白菊ほたるの幸福論   作:maron5650

14 / 30
13.願いごと、ひとつ

「はぁ……。」

 

小さくない病院の、小さくない病室の。

ドアの前で立ち尽くしながら、私は何度目かの、小さな溜息をついた。

 

あの後、すぐに芳乃ちゃんは病院に担ぎ込まれた。

色々と身体を調べて、大きな機械に通されて。

あちこちを輪切りにされて、分かったこと。

 

彼女の身体の何処にも、異常は無い。

すぐにでも日常生活に戻れる、そんな状態で。

 

 

 

もう二週間、一度も目を覚ましていない。

 

 

 

それが何に依るものなのか。

いつ意識が戻るのか。

何も分からない。

ただ一つ、確かなことは。

 

ほたるちゃんのデビューは、失敗したということ。

 

芳乃ちゃんの入院を皮切りに、彼女の不幸は再びその勢いを増した。

それも、今まで見たことが無いまでに。

やっと許しを得たかのように、それは一斉に牙を向いた。

 

今日私がこうしているのも、ほたるちゃんの付き添い。

もう、片時も目を離してはならないのだ。

私が彼女と離れたら、その瞬間に不幸は誰かに襲いかかる。

財布を落とすとか、躓いて転ぶとか。

そんな生易しいものではない。

確実に生命活動が停止するようなことが。

断続的に発生しているのだから。

 

平日の午後、太陽の色が濃くなってきた頃。

こんな時間だからか、ここは今、とても静かだ。

こうして立っているだけで、嫌でも耳に入ってくる。

 

「……んなさい。ごめんなさい。芳乃さん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。……」

 

ずっとだ。

昼頃にここに来て、日が暮れるまでずっと。

そんな毎日を、もうどれくらい繰り返しただろうか。

少なくとも一週間は満たしていないはずなのに。

その何倍も、長く感じる。

 

本来なら。

こんなことは、止めさせるべきなのかもしれない。

律儀に毎日病院に、連れて行くべきではないのかもしれない。

でも。

ひどかったのだ。

こうやって、懺悔を繰り返すようになる、その前の彼女は。

ほんとうに、ひどかったのだ。

 

何を見せても、何を話しかけても反応しない。

手を引いて、初めてよろよろと力無く歩き始める。

ずっと床に座り込んで、ずっとどこかを見つめてる。

見ているものなんて、何もないのかもしれない。

人から心というものを抜き取ったら、どうなるのか。

その模範解答を見ているような。

見ているこっちが、泣きたくなる姿だった。

 

それが何日か続いた、ある日。

久しぶりに彼女は、意味のある言葉を発した。

注意して聞かなければ、空気に吸収されて消えてしまいそうな声で。

「芳乃さんの病室に行きたい」。

……こうなることは、どこかで分かっていた。

分かっていて、それでも。

それでも、幾分かマシだった。

1/1スケールの人形だと言われたら信じてしまえそうな彼女の姿を、これ以上見ていたくはなかった。

 

赤色の丸い光の、半分は隠れてきた。

そろそろ、帰る時間。

彼女が泣き疲れて、眠ってしまう時間。

扉の向こうに意識を向けると、既に声は聞こえなくなっていた。

 

タクシーを呼ぶための携帯と、涙を拭くためのハンカチをカバンから取り出しつつ。

通話可能エリアでもある彼女の病室へと、引き戸に手をかける。

 

「……んで、ですか。」

 

その時だった。

 

「……なんで、私じゃないんですか。」

 

彼女が初めて、謝罪以外の言葉を発するのは。

 

「私なんですよね、不幸なのは。

だったら、私が不幸になればいいじゃないですか。

……私が、こうなればいいじゃないですか。」

 

きっと、誰に問うているわけでもない。

彼女が、優しすぎるから。

だから漏れ出てしまう、やり場のない憤り。

 

「なんで、周りの人ばっかり、こうなるんですか。

なんで、私だけにしてくれないんですか。

なんで、なんで……。」

 

だから、彼女は望む。

もうこれ以上、誰かが傷付かなくていい方法を。

単純で、だからこそ、確実な結末を。

 

「──ねば、よかった。」

 

やっとそこまで思考が至り、私は我に返る。

彼女が次に、言おうとしていること。

彼女が今、思い描いている希望。

それを、言わせちゃ、ダメだ。

だって、やっとなんだ。

やっと、あんなに楽しそうに笑えたのに。

やっと、夢が叶う直前まで来れたのに。

……やっと、幸せになれると、思ったのに。

 

「……こんなことになるんなら。」

 

嫌だ。

認めたくない。

あれだけ頑張って。

あれだけ耐えて。

あれだけ泣いたのに。

それでも、ダメだなんて。

幸せに、なれないなんて。

最初から諦めていた方が、よかったなんて。

 

「あの日、屋上で……。」

 

降ろしかけた手を、再びドアの取っ手にかける。

両手を使って全力で、開ける。

何て声をかければいいかなんて、分からないけれど。

でも。

何か、言わなくちゃ。

 

「ほたるちゃ──」

 

私の、彼女を呼ぶ声は。

最後まで、続くことはなかった。

 

そんな。

確かに、杏ちゃんは言っていた。

私の幸運やほたるちゃんの不幸は、時に物理法則すら無視するって。

でも、まさか、こんな。

 

もう点いているはずの蛍光灯が光っていない。

毎日一本ずつ増えている、花瓶に活けているはずの可愛らしい花が、水浸しの床に落ちている。

窓は閉まっているはずなのに、冷たい風が強く吹き込んでいる。

そして。

 

花瓶、蛍光灯、窓。

凶器と成り果てたそれらの破片が、切っ先を一人の少女に向けて。

彼女を中心に、空中で静止していた。

 

西日に照らされた刃物は、きらきらと輝いて。

これから起こりうる惨劇は、まるで嘘なんじゃないかという錯覚を与えてくる。

 

「〜〜ッ!!」

 

反射的に、走る。

標的となった少女を、守るために。

この身体は、いくら切り刻まれてもいいから。

彼女を包み込むように、抱きしめようと。

 

距離はそう離れてはいない。

あの時のように、動きを阻害するものも無い。

大丈夫。間に合う。

 

部外者の侵入に気が付いたほたるちゃんがこちらを向くと、目が合った。

涙でぐしゃぐしゃになった顔には、ひどく不釣り合いな無表情。

目の前にある非現実を、当然のように受け入れて。

 

 

 

「──私が、死ねばよかった。」

 

 

 

彼女の言葉は、引き金となって。

ドーム状に整列した凶刃が、一斉に少女を目指す。

それと同時に、私は彼女に辿り着く。

 

勢いを殺せないまま、殺さないまま。

私は彼女を抱きしめる。

何かの拍子で離れてしまわないように、強く、強く。

 

「……よかった。」

 

今度は、ちゃんと。

ちゃんと、間に合った。

私は、どうなってしまうのか分からない。

全ての破片をすり抜けられたりしたら、一番いいのだけれど。

でも、死ぬことはないだろう。

そして何より、この子はきっと無事だろう。

目の前で友人が倒れるのは、もう見たくない。

私が幸運だというのなら、それくらいは叶えてほしい。

間も無く襲いかかるだろう痛みに備えて、私は固く目を閉じる。

 

 

 

 

 

風を切る音が、聞こえた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。