【完結】とある再起の悪役令嬢(ヴィレイネス) 作:家葉 テイク
「『攻撃』……ですって?」
好凪さんの言葉に、俺は思わず聞き返していた。
『この「スキャンダル」…………誰かの、
あながち否定はできない指摘だ。俺達にとってこの情報はあまりにも不利益だからな。だが……ぶっちゃけて言えば、今まで隠せてた方がおかしいんじゃない? と思わなくもない情報だったりもする。
おそらく常盤台のお偉方が何やら根回ししていたんだと思うが……単にそれがたまたまこのタイミングで表出してしまっただけだという可能性もある。
いや、それ以前に。
攻撃だろうとなんだろうと、この状況……そこを考えることに何か意味があるか?
レイシアちゃんの自殺未遂のことが世間にバレて、それによって常盤台が、ひいてはGMDWの面々が『社会的な死』を迎えるまで糾弾が続くであろうこの状況。考えるべきは、『どうやって被害を最小限に抑え、GMDWを守るか』だろう。
ただでさえ皆、今回のことで必要以上に罪悪感を抱えているんだし……。
…………?
……いや、今言ってて何か、妙な感じがしたぞ? 何か……何か、根本的なところで違和感があるような……。
「好凪。続けなさい」
俺が違和感の根源について考え込んでいるのを感じ取って、レイシアちゃんが好凪さんに続きを促してくれた。
好凪さんは頷き、続きを語り始める。
「最初に違和感をおぼえたのは……わたしがレイシアさんのことを知ってから、一週間くらい経ったころでした」
好凪さんはそこでハッと気付いたようになり、
「あっ、わたしがレイシアさんのことを知ったのは二学期が始まってからでっ、あ、あとわたしと千度さんが派閥の中ではこのことを初めて知って……」
「すすす、好凪さん」
アワアワとし出した好凪さんの言葉を遮るように、そこで千度さんが彼女の肩に手を置いた。
そして、一言。
「…………落ち着いて。大丈夫ですから」
──そのあとは、好凪さんもスムーズに話し始めてくれた。
彼女の証言を纏めると、こうだ。
──九月二日。
阿宮好凪がレイシア=ブラックガードの自殺未遂事件について知ったのは、その日の午後の能力開発の時だった。
先輩である桐生千度と共に研究施設で能力のデータ取りをしているときのことだった。研究員の一人が、噂話のような調子でレイシアが七月ごろに自殺未遂をした、という話をしていたのだった。
最初はまさか、と思った。
桐生はもちろん、阿宮にとってもレイシア=ブラックガードとは強者の象徴だ。常に近くで見ているからこそ、ある意味では常盤台に君臨する二人の
だが、情報源がブラックガード財閥の関連企業に属する研究者だったこともあり、その話は妙な説得力を持っていた。
恐ろしくなって刺鹿と苑内に相談した二人だったが、事実でも虚偽でもレイシアの為にならないということで、黙殺する方針で決定。
……しかし、その後も研究所に行ったメンバーからの噂の報告は止まず、五日も経てばレイシアの自殺未遂は派閥構成員全員の知るところとなってしまっていた。
派閥構成員の多くは、レイシアの自殺未遂という起きた出来事の重大さに戸惑い、恐れた。その噂が多方面から出たことによって、『すぐにでも世間に広まってしまうのでは』という恐怖が先立ち、またレイシアに対する罪の意識を贖うことにばかり意識が向かっていた。
だが──此処にひとつ、特大の違和感がある。
そもそも、この噂はどうして
だって、おかしいだろう。
九月二日に阿宮と桐生が耳にし、五日も経たないうちに一〇人いる派閥構成員全員に広まった噂が──
──どうして、大覇星祭当日まで他の誰にも広まらなかったのだ?
人の口に戸は立てられない。
ここまで情報が広まらなかったのは常盤台上層部の根回しだったと仮定して、その根回しを超えて阿宮と桐生に噂が届いた時点で、もうその根回しは意味をなさなくなったと考えるべきなのだ。
にも拘わらず、情報が『GMDW』で止まっていたということは。
この『噂』を流した者は噂を世間に広めるのではなく──
では、思考を次のステップに進めよう。
九月二日から、何者かがGMDWの面々にのみ噂を流した。ではそれは何のため? どうやって?
最初に言っておく。
これらの疑問に対する答えを導き出すのは、不可能である。どの回答も確たる証拠はない。推測に推測を積み上げた、状況証拠による砂上の楼閣である。
ただし、前提となる事実は存在する。
情報源は常に研究員──という共通点だ。
そして、GMDWの面々の能力開発施設は、もともとレイシアが全て管理していた。
さて、ここからは推測に推測を重ねた単なる『疑い』の話だ。
レイシア=ブラックガードの勢力内にいて、彼女を追い詰めることで利益を得られるのは誰だ?
レイシア=ブラックガード以外に、勢力内に独自の噂を流すことのできる権力者は誰だ?
噂が広まった二学期から、レイシア=ブラックガードはどんな活動をしていた?
何故、『犯人』は直接世間に噂をバラすのではなく、派閥内に噂を流すなんて──
これは単なる推測。
確たる証拠の存在しない『疑い』。
だが。
「だ、だから……その……この『攻撃』の犯人は、でございますね……」
「…………塗替斧令、ですわね」
レイシアちゃんは、静かにそう言い切っていた。
そう考えれば辻褄が合ってしまうのだ。
噂が流れ出した時期が二学期からなのは、俺達が婚約破棄の為に段取りをつけだしたのがまさにその時期だから。
噂をわざわざ派閥構成員にだけ流していたのは、俺への警告。本来は派閥メンバーから俺の耳に入れることによって『このまま婚約破棄を進めれば秘密を暴露するぞ』というメッセージにするつもりだったのだろう。
だが、派閥メンバーが俺に気を遣ったことでその作戦は意味をなさなくなり──結果として、向こうからしたら『警告を無視して婚約破棄を押し進めた』と見えたわけだ。
そして今になって秘密がバレたのは、婚約破棄が決定的になったから。
このスキャンダルでGMDWの地盤をボロボロにすることで俺の力を削ぎ、事態の収拾と引き換えに婚約破棄を撤回させようという魂胆だと考えれば──これまでの盤面の流れ全てに説明がつく。
何より──婚約破棄を回避するためにここまでやるというのは、これまでレイシアちゃんから聞かされていた塗替斧令の人物像とこの上なく合致する。
《………………甘かった》
俺は、後悔していた。
レイシアちゃんの、言う通りだった。波風の立たない婚約破棄なんて、そんな甘いことを考えるべきじゃなかった。
俺が日和って悠長な真似をしたから、敵は
甘かった。
そんなことを考えられなくなるくらい……最初の最初から、徹底的にやるべきだったんだ。向こうが俺達に歯向かおうと思わなくなるくらい、そんなことをしでかせばどうなるかイメージできるくらい、鮮烈な一手を打つべきだった。
いや。
今からでも、遅くない。俺達の言うことに従わないと痛い目を見ると分からせてやれば、あの野郎の安いプライドをへし折って、俺達の前にひれ伏せさせれば、まだ何とかなる。
だって、アイツだってこの事態に収拾をつけたいはずではあるのだ。でないと交渉にならない。だから……今すぐ。この失敗を、
《シレン》
椅子から立ち上がりかけたところで、足から力が抜けた。
《わたくしは、
その声は、穏やかだった。
……? 何言ってるんだレイシアちゃん。これは明らかに失敗だ。俺が余計なことを考えず、最初からレイシアちゃんの方針のままに動いてなければこうはならなかったんだから。いや、そもそも俺が同性との婚約に及び腰じゃなければ、上条さんへの恋愛感情についてきちんと明確な否定を出していれば、こんな話が出てくることもなかった。
もちろん、だからといって俺が消えればいいとかそういうことは考えてないよ? 二人で生きるって決めたんだから、そんな勝手は言わない。
でも、間違えたのは純然たる事実で、その責任が俺にあるのは疑いようがない。そこを誤魔化すのは違うだろ。
《だって、いつまでも友達に秘密にするには、ちょっと据わりが悪い話だったんですもの。いずれ色々と整理ができた段階で告白するのがわたくし達の総意でしたけど……こんな感じで、敵の策謀の流れで多少ドラマチックにやるのも悪くないのではなくて?》
《いやいやいや、レイシアちゃん……。……、……》
思わず苦笑して、少し黙った。
ちょっとだけ、思うところがあったのだ。
《…………そういうことに、
《レイシアちゃん……》
《……今までいろいろと、悪かったですわ。正直に言うと、わたくし、楽しかったんですの。今までわたくしにとって、恋愛は実利だけでしたから……。実利を追求して、なおかつシレンが幸せになれるなら、こんなに良いことはないじゃないかって。…………それでシレンが辛い思いをしていたら、本末転倒ですわよね。挙句にこんなことになってしまって、ごめんなさい》
……そんなこと。
俺だって……。
《……俺も、ごめん。一緒に生きるって決めたのに、
レイシア=ブラックガードが自殺未遂なんてしなくて済む未来だったら。
お父様とお母様がきちんとレイシアちゃんのことを見てあげて、派閥の皆とも最初から普通に仲が良くて、塗替斧令なんて妙な男にも引っかからなくて。
俺なんかがわざわざ憑依しなくても、全部が上手く回ってくれるなら。そんな未来がきっと一番素敵で幸せで……俺達の未来は『次善』だなんて、そんな酷い話はないよな。
だって、実際のレイシア=ブラックガードはこうして──『俺達』なんだから。
だから……違うよな、俺が考えるべきことって。
俺と……來見田志連とレイシア=ブラックガードが出会えたこの未来が、幾千億の未来の中で一番素敵で幸せなものだって信じる。
何が起ころうと、どんな難題が立ち塞がっても、その全てを乗り越えて、呑み込んで、そして最後には『すべてがわたくしの覇道を支えたのですわ!』なんて、世界の全てに宣戦布告をするような不敵さで笑う──そんなことだけでよかったんだよな。
「そんな……レイシアさんの婚約者が、そんなことを……」
予測される犯人の名前を聞いて、燐火さんが気落ちした調子で呟く。
どよめきがないことを見ると、多分みんなどこかで納得はしているのだろう。みんなだいたいご令嬢さんだもんね。そのへんの……こう、ドロドロとしたアレの機微は分かるのだろう。
「で、でも具体的にどうしやがるんです!? こ、こんなことになっちまって……もう、もう……取り返しが……」
「…………そうですわね」
今にも泣きそうな夢月さんに、俺はひとまず肯定する。
確かに、もうこうして世間に広まった噂を否定することはできない。何せ事実だし、おそらくレイシアちゃんの自殺未遂の現場は監視カメラにも映っている。入院歴なんていくらでも調べられるから裏取りはされているだろうしな。
だから俺達が考えるのは、起こってしまった事態を否定することじゃない。
あの事件を、マイナスのこととして隠したり、誤魔化したりすることじゃない。
……そうだろ? レイシアちゃん。
「『わたくし達』に、考えがあります」
別に確認をとったわけじゃないけど、俺は自然と、レイシアちゃんの考えていることが分かっていた。
作戦なんか何もない。
でも、不思議と不安もなかった。
回りくどい策謀も存在しない。
誰かを貶したり、陥れたり。
そういうドロドロしたのは、やらない。
性に合わないのは、もうやめだ。
俺達のやることは、たった一つ。
「せっかくです。全世界に教えてあげましょう。────わたくしたちの『再起』。その結実を」
何も知らずに紛糾する世間の皆々様に教えてやればいいのだ。
俺達は、これでよかったんだって。
シレンは『レイシアちゃんの自殺未遂のお陰で俺が憑依できたんだから結果的にはいいことだった』と言えるほどの面の厚さはなかったんですね(そしてレイシアの要求は『それを言え』ってことなので……まぁ強引ってレベルじゃないですね)。