。
その時は、幸福は発生しない。
「私の勝ち、だね。」
心の底から願う必要があるのだ。
彼女が不可能だと、少しでも思っていることは、決して実現しない。
心の底から、その実現を望まなければならない。
今回は、茄子は既に自分の選んだカードが少なくともジョーカーではないことを知ってしまった。
だから、彼女は一回戦目のようにジョーカーを作り出すことができず、二番目に強い13に変化した。
忘れてはならないのが、茄子の幸福は周囲に伝搬するということだ。
一回戦の時のことを思い出してみよう。
一回戦での私にとっての幸福は、ジョーカーを引くこと。
あの時私に幸福が伝搬したのなら、クローバーの13はジョーカーに変化していただろう。
しかし私のカードは13のままで、茄子のカードだけが変化した。
これは、茄子と他の人間が同時には叶えられない望みを同時に願った時、茄子の方が優先されるということ。
……というのが、選択肢の一つ。
「流石に運だけで茄子と勝負したら話にならないからね。
ちょっとイカサマさせてもらったよ。」
言いながら、一枚のカードを指差す。
右から8番目、スペードの3。
「例えばこれは、クローバーの7。」
茄子が私の指の先にあるカードを手に取る。
私は念じる。
このカードはクローバーの7。このカードはクローバーの7。このカードはクローバーの7……。
「……スペードの3、ですけど……?」
しかし彼女が手にしたカードは、スペードの3のまま。
確定だ。
正解は、もう一つの選択肢。
他人の幸福が叶えられるために必要なのは、他人が心の底から願うこと。
茄子がそれについてどう思うかは、関係ない。
今、茄子は勝負に負けた種明かしをするという形で、目の前のカードがクローバーの7だと説明された。
それを茄子が疑うわけがない。
そして私にとっての幸福は、このカードがクローバーの7であることだ。
あれだけカッコつけて大見得を切って、その予言が見事に外れている。
そんな情けない状態になることを防ぐのが、私の幸福であったはずだ。
だが、カードが変化することはなかった。
茄子が心の底から信じていただろうにも関わらず、だ。
となれば、原因は1つしか考えられない。
私が信じていなかったからだ。
当然、私は知っている。
このカードはスペードの3。クローバーの7ではあり得ない。
だから、条件を満たせなかったのだ。
更に言えば。
茄子が心の底から信じていたのに、変化しなかったということは。
単に茄子が思っているだけでは、幸福は発生しないということだ。
発生した一回戦との差は明確。
茄子にとって、それが幸せであるかどうかだ。
別にこのカードが何であろうと、茄子に損も得もない。幸せでも不幸でもない。
だから、茄子の幸福も発生しなかった。
私の幸福が発生しなかったのとは、別の理由で。
茄子の幸福は、その人が幸せだと思い、かつ心の底から願ったことが、その人に発生する。
ここまで予想通りなら、きっとこれも正しいはず。
私は茄子に見えないよう、テーブルの下でスマホを操作する。
開いたのは、ソーシャルゲームのガシャ画面。
あらかじめ貯めておいた石を消費し、ガシャを引く。
結果は、ほたると初めて会った時と同じ。
家で引くのと変わらない、普通の結果。
これで、もう一つ条件が判明した。
他人が幸福を発生させるには、茄子が幸福を発生させる条件に加えて、茄子が他人の願いを知っている必要がある。
もし、幸せだと思い、心の底から願うだけでいいのなら。
こんな普通の結果ではないはずだ。
しかし、今回明らかに幸福は発生していない。
それは、私が茄子にガシャを引くことを知られないようにして行ったから。
私がガシャを引くことを、茄子が知らなかったからだ。
「三回戦、いくよ。」
これで、検証したいことは全部だ。
後は、ただ私が負ければいい。
もう、イカサマをする必要もない。
普通にシャッフルして、リボンスプレッド。
「1、2の……3。」
お互い一勝だから、同時に公開する。
私はスペードの13。茄子は……。
「……私の勝ち、です。」
ジョーカーをこちらに見せながら、彼女はそう宣言した。
「……これで、芳乃ちゃんは……。」
助かる。
目の前の小さな少女はそう宣言した。
だが。こんなことをした程度で。
本当に助かるのか。
本当に、目が覚めるのか。
彼女の表情には、はっきりとそう書かれている。
「うん、助かるよ。すぐにでも連絡が来るんじゃない?」
ソファに深くもたれかかり、緊張が解けた演技をしつつ。
再び、テーブルの下でスマホを操作する。
用意しておいて正解だった。
彼女の不安はもっともであり、事実だ。
芳乃は未だ目覚めていない。
そもそも、このゲームそのものに、彼女を助ける効力なんてありはしない。
ただ、手助けをしているに過ぎないのだ。
このゲームを始める前に、プロデューサーに伝えておいた合図。
「空メールを送信したら茄子に電話する」。
それによって、最後の一押しが完了する。
……逆を言えば、これが失敗したら、全ては水泡に帰す。
メールを送信して、数十秒。
茄子の携帯が震え、彼女はスピーカーを耳に押し当てる。
ここが、最後の関門。
私は食い入るように彼女を見守る。
彼女が違和感を覚えなければ、芳乃は目を覚ます。
彼女の反応は……。
「……芳乃ちゃん!?」
ガッツポーズを取ろうとする腕を、どうにか抑える。
成功だ。
これで芳乃は目を覚ました。
これで、現段階において私が出来る最良の行動は、全て成された。
スマホが震えて、プロデューサーから電話の着信。
出ると、久しぶりに聞く彼女の声。
『杏殿ー……全て、理解したのですねー……?』
舞台の上から落ちた次の瞬間、病室のベッドの上だった。
にも関わらず、彼女はとても落ち着いていた。
「……うん。全部、分かった。ねえ芳乃、ほたるは……。」
『……ここで、待っていますー。詳しくは、直接お話し致しましょうー。』
「……分かった。」
電話を切り、早くも病室へと駆け出した茄子の後を追う。
茄子の幸福のメカニズムは判明した。
ほたるの不幸も、ベクトルを除いてほぼ同一のもの。
それが意味する彼女の状態は。
……これ以上このことを考えたくなくて、私は短い手足をがむしゃらに振り続けた。